林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

食い物遊び

2008-10-22 | 重箱の隅

不愉快な記事(▲)だ。
何が「男のロマン」だ。調理担当の奥さんの方が正しい。

大食い競争や早食い競争など、食い物で遊んだりふざけたりすることを肯定的に報道することが多い。ギネスがそんなに有り難いのか。

「ドリフの全員集合」は面白かったが、食い物でふざける寸劇はチャンネルを変えた。
鱈腹食わせるのが目的で、「世界飢餓救済週間」を展開する企業は不謹慎だ。

小学生が給食のパンを詰まらせて窒息死した。
早食い競争の結果らしい。両親は校長の対応や説明に怒っている。

両親や先生から躾けをされなかった小学生が哀れだ。


町の中心で減税を叫ぶ

2008-10-22 | 高麗便り

 

へっぽこスーパーでも逃げ出されると、不便である。
スーパー撤退で土地の価値が下がったことに、気付いていない人が多い。
特にじじばばは誰も一向に分っておらず、不便不便、と嘆いてるだけ。

土地価格下落なら固定資産税や都市計画税も下げて当然、と言うとキョトンとする。
オカミに従う哀れな老羊たち。刈り取る毛さえ無くなって........。
歳をとるのは哀しいね。

そこで残った元気を振り絞り、団地の隅っこで、哀の代わりに減税を叫ぼう。

    固定資産税と都市計画税を減額せよぉぉぉ........    聞こえたかな。


歩道を

2008-10-22 | 高麗便り

町内にあったスーパーが撤退した。

新しくできたスーパーへ徒歩で行く道は、普通なら国道(▲)である。
だが、国道の日高市側には歩道が無く、道幅一杯に大型トラックが爆走していて、危険だ。まるで親知らずを通り抜けるように、車の隙を狙い、走り抜けなくてはならない。

だから新しいスーパーへは山道(▼)を歩いて行く。
山道は石がゴロゴロしていて歩きにくい。暑い日はマムシが出る恐れがあり、暗くなれば猪一族の領分になる。

そこで日頃住民に配慮して下さってる(はずの)先生方へのお願い。

     ・スーパー跡地に、コンビニ程度の店を誘致して下さい。
     ・ダメならせめて、国道に歩道を付けて下さい。僅か数十メートルです。
     ・両方とも、一度、歩いてみて下さいね。

この山道の整備でもいいけれど、飯能市側なので無理でしょう。
あ、そうだ。町ごと飯能市に合併すればいいのか。


花・輪廻転生

2008-10-21 | 歌の翼に

  

国営放送の「SONGS」は三輪明宏姐さんだった。
姐さんは、故淡谷のり子先生のようにご高説が多く、あの歌唱法は好きではない。

しかし、番組の最後に「花」を、沖縄の三線を交え、曼荼羅絵のような背景で、プリマドンナ風に、絢爛豪華、目も眩むように歌い上げた。
これには、それまで斜に構えていたが感動してしまった。
この歌は歌としていいのだが、姐さん流も咲かせてあげたい。

国営放送は例によって矢鱈に解説を入れた。ナツメロ化に熱心だった。
しかし、衣装、舞台装置・照明、編曲・伴奏などは並々ならぬ力瘤。凄いほどだった。
多分、姐さんは徹底的にこだわり、国営放送は辟易としたことだろう。
ま、そのお陰でそれなりに満腹できた次第ではある。

姐さんは歌う前に、この歌に輪廻転生を感じる、と言った。
なるほど納得。そうだったんだ、と思った。

輪廻転生は迷信である。
だが、輪廻転生、因果応報、信賞必罰、生者必滅、会者定離、結構結構っ。

天草四郎生まれ代わりの姐さんのお言葉としては、不適切であろうが、性別を超越した姐さんのことだから、宗旨なんか小さな問題なのだろう。
こういう迷信は血液型性格分類などとは異なり、必要ではないか。

