CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

HEEPだよ。裏声コーラスが心地よい、HEEPだよ。

2015年02月05日 | URIAH HEEP
その昔、深夜に勉強をしながらFM放送をなんとなく聴いていると、ある曲が耳の中に残ったのです。静かでゆったりとした演奏が、急にピッチを上げて暴れまくり、その後また静寂の中の演奏に変わり、最後にもう一度激しい演奏に切り替わりエンディングとなるクラッシックの交響曲にあるような展開でした。もう一度しっかりと聴いてみたいと思ったのですが、曲名とバンド名を聞き逃してしまいました。

手掛かりとしては、長尺物の曲を演奏するプログレ系のバンド? しかし、当時はインターネットがないため自身で検索することは不可能で、またヒット曲でない限り再びラジオでオン・エヤーされることはない不便な時代でした。

そこで不意に浮かんだのがユーライア・ヒープでした。以前にラジオで聴いたのですが、彼らのアルバムで”対自核”という訳のわからない邦題のタイトルがつけられたアルバムに“7月の朝”という曲があり、その曲に雰囲気がなんとなく似ていたのを思い出しました。

そこで、彼らのアルバム何か一つを購入してみることにしました。それが今回紹介する“悪魔と魔法使い”というアルバムです。当時の彼らのサウンドはケン・ヘンズレーのキーボードがアクセントとなっており、それに裏声を多用したボーカルとコーラスが被さったハード・プログレ系のロックでした。非日常的な世界を示したタイトルがついた楽曲が多いというイメージでした。

このアルバムの1曲目の“魔法使い”はアコースティック・ギターのスローテンポな伴奏から始まり徐々にボーカルや他の楽器の音が被さりながら厚みを増していくっていくフォーク・ロックのようなサウンドで、2曲目からギアが上がりロックのサウンドに変わり、そして3曲目のおなじみの曲“安息の日々”に繋が李最初のピークを迎えます。長短交えた楽曲がアルバム全体を通してヒープ・ワールドを展開していきます。

残念ながらこの手の音楽は、日本では爆発的ヒットすることは稀で、初盤のみのプレスが売り切れると廃盤となります。 今回は、発売から購入まで少し時間が立っていたので、国内盤はすでに近所のショップから姿を消しており、輸入盤専門のショップまで遠征し購入となりました。

ちなみに、このアルバムは日本でも人気アルバムだったので、下記のごとく英国BRONZE RECORDが日本での販売契約を新たなレコード会社と更新するごとに何度も再プレスされていたみたいです。
1972年 日本コロンビアより初盤発売
1975年 ワーナーパイオニアより再発
1978年 東芝EMIより再発
1982年 日本ビクターより再発
その後はCDのフォーマットで再発

タイトルが不明だった曲は、その後イエスなど他のバンドの楽曲もいろいろ聴いてみたのですが、結局判らず仕舞いとなってしまいました。

写真は、1972年販売の米盤(マーキュリー・レコード)と広告の入ったレコード・スリーブです。
ヒープの第1作や対自核(LOOK AT YOUR SELF米盤)そして懐かしのバディ・マイルスのアルバムの広告が掲載されています。

CCR、ジョンフォガティーとそのなかまたち

2015年02月05日 | CCR and John Fogerty

今回は、CCRことクリーデンス・クリアーウォーター・リバイバルの3作目にあたるGREEN RIVERです。

69年の発売ですが、当時我が家は電蓄と歌謡曲シングルの時代であったので、CCRの存在すら知りませんでした。その後、ベスト盤のCREEDENCE GOLDというアルバムが出て初めてその存在を認識した時には、バンドはすでに解散していました。

GREEN RIVERは彼らにとってターニング・ポイントのアルバムだったと思います。前2作比べると、歌詞の内容は別として, カントリー・タッチの曲などが加わり全体的に軽く明るい感じのサウンドに変化したと思います。 その結果、彼らのシングルカットがその後次々とトップ・チャートに送られるようになります。

CASHBOX TOP 100

CCRについて特筆すべき点と言いますと、彼らの活動時期が68年から71年とたった4年間の短いにもかかわらず、45年経った今でも、過去のLPやCDが何度も再発される記憶に残るバンドと言えるのではないでしょうか。シンプル且つ親しみのあるメロディーを用いた曲作りはいつの時代でも受け入れられるのでしょう。

写真は、再発米盤FANTASY 8393です。 ところで、このジャケットのグループ写真ですが、ジョン・フォガティーとその他という感じで写っていますが、当時この写真をジャケット表に採用することに関して、他のメンバーは誰も文句言わなかったのでしょうかね?


BBAて何?

2015年02月05日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

近所の行きつけのレコード・ショップの店主が “今月いいのが入ったよ。試聴してみる?” と強く薦められたのが、このレコードBECK,BOGAERT & APPICE LIVE。 72年のディープ・パープルのLIVE IN JAPANは当初日本限定での発売だったのが、本人たちが気にいり、MADE IN JAPANと衣替えをして欧米で発売され大成功を収めました。それが引き金になったかどうかは別として、70年代は大物の日本公演のライブ盤が続々と制作された時代でした。 主なところでは、シカゴの72年6月公演を録音したLIVE IN JAPANを皮切りに, 73年の当アルバム、そして74年にはサンタナの LOTUS3枚組が続き, 翌年の75年、なんとあのマイルス・デイビスが超大作のPANGEAとAGHARTAの各2枚組を、さらには、ボブ・ディランが78年にAT BUDOKANを発表しました。 このアルバムもディープ・パープルのLIVE IN JAPANと同じで、ライブ感溢れる内容で個人的に非常に満足できる仕上がりになりました。弱点であるボーカルに関しても、ジェフ・ベックを含めて各自それなりに健闘していて、肯定的に受け止めることが出来るのではないでしょうか。もちろん当時専任のボーカリストがいればアルバムの出来がさらに良くなったかもしれません。 ジェフ・ベック本人はその辺りのことをよく自覚していたのか、その後はインスト中心のアルバムの制作に専念し、ボーカルが必要な楽曲には適切なボーカリストをゲストとして呼ぶ形を採るようになりました。 短命に終わったことから世間一般、特に若年層に置いてその存在があまり認知されていないかもしれませんが、もしこのアルバムを一度でも聴いてもらい、このスーパー・トリオの演奏の実力が分かれば、BBAを今風にババアと読む人は必然的にいなくなるのでは? 写真は、1973年の国内初盤です。