CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

カントリー強し

2024年10月13日 | ELTON JOHN

70年代中頃の絶頂期のエルトン・ジョンと言えば、アルバムを出せばほぼ全米チャート1位確定なる無敵の存在だった。

1974年に発売されたアルバム、Caribouもツアーの合間に短期間で制作されたやっつけ仕事感があったが、見事全英・全米でそれぞれ1位を獲得。

このアルバムの先行シングルとして発売されたのが、Don’t Let The Sun Go Down On Me(僕の瞳に小さな太陽)だった。

このパワフルなバラードの歌詞は詩的に優れていて、またビーチ・ボーイズの面々やトニ・テニールらによるコーラスやファンク・バンドのタワー・オブ・パワーのホーン・セクションのバック・アップによる重厚でゴージャスなアレンジが施され、ちょっと軽っぽかったアルバム、Caribouを引き締める役割を十二分に果たしたと言える。

でっ、このシングル盤も全米1位に輝いたのかと調べてみると然に非ず。ジョン・デンバーのAnnie’s Song(緑の風のアニー)が1位を掻っ攫ったそうな。

さすがアメリカ、カントリー・ソング強いね。


ソロ活動大繁盛

2024年10月12日 | BRITISH ROCK

第1期ジェフ・ベック・グループ末期にバンドから脱退しロン・ウッドと共にスモール・フェイセズのメンバーと合体しフェイセズを結成。

並行してソロ活動も開始し、1971年の3枚目のソロ・アルバム、Every Picture Tells A Storyで大ブレイク。

全英・米のチャートでそれぞれ1位を獲得、またシングル・カットされたMaggie Mayも同様にそれぞれ1位に輝く。レコーディングにはフェイセズのメンバーも参加。

ハスキーでかつ圧倒的な歌唱力でパワフルなロック・ボーカルだけでなく出身地スコットランドの郷愁を誘うようなフォーキーな味わいもこなすバランスの取れた作品となった。

ただソロがあまりにも売れ過ぎてフェイセズの活動が少々疎かになったのと、レコード会社もセールス第一主義でロッドのソロ活動を優先しフェイセズがあたかもロッドのバック・バンドのような扱いになり、そのせいでベースのロニー・レーンがフェイセズから脱退したのは残念。

まあロッドと比べると確かに地味だけれど、結構味わいのある作品をバンドに提供していたと思うのだが…


長〜いお付き合い

2024年10月11日 | West Coast Rock

1972年、ポコのリーダーだったリッチー・フューレイが自信を持って完成した5枚目のアルバム、A Good Feelin’ To Knowが米チャート69位と思ったよりも伸びずリッチーはかなりガッカリ。

そんな失意の状態の時、アセイラム・レーベルの社長デビッド・ゲフィンからSSWのJ. D. サウザーと元バーズとフライング・ブリトー・ブラザーズのベーシストだったクリス・ヒルマンらとの新規バンド結成のオファーが届いた。結局翌年の次作、Crazy Eyes制作後ポコを離れそのオファーを受けることに。

その事をメンバーには多分アルバム制作時にバンドが空中分解するのを避けようと考えたのだろうか、アルバム完成寸前までメンバーに打ち明けなかったそうな。

リーダーが去り残った4人のメンバーでその後どのように対応するか話し合い果敢にもバンド存続の結論を出した。そして完成したのが1974年の彼らの通算7枚目のアルバム、Sevenだった。

(レコード・ショップでは見かけなかったので、日本ではあまり売れない事を見越して当時日本盤はプレスされなかったかも? かなり後にレガシー・レーベルからCDで再発され、あまりの懐かしさに即購入)

そのCD音源を一聴して、基本的に作風はあまり変わっていないが何としてもバンドを存続させようとする力強さは伝わった。

1曲目のポール・コットンの作品からエンジン全開でハードな演奏をスタートさせコーラスもバッチリ。またティモシー・シュミットの作品、Just Call My Nameなんかは彼のAOR系の作風のイメージを覆すソリッドなアレンジで驚いた。

このアルバムは米チャートでは68位と伸び悩んだらしいが、従来からのファンは彼らの意気込みに対して応援しなくてはと思ったかも....

