若い人に送られてきた老人たちは、涼しい式場で、出棺まで付き合ってくれた。
若い導師の声には張りがあり、最後の「喝!」には、迫力。
90歳の腰が曲がった妹が、淡々と最後の別れ。
式場を出て、勢揃橋、母が親しかった従兄弟達の家2軒、80年暮らした自宅、十王堂橋、円覚寺、裏八幡、若宮大路と、懐かしい道を経て逗子へ。
この火葬場は、今年2回目。
火葬された母の遺骨は、感動的な分量。
頭蓋の一部や顎、大腿やがしっかり残って、骨壷に揺すりながら収めた。
笑い声も混じる明るい骨上げだった。
一ノ鳥居脇の料亭で精進落しの会。陽気な85歳の弟が献杯の音頭。
親戚や、大昔からの付き合いの近所の人たちだから、あちこちで笑い声。
父の死後、賑やか好きになった母には、いい供養だったのではないか。
知らなかった事や、意外な事実などを聞かされた。
濃い緑の影が長くなった夕方、遺骨は家に帰った。
蜩とつくつく法師が盛んに鳴いていた。
義姉には、本当にお世話になったと思う。長寿は義姉のおかげだった。
だが、まだ二人の父方の叔母がいる。施設に入っているが、何かと面倒な問題が多い。
叔母たちの葬儀はごく内輪で、という兄の方針に一同賛成。
わが一家の少子高齢化は深刻だ。