雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私のアーカイブス・定年後  その1 

2021-11-15 07:10:00 | 自分史

★ 私のカワサキでの現役時代は「単車事業」のスタートの時期からずっと単車事業とともに歩んできたのだが、
 その現役時代は「カワサキアーカイブス & 私のアーカイブス」と題して10回の連載で纏めている。

 カワサキを引退したのは64歳の時だったのだが、
 まずは80歳までの約15年間がどんなものだったのか?
 日記を読み返しながら、「私のアーカイブス・定年後」と題して、
 何回かに分けて纏めてみたいと思っていて、まずはその第1回目である。
 

★ まだ川重籍だった1997年のある日の夜、高橋鐵郎さんから家に電話があって、
 「突然だが北海道に行ってくれないか」と仰るのである。

 当時は高橋さんは川重副社長で単車と建機を担当されていたのだが、北海道は単車ではなくて建機のことなのである。

    現在は建機事業そのものを日立に移管したので社名も「北海道川崎建機」と変わっているが、当時は「北海道川重建機」という社名だったのである。


 

 

北海道川重建機」という名前から川重の子会社のように思われるかも知れぬが、実はそうではなくて自前資本の優良会社なのである。
 たまたま社長が亡くなられたことから、川重に社長派遣依頼があったようなのである。

 私は単車一筋で建機など全く経験もないのだが、若いころに東北で自前の代理店を担当した経験があったので、
自前の代理店」のことは解るだろうということでのご指名だったようである。

 確かに自前の代理店は伝統もあるし、独特の経営スタイルもあって、
 メーカーの系列代理店や販社とは全く異なった、歴然とした「独立経営企」なのである。
 
 単車事業なども世界に販売会社があってそれぞれ独立経営をしてはいるが、
 所詮はメーカー系列企業であって、独立した自前企業とは根本的に異なるのである。
 単車とは全く違う商品だし、単車の経験など殆ど役に立たないので、
 もし役立つものがあるとしたら、若い時に東北6県の代理店を担当した時の
 「代理店経営」なるものを横からだが見ていてな何となく「解っている」ことだったのである。


北海道川重建機」という名前の通り、二輪車とは全く異なる商品だし、
こんなに沢山の支店・営業所もある企業で、従業員の数も多いしなかなか大変だとは思ったが、
高橋鐵郎さんからの指名なので断るわけにはいかないのである。
そんなことで「2年間」という期間を設けて、札幌に「単身赴任」したのである。

 


 優良企業であることから役員の給料水準は高くて、専務よりちょとだけ高くして頂いたら、川重当時より高くなったりしたのである。
先方からの「社長派遣依頼」であったので、非常に気を遣って頂いて
社用車に運転手をつけましょうか」という申し出だったのだが、
それをお断りして、2800㏄の4駆のトヨタクラウンの新車を用意して頂いたのである。

 
★今更、建機車両の営業や商品のことなど覚えてみても仕方がないと思ったので、 営業内容や商品のことなどは一切覚えたりせずに、
 私自身の独特の経営ノウハウや経営管理システムを導入したのと、
 役員に比べて低かった一般従業員の給料水準を上げたりしたぐらいのことしかやらなかったのである。

北海道各地にある支店・営業所を自分で車を運転してよく回ったので、ある意味北海道旅行をしたような2年間だった。
お陰様で北海道の道は殆ど知っていると言ってもいいのである。
営業所では会食などもあって、従業員諸君とは面識もできたし、すぐ親しくなっていいお付き合いが出来たのである。
この点は二輪時代の販売店とのお付き合いのノウハウが役に立ったと思っている。

 北海道は4月の後半から10月までの約半年しかゴルフはできないのだが、
 期間が短いだけに、ゴルフにかけては熱心でその回数も多いのである。
 私の歓迎会も送別会もゴルフだったし、取引先とのゴルフの回数は多くてこの2年間に100回ぐらいのゴルフをしているのである。

 北海道独特のゴルフでアウト・インを通してやるので午前中はゴルフ場、午後からは会社で土日にゴルフなどはしなかった。
 会社に定時までいたら「社長なのになぜ定時までおられるのか」と仰るのでである。
そのあたりが自前の会社の社長の違うところで、以前の社長は幾つもの会社を兼務されていたので、実務は専務が取り仕切っていたようである。

 そんなことで私もウイークデーでも午前中はゴルフということも多かったので、
私のゴルフ人生」でもこの期間が一番充実していて、30台後半は珍しくはなかったし80台がほとんどというゴルフだったのである。


★そんな2年間だったのだが、北海道を離れてからもいろんな方たちとのお付き合いは続いたし、
会社側からも非常によくして頂いて、たった2年間の務めだったのに、更に2年間の顧問期間も設けて頂いたりしたので、
社長を離れてからの顧問時代も何度も北海道に行っている。

定年後のスタートはこんな北海道時代からスタートしたのである。
そんな4年間だったので、私の仕事を離れた定年後は自分では何となく「68歳から」だと思っているのである。

 
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本シリーズと人の記憶

2021-11-14 06:50:33 | 発想$感想

★今年の日本シリーズヤクルトとオリックスとの対戦となった。
 
ヤクルトVSオリックス」はオリックス前身の阪急時代を含めて2度対戦し、ともにヤクルトが勝利し、
さらにオリックスと合併した近鉄もヤクルトと1度対戦したが、
これもヤクルトが勝利しているという。

