KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★選ぶ楽しみ

2010年02月19日 | KAORUの好きなものギャラリー
              【浅草橋・花楽堂】


22日から日本橋でいよいよグループ展がスタートする。

今日は、沖縄の作家から器が届き
ギャラリーで使いたい花器を選び、
配置場所を確認し、
そのあとメンバーのひとり、
花楽堂さんのお店に花を選びに行った。


あらかじめ、デザインの構想を決めておこうか迷ったのだが
やはり実際にすべてを確認してから
作品を考えよう、と思いまったく白紙の状態で、
ギャラリーとお花屋さんに向かったのだった。

****************************


そう、
すべては“出会い”と“流れ”にまかせよう、と思ったのだ。



まだ1度しか顔を合わせたことがないメンバーと
ひとつの空間で、ひとりの作家の器を使って、
それぞれのカラーを出しながら作品を作り上げる。


共通のキーワードは「花」


ただそれだけで、同じ時間を共有することになった。


いつも思う。

出会いは、今までバラバラに、違う道のりを歩いてきて
あるとき、キュっとひとつに集められる。

違うからこそ、ひとつに集められる。
ほんのわずかな、同じキーワードをたずさえて。

ほんのひと時でもう会わなくなることもあれば、
それがきっかけで、
ずっとずっと長く絆を紡ぐことになる場合もある。

ひとつの出会いが、どのくらいの時間を
ともに過ごすことになるのか
誰にもわからない。


気がついたら会わなくなる時もあれば、
どちらかの意思で、会うのをやめることもある。

お互いにそんなつもりがなくても
ある日突然、別れの時がやってくることだってある。

生きていく中で、
本人の意思とは関係なく
どうしようもない流れに翻弄され
やむなく中断せざるを得ないことや、
スタートせざるを得ないシチュエーションが
あるのはまぎれもない事実であるが、

それとは反対に、
周囲とはまったく関係なく、
純粋に本人の選択による意思決定をしていく
シチュエーションが大半を占めている。

いずれにせよ、
どんな状況下であれ
最後の最後は自分で選び取ることができる。

それが人生の法則だ。

****************************

オリンピックのアスリートたちを見ていて、
人が生きる姿と重ねあわせる。

肉体の極限と、
そして、精神的な強さ。

誰もが
自分の弱さと戦い、強くなることを目指している。

技は、繰り返し練習を重ねることで磨かれ
心は、挫折を味わい、壁を乗り越えていくことで
強くしなやかになっていく。

栄冠を手にする人に
苦しみがなかった人はいないと思う。
だからこそ、本当に輝き、
時に悔しさから号泣する。

失敗しても最後まで演技や競技を続けようとする姿に
人々は感動し、応援し、惜しみない拍手をおくる。


アスリートたちは口を揃えて言っている。


「みんながいたからここまでこれた。」



ひとりでは目標を手にすることは決してできない。

たくさんのサポートと声援があってこそなのだと。


観客を味方につけることで
実力以上のものが発揮できたり、
逆に会場の雰囲気に足がすくんでしまい
いつもの力が充分に出せないことだってある。


自分にひたむきに向き合って、
最後は応援よろしくお願いします!と言われると
たくさんのサポーターたちは、
その思いに共鳴し、プラスのエネルギーを送って
追い風となってくれる。


もちろん、時の運も大きく左右するが
周囲に翻弄されすぎずに、跳ねのけながらも
やわらかでいることができたら
いつもの力を発揮していくことができるのだと思う。


****************************


CMソングにも繰り返し流れているフレーズが
頭にこだまする。

「誰のせいでもないさ。
人はみんな鏡だから。」


敵味方に分かれて勝敗を決める競技とは違って
氷の上の大舞台で、
たった一人で演技する選手たち。

風も、雪も関係なく整った環境化で、
華麗なコスチュームで美しく舞う
フィギアスケートを見ていて、つくづく思った。

頼るべきチームメイトは誰もいない。
天候や風向きのせいにすることもできない。
じゃまをする相手すらいない。

言い訳なんかできない状況下が用意されている。


すべては自分。


たくさんの観客に見守られながら
はかりしれない重圧を背負って
ほんの数分の勝負に挑む。


もうやめようと思った。

できない。


と、言いながらもまた再び挑戦し始める
彼らの姿は、目的や方向がさまざまなだけで
人生の縮図そのものだと思う。


****************************

そして、
どんなに輝かしい成績を残したアスリートでも
やがてその選手生命を終えるときが訪れて、
次のステージを選ばなくてはならない時間がやってくる。

今までの経験を生かして
その枝葉を広げていくのか、
それとも、生まれ変わったように
イチから何かを始めていくのか、
最後は、自分で選び取らなくてはならない。


誰のための人生でもない。
自分のための人生だから。

だからおもしろい。


明日の私はどんな風になっているんだろう。

来年の私は、どこにいるのだろう。

未来の私に言いたい。

今日も精一杯生きるからね。
それしかできないけど。

でも、今を乗り越えるのは
今の私しかできないもんね。

****************************

だけど、
たくさんの選択肢や可能性の中から選び、
決定していく作業は難しいけれど
楽しい時間だと思う。

だって、
結果はどうであれ、
選んだ先には新しいことが生まれるでしょ。

それが、
やがて自分の経験となり
自信や確信につながっていく。

そして、
いつしか本当に向かいたい
方向が見つかっていくんだから
やっぱり、楽しい作業なのだ。



まあ、でも
いろんなコト抜きにして

私が一番好きなのは、
たくさんのお菓子の中から、おいしそうなのを選ぶときと、
いっぱいのお花の中から、きれいでカワイイのを選ぶとき

その時間がなにより幸せ





















   



