林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

雨でお休み

2007-06-22 | 林住期

 「雨」 森男

 朝から雨である。たまには雨も降らないと。

 猫額亭の立ち木の刈り込み枝透かしは一通り終わった。始めに手を付けたところは、また芽が出ているけれど、ここで終わったことにしないと。

 「林住記」の書き溜めでもしておけばいいのだが、差し当たって材料が無い。
いや、あるのだがごちゃごちゃで、暫く振りに机の上を整理しなければ.......。
でも、面倒くさいや。

 たまの雨の日ぐらいは、一日中ぐ~たらしよう。

 


名月院は門前までで

2007-06-21 | 風に吹かれて

 

 約束の時間まで少し時間があったので名月院まで歩いた。
平日の物凄い暑さなのに、北鎌倉は大勢の観光客。
名月院谷戸には、邸宅を転用した軽食屋が大分増えた。露店まで出ている。

  駅から名月院へ

 紫陽花の名月院は混雑していた。
あんなとこ、高い拝観料を払ってまで入るのは馬鹿馬鹿しい。別に珍花名花があるわけじゃない。
観光寺院化に成功して伽藍を整備したが、京都風に飾り立ててけばけばしい。
それで、門前で引き返した。

小川沿いに絵本そのままの「葉祥明美術館」、線路沿いに渋い「鎌倉古陶美術館」がある。ここは小規模ながらお勧めできる。
北鎌倉駅隣の「北鎌倉小瀧美術館」は閉鎖して、内部改装中。斎場にするとの噂あり。
大船方面に大分歩くと「北鎌倉美術館」。北鎌倉も広くなったものだ。

 北鎌倉駅から鎌倉駅まで、車の多い巨福呂坂を越えるのが難だが、見どころは多い。
長楽寺脇の亀ケ井坂に入り、急坂を下れば扇谷(おおぎやつ)。ここから鎌倉駅へ行くのもいい。
鎌倉へ車で行くのは野暮の骨頂。

  鎌倉古陶美術館(陶芸)
  葉祥明美術館(絵本原画)
  北鎌倉小瀧美術館(硝子)
  北鎌倉美術館(能衣装)
 

 余計なことだが、横須賀線の線路に雑草や潅木が生えている。
 保線作業を怠っているのでは、と心配です。 

 坂の名前、谷戸の名前が記憶と違う。市役所が勝手に変えたらしい。


午後の曳航

2007-06-20 | 遠い雲


「帆走」 森男

どうしても 海にもどりたい
あのさびしい大海と 大空へ

背高い舟の舵をとり
星をしるべに進み行くなら

舵輪のきしみ 風の唄 ゆれる白帆
灰色にたゆとう靄と暁

ほかに なにもいらない

 

 鎌倉の材木座や由比ガ浜の海水浴場にはディンギーという2人乗りの小型ヨットが、大勢の海水浴客の間を縫って、帆走していた。

ゴムボートに乗った女の子の脇で、格好つけて舵をきると、見事に転倒。
海岸の監視所にいた森男たちが、5人乗りのカッターボートを漕いで駆けつけて、救助した。

ディンギーは転倒しやすく、帆柱は折れやすく、結局、砂浜までカーッターボートで曳航してきた。

あの頃は、今と較べると嘘のように痩せたこけた身体だったのに、弁当はドカ弁だった。
ここでのアルバイトは完全な肉体労働。他のアルバイト連中は筋肉もりもり。森男はうらなり。無事にひと夏を過ごせたのは奇跡だったな。

次の年からは逗子海岸の国鉄海の家で、お土産屋を任された。
ここは青春だったね。湘南海岸アルバイトのエリートだった。(詳しくは「セーラー服」)。

 職場の仲間達と、城ヶ島沖に鯖釣りに行った時。
前の晩から三崎港に泊まり、翌早朝、釣り船で沖に出た。

5月だったと思うが、風が強く、白波が立って、釣り船は随分揺れた。
船長は頼り無いお爺さん。魚群探知機で魚場に向かったが、全然釣れない。

みんなで水面を眺めているうちに、吐き気がしてきた。
一緒に来ていた、元船乗りもそうだったから、水面を見つめるのは拙いと思い、無理して立ち上がった。釣りを諦めて、揺れる三浦半島を見つめている内に、船酔いは収まった。

