おめでと。
小沢昭一先輩はわが師である。
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」に入学して以来、10年過ぎてもまだ卒業出来ない。
森男は取説さえ読まないから、好きな歌でも歌詞なんかまともに読んだことは無く、オンでいい加減に覚えていた。「歌の翼に」投稿するようになってから、歌詞を目で丁寧に読むようになったのである。
昔は小学唱歌「仰げば尊し」は今頃になるとあちこちの学校で歌われ、小沢先輩はちょっと懐かしく、お友だち(!)の若い娘さんに、この歌の感想を聞いたら、
ワタシ的にワぁ、和菓子よりィ、スウィーツとかのホーが好き~
と言われて、口あんぐりだった、とか。
その小沢先輩も歌はオンで覚えていたらしい。
歌詞を目で読んで、ビックリした、とか。
「仰げば尊し」
仰げば尊し わが師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾歳(いくとせ)
おもへば いと疾し(とし) この年月(としつき)
今こそ別れめ いざ さらば
なあるほど! ビックリした。
小沢先輩も「いと疾し」を「愛おし(いとおし)」と覚えていた、とか。
「いと」は「いとおかし」の「いと」で、「大いに・たいへん」という意味。「いと疾し」は「たいへんに早く過ぎ去った」という意味だったのだ、と。
なお「愛おしい」が分からない朴念仁とは、森男は付き合いませんっ。
更に、「分れめ」は丁か半かの「分かれ目」ではなく、「別れよう」の文語的表現で「別れむ」なのだが、その前に物事、この場合は「今」を強調する「こそ」があるから、「む」が「め」に変換した、とか。
その辺のキビは国文法で習ったような気がするけれど、まだ覚えてるような優等生とは付き合えないね。
向田邦子先輩が「荒城の月」の「巡る盃」を「眠る盃」と覚えていて、後年それを名随筆集の題名にした、はず。
やはり取説と歌詞は読まないとダメだね。
小沢先輩の後輩の永六輔先輩のご恩も森男は忘れない。
永先輩によると、「卒」は物事をお終いにする意味がある、とか。
だから、小学校の卒業式は小学校の勉強をお終いにする式であり、中学校の卒業式...........以下同文。
そういう背景から、幼稚園で「卒園式」と言うのは、マチガイ、とか。
何故なら、「幼稚園がお終い」という意味になり、少子高齢化の象徴的な現象を表す、とするのは永森男説です。
ま、幼稚園は遊びがお仕事だから、「卒遊式」ぐらいが適切なネーミングと感ずるけれど、大学はどこもかしこも「卒遊式」だろうね。
(「知ったかぶり」はまだ続きます。)
上の写真の三人娘さん。貸し衣装を着用しています。お値段は、
着付け(袴)8400円、アップ4200円、メイク3150円、早朝料金1050円
合計16800円より
だそうだが、う~む。これが最低価格だから、「払うパパこそ苦しけれ」と変換します。
それに「アップ4200円」って、何だ? ヒップアップかぇ?
知ってる方、教えて丁。
(歌詞、続きます。)
互いに睦(むつみ)し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ分かれめ いざさらば
朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
「やよ」は呼び掛ける声。やあ。やい。
「ぞなき」は「こそ別れめ」と同じ国文法問題です。
この歌の曲はスコットランド民謡ですが、
教科書に採用された詞は1884年(明治17年)に、何人かが合作したらしい。
2番と3番の歌詞は下をご覧下さい。戦争に関わる歌詞のので割愛されることが多い由。
別に悪いとは思えない。なんか朝日的偏向ですね
小沢先輩は、「ある大学教授が勧めるのを聞いて、腰が引けた」ように、
この歌は、坂東眞理子先生からは勧められたくないですね。
ご注意・小沢先輩と永先輩のお言葉は、耳が遠いので、聞き違いかも。
▲画像は「people group 」からお借りしています。