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★好きなことだけ。いいものだけ。

2010年02月11日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【オリーブオイルとバルサミコ酢】

とりわけグルメ、というわけでもない。

食にすごくこだわっている、というわけでもない。

かといって、
口に入ればなんでもイイというのでもない。


グルメ本をチェックすることもないし、
うまいもの特集を見ていそいそとでかけたりもしないし、
あらかじめ、評判のよいお店を下調べして旅にでることもない。


ただ、おいしいものを食べると豊かな気分になれるし、
その土地ならではの食文化に触れるのはとても興味深い。

そこでしか食べることのできないごはんは、
いつまでも記憶に残る。


******************************

山形だったら、冷たい「鶏そば」

鶏肉と、透明感のあるツユが絶品である。

おみやげには、「さくらんぼの梅づけ」
梅干味なのに、さくらんぼのほんのりした甘さがご飯に合う。



札幌は、いっぱいあるけど渋いところで「タチ」

白子のことをタチと呼んでいるのだそう。
おすしもおいしいし、この前のタチの天ぷら、
外がさくっとしていて中がとろっとしていて、超美味だった~♪


名古屋は、「ひつまぶし」
3度ぐらいに分けていろんな食べ方をする。
最後にお茶漬けにする食べ方がおもしろい。
わさびとダシが意外と良く合う。

おみやげに凝っているのが「わらびういろう」
わらびもちじゃないし、今までのういろうともちょっと違う。
黒みつときなこをかけて食べる。


北九州は「おでん」がおいしかったな。
屋台の春菊のおでん。
注文受けてからさっとゆがくのは、後にも先にも小倉だけ。


地元の人に連れて行ってもらうのが一番おいしい。


東京は、なんでもあるようだけど、
じゃあコレっていうのがなかなかないし、
誰か来たときに、東京ならではの味だから
ゼッタイ連れて行きたい!って
思う味はあんまりないかも。
どこもそれなりにきちんとおいしいんだけれど。

もちろん、テレビに紹介されているお店はいっぱいあるし
名店や老舗もひしめきあっているのだけれど、
おしゃれで、雰囲気のいいお店は知ってても
味に自信あり!っていうところはまだ開拓中である。

味じゃないけど、
都内はオープンカフェスタイルがオススメ。

表でコーヒーや食事をする店が増えた。
ストーブやひざ掛けを用意してあって、
多少寒くても、テラスや庭で外の風にあたりながら
開放感にあふれて食事を楽しむ。

東京はビルだらけだけど、
上手に空や景色をとりこんでるよね!
オープンカフェは寒い地域では考えられないよ。
ここならではだね、と言われたことがある。

欧米では、ごく普通のスタイルだが
日本では、外でご飯を食べられるところってたしかに
昔は季節ものやアウトドアの
ビヤガーデンとか屋台とか、バーベキューだけだった。
しかも、ファミリーとかサラリーマンの居場所だったけど
ここ数年、通年でカップルや女性たちにも
その場が広がってきた感じだ。

欧米のスタイルが
日本の文化としても定着していくのかもしれない。


******************************

去年の秋に訪れたMALTAは、
ほとんどがイタリア料理に近くてパスタが多かった。
でも代表料理のひとつに「ウサギ料理」があって
せっかくだからチャレンジしてみた。

最初はやっぱり抵抗があったけど
口にしてみるとトマトソースの煮込みはチキンに似た味。

想像すると、なんだか躊躇してしまうが、
形がないと、食べれてしまうものである。


静岡に行った時、
マルタでウサギ料理を食べた話をしたら、
静岡県人たちはいっせいに

「え~!!!ウサギ!」と叫んだので
「でも、静岡の人たちがイルカ食べるって聞いたら
みんなもっとビックリするわよ♪」と言うと、

「え??? イルカ? なんで?」ときょとんとしている。


そう、最近知ったのだが
静岡では昔からイルカが食卓にのぼるそうなのだ。

スーパーでも普通にパックされて売られている。

味は、味噌としょうがで煮込むんだとか。

「今日、イルカ食べる?」と普通に会話される
伝統料理なのだそう。

気がついたらそこにあった、という
シンプルな理由だから、それが当たり前なのだ。


同じ日本でも、まだまだ知らないことってたくさんある。

******************************

どんな動物ならよくて、どれはダメとか
いまここで個人的な見解はない。

それは、国や時代や宗教などの決まりなどによって
大きな差があるし、味覚も思想もさまざまだから
答えはないし、ひとつに絞り込むことはできない。


ストイックに追い詰めて禁止するのも
なんだかヘンな傾きを生じるような気がする。


なぜなら、人間は霞だけでは生きていけないように
プログラムされているからだ。

何かの命を取り込まないと
先に進めないようにできているのだ。
それは動物でなくても、植物であっても命が
あることには変わりがない。

動物には感情があって、植物にはぜったい感情はない、と
いいきれるだろうか?
お花はいい音楽を聞かせたり、
話しかけると長く咲いたりすると聞いたこともある。

いずれにせよ、
私たちは命をつなぎながら
生きていく存在であることは
まぎれもない事実で悲しむことでも
辛い現実でもない。

だから、拒否する必要もないし
とはいえ、あたりまえだとあぐらをかくように
おろそかにしたり粗末にするのもやっぱり何がが違う。


どうせだったら、
そんな運命だったら、
楽しんだほうがずっといい。


******************************


大酒飲みがあるとき、利き酒になったり、
大食漢があるとき、グルメになることもあるように
とにかく一定量をこなすと、
あるとき「質」に転換することがあるのだそうだ。

最初から質だけにこだわることなく
伸び伸びとバンバンやる。

数をこなしていくと、
やがて良質な本物になってくる。

だから、たくさんのことを知っておいたほうがいい。
いっぱい経験しておいたほうがいい。

よく知らない人ほど最初から
これはありえない、なんて決めつけたがることも多い。

豊富は知識と体験を持っている人ほど
これもありだよね、と受け入れるキャパシティが大きい。



******************************

戦後から2009年までは
「産めよ、増やせよ」の時代だったのだという。
店舗拡大、売上げ前年度比アップ。
伸びないところは存在意味がない。 

そんな時代背景だった。

2009年は、今までの価値観や今までのものが
崩れた歴史的な年と言われているのだそうだ。
これは、世界的、経済的に見てもそう表現されているらしい。


そして、2010年。

本当にいいものを少しだけ。
価値のあるもの、好きなことだけ。

そんな新しい時代が始まったのだそうだ。

嘘は通用しない。
ごまかしも、虚飾も、もはや何の役にも立たない。

厳しいけれど、
希望に満ちた時代の幕開け。


好奇心と冒険心と勇気をたずさえて
好きなものをたくさん作りたい。
たくさんの大好きな中から、
本当の本物を見つけよう
































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★春一番のサクラサイタ

2010年02月05日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【カワヅザクラ】

桜の花、桜前線、といえばソメイヨシノ。

3月中旬あたりから日本中を
一喜一憂させる桜は、
ぱ~っと華やかに咲き誇り、
そして、
はらはらと風流に、そして潔く散る江戸の花。


誰もが待ちわびて、
ほころぶ蕾に胸を躍らせる。

空を見上げては
立ち止まり、

青い空と春の日差しに
誘われて、花の下につどい
美酒に酔う。


そして、
風や雨に心痛め、
短い命を惜しむ。


それが、日本を代表する
桜の季節の過ごし方。

****************************


私の近所で
春一番最初に咲く花はカワヅザクラ。
静岡県の河津で発見された寒緋桜と早咲き大島桜の
自然交配種なのだという。
ソメイヨシノよりも少し桃色がかっている。


