以前、宿交差点の古道具店「四万十」の向かいの、堂々たる庄屋級古民家に「寧々房」はあった。
閉店したとの噂を耳にしたが、寧々房は椚平がある山の麓に移転していた。
房は2階建てモルタル塗りの普通の民家に変わり、少しがっかり。
しかも、美しい房主は留守。もっとがっかりした。
椚平の手前、旧道と新道の分かれ道に「鎌倉山荘」という、古色蒼然たるトタン屋根の平屋がある。
道路側の引き戸を全開にし、室内は丸見え。なにやら人恋しそうな佇まいだ。
もちろん3爺は、道草を食うことにした。
現れた総白髪の小柄な主は、怪しい3爺を笑顔で迎え入れてくれた。
3爺は、主の身元や山荘の目的を少しずつ質問。
答えがなんとも不思議なんですね。そんなことって、あるかいな。
自分は鎌倉幕府の有力な御家人・安達なんとかかんとかの末裔である。仙台の伊達家は家来だった。
勉強が嫌いのため、高卒後、大工修行で東北各地を転々。いまは古民家再生業を生業ととしている。
表千家師範の免状を持っている。時折山荘に滞在し、茶会を催す。
ここは比企郡と秩父群の境界で、この建物はその時の関所事務所跡である。
古ぼけた平屋は、旧道の側壁にへばりついた2階屋だった。
隙間が目立つザツな仕事ながらも、一応リホームが施されている。
物置だった1階部分は台所と食堂、2段ベッド4人用寝室、鉄平石張りの広い浴室などに改修。それなりに趣がある。
ただ、解せないのが、
気に入ったら、宿泊して下さい。宿泊代は不要です。
食事は自炊ですが、ガス水道電気の使用料金は頂きません。
風呂はすぐ沸かすから、使ってみませんか?
などと勧めてくれたことだ。
これは3爺以外も同待遇で、歴史よもやま話が盛り上がり、泊まっていった人もいたそうだ。
う~ん。こんな時間にお風呂とはねぇ。それに、タダほど高いものはないからなぁ。
河鹿蛙と時鳥の鳴き声がキモチいいけど、築200年の壁の石組みから、百足や蛇がぞろぞろかも。
と口には出さなかったが「他へも行くから」と丁重にお断りした。
鎌倉山荘は不便な場所だが、途中の林道は十分に整備されている。
あの寧々房が、この野趣あふれ鎌倉山荘に移転すれればいいな、取り持ってみようか。
いや、掃き溜めに鶴になり、失礼かな?と思った。
過去記事「寧々房主人」もご覧くださいね。
鎌倉山荘の主の写真や連絡先は「災い転じてチャリ日記」さまの、コメント欄までどうぞ。
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