昼前に、三崎港に帰る時は、波を掻き分け、大揺れに揺れたが、むしろ爽快な気分だった。
普段は威張っていた部長が青い顔して、鯖のように横たわっていたのが可笑しかった。


海の貴婦人「シナーラ」(シーボニア・マリーナHPより)。

江ノ島から大型ヨットで相模湾に出たことがある。
役員が、担当する事業所の幹部を(やむを得ず)招待してくれたのである。費用は自腹ではなく、役員経費のはず。

ヨットはチャーチル首相の愛艇「シナーラ」。オーナーが思いつきで買い入れたものだった。
乗組員の他に約20人も乗れて、食事も出る豪華ヨットだった。

デッキシューズ買いこんで、乗り込んだ。
ところが、風が全く吹かない。空はどんより、水平線はぼんやり、三浦半島や伊豆半島は見えず、帆走は諦めて、洋上をたゆとうばかり。風は無くてもうねりはある。

内陸県から参加した森男たち3人以外は、グロッキーになってしまった。
昼飯は、3人では食べ切れなかった。

ヨットは予定を繰り上げて、昼過ぎには帰港。
夏本番になっても各事業所から、クルージング客を、送り込むことは無かった。

その後、海との縁は全く切れてしまった。
今住んでいる埼玉県には海が無い。

それでも、夏が来ると、海が恋しくなる。

 
「海王丸」 森男


ひそみにならう

2007-06-19 | 高麗便り

  ねむ(合歓)の花

 人間、死ぬまで勉強だ。今日は中学校の「学校便り」で勉強した。

「ひそみにならう」という見出しが目に付いたのだ。
この言い回しが以前から気に入っていて、「林住記」で使おうと思っていた。
意味は、「隠れた美しさ、目立たぬ美点などを見習う」、だと思っていたのだ。
なのに、外れ。

「学校便り」によると、「真似するのはみっともない」、という意味だった。
字引を頼りに補足してみたら。

中国春秋時代。「西施」という名前で、国を傾ける力持ちの美女がいた。心臓が痛いので、眉を「ひそめて(しかめて)」歩いた。ブスがそれを真似して眉をひそめて歩いた。人々は気味悪い、と戸を閉めた。
そこで、正しい言い方は「西施の顰(ひそみ)に倣う」。(これで「顰蹙」に結びついたぞ!)
正しい意味は①「いたずらに他人の物真似をして世間の物笑いになること」。
ただ、②「他人に見習ってすることを謙遜して言う」、ともある。
れれれ、分からなくなっちゃった。
ま、そういう事です。

「学校便り」は続けて、女子生徒を相手に、今月の生活目標は「服装を整えよう」だ、と書いてご教訓。

   タレントは目立つために化粧が必要だ。
   しかし本来化粧はシミシワを隠すもの。うら若い諸嬢に必要無い。
   真似すんな。戸、閉められちゃうぞ。
   身だしなみは品格を表す。むしろ、服装を整えようよ。

なあるほど。お化粧は森男にこそ必要あらめ、だ。
森男は品が無く、シミだらけだ。腹は蛙、咽喉は七面鳥。
だから、略式庭師姿だと、団地のヤツラにぞんざいな声をかけられるんだ。
お手本は苦味走った高倉先輩。ちょっと似ていなくも無くもないからね
シミシワ隠すドーランと、印半纏腹掛股引買いに、浅草へ行こう。 

ついでに「学校便り」では男子生徒の善行。
中学から15分で山頂に登れる多峰主山を、「学校の付属施設と勝手にみなして」、3年生が清掃登山をしたそうだ。

おお、結構じゃないか。ご苦労だった、感動した。
ところで、町内にゴミを捨てるのはPTAと卒業生だ。
学校は町内の付属施設だ。勉強なんかムダは止めて、毎日ゴミ拾って歩いて下さいね。

今日、蒸し暑いが、清掃奉仕作業を点検しに多峰主山に登った。
山はすっかり夏姿。山道で遇ったのは、2匹の蛇と3人のみ。
人のいない多峰主山は静かだった。確かにゴミは無かった。 
ねむの木の開花が近い。

    象潟や 雨に西施が ねぶの花     松尾芭蕉
         (象潟に雨が降る 美女西施が眠っているように美しいネムの花が咲いている)

    健さまの ひそみにならふ 林住期   駒田森
    (高倉健氏の渋さ寡黙さを見習う 林住期真っ只中の森男の「林住記」)

