林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

音のシャワー

2011-09-19 | 歌の翼に

ミューズホールは、西武園競輪から撤退した所沢市には、荷が重い本格的な音楽専用ホールである。
川越市郊外にある東京国際大学吹奏楽団。本格的な演奏家集団であることを昨年知った

炎天下の日曜日の午後。後ろの方はかなり席が埋まっているのに、前半分はガラガラである。
森生は遠慮なく前から10列目、真ん中に腰掛けた。両側は誰もいない。
この席なら音のシャワーが浴びられるし、開演直前に来るかもしれないシャモじぃが見つけ易い。

♪ モーツァルト作曲歌劇「劇場支配人」序曲
どこかで聴いたような曲だが、初めて聴いたような曲でもある。つまりモーツァルトらしい曲なのだろう。
もう少し早めに演奏したほうが好みだが、当然、指揮者・寺島康朗の解釈のほうが正しいだ。

♪ シューベルト作曲「未完成交響曲」
良かった! でもね、これは若い頃何度も聴いているから、森生はウルサイよ。
クラリネットかフルートが3箇所で怪音を発し、見事に歌い上げたオーボエ君が緊張のあまり一箇所上ずった。
力演に対してどうも申し訳ないが、そんな気がした。

ここでは管弦楽団による「第一楽章」をどうぞ。

休憩時間に前から3列目に移動。
目の前に立つ指揮者は、仕立てのいい夏の燕尾服を着ている。
ゴキブリみたい、と言う子どもには、座布団3枚ですな。

♪ ブラームス作曲「交響曲第4番」
この曲の出だしが大好きだ。モーツァルトの40番のように。
但しブラームスはあまり馴染みがなく、まとめて聴いたのは今回が初めてのような気がする。
実は途中でいい気分になり、ウトウトしたみたい。つまり、名演奏だった、ってことです。

カルロス・クライバー指揮のやはり管弦楽版ですが。

ここで本日の演奏は「ひととおり」です。
だが、例の如く指揮者は出たり入ったり、握手をしたり、花束を貰って預けたりで忙しい。
おまけは2曲だった。

♪ (知らない曲)
でも素晴らしい。希望に満ちた朝の感じがした。
伸び伸びと明朗な演奏が大変よろしい。

♪ モンティ作曲「チャルダッシュ」(だったはずだ)
普通バイオリンの忍び泣きから始まるこの曲を、途中の疾走部分から大音量で開始。度肝を抜かれた。
ともすると媚びて嫌らしくなるところを、吹奏楽団はメリハリを効かせ、難曲を颯爽と走り抜け、圧巻だった。万歳!

ケレン味たっぷりの「チャルダッシュ」をどうぞ。この人たち、ロマ人だろうか。

素晴らしい音のシャワーは、巨大ホールの冷房と相乗し、汗で濡れた下着をカラリと乾かした。
そうして、がさついた心をしっとりと癒してくれた。
結局、じぃは来なくても。

帰宅したら留守電あり。早速シャモじぃに電話。
じぃ、飯能駅で森生を1時間近く待ち、開演直前に到着。後ろの席の、その他大勢で聴いてたそうだ。
優しいね。普段のじぃの行動から、先に行ったか、あっさりとすっぽかしたのかと思ってた。

ごめんごめん。ケータイ使えるようにするからね。

前方の森生に気付かなかったのは、森生がいつもとはガラリと変わったシャツでシックに決めてたため。
また、品の良い後ろ姿で、紳士然として座っていたからだろう。
どうだっ。

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出歩くじじい

2011-09-18 | 風に吹かれて

乗り換えて駆け込んだ車両に、シャモじぃはいなかった。
天井が抜けた青空から殺人光線が降り注ぐギンギラギンな日。こんな目くるめく日にじじいは出歩くまい。

だがシャモ氏は不死身。熱いのは平気。多分約束を忘れたんだろうね。森生がよくやるように。
航空公園駅改札口は外光が入りこみ炎熱地獄だ。電車を3本待ってもシャモじぃは来なかった。

こういう時のために、やはりケータイは持ち歩くべきだろうか。説明書をキチンと読むべきだろうか。
頭にタオルを乗せ、木蔭を伝い歩きして、目的地「所沢ミューズホール」へ一人で向かった。