 3回対戦して3回ともヤクルトが日本一になっているというのである。

  

 
88年も生きていると遭遇した出来事も多いのだが、
一体、どれくらいのことを覚えているのだろうか?
ひょっとしたら殆ど覚えていないのかも知れない。


プロ野球についてはずっと興味はあったと思うのだが、
ヤクルトオリックスが3度も対戦したことも全く覚えていなかったし、
ヤクルトが3度も日本一になったとは全く解らなかったのである。


記事によると、次のように3回日本一になっているのである。

 ◆1978年 ヤクルト4―3阪急  
 山田久志や福本豊らを擁し日本シリーズV4を狙う阪急が、シリーズ初出場のヤクルトと対戦とあるが、
 阪急がそんなに強かった時代があったのは何となく解るし、
 山田久志や福本豊はよく覚えているがV4を狙った年に敗れたのだとか。

1995年 ヤクルト4―1オリックス  
 2度目はヤクルトが野村監督時代で、イチローがオリックスにいた時代だという。イチローのオリックス時代は強かったのは覚えているが、
日本シリーズを戦ったとは記憶にない。
  
 ◆2001年 ヤクルト4―1近鉄  
 この年は退職しているのだが、全く記憶にないのである。


★この3回もそうだが新しいことよりも旧い時代のことのほうをむしろよく覚えていて、
 ずっと旧い1リーグ時代の阪神の別当・藤村のことなどはよく覚えているのである。
 別当薫は阪神にいて大人気だったのに、
 2リーグに分かれたときに毎日オリオンズに移籍し、
 そのオリオンズが優勝したことなども覚えている。

 人間の記憶力というのは一体どうなっているのだろうか?
 大体、昔のことのほうがよく覚えていて、
 最近のことは覚えていることも勿論あるのだが、
 年代がどうももう一つはっきりしないことが多いのである。

 その点、子供時代・中学・高校・大学時代等のことはもう60年以上も前のことなのに、
 その時々に何があったのかが解るのが不思議である。

 プロ野球でいえば1リーグ時代は中学生のころである。
 前述した別当薫のことなど、プロ入り前は全大阪のスター選手だったし、
 確か初代ミス神戸と結婚したことも覚えている。


★日本シリーズが始まったのはプロ野球が2リーグに分裂してからで、
 その第1回の1950年は高校2年生のころで、
 別当薫が移籍した毎日オリオンズ松竹ロビンスとの対戦だが、
 この時の松竹ロビンスには小鶴誠というホームラン王がいたことも覚えているのである。

  


 最近は調べたらこんな日本シリーズの年次ごとの結果表も出るのだが、

 水原茂・三原修・鶴岡一人・川上哲治などの監督の名前も懐かしいし、
 それぞれの監督時代の巨人も南海も西鉄も本当に強かったのである。

 水原時代の巨人は川上・千葉
 三原時代の西鉄には中西・豊田・稲尾、
 川上時代の巨人は長嶋・王の全盛期なのである。
 
 それにしても昔のことはなぜこんなに覚えているのだろうか?
 脳はやはり若い時のほうが確りしているのかも知れない。


★それは兎も角、今年の日本シリーズは「ヤクルト・オリックス」という
 どちらが勝ってもいいチーム同士の対戦になったから、
 「記憶に鮮明に残る」ような「いいゲーム」を展開してほしいと思っている。
 

 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オートバイ神社と川崎神社   雑感

2021-11-13 06:02:43 | カワサキワールド

★1昨日のゴルフは吉田純一さんと一緒だったのだが、
   久しぶりにいろんな話をさせて頂いて、楽しい1日を過ごしたのである。
 そんないろいろな話の中の一つが、
 いま吉田純一さんが推進されている「オートバイ神社」についても、
 いろいろお話することが出来たのである。

 この「オートバイ神社推進構想」は
 2014年10月に島根県浜田市に設立されたのが第1号
 私はそのころから関心を持っていたのである。

    


 バイクのユーザーの楽しみの一つが「ツーリング」なのだが、
 その「ツーリングの目的地」の一つとして
 全国各地に「オートバイ神社」ができることは非常にいいことで、
 どんどん広がればいいなと思っていたのである。

 以来7年、吉田さんは地道な活動を続けられて、
 すでに全国にはこのようなオートバイ神社が設立されていているのである。
 
 

 
 一つ一つ創っていくという地道な活動だが、
 積み上げていって減ることはないのだから
 この活動が続く限り「増え続けていく」ことは間違いないのである。
 

★現在、吉田純一さんは一般社団法人日本二輪車文化協会を設立されて、
 日本の「二輪車文化推進」を先頭に立って引っ張られているのだが、
そんな永年の地道な活動を国も評価して、
吉田純一さんは二輪業界で初の旭日小綬章を受章されたのだが、
そんな活動の中の一つに「オートバイ神社設立推進」がある。

 

 


その活動の目的は、
■ツーリングライダーの拠点となる全国オートバイ神社の認定
宗教的な目的ではなく、ツーリング拠点として、地域活性化にも貢献し、

その理念
オートバイ神社はツーリングライダーのランドマークとして、
今後各都道府県に1箇所以上設立を推進し、
昨今増えつつある海外からの観光ライダーに、バイク生産王国日本の良い所を旅して頂き、観光立国を目指す我が国の一助になることを目指している。
と書かれている。

