★ 大和ハウスから定期的にこんな刊行物が送られてくる。
これがその表紙なのだが、なかなかカッコいい。
大和ハウスに皆さんはどんなイメージをお持ちだろうか?
私自身がずっと持っていた『イメージ』は、
奈良出身の固くて旧い感じの会社だったのだが、
昨今はちょっと昔と変わってなかなかスマートなのである。
私が住んでいるまち三木市緑が丘町は
こんな感じで自然やゴルフ場に囲まれているのだが、
結構、広大であることはお解り頂けるであろう。
この区域だけで2万人以上いると思うので、
この一帯で三木の人口8万人の半分はいるのだろう。
そして、この赤い線で囲んだところのおうちはその殆どが大和ハウスなのである。
大和ハウスがこの一帯の土地を開拓・造成して売り出したのは
昭和43年(1968)あたりで、その当時は全国でマイハウスブームが起こっていたが、まだ土地も安かった。
我が家の土地も70坪で、その価格は300万円をちょっと切るレベルだったが、
私の給料も15万円ぐらいだったのである。
でも毎年、物価も給料も20%も上がった時代で、
4年もすれば物価も給料も倍増したそんな時代だった。
土地だけ先に買って、家はあとから建てたのだが、
家を立てる4年後には土地も給料も倍増していたのである。
★なぜ、三木辺りにこんな家を建てたのかと言うと、
まだ仙台にいた時だったが、
明石に出張してきたら、ちょうど大和ハウスに異動したばかりの
かっての印刷屋のセールスがいて、
『三木にいい土地があるから買ってくれ』と言うのである。
値段は三木が田舎だったからだと思うが、めちゃ安いし、
すぐには家は建てないという条件で、
出張時に誰にも相談せずに買ってしまったのである。
土地などをこんな買い方をする人は少ないだろうが、
当時は、土地や建設ブームで周囲の人達も買っていた時代で、
会社が300万円貸してくれるというので、即決したのである。
結果論だが、めちゃいい買物だった。
★この一帯の建物はすべてダイワハウスで建てられていて
所謂「プレハブ住宅」だが、「春日や飛鳥」と言う種類があって、
こんな感じの建物だったのである。
ただ私の生き方は『差別化』なので、
この家を建てる時にも、ダイワハウスの規定からは外れた特別仕様で、
特に玄関・トイレ・台所・風呂場はすべて大きく造ってあるので、
50年経った今どきの仕様に比べても、まだ大きいぐらいなので、
建て替える必要などは全く感じない。
特に当時の飛鳥は『堅牢』がウリで、
50年経った今も全く問題はないのである。
★時代も変わったが、
大和ハウスのイメージも全然変わったように思う。
いつ頃だったかこんなイメージロゴなどを創って、
広報活動に積極的になってから、
そのイメージは一変して、スマートな会社になったと思う。
現在のダイワハウスの建物は、こんな感じでスマートなのだが、
私の住んでいる緑ヶ丘は、我が家の建物がそうであるように、
堅牢で持ちがいいので、
50年前の旧い建物も相当残っているのだが、
道は相当に広いので、旧い街のイメージは全くない。
果たして、いつ頃になったら
この一帯が様変わりするのだろう。
私の存命時代はなかなか変わりそうにないのである。