ホールでは、東京国際大学吹奏楽団第5回発表会が行われるのだった。

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ゆく年くる年

2011-09-18 | 色めがね

  なに急がなくてもいいよ。

日本橋高島屋へ行ったとき、必ず立ち寄る売場は民芸品売場である。
犬塚勉展の後、また覗いてみた。

おお、氏原忠夫原画の暦があるではないか! しかももう来年のものだ。
まだ早い。それに来年のことは分からないけれど、迷わず買った。
昔はシルクスクリーンプリントの壁掛暦にしてたが、ここ何年かは普通印刷・卓上型・630円で我慢している。

そしてショーケースの上に今年の暦が飾ってあることに気付いた。
去年の暮は高島屋に行けず、買い逃した暦である。
あと残す月は4ヶ月しかないが、買うことにした。

年嵩の店員さんが、氏原が描いた暦用封筒を探してくれたが、どうしても見つからない。
恐縮して「封筒なしでも構いませんよ」と言ったところ、嬉しいじゃありませんか、

   「それじゃ、もう8ヶ月も過ぎた展示商品ですし、封筒も見つかりません」
   「お好きのようなので差し上げますわ」

流石、日本橋の老舗百貨店だ。駅にあるただデカイだけの鉄道系百貨店には真似のできない接客である。
来年も元気なら、売上貢献にはならないでしょうが、ちまちまと買物をさせて頂きますね。

 涼しい10月来ておくれ。

さて、氏原忠夫は没後相当年数が経ったはず。
いくら多作でも、もうそろそろ未発表の作品は底をついたのではないか。
多分スヌーピーのように公認代作者がいるに違いない。

その証拠に、来年の図案は、今年に較べいささか精彩がない。
近年の暦は、原作者の意図が理解できなくなった若い人の、代作ではないだろうか......。
などと店員さんに申し上げたら苦笑いをされた。

折角のご好意に余計な一言、反省してます。
いつもこれで失敗しておりますが、つい.......。

日本を代表する偉大なグラフィックデザイナー「氏原忠夫」は、ウィキに載ってません。
確か、味の素かキッコーマンの広告の挿絵を永らく担当していました。
ネタ切れの時、氏原作品から記事を捻り出す森生は、憤慨です。

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犬塚勉に再会

2011-09-17 | 色めがね

                                                                                                      

猛暑を押して、日本橋高島屋で開催中(9月26日まで)の「犬塚勉展」へ行った。
無理をして行って良かった。

奥多摩町の小さな美術館で観たときはさほど感じなかったが、犬塚は優れた色彩画家だ。
また、素人目にはゴーギャン・シャガール・セガンチーニ・ワイエスなどに学んだところが多いようだ。(解説にはそんなことは書いてなく、これは不詳・森生の怪説です)

仏教画はごたごたして好きではない。
初期の、少し抽象的な、またグラフィックデザインのような作品はなかなかいい。

晩年(といっても谷川岳での遭難死は38歳だ)の巨木や渓谷の巨岩は、存命ならどう変わっていただろうか。
もしかすると精神性に於いて、先の4巨匠を超える「世界のイヌツカ」になっていたかもしれない。

 坂のある丘の路

といっても森生が好きな絵は、初期に奥多摩を叙情的幻想的に描いた風景画群と、どうと言うこともない庭先を超人的に精緻な筆使いで描いた作品群である。

 梅雨の晴れ間

切り株と巨木や巨岩は近寄り難い迫力があり、居間に飾り寛ぐような甘い絵ではない。

     展覧会場の構成と説明は分かり易くてよかった。入場者数もほどほどで、作品を楽しめた。
     ただ、絵の脇にある説明プレートの文字が小さ過ぎる。
     またプレートが透明のため文字の影が壁に映り、文字の輪郭が重なり、読みにくかった。

