いつも当ブログご覧いただきありがとうございます。
修行の旅ということで、シンガポールに行ってまいりました。(本当は、仕事の関係で行ったわけですが。)
そこで、今回はシンガポールのCD事情について書いてみます。
シンガポールに行かれたことのある方はよくご存知と思いますが、オーチャード・ロードという3キロ弱の長さの、5車線一方通行の大通りがあります。両脇にはショッピング・モール、百貨店、ホテルが延々と連なり、また大統領官邸の入り口もこの大通りに面しているという、シンガポールのアイコンの一つとなっている通りです。
この通りの界隈に、1990年代にタワー・レコードとHMVのメガストアが進出、そして有力地元資本の小規模なCDショップも数多く点在していたのですが、今回オーチャード・ロードを訪問してみると、CDショップが全く見当たりませんでした。なんでもタワー・レコードは2006年アメリカの親会社の廃業で閉店、HMVも2013年のイギリス本国の経営難により、シンガポールでの経営権は香港資本に買い取られ、現在は別のエリアに1店舗残すのみ、また地元資本のCDショップもここ数年でほとんどが廃業してしまいました。
これは、CDの売り上げが近年極端に落ちてきたのと、通販業者との低価格競争で、家賃の高い繁華街での店舗出店は不採算となったわけです。また、シンガポールはスマホの普及率が高く、電車に乗っている人を見ると日本と同じかそれ以上に、ほとんどの人が車内でスマホを何かしら操作しています。そのため、若い年代の人は、わざわざCDを買ってPCからスマホにダウンロードするような面倒なことはしなくなり、必要な曲だけネット経由のダウンロードで購入、もしくは無料のユーチューブやストリーミングでの視聴を楽しんでいるということでしょう。
そのため、最近、日本のHMVが渋谷に旗艦店を復活させるというトレンドを逆行するようなニュースは、少し驚かされました。もちろんその道の経営のプロが勝算有りとしての決断とは思いますが、一般人からすれば大丈夫かな~って感じはします。
まあ、日本の場合、BLUE SPEC CD、SHM-CD、SASD-SHM-CD、PLATINUM SHM-CD、5.1CH再生のBLUE-RAY/DVDや紙ジャケCDなど所有感を満たすような、他国ではマニア以外手を出さない分野の商品も数多くあるので、一概に他国の現状と比較はできませんが、今後どのように展開していくのか興味深いです。
シンガポールは、古くは、マレーシア語でシンガプーラ(ライオンの町)と呼ばれ、イギリス植民地時代に現在と同じ発音になりました。ちなみに中国語では新加坡と書かれます。今日は1976年にサディスティック・ミカ・バンドが解散した後に出された、加藤和彦の1976年のアルバム“それから先のことは” からシンガプーラを取り上げたいと思います。
この曲は70年代の末期頃、たしかシンガポールの観光庁か飛行機会社のコマーシャルに使われていたような記憶があるのですが? オリジナルの加藤和彦バージョンは今聴くと非常に緩く感じるのですが、これはこれで70年代当時のシンガポールの雰囲気にマッチしています。
80年代になりますと、シンガポールでは強力な政府主導の都市開発もしくは再開発のスピードが加速し、現地に住んでいる人でさえも、久しぶりに中心部を訪れてみると昔の覚えていた景色の様変わりに驚くことになります。と言うことで、今回は2003年に杏子(EX-バービーボーイズ)によってカバーされた現代版バージョンで聴いてください。オリジナルの緩さがかなり取れたアレンジとなっていて、トロピカルなサウンドがとても心地いいです。
まあ、不必要なほど早く街並みが変遷していくのも考えものですが、道路の道幅を拡張するための用地買収に失敗し、数十年放ったらかしにされ、結局計画が中止に追い込まれるという日本の現状も結構問題です。
杏子 シンガプーラ
修行の旅ということで、シンガポールに行ってまいりました。(本当は、仕事の関係で行ったわけですが。)
そこで、今回はシンガポールのCD事情について書いてみます。
シンガポールに行かれたことのある方はよくご存知と思いますが、オーチャード・ロードという3キロ弱の長さの、5車線一方通行の大通りがあります。両脇にはショッピング・モール、百貨店、ホテルが延々と連なり、また大統領官邸の入り口もこの大通りに面しているという、シンガポールのアイコンの一つとなっている通りです。
この通りの界隈に、1990年代にタワー・レコードとHMVのメガストアが進出、そして有力地元資本の小規模なCDショップも数多く点在していたのですが、今回オーチャード・ロードを訪問してみると、CDショップが全く見当たりませんでした。なんでもタワー・レコードは2006年アメリカの親会社の廃業で閉店、HMVも2013年のイギリス本国の経営難により、シンガポールでの経営権は香港資本に買い取られ、現在は別のエリアに1店舗残すのみ、また地元資本のCDショップもここ数年でほとんどが廃業してしまいました。
これは、CDの売り上げが近年極端に落ちてきたのと、通販業者との低価格競争で、家賃の高い繁華街での店舗出店は不採算となったわけです。また、シンガポールはスマホの普及率が高く、電車に乗っている人を見ると日本と同じかそれ以上に、ほとんどの人が車内でスマホを何かしら操作しています。そのため、若い年代の人は、わざわざCDを買ってPCからスマホにダウンロードするような面倒なことはしなくなり、必要な曲だけネット経由のダウンロードで購入、もしくは無料のユーチューブやストリーミングでの視聴を楽しんでいるということでしょう。
そのため、最近、日本のHMVが渋谷に旗艦店を復活させるというトレンドを逆行するようなニュースは、少し驚かされました。もちろんその道の経営のプロが勝算有りとしての決断とは思いますが、一般人からすれば大丈夫かな~って感じはします。
まあ、日本の場合、BLUE SPEC CD、SHM-CD、SASD-SHM-CD、PLATINUM SHM-CD、5.1CH再生のBLUE-RAY/DVDや紙ジャケCDなど所有感を満たすような、他国ではマニア以外手を出さない分野の商品も数多くあるので、一概に他国の現状と比較はできませんが、今後どのように展開していくのか興味深いです。
シンガポールは、古くは、マレーシア語でシンガプーラ(ライオンの町)と呼ばれ、イギリス植民地時代に現在と同じ発音になりました。ちなみに中国語では新加坡と書かれます。今日は1976年にサディスティック・ミカ・バンドが解散した後に出された、加藤和彦の1976年のアルバム“それから先のことは” からシンガプーラを取り上げたいと思います。
この曲は70年代の末期頃、たしかシンガポールの観光庁か飛行機会社のコマーシャルに使われていたような記憶があるのですが? オリジナルの加藤和彦バージョンは今聴くと非常に緩く感じるのですが、これはこれで70年代当時のシンガポールの雰囲気にマッチしています。
80年代になりますと、シンガポールでは強力な政府主導の都市開発もしくは再開発のスピードが加速し、現地に住んでいる人でさえも、久しぶりに中心部を訪れてみると昔の覚えていた景色の様変わりに驚くことになります。と言うことで、今回は2003年に杏子(EX-バービーボーイズ)によってカバーされた現代版バージョンで聴いてください。オリジナルの緩さがかなり取れたアレンジとなっていて、トロピカルなサウンドがとても心地いいです。
まあ、不必要なほど早く街並みが変遷していくのも考えものですが、道路の道幅を拡張するための用地買収に失敗し、数十年放ったらかしにされ、結局計画が中止に追い込まれるという日本の現状も結構問題です。
杏子 シンガプーラ