ライトノベルセレクト№80
『笑いの理由』
わたしは、驚くよりも、こみあげる笑いを堪えるのに苦労した……。
セントゲイトハイスクール創立百周年の式典に、わたしは来賓として呼ばれ、感無量だった。
セントゲイトは、わたしの母校であり、また融資相手でもあった。五年前、少子化のあおりを受けて、わが母校セントゲイトは、経営の危機に瀕し、五億ギルの赤字をかかえた。
教育省の勧告で、姉妹校のウォーターゲイトハイスクールとの合併を言い渡されたが、教職員や、OBの声で存続の嘆願書が出された。でも、出るのは嘆願書と涙とため息ばかりで、誰も改革プランや救済資金を出そうとはしなかった。
もうフレアバンクのトップの一人になっていたわたしは、卒業生でありながら、学校への融資には反対だった。改革プランが抽象的で、経営の見通しがつかない。こんな学校は無くなっても良いとまで、思っていた。
しかし、うちの頭取は融資を決定してしまった。理事長に弱みを握られていたという説やら、孫娘が、学校の若い教師といい仲であったとまで、いろんな説が流れた(あくまで社員食堂のゴシップです)
ま、そんなことはどうでもいい。わたしの笑いの理由である。
インクライン先生。かつては、わたしの人生の全てだった、ミュージカル部の顧問である。
先生は徹底した市民派で、長い間この国の国旗や国歌に反対してこられた。反対の理由は、貴方の国とほとんどいっしょ。
先生はわたしが生徒だったころに『旗ひるがえして』というミュージカルを書かれた。
近未来もので、決まった場所、決まった時間に国旗が掲揚され、それに敬礼しなければ罰せられるという状況。そんな中で、意識有る若者が、犠牲者を出しながら、国旗を拒絶し、自分たちの旗をひるがえすという単純なストーリーだった。わたしは、犠牲になる若者の恋人という美味しい役で、役を振られた時に胸が熱く震えた。
「この役はローゼ、君がやりなさい。これを演じきったら人生が変わるぞ」
そして、師弟共々熱狂的に取り組み、県のコンクールで準優秀賞をとった。
「この『旗ひるがえして』は、旗がひるがえるという意味だけじゃなくて、反旗を翻してという意味もあるんだ! 青春とは反旗を翻すことなんだ!」
練習の時に先生が熱く語った演説を熱狂し。滑稽なことに、わたしの夫となるべき人は、このインクライン先生をおいて居ない! とさえ思った。
あのミュージカルで国旗を破るところは圧巻で、観客席が水を打ったようになった。師弟共に最優秀を思い浮かべたが、あの観客席の反応は別の意味だったことは、少し大人になって分かった。
先生は、それからも、市民派というか、反体制というか、そう言う芝居をたくさん創ってこられた。そういう反国旗、反国歌、反基地、反原発という「反」の字の付く運動にも進んで参加され、成年に達した卒業生には、良きオルガナイザーでもあった。ギスギスした仕事の合間に、こういう牧歌的なオルグは、先生には失礼だが、良い慰めになった。
ある年の同窓会。
二次会のあと、アルコールが、まるでダメな先生は、酔いつぶれた卒業生四人をそれぞれの家まで送ってくださった。
わたしは、実は、そんなに酔ってはいなかったが酔ったふりをした。
半開きのダッシュボードに、指輪のケースが見えた。
先生はタイミングを計っていたようだが、わたしは巧みにかわし、最後に真顔で、こう言った。
「先生、もう、ここまででけっこうです」
先生には、その後、正式に申し込まれた。世慣れたわたしは、こう答えた。
「わたしにとって、先生は、永遠の先生なんです」
その先生が、目の前で声たからかに国歌を歌っている。そして、先生にはこの秋からジュニアハイスクールに通う女の子がいる。
この、牧歌的で、微笑ましい旗の翻しかたに、わたしは笑みがこぼれるのに苦労した。
で、学校への融資は、社会貢献の一つと理解しております。まず隗より始めよでありましょう。
ロ-ゼ ブルシューン 日本支社社内報より抜粋
