「鎌倉芸術館」で行われた高校の同窓会に出席した。
実に52年ぶりの再会である。
時々開催されていたようだが、内陸埼玉の果てに移住し、土日に休みが取れない会社に勤めていたので、すっかり縁遠くなっていた。
成績に関わる辛い思い出や、時々連絡をする友人たちが、ありゃぁ運動部員の独りよがり大会だぜ、という言葉も出席を思い止まらせていた。
案の定、親しくしていた友人達は出席せず、受付の1人以外は記憶が無い同級生だった。その1人とは同じグループ会社に勤務していたので覚えていたのである。
全員に名札が配られて、名札を見てようやく思い出し、こちらから話しかけて互いに相手を確認するというややこしい同窓会だった。
それでも、森男のことを覚えていた同級生がいて、同じ中学からこの高校に進学した同級生2人を紹介してくれた。
名前を聞いたような気がするだけで、顔もその頃のことも全く記憶が無い、と正直に伝えたが、3人とも気持ちよく受け容れてくれ、それなりに会話は弾んだ。
今回出席したわけは、日本史を教えてくれた先生が講演をする、という内容に惹かれたからだ。
総合的に成績は「下」だったが、この先生の授業が面白くて、日本史だけは学級で最高点を取り続けたからだ。
他に、同級生による「日本歴史唱歌」の発表がある、という内容にも期待した。
先生の講演は夏目漱石とその門下生に関する話だった。
先生は最近「漱石先生からの手紙」という本を岩波書店から出版し、更にあと2冊漱石ものを出す予定だそうだ。
この本には気付いていたが、まさかあの日本史の先生が著者だったとは.....。
見事に禿げた先生は当時同様余裕綽々。皮肉、ブラックユーモアをたっぷり交えて実に面白く、風貌、語り口とも三遊亭志ん生風。ここでご報告するのは勿体無い。別項にして、後日に乞うご期待。
「歴史唱歌」は全40番もあり、申し訳ないが古色蒼然.........。
有名歌手を何人も出した音楽事務所での実績を後ろ盾に、さだまさしに作曲を依頼した。しかし、内容に就いては非常に面白いが、左右両翼から攻撃されそうで怖い、という理由で断られた由。さださん、断り方が上手いねぇ。
同窓生は約400人。出席は74人。既に37人が亡くなり、29人に連絡が取れない由。
同級生の名簿をみると、殆どが逗子鎌倉藤沢茅ヶ崎と湾岸地帯に住んでいる。
はっきり覚えている同級生も何人かはいるが、一人も出席しなかった。
思えば遠くに来たもんだ。
バイキングは豪華。北鎌倉の「鉢の木」のもの。日本料理はこのところ法事で何度も食べているので、中華・洋食を選んだ。どれもが結構な味。
あの頃だったら、不味くともあっという間に皿まで舐めてしまったはず。大分残してしまい、業者に圧力をかけたのに、と幹事は焦っていた。
薩摩芋の蔓まで食った、とお互いに太くなった腹と、毛が無くなった頭をさする。
母校は進学高だった。
ところが現状は軟弱な普通の高校に「成り下がった」、とは元運動部員の独りよがり。
県の方針で学力向上重点校に指定され、校長教頭事務長等総入れ替えになり、
新校長は全国区で先頭に立つ、と触れて廻っているそうだ。
でも、別にそんなことで力むことは無いんじゃないかぃ。今までどおり自由闊達がいいと思うよ。
最後は校歌斉唱。管弦楽カラオケ付きの豪華版。
歌詞は古いが、歌いやすく、なかなかの名曲であるな。
どういうわけか、皆、姿勢が良く、埼玉辺りの同年代の人々に較べてずっと若々しい。
互いに3時間、虚勢を張っていたんだろうか。
帰りは新宿まで同級生と同行。
その後のこと、家族のことなど、あっという間に新宿着。
彼は中央線へ、森男は地の果て高麗の里。
先生にご挨拶出来て、出席して良かった、と思う。