2月初旬に咲きはじめて
約1ヶ月ほど、次々と花を咲かせ、
満開の頃、ようやく周囲の木々に
新芽が出始めて本格的な春の到来となる。

そして、ユキヤナギやレンギョウがこぼれおちんばかりに
勢いをつけて咲き乱れる頃には
ひっそりと葉を茂らせる、本当にひかえめな桜。

でも、ここ数年
この早咲きの桜に気付いてからは
沈丁花に替わって、春を一番に告げる存在となった。

****************************

今日、いつもの公園を通りかかると
数輪だけ、咲いていた。

数日前、東京にも久々に雪が降り
空気の冷たい日々なのに、
それでも、ちゃんと桜は咲いていた。


確実に季節はうつろい
春の気配をしっかりキャッチして
花開くさまは、毎年みても本当に美しい。

いつの時代も、その姿と生命力に人々は感動する。

特に桜は、農耕民族である
日本人にとって桜の開花はイネの開花の前触れとして
稲穂の実りを予期させるものだったという。

桜が満開に咲けば、
イネの花も満開になり、秋には黄金の稲穂となる。

そこに、古来の先人たちは
桜、すなわち豊作という図式を重ね合わせていたのだとか。

****************************

先週の日曜日、
今年最初のフィーノライフスタイルセミナー
「“花”のように愛おしく」では、
KAORU♪が皆さまの前で花を生けていく
ライブパフォーマンスに初挑戦。

福田証子さんの繊細で美しい音色の
バイオリン演奏に包まれながら
「桜と満月」というテーマで春の花と桜、
桜の向こうに登る薄紙で作った満月、
キャンドルの光で演出したアレンジメントを
約30分ほどで制作したあと、
最後はじっくりとバイオリンの演奏に
耳を傾けていただいた。


ご参加の方々からは、
涙が出てきた。という意見が多数あり
本当に感激し、皆さま喜んで下さった。

通常のこういったデモンストレーションでは
一般的に話はしないで、純粋に花だけを
生けていくスタイルなのだが、
なぜか予定外におしゃべりしたくなり、
ぽつんぽつん、と花への思いや
花を通して自分らしく“生きる”ということを
思いつくままに話ながら作りあげた。

それがまた、計算外だったのに
とても心にしみたのだという。

お花のプロたちが大掛かりなステージで
行うデモンストレーションとは
規模もレベルも違うが、
私なりに等身大のものを作っていこう、と
肩の力を抜いた作品を制作した。
そして、
今回はテクニックよりも
思いっきり楽しもう♪と決めていた通り
すっごい楽しかった。
それは想像以上だった。

皆さまの反応も
思った以上に良くて、
またやってみたいな~
すっかりその気である。

なんだか、またまた
清水薫ワールドが広がりそう

花のライブパフォーマンスしながら
メッセージをお伝えするって
今までには意外とないのかも。

新しいスタイルがもしかしたら
できるのかな

何はともあれ、自分自身が一番HAPPYだった。
そして、会場にお越しくださった方々も
すごく感動してくださった。

それは、まぎれもない事実なのである。

桜の花が少しづつ開いていくように、
まだ眠っている可能性や、
まだ誰もチャレンジしていないことや、
たくさんの皆さまが待っていることに、
とにかくトライしてみたい。


0から1にするとき、
新芽が土から顔を出すとき、
たくさんのパワーと勇気が必要だけれど、
うまく育つかなんて計算なんかできないけれど、
どんな花が咲くかなんて、あとでいい。

今、心躍る、という事実を大切にしよう。

春は、そんなエネルギーに満ち溢れている。
































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★富士山のシルエット

2010年01月05日 | KAORUの好きなものギャラリー
              【江ノ島からの富士山】

年末から数日しか経っていないのに
なんだか、年が明けて今まで詰まってたモノが
取れたような、抜けたような、何かを越えたような、
そんな気がしています。


今年は、どんな一年になるんだろう~。
うお座はすっごくいいんだって聞いたので、
ワクワクドキドキしています

*****************************

新年は家で静かに迎え、
午前1時前から近所の神社に初詣に行きました。

寒空の中、氏神様といつもお参りするコースを
ひたすら歩き、帰ってきたのが午前3時過ぎ。

甘酒で温まったり、焚き火で暖をとったりしながら
満月の光をたっぷり浴びて、月光浴も楽しみました。

そして、戻ってきてからお風呂に入って
もう一度お月さまを見たら、
なんと左下が欠けてた~

元旦の満月で、月食は史上初なんだとか


しかも、氏神さまでひいたおみくじ、
1回目で

大吉~

内容もバッチリ
やった

やっぱりいい年になりそう~

微妙にわかるかな?
ちょっと欠けてます。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c8/37833c60c5ee3bc11c74deca39cdbdd6.jpg


そして、2日は家族で江ノ島へ。

お参りを済ませたあと、
いつもの温泉で夕陽に映える富士山を
眺めながら、ぽっかぽかに温まりました。


*****************************

2010年 少しづつ動き始めています。

今後のスケジュールなどもアップしていきますので、
しばしお待ち下さいね






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★外と内の時刻

2009年12月31日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【ふたつの窓】

時には外の時間と、内の時間があるのだと
先日、あるサイトで読んだ。


外の時間はさくさくと進んでいるのに、
内の時間が止まっていたかもしれません。

内の時間が回り始めます。


そんなような表現をしていたように思う。

その概念、というか感覚は
とてもしっくりくる。


*************************

2009年、振り返ってみると
思いもかけないことが押し寄せて
私の「外の時刻」はいやおうなく動きだした。

ところてんみたいに押し出された、という感じかもしれない。

不可抗力ではじき飛ばされたり、
反対に引き込まれたりするときって
人生の中でたびたび起こるものである。



あるいは、

もがきにもがき、
あがきにあがいて、
それでどうにかたどり着くときもあるものである。


または、
どうしても手に入れたかったものが
手元にくるとき。

どうしても手に入れたかったものを
手放さなくてはならないとき。


これらは、
自分を中心軸として、
周囲とのかかわりで動く時刻や、

自分と特定の何かとの流れと
世間の流れ、の時刻があって

それはまるで、
長い針と短い針が別々の動きをしながら、
同じ方向に回っていて、
中心はひとつにつながっているような感じなのだと思う。


*************************

人は、何かが起こって行き詰った時に
始めて今までの道のりをハタと振り返る。

そして、このままだとマズい。

私、変わらなきゃ。と思う。

だけど、この「変わる」ということって
本当に容易なことではない。


どこに問題があるのか、
何から手をつけていっていいのか、
見当がつかない場合が多いし、
自分を変えるしかない、って言われても・・・。

多くの人はそこで途方に暮れる。

*************************

実際に、
私のリーディングの中でも、
過去の時代の人間関係や状況、自分自身のセリフや思いを
物語のようにお話すると、
ほとんどの人が、
現在とほぼおんなじ状態であることに驚く。