●訳注。俳句はもちろん②の意味です。季語は林住期。口数多いな。
●猫額亭の庭園には美女はいないけれど、実生ねむ多数。


丸木美術館へ行こう

2007-06-18 | 色めがね

 

 森林公園から帰る途中、夕方が来そうもないカンカン照りで、寄り道をした。
行き先は「丸木美術館」である。

 目的は例の原爆図ではなく、俊さんの展覧会である。
色彩画家と聞いていた丸木俊夫人の回顧展を開いている、と聞いたような気がしたし、美術館の下を流れる都幾川の清流を見たかったからである。

 汗と土でぐしゃぐしゃになった作業服に、豆絞りの手拭を鉢巻にしたままのゲ-ジュツ鑑賞は、少し気がひけたが、出直して来るのはガソリン代が大変だ。
切符売り場で、「?」、と言う顔をされたのは自意識過剰かもな。

 入館料は735円。半端な金額は、この美術館の素人っぽい佇まいと、上の画像にしたチラシの証。
少し前に、美術館閉鎖の恐れが報道されたので、土方のおっさんは、お釣の265円を寄付しましたよ。......ああ、いい気持ちだ。

 肝心の「丸木俊展・女子美術時代から《原爆の図》まで」は、残念ながら残念だった。
出品作品が少な過ぎるのである。しかも、大した物が殆ど無いのである。

 チラシに載っている「ヤップ島」は、実物の方が断然素晴らしく、陽射しと日陰の対比がもっと強烈。トロピカルフル-ツの芳香が漂ってくるし、現地の人々の体温が伝わってくる濃厚な作品だ。
 会場中央に展示した固太りの裸婦立像の大作は、カラリと明るく、まるで菩薩さま。

 俊は日本の女ゴーギャンを目指して、南洋諸島に滞在した色彩画家のはず。だが、裏付ける作品は、ほんの数点。もっと沢山あるはずだ。大昔にTVで観たような気がする。
スプリンクラーどころか、冷房さえ無い美術館の借り出し交渉は大変だったろう。でも、もっと頑張って欲しかった。

 

 とはいっても、「丸木美術館」はやはりお勧めしたい。
丸木位里・俊夫妻が合作した「原爆の図」が、大迫力なのである。
地獄図絵の恐ろしい作品なのだが、宗教画のような崇高さがあり、これを見なければ日本人じゃないね。アベさん見たかい?
但し、物見遊山やボランティア帰りのいい加減な気分での鑑賞は止めた方がいい。

 それにもう一つ。
丸木位里、つまり俊のお姑さんのスマの作品群。
74歳ころから始めた絵が素晴らしい。もちろん下手なのだが、色が綺麗で、何よりも楽しそう。堅山南風が、職業画家が苦心惨憺して追い求めている境地に楽々達していて、子供が描いたような作品、と褒めている。同感です。

 俊展は期待外れだった。
しかし戦争が好きな人は、時々丸木美術館へ行って下さい。
原爆の惨状を心に刻み、スマさんに生きる喜びを頂けば、お釣りをカンパしても、身体にいいと思いますよ。

 

 2階の屋根裏にある丸木夫妻の画室や、美術館下の清流も素晴らしい。

 県道沿いにあった駐車場は手離してしまった模様。林の中の細い道の奥にある美術館は捜しにくい。道を尋ねようにも、人家は無く、通行人はおりません。

●夏期、「原爆の図」は愛知県高浜市に出張している模様です。


笹刈と伐採

2007-06-17 | お節介

 

作業予定は園路の柵の修理。だがこれは先月終了した。
と、すると先月予定して実施しなかった面倒くさい道具の手入れかも、と思った。
だが、天気はいいし、1ヶ月ぶりだから、と森林公園へ。

指揮官は去年年末に退職したオーロラ君。
あちこちさすらって、また帰って来た。おじさんおばさんたち、歓迎。

午前中の作業は笹刈だった。背の高さもあるアズマネザサの幼生で、高さ4~50センチの細い笹を草刈鎌で刈る。
杜鵑(ほととぎす)、山百合、稚児百合、落葉広葉樹の実生は残せ、とのお達し。

中腰で、ちまちまと。これが大変な作業だった。

わが猫額亭の庭園なぞ、杜鵑や稚児百合は雑草扱いでだ。
毟っても毟っても生えてきて、時期が来れば花を付けるので。
あんな広く、ごちゃごちゃに生えている中で、草刈り鎌を使うのにはうんざりした。

