春宵一刻値千金、というけれど、冬の宵はア・イタイ損金。閉店した方がトクな寂びれ商店街。
股引を穿けど寒さは這い上がる 人なき町の冬の夕暮れ
........... 森生
ブログネタ、品切れですぅ。明日は仕入れのため閉店致しまする あさっては風向き次第で。
101217
春宵一刻値千金、というけれど、冬の宵はア・イタイ損金。閉店した方がトクな寂びれ商店街。
股引を穿けど寒さは這い上がる 人なき町の冬の夕暮れ
........... 森生
ブログネタ、品切れですぅ。明日は仕入れのため閉店致しまする あさっては風向き次第で。
101217
今年も残すところあと僅かになった。
兎の足音が近付いてるのに、年賀葉書はまだ書いてない。
あ、そうそう、今年は寅だったんですってね。
鼠・牛・虎・兎......。確かに。
一年儲けた。今や貴重な一年であり、思い残すことはたくさんある。
年賀葉書は正月になってから頂いた人にだけ出す、という選択肢もある。
そうして世間がだんだん狭くなる、のだった。
「 時は過ぎてゆく」
101216
定年の3年前の中途退社後初めて、昔勤めていた会社の同期会に出席した。
同窓会や同期会は勝ち組のもの。互いに自慢し盛り上がるもの。噂ではそのとおりだったようである。
しかし会社をおん出てから(否、おん出されてから)幾星霜。会社も商売仇に吸収されてサマ変わり、とか。
ヤなこと、自分に都合の悪いことは時が消し去ってくれたし.........。
別会社に転籍し、それこそ何十年ぶりに会った同期生もいた。誰も彼もみんな萎びた。
腹黒だったヤツ、脂ぎってたアレ、眉目秀麗だったカレも。
誰もがしょぼしょぼと眼が小さくなり、毒気や覇気や頭髪は消え失せ、乾物屋の好々爺に。
仕事自慢の代わりに病歴自慢。
森生は一昨年の心筋梗塞後へたってるように思われていたふしがあり、去年参加するつもりだった。
それが去年は一週間間違えて無届欠席。いよいよダメかと思われたいたようだった。
今度の同期会を余生の区切りにするつもりだった。そういう仲間も何人かいて参加者はいつもより多かった由。
今度の幹事君は面倒見が良く、事前に電話で確認してくれた。
初めの終わりにするつもりで出席したが、およよ、来年の幹事を引き受けさせられてしまった。
今回幹事君が森生のへそ曲りを見抜いていて、
「多分断られるだろうけど、来年の幹事を引き受けてくれるかい」
「おうよ、やるともさ」
と。まんまと嵌められたわぃ。
まぁいいや。おかげで来年の今月今夜まで、石に齧り付いても生きねばならぬ。
同期入社は凡そ40人。自死、過労死、病死、精神破綻など8人。
会社は急拡大し、疾風怒涛、波乱万丈のひと時。いま思えば、いい時だった。
ジョン・レノンの命日だったそうで、あちこちのTVで話題になっていた。
ジョンといえば「イマジン」が世界平和を願う歌として愛唱されていて、それはそれで結構なこと。
しかし英語が分らない森生としては、どこか綺麗ごとのような気がしないでもない。
毎年8月なると紹介される茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」は日本語だからよく分る。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
私の心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な街をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせだった
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
いまニッポンの周辺が騒がしい。中華は覇道を驀進し軍備もりもり、韓朝はピリピリ。
やられっ放しではなく、牽制するために軍備増強や核武装さえも手練手管の一つとして言ってみたいものだ。
肝心かなめの政治は小沢絡みの内憂内患。理想も国もありゃしない。世界は狭く永田町だけ。
このままでは戦争を体験していない世代の世論が暴走しかねない。
こういう時こそ「わたしが一番きれいだったとき」を読み、戦争の惨禍を
「イマジン」しよう、 ね。
101213B
森生は竹下通りの浦島太郎である。
まだカッカしてた頃は時々定点観測()に赴いた街だ。あの頃はお互いに若かった。
世の中、不景気風がひゅうひゅうだけれど、飯能や日高に較べれば、ブティックの品揃えは贅沢。
でも娘さんたちに、あの頃の元気が無い。厚着し下向いて歩いてた。
伊達(イタチじゃないよ)の薄着、というじゃないか。
奇抜に威勢よく、街をカッポして頂戴ね。例えばこんなファッションで▼
ハ・ハ・ハ・ハクション、だけどね。
101213
お懐かしや、紅白歌合戦の常連だった佐良直美嬢の声がラジオから聞こえてきた。
サッパリしたお人柄で都会的な洒落た歌を得意とし、男声なみ。森進一君より声が低く一緒に歌い易かった。
ゴールデンコンビだった永六輔作詩いずみたく作曲「私の好きなもの」
はボサノバのリズムに乗り、ご機嫌な歌。若いワタシの好きなウタだった。