        「花」  喜納昌吉作詞作曲

        川は流れて どこどこ行くの 人も流れて どこどこ行くの
        そんな流れがつくころには 花として 花として 咲かせてあげたい
        泣きなさい 笑いなさい
        いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

        涙流れて どこどこ行くの 愛も流れて どこどこ行くの
        そんな流れをこのうちに 花として 花として 迎えてあげたい
        泣きなさい 笑いなさい
        いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

        花は花として 笑いもできる 人は人として涙も流す
        それが自然の歌なのさ 心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
        泣きなさい 笑いなさい
        いつの日か いついつまでも 花をつかもうよ

        泣きなさい 笑いなさい
        いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
        泣きなさい 笑いなさい
        いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

ご存知「ヨイトマケの歌」は桑田佳祐と槇原敬之が、ほんの少し歌った。
私情入れ過ぎの明宏姐さんよりずっと良かった。
二人のSONGS出演、待ってるよ。但し舞台衣装、新調してね。

♪歌は三輪明宏の歌唱法の対極、夏川りみ・森山良子・BEGINでどうぞ。

来週は三輪明宏シャンソン特集とか。
偏見を捨て、観るつもりです。


擦過傷

2008-10-20 | 林住期

車を出す時は右折するつもりだった。
昨日の夕方、入れる時に左に寄せ過ぎたからだ。

ところが前方の狭い道を、左から右へお婆がよろよろと歩いて来た。
狭い脇道でお婆を追い越すのは拙いと、左折して車を出すことにした。
車半分ほど出して、左に寄せ過ぎていたことを思い出し、車を後戻りさせようとした。
左側の隙間は5ミリしか無かった。

後は左側に全神経を集中し、30センチばかり出したり戻したり。どうやってもダメ。
隙間は3ミリになった。

そのうち視線を感じて前を見ると、今度は右から来たお爺が立ち止まっている。お互いお爺とお婆ばかりの町であるな。

どうぞお先に、と合図をしたのに、お爺はボーゼンと立ち尽くしている。
さっさとお通り下さい、と合図をしたのに、立ち尽くしている。
見世物じゃないんだ、どいてくれ。......それでも、立ち尽くしている。

あせった。カッとした。結局.......

        ガッ ガガガーッ。

他人を呪わば穴二つ。
左側に大きな擦過傷ができてしまった。お爺は消えていなくなった。にゃろめ。
傷を付けると傷に慣れ、お爺は運転が雑になる。

で、泣きながら、車を整備工場に持ち込んだ。
デジカメが、また遠のいた。

▲挿絵は「小針春芳プロ」(73年文藝春秋社刊・山藤章二著「イラスト紳士録」より)


祭りだヤッシー

2008-10-20 | 床屋放談

川越祭りで山車以上に人気があったのが、あのヤッシーだった。
祭りと聞いて、駆けつけるとはニクイねぇ。

おばさんたちはキャーキャーと大騒ぎで握手攻めだ。
おじさんたちは大喜びでケータイやデジカメを突きつけてた。
ヤッシーも人気集中にご満悦。次期首相も、ここでは夢ではない大騒ぎだった。
半纏じゃなく、背広姿に却って好感できた。

同じ頃、太郎クンは宮殿から街に出て、ほんの数人のジンミンに会って、不景気を断固確認したんだとさ。
その後帝国ホテルで晩餐だとさ。しかも毎晩だとさ。

一郎クンはタレントとチャラチャラして親しみ易さをアッピールだとさ。顔こわばってるのにムリすんなっちゅうの。

ここはヤッシーに貰った小冊子▼の提灯を持って、

   

といきたいところだが.........。

町内を煩く回る団子党前回落選候補者。

   チルドレンファースト チルドレンファースト チルドレンファースト チル.....