 日本二輪車文化協会のホームページに、いろいろ書かれているので、
 是非、目を通して頂きたいと思っている。
 

 
 
★1昨日のゴルフの間には、こんな「オートバイ神社」の話になって、
 さらに「川崎神社」の話になったのである。

 川崎重工業の明石工場の中に「川崎神社」という立派な神社があることを、
 どれくらいの方がご存じだろうか?
 ひょっとしたら明石工場にお勤めの現役諸君の中にもご存じない方がおられるかも知れない。

 この「川崎神社」はずっと昔からあったのだが、
 1990年代の高橋鐵郎本部長の時に今のような立派に周辺の整備もされたのである。

  

 



 

 私はずっと以前から、この川崎神社が「オートバイ神社」の一つになって頂けないかと思っていたのだが、
 思っているだけでは、どんどん時だけが経ってしまうだけなので、

 昨日は吉田純一さんと「ほんとに何とかならないかな?」という話になったのである。

 以下は私の勝手な思いだが、「川崎神社」は川重の明石工場の中でも
 こんな立地にあって門のすぐ横なのでちょっと垣根を作るぐらいで、
 工場には関係なく、国道2号線からすぐ入れる最高の立地なのである。
 もし一般バイクユーザーが自由に入れるようにすれば、
 それだけでもカワサキユーザーにとってみれば一躍名所になるであろうし、     
 それをオートバイ神社の一つとしたら
カワサキユーザー」だけでなく「世界のバイクユーザーの名所」になるのでは、とこんな話だったのである。

 

 




★たまたまだが、今年10月1日から、
 カワサキの二輪部門は川崎重工業から分離して「株・カワサキモータース」と分離独立したので、
 上記のような発想にも「従来よりはより自由に決定できるのでは」
思ったりしているのである。

 思っているだけでは、絶対に前に進んだりはしないので、
 何か行動をしないといけないのだが、それをどうすべきか?
 簡単なようだがなかなかムツカシイのである。

 昨日は吉田純ちゃんとそんな話もしていたので、
 まずは、ブログにでももう一度アップしてみようかと思ったわけである。

 
 
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファン心理    雑感

2021-11-12 06:51:08 | 発想$感想

★  ファン心理というのは、どんなことから始まるのだろう?

 私自身は意外に冷静で、とても「熱烈なファン」にはなれないのだが、
 それでも「好きなチーム」とか「好きな選手」などはいる。
 
 それには何かの繋がりがあったり「きっかけ」みたいなものが存在する。
 息子がサッカーをやっていた関係で、
 自分がやってた野球以上にサッカーには興味・関心があったりする。

 チームとしては断然「ヴィッセル神戸」を応援している。
 親会社の楽天の社長は明石高校の後輩だし、
 Kawasakiがサッカーのスポンサーをしていることもあるのだが、

 孫・門野真也・哲也の兄弟がアメリカから日本に遊びに来てた時に
 ヴィッセル神戸の練習に参加させて貰ったこともあったのでそんなことが原因だと思う。

 その時に末弟・哲也と石末コーチとの2ショットである。


 
 石末さんが息子の後輩だったこともあって、
 息子が頼んでくれたので練習にも参加できたのである。
 真也が高校生、哲也が中学生のころだったが、
 ヴィッセル神戸の若手チームの練習に参加させて貰ったのである。
 もう7年も前のことだが、真也はプロになれたし、哲也も多分プロになるのだろう。


 そんなこともあるのだが、イニエスタを筆頭に
 スター選手がいっぱいでなかなかも魅力チームなのである。
   
 

★いま野球は、CSシリーズをやってる。
  ヤクルトとオリックスが勝てばいいなとは思っている。

  阪神ファンなど熱烈なファンの方々もおられるが、
  阪神は好きなチームではあるが「熱列」というわけでもない。
  
  関西の「阪神ファン」というか応援ぶりは、
  テレビ局も立場を鮮明にしているなどちょっと異常とも思える。

  プロ野球でいえばその本拠地が関係していると思う。
  私自身は関西が本拠地だが、仙台札幌には住んだことがあるので、
  阪神・オリックスとともに楽天・日ハムは何となく応援している。
  そんなことも「ファン心理」に繋がるのだろう。
 

         
         

                   
 
ヤクルトはずっと昔、伯父が総監督をしてたので何となく関係があって、
別に「ファン」でもないのだが、
そんなことで日本シリーズはヤクルトーオリックスになればいいなと思っているのだが、果たしてどんな結果になるのだろう?


★ 一般に弱者を応援しようという心理も働くのだと思う。
 ヤクルトもオリックスも昨年までは最下位が定位置のようなチームだった。

 

 

 それが今年は大変身して、
 両チームともペナントレースはすでに優勝を決めている。

 アメリカの真似などして、あまり意味のないCSシリーズなどやらずに、
 素直に両チームで日本シリーズを戦えばいいと思うのだが・・・
 CSシリーズもヤクルト・オリックスとも連勝して王手、
 あと1勝で日本シリーズ出場が決まりである。


  
 
 

  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特別なZ1会だった

2021-11-11 06:58:01 | カワサキワールド

★毎年は年に4回あるZ1会なのだが、
 今年はコロナ禍で最初で最後の第78回Z1会コンペだった。

 今日のパートナーはZ1会副会長の丹波さん吉田純一さんで、
 ゴルフのスコアは兎も角「めちゃ楽しい」ゴルフだった。

 これはゴルフの途中に吉田純ちゃんが、ご自身のFacebook にアップした写真だが、
 こんな3人でのゴルフだった。

 