ところが好事魔多し。タレントのキャシー・なにがしさんにレズ相手である事を暴露されて、芸能界からおさらば。那須塩原に27年間も隠遁していた由。
あたら働き盛りに狐狸を友とし、前期高嶺者になってからの鮮やかなご復活は目出度し目出度し。
嗚呼つらつら考察すれば、わがマスコミは男女平等を謳う憲法の精神にもとり、男女雇用均等法を遵守しておらぬ。
例えば男性陣では、坂東玉三郎氏、梅沢富美男氏、博多名物ばってん荒川氏は別にして、
魔法使い三輪明宏さま
蓮っ葉カルーセル・麻紀おば(このお方はもしかすると赤組かも)
ご尤もおすぎとぴーこ兄弟
明朗快活ピーターくん
なるほど殊勝なIKKOさん
あでやか仮屋崎省吾さん
最近では超弩級マツコ・デラックスくん
などなど多士済々を受け入れておる。白組の社会進出がお盛んなこと、眩しきかぎりだ。
一方女性陣からは、瀬戸内寂聴さんが「奇縁まんだら」で物故作家の吉屋信子を紹介したくらい。白組に較べ社会進出が大幅に遅滞している。
赤組、頑張って欲しい。他に生存者、誰かいませんか? 森生は知らないよ。
とはいえ、日和ミスト森生は今日に限りウルトラ・コンサバです。
マスコミやは矢鱈に女性の社会進出を促し、専業主婦を貶める報道をする。これ、イカンです。
また、イ菅首相は配偶者控除を廃止し専業主婦を温かい家庭から社会の荒海へ叩き出そうとしている。こんなことで、ニッポンは大丈夫だろうか。不肖森生は怒り、かつ憂いておりまする。すなわち.......。
経済的に余裕がある主婦が家にいれば就職氷河期は緩和されるだろう。託児所には空きが出るだろうし、ネグレクトも減るだろう。福祉予算は大幅に仕分けられるぞ、カン。
あっ勿論、外出はいいんですよ。どんどんエルメスを買いミシュラン食いましょ。
だが、佐良直美嬢のように余人を以って代え難い女性はもっと社会進出をしなければならない、と確信する。
聞けば歌手稼業再開とか。大御所和田アキ子嬢を凌ぎ「あの鐘をならすのはあなた」かも。
この際、夫君を亡くし隠棲しているちあきなおみ嬢も是非戻ってきてね。「黄昏のビギン」には早過ぎます。
要するに言いたいことは、マスコミや政府が他人の人生にあれこれ指図をする必要はない、ということ。
「いいじゃないの幸せならば」ねぇ。
岩谷時子作詩いずみたく作曲のこの歌、西田佐知子嬢の「コーヒールンバ」にソックリですね。
もちろん佐良直美嬢に責任はありませんよ。
記事の内容がブレて首尾一貫してませんです。申し訳ありません
恐縮です。肝っ玉母さんからのコメントで、マチガイを指摘されました。
相良直美嬢のお相手を、現手芸家のキャシー・中島さん、と書きましたが、別人の由。
文献(大袈裟だね)に当りましたが、マチガイなく森生のマチガイのようです。
恐縮し訂正しました。責任?.....隠遁なんかしませんよ。
101212
先週の土曜日はネタ切れで、つい、泣き言を書き、日曜日は閉店した。
今週は何かと慌しく森生センセイも昨夜は、河豚料理の会などに走り回っておりました。
そうすると、河豚はともかくブログネタ、いくらでもあるんですね。書ききれないくらいだ。
誰かネタ切れの方、いませんかぁ? ご相談にのりますよ。
また、とにかくガシャガシャ撮るから整理が追いつかない。
何十枚の中には偶然撮れたいい構図の写真もあり、パソコンで色とピンボケを誤魔化てると、目が回る。
このままパソコンの中に仕舞い、またいずれ、と思っていても明日はないかも、な。
で、「土日祭日は閉店」、と書きましたが開店しました。
ところでグーブログ。文字の大きさをコントロールできない。「ベターバージョン」編集を試用した結果です。
内容より見た目を大切にする森生としては大迷惑だ。これは何度書いても書き足りぬ。
五十を過ぎてから、悪いことは全て相手のセイにし、決して反省しないこいとにしている。これ、ストレス回避策として一番有効です。だから、グーブログ事務局が全てワ・ル・イ、のだっ。
そういう訳で前言を翻し(これも健康対策として有効)、今日は先に2本の記事を投稿しました。
明日も閉店せず開店します。記事には閲覧数激増策を忍ばせておりまするぞ。乞うご期待。
なお、河豚刺しと河豚雑炊の写真はイメージです(某有名専門店通販写真から)。
折角、昼飯抜きで参加したのに、舌先、シビレなかったので。
薀恥庵主先生が海老蔵さまについて、抱腹絶倒、勉強になる記事を発表しておられる。
森生の「ぼこぼこ海老さま」や「お侘び申し上げます」より、こちらをご覧下さいね。
101211C
巾着田に新設した沈下橋を渡り高麗峠へ向かう。
涸れ沢のように荒れていた急な坂道は修理されて、歩き易くなっていた。
畑だった空の広い場所は、格好の休憩場所に。しかし誰もいない。
小一時間で国道299に出る。ここには森生御用達のちょっとしたショッピングセンターがある。
西武電車の操車場を過ぎ、また坂道を上る。急坂を上がりきり、林を出ればわが山上限界団地だ。
あれれ、猪のシャレコウベがこんな場所に移動していた。
101211B
ものごとにはすべからく順番があり、お歳暮を幾つか頂いた後に正月が来る。これが決まりだった。
ところが来ませんね、お歳暮。ちっとも、だ。
人情、紙の如し。
...........