本当は草刈鎌より柄の長い刈込み鋏でやった方がずっと楽。
植物の選定的刈込みにも都合が良いんだが.......。
鎌も、草刈用と笹刈用がある。

でも、久し振りの仲間たちと、汗をかくのが目的だから、逆らわないことにした。

2時間で、すっかりさっぱり。
木々の根元がくっきり見えるようになると、日本画になる。

 

昼飯はいつもの運動公園だった。

初夏の爽やかな風が吹いて、木の下は気持ちが良い。
お馴染の仲間の一人が畑で採れた胡瓜を糠漬けにしてどっさり持参。
他は話題を夫々どっさり持参。美味かったなあ。

午後はヒサカキの伐採。
大きな木でも幹の太さは直径5センチ以下の小物ばかりだ。
緩やかな斜面に茂って雑木林内を暗くしている。

伐採となると、雑木林班のおじさんおばさんは、俄然元気になる。
あっという間に、ヒサカキは皆伐。2時間で雑木林はすっかり明るくなった。
笹刈では保護した杜鵑や稚児百合を、みんなでさんざんに踏んづけちゃったけど......。

山野草班の優しいおじさんおばさんには申し訳ないが、まぁ、いいか。
明るくなれば、さまざまな山野草が復活してくるからね。

 


テルボ先生に脱帽

2007-06-16 | 色めがね

  神長官守矢史料館
  一番左の胡瓜がツルボ先生

 テルボ先生こと照信先生こと藤森照信先生は、昔から大好きだった。難しいことばっかり言う丹下紀章、磯崎忠雄先生たちよりずっと好きだ。
先生はこの頃建築家に変身したが、元は建築史家。今、東大教授という恐ろしい肩書きも持っている。
テルボとは、先生が少年時代過ごした信州でのあだ名。

 テルボ先生が好きなところは、いまだに田舎の風を身にまとい、少年の好奇心を持ち続け、毎日愉快に遊びながら、立派な仕事をしているところ。
 建築作品は縄文的感覚を持つ独創的なものだし、文章は軽妙軽快愉快だ。カタカナ英語は使わない。

 東京オペラシティのギャラリーで開催中の「藤森照信建築と路上観察」も軽妙軽快愉快で、一日いても退屈しない素晴らしさだった。

 会場構成の始めは「仕上げ」。その説明文が面白い。

  建築で一番大切なものは何かと問われれば、大抵の建築家は、平面とか
  構造とか思想とか答えるだろう。
  私はちがい、小さな声で”シアゲ”と答える。(以下略)

と、断った上で、壁や屋根の藤森式仕上げ見本を展示している。

 見本の夫々は、泥や木材など原始的なものから最先端の材料を使いながら、極めて縄文的な、奇想天外な仕上げなのだ。
また、仕上げに使う道具の展示方法も面白い。
先生は、「手」を一番大事な道具と看做していて、これまた大賛成です。

 次の部屋は藤森建築の見事な写真展、「自然素材を使った作品」である。
この説明も噴き出してしまう。

  「秋野不矩美術館」は靴を脱いで入る。
  本当は全裸で絵と対面する美術館にしたかったが、かえって絵に集中でき
  ないおそれがあり、止めた。

とあり、夫々の作品の説明が、そのまま上等な文学作品である。
建築作品は極めて独創的。そして暖かい。維持管理が不安だが、対応策は採っている模様である。

 写真そのものも、大型画面で環境や細部がよく分かり、なあるほど、と納得。
「神長官守矢史料館」が、建築家としてのテルボ先生の処女作で、以前から気になって仕方が無かった周囲の環境を、ここで了解した。

  タンポポハウス(屋根と壁面にタンポポが)

 テルボ先生のご自宅「タンポポハウス」の住み心地はいかばかりか、と心配ながらも愉快だった。許可した建築課は悩んだろうね。

 次の大部屋は、靴を脱いで、にじり口から身体を屈めて侵入する。

  古里の生家の畑に、茶室「高過庵」

 始めは、アッと驚く茶室の数々。ここでは、先生の古里に立ち上げたこうのとりの巣のような茶室が面白い。伝統に則り、革命的なのだ。
 出来上がってみたら、風で揺れる。揺れるのは高過ぎるから。また目立ち過ぎるので、「高過庵」と命名したそうだ。

