雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

3回目のコロナワクチン接種について

2021-12-02 06:40:59 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 12月に入った。
 コロナの感染状況もほぼ収まってもう「大丈夫かな」と思った矢先に
 また新しい「オミクロン株」が発生で、日本でも一人見つかったというニュースである。
 これ以上新たな感染者が出ないことを祈るばかりである。


   

  
 
 なかなか簡単には終わりそうにもないのだが、
 12月からは「ワクチン3回目の接種」が始まるようである。

 私事だが、私自身は確か6月か7月に第2回目まで終了しているのだが、
 巷でよく言われる「接種の証明書」みたいなものが手元には残っていない
 
 多分、その時には貰ったのだと思うが、
 2回接種したことは間違いないので、「なくてもまあいいか」と思っていたのである。

 今更、旅行などにもいかないし、繁華街に出ることもないので、
 日常生活には不便は感じないのである。


★ただ、3回目の接種の時にそれが必要かどうかが、ちょっと気になって
 三木市のホームページを覗いてみたら


 


 
 「追加接種3回目」という項目があって
 いま「準備を進めています」とあり、


 


  そのスケジュールは下記のように載っていて
  このレベルで行くと「2500人」は兎も角
  間違いなく「8000人」の中には入ると思うので、
  12月の末か1月には3回目接種が出来るのではと思うのだが、
 
  「2回目の接種証明」の要否は記述がないので、
 ちょっと気になって市役所に電話してみたのである。


 


 担当部門の方に聞いたら、
 3回目は2回目の証明などには関係なく
 「新しく書類を発送する」と言われるので一安心だが、
 今回は「3回目の接種証明」を間違いなく手元に残すようにしようと思っている。

 家内は私とは別に市内の医院で2回目までを受けて、
 ちゃんと証明書を持っているのである。
 それが「当たり前」だと思うのだが、
 私自身は妙に「」なところがあって
 実際に打ったのだから「それで十分」と早合点してしまうのである。

 何事もすることは早くて、
 自分では「しっかりしている」と思っているのだが、
 「ひょんなところ」が抜けてしまうのである。
 ただ、それが「大ごと」に繋がらないので,
    治そうとは思わないのだと思うが、

 そんな「早とちりの性格」は何歳になっても治らないものである。


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私のアーカイブス・定年後  その5

2021-12-01 06:48:38 | 自分史

★ 私の定年後の生活も5年以上にもなるのだが、
 72歳までの2005年までは社会の中での新しい方とのお付き合いは全くなくて、
 現役時代の延長がずっと続いていて日記を読み返してみても、
 「新しい名前」は全く出てこないのである。

 敢えて言えば、社会の方と接触があったのは、廣野ゴルフクラブの理事長さんだけで、
 それも手紙だけだからお会いしたわけでもないのである。
 この頃のお付き合いの相手はもっぱら娘のほうの孫たちだったのだが、
 その娘家族も2004年の7月末からはアメリカに移住してしまうのである。

 この時期に娘婿が勤めていたノーリツのアメリカ進出があって、
 娘婿はノーリツで日本人最初のアメリカ勤務で、
 会社自体も初めてのアメリカ市場であったことから、
 カワサキのKMCを紹介していろいろと教えて貰ったリしたのである。

 ノーリツとは不思議なご縁で、ノーリツの創始者の太田敏郎さんは、
海軍兵学校時代の厳しい訓練後の入浴で心を癒した経験から「お風呂は人を幸せにする」という理念の持ち主で、こんな自叙伝も書かれているのだが、

  

  
 海兵時代はカワサキの私の長年の上司・高橋鐵郎さんとは同期だし、
 弟の太田武郎さんは、私の大学野球部の2年上のキャプテンで、
 一緒に野球をした仲間というご縁だったのである。

 そんなノーリツのカワサキへの紹介から2004年は始まっているのである。


★ 2004年、2005年の2年間の日記に出てくるのは
 ● トム・ラブという2匹の柴犬
 ● 水泳・ストレッチなどの運動、ひざも腰もすっかり良くなって
 ● 体重・体脂肪率の出る体重計を初めて買っている、体重は76kg
 ● 鯉や池のポンプの話、まだ鯉を飼っている
 ● 薔薇の栽培を始めて何年目かだが、薔薇に一生懸命である
 ● 娘一家はアメリカに、大阪勤務だった息子一家は横浜に
 ● 孫・古谷仁は2005年に中学に入学
 ● 春にはJR西日本の大事故、阪神タイガースがまた優勝している

 そんな項目が並んでいるのだが
 「パソコン関連」では「パンダ碁」に一生懸命でほんの短い間だが「2段」で打ったりしている。
 因みに現在は「2級」だが「1級」に上がったりはするが「初段」は遠くなってしまった。
 「考える」のが面倒になってしまっているのである。
 「メール」が打てるようにはなっていて、初めて「デジカメ」を買っている。
 カメラを自分で持ったのは、この時が初めてだと思う。
 何故それまで持たなかったのかというと
 フィルムを買う・写す・現像する・アルバムに貼るなどの手続きが面倒で、 
 多分この時は「カメラのパソコン処理」を娘婿に教えて貰ったのだと思う。

★ ゴルフはまだ一生懸命で、練習にも行ってるし、クラブも新しいのをよく買ったりしている。
 今も続いている大槻幸雄さんが会長の「Z1会」に入会したのが2004年の9月で、翌年の4月に優勝などしている。

   

 
 まだこの時代は40台が普通に出ていて、
 この時の優勝スコアは44・46だが
 Z1会の初出場は、42・45だったし日記を見ると
 44・42,40・42,など流石に30台は出ていないが
 40台前半は普通だったのである。
 今こんなスコアならみんな「エイジ・シュート」なのだが、
 衰えてはいないと自分では思っているが、やはり歳は歳なのかも知れない。
 まだゴルフがやれてるのが「いい」としなければならないのかも。
  

★今よく走りに行っている
 三木綜合防災公園が完成したのが2005年8月なのである。

 
 
 
 三木にある沢山の公園も1990年代から順次作られていて
 「三木山一帯」が開発されたのも1990年の野球場から始まって
 新しい市役所三木山森林公園が1993年、
 三木山総合公園としてプールなどが出来たのが、1996年なのである。

 定年後、プールに行ったり、公園の散歩なども始めているのだが、
 そんな時代にこのような施設が出来て、
 私の「定年後の生活」を支えてくれているのである。

 2005年・72歳までの定年後の生活はこんなことだったのだが、
 2006年・73歳からはそれまでとは一転した「新しい生活」が始まるのである。
 
 
 

 

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