CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

アルバート・ハモンドのファースト・アルバム

2015年04月12日 | AMERICAN ROCK/POPS
西行きの747に乗り込んだ
何をするのか決めるなんてことも全く考えずにね
テレビでの活躍や映画でのチャンスがあるっていう諸々の話
本当に電話で言ってきたのさ、確かに電話があったのさ

南カリフォルニアには雨が全く降らないって
以前によくそんな話を聞いたんだけど
雨が全く降らないってね、だけど、誰も注意してくれないけど、
降ったら土砂降りさ、土砂降りさ

仕事が無く、頭もどうかして、
自尊心もなくなり、食べ物もない
愛されることもなく、栄養不足で、
家に帰りたいよ

田舎の家の皆んなに伝えてよ、ほぼ成功するところまで来てるって
色々とオファーが舞い込んで、一体どれを受けたらいいのか判らないんだ
だけど、今の様子は伝えないでよ
今の様子は伝えないでよ
勘弁してよ、本当にそれだけは

南カリフォルニアには雨が全く降らないって
以前によくそんな話を聞いたんだけど
雨が全く降らないってね、だけど、誰も注意してくれないけど、
降ったら土砂降りさ、土砂降りさ

博士:なんでセカンド・アルバムが最初に来て、次がファースト・アルバムなんじゃ?

私:この順番の方が話が書きやすいんです。

博士:確か上の文章 は1972年に大ヒットしたあの“カリフォルニアの青い空”の訳詩と思うのじゃが、なんとなくアルバート・ハモンドの当時の胸中を表現していた気がするのじゃが。

私:そうですね。すでに、イギリスやスペインで音楽活動の経験があり、ある程度の自信は持っていたとしても、アメリカ音楽界のメジャーであるコロンビア傘下のレーベルからデビューするとなるとやはりかなりのプレッシャーはかかりますからね。このシングルは全米5位と大ヒットとなったから、彼としても一安心。契約期間中にヒットしないと、次の契約は無しになってしまいますからね。

博士:厳しいのう。ところでわしらの出演料はどうなっておるのかな? 契約書が見当たらんのじゃが。

私:このブログは広告を出していませんので、無報酬となります。従って契約書は存在しません。

博士:ひえー、ここも土砂降りか、わしも家に帰りたいよ~

このファースト・アルバムも、非常に爽やかで親しみのあるメロディーの自作曲のオンパレードです。

では、アルバートハモンドの大ヒット曲、カリフォルニアの青い空を聴いてください。

It Never Rains In Southern California/Albert Hammond

アルバート・ハモンドのセカンド・アルバム

2015年04月11日 | AMERICAN ROCK/POPS
今日は何を紹介しようかと収納棚を見ていた所、アルバート・ハモンドの1973年に発売されたアルバム THE FREE ELECTRIC BANDが目に止まりました。ロンドン生まれの英領ジブラルタル(イベリア半島の南端で地中海の西の入り口にあたる海上交通の要所)育ちで、1970年にアメリカに移住し、アメリカでの音楽活動をスタートさせました。非常に爽やかで親しみのあるメロディーの自作曲のオンパレードで、これは1972年に大ヒットしたあの“カリフォルニアの青い空”が収録されたアルバムに続く彼の第2作目となります。

個人的には、シンガー・ソングライター というよりは、他の歌手が彼の楽曲を数多くヒットさせたことから、ソングライターでのイメージの方が大きいと感じます。例えば、レオ・セイヤーのWHEN I NEED YOU、アート・ガーファンクルの 99 MILES FROM L.A.、スターシップの NOTHING’S GONNA STOP US NOW などなど。

2枚目のアルバムを出した後、公演で来日し、そのコンサートをテレビで見た記憶があります。

1973年のアルバム THE FREE ELECTRIC BANDの曲で、その時歌われた二曲続けて聴いてください。

フリー・エレクトリック・バンド
Albert Hammond - The Free Electric Band


落ち葉のコンチェルト
Albert Hammond - For The Peace Of All Mankind

どこかで聴いた様な~

ヒットしなくてもいいよ~ ボニー姐さん

2015年04月09日 | AMERICAN ROCK/POPS

ボニーといってもデラニー・アンド・ボニーのボニー・ブラムレットではなく、IT’S A HEARTACHEのボニー・タイラーでもない。

1971年にアルバム・デビューした、ボニー・レイット姐さんの事である。ブルージーな曲にスライドギターを咬ませる凄腕女ギタリストで、スタジオ・アルバムを出す度に専門誌の評論家達から好意的な評価を受けるも、一般受けするポップな曲ではないため、どうしても大ヒットは望めない。