 この茶室を作る過程をNHKが撮って、これがまた面白く、自然に頬が緩んでしまった。あの学習院卒のモッサリした小倉なんとかさんの、気の抜けたような語りがなんともピッタリです。
 例の「路上観察学会」の先生方や施主が手弁当で仕上げ作業に参加し、成果を堪能する。
仲良きことは美しき哉。隣に腰掛けた女子大生と肩を組みたくなった。
先生方は「縄文建築団」と自称して、職人以上の手間賃をテルボ先生に寄付している。羨ましいお仲間です。

  天井を薪で仕上げた、茶室「薪軒」

 ここでちょっと横丁に入ります。

  細川別荘「不東庵工房」
  同別荘内茶室「一夜庵」

 先生設計の奇っ怪な工房「不東庵工房」がある。実はこれ、あの細川護煕元首相の別荘です。
元首相、世を捨てて陶芸三昧と思っていたら、奇天烈な茶室「一夜庵」はシラク大統領を招待するために拵えたゼイタク! ふんっ。

  模型「東京計画2101」

 また、高さ5mにもなる芝生の塔群や、「東京計画2101」という不思議で魅力的な巨大模型がある。人口減少、賛成ですね。

 繭玉のような、縄で編み上げた小屋がある。
三つある小さな穴から這いずって入ると、中は「路上観察」ビデオ上映会場だ。
寝そべったり胡坐かいたりしながら、「路上観察学会」の先生方が日本中から集めたケッサク画像の連発を楽しめる。
(内緒の話ですが、繭玉の中では、ご婦人達のおケツも転がってますよ。)

  路上観察「緑のドレス」
  同「世界一楽しい滑り台」

 靴を履いて廊下に出ると、学会の成果や文献がドッサリ。
ここで一つずつ点検していると、預金がゴッソリ減りそうで、逃げるようにして、会場を出ました。

 この展覧会は、昨年の「ヴェネチア・ビエンナーレ」で大変な話題になった「藤森建築と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市」の帰国展の由。
そのためか、会場が作った新聞の図版が英語(イタリア語じゃない)で表記されている。
「高過庵」が「Takasugi-an(Too-High Teahouse)」だ。ツルボ先生なら、こんな気取った表記をしないと思うよ。

 ところで、もう一つ横丁を紹介します。
「路上観察」学派と思える方のブログ「アカチパラチ」です。
殆ど毎日、驚きの画像が楽しめます。霜月一八さんって、どんな目をしているのだろう、と毎回羨ましくなります。

 とにかく楽しい展覧会で、テルボ先生に脱帽。


2007-06-16 | 重箱の隅

 

 空の底が黒いほどの快晴。猛暑。

 税金使って気象庁は美しい国の言葉を破壊している。
「宵の内」を気象用語から削除した気象庁は、この度、折り目正しい日本語を言い換えた。

     ・カンカン照り→梅雨。
     ・ずる休み→中休み。

 「梅雨入り」と聞いて、都忘れの挿し芽をしたが、二日続きのカンカン照りに、葉が縮れてしまったじゃないか、気象庁。

 このクソ暑いのに、町内を傘をさして歩くおっさんがいる。おっさんは雨傘を日傘に使っている。
正しい対応ですね。こう日差しが厳しいと、帽子なんかじゃかえって暑い。
ただ、男物の日傘が無いので、雨傘を使っている。

 森男も会社勤めの頃は、エルメスやビトンやグッチの雨傘を沢山持っていた。
出先で雨に降られると、キヨスクで気兼ねなく買っていたからね。
 それら有名ブランドの雨傘は総て人様にくれてやり、手元に残るは「ボロッチーノ」しかない。
これを日傘にしてもいいのだが、色は褪せ、穴があり、炎天下ではブランドが目立ってしまい卑屈になる。

 新しい日傘を買いたい。でも、あのおっさんのような地味系ではねぇ......。

 そこで、空梅雨に困る傘屋さんに提案がある。
男物の晴雨兼用傘を商品化して貰いたい。
空は女と男が支えている。これを売れば、空梅雨なんてメじゃないはずだ。

 出来れば、骨部分と、布部分とに分けて、着脱交換自由の傘を開発して欲しい。
浴衣柄にしたり、アロハ柄にしたり.......。
布の変わりに、パンツ乾しながらの散歩も、いいと思うよ。

 なお、特許料を忘れるなよ。


新丸ビルは素通り

2007-06-15 | 風に吹かれて

 

