志忠屋繁盛記・1
『そよ風の志忠屋』
「オス」…………この一言が、マスターのいつものアイサツである。
「いらっしゃいませ」
普通の店なら、この一言から始まる。
「何名様ですか……タバコはお喫いになりますか……何番テーブル、何名様です」
てな具合に続く。
これから気まぐれで書こうとしている志忠屋は、そういう店ではない。
店の自動ドアを入って、首を九十度も振れば、店の全体が見渡せる。
左手の西方向には、テーブルが二つ。正面から右手の東方向にはカウンターがある。
テーブルとカウンターを合わせて十五人ほどのお客が入ると満席になるような、こぢんまりした店である。
店の名前から、ご想像はつくと思うが、シチューをメインにした、イタメシ屋のようである。
ようである。という曖昧さは、わたしの料理に対する知識の無さからきている。
で、「オス」というマスターのあいさつである。
マスターは、普通のお客に対しては、きちんとあいさつする。
「いらっしゃいませっ」
本人は、ほとんどえびす顔のつもりでいるが、わたしが見ると、ビートたけしの『アウトレイジ・ビヨンド』に出てきそうなスゴミがある。大半のお客は、マスターの声のみを聞いて、あとはパートのSちゃんやMちゃんに可愛く誘導され、お冷やとおしぼりを出されメニューに集中する。
SちゃんやMちゃんと書いたが、別にSMの店ではない。マスターのタキさんを除いて仮名にするためである。わたしは固有名詞を覚えるのが苦手なので、安直にS・Mとしているだけである。ちなみにチーフシェフはKさんである。チーフと言っても、厨房には、マスターのタキさんとKさんしかいない。チーフと呼ぶのは心意気と、Kさんの、マスターに劣らない技量からきている。
この志忠屋はシチューをメインにしているが、パスタの味わいも一際で、わたしは、いつもパスタ「海の幸」をオーダーする。
以前、パスタ料理で有名な「○の○」という店に行ったことがある。食べ終わると、シェフがカウンターから、顔を出し「どうですか、おいしいでしょ!」と、感想を押しつけてきた。
わたしは極端な出不精で、近年外出を、あまりしない。従って外食することは、ほとんど無いので、パスタは、まだ「スパゲティー」と言われた頃の喫茶店などのものと、志忠屋のそれしか知らない。この「○の○」のパスタはひどかった。あいまいに方頬で笑って無言で伝票を掴んだことを覚えている。
志忠屋のパスタは、わたしの少ない外食経験から言っても、最上級と言っていい。
で、再び「オス」というマスターのあいさつである。
マスターとは、四十年来の○友同士である。○の中に「親」「良」「悪」のいずれかを入れるのは、読者のご判断に、お任せする。
そういう○友関係なので、わたしには「オス」ですまされる。この「オス」に対するわたしの返事は「オ」あるいは「ウ」で済ませてしまう。
わたしは、月に一度の通院の帰りに、ランチタイムを少し外して志忠屋にいく。「海の幸」をオーダーして、食べ終わったころにランチタイムが終わり、「アイドルタイム」という休憩と、ディナータイムの仕込みの時間になる。この時間になって店に居座っているのはわたしぐらいのものである。店のスタッフ(マスターとKさん、Sちゃん、あるいはMちゃん)がマカナイの昼食をとっている間、わたしはコーヒーを頂いている。そして、五時近くまで居座り、タキさんと世間話や、芝居、映画、書評などを語り合う。
語り合うなどと標準語でかくと、お上品に聞こえるが、タキさんもわたしも、河内のど真ん中の八尾市の住人である。
「オッサン、オバハン、オヤッサン、イテモタランカイ。シバくぞ。シメなあかんな。あのクソッタが……」などと方言丸出しである。芸術的、あるいは学術的単語を抜いて文字におこせば、まさにビートたけしの『アウトレイジ・ビヨンド』のようになる。
「マスター、ここですわ」
kさんがカウンター席の後ろでつぶやいた。
この志忠屋の店内には、そよ風が吹いている。食い物屋であるので、絶えず換気扇が回っているので、並の店のように、空気が環流している。
しかし、この志忠屋は、どこか外から壁の隙間から、風が吹き込んでくるのである。チーフのKさんは、その道のプロである。換気扇の回る音は、食い物屋としてはBGのようなものであるが、どこかの隙間から入ってくる微かな風音は、とても気になるのである。そっして、やっとその原因を突き止めたのである。
「こら、配管と壁の隙間やなあ……」
タキさんは、ポニーテールをきりりと締め直して答えた。
誤解のないように申し上げておくが、マスターのタキさんはオネエではない。十年ほどやったサラリーマンを辞め、料理人の道に入ってから、髪を伸ばし始め、日頃はチョンマゲというかポニーテールにしている。
「とりあえず……」
ということで、紙をちぎって突っこみ、後日、本格的にコーキングで隙間を塞いだ。
しかし、その翌月行ってみるとやはり風を感じる。