って、なんのことだい? この町はジジババが多いっちゅうの。
マツリゴトにはヤッシーが必要です。

ヤッシーを嫌う人が多い。
神戸震災日記」の気持ちを持ち続けているなら、ヤッシーに賛成です。


川越祭りはペケ

2008-10-19 | 風に吹かれて

川越祭りへ行った。祭りは素晴らしかった。
重厚な蔵造の町並みは華やぎ、大群衆が詰め掛けたのに、清潔だった。
どこもかしこも面白く、珍しく、和やかで、楽しそうで、シャッターチャンスは一杯あった。
しかし、デジカメがペケだぁ.......。

4、5日分以上の記事ネタをアテにしてたのに.............。
以下、記事予定。

・電車内で、鳳凰柄シャツ白股引白足袋でひょっとこ面を持ったイナセなお爺。
  丸の内のビジネスマンよりカネかけてる!
・豪華絢爛な山車が何台も引き回され、心ウキウキ見守る大群衆。
  山車に乗ってる男たち、何故無表情なんだろう?
・舞台のおかめと握手する肩車の男の子。
  投げキッスするおかめ。
・奇抜な配色の派手な祭衣装がよく似合う老若男女。
  ニッポン人はこっちの方が似合うんだなぁ。
・嬌声を浴びて握手攻めにあっているのは、事前運動に駆け付けたヤッシー。
  わざとらしい太郎一郎よりずっと溶け込んでる。
・その他、
  厠の長い行列、駅前に座り込む何組もの家族連れ、大繁盛のビール直販トラッ
  ク、ごった返す食堂、菓子屋横丁、高齢化、清潔な町、壇上で山車に敬礼する警
  察のお歴々、川越の底力............。

以上全部写ってません。撮れませんでした。

コンデジがノロマでシャッターが間に合わず、被写体の前に人が入ったり、肝心の被写体が動いちゃったり、と何枚もゴミ箱入りとなり果てた。

しかも、途中で電池切れだぃ。

ところがだ。
周りには上等のカメラを持ったお爺が多い。一人で何台も持ってるヤツまでいる。
あいつ等、上手く撮ってるだろうな。面白くないね。悔しい。この格差社会。
脚立、蹴倒してやりたかった。

家に帰り、残りもんをパソで開けてみたら、ナンじゃこれは、だった。
殆どが真っ暗かボケボケだった。多分AISMとかISOとかが問題なんだろう。
前の日、ロケハンをしておくべきだったろう。
川越祭りは完璧だった。デジカメは完ペケだった。

.........やはり食費を削って、デジカメを新調せねばなるまい。勉強もして出直さなくちゃな。
川越祭りは来年の心だぁ。




そういうワケで、川越祭りの写真は返す返すも残念無念な結果でした。
素敵な写真は他所さまのブログを覗いて下さいっ。


値上定食

2008-10-18 | 林住期

行きつけの三ツ星れすとらんで、日替わり定食580円が630円になった。
実体経済がわが猫額亭にも波及してきたのである。

値上げには食う分を減らせばいいや、と考えていたが、分量を減らしちゃくれぬ。
だからご飯粒一つ残さず食って、みぞれ天つゆも飲んじまった。

係りの青年は諸経費2倍という。君も可哀相だが、森男だって可哀相。
よーし、星一つ減らしてやるぞ。

......あれっ! 葱の薬味がひとかけらと、崩れた豆腐の角が残ってる!
おお勿体無や。

夕飯は、焼き海苔と梅干で済ませよう。
値上げの秋は悲しいね。

・・・ 銭こ無き身には哀れが知られけり 腹立つ里の秋の夕暮れ ・・・

                                    猫額亭森麿


苔むす屋根

2008-10-17 | 風に吹かれて

 

青梅宿のお薦めは釜の淵公園と、「宮崎家住宅」だ。
庄屋や豪農でない普通の農家が、国指定の重要文化財になっているのは稀だそうだ。
苔生した茅葺屋根がイ~ね。

ボランティアおじいさんが二人、丁寧に説明して下さった。
見物のおじいさん、若夫婦の寝室にプライバシーは無かった、という説明に俄然興味を示し、愚にもつかない質問を連発。困ったウヒヒじじいだった。


あ、それから「稲葉家住宅」のおばあさんも、とっても親切だった。「まちのみんなが学芸員」とは、この3人のことだろう。
ありがとう。


若鮎の串刺し

2008-10-17 | あらら!