 オペラもミッドもヒルズも、デカ過ぎる。新丸ビルも巨大百貨店以上。
百貨店より、内装はずっと高価のようだが、黒い鉄骨と焦げ茶色の重厚な意匠は、法隆寺の焼け跡みたいで、あまり好かないね。
隣のサナトリウムのような「丸ビル」や「日本橋コリドー」の方が、草臥れた森男向きだ。

 

 ただ、自由に使える椅子の多さは大したものだ。都内随一ではないか。
しかも総ての椅子は、30年ローンの文化住宅にはとても置けない立派なものばかり。
それでも、どの椅子も、大勢のお婆さんお母さん、少しのお爺さんが占領して、空いたとこ無し。
何故かお爺さんは一人だが、ご婦人達は団体連れ。

 

 どの店もお客さんが一杯。見物客のようだが、買っているとしたら、百貨店の連続前年割れは仕方が無い。
開店人気が過ぎて、空いてきたら、避暑がてら本でも読みに行けば良い。椅子が贅沢だからね。

でも、やっぱりお買物は飯能だ。

 (新丸ビルHPより)

オペラもミッドもヒルズも、入っている店は同じに見える。
新丸ビルなんて、どうでもいいや。


東京オペラシティ

2007-06-15 | 風に吹かれて

 梅雨入りしたのでカンカン照りの猛暑になった。
庭師熱中症では身体を壊す。それで、お江戸に行った。西武電車、涼しいからね。

 

 京王線で新宿駅の次の初台駅に行った。行ったつもりがなかなか着かない。着いたところは三つ目の笹塚駅だった。急行に乗ってシマッタと思い、新宿駅でしっかり確認して普通電車に乗った。また笹塚だ。ヘンだ。
もう一度新宿で看板を確かめたら、初台は急行でないと止まらない。普通は急行で、急行が各駅だった。京王電車は方言で走ってる。

 

 「新国立劇場」は「東京オペラシティ」の日本語訳だと思った。そこは別物だった。
東京オペラシティと新国立劇場はドえらい巨大施設で、二つ足して2倍の巨大さだった。凄く税金を使ったと思う。
 中を歩き回って草臥れて、椅子はないかと思ったが、まるで無かった、草臥れた。
豪華な弁当屋が手ごろな値段で弁当を売ってるが、馬みたいに立って食うのだろうか。
 施設内は明るくて、空いていて、洒落た内装で、梅雨が明けたら雨だろう。
近所の子どもが、ローラースケートをするのに最適だ、と思った。

  1
  2
  3

 「アートギャラリー」が目的だった。東京ミッドタウンの「21-21」に似ているが、半額だったし、広くて明るくて、気持ちの良い展示場だった。

 「藤森照信建築と路上観察」がお目当てだった。
面白過ぎて、草臥れて、感想は明日。

  4 

  (1・2・3はアップルコンピューター、4は財務省HPから)


それ行けどんどん

2007-06-15 | 高麗便り

 この前の市議選で、最高得票だったお兄ちゃん市議がやってくれた!
日高市市議会本会議で、「市が公費負担する選挙ポスター製作費は実態より高く、引き下げるべきだ」、と提案したのである。

市条例では、市長選、市議選の候補者に選挙ポスターを200枚まで公費負担する。
上限は479800円で、1枚当たり2399円。所沢では1188円、川越では1074円というのに。
業者には、金箔でも貼らなければ上限額にはならない、と言われたそうだ。

実は、お兄ちゃん市議は始め、「福祉専門」と言って、ガッカリさせられたものだ。
でも、良いところに目を付けたじゃないか。
多分、この提案は他の市議たちの顰蹙を買って、廃案または否決されるだろう。

こういう情報は「市議会便り」や市の広報には絶対載らない。朝日新聞に載って、市民の注目を集めるだろう。大いにやって貰いたいものである。

  「清流」 森男

東京都の副知事に就任要請されている作家の猪瀬先生は、政府の地方分権改革推進委員会で、「市議会議員は半分要らない」、「夕張・大阪の放漫経営を見逃し、高い給料を貰って三流の存在」、と噛み付いた。

これからも、お兄ちゃん議員は、中央紙にどんどん情報を提供して欲しい。
そうすれば、お兄ちゃん議員に限って、ポスターは要らない。
ブログをちっとも更新してくれないが、及ばずながら投票するぞ。

