今朝からラジオ体操を再開した。
流石に昨日は中止にしたそうで、雨の土曜日は参加しなかった森生は、親しくなったじぃさんたちと3日目の再会をした。
再会とは大袈裟のようだが、百近くにもなって2日会わないと、お互いに、運命がガラリと変わってるからね。
みんなは元気だった。そして、不満そうだった。
観測史上最大の雨を降らせ、316万人に避難勧告を発令させ、実際、各地に大被害をもたらした台風18号が、当地では何ともなかったのだ。
少なくとも丘の上の団地では。
鉢を移動したり、家の周りを片付けたりしたのに、ガッカリだねぇ。
次は19号が狙ってるそうだけど、もう何にも台風対策はしてやらないぞ。
朝鮮半島から移住して、ここを開拓した高麗王・若光は、不動産屋みたいに土地を見る目があったんだなぁ。
巾着田の彼岸花やコスモスはぺしゃんこかもな。それにどれみふぁ橋には流木が絡みついて、解き解すのにタイヘンかもよ。
朝飯が済んだら、行ってみようか。
などとおじじたちは、無責任に騒がしかった。
だが、もし広島や伊豆大島のような土砂災害に遭遇したら、現在の生活の再建は全く不可能で、落ち着いて考えなくてもお先真っ暗だ。
もしそういう事態になれば、さっさと心肺を停止して、土砂に埋まっている方がラクなのかもしれない。
子どもの頃の台風襲来は、怖いながらも嬉しかった。学校は早引けになるし、家は揺れる。
山並を越えて聞こえて来る海鳴りに惹かれ、稲村ケ崎の岸壁に砕ける大波を見物しにも行った。
高校時代は、遠回りになる江ノ電に乗り、七里ヶ浜の荒波を眺めながら家に帰ったりもした。
不通になった横須賀線を諦め、バスや京浜急行を乗り継いで出勤し、得意になっていた。
同僚の狭いアパートに、泊まったこともあった。
若いってことは愚かなことだなぁ、と今頃になってつくずく思う。
湘南海岸で行方不明になった大学生サーファーを、昨日の記事でバカと書いたけれど、森生も似たようなものだった。
当時は、サーフィンのような贅沢な遊びが無かっただけが違いである。
だが、ラジオ体操に集まったじじぃたちの、台風一過の感想はどうよ。
人間百近くにもなると、お互い、子どもに返るってことだろうね。
141007