      深く暗き渓谷の入口・山の暮らし

     他の展覧会では絵葉書を何枚か買うのが習慣だが、犬塚勉展では画集を買ってしまった。
     モノを減らそうとしているのに、こんな散財は近頃滅多にないことである。

入場券の作品は「ひぐらしの鳴く」(部分)です。

高島屋では、日本民芸品売場で嬉しいことがあった。
それは別の記事で。
日本橋丸善で見つけたタカラモノも

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上から目線

2011-09-16 | うわごと

高いところから下界を見下ろす。

カシコクなりエラクなったような気がして嬉しい。
まるで千の風、いや神さまご先祖さまになった気分である。

この子らに幸あれ。

なぁんちゃって

煙となんとかは高い所に上りたがると申しますが、子どもたちを見ると何故か目が潤みます。

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さようなら

2011-09-16 | 拍手

   「さようなら」          谷川俊太郎

   私の肝臓さんよ さようならだ

   腎臓さん膵臓さんともお別れだ

   私はこれから死ぬところだが

   かたわらに誰もいないから

   君らに挨拶する


   長きにわたって私のために働いてくれたが

   これでもう君らは自由だ

   どこへなりと立ち去るがいい

   君らと別れて私もすっかり身軽になる

   魂だけのすっぴんだ


   心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな

   脳髄さんよ よしないことを考えさせた

   目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた

   みんなみんな悪く思うな

   君らあっての私だったのだから


   とは言うものの君ら抜きの未来は明るい

   もう私は私に未練がないから

   迷わず私を忘れて

   泥に溶けよう空に消えよう

   言葉なきものたちの仲間になろう

いいなぁ..............。
愉快でありながら、胸をグサリと刺す詩ですね。
天野祐吉編「隠居大学」(朝日新聞)から転記しました。

ちんちんさんにはどういう苦労をかけたんですか?、と玄侑宗久(若)老師に質問され、絶句したそうだ。
その他、この詩にまつわる深い講話はこの本▼をお読み下さい。
ご同輩にはムダになりませんよ。

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上を向いて

2011-09-15 | 林住期

暑い。暑過ぎる。
「外は猛烈な紫外線が降り注ぐ死の町だ」、と言っても怒られないよね?

こうクソ暑くっちゃ、昼間っから寝てるしかないじゃないか。
歩こう、なんて冗談じゃないよ。

ふぅ。

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隠居大学

2011-09-14 | 林住期

天野祐吉さんが隠居をススメてるそうだ。
隠居大学を創り学長に就任。6人の講師を招き「ラジオ深夜便」で講演会を開催した。

それで、つん読していた天野祐吉編「隠居大学よく遊びよく遊べ」という本を思い出した。
折角買っておいたのだ。面白そうなので読んでみた。

内容は6人の「ご隠居」講師との対談集で、詳しくは朝日新聞の記事のとおりです。
(この記事、朝日新聞の本の宣伝だったんですね)

それはともかく。

いちばん面白かったのは横尾忠則さんだった。外山さんを除き他の四人のご隠居は天野さんに話を合わせているが、横尾さんは違う。
隠居をススメて歩くなんて隠居がやることじゃない、と天野さんを嗜めている。
今までこの人はあまり好きではなかったけれど、その徹底したヘソ曲がりが好きになった。

今まで知らない人だった俳人の坪内稔展さんも愉快なご隠居である。
なにしろ代表作が、

            ・・ 三月の甘納豆のうふふふふ ・・

だそうで、この甘納豆の句が評判になり、甘納豆十二連作を作った。その内の12月です。

            ・・ 十二月どうするどうする甘納豆 ・・

ご本人は気に入ってるが、全然話題にならなかった由。これ、森生は名句として推薦します。
稔展ご隠居に、俳人らしい気取りは全く無く、俳句上達法をザックリ教えてくれる。
知りたい人は「隠居大学」を買って読んで下さい。

外山滋比古ご隠居は難しいことばっかり言う。ニッポン人より欧米人のほうがエライ、と考えているようだ。
天野学長は茶化せばいいのに、ここでは講師に迎合して難しい言葉でマジメに応ずる。
嫌いだね。

「宇宙人だ」と天野さんが紹介する谷川俊太郎さん。なかなか捌けていて面白いご隠居だった。
そういえば大昔高原音楽堂で会ったとき、誰にでも如才ないので驚いたことを思い出した。
この本の中では自作の詩を朗読したりして、ステキなご隠居さんである。

辞世の詩「さようなら」は黒いユーモアが素晴らしい。
現在は過去の詩の売上収入があり、「妻からも開放されて」つまり離婚して、悠々自適の生活らしい。
だったら「林住記」の次の記事「さようなら」に印税無しで転記させて頂きますね。

赤瀬川原平さんは目の付け所が並みの人ではなく、ズーッと前から尊敬してます。
原平さんは2~30年前から、とっくに「ご隠居」の風格を漂わせている隠居の達人です。
「優柔不断術」という本は知らなかったので、取り寄せよう。「明解さんの謎」は抱腹絶倒ですよ。

安野光雅さんの水彩画と文章も若い頃から好きだった。
最近出版した口語約「即興詩人」は分厚い本で、とても付き合えないな、と思っていたが、立ち読みしてみよう。

それにしても、天野学長以下各講師たち、隠居隠居と自称しているが現在でもあちこちに出没し、ガバガバ稼ぎ、到底「ご隠居」には見えず、妬ましい限りだ。
本当の現役隠居ははばかりながら、この森生デアル、と思うんですがだあれも相手にしてくれないよ。