やや、トラックが止まったぞ、とハンコを出して待ち構えた。
...... ふんっ、またお隣さんだわぃ。
早く来い来いお歳暮よ。
...........
101211A
日高市が買収した旧新井邸。二日間に限り、市民に公開された。
屋敷は巾着田の北にあり、巨大な木造建築と白壁の土塀と自然石の石垣が見事な景観を造りだしている。
公開は母屋一階と客殿の一二階、それに建築群の外周と裏山だけ。
母屋二階の蚕室や台所など北側部分や納屋と二つの土蔵は非公開だった。
建物内部は外見よりも巨大で圧倒される。しかし梁はともかく柱は意外に華奢で、内装は農家風に簡素。
什器備品は廃棄しがらんどうのため豪家の暮らしぶりはよく分らない。
屋敷の真正面の巾着田と、その奥に横たわる丘陵の晩秋が一際見事だ。近年拵えたガラクタに目を瞑れば、だが。
この見事な景観を遮るために、市は三つ葉躑躅の大株を石垣前に大量に移植した。残念なことだ。
下の記事に続きます▼
101210A
旧新井邸の利用計画は、外部の者を交えず市役所内だけでまだ「検討中」だそうだ。
市は他市の先行例を学んだのだろうか。また水面下で税金齧り虫が介入していないのか。毎度の気掛かりである。
何故なら既に、市会議員が連名で「日高市の観光施設の中心に」と主張する意見チラシを各戸に配布した。
また、目の前の巾着田の自然と景観遺産を壊し続ける商工会・観光協会・巾着田事務所が黙っているはずがない。
公開初日には200人余りの一般市民が来たそうだ。まだ少なく追加の公開を希望する。
市民の財産になった邸に関心を持ち、有意義に利用するように注文を付けるべきだろう。
普段は静まりかえっている新井邸。見学の市民を迎え入れて華やいでいた。家屋は使われてこそ生きてくる。
しかし防災害獣対策は急いでも、税金を無駄に使い、さもしい「改装開店」にならぬように慎重に「検討」して欲しい。
下の記事に続きます▼
101210B
旧新井邸の裏山は鬱蒼とした樹林帯である。
竹林の坂道を上りつめると、木の間から裾を広げた日和田山を、隣接する九万八千神社からは巾着田を見渡せる。
市はここを公園にするらしいが、ぶらんこや花壇などは設置せず、藪を刈り払うだけの公園でいいのではないか。
わざわざ税金を投入しなくても、充分魅力のある広く平坦な場所だった。
首都圏の各市に誇れる高麗の里の自然環境と風景遺産。
これらを守り次世代に引き継ぐには、今こそ「エコミュージアム」活動が必要なのではないか。
エコミュージアムについては、いずれ記事にします。
101210C
旧新井邸を拝見したあと、暫く振りに、長閑な晩秋の巾着田を歩いた。
彼岸花(ここでは曼珠沙華という)は今、来秋に備え養生中。自然に増えたのではないことが分りますね。
自慢のビオトープです。巾着田と周りの高麗川がビオトープと思ってたら、ビオトープはここだけに集約するらしい。
幟旗と商魂が消え去り、少しばかりだが、ありのままの田舎の風景に戻った。
彼岸花騒ぎの頃は、売店が立ち並び駐車場になってた原っぱ。今は、じじばばの宴会場に。いいなぁ。
一旦撤去した「ドレミファ橋」を詐称する、新しい沈下橋ができた。県も出先は税金じゃぶじゃぶだわ。
この後、豪華な沈下橋を渡り、高麗峠を越え、もう一つ山を越え、家に帰った。2時間弱かかった。
101209B