 
 コースはいつもの通りの「三木セブンハンドレッド倶楽部
 コースから私の住んでいる町「緑が丘」が見える、家から15分のコースなのである。
 写真に見える山「雄岡山・雌岡山」は「おっこさん・めっこさん」と呼ぶのだが、そこは三木ではなくて神戸市なのである。
さらに向こうに見える山は、山ではなくて淡路島なのです。

 



★昨日のZ1会が私にとって特別だったのは
 ゴルフの後の表彰式で私の米寿のお祝にこんな花束と

 


 
 こんな記念ボールを頂いたのと
 

 

 
 何よりもZ1会会長の大槻幸雄さんから
 身に余る「祝辞」を頂いたことなのである。

  


そんな祝辞の中で、大槻さんは1960年代のカワサキ単車のスタートの時期のことに触れられて、
アメリカ市場は浜脇洋二さんが開拓されカワサキを引っ張ったが、
国内市場をひっぱたのは古谷だ」と仰って頂いたのは、
 私にとってこれ以上ない感激だったのである。

そんなことで私も答礼のご挨拶の中で1966年カワサキの初めての鈴鹿ロードレースのことなどをお話したのだが、
 
 それまではモトクロスだけであったカワサキが初めて鈴鹿を走ったのは、
 1966年5月でライダーは山本隆だったのだが、
 この時は会社には内緒で出場したのだがホンダ・ホンダ・カワサキと山本隆がホンダに次いで3位入賞したので、カワサキも正規にロードレースに参戦することになるのである。
 それは翌月の6月にカワサキ正規のロードレーサ3台を用意し
 「6時間耐久レース」に正規に3チームが参戦したのだが、
 その時の監督が大槻幸雄さんで、
 因みにその時神戸木の実チームのコンビが歳森康師・金谷秀夫だったのである。
 
 現在のZI会のメンバーの中にはそんなこともあって、レース関係者も多く、
 清原明彦・多田喜代一・塚本昭一など有名ライダーもいるし、
 カワサキフランスのオーナーだった遠藤治一さんもいるのである。
 
 ちなみに優勝者はその遠藤治一さんだったのである。

  

 
 私の88歳の人生の中でも
 花束など頂いたことは極く稀な出来事で、ホントに嬉しかったのである。

 
 

★ 今年は今回の1回だけだったが、
 来年は4月・6月・9月・11月の年4回に戻るだろうし、
 ぜひ来年も頑張って、参加したいと思っている。
 

 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私とゴルフ 雑感

2021-11-09 20:41:30 | スポーツ

★ ゴルフを始めたのは42歳のころだから、決して早いほうではなかったが、
 やりかけたら熱心だったから、
 すぐ播磨カントリークラブのメンバーになり、
 最初にもらったオフィシャル・ハンデイーは18だった。

 月例にも欠かさず出て、播磨カントリーはコースレートが高いので、
 月例でアンダーが出るとそのままハンデイーは下がるというのか、上がるのである。
 15になり、13,12となって確か2年で「ハンデイ10」になったので、
 そこで月例に出るのは止めてしまったのである。
 
 そこヵら「シングルを目指す」のではと思われるかも知れぬが、
 「シングル」にはなれるかも知れぬが「片手シングル」の5以下はムツカシイと思ったので、「まあこれでいいか」と思ったのである。

どうも「シングル」という資格をひけらかすのが嫌なそんな性分なのである。

★ いずれにしても、会社の連中とやる遊びのコンペが主流だったし、
 何度も優勝などはしたので、そんなコンペのハンデイーはシングルだったが、
 一番よくゴルフをしたのは65歳からの2年間北海道札幌にいたころで、
 半年しかゴルフができない北海道で40回以上もやってたし、
 スコアも一番安定してよかったと思っている。

 今「私のアーカイブス」の川崎重工業時代以降を書こうかと
 日記を読み直しているのだが、北海道時代はホントによくゴルフをやっている。
 そのほとんどがウイークデーなのである。
 北海道のゴルフはアウト・インを連続して回るので朝にやると午後からは会社に出社するというそんなゴルフなのである。
 例えばその年の9月などゴルフ漬けなのだが
 5日   38・40   78
 8日   41・42   83
 12日  42・39   81
 14日  42・37   79
 18日  43・38   81
 21日  44・41   85
 25日  39・43   82

 とスコアも安定していて、30台が出るのも珍しくななかったし
 優勝もよくさせて貰ったが、北海道は優勝カップなどではなくて
 賞品はすべて商品券だったから結構稼がせて頂いたのである。

★ そんなゴルフだったのだが、
 最近はゴルフの回数が年数回と減ったこともあるのだが、
 90台も後半のゴルフで80台が出ないのが不思議なのである。
 88が出れば「エイジシュート」だから、簡単だと思うのだがそれができないのである。

 ゴルフのことを急に書いているのは
 明日11月10日は今年はじめてのZ1会のゴルフなのである。
 多分、今年はこの1回が最初で最後のゴルフになると思うのだが、
 果たして、どんな結果になるのだろう?
 
