CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

U2の新しい旅路

2019年07月08日 | EURO ROCK

1987年のThe Joshua Treeと1988年のRattle And Humでアメリカでのルーツ・ミュージックを探し求めた旅は取り敢えずここで終了。 

彼らが望んでいたものが得られたかは別として、両アルバムは大ヒット。

U2は一気に世界のトップバンドの地位に登り詰める。

それではお次もトリロジーという事でその続編といきたいところであるが、いとも簡単に過去の栄光と決別し彼らは全く新しい創作活動に入る。 

そこから生まれたのが、1991年のベルリン録音、Achtung Babyで、ヨーロピアンサウンド特有の何と無く翳りを感じさせるアルバムが完成。

 ...

ブライアン・イーノもプロデュースに関わっていることから、時代は異なるがかってデビッド・ボウイーがアメリカでStation To Stationを録音した後、1977年にイーノが絡んでヨーロッパ録音でLowを制作した事例によく似ている。 

一つのジャンルに拘りその道を極める方向に進むのもありだが、ボウイーやこのバンドの場合、時代を先取りし常に進化しなければならない宿命みたいなのがあるのだろうか....

I Still Haven’t Found What I’m Looking ForやAngel Of Harlemなど耳触りの良い曲が恋しくなる時もあるが、過去の成功に縛られたく無い潔さにクールさを感じるこのアルバムは捨てがたい魅了あり!

 


通勤のお供、タワー・オブ・パワー

2019年07月05日 | AMERICAN ROCK/POPS

シカゴのホーンと比べるとこちらはよりファンキーでR&Bより。 

更に、シカゴの初期のような政治的メッセージも特に無く取っ付き易い。 

それがオークランド出身のタワー・オブ・パワーの1974年に出た4作目、Back To Oakland。

(オークランドのお帰りの方はこちら!) 

サンフランシスコからサンフラシスコ湾を挟んだ対岸のオークランドに行こうとすればサンフランシスコ・ベイ・ブリッジを車で渡らなければならない。

その昔私も渡ったことがあるが、瀬戸内海に掛かるいくらかの長大橋や関空への連絡橋などなかった時代で、初めて渡った時はその橋の長さにびっくりしたものだ。 

ただアメリカで車を使って通勤する場合、結構距離を走るのでその程度の長さの橋には驚かない。 

オークランドはサンフランシスコのベッド・タウンという位置付けで、車のカーステでタワー・オブ・パワーのようなご機嫌な音楽を聴きながらサンフランシスコ・ベイ・ブリッジを通ってサンフランシスコへ毎朝通勤しているのではないかと…. 

本当朝から羨ましい限り。 

このアルバム、出来れば音量を上げて聴いてほしい。 

ベースとドラムスのリズム・セクションかなりいけてます。 

しかし満員の通勤列車に揺られながらスマホのMP3で一人ご機嫌になっていると、イヤホンからのシャカシャカと聞こえる音漏れで多分ギロっと睨みつけられるかも…. 

ご注意を。


ヒープとアリス

2019年07月04日 | URIAH HEEP

もうね、俺たち教育委員会に何を言われようとドンドンやっちゃうからね〜 

と出たアルバムが、1972年のSchool's Out(学校なんて糞食らえ!)。

 

そしてさらにパワー・アップしたのが、1973年のアルバム、Billion Dollar Babies。

(ビリオン・ダラー札が入ったヘビ皮の財布を模したジャケ) 

ヒープが魔法使いとか悪魔なんかを登場させてオカルトチックな魔界ロックで北米マーケットでの成功をなんとか収めようと踠いていた頃、アメリカじゃご存知アリス・クーパー一座の破茶滅茶ロック・ショー!が大ヒット! 

札束の中に目の周りをアリスの様に黒のペイントで塗って悪魔っ子の様な裸の赤ちゃんを抱いたブッとんだジョークの様なメンバーの記念撮影。

 

Raped And Freezin’とかI Love The Deadの様なタイトルを見ただけで物議を醸しそうな楽曲群をノリの良いロックにのせて煽りまくる。 

過激かつ非現実的な世界を構築し、現実逃避とまではいかないものの日常生活でフラストレーションの溜まった若年層の連中を虜にするのには充分。 

さらにオイラ大統領になりたいって言ってるんだってば! 投票よろしくね〜

さすがエンターテイメントのお国アメリカ、見せ方がお上手。 

ヒープ:なるほど、単におどろおどろしいだけじゃダメなのね。それだとカルトなファンしかなびかないし….