当時はリンダ・ロンシュタットが、カントリー・フォークのサウンドから、ウエスト・コーストのポップなロック・サウンドに切り替え、大ブレークした。しかし、さすがはボニー姐さん、作為的なコマーシャリズムには追従せず自身のスタイルを貫いていくのであった。ところが、1977年発売の6枚目のアルバム、SWEET FORGIVENESSで、デル・シャノンの“悲しき街角”を、いつも通りブルージーなアレンジでカバーしたところ、これが当たって、アルバムが全米25位となり注目を集めた。

将来を有望視されるミュージシャンは、当然他のレコード会社も見逃さず、争奪戦となる。ワーナー専属だったジェームス・テイラーがコロンビアに移籍し1978年アルバムJTを出し大ヒットとなった例があり、また反対に、ポール・サイモンがコロンビアからワーナーに移籍をしている。

ボニー姐さんは当時ワーナーに在籍していたのだが、コロンビアから引き抜きの話があり、新たな金銭面の条件提示以外に“特にヒットするレコードを作らなくても良い”という契約条項も提案されたとか。最終的にワーナーが同じ条件を飲み込んだため、移籍の話は消滅した。その後、ワーナーとの契約が切れる1986年までに好スタジオ・アルバムを3枚出したが、思ったほどのヒットには至らなかった。

皮肉なことに、ワーナーとの契約が切れた後、1989年キャピトルに移籍して出した最初のアルバム(通算10枚目) NICK OF TIMEが全米一位でグラミー賞も獲得となり大ブレークに至るのである。新しいプロデューサーの意向により少しアレンジがポップになったような気がするが、過去のアルバムとは内容がそれほど違わないような気がする。ヒットするかしないは、彼女のような実力者の場合、紙一重の差に過ぎないのだろう。

もちろんレコード会社としては、ヒットしなくてもいいと言うのは方便で、制作にお金をかけている以上、大ヒットする方が良いに決まっている。ワーナー涙目。

それでは、ボニー姐さんの歌うブルージーなランナウェイを聴いて下さい。

Bonnie Raitt Runaway Del Shannon Cover

OH NO, THIS IS THE ROAD TO HELL、クリス・レア

2015年04月08日 | BRITISH ROCK
1978年にアルバム・デビューした、ハスキー・ボイスとスライド・ギターがトレードマークのシンガー・ソングライター、クリス・レアを紹介します。

同時期に出したシングルのFOOL(IF YOU THINK IT’S OVER)は、アメリカでヒットしグラミー賞にノミネートされました。そのメロディーを聴くと、ああこの歌どこかで聴いたことがあると思い起こされるのでは。残念ながら、賞はビリー・ジョエルのJUST THE WAY YOU AREに持っていかれました。

当初は、第二のエルトンジョンとして特にアメリカのマーケットを意識して売り出すべく、エルトンをプロデュースし大成功を納めたガス・ダッジョンをプロデューサーに起用しました。

そのコンセプトで最初の2枚のアルバムを出したものの、当のクリス・レアが制作陣としっくりいかなかったことと商業的な成功は得られなかったため、クリス・レアはもっと自身のカラー出すためアルバムの3作目よりセルフ・プロデュースすることになります。そして7-8枚目のアルバムを出す頃には、英国で人気が上昇し、9枚目で英チャート2位を獲得します。

そして、1989年に10枚目のオリジナルのスタジオアルバムTHE ROAD TO HELLがついに英チャート1位を獲得しました。また同タイトルのシングルもイギリスで10位とヒットしました。しかしながら、何故かアメリカではアルバムが107位と不振を極めます。アメリカ人には曲が少し暗い、もしくは地味な印象を与えたのでしょうか?

1978年といえば、同じイギリス出身のダイヤー・ストレイツが独特のギターサウンドによりアメリカで大成功しましたが、同じギターサウンドが中心のクリス・レアは上記に書いた通り、当時プロデュースの方針の違いでゴタゴタしていたため、ブームに乗り遅れた感はあります。そもそも、スライド・ギターのプレイヤーを第二のエルトンにするという目標を置いた所に無理があったのではないかと思います。

それでは、1978年のシングルFOOL(IF YOU THINK IT’S OVER)と1989年のシングルTHE ROAD TO HELL PART-II聴いてください。

アメリカのマーケットでは思うような成功を得ることができませんでしたが、この2曲を聴けば、 全アルバムのトータルの売り上げが3000万枚以上で、ヨーロッパを中心に人気が高かったクリス・レアの魅力が分かるのではないかと思います。


CHRIS REA - Fool (If You Think It's Over)