 そんなことで今日は朝から今年はじめて練習場に行ってきた。
 50球ほど打って、あとはアプローチで遊んでいたのだが、
 練習場では、そんなに「落ちてはいない」と思うほどいい球が打てるのだが

  

 
  本番にダメなのは「気合が入っていない」というか
 「スコアにこだわらない」からかも知れない。
 ショットは兎も角「寄せとパターが全然」なのである。


 


 コンペの前日に練習に行ったのはこの何年かの間で初めてだし、
 ましてや、ブログにアップしたりしたのも初めてのことである。

 果たして、どんな結果になるのか?
 できれば「スコアに拘ったゴルフ」をしてみたいなと思っているのである。


 
★NPO The Good Times のホームページです。
★50万人フォロワーのいる公式ツイッターです。
 ★雑感日記のEnglish Version です。
 ★ 毎日てっちゃん  です
 
 
 

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木山森林公園

2021-11-09 06:44:53 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★三木山森林公園は三木にある公園の中でも一番好きな公園である。
 ジムで1時間筋トレをした後、隣の三木山公園を歩いてきた。

 ここからスタートする。

 


 この建物の向こうにこんな池があり、芝生の広場に繋がっている。




 このあたりまでのい景色は、普通によくある公園とあまり変わらないが、
 最近は自然のままにするというコンセプトに変えて
 池の緋鯉もいなくなってしまったし、芝生も草はとっていない。

 


 こんな流れにはメダカが泳いでいた。




 下の池の右手からが山になり幾つかのルートがあるのだが、
 今日はこんな真ん中の山道を登って行った。

 


 こんな山道を700mほど登ったところに茶屋がある。

 一休みするにはなかなかいい。

 


 なかなかの風情である。



 ここからは道も平たんにきれいになる。





 自然の中にいくつものルートがあるのだが、
 今日はまっすぐイベント広場のほうに歩いた。

  


 そして少し歩くとイベント広場に出る。
 幼稚園の子供たちがいっぱい来ていた。





 まっすぐ広場を過ぎるとまた山道になり、




  こんな道を少し歩くと「あづまや」に出る。
 かってはここから下の芝生広場が見えたのだが、
 木が大きくなってしまって今見えるのは森である。
 
 



 そこからこんな林の細い道を300mほど下ると
 芝生広場に出る。


 


 そしてスタートの駐車場に戻ってきた。




 今日歩いたのは沢山ある中でのこんなルートなのである。
 ちょうど真ん中の歩きやすいルートだった。





 約7000歩、5kmのコースで約50分ほど掛かった。
 山坂があるので1月というのに結構汗をかく。
 1200カロリーを消費してたので「いい運動」と言えるだろう。
 





 月・水・金はジムに行くので、そのあと森林公園のいろんなルートを歩くことにした。
 その他の曜日は三木総合防災公園できれいな道をスロー・ジョッギングすることにしている私の日課なのである。

 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神は今年も優勝できなかった

2021-11-08 06:06:16 | 発想$感想

★ 今年は阪神は優勝するだろうと思ったのに、
  後半戦の戦い方がチグハグで、CSシリーズも巨人に負けてしまった。

  快進撃を続けたときのメンバーと別チームのような変わり方である。
  サンズ・大山・佐藤・梅野の名前が見えないチームは迫力がない。
  なぜ、こんなことになったのだろう?

      CSシリーズも巨人に連敗して今年の阪神は終わってしまった。


     

 
 選手の好不調も長いシーズンあるのだろうが、
 矢野監督の選手起用に信念みたいなものが感じられないように思った。

 今シーズンの最終戦になってしまったが、
 今年の阪神の前半戦好調の象徴だった二人、梅野・佐藤の連打での得点だったのは皮肉である。
 この二人も大山も第一線にはスターテングメンバーからは外れていたし、
 何となく後味悪いCSファイナル戦だった。

 矢野監督は来期も続投が決まっているが、
 是非、来シーズンは確固たる信念で臨んで欲しいものである。



 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もみじ谷を歩いてきた

2021-11-07 06:41:37 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日はジムで1時間汗を流したあと
 三木山森林公園の「もみじ谷」を歩いてきた。

 毎年11月末は「もみじ谷」の自然豊かな見事な紅葉を観ることにしているのだが、
 11月初旬の「もみじ谷」の様子を見てみようと思ったからである。

 三木山森林公園は、その名の通り自然の森林が残っている
 自然豊かな公園で、もちろん公園らしい広場などもあるのだが
 その大部分は自然のままに残されているのである。


 入り口には少しだけ、紅葉も見られたのだが、

  

 

 中に入ると、まだ緑一色なのである。




 こんな文字通りの「谷間の道」を登ってゆく。



  谷間だから流れもあるのだが、
 今は水は流れていない。





 
 さらに登ると小さな池になる。
 このあたりの紅葉は見事なのだが、今はまだ緑の世界である。




 そこからは急な階段を上っていく。

 



 登りきると、こんな公園らしい広場に出る。
 こちらから下っていくほうが楽なのだが、
 何故かいつも登り路を選んでしまう。
 この登り路を歩ける間は「まだ大丈夫」だと思っている。



 

 
 広場の木々たちは、紅葉真っ盛りである。
 11月末にはもみじ谷も紅葉するだろう。
 もう一度「見事な紅葉」をお見せするので、
 楽しみにお待ちください。




 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fitbit が治った 

2021-11-06 06:47:01 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ Fitbit を腕に巻いてもう3年目に入るのだが、
 毎日の運動や睡眠など健康状態をチェックするのに重宝している。
 