ガンバレ、お兄ちゃん。                       


なんとかしゃじん

2007-06-14 | 庭いじり

  なんとか しゃじん

 何とかしゃじんが咲き始めた。
栃木県にいた時に、「日光しゃじん」と言われて貰ったものである。
ネットで検索しても、日光しゃじんが見つからない。
かの地では、椿の「光源氏」を「光る源治」と書き、貴公子を禿げのオッサンにしてしまうので、郷土の誇り「日光」をテキトーに付けたのだろう。
だからこの度、テキトーに「なんとかしゃじん」にしました。
マクロ撮影が上手くゆかずボケてますが、知ってる方、教えて下さい。

  皐月のスポーツ刈り

 皐月(さつき)の花の盛りだけれど、スポーツ刈りにした。
花が終わってからでは新芽に蕾を付ける期間が不足するので、花を諦めて、今、刈り込んでしまう。
スポーツ刈りはシャンプーが要らないように、薬剤散布を節約出来る。

 猫額亭庭園には、皐月だけで3~40株もある。
夏向きにスポーツ刈りにしているので、20年しても株は大きく育たない。
毎年同じことをやっていて、一体全体何のために皐月を植えたのか、甚だギモンです。
庭師は辛いのだ。


子どもに還った

2007-06-14 | 林住期

 

 朝食で、入れ歯を食べてしまった。
危うく、飲み込むところだった。
若い人には意味不明の分からない事故。情けない。

 そういえば、義歯調整の予約をしていた。もうそろそろ、と暦を見たら、2日過ぎていた。
そういえば、ボランティアの祝賀会も、と暦を見たら、これは3日前に終わっていた。
今まで、割合、約束や予定は守る堅物だった。
この頃、スレてきて、ヤな約束や予定は平気でスッポカスが、この二つはヤでも必要なものと、楽しい約束だったのに。

 

 忘れた理由は、このところ晴天が続いて、梅雨入り前の庭仕事に熱中していたからである。暦は見ているのに、見ていなかったのである。
それに、朝刊を見ると、社会保険庁、コムスン、NOVA、元公安調査庁長官、と立て続けにオモシロフカイな記事が続いて、月光仮面としては、気が散ってしょうがなかった。

 何かに熱中すると、何かを忘れる。これって、子どもと同じ。

 国民投票法で投票年齢が18歳以上となり、人はいつから大人になるか、が話題になっているようだ。
日本人は、いくつになっても大人になりませんっ。
大人なら、社会保険事務所に石を投げるし、アベ氏の人柄が良い、とかなんとか言って自民党を支持しないはず。ハンカチはにかみ王子に熱中しないはず。
 60年前にマッカーサー元帥から、日本人は12歳、と断定された。そのとおりで、まるで成長していない全員子ども。

 大人であったはずの森男もご破算を過ぎたら、子どもに還った。

 生暖かい風が吹いて、雨が近い。
ボランティアの会長さんにお詫びし、会費相当額をお祝いとして受け取って頂き、歯医者に予約のし直しにいったら、「本日休診」の札。

 雨の前の僅かな時間に、都忘れの挿し芽をしながら、これからは、暦を首から掛けなきゃ、とウジウジ考えた。
約束忘れた理由は社保庁だ、と責任転嫁した。


友情について

2007-06-13 | 林住期

  ダスキン「喜びのたねまき新聞」から

 名前を思い出せないが、ある有名デザイナーが友情について書いた短い文章を覚えている。

 そのデザイナーは高校の同級生数人と、60過ぎても付き合っており、先頃一人を亡くした。自分の親族の死にも泣かなかったのに、肩を寄せ合って号泣したそうだ。

 後日、自分達の友情が何故こんなに長く続いているかを話合ったそうだ。
その結論は、

 1.互いに金銭の貸し借りはしなかった。
 2.互いに悪口や陰口は言わなかった。
 3.夫々が別の大学に進学し、違う職業に就いた。
 4.互いの家族を交えた付き合いはしなかった。

だった、と記憶している。

 1~3は、当たり前のことだと思う。しかし、4は意外だった。
だが、よく考えると、思い当たることがある。

 森男たちも、年に数回、会社員時代の同僚と会うことが暫く続いた。楽しかった。
何回目から、奥方を連れて来る同僚が一人いた。
 奥方は、物怖じせず、活発に意見を言う人だった。
だが、なんとなく互いに不自然になってしまった。
お行儀の良い原則論ばかりになってしまうのだった。
 それで現在は、その同僚達と個別には会っても、一緒に会うことは無くなってしまった。
奥方を連れてきた友人は、どうも仲間外れになっているらしい。