オン・タイムで聴いていなかったオイラもポール・コットンがバンドから脱退する前の2005年の最後のライブ・アルバム、Bareback At Big Skyまで長〜いお付き合い。

イーグルスよりも何故か応援したくなるバンドなんだね。


私見、リレーヤー

2024年10月10日 | PROG ROCK

2枚組の大作、Tales From Topographic Oceans完成後の1974年、リック・ウェイクマンがイエスから脱退。

その交代要員としてパトリック・モラーツがキーボード担当として加入し制作されたのが同年末に発売された通算7枚目のスタジオ・アルバム、Relayerだった。

リックの抜けた事からか、シンフォニックやメロディアスなる要素が薄れ少々尖ったサウンドの展開にはイエス・ファンの間からは不満が出た。とは言え英・米チャートではそれぞれ4・5位とよく売れた。

ジャズ系のパトリックが加入したからなのかサウンドに少しばかり変化が… オイラとしては特にフュージョン・サウンドで手数の多いSound Chaserの弾けっぷりには感動して何度もリピートし、逆に従来路線の大作、The Gates Of Deliriumにはちょっぴり食傷気味と感じた。個人的には後半以降に登場するSoonと分割し再構築した方が音的にはメリハリがついて良かったのかな?

本作の後ツアーを行い一旦バンド活動を休止し各自ソロ活動に勤しみリフレッシュを図る。その結果、翌年にイエス再始動し制作した次作、Going For The Oneではリックが復帰しまたレコード片面が1曲のみと言う大作志向が無くなった。

そういう意味では、リレーヤー、即ちタイトル通り彼らにとって繋ぎのアルバムだったのかな?

なんて独り言を呟いてみる。


これじゃ無い!

2024年10月09日 | West Coast Rock

1979年スタジオ・アルバム、Long Runを出し翌年にライブ・アルバムと立て続けに作品を出したイーグルスはかっての爽やかな感じのウエスト・コースト風から翳りのあるサウンドへと徐々に変化していき、少々煮詰まった感もあったのか解散を決定。

その後各メンバーはソロ活動をしたり、他のアーティストのレコーディングなどに参加したりと活動を続ける。

中心メンバーだったグレン・フライはリラックスした感じのオールディーズ調の初のソロ・アルバム、No Fun Aloudを1982年に出し、80年代には更に2枚のスタジオ・アルバムを出した。

そして1992年には4枚目のソロ・アルバム、Strange Weatherではグレンはキーボード奏者のジェイ・オリバーと組んで殆どの楽器を操りアルバムを制作する。特徴としてはシンセを使った打ち込みサウンドが全編を覆うかっての面影はあまり感じられないAOR系のサウンドに様変わり。

イーグルス時代からのファンだった人は “これじゃ無い!” と見向きもされなかったのかアルバムはチャート・インせず営業的には失敗作となった。

Strange Weather、個人的にはそれほど悪くは無いと思うのだけれど。

打ち込みはグレンのイメージとは異なった感もあるが、やっぱり収録された15曲中5−6分超えが8曲とちょっと冗長気味でくどかったのか? もう少し短めに編集すれば印象は変わったかも…

その後再びイーグルスを再結成し1994年にスタジオとライブ音源が混じり合ったアルバム、Hell Freezes Overを出し復活を遂げる。

やっぱり、彼らはソロよりもバンドとして活動した方がよかったみたい。


デュアンのアンソロジー

2024年10月08日 | Southern Rock

デュアン・オールマンがモータ・バイク事故で亡くなったのは1971年。

バンドは彼の亡き後も活動を継続する事を決定し、中断していたレコーディングを再開させ翌年に2枚組のアルバム、Eat A Peachを出す。

また所属レーベルのキャプリコーンもデュアンの死去を追悼する意味で、自身のバンド、アワー・グラスやオールマン時代の代表曲以外にウイルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、ボズ・スキャッグス、デラニー・アンド・ボニーにデレク・アンド・ドミノスらのセッション音源をレーベルを超えてまとめたアルバム、An Anthologyを同年にだす。

本日はAn Anthologyを久々に聴いてみる。

ブルースやカントリーなど泥臭い南部のルーツ・ミュージックがメインとなっていて中々聴き応えがある。

特に印象的なのはボズ・スキャッグス1969年制作のセカンド・ソロ・アルバム、Boz Scaggsに収録された13分に及ぶLoan Me A Dimeかな。後のAOR路線と異なりブルース色全開!