『笑いの理由』
わたしは、驚くよりも、こみあげる笑いを堪えるのに苦労した……。
セントゲイトハイスクール創立百周年の式典に、わたしは来賓として呼ばれ、感無量だった。
セントゲイトは、わたしの母校であり、また融資相手でもあった。五年前、少子化のあおりを受けて、わが母校セントゲイトは、経営の危機に瀕し、五億ギルの赤字をかかえた。
教育省の勧告で、姉妹校のウォーターゲイトハイスクールとの合併を言い渡されたが、教職員や、OBの声で存続の嘆願書が出された。でも、出るのは嘆願書と涙とため息ばかりで、誰も改革プランや救済資金を出そうとはしなかった。
もうフレアバンクのトップの一人になっていたわたしは、卒業生でありながら、学校への融資には反対だった。改革プランが抽象的で、経営の見通しがつかない。こんな学校は無くなっても良いとまで、思っていた。
しかし、うちの頭取は融資を決定してしまった。理事長に弱みを握られていたという説やら、孫娘が、学校の若い教師といい仲であったとまで、いろんな説が流れた(あくまで社員食堂のゴシップです)
ま、そんなことはどうでもいい。わたしの笑いの理由である。
インクライン先生。かつては、わたしの人生の全てだった、ミュージカル部の顧問である。
先生は徹底した市民派で、長い間この国の国旗や国歌に反対してこられた。反対の理由は、貴方の国とほとんどいっしょ。
先生はわたしが生徒だったころに『旗ひるがえして』というミュージカルを書かれた。
近未来もので、決まった場所、決まった時間に国旗が掲揚され、それに敬礼しなければ罰せられるという状況。そんな中で、意識有る若者が、犠牲者を出しながら、国旗を拒絶し、自分たちの旗をひるがえすという単純なストーリーだった。わたしは、犠牲になる若者の恋人という美味しい役で、役を振られた時に胸が熱く震えた。
「この役はローゼ、君がやりなさい。これを演じきったら人生が変わるぞ」
そして、師弟共々熱狂的に取り組み、県のコンクールで準優秀賞をとった。
「この『旗ひるがえして』は、旗がひるがえるという意味だけじゃなくて、反旗を翻してという意味もあるんだ! 青春とは反旗を翻すことなんだ!」
練習の時に先生が熱く語った演説を熱狂し。滑稽なことに、わたしの夫となるべき人は、このインクライン先生をおいて居ない! とさえ思った。
あのミュージカルで国旗を破るところは圧巻で、観客席が水を打ったようになった。師弟共に最優秀を思い浮かべたが、あの観客席の反応は別の意味だったことは、少し大人になって分かった。
先生は、それからも、市民派というか、反体制というか、そう言う芝居をたくさん創ってこられた。そういう反国旗、反国歌、反基地、反原発という「反」の字の付く運動にも進んで参加され、成年に達した卒業生には、良きオルガナイザーでもあった。ギスギスした仕事の合間に、こういう牧歌的なオルグは、先生には失礼だが、良い慰めになった。
ある年の同窓会。
二次会のあと、アルコールが、まるでダメな先生は、酔いつぶれた卒業生四人をそれぞれの家まで送ってくださった。
わたしは、実は、そんなに酔ってはいなかったが酔ったふりをした。
半開きのダッシュボードに、指輪のケースが見えた。
先生はタイミングを計っていたようだが、わたしは巧みにかわし、最後に真顔で、こう言った。
「先生、もう、ここまででけっこうです」
先生には、その後、正式に申し込まれた。世慣れたわたしは、こう答えた。
「わたしにとって、先生は、永遠の先生なんです」
その先生が、目の前で声たからかに国歌を歌っている。そして、先生にはこの秋からジュニアハイスクールに通う女の子がいる。
この、牧歌的で、微笑ましい旗の翻しかたに、わたしは笑みがこぼれるのに苦労した。
で、学校への融資は、社会貢献の一つと理解しております。まず隗より始めよでありましょう。
ロ-ゼ ブルシューン 日本支社社内報より抜粋