  

 

   スマホを通して、パソコンの画面にもこのようなその日の数値が現れるのだが、
 この1週間で2回ほどおかしくなって、
 3日ほど数値が現れないようになってしまったのである。





 こうなると、技術オンチの私には全く手が負えなくて、
 アメリカにいる孫に連絡したら、
 今朝電話が掛かってきて、昨今の電話はテレビ電話みたいなものだから、
 こちらの状況も写せるし、重宝なのである。

 何をどうしたのかもよく解らないのだが、孫の言う通りいろいろやってたら突然治ったのである。
 画面を見る限り以前とはちょっと変わっていて多分「最新版」になったのだと思う。

★なぜ治ったのかも解らないので、あとでいろいろチェックしてみた。
 
 こんな画面も現れるのである。
 ただ、読んでみても書いてあることがさっぱり理解できない、
 そんなレベルなのである。
 


  確かに、孫が言う通りにあちこち触っていたら、
  突然治ったのである。

  



★ これで当分は大丈夫だと思う。

  別に歩数やキロ数など記録がなくても、ちゃんと運動すればそれでいいのだが、
  やはり記録があるほうが励みにもなるし、気分がいい。

  「まずは1日1万歩を達成しましょう」とあるのだが、
  結構「達成できてる」のである。
  昨日まではこんな表が現れなかったのである。



   


  昨夜はいろいろ気にもなって
 あまり「ぐっすり」とは眠れていない。
 赤い線は「目覚めた状態」の時間なのだが、

  


 Fitbitが元に戻って安心したのか、
 1時間ほどの昼寝だが熟睡できている。



   

★とにかくネットの世界では、
 何か問題が起きると、自分では全く解決などはできないのである。

 一応は「検索」などで調べると、いろいろ詳しく書いてはあるのだが、
 読んでも意味がよく解らないことばかりなのである。
 
 「Fitbit デバイスを設定するには?」などとあるのだが、
 その「デバイス」がよく解らないのである。
 とにかく、ネットの世界は「ヨコ文字」が多くて大変なのである。

 今現在も解らずに困っていることは箇条書きしてある。
 暮れの正月休みに関東にいる孫がやってきたら「教えてもらおう」と思っている。
私が何となくネットの世界でやっていけるのは「孫たちのお陰」なのである。

 いずれにしても「Fitbit が治って」ほっとしている私である。


 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体力年齢     雑感

2021-11-05 07:08:38 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 毎年9月の第一日曜日に「体力測定会」があったのだが、
 この数年はコロナで実施されていない。

 3年前の2018年、85歳の時に受けたのが最後で、
 その時には「体力年齢=53歳」と出たのだが、
 各項目があって、
 筋力=72歳 瞬発力=70歳 全身持久力=60歳 敏捷性=40歳
 なのだが、 柔軟性=23歳 と出るものだから、これが全体年齢を引き下げていて、
 すべてが50歳代を維持している訳ではないのである。

 

  


 それにしても「体力年齢=53歳」と出るのは気分がよくて、
 次回、いつか受ける時にも「50歳代」が出るように頑張ているのである。


★ 最近は月・水・金の3日間はジムに行ってそのあとスロー・ジョッギング
 を、
 その他の日は三木総合防災公園でスロー・ジョッギング中心にやっているのだが、
 「1万歩・8km」を目標に頑張ってるが、
 毎日達成するのはなかなかムツカシイ目標なのである。
 今朝は頑張って「11000歩、8.3km」を達成して気分よくしている。
 

★「ストレッチ」を始めたのは70歳の時で
 最初に「体力測定」を受けたのが77歳のときでその時には柔軟性=20歳
 「体力年齢=42、8歳」と出たので。
 それに気分をよくして筋力強化のため走り出したし、ジムにも行きかけたのである。

 「体力年齢」を引き下げてくれる「柔軟性」は
 毎朝寝床での「ストレッチ40分」を欠かしてはいないので、
 多分、今でも「体力年齢=50歳代」は維持できてると思うのだが、
 そのほかの項目も維持できるように、いろいろと頑張っているのである。

★毎日こんなに運動しているのだが、
 体重は一向に減らなくて、腹回りはさらに太くなっている。
 83k台になってしまったので、何とか81k台まで落としたいのだが、それがなかなか下がらないのである。
 間違いなく「食いすぎ」なので、食を落とせば簡単だとは思うのだが、
 戦後の食糧難時代に育ったものだから、なかなかムツカシイのである。

 こんなブログをアップしてるのも、
 「81k台になったよ」と言いたいために一念発起やっているのだが、
 いつの日にか81k台さらには、70k台になることがあるのだろうか?