(1973年、ヒープが過去に出した5枚のアルバムの集大成の的なライブ・アルバムが出た〜) 

なぁ〜んて話があったかどうか定かではないが、彼らのライブ活動にアクセントをつけるためにアメリカの聴衆を意識したロックンロール・メドレーなるものが彼らのライブに登場!

(サイドー4の4曲目に収録されている) 

当時賛否両論だったけど、ケン・ヘンズレーの操るキーボードの響きが時折ヒープらしさを醸し出し、私はこれ結構気に入っている。 

ヒープとアリス、特に両者の繋がりはないのだけれど、同時期に活動していた個性的なバンドだったと思い起こす。



ジャケを楽しむ、ヒープの場合

2019年07月03日 | URIAH HEEP

助手:レコード・アルバムの楽しみと言えば、その音楽だけではなくジャケのデザインにもありますね。 

博士:その通りじゃのう〜 

わしの場合は、単なるアーティストのポート・レートよりは、アルバムに関連してなんらかの意味が込められたイラストとかコラージュなんかに興味がいく。 

助手:今ではジャケのデザインも世界的に統一されましたが、60年から70年代にかけてアメリカ編集とヨーロッパ編集でジャケのデザインだけでなく、曲目が変わったり曲順が入れ替わったりして別のアルバムの様に見えましたね。 

博士:今回はユーライア・ヒープの初期の作品にスポットを当ててみようじゃないか。 

助手:1970年のデビュー・アルバム、Very ‘Eavy Very ‘Umble。

これって、Hが省略されていて、Very Heavy Very Humbleと読むんでしたっけ。 

博士:とてもヘビーで、とても地味ってタイトル、まあ地味っていうよりはサウンドは簡素つまりシンプルって感じかのう〜

 

英盤のジャケは、廃墟になった洋館を探索していて、ふと気になった物置の扉を開けると、デタッ〜!

当時英盤はフィリップス・レーベルの参加だったヴァーティゴ・レーベルから発売され、例の眩暈(Vertigo)のレーベルで有名

 

マーキューリー・レーベルから発売された米盤のジャケは、ウィングのついたムカデの化け物が描かれている!これはちょいとひどいかも。 

レコード・ショップでムカデの化け物のジャケのレコードを買うにはかなり躊躇すると思うのだが…

個人的にはどっちもどっちではあるが強いて言えば蜘蛛の巣男デタッ〜!の方がまだマシの様な気持ちも…


助手:1971年のセカンド・アルバム、Salisbury。 

博士:Sailsbury と言えば、ロンドンから西に200キロの田舎町。16分強にも及ぶプログレ大作(途中でジャージな演奏が登場)のタイトル・チューン、Salisburyが収録されておるのう〜

 

英盤のジャケは、タミヤの1/35スケールのミリタリー・キットのお世話になった者であれば一目でピンとくる、英陸軍所属のチーフテン戦車!なんでもSalisbury郊外に基地があるらしい。

 

米盤のジャケは、これまたひどい! 真っ赤な背景に不気味なエイリアンらしきイラストが。

ウィングのついたムカデの化け物もひどかったが、このイラストもヒープのイメージを変な方向に貶めた様な….

当時、ヒープはアメリカ・マーケットで色物扱いされていたと勘繰りたくなる。 


助手:1971年のサード・アルバム、Look At Yourself。 

博士:アメリカ人もようやく気がついたのか、ヒープのイメージの統一を図ることになるのう。

 

英盤のジャケは、青い縁取りの壁掛け鏡。その上に2つの瞳がこちらを睨みつける。

 

米盤のジャケは、ドレッサーの上に置く様な角度の調節できる回転式鏡。その上に2つの瞳がこちらを睨みつける。 


助手:ようやくここに来て、アメリカのマーケットがヒープを真面目に取り上げようとしたのですかね? 翌年の次作、Demons & Wizardsではロジャー・ディーン作の同じジャケ・デザイン採用となりましたからね。

 

博士:これでわしも安心した。何しろ、アメリカ公演で前座のヒープが当時イギリスでは無敵のT.Rex喰っちまったからのう〜

(記事では、もっとヒープをと叫ぶ観衆のチャントに、T.Rexは二度とヒープとの公演は一緒に行わないと言ったとか)


めでたし、めでたしと昔話を思い出したみたいで...