青梅の段丘下に多摩川の清流がある。
殺風景な町歩きは止めにして、河川段丘を下り、釜の淵公園へ行った。
カンポの宿の暴力的な外観を見なければ、川べりは美しい。
時節には鮎が獲れるはずだ。


ほらね、若鮎の串刺しだ。秋刀魚の丸干しかな。▼

 ▲柳淵橋袂の「若鮎の像」

日中はまだ夏のような暑さだった。釜の淵公園には市民が多い。
市民が集まる場所なら、観光客も楽しめる。


青梅宿三館

2008-10-16 | 色めがね

     「望郷」滝田ゆう画。

青梅宿はこの3館に限る。
建物はガタピシ、展示品はウラブレてるけど、ホリデイズプアおじいにはピッタリくる。
各館勤務の醤油味が滲み込んだおじおばたちは、それなりに親切。
暇を持て余してるから、どんどん声を掛けよう。愉快だ。

1.「昭和幻燈館」。怪しい雰囲気だけど、店番のおばさんは超明るい。



2.「青梅赤塚不二夫記念会館」。マジメ。もっと弾けて故先生のHPを活用したら?




3.「昭和レトロ商品博物館」。品揃えは発展途上。2階は雪女より階段が怖い。




なお、商品博物館には「隣のレトロ茶房」が併設されている。いい名前だ。
でも「カレーライス10食限り」じゃあな。
と、いつまでも食い物に拘るひもじいな森男でした。

以上3館は共通券700円▼がおトクです。
大勢で行った場合、2階の床が抜ける恐れあり。要注意!

 

この記事、下に続きます。


看板倒れ

2008-10-15 | 風に吹かれて

「昭和レトロの青梅宿」は、昔懐かしい映画看板が売り物である。
正午少し前にJR青梅駅に着いた。
駅構内にはあちこちに昭和レトロが演出してあり、期待は高まったが...........。

まず、気が利いた食堂や喫茶店がナイ。気が利かないのも殆どナイ。
憧れの青梅の昼飯が、駅前に戻ってきて、狭く、西日が暑いマックとはナサケナイ。
そして、綺麗な公衆便所がナイ。

道標がナイ。少なくとも見えナイ。
「ぶらり青梅宿ガイドブック」を商店街で無料配布、とHPには書いてあるが、商店街がナイ。少ない店には店員が見当たらナイ。これで旗日かよ?
駅隣の観光案内所にもナイ。

「キネマ通り」は入口のアーチで分ったが、通りには薄っぺらな家以外にな~んにも
ナイ。
映画看板はところどころにアル。あるけれど、要するにボロ隠しでしかナイ。

「おうめ●ごと博物館」、「まちがまるごと博物館」という惹句は本当じゃナイ。高層ビルや新建材のバラックばかりだ。
「まちのみんなが学芸員」だそうだが、人がいナイので確めようがナイし、別に質問するものも見つからナイ。


旧青梅街道沿いの「青梅宿」は多摩川に落ち込む河川段丘にある細長い町だ。
町の活気は、東方の平野部にある河辺や小作に奪われ、観光地は南西の奥多摩渓谷に集中。さびれちまった「廃市」である。

ところが、古い商家の面影はどこにもナイし、元豪商稲葉家もどうということはナイ。
金剛寺の「青梅の老木」は痛んでいるだけ。そんなに老木には見えナイ。
青梅宿は、風情も魅力も全然ナイ、薄キタナイだけの町だった。

夫々ガタピシしてはいるが、「昭和幻燈館」、「青梅赤塚不二夫会館」、「昭和レトロ商品博物館」の3館くらいしか、青梅宿に見どころはナイのだった。

映画看板昭和レトロの町は、看板倒れのD級観光地だった。
食い物の恨みは恐ろしいよ。

実は、青梅宿の魅力は殺風景な町なかよりも、河川段丘下の多摩川沿いにあった。
急な坂道で、行きは良いよい帰りは辛い、だったけれど。

 

写真は、青梅駅無理矢理レトロ仕立ての待合室板壁。
旧青梅街道なにやら屋と、駐車場の飾り鉄製電話小屋。大袈裟な街灯ですね。
多摩川に下る坂道。

レトロ3館の棚卸しは、あしたの心だぁ。


秋刀魚の歌

2008-10-14 | 歌の翼に

・・・秋刀魚苦いかしょっぱいか・・・

というところだけ覚えていた。
そもそもこの長い詩を、全部は読んではいなかったのだ。
確か、高校で教わったような気がするが........。
いや、そんなことはないだろう。

何故なら有名なこの詩、とんでもない状況下で作られたのだ。
つまり、佐藤春夫は奥さんに逃げられ、兄貴分の谷崎潤一郎の千代夫人に片思いをしていた。これはその時作った詩なのだ。

谷崎潤一郎は変わった性癖があった。自分の熱い身体で、女の冷たい身体を暖めてやるのが好みだった。
芸者上がりの千代夫人、その妹の映画女優の葉子、後に門弟3千人の文豪になった佐藤春夫、千代夫人の愛人......、等々がこんがらかってのどろどろ。

佐藤は千代夫人に同情し、やがて恋になり、千代夫人は別の小説家志望の青年と不倫し、谷崎は佐藤と絶交し......。
その後、千代を佐藤に進呈し、そのことを関係者3人連名の新聞広告を出し、世間を唖然騒然とさせたのだ。

以上は瀬戸内寂聴著「奇縁まんだら」の「佐藤春夫」に書いてあります。
本にはもっと詳しく、ややこしく、面白く書いてありますので、お読み下さいね。

そこで「秋刀魚の歌」のおさらいです。

        

        「秋刀魚の歌」

        あはれ
        秋風よ
        情あらば
        伝へてよ
        .......男ありて
        今日の夕餉にひとり
        さんまを食ひて
        思ひにふける と。

        さんま、さんま、
        そが上に青き蜜柑の酸を したたらせて
        さんま食ふはこの男のふる里の ならひなり。
        そのならひを あやしみ なつかしみて女は
        いくたびか青き蜜柑をもぎ来て 夕餉にむかひけむ。
        あはれ、人に捨てられんとする 人妻と
        妻にそむかれたる男と食卓に むかへば、
        愛うすき父を持ちし女の児は
        小さき箸をあやつりなやみつつ
        父ならぬ男に さんまの 腸をくれむと 言ふにあらずや。

        あはれ
        秋風よ
        汝こそは 見つらめ
        世のつねならむ団欒を。
        いかに
        秋風よ
        いとせめて
        証せよ かの一ときの団欒 ゆめに非ずと。

        あはれ
        秋風よ
        情あらば 伝へてよ、
        夫を失はざりし妻と
        父を失はざりし幼児とに伝へてよ
        .......男ありて
        今日の夕餉に ひとり
        さんまを食ひて
        涙をながす と。

        さんま、さんま
        さんま苦いか 塩っぱいか。
        そが上に熱き涙をしたたらせて
        さんまを食ふは いづこの里のならひぞや。
        あはれ
        げにそは 問はまほしくをかし。

嗚呼、文語はじれったいね。
テンやマルがどうも滅茶苦茶だし、1文字開けたり開けなかったり、だ。また、

        げにそは 問はまほしくをかし。

とはどういう意味だ?
どうも佐藤春夫の秋刀魚は生焼けだ。
まだ勉強が足りぬ。