 運動を始める前の70歳のころは間違いなく70k台だったのに、
 運動をしだして「筋肉がついた」ことも間違いないのだが、
 80k台では如何にも体が重すぎると思っている。



★ これが77歳の時に初めて受けた「体力測定値」なのだが
 「体力年齢=42,8歳」と出ている。

  

 
 今やっている「50メートルダッシュ」はこの時から
 筋力をつけるためにやりかけて、
 自分ではこの頃よりも今のほうが、「ダッシュ」はスムースに走れている
 と思っているのだが、
 これを機会に「体重を落とすこと」を目標に頑張ってみたいのである。

 第1目標 81k台
 第2目標 70k台
 
 
 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八方美人な生き方   雑感

2021-11-04 06:41:12 | 私の生き方、考え方&意見

★ 長年「八方美人」で生きてきた。
 人間だから「好き嫌い」はあるのだが、それをあまり表に出したことはなくて、意識的にそのように生きてきた。

 若いころ熱中した野球もチーム一丸で頑張ったし、
 社会に出てからも、結構「会社人間」だったから「仕事を上手くやる」ためには敵を作らないほうがやり易い思っていた。
 途中からは仕事をやる仲間たちを、自分で選べる立場にもなって、
 特に二輪車を売る販売網は、それを選ぶ権利はメーカー側にあったものだから、
 「同じ方向を目指す」仲間たちを選べたことも幸運だったと思っている。

 逆に「反対意見」を持った人たちも結構尊重したところもある。
 「反対の立場の人」の意見を聞くことで考える幅が大きくなると思ったのである。
 そんな「八方美人」の生き方を現役時代は意識的に続けていたのだが、
 50年近くをそんな生き方をしてくると、
 それが「人生の生き方」になってしまったように思う。

★ 定年後も自然にそんな生き方が続いている。
 ネットの世界に出会って、いろんな方たちとFacebook などではお会いしたこともない方と、
 会話をしたり、毎日ネット上で繋がった生き方をしているのだが、
 「八方美人的な生き方」はここでは特に機能している。
 「友達申請」があると、断る理由がない方はみんな承認している。

 世の中には悪い人もいるが、基本的なスタンスは、人間の性は善という「性善説」に立っている。
 有名人ではない一般社会の方に対しては、まさに八方美人で通していて、
 少なくとも「男の世界」では「片想い」はないのだと思っている。
嫌いだ」と思えば相手の人も「嫌いだ」と思うようになるのだろう。
だから「八方美人」は人生を生きる上では結構「いい生き方」だと思って88年生きてきた。
 
★ そんな私だが、お会いしたこともない有名人の方々とは直接話もしたこともないので、よく解っている訳でもないのだが、「好き、嫌い」があるのは不思議である。

政治の世界では、「好き」だという方々も多いのだが、何故というはっきりとした理由はない、感覚の世界である。
麻生さんなど、嫌いな方が多いのかも知れぬが、あの独特のものの言い方が逆にいいと思っている。

 
 


スポーツの世界では、好きな人はいっぱいいるのだが、
こんな有名人には特に好感を覚えるし




 タレントではこんな人たちはいいなと思う。





 逆に政治の世界では、嫌いというか好感が持てない方たちもいない訳ではなくて、
 理由はと言われても困るが、理屈をこねすぎるからかも知れない。




 
 政治家以外のスポーツの世界でも、テレビに出てくるタレントでも
好きにはなれない」方はいるのだが、
 その理由はと言われると「何となく」という感覚の世界なのである。

 そんな有名人に対しては兎も角、
 現実に生きてる日常生活の中では「八方美人的な生き方」は、
 今でもそれはあまり間違ってはいなかったと思っている。


 
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日てっちゃん   雑感

2021-11-03 05:55:42 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ 孫の門野真也から私のFacebook にこんな「毎日てっちゃん」が送られてきた。
 ハロウインの「てっちゃん」である。



  


   
 「てっちゃん」とは弟の門野哲也のことだと思うが、
 その「てっちゃん」をそれこそ毎日書いてInstagramに投稿している。

 何を思って書き出したのか?
 スタートは2019年2月13日、こんな「てっちゃん」からスタートしているのだが、
 それこそ毎日続いていて今は3年目の「毎日てっちゃん」なのである。

 ほんとに、いつまで続ける気なのかと思ってしまう。

 

 なぜ、突然Facebook のメッセージに絵だけ送ってきたのか?
 「ブログにアップしてくれ」ということかも知れぬと、
 勝手に推測してこのブログをアップしている。



★ 「毎日てっちゃん」とGoogle 検索すると
 
  Instagram Twitter  の「毎日てっちゃん」が現れる。

  
 
 こちらがInstagramで「毎日てっちゃん」の本家である。 


 それをTwittetr でもアップしているようである。
   


 この作者「門野真也」はアメリカ在住の私の孫で
 本職はプロ、サッカー選手なのだが、
 結構多才で料理も得意だし絵も好きなようである。

 「やりかけたら続く」のは私に似てるところもあるのだが、
 この「毎日てっちゃん」はその名のごとく毎日アップされるのである。

 それもどんどん進化して、
 最初はモノクロでいい加減な絵だったのだが、

 3か月後にはこんな「てっちゃん」になり、

 

 
 5か月後には、絵もちょっと変わって
 
 

 
 
 9月からは「カラーのてっちゃん」になっている。
 このあたりから「サイン入り」である。

  



 そしてこれが「1年後のてっちゃん」で、
 なんとなく形も決まってきた。


  



 そしてこれが現在、2021年11月である。
  
  
 


★ 毎日1枚づつだが、画いてるのを見ると結構簡単に時間はかからないのだが、
 絵もさることながら、毎日書き続けてる「コピー」が大変だと思う。
 この「毎日のコピー」は才能だと言ってもいい。

   Instagram では350人ぐらいの方がフォローされていて、
   LINE STORE にも登録されたりしている。

 
 
 
  