「まだ、風が吹き込んでるで」
「そうか、ちゃんと直したんやけどなあ」
「そやけど……あ、このオレ自身が、そよ風なんかもしれへんなあ」
わたしのウィット(のつもり)にタキのオッサンはニベもなく、こう言った。
「なに、ぬかしとんねん。病院行きさらせ」
わたしには、持病のメニエルがある。ときに、風が吹き渡るような耳鳴りがすることがある。タキさんはそれを知っていて、暖かい河内弁で忠告をしてくれたのである。
しかし、それとは別に、耳でも聞こえず、体にも感じない風が、この志忠屋には流れている。
わたしの駄文と言っていい作品群の中の『オレンジ色の自転車』は、親の理不尽な理由で転校を余儀なくされた「はるか」という少女の心情が、明るくサラリと書けていて、かなりアクセスも多い。その『オレンジ色の自転車』は、この、そよ風感じるカウンター席で、二十分ほどで書き上げたものである。
他にも、いろんなアイデアが、ここのカウンターで浮かんできている。
そよ風さまさまである……。
☆この物語はフィクションです……が
志忠屋は、大阪は地下鉄南森町一番出口、徒歩30秒のところに実在する店で、マスターのタキさんこと滝川浩一は、本当に四十年来の○友である。わたしの作品『はるか 真田山学院高校演劇部物語』『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』には実名で店ごと登場しております。
映画評論家としても名を成しており、作品を書くときの、映画や食文化、風俗の監修などで助けてもらっております。わたしのブログの中の『押しつけ映画評』などは、彼のものを転載させてもらっております。
今回、不定期ではありますが『志忠屋繁盛記』として書いていこうと思い立ちました。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
2012年10月25日に、青雲書房より発売。全21章ですが序章のみ立ち読み公開。
お申込は、最寄書店・アマゾン・楽天へお願いします。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。
『そよ風の志忠屋』
「オス」…………この一言が、マスターのいつものアイサツである。
「いらっしゃいませ」
普通の店なら、この一言から始まる。
「何名様ですか……タバコはお喫いになりますか……何番テーブル、何名様です」
てな具合に続く。
これから気まぐれで書こうとしている志忠屋は、そういう店ではない。
店の自動ドアを入って、首を九十度も振れば、店の全体が見渡せる。
左手の西方向には、テーブルが二つ。正面から右手の東方向にはカウンターがある。
テーブルとカウンターを合わせて十五人ほどのお客が入ると満席になるような、こぢんまりした店である。
店の名前から、ご想像はつくと思うが、シチューをメインにした、イタメシ屋のようである。
ようである。という曖昧さは、わたしの料理に対する知識の無さからきている。
で、「オス」というマスターのあいさつである。
マスターは、普通のお客に対しては、きちんとあいさつする。
「いらっしゃいませっ」
本人は、ほとんどえびす顔のつもりでいるが、わたしが見ると、ビートたけしの『アウトレイジ・ビヨンド』に出てきそうなスゴミがある。大半のお客は、マスターの声のみを聞いて、あとはパートのSちゃんやMちゃんに可愛く誘導され、お冷やとおしぼりを出されメニューに集中する。
SちゃんやMちゃんと書いたが、別にSMの店ではない。マスターのタキさんを除いて仮名にするためである。わたしは固有名詞を覚えるのが苦手なので、安直にS・Mとしているだけである。ちなみにチーフシェフはKさんである。チーフと言っても、厨房には、マスターのタキさんとKさんしかいない。チーフと呼ぶのは心意気と、Kさんの、マスターに劣らない技量からきている。
この志忠屋はシチューをメインにしているが、パスタの味わいも一際で、わたしは、いつもパスタ「海の幸」をオーダーする。
以前、パスタ料理で有名な「○の○」という店に行ったことがある。食べ終わると、シェフがカウンターから、顔を出し「どうですか、おいしいでしょ!」と、感想を押しつけてきた。
わたしは極端な出不精で、近年外出を、あまりしない。従って外食することは、ほとんど無いので、パスタは、まだ「スパゲティー」と言われた頃の喫茶店などのものと、志忠屋のそれしか知らない。この「○の○」のパスタはひどかった。あいまいに方頬で笑って無言で伝票を掴んだことを覚えている。
志忠屋のパスタは、わたしの少ない外食経験から言っても、最上級と言っていい。
で、再び「オス」というマスターのあいさつである。
マスターとは、四十年来の○友同士である。○の中に「親」「良」「悪」のいずれかを入れるのは、読者のご判断に、お任せする。