Out Of The Blue その8

2019年07月02日 | AMERICAN ROCK/POPS

2000円で買ったジャンクの中古スピーカー。 

買ってすでに1ヶ月以上経つ。 

音は出るので問題なし。しかしながら何しろ新品時代の音は全く分からないので実際のところスピーカーの性能に見合った音が出ているかと問われれば心もとない。

かなりの年月が経っているのでネットワークに外見からは想像のつかない劣化があるかもしれないし、ウーファーのエッジのビスコロイドを剥がしたりまたコーン紙の表面に木工ボンドを塗ってしまっていることから同じ音質は当然の事ながら期待出来ない。 

てな事で、今まで使って来たスピーカーと音を比較してみることに。 

音を測定する様な機材は持ち合わせていないので、自身の五感によって判断する事になるのだが、年を重ねるとその五感の精度も怪しくなってくるので正確な判断ができるか心もとない。 

最低限リスニングのポジションは同じ位置にスピーカーを設置しなけれればならないと思い、30センチ幅、高さ45センチの椅子を見つけ仕入れて来た。これで両者のツイーターの高さは同じぐらいになった。 

(塗装なしの組み立て式の椅子なので、ペーパーで表面を研磨し水性ニスを塗る。絵心がないのか、さらっと塗れず雑な仕上がりとなる) 

それではミュージック、スタート! 

あれ?  小型スピーカーの12.5センのウーファに対して倍の25センチのウーファを搭載しているのに、音出しの差がそれほども無い様な…. 

エッジのダンプ剤として使われていて経年劣化でドロドロと化したビスコロイドを剥がし過ぎたのか? 

ネットで調査してみると、ビスコロイドなる素材は現在入手できないが、困ったときのセメダイン・スーパーXなる優れものの接着剤がその代わりとなるという記事を発見。 

早速、金物屋に走って購入。20mLでお値段税込358円でした。

 

なになに、多用途で硬化しても剥がれ難い弾性をもち、接着層がショックを吸収と書いてある。 

それでは、ビスコロイドを剥がしたエッジにラッカー薄め液を少しばかり混ぜて筆で塗っていく事に。

 

完全硬化はだいたい24時間ぐらいなので1日置いて、スピーカー・オン!

頼りない五感ではあるが、ダンプ剤を塗布する前よりは低音が前に出て来た様な… 

2000円で買ったジャンク・スピーカーに対して、結局椅子2脚、ブレーキ・フルード、接着剤やニス、その他修理に必要な物を買った合計が3倍以上の7000円を超えてしまう投資になり少々がっかり。

まあ、これはこれで暇つぶしにはなったかな? 

今宵は新たにダンプ剤塗布したスピーカーで、アンブロージアの1980年の4作目のアルバム、One Eightyでも。

 

One Eightyとは180を意味する、すなわち彼らの織りなすサウンドがデビュー当時から比べて180度変化したという意味らしい。ちなみに邦題は“真夜中の晩餐会”というなんとなく感覚でつけた意味不明なものとなっていた。 

確かに、1975年のデビュー・アルバム、Ambrosiaは当時アメリカでは珍しかったプログレ・サウンドであったが、3作目のLife Beyond LA辺りから、AOR風の曲が登場し、このアルバムではさらにその傾向が強まり、ポップ・ロック・サウンドとなった。 

シングル・カットされ大ヒットした、You’re The Only WomanとBiggest Part Of Meなんかは黒人のR&Bコーラス・グループが歌っているかの様な… 

しかしプログレやってただけあって演奏技術はなかなかのもので、結構このアルバム楽しめる。

ただ、私のスピーカー修理計画は、ジャンクの域からOne Eightyの変化とはいかず、ジャンクはやっぱりジャンクという結果となった。