六甲1号の出撃にっき

撮影ロケの出撃模様のほか、日々の雑感なんかも綴ったものです。

東日本大震災から10年

2021-03-12 | 日記
 今年の3月11日でちょうど東日本大震災から丸10年が経ちました。
 神戸生まれ神戸育ちの私にとっては、単に「震災」とだけ言うと、自身が経験した阪神大震災のことを指すので、区別する意味でも東日本大震災、または東北の震災という言い方をしています。
 まぁ阪神大震災が起きた1995年の春から神戸を離れ、何県か住居も変わって、今の居場所にいるわけですが、まだ神戸に住んでいた年数の方が長いので、神戸基準という事になります。

 私もこの10年間は、鉄道の復旧を感じるべく、何度か東北3県に足を運びました。(なお国鉄型車両が多く残っている日本海側の方が行った回数が多いですが)

震災後に今まで訪れた東北4県の回数は(青森県は太平洋側のみ、日本海側地域への訪問は除く)
 2011年 4月 福島
 2012年 3月1:宮城、3月2:宮城・岩手、4月:福島
 2012年 10月:岩手・宮城、4月1:福島、4月2:岩手・青森
 2014年 4月:宮城・岩手・青森、8月:福島
 2015年 8月:青森・岩手・宮城・福島、12月:福島
 2016年 3月:福島、4月1:宮城、4月2:宮城、5月:福島、6月:福島、7月:福島、8月1:宮城、8月2:福島
 2017年 4月:福島・宮城・岩手、6月:福島、9月:青森
 2018年 3月:青森・岩手
 2020年 1月:福島、2月:福島
の計25回訪れていました。

 2011年
 まず最初に訪れたのは、震災からわずか27日目の4月7-9の3日間に磐越西線の石油輸送列車を撮りに行った時です。

 東北本線が未開通だった為、郡山にある石油基地まで燃料を運ぶべく、上越・磐越ルートの迂回経路で毎日石油を運んでいましたが、大雪で止まったり、私が訪れた2日目には最大級の余震で運転打ち切りになったりと、鉄道が全く動かなくなったため、冷や冷やものでバスを使って郡山から脱出した思い出があります。

 2012年

 1年後の2012年の4月には実際に津波の被害に遭った、常磐線のいわき以北へ折り返しで、第一原発から26km地点の久ノ浜まで行きました。ここでようやく津波の爪痕を実際に見たことになります。既に一面の更地になっていて、早々と家を再建した所もありましたが、ほとんどは更地のままでした。

 同年10月には北部に足を延ばし、岩手・宮城のバス代行区間を抜ける形で、気仙沼や石巻の様子を見ました。このころはまだ仙石線の石巻側が気動車による暫定復旧していた頃で、まだ震災がれきを専用列車で運んでました。

 2014年

 3年後の2014年春には、全復旧した三陸鉄道を絡めて気仙沼から八戸まで1日がかりで抜けました。ちょうどTVドラマであまちゃんフィーバーが終わった頃だったと思います。写真は陸中山田の街並みで、国道は海からわずか150m程しかない所だったので、壊滅状態で、それから3年後の姿でした。
 2015-2016年は廃止になる北斗星や485系・583系の撮影のために、会津を中心に何度も訪れましたが、ここはあまり復興とは関係ない場所でした。

 2017年

 続いて訪れたのが2017年4月で、常磐線がバス代行区間が短くなって、容易に抜けられるようになったため、放射線量表示がぐんぐん上がるバスの中から第一原発を見た後、仙台湾周辺の復旧した線路などを見て撮ってしてきました。

 その後は国鉄型車両の淘汰が進み、太平洋側に行くことがめっきり減ってしまいましたが、JR山田線も三陸鉄道に移管されて繋がったり、常磐線も全線復旧したことから、久しぶりに東北3県を訪れるのもいいかなぁと思います。

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