ちなみにアメリカでは1セント、5セント、10セント、25セントそして50セントのコインがそれぞれペニー、ニッケル、ダイム、クウォーターそしてハーフ・ダラーと呼ばれている。 

どうも公衆電話から昔の彼女に電話をかけたかったみたいで、Loan Me A Dime、誰か10セント貸してくれないかって歌っているような… 


ジョンの再発盤

2024年10月07日 | BEATLES-BADFINGER関連

もう買うまいと心に誓っていた今年7月に出たジョン・レノンの再発盤、Mind GamesはUltimate(空極とか最終的)Mixと形容された商品だ。

ジョンのアルバムの中ではそれほど評価の高いアルバムではないみたいだが、オイラは結構これが好き。初期の力強いメッセージ性のあるアルバムとは異なり、同じポリティカルな内容でも全体的に漂う少し力の抜けたリラックス感があるのがいいね。

これで最終って事なら長年再発盤商法に付き合ってきた手前、よござんすってことで愚かにも買っちゃいました。とは言え、もちろん数万円もする最上級の商品ではなく一番安い輸入盤。

そこでUltimate Mixが如何なるものかと以前CD音源と比べてみた。

1987年のAAD仕様の初CD、2002年のリミックス盤と今回の2024年のUltimate Mix盤の波形を比べてみた。ちなみに2010年にもリマスター盤が出たが買ってないので、今回は3種の音源で比較。

1987年盤は多分フラットなデジタル変換だから音は小さくなっている。お次の2002年盤は全体的に音のボリュームは上がっているものの、ピークには届いていない割と上品な仕上がり、ただドーンと直線的に来る感じで音に隙間の無いようなウォール・サウンド…

驚いたのは、2024年のミックスだ。波形としては1987年のものとよく似ていて大小のメリハリはあるが結構ピークまで届いている音もあり3枚を連続して聴いたオジンの耳には派手目(他の音源と比べると少々煩さ目かな)に感じ、これじゃ無いって心の声が聞こえる。

ちなみにメーカーの宣伝文句では、ジョンのボーカルを全面に押出し、サウンドをアップ・グレードしたと書かれている。

どうなんだろう?

当方劣化した聴力を持つオジンで、聴き手によって印象は異なるかもしれないが、これをUltimate Mix、即ち最終形態って言い切っちゃって良いのかな?

Ultramanの如く、近い将来、真Ultimate Mix出るかも?


ジョージのサントラ

2024年10月06日 | BEATLES-BADFINGER関連

ビートルズのメンバーとして初のソロ・アルバムを出したのがジョージ。

1968年、映画のサントラとしてWonderwall Musicを出した。

インド風味の香辛料がアルバム全体に塗り込められている。ジョンやポールの影に隠れていたものの、実は最もプログレッシブでアバンギャルドでサイケデリックなのがジョージ。

リボルバーやペバー軍曹のアルバムをCDで鑑賞する際、どうも体質に合わぬとLove You ToやWithin You Without Youをスキップしてに聴いてしまう方々にはお薦め出来ないかもしれないけれど、インド系の音楽に特にアレルギーが無ければその良さがきっと分かると思う。

 


10円レコード、その3

2024年10月04日 | JAPANESE

またまた懲りずに近所のなんちゃらオフに行って10円レコードを発掘。税込110円の値引きされた小さなシールが貼ってあった中古レコード群に狙いを定め、いつも通り必殺の100円の割引クーポン提示しレジのキャッシュ・トレーに10円玉一枚しっかり置いてまいりました。

キリッ。

本日発掘したのは、60年代末ごろから関西フォークをリードした五つの赤い風船のアルバム。

会員制のレコード・クラブちょして発足した、URC(アングラ・レコード・クラブ)レーベルではなく、ビクターが当時 “フォークの殿堂シリーズ”と銘打って彼らの作品をフォーク・アルバム第一集として1969年に出したもの。

(この空気排気口からして、新宿駅前?)