ふんっ。

                      なお、「天野さんが唱える達人の教え」は以下のとおりです。

                      @猫の自由に学ぼう

                      @いい加減にしなさい

                      @うふふ力を磨こう

                            詳しいことは9月4日朝日新聞朝刊の30頁を読んでね。


隠居大学講師連の写真は本の腰巻から。

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夜もすがら

2011-09-13 | 林住期

それでも、中秋の名月だった。

昼間の厳しい残暑は物凄く、夜が更けても空気は火照り、寝室の窓は開け放し、布団に横たわる。
歯茎はまだ疼き、天空には煌々と輝く月があった。

・・ 名月や痛みこらえて夜もすがら ・・
                                 森生

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初音ミク

2011-09-12 | 歌の翼に

きゃりーぱみゅぱみゅに続いて、「初音ミク」です▲
以前から気になっていたこの「歌手」のことが、朝日新聞土曜版(9月10日)に載っていた。

なるほど、そういうことだったのか!

と言うのは負け惜しみ、見栄っ張り。
新聞の記事も、ウィキも実はよく分かりません。

百読より一見を、と世界的なヒット曲とされる歌を見て聴いてみた。

ワールド・イズ・マイン

いろんな人がいろんな振り付けをした動画があり、振り付けと絵は合格です。
だけど、こういうシャカシャカとセワシナイ歌って好きじやない。旋律は不自然に上下し美しくない。リズムは単純で、音に弱はなく強ばかり。コンピュータ技術には脱帽だが、幼稚で頭痛がする音楽だ。
   

昔、素人が作曲した歌を競う国営放送の人気番組があった。
高木東六先生が、それぞれを愛情込めて批評していたけれど、先生が生きてたらどれもペケだろう。

    で、「高木東六」をウィキで調べると、その番組は「あなたのメロディ」であることが分かった。
    この番組から生まれて、流行った曲は、

空よ」 「与作

    ほかであることも。
    うん、これならいい。

     110912


イタタタタ・・・・

2011-09-11 | 林住期

医者に行けば、治らないまでも、とりあえず痛さは抑えてくれる。
ところが歯医者は違うんですね。治療前より症状が悪化することが多い。
これは今まで係ったどの歯医者も同じだった。 

本格的な夏風邪が回復してきたので、夏前から調子が悪かった犬歯の神経を抜いてもらった。
出血がなかなか止まらなかったのは心臓の薬の所為で、これはやむを得ない。
だが、この痛さはどうよ。目、耳から喉、そして頭まで痛みの大波が押し寄せる。

5日過ぎてもまだ痛い。市販の鎮痛剤も直ぐ効かなくなる。
口腔内左半分が壊滅的な状態で、何もかもが億劫になり、飲食するのが恐ろしい
水が神経に触らないように、頭を傾けてうがいをする。

予約は無いが歯医者へ行った。
歯茎が落ちてる(=退化)ので、痛みを完全に抑えるには、全部の歯の神経を抜かなきゃいけない、んだと。
ったく、冗談じゃないよ、愛情も同情も無いじゃないか

森生は痛みにはからきし意気地が無く、拷問されたら知らないことだって白状する。
.........というわけで、今日も家で悶々としております。

鎮痛剤が効いてる間に、この記事書きました

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歯痛山

2011-09-10 | 林住期


歯が痛い。シンシンと痛む。
痛さを紛らすために、多峰主山に登った。
知り合いは一人も来ていなかった。


急坂を下りる。
ズシンズシンと顎に響き、痛みは一層酷くなってきた。


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PONPONPON

2011-09-09 | 歌の翼に

「林住記」を覗いて下さる方々は「きゃりーぱみゅぱみゅ」というヘンテコリンな歌手を知らないだろうね。
きゃりーが苗字でぱみゅぱみゅが名前の18歳にもなる原宿産少女です。

「きゃりーぴゃむぱみゅのウェイウェイレディオ」(TBSラジオ月曜夜8時35分)でキテレツな造語が人気とか。
ブログでは「変顔」写真が話題になっているらしい。

代表曲は「PONPONPON」。

フィンランドで1位を獲得した、って本当かな?

ニッポンのレディ・ガガに化けるかどうか。
これでも歌なんですね。

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お手洗い

2011-09-09 | あらら!

親切である。「トイレ」にしないところが奥ゆかしい。

だが、親切ではあるがからかわれてるみたいだ、と僻む。
ま、そのとおり。お叱呼は近いけど。

郊外の大型店じゃなく、飯能銀座で買物しようね。

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