時代背景や国、性別、あるいは上下関係が
違うぐらいで本質や本筋は変わらない。

つまり、人生のストーリーは、
思っている以上に過去のやり直しをしていて
それを本当にイヤだと思った人が
未来へと軌道修正をすることができるのだと、
私は、たくさんのリーディングを通して
実感するようになった。


だから、あの人はどうせ変わらないって
よく口にするけど
本当に変わらないと思う。

だって何百年も何千年も前から同じなんだから。

だから、人が変わることを期待するのは
基本的に違っている。

本人が変わることへの必要性を感じていなければ
そのまま過去と同じように
進んでいくだけだからだ。


それに気がついて本人が
変わりたい!変わらなきゃ!と
真剣に思ったときに、「内なる時刻」が
チクタク、とはじめる。

*************************

でも、そのどこか片隅にでも
誰かのせいにしている気持ちがあるとしたなら
本当の変革は訪れない。


真犯人は他にいる!
自分だけが悪いんじゃない。
私は精一杯やったのに!
なんて思う気持ちは、せっかく反省してみても
結局いつの日かフリだしに戻る。

誰かを責めたり、自分を正当化しすぎたり、
逆に自分を責め過ぎてみたりするのも、
結果、なにも動きださない。

ハンパな気持ちではすぐに
苦しくなって後戻りしてしまうだけだ。

それどころか、リバウンドが怖い。


もう誰も信じない。とか、
私の味方は誰もいない。とか。
自分に自信がない。とか。


そうなると、すべての時が止まる。
長い針も、短い針も止まっているのに、
秒針だけが回っているようなイメージだ。

そこから
立ち直るにもちょっと時間がかかるから、


だから、
言い訳や原因や、犯人探しをやめて
ただ現状を真っ白な気持ちで
受け入れていくしかない。

自分の非や未熟だった部分は
過不足なくまっすぐに見つめていくしかない。

「変わる」ということは
大げさに表現すると、
過去の存在や生きざまも含めて
永い永い年月もひっくるめて
変容させていく作業であり
時には叩き壊し、崩壊させ、
まっさらな更地に作り直す勇気とパワーが必要で
本当に難しい作業だけれど

それでもやっぱり、
「変わりたい!」と思う気持ちがないと
何も始まらない。

*************************


もし、今まだ自分は変革のタイミングではないけれど
周囲にその時期が訪れている人がいるとしたら、

「見守る」「待つ」ということを選んでもいいし、
「伴走」することでもいいし、
思い切って「立ち去る」という選択肢だってありだと思う。

その根底に“愛”があれば
どんな方法にも不正解はない。



外時刻と、内時刻がバランスよく
回り始めたとき、
新しい時を刻みはじめる。

未来は、そんな風にして
一刻一刻進んでいく。


*************************



今年は本当におつかれさま。


そして、たくさんの皆さま
KAORU♪のブログを読んでくれてありがとう

いっつもいっつも応援してくれてありがとう

たくさんの温かい言葉に、本当に勇気づけられています


来年も、また気ままに
自分の思いをアップしていたいと思います。

そして、2010年も北は北海道から、南は九州まで
全国の皆さまと会えたらいいな

来年もステキな1年になりますように。

よいお年をお迎えくださいね











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★空を見上げて

2009年12月22日 | KAORUの好きなものギャラリー
もうこれ以上先に進めない・・・。

どうしていいのかわからない・・・っていう時は


前を見つめるよりも

空を見上げてみて。



輝く星に

あたたかい太陽に

やさしい月に

ヒントがそっと散りばめられている。



本当に大切なことは

ドン詰まりになった時にこそ

ふっと答えが見つかったりする。


なんども同じ失敗を繰り返し、

どうしていつもこうなっちゃうんだろう?

またおんなじだ・・・。
いつものパターンだ・・・。

そんなことがループのように
巡ってきて、もう前に進めなくなる。


だけど、前も後ろも見ることをやめて、

原因を一生懸命探すことをやめて、

空を見上げてみたときに

ようやく答えのような、

そのカラクリのナゾが解ける。


まるで、

クロスワードパズルのように、
キーワードが1つ、ポロっと降ってくる。

そうすると、

すべてがつながって、
すべてが結ばれる。


だからいっぱい悩んでいいんだと思う。

だけど、
必要以上に悩まなくても大丈夫。

八方塞りになって
袋小路に入りこんで
ギリギリになってからじゃないと
出てこないキーワードってあるから。


今日の空はどんな色?

晴れた青空、雨色、雲の覆う薄鼠色

雪の降る白い空、夕焼けの茜空。


どんな空色でも
星も太陽も月も
ぜったいにいつでも見守ってくれている。



あなたの願いが叶いますように。

そして、
いっぱいいっぱい幸せになりますように。







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★静かな年の瀬

2009年12月11日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【フェルトのペーパーウェイト】

12月1日、師走が始まった日
ふと気がついた。

あれ?いつもあんなに渋滞していた通りに
車が走っていない・・・。

まるでお正月みたいな空気が漂っていた。

慌しい雰囲気がまるでなく、
ほのぼのと休日のような感じに包まれているのだ。



これは不況のせい?


いつから、師走が師走でなくなったのだろう?

もう誰も走ってなんかない。

わざわざ車を走らせなくても
パソコンやデータでコトが済むようになったから?

時間の流れが速くなり、
前倒しで忙しさがやってきているから?
だとしたら何月が1年のピークなんだろう?

クリスマス商戦だって
クリスマスのイルミネーションだって
今ひとつピンとこない。


それって、いいこと?
それとも憂うべきこと?