Chris Rea- The road to hell Lyrics

OU812(OH YOU ATE ONE TOO), あんたも同じやつ食ったのかい

2015年04月07日 | American Hard Rock

発売当初、多く評論家がこのアルバムをアベレージもしくはアベレージ+αと少し厳しい評価を下していました。

当時このアルバムは、CDではなくカセットで購入し車の中で繰り返し聴いていて、個人的には非常に聴きやすいアルバムだったと思っていました。前作同様、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターとメロディアスなキーボード、そしてリズム・セクションのサウンドが合わさってしっかりと曲が作り込まれています。

確かに、初代ボーカルだったデビット・リー・ロスのボーカルは非常に高い評価を受けていましたが、このアルバムでは、2代目ボーカルのサミー・ヘイガーも彼の持ち味を十分に出していて非常に良い印象を持ちました。またボーカルがサミーに交代して発売された前作と今作が全米一位を取ったことからして、当時の一般のリスナーは、評論家ほどクリティカルなものではなく、非常に好感を持って受け入れていたと考えられます。

それでは、1986年発売のVAN HALEN8枚目のアルバムOU812からシングルカットされたWHEN IT’S LOVE 聴いてみてください。
Van Halen - When It's Love




ジャケットの写真は、ビートルズのWITH THE BEATLESのオマージュではないかと言われています。




こんなの知ってますか?

2015年04月06日 | BRITISH ROCK

今回は1980年に英国で結成され、81年から83年頃にかけて、全英シングル・チャート上位に10数曲送り込んだポップ・バンド紹介します。

バンド名は、MODERN ROMANCEで、ダンス、ディスコやソウルミュージック系のサウンドが売りです。

1983年、全英シングルに7位に輝きました、WALKING IN THE RAIN 聴いてください。初めて聴いたときは、ビー・ジーズ関連の曲かなと思ったほど、ファルセットのコーラスが心地よいです。

今日みたいな雨の日は、こんな曲もいいのでは。

Walking In The Rain by Modern Romance

オールマン・ブラザーズ・バンド、セカンド・ステップ

2015年04月05日 | Southern Rock

今回はオールマン・ブラザーズ・バンドの1970年に発売された2枚目のアルバムIDLEWILD SOUTHを紹介します。

1969年に出した1枚目のアルバムは、ヒットには至りませんでしたが、ツアーを通じてファンが徐々に増えてきて、将来の成功に大きなステップを占う重要なセカンドアルバムでした。

前作はグレッグ・オールマンの作品とカバー曲だけでしたが、このアルバムではセカンド・リードギター担当のディッキー・ベッツも曲を提供し、エレキ・サウンドによる南部ブルース・ロックだけでなく。ディッキー作のエイザベス・リードの追憶のようなジャズ・タッチの曲や、グレッグ作ミッドナイト・ライダーのようなアコースティック・サウンドの曲を収録しバラエティーに飛んだ作品に仕上がりました。

その結果、アルバムは全米38位にランクされ、大ブレーク一歩手前まで来きました。

この頃、彼らのライブを見たエリック・クラプトンがリーダーのデュアン・オールマンにデレク・アンド・ザ・ドミノスの“愛しのレイラ”のセッションにギターで参加するように要請し、デュアンのスライド・ギターが収録されたアルバムが全米16位と大ヒットしたのはご存知の事と思います。その後、デュアンはエリックに正式メンバーになるように請われましたが、自身のバンドで活動するため辞退したとのことです。

当時デュアンは、セッション・ミュージシャンとして引っ張りだこ状態だったため、このアルバムを完成させるのに時間が足りなく、最終的に収録曲7曲のトータル30分という短いアルバムとなりました。

しかし、ほとんどオーバー・ダブなしの、全員で演奏し録音するというライブ感溢れるよくできたアルバムとなりました。


ディッキー作のエイザベス・リードの追憶。約7分のインスト・ナンバーです。
Allman Brothers Band - In memory Of Elizabeth Reed


博士:今日は、わしの出番は無いのかい?

私:ええ、あまり出てくるとマンネリになると言われたので。一回休みでお願いします。


ストーンズ教 その2

2015年04月04日 | ROLLING STONES関連
今回はストーンズの1978年に発売され、全米一位に輝いたSOMEGIRLSを紹介します。

折からの、パンクとディスコ・ブームにより既成のロック・バンドはキッスやエアロ・スミスなど少数のバンドを除いて活力がなくなっていきました。

そのような状況で、ストーンズからの回答がこのアルバムだったのです。一曲目はスローなディスコのビートを使ったストーンズ流のダンス・ミュージックで、ストーンズもそのブームに迎合してしまったのかと思いきや、2曲目から最後まではいつものストーンズのロック・サウンドでありました。

キースは当時深刻なドラッグの問題を抱かえていたのですが、いざ1977年のアルバム制作のセッションに入ると、新加入のロン・ウッドも含め、バンド全員の調子は非常によく、なんと50曲ものレコーディングという大豊作となりました。その時のアウト・テークと称される曲は、ボツにするには出来が良すぎて、のちに発売されるアルバム、エモーショナル・レスキューやタトゥ・ユーに収録されました。