 孔子も曰く。

  何が楽しいって、雨の日の温泉で、共通の知人の悪口を言い合う楽しさより、
  ユカイなものは無い。 

 また、勝手に5.を付け加えると、あまり頻繁に会わない方が良いようでもある。
親しき仲にも礼儀あり、で付き合いには自分を抑えなければならないことがある。
抑えてばかりじゃ、草臥れる。

 実は人生相談を読むのが好きである。
他人の不幸は蜜の味、というし、ちょっとした短編小説のようでもある。
また、回答者の力量やセンスがモロに出て楽しいのである。

 朝日の「相談室」に、「寂しがりやで、友人が離れるのが怖い、どうしたら?」という35歳女性フリーターの相談があった。
回答者の作家・室井祐月先生の回答が、歯切れが良く、全く同感だった。

  35歳にもなって、馬鹿馬鹿しい。
  人は自分の人生に忙しく、しょっちゅう会えないよ。自分のことを考えなさい。
  35にもなって、生き方や考え方の確立していない人に、友だちになりたい、
  なんて人は現れないよ。
  自分の無い人間を相手にするほど詰まらないことは無い。
  ただの時間潰しの相手は、友人ではない。
  一日も早く個人として確立し、素敵な友人を作って下さい。

 会社を辞めてから町内の同い年のおじさんと親しくなりかけた。
でも、その人は、森男に尋ねるばかりで、自分のことは言わない。賛成意見も反対意見も無い。むにゃむにゃおじさんだった。
その後、町で行き逢っても、会釈するだけとなった。

 以上から、更に 6.は個の確立、であると思う。

 仲良し三人組を見て、そう思った。


ねんきんあんしんダイアル

2007-06-12 | 重箱の隅

 

 予想どおりに問い合わせ電話が殺到して、繋がらない。
繋がらないのは11年前からで、驚くには当たらない。

 それにしても、「ねんきんあんしんダイアル」とは笑わせる。
小学生に電話をかけさせるつもりなのだろうか。馬鹿にしくさって。

 年金問い合わせ用の受付番号は以前からあった。

    0570-07-1165

請求者用と受給中の者用に中2桁番号を変えているが、下4桁は両方とも1165。社保庁は「いい老後」だとさ。
この電話は有料。

 今度の事態に対して社会保険庁は新たに無料の土日24時間対応の無料電話窓口を設けた。

    0120-657830

これは「老後悩み無し」だと! 縛りクビですね、これは。

 11年前に、社用で東松山市の社会保険事務所に何度も電話をかける必要があった。全く繋がらない。仕方なく、所沢の社会保険事務所に何度も電話して、用を済ませたものだ。

 もともと、回線が不足している。問い合わせが殺到し、電話の受け手を新しく設けた0120に移しただけで、増員したわけではない。繋がらないのは当たり前の話だ。
現長官は、土日もやってんだ、と徹夜した前雪印社長と同じ寝言を言っている。
アベ氏は、時効廃止、と自画自賛だが、これでは門前払いでしょうが。

 問い合わせについては、1週間で対応策をまとめ、次の1週間で担当職員を異動増員特訓し、次の1週間で点検し、4週目から、受け付ければ良かったのだ。ビラ撒いて、かえって混乱を助長してしまった。
数十年の欠陥が、即修復なぞ出来るわけが無い。
その業務行程表は............。

 ああじれったい。森男が社会保険庁長官をやってやるぞ。肩書、持って来い。
ただし、任期は1年。その後は非常勤職場を用意して、2億円の給料を払うこと。
ビラ配りくらいで、何も仕事はしてやらないからな。

 年金制度の破綻が懸念されていたが、現実には破綻済みだった。
社会保険庁は倒産した。

 当然、ボーナスは誰にも支給しないぞ。

●内緒話●
いま、社会保険事務所に問い合わせるのは無駄です。ラニーニョ現象で酷暑が予想される8月に、納涼がてら行きましょう。少しは状況は改善されて....、いないかな。
それに、問い合わせは指定された窓口ではなく、苦情慣れしていない別の部署か、なるべく所長の自宅にすると、役所は親切な応対をしてくれますよ。
要は、連中に対しては、「モンスター何様老人」になることです。
映画「県庁の星」で研究しましょう。