**************************


なにがどうなのか、
今、私が答えを出すことはできないけれど、

昔に比べて何かにあおられたり、
浮き足立ったりしなくなった、ということなのかもしれない。

情報があふれているせいなのか、
それとも、
もうすっかり慣れっこになってしまったのか、
いちいち迎合したり翻弄されることに
疲れきってしまったのか、

その真偽のほどは、
しばらく後に客観的にカテゴライズされていくのだろうと思う。

2000年代は、こんなスタイルだった。のだと。


その時は夢中で、
自分が置かれている状態がどんな位置にあるのか
わからない。

あとから振り返って
そっか、だからこんなことになってしまったのか・・・と
しみじみ思い、全体像を把握することができる。

地図でいうと
「俯瞰(ふかん)」という上から眺める図面を見て
初めて、自分のやってきた行いや、立場、状況が
浮き彫りになってくる。


でも、その俯瞰図はいうなれば“航空写真”。

見るには、まだちょっと機が熟していない。
今は自分の主観で捉えるのが精一杯だ。

**************************

それにしても、2009年は
ある意味すごく激動で、
ある意味、とても静かだった。

その両方が同居していた。

それは、
社会的な動きを見ていても
自分サイズでもおんなじようなカンジだ、規模が違うだけで。


こんなにすごいことが起こっているのに
なんで、こんなに落ち着いているんだろう?

いままでの私だったらもっと振り回されていたのに。

もっと、動揺する自分だったはずだったよね?私。

なのに、なんでこんなにクールで冷静にいられるのか
たぶん考えてもわからない。


それは、今までクリスマスがあんなに
ウキウキして待ち遠しかったのに、
いつのまにかトキめかなくなってしまった感覚に
どちからというと、近い。

いつの間にか、大人になったのか、
そこに夢を見出せなくなってしまったのか・・・。


だけど、
どんなに気持ちが薄らいできても
それでもやっぱりクリスマスは
ステキに過ごしてみたいし、
できれば、本当はロマンチックにお出かけしてみたい。

お正月だって、
昔ながらの厳かな雰囲気ってやっぱりいいな、って思う。


もう過去に戻ることもできないけれど、
今にすっかり慣れきったわけではなし、
これでよいと思っているわけでもない。

今、まさに移動中で途上。

どこに行こうとしているのか
岐路に立っている人って私を含め、案外多い。


**************************

先日、私はこんな話をした。


年内中に5つ書き出して下さい。


■もし、自分がピンチになって
(例えば、火事とか地震で逃げる時を想定して)
最低限のものや最小限のことしか持っていけないとしたら、
何を持っていく?

■もし、自由を手にしたとして、フリーパスのような
チケットが手に入ったとしたら、何をする?

■今までは、ぜったい必要って思っていたけれど
もういらなくなっているもの、5つ。

■新しく生み出したいものを5つ。
あるいは、新しくはないけれど、まだ形になっていないこと。


物質的なことだけではなく、人物でも、精神的なことや
思いグセなどでもOK!




**************************

あんまり考えすぎたり、現実的にできそうか無理そうかを
計算せずに思い浮かんだことを素直に
書き出してみたら、
本当に大切なことに気付くかも。

そして、
まず優先順位を、確認した上で
実現に向けて、実際に行動していく。

あるいは、そこに意識だけでも向けていくことが大切。


今はまだ、霧がかかってよく見えない未来も
しだいに方向性が読めてくる。

そうすることで、
具体的な一歩が踏み出せる勇気が
湧いてくる時もある。


もしかしたら、
1番!と思っていたことが3番になったり、
5番はもう不要になったり、
来年の途中から、番狂わせがあったり
変更や新規参入もあると思う。

そこは柔軟に対応し、適応していくこと。

**************************

本当は嵐の真っ最中かもしれないのに、
数年前なら、すっかり雰囲気に飲み込まれていたのに、

今年は、なぜだか不思議なくらいクール。

みんな、何かしらの「夜明け前」に
立っているのではないだろうか?


何かが明けていく気がするのは、
きっと私だけの感覚ではないのだろう。


台風の前の静けさではなく、
何かのはざ間にいて、
上昇気流に乗る前の、まるでエアーポケットのような
場所で空をつかむような、そんな状態だからこそ、
どっぷり落ち込む必要がないことを
肌で、魂でつかんでいるんだと思う。

みんな、それぞれのスタンスで
光が、次の居場所が、希望が、夢が
見え始めている。

**************************


師走の冷たい雨の降る夜、
明日に思いをはせる。


天気予報では、明日は
雨も上がりとても暖かな一日になるらしい。

初冬の穏やかな日差しを浴びて
ゆっくりと歩いてみよう。



おとといの夜、コロと一緒の散歩道。

すっかり紅葉して、冬支度をした「花ミズキ」には
次の春のための新芽が、小さく用意されていた。




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★Love & Peace

2009年12月07日 | KAORUの好きなものギャラリー
          【フェルトの小さなツリー】


「か~かん(私のこと)のお料理は
あまくておいしい!」と姪っ子のSAORIが言う。
もちろん砂糖を使っていない料理でもあまいのだそうだ。

「お姉ちゃんのカレーは平和だ!」と妹のNAOKOは言う。

料理が大の得意でもないし、
レパートリーが豊富なワケでもない。
勉強熱心にあれこれと研究したり
新しい料理にチャレンジすることも
すっかりとなくなってしまった。

普通のありきたりの食事を、
おんなじようなローテーションで
作っている。

生き方は、ある意味普通ではないけれど

料理に関しては、季節感をたまに取り入れるぐらいで
ヒネリも工夫もない、
本当に冒険心もオリジナリティもない
無難な、王道をいくタイプなのである。

*****************************

息子が小さい頃は、
まずカレーの材料に火を通して
ルーの段階になったら、別のおなべに具を移し、
大人用は辛口に、そしてお子ちゃま用に
「カレーの王子さま」を
入れて別の味つけにしていた。

小学校低学年ぐらいから
「カレーの王子さま」半分、
「バーモントカレー 甘口」半分に切り替え、
じょじょに甘口だけにこっそりと移行した。

甘口だけにしたとき、やった~!という
気分になったものである。
本当は自分も甘口に合わせることを
強いられているのだが
お鍋ひとつになったことの方が嬉しかった。


そして、高学年ぐらいになり今度は
甘口と中辛をこっそりとブレンドした。

「なんか、今日は辛いね~!」といわれたとき
内心ドキッとしながらも、
そう?気のせいじゃない?とごまかすこともあれば
あんまりに辛がる時には
しょうがなく甘口に戻したりした。

