ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ いまは恋しき
藤原清輔朝臣
田辺聖子先生による現代語訳は以下のとおりです。
生きながらえていたら
またこの頃がなつかしくなるんだろうか
辛いこと いやなことの多い
この頃なのにさ
......辛いこと多かった 昔の
あの時代が
いまは なつかしいんだもの
もっと、ざっかけな口語訳では、
まあ、いい.......生きよう。
長く生きていれば、この時代だって、また恋しくなるだろうからさ。
藤原清輔は(1104~1177)は和歌のお師匠さんの家柄に生まれた。
しかし生憎、時代は保元平治の乱世。実父の顕輔とは仲が悪く、父が祟徳院の命で編んだ「詞花集」には一首も採用されず、後の二条帝により清輔が「続詞花集」を編むよう下命され、やる気になったら、天皇崩御でオジャン。ツイてない人だたらしい。
この評判の良い歌を清輔が何歳ぐらいのときに詠んだかは、学者の間で長い間、論争になっているが、結論が出ていないそうだ。
田辺先生は、
過去の経験に照らし、先の人生にかすかなのぞみをつなぐ、そういう「気の
とり直し方」は、いくばくかの人生的蓄積がなければできない。
と書き、清輔55歳~62歳説を採ろうとされているようだが、
だから、ある程度、トシがいったほうが、そういうテクニックに富むであろうが、
しかし、本質的にそれはトシに関係ないような気もする。
若い人が、ふと、こういう感懐を持つこともあるのではなかろうか。
と迷ってもおられる。
ふ~む........。
森男の若い頃は、疾風怒涛の時代であった。
戦死の恐れこそ無かったものの、馬車馬のように働かされて、こういう感懐を持つ暇など無かった。
そこが、貴族であり和歌の家に生まれた清輔と平民森男の違いではあるが、こういう心境に達したのは定年後、しばらくしてからである。
だから、55歳~62歳説に賛成します。
で、そのトシを遥かに過ぎた森男の現在の感懐は.......。
あと何年もしないうちに呆けてしまって、感懐どころではない、のではないか。
それで、
まあ、いい.......今を楽しく生きよう。
長く生きていれば、この時代のことなんか覚えていないだろうからさ。
この記事は「田辺聖子の小倉百人一首(続)」角川書店刊、に触発されて書いたものですが、田辺先生の愉快なところは、熊八中年なる人物を創り出し、こう言わせている。
「青年の自殺、などという困った現象がはやりましたが、こういう歌を知っているのと
いないとでは、少しは違うのではないでしょうか」
左様。英会話なんか役立たずを教えるより、百人一首を暗記させたほうがマシですね。
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