 こんなに続いてしまうと「やめられない」のではないかと心配してしまう。
 ほんとに「いつまで続けるのだろう」と思うのである。

 私の日記は、20歳のある日から突然書き出して今88歳、
 68年も続いてはいるのだが、「毎日てっちゃん」もひょっとしたらそんなに続くかも知れないのである。

 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新の会  4倍増

2021-11-02 06:28:04 | 大阪維新の会、橋下徹氏


★ニュースは選挙の話題でいっぱいだが、
各党が議席を減少させる中で、ひとり大きく4倍増の実績を示した「維新の会」が話題になっている。

 
 



★このブログの中に大阪維新の会のことを綴った
 「大阪維新の会、橋下徹氏 」というカテゴリーがある。


今日は久しぶりにそのカテゴリーで書いているのだが、
ちょうど100回目なのである。

2008年1月30日に書き出したシリーズで、
その第1回目は「収入の範囲の支出とする 大阪維新の会、橋下徹氏」で大要こんな風に書いている。

「今度、大阪府知事になった橋下さん、こんな解り易いマニフェストを出している。そんな中で「収入の範囲内での支出」と言い切った。
これが出来る、出来んといろいろ騒がしいが、まずそんなことよりも、「明確に言い切った」ことに大拍手である。
その言い方が極めて明確であり、やろうという意思が明確に読み取れた。
橋下さんは、これをやりきるだろうと思う。

改革とは体質の転換である。
大阪を変えようと言う意識が、極めて明快である。
節減もいいが、節減ではまずダメである。
ドラスチックに、不要なものを探して止めたらいいのである。
止めたらゼロになるのに、節減と言うから80は残ってしまう。100減るところが20になってしまうのである。

リーダーに、確固とした方針と熱っぽさがあり、それをホンネで伝えれば、必ず追随する強い味方がいっぱいできる。そして、いつかそれは、流れになる。
私は今、実現の方向に歩み出していると思う。
樋渡さんとはまた違った、ファンになり応援したくなる人がまたひとり、出来た。応援をすることに決め、新しいカテゴリー「大阪府&橋下徹」を造った。

橋下さんの大局を見る目、視点の方向、スタンス、どれも間違っていない。
若いけれど、リーダーの資質、大丈夫である。」


★あれから13年、「私の読み通り」大阪は変わった。
 橋下さんは「やり切った」し、松井・吉村さんがそれを引き継いでいる


  


私は「維新に投票」したのだが、その理由は「大阪の改革・躍進」を全国でも期待したいからである。

日本維新の会は拠点とする大阪府内の選挙区で候補者が全勝し、
比例選でも北海道を除く全ブロックで議席を獲得し、公示前の4倍近くに伸ばして躍進した。
改革を掲げ無党派層の取り込みにつながったという。
無党派層の比例選投票先は維新が19%で、2017年の前回選の9%から大きく上昇したのである。


  



★ 維新が掲げている公約 国会議員定数や報酬削減 に、他党がどのような反応を示すかである。
今回はこんなに大幅な増加だから、全国からの注目度もより高くなるだろうし、松井代表も、吉村知事も、橋下徹さんもテレビに出る機会はより以上に
増えるだろうから、
他党が触れていないこのテーマをより多くの国民の間に浸透させることである。
大阪ではすでに実績があるし説得力もある。
こんな「ネット社会」なのだから、「政治の広域化」や「簡素化」は当然の方向だと思っている。

来年の参議院選までに「維新の会」が具体的にどう動くのか、
大いに期待したいところである。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月最後の日曜日

2021-11-01 06:05:29 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 10月最後の日曜日は朝のうちは雨だった。

 そんな雨の日曜日、走りにも行けないし、
 7時に衆議院選挙がスタートするので、7時過ぎに家を出て投票に行った。
 そんな早い時間にも沢山の方が投票に来ていた。

 ちょうど読売新聞の出口調査の方がおられて、
 「ご協力頂けますか」と仰るので出口調査なるものをやってきた。
 スマホぐらいの大きさの器具があって、
 そこにいくつかの質問が出てくるのだが、そこに書かれている答えを
 クリックしていく方式である。
 これで所謂出口調査の傾向が出るのだが、結構な信ぴょう性があるようである。
 

 
★ 昼前には雨も上がったので、三木総合防災公園に走りに行った。
      時間が50分ほどだったので、走った距離は約5km歩数にして7000歩ほどだったが、
  やはり毎日やってる運動をやると気持ちがいい。

  昼からは「渋野日向子のゴルフ」を見ていたが
  最終ホールで2打差もあったのに、追いついて
  プレーオフで勝ち切って、まさかの優勝!  

  

  
  
  こんなこともあるのだから、
  最後まで諦めてはいけないということだろう。


★ 8時からはNHKの開票速報を見る。

  8時になった途端に「与党過半数確実」「自民単独過半数ギリギリの情」と出た。
  「出口調査の結果」なのだろうが、ほんとに早い。


  


 維新の躍進は特に大阪は凄まじい
 最低でも34議席、最高では47議席の予想なのである。 




 
 最終の結果は予測よりも自民党は伸びて過半数を維持し、「維新の会」は3倍を超す大躍進である。
 野党は伸びなかったが、甘利幹事長や大物の苦戦など、
 時代は変わりつつあるとも言えるかもしれない。





 
 いろいろあった10月最後の日曜日、
 もう今年もあと2か月を残すのみとなった。


 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする