写真でも撮ろうと、1時間も前に着いたのに、予報が外れて本降りの雨。
山門で雨宿りしていたら、親戚の人々がやって来て、一緒に坂道を帰源院に。
茅葺の門を潜って本堂に上がったら、きょうだいや甥姪たちはとっくに着いていた。
この、小さな門は夏目漱石の「門」。漱石はこの塔頭に滞在した。
住職父子は謙虚だから、別に小説に明記してない、関係無いとつれない。
夏に、解体修理をしたら、宝永の富士山噴火の年に建立したという棟札が出てきた由。
文化財申請は面倒だからしない、と欲が無い。
本堂は椅子席。大いに助かる。
読経と焼香後、母の納骨。
偏食で早死にした、父の白い骨壷と並んだ母の青磁の壷は、父より大きかった。
雨の向こうの谷戸に、東慶寺の小洒落た伽藍。その霧のかかる背後の緑には、松ヶ岡文庫。
古いけれど、落ち着く墓地だ。
円覚寺は「開山忌」の準備で華やか。観光客が多い。
精進落しは東慶寺門前の[鉢の木]。建長寺門前の風雅な本店が手狭になって、支店を出した。
ここも和室に椅子席。叔母の時の、谷戸の奥の[好々亭]より食事が楽しめる。
精進料理のフルコースは美しく、美味しく、満腹、満足。
みな親しい人ばかりだから、遠慮のない話し声が、席を越えて飛び交った。
母の妹弟の叔父叔母が口ばかり元気で、気配りも十分。笑いの中心だった。
何時もは話好きの住職が、棟方志功の釈迦十大弟子のように、頭を傾げて元気が無い。
歯痛の由。この後に、開山忌のための臨済宗の食事作法、「四つ頭」の訓練があり、辛いそうだ。
兄は母に一番心配をかけたくせに、最期までキツイ言葉を浴びせた。
しかし、通夜以来、人が変わったような大盤振る舞い。
この雨だから、引きは四十九日目に宅急便で送ると言う。
成長したものだ。
近所の友達が先に逝き、何時まで待っても迎えが来ないと嘆いていた母は、101歳まで生きて、6日早く中陰を終えた。
極楽の門を潜ったに違いない。
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