行きつ戻りつしながら、
少しずつの微調整を繰り返して
中学生の後半に、ようやく“中辛、完全移行”を達成した。

振り返ってみると
赤ちゃん用レトルトの「カレーの王子さま」から始まって
実に15年近くの歳月が流れていたのだった。

*****************************

タマネギ、にんじん、じゃがいも、
そして鶏肉か豚肉。
それが我が家の定番。

ナスやトマトを入れた夏野菜カレーや
シーフードカレーなどを作ったこともあったが
不評だったために
結局、オーソドックスなスタイルが定着した。

だから、必要以上のものも加えていないし、
削ってもいない。
足しても引いてもいない、
ごくごく普通のカレーに
長年かけてたどり着いた気がする。

*****************************

なのに、
家族の中でなぜだかとても評判がいい。

その形容詞が「平和」なのである。
安心して食べられる味なのだそうだ。


妹や母は、リンゴのすりおろしや
ヨーグルトや、さらにカレー粉を加えて
コクと深みをだし、最初が甘くて後からじんわり辛さが
出てくる、というカレー通が目指す味。

だから、
甘かったり辛かったりで忙しい。

しかも、母のカレーは相変わらず
何が入っているのか口に入れるまで
わからないサバイバルカレーだ。

先週は、レンコンとシイタケがいっぱい入っていた。
さすがにレンコンは穴があいているので
それと認識することができたが、
その前の時の、バナナが半分とろけた状態の時には
識別できず、口に入れてからグニュっという食感のあと
なにコレ・・・?と一瞬、無意識にセンサーが働き、
カレーの後の味覚を研ぎ澄ませた。

あっ、バナナ?なんでココに?と思ったが
口に出さずにひとまず完食した。

それぐらいの覚悟がないと
母のカレーは食べられない。

それに引き換え、
直球ストレート味のカレーは
最初から最後まで予想通りの
「日本スタイルのカレー 家庭版」なんだと思う。

それは、ごく普通。といった点で
自慢できることでもなんでもない。

ほぼ説明書どおりに作っているからだ。

*****************************

この間、息子のTATSUROが
うちの近所の商店街の一番はずれにある
カレーやさん知ってる?と聞いてきた。

知ってるよ。私が子どもの頃からあるから。
思いっきり昭和のままのレトロなお店でしょ?
前は喫茶店だったのに、いつの間にか
カレー専門になってるのを
この間通りかかって見かけたけど、
一度も入ったことないよ。
でも、メニューが変わっただけでぜんぜん雰囲気が変わらないわ、
そういえば30年以上たっても。

と、答えた。

オレさぁ、あのお店好きでたまに行くんだよね。

そうするとね、
いつ、どんな時に、どんな時間に行ってもね、
日曜日の午後なんだ。店の空気が。

それって、すごいよね~と言う。

世知辛い世の中で、時の流れが速くなった昨今で、
時代の流れを読んでいないとも言えるが
見方を変えると、迎合することなく
時を止めてしまうほどのパワーがあるということだ。

それを、意識的に狙わないところが
個人商店の良さだと思う。

*****************************

東京には、新しい街がいくつも立ち上がり
新名所なるものが次々と出来上がって
留まることを知らずに進化し続けているが
外国人が写す東京は、新旧が入り混じって
混在している画像が多い。

高層ビルをバックにしたお寺や神社。

たくさんの路線が交差する線路の下にひしめく焼き鳥やさん。

なまめかしくきらめくネオンと、
不夜城のようにそびえ立つ
無機質な蛍光灯のビジネス街。


そんなコントラストが魅力的なようだ。

*****************************

小さい頃から住み続けている私の地元は、
乗換線路がない単独駅の中で
乗降者数が日本一なのだそうで、
昼と夜の乗降人数が同じという統計が出ているんだとか。

つまり、住宅街とビジネス街が半々で
出て行く人と入ってくる人の数がほぼバランスの取れている場所。

日本で有名な企業の本社もたくさんあるが、
私がやっぱり好きなのは、
昔から変わらない個人商店。

景気のあおりや、大型店進出によって
ずいぶんとその姿を変えてしまったが
それでも、趣きを残して続いているところも
しっかりと存在している。

*****************************

小学校の時、学校の目の前がパン屋さんだった。

わりと広々とした店内はいつもガランとして
飾り気がなく、ねずみ色のコンクリートの床、
蛍光灯のそっけない灯りで寒々しいイメージだったが、
土曜日の午後や給食がないとき、委員会の集まりのときなど
時折、小銭を握り締めてパンを買いに行った。

お目当ては、コッペパン。

マーガリン、ジャム、ピーナッツクリームなど
好きな味を言うと、おじさんが丁寧に
間にはさんでくれる。
たっぷりと塗ってくれているといいな、と思いながら
背を伸ばしてガラスケースの向こうの
調理台の覗き込んだものだった。

ふだん、通り過ぎるだけのパン屋さんは
いつもヒマそうで、
おじさんは広々とした店内の隅で
背中を向けて小さなテレビを見ていた。

学校に行くときも、帰るときも、
友だちと公園に遊びに行くときの通りすがりのときも、
お店にお客さんがいるとき以外はずっと
白衣に白い帽子をかぶった後姿で
じっとテレビを見ていた。


小学校を卒業して、ほとんどその方角に
足を向けることのない生活となってからは
その存在自体が記憶の中に埋没していった。

そして、
息子が産まれ、私の母校へと通うこととなり
再び懐かしい校舎に呼び戻された。

すると、あのパン屋さんの記憶も同時に呼び戻される。

そういえば、よく買いに来たよな~としみじみ思って
まだ残っていた店内をのぞくと、

なんと、おじさんは白衣のままテレビを見ていた。
30数年前と同じ場所で。
体型もほぼ変わらずに、姿勢も同じだったから
すぐにわかったのだった。

でも、
白い帽子からのぞいている髪の毛だけが
白くなっていた。

小学生だった私が、
いろんなことを体験し大人になるまでの時間も、
おじさんはずっとこの席に座り、
ひたすらテレビを眺めていたんだろうと
思うとなんだか、感慨深かった。

もちろん、おじさんにはおじさんなりの
人生ドラマやさまざまなことが
押し寄せていたに違いない。

それでも、やっぱりあの席に
座り続けていたことは
紛れもない事実だった。

ほどなくして、店構えはそのままで
電機パーツ会社の看板が掲げられていた。
息子の卒業を待たずにいつの間にか
パン屋さんはひっそりと幕を閉じたようだった。

*****************************

変わらないコト。変わらないモノ。

それは時として頑固で、かたくなで
商才とか、勝算とか、社運を賭ける、とか
そんな未来にポジティブなスタンスとは
まったくかけ離れた場所に存在している。

うちの目の前のお花屋さんも
水揚げが終わったら、
いつ行っても奥の畳の部屋に
たて肘をついて寝っころがってテレビ見ていて、
こんにちは~、と声をかけると
おもむろに起き上がり
いっらしゃい!今日は何しましょうか?と
八百屋さんのような返事が返ってくる。