当時はベトナム戦争真っ盛りで結構反戦歌的なものがアングラ系フォーク・バンドによって結構レコーディングされていたね。洋楽専門に聴いていたオイラは70年代になって彼らの存在を知ったが、当時はちょっと一歩引いた感じの距離感だった。

確か90年代頃に彼らのベスト物のCDを買った筈がいつの間にか見当たらなくなり、今回懐かしさのあまりつい買ってしまった。

改めてレコードに針を落とすと、前の持ち主が結構聴き込んでいる感があって音はそれほど宜しいわけではないが、あの時代の雰囲気が朧げながら記憶に蘇る。


顔立ちは若き頃の河島英五か?

2024年10月03日 | AMERICAN ROCK/POPS

ハーモニカ・ホルダーを首に巻き付けそしてアコギを抱かえて、個性的なハスキー・ヴォイスで歌う様はなんだかディランみたいな佇まい。

1976年ミシシッピ州の田舎町メリディアンから大きな希望を抱いてニューヨークに。ストリートから始まって街中のクラブなどニューヨークの街のあちこちで歌い続け、ようやくレコード会社の目に留まる事となったSSWのスティーブ・フォーバート。

1978年にコロンビア・レコードの傘下のネムペラー・レーベルからアルバム、Arrive On Arrivalにてソロ・デビュー。

大ヒットにはならなかったものの、個人的には魅力的な作品で将来性を感じさせる気になるミュージシャン。そして次作で待望のヒットを飛ばす事に。

ただその後アルバムを数枚出すも1984年にレコード会社と方向性の面で揉めて数年間まともな音楽活動が出来なかったのが残念だった。

1988年にゲフィン・レーベルと新たな契約を結ぶことが出来ようやくニュー・アルバムの制作が解禁され、現在も活動継続中の息の長いミュージシャンだ。


アンダーグラウンドから1974年についに光を浴びる

2024年10月02日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はVelvet Undergroundの1969年のライブでも。

1969年にライブ録音されたものの、何故かその後お蔵入り。

1974年になってようやくレコード化 されようやく日の目を見たのが彼らのライブ・アルバム、Velvet Underground Live with Lou Leed, 1969。

過去3枚のアルバムと当時まだ発売されていなかった1970年のスタジオ・アルバム、Loadedから選曲された2枚組、17曲収録の集大成のようなアルバムに仕上がった。

当時タブーであったドラッグや性また心の暗部などを、比喩的な表現でなくダイレクトな言葉でさりげなく詩に纏め、 シンプルなロック・サウンドに乗せて歌い上げていてベルベットらしい仕上がり。ゆっくりしたペースから徐々にピッチが上がって盛り上がっていく。

また、結成当時のメンバーであった英国人ジョン・ケールはすでにバンドから脱退しており、 ルー・リード中心のバンドだったことから初期の前衛的なサウンドも薄れて割と聴き安いと感じる。

60年代中後期、著名バンドを除いてはロック自体はまだまだメインストリームな存在ではなく、商業的にほとんど成功しなかった彼らではあったが、新しい何かを求めてキャリアをスタートした彼らはのちに続くロック・バンドやソロ・アーティストに多大な影響を与えた。

このアルバム、1969年に出たとしてもニコのいないベルベットじゃ世間的に注目を集めにくかったかもね。

1974年に出たことでようやく時代が彼らに追いついたと思う。

再発アメリカ盤、レーベルのデザインから見て1975年以降にプレスされたのかな?


ベスト・セラーの秘密

2024年10月01日 | PROG ROCK

やっぱり気温が高いとロックなんかは暑苦しく感じてちょっと聴く気がしない。

10月になって夜間の室内の気温が25度を少しばかり下回りようやく熱帯夜から解放され、うなぎの寝床のような我が家のアパートにもようやく涼しい夜風が吹き込んでくる。

久々にピンク・フロイドの1973年に出たThe Dark Side Of The Moonでも聴いてみようか…

1973年に発売され全世界の累計販売数が5000万枚を超えるお化けアルバム。このアルバムの発売時、FMラジオでMoneyがオンエアーされていたのを気に入って2000円を握り締めレコード屋に駆け込んだ様な記憶が...

とは言え50年以上前に出たこのアルバムも今や古典の部類、今の若い人達はこれを聴いてどう思うか聞いてみたいね。

確かに売れたアルバムだけれど、案外オイラのような中高年のファンが "またまたリマスターされた高音質の再発盤が出た~!" ってヤケクソ気味に何度も買い直しているのが積み重なったような気もするけれど...

Money〜 Get Away ~ 🎵