CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

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ヒットしなくてもいいよ~ ボニー姐さん

2015年04月09日 | AMERICAN ROCK/POPS

ボニーといってもデラニー・アンド・ボニーのボニー・ブラムレットではなく、IT’S A HEARTACHEのボニー・タイラーでもない。

1971年にアルバム・デビューした、ボニー・レイット姐さんの事である。ブルージーな曲にスライドギターを咬ませる凄腕女ギタリストで、スタジオ・アルバムを出す度に専門誌の評論家達から好意的な評価を受けるも、一般受けするポップな曲ではないため、どうしても大ヒットは望めない。

当時はリンダ・ロンシュタットが、カントリー・フォークのサウンドから、ウエスト・コーストのポップなロック・サウンドに切り替え、大ブレークした。しかし、さすがはボニー姐さん、作為的なコマーシャリズムには追従せず自身のスタイルを貫いていくのであった。ところが、1977年発売の6枚目のアルバム、SWEET FORGIVENESSで、デル・シャノンの“悲しき街角”を、いつも通りブルージーなアレンジでカバーしたところ、これが当たって、アルバムが全米25位となり注目を集めた。

将来を有望視されるミュージシャンは、当然他のレコード会社も見逃さず、争奪戦となる。ワーナー専属だったジェームス・テイラーがコロンビアに移籍し1978年アルバムJTを出し大ヒットとなった例があり、また反対に、ポール・サイモンがコロンビアからワーナーに移籍をしている。

ボニー姐さんは当時ワーナーに在籍していたのだが、コロンビアから引き抜きの話があり、新たな金銭面の条件提示以外に“特にヒットするレコードを作らなくても良い”という契約条項も提案されたとか。最終的にワーナーが同じ条件を飲み込んだため、移籍の話は消滅した。その後、ワーナーとの契約が切れる1986年までに好スタジオ・アルバムを3枚出したが、思ったほどのヒットには至らなかった。

皮肉なことに、ワーナーとの契約が切れた後、1989年キャピトルに移籍して出した最初のアルバム(通算10枚目) NICK OF TIMEが全米一位でグラミー賞も獲得となり大ブレークに至るのである。新しいプロデューサーの意向により少しアレンジがポップになったような気がするが、過去のアルバムとは内容がそれほど違わないような気がする。ヒットするかしないは、彼女のような実力者の場合、紙一重の差に過ぎないのだろう。

もちろんレコード会社としては、ヒットしなくてもいいと言うのは方便で、制作にお金をかけている以上、大ヒットする方が良いに決まっている。ワーナー涙目。

それでは、ボニー姐さんの歌うブルージーなランナウェイを聴いて下さい。

Bonnie Raitt Runaway Del Shannon Cover