この間なんか、これいりますか?と
丸々したにんにくを手のひらに載せて差し出された。

私は、花とにんにく2コを手にして
ちょっとホコっとしながら家に帰った。

今どき、お花を買いに行って
お野菜くれるところなんて、そうそうない。


そういった下町人情が大好き!というわけではない。
時々わずらわしいような、
毎回、「お兄ちゃん、何年生になったの?」とか
聞かれたりする受け答えを
思わず回避したくなるような気持ちがあるのもまた事実だ。

だけど、
ぜんぶシステム化していて
そっけないほどに完璧な店づくりと品揃えが
展開されている近頃、わざわざ新しくできた
新名所に行かなくても、同じチェーン店なら
他の場所でも同じラインナップが並んでいそうな気がして
本当にビックリするほど行っていない。

新丸ビルとか、六本木ヒルズとか、ミッドタウンとか・・・?
どこも30分ぐらいで行けるところばかりなのに、
いまだに未開の地である。

別の用事がないと、あえて行くことがないから
時々、他県に住む人のほうがよっぽど詳しくて
ちょっと恥ずかしいが、興味がないから
しょうがないか、と割り切っている。

それよりも、変わらない
近所の下町風情のほうがよっぽど魅力的でおもしろい。


私が子どもの頃からある
洋裁店は、店構えは変わらないのだが、
店主の体型とともにショーウィンドに
飾られている洋服もどんどんと
幅が広がってきていている。
つまり、店主が歳とともに太ってきているんだな、と
いうことを無言のうちに物語っている。

*****************************

日々の繰り返しの中で
そんな、小さな発見はなぜだか嬉しくなってしまう。

TATSUROが、
「かあさんのカレーは“LOVE & PEACE”だ!
世界で一番うまい!」
と先週、言っていた。
隠し味も、特別な材料も使っていないのに。
シンプルに作っているだけなのに。

ちなみに、卵焼きは
渋谷くんちのが一番おいしいのだそうだ。
どうやって作っているの?とお母さんに聞いてみたら
「え?ただ普通に作っているだけよ~。
お砂糖と塩だけ。
やだ!ただ焼いてるだけよ!」

“LOVE & PEACE”ってそんなことなのかもしれない。

そして、いろんな場所に潜んでいる。

かっこいいスローガンを声高に掲げなくても、
世界や宇宙のような大きなところじゃなくても。



今、目の前に。すぐそこに。
私のまわりに。

大切な、ささやかで、何気ない日常に
宝石のようにちりばめられている。

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★曇り空が映し出すもの。

2009年11月20日 | KAORUの好きなものギャラリー
              
              <MALTA 曇り空のフェリー乗り場>


ここ6~7年になるだろうか
予定が合うとふらっと顔を出す異業種交流会に
先週末、出席してきた。

そこにはいろんな業種の人たちがやってくる。

ほとんどが同年代の会社の社長さんや(女性社長も多い)、
アーティスト、出版関係の人、
TVなどでよく見る人たちなど、
主催の社長さんの人脈の幅広さを物語る顔ぶれだ。
しかも男女半々の比率。

ファインの歯ブラシの、エコロジー関係の集まりで
その社長さんと顔見知りになり、
表参道で花のレッスンの帰り道に
何度か偶然バッタリ会ううちに、
よかったら定期的に開催している会に来ませんか?と
お誘いを受け、参加するようになったのがきっかけだった。

その方のお店がある(といっても、全国にお店がある
有名店なので、知っている人のほうが多いかも。)
主に表参道周辺で、毎回テーマを決めて
参加者の一人が話をする。

会社の経営方法、ブランド戦略、
エコロジーやLOHASをビジネスにどう活用するか
など経営的な内容から、
普通女性が、どうやって大手会社のトップに
登りつめ、活躍するようになったか、という
自叙伝的サクセスストーリーを語ってくださったこともある。

時には、8月の原宿の「スーパーよさこい祭り」を
立ち上げたいきさつの話だったこともあったし、
ライブハウスで、趣味のバンド演奏会を行ったり。
プロの歌手とともに、チャリティーコンサートもある。

内容がバラエティ豊かで、
実務的からボランティアまで本当に幅広い。

そして、
とにかく来るメンバーが、
本当にソフィスケートされているのだ。

都会の洗練された大人の男女って、
こういう人たちのことを言うのかな?と
出席している人たちを遠巻きに眺めていて
つくづく思う。

派手すぎず、控えめでありながら
本当にお洒落。
会社を背負って立っているけれど、ギラギラしていない。
でも、凛とした気配を自然と醸し出している。

**************************

この会に参加し始めた頃は
まだ自分がどこへ向かおうとしているのか
よくわからず、混沌としている時期だった。

自分の居場所や活躍の場を見つけて
イキイキとしている人たちをとても
まぶしく見つめていた。

今の私には、何もないけど
いつの日かここにいても大丈夫な私になろう。って
帰り道、いつもそう考えていた。
理由はないけど、そう思っていたら
いつの日かそうなれそうな気がしていた。

**************************

あれから、時が流れ
もう一度振り返ってみる。

いろんなコトを経験し、
さまざまなコトにチャレンジし、
たくさんの人たちと出会い、
ひとつひとつを積み重ねてきた今、
まだはっきりした形にはなっていないけれど

当初の頃のような
ガサガサ、ゴソゴソっとした
着たい服と自分の体のサイズが合わないような
そんな不似合いな感覚がいつの間にか
薄らいでいたことに気がついた。


**************************

顔見知りの若いフルート奏者に
MALTAの写真を見せたら、
「この曇り空の写真、すっごくいいね!」と
どの青い空の写真より、青い海よりもテンションがあがった。

「曇り空ってね、
一番その場所の表情が出るんだよね。
晴れた日のロンドンは誰でも綺麗に
写せるんだよ。でも、曇り空のロンドンって
意外と難しいよ。ロンドンらしい表情を出すのって。
だけど、一番よくわかる、曇りの日が。」と言う。