そういう○友関係なので、わたしには「オス」ですまされる。この「オス」に対するわたしの返事は「オ」あるいは「ウ」で済ませてしまう。
わたしは、月に一度の通院の帰りに、ランチタイムを少し外して志忠屋にいく。「海の幸」をオーダーして、食べ終わったころにランチタイムが終わり、「アイドルタイム」という休憩と、ディナータイムの仕込みの時間になる。この時間になって店に居座っているのはわたしぐらいのものである。店のスタッフ(マスターとKさん、Sちゃん、あるいはMちゃん)がマカナイの昼食をとっている間、わたしはコーヒーを頂いている。そして、五時近くまで居座り、タキさんと世間話や、芝居、映画、書評などを語り合う。
語り合うなどと標準語でかくと、お上品に聞こえるが、タキさんもわたしも、河内のど真ん中の八尾市の住人である。
「オッサン、オバハン、オヤッサン、イテモタランカイ。シバくぞ。シメなあかんな。あのクソッタが……」などと方言丸出しである。芸術的、あるいは学術的単語を抜いて文字におこせば、まさにビートたけしの『アウトレイジ・ビヨンド』のようになる。
「マスター、ここですわ」
kさんがカウンター席の後ろでつぶやいた。
この志忠屋の店内には、そよ風が吹いている。食い物屋であるので、絶えず換気扇が回っているので、並の店のように、空気が環流している。
しかし、この志忠屋は、どこか外から壁の隙間から、風が吹き込んでくるのである。チーフのKさんは、その道のプロである。換気扇の回る音は、食い物屋としてはBGのようなものであるが、どこかの隙間から入ってくる微かな風音は、とても気になるのである。そっして、やっとその原因を突き止めたのである。
「こら、配管と壁の隙間やなあ……」
タキさんは、ポニーテールをきりりと締め直して答えた。
誤解のないように申し上げておくが、マスターのタキさんはオネエではない。十年ほどやったサラリーマンを辞め、料理人の道に入ってから、髪を伸ばし始め、日頃はチョンマゲというかポニーテールにしている。
「とりあえず……」
ということで、紙をちぎって突っこみ、後日、本格的にコーキングで隙間を塞いだ。
しかし、その翌月行ってみるとやはり風を感じる。
「まだ、風が吹き込んでるで」
「そうか、ちゃんと直したんやけどなあ」
「そやけど……あ、このオレ自身が、そよ風なんかもしれへんなあ」
わたしのウィット(のつもり)にタキのオッサンはニベもなく、こう言った。
「なに、ぬかしとんねん。病院行きさらせ」
わたしには、持病のメニエルがある。ときに、風が吹き渡るような耳鳴りがすることがある。タキさんはそれを知っていて、暖かい河内弁で忠告をしてくれたのである。
しかし、それとは別に、耳でも聞こえず、体にも感じない風が、この志忠屋には流れている。
わたしの駄文と言っていい作品群の中の『オレンジ色の自転車』は、親の理不尽な理由で転校を余儀なくされた「はるか」という少女の心情が、明るくサラリと書けていて、かなりアクセスも多い。その『オレンジ色の自転車』は、この、そよ風感じるカウンター席で、二十分ほどで書き上げたものである。
他にも、いろんなアイデアが、ここのカウンターで浮かんできている。
そよ風さまさまである……。
☆この物語はフィクションです……が
志忠屋は、大阪は地下鉄南森町一番出口、徒歩30秒のところに実在する店で、マスターのタキさんこと滝川浩一は、本当に四十年来の○友である。わたしの作品『はるか 真田山学院高校演劇部物語』『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』には実名で店ごと登場しております。
映画評論家としても名を成しており、作品を書くときの、映画や食文化、風俗の監修などで助けてもらっております。わたしのブログの中の『押しつけ映画評』などは、彼のものを転載させてもらっております。
今回、不定期ではありますが『志忠屋繁盛記』として書いていこうと思い立ちました。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
2012年10月25日に、青雲書房より発売。全21章ですが序章のみ立ち読み公開。
お申込は、最寄書店・アマゾン・楽天へお願いします。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
このも物語は、顧問の退職により、大所帯の大規模伝統演劇部が、小規模演劇部として再生していくまでの半年を、ライトノベルの形式で書いたものです。演劇部のマネジメントの基本はなにかと言うことを中心に、書いてあります。姉妹作の『はるか 真田山学院高校演劇部物語』と合わせて読んでいただければ、高校演劇の基礎連など技術的な問題から、マネジメントの様々な状況における在り方がわかります。むろん学園青春のラノベとして、演劇部に関心のないかたでもおもしろく読めるようになっています。