SOMEGIRLSの曲の中に黒人差別を思わせる歌詞があり、物議を醸すことになります。彼ら曰く、差別主義者に対するジョークで、その手のジョークは理解されるべきと、レコード会社からのクレームがあったのですが、発売するよう押し切ったとのことです。相変わらずですね。

助手:博士、確か、SOMEGIRLSもスーパー・デラックス・エディションが出ましたよね。

博士:そうじゃったのう。あの時はなんとか我慢し購入を断念。その代わり、安い2枚組輸入盤CDを購入したわい。2枚目のボツ・テークを収録したCDの出来がよかった。

その一曲目に、CLAUDINEという曲があって、これは クロディーヌ・ロンジェというフランス人の女性歌手の事を歌っておる。彼女は、ポール・モーリアで有名だった、あの“恋は水色”という曲を歌っていたのう。

歌手のアンディー・ウィリアムスと離婚した翌年の1976年、ボーイフレンドを銃で撃ち殺した容疑で有罪になったとか。その話をストーンズは曲にしたので問題となり、当時お蔵入りになったそうな。

助手:ストーンズはいつになっても突っ込みどころ満載ですね。
そういえば博士、5月末発売のスティッキー・フインガーズのスーパー・デラックス・エディションの購入はどうされますか?

博士:ZEP教のお布施が終わったばっかりで、わしの小遣いではちょっと厳しいのう~ 神様か仏様がなんとか助けてくれればいいのじゃが。

助手:心配ありません。5月にはイエス様が降臨されます。
なんと、1972年に行ったCLOSE TO THE EDGE TOUR公演の模様を収めた新しいライブの経典が14枚組CDで編纂されました。

博士:バッカもんー それはイエス教からの新たなお布施の案内のことじゃ!

多神教の信者であり続けるには、小遣いをなんとか増やしてもらわなければならないと痛切に思う博士でした。 続く……

それでは、全米一になったシングルのミス・ユーと行きたいところですが、もっとストーンズらしい曲、ビースト・オブ・バーデンを聴いてください。

Beast Of Burden by The Rolling Stones



クロディーヌ・ロンジェの“恋は水色”


ストーンズ教

2015年04月02日 | ROLLING STONES関連
博士:何ぃ~
ストーンズのあのスティッキー・フィンガーズがスーパー・デラックス・エディションで発売されるじゃと?

3CD+DVD+7インチシングル+ハードカバーブックとな? それで価格は、輸入仕様国内版で19,980円。

ABKCOから独立し、自身のストーンズ・レーベルからの最初のアルバムで気合が入っていると思うし、ミック・テイラーもバンドに馴染んできた頃なので、作品の出来が悪いはずはない。

メインストリートのならず者のボックス、2種類の紙ジャケCDボックス、UK盤LPアルバムのボックスなどなどここ数年頑張ってお布施に励んできたが、今回はどうしたものかのう~ ZEPのフィジカル・グラフィティーも買ったばっかりじゃし。

助手:博士、ハードカバー・ブックにジッパーが付いてくるそうですよ。
確か、以前発売された日本盤のジッパーはYKK製だったかな~

博士:ウォホールのデザインのジッパー付きジャケットは奇抜じゃったのう。ジッパーを開けると中のぴっちりしたブリーフが見える趣向じゃ。わしの緩パンだとこうはいかぬ。とりあえず、ブラウン・シュガーでも聴いて、今後の対策を考えよう。もし購入するとしても、家の者に見つかってはいかぬ。

助手:通販で購入してコンビニで受け取り、一時的に押し入れに隠しておくのはどうですか? 

博士:押し入れは、わしの緩パンでいっぱいじゃ。

と、またまたレコード会社は、おっさんやおじんを対象に 多額のお布施を要求する布教活動を開始しました。

いつになればおっさんやおじんの目は醒めるのでしょうか?

アルバムが全米一のスティッキー・フィンガーズ、今更改めて説明する必要はないでしょう。
とりあえず、これも全米一になったシングルのブラウン・シュガーを聴いてください。

Brown Sugar - The Rolling Stones

ブラウン・シュガーはドラッグの隠語。このタイトルで全米一とは、相変わらずぶっ飛んでいました。


米盤再発レコード、インナージャケットにあったブリーフの写真は外され、ジッパーを開けてもブリーフは見えない。また、バンド名とアルバム・タイトルのポジションが初回盤と異なっている。


日本盤紙ジャケCD、ジッパーのサイズが紙ジャケのサイズに対して随分大きい。


日本盤はYKKを使用