雨や雪の日も趣きがあって好きだが、
やっぱり晴天が気持ちいい。

でも、雲が低く垂れ込めた曇り空は
なんだか気分がすっきりとしない。
どっちつかずだから?かもしれない。

どんよりとした曇りの日が大好き!というセリフは
今まで聞いたことがない。

**************************

だけど、
曇り空が一番その街の表情を映し出すということは、
人にも同じことが置き換えられるのでないだろうか。

大変なときこそ、
雲行きがあやしくなってきたときこそ、
本当にその人の人間性が炙りだされ、
鏡に映し出される。

そんな時にこそ、
本性や本音やら、本心が現れてくる。

それは、調子のよい晴れの日には
影をひそめて隠れているものなのだ。
それが、翳ったとたんにムクムクと顔を出していく。

自分の弱い部分や、ダークな部分。
見たくもないところを突きつけられて
しばし、途方にくれたり
呆然としてしまうこともあるだろう。

逃げ出したくなるか、
それにはフタをするように、見なかったことにするか
誰かのせいにして自分を守ろうとするか。

または、全責任を自らが背負い込むことで
自分の力のなさを責め続けるか。

そのあとの対応はさまざまだ。

**************************

それとは反対に、
ビックリするような
底力も沸きあがってくる場合もあるだろう。

自分にそんなパワーが眠っていたことに
気がついて、やがて自信に変わることだってある。

本当の自分の気持ちに気がついて
新しい道が見つかることだって、確かにある。

真の自分の姿が現れるのは
調子のよい時期ではなくて、
どっちつかずの、混沌とした、
先行き不透明な時にこそ、なのだ。

気分は滅入るけど、
それを美しいと感じる心を持っていくことや、
新しい発見を、
楽しいと思える感覚は気持ちひとつで
自分自身にセットできる。

**************************

若きフルート奏者は、あれこれと写真を見ながら
いろんなコメントをしてくれた。
最後に、
「すみません、いろいろ好き勝手言っちゃって。
でも、こんな笑顔ができるなんてうらやましい。
自分は最近こんな風に笑ったか思い出せないです。
こんな時間を作らなきゃ。」と
私が写った写真を見ながら
謙虚に、優しい笑顔で言ってくれた。

**************************

帰り道、いつもとやっぱり同じことを思う。

あの会の人たちみたいになりたいな。って。
また私も上を目指していこう、って。

あおられるような、旗を高く掲げるような雰囲気でもなく、
絶対的なポジティブ思考でもなく、
現実主義に走りすぎたりもせず、
妙に理想論だけで飾り立てたりもせず、
仕事と趣味と、社会貢献をバランスよくこなす。

それをスマートに実行しているからこそ
洗練されているような印象を受けるのだと思う。

人のテリトリーに必要以上に踏み込まず
噂話に花を咲かせない。
そんなほどよい距離感。それが都会のイメージだ。

質のよい、上質な刺激を受ける時間。

私にとって、ここもまた大切な場所のひとつ。


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★気高く、たくましく 

2009年08月17日 | KAORUの好きなものギャラリー
              【横浜港の夜景】


一方的に、日記のように思いつくまま
気ままに発信し続けるブログを始めてかれこれ5年目。

なかなか更新しなかったり、
月初めにマンスリーメッセージを
楽しみにして下さってるがわかっているのに
アップしていなくて、アクセス数だけ上がっていたりする時、
わ~ん、みなさまホントにゴメンなさいって
ブログに向かって謝ってたりする。


そしてコメントを頂くのって、ホントに嬉しい。

直接お会いしたときに、感想をいただく場合もあるし
パソコンのメールで感想を頂いたり、
携帯メールにご自分なりのエピソードを
送ってくださる場合もある。


**************************

つい数日前に頂いたメールは、
北海道に住む方から、残暑お見舞いとともに
3枚の添付ファイルがついていた。

うち2枚は8月のマンスリーメッセージの感想と、
カナダで撮った「ヒトリシズカ(一人静)」。
“カナダ産一人静”の方がガッチリとして存在感がある。

もう1枚は、ご自宅の庭で咲いているという
「ねじり花(お花の世界ではネジバナと呼んでいます)」

可憐なピンク色で、すっくと咲いている姿と一緒に

「小さな本当にかわいらしいお花です
今年は雨が多くって 
本当に10センチくらいの背丈ですが
 子供の時から大好きなお花です 
見てくださいね」と

思いがつづられていた。

**************************

北海道には竹がないのだそうだ。

笹のような細いのはあるけれど、
よく見かける竹林と呼ばれるスタイルはないのだとか。
筍狩りも、クワで掘るのではなく
笹の子?のように手でポキっと折るのだと
教えてもらったことがある。

本州とは気候が違うだけでなく
植生も違うのだと、ちょっと驚いた。

そんな中、私にとっても思い出深い
「ねじり花(ネジバナ」は、
北海道でもたくましく生きているんだ!と
新しい発見で、とっても嬉しくなった。



**************************

私が初めて見たのは、
我が家の屋上の盆栽の鉢の中。

今から約20年ほど前のこと。
父が親戚から譲り受けて
大切にして、毎日毎日手入れをしていた。

娘たちも交代で朝晩の水やり当番が回ってきていた。

もしかしたら、当時仕事をしているような
していないような状態の私は
結構、ほかの妹達よりも多く手入れを手伝って
いたのかもしれいない。

お花を勉強し始めたばかりで
知識も少ない中、ある時
ピンク色の可憐な花が咲いているのに気がついた。

「なにこの花~?見たことないけど
雑草にしては本当にかわいい!
お父さん、この花は摘まないでね!」とお願いをした。

そうそう、「スミレ」も白や紫、薄紫などが
盆栽の鉢の中に咲くと、
「あっ!これも取らないで!」とお願いするので、
ほかの雑草と一緒に摘んでしまわないように
いつも注意しないといけなんだよ、と
父は、ハハハと笑いながら
小さなスミレとネジバナだけは
残してくれていた。

うっかり手をかけそうになると
私の顔が浮かんで、そっと手を離していたのだろうか?

そういえば、久々にそんな会話を思い出した。


**************************

ほどなくして、
そのらせん状に花をつける雑草というか野草は、
「ネジバナ(捩花 )」と呼ぶらしい、ということがわかった。

どこらか種が飛んできたのか、
はたまた最初から土中からの眠りから
目覚めただけなのか、わからないけれど


いずれにしても、
東京のビルの屋上にしっかりと根をおろして

しかも、
そのあまりのかわいさから、そっとしておきたくなる
ぐらいのけなげは立ち姿なのである。

注意してみると、
6月から7月中旬ぐらいまでだろうか、
初夏になると公園や植え込みなどで
ひそやかに咲いてるのを見つけることができる。

近年では、時折お花屋さんにも
出回るようになってきた。

**************************

その後、調べてわかったのだが
「ラン科」なのだという。

え???あの胡蝶蘭とかカトレアと同じ仲間?

どちらかというと地味で素朴な姿なのに?

でも、じっとその小さな花を覗き込んでみると
たしかに花の構造はまったくのランそのものなのである。


なんだかシンデレラと出会った気分だった。

**************************

そして!

今日このブログを書いていての大発見!

別名 捩摺(もじずり)と言うのだそうだ。

その言葉聞いたコトある!
と思ったが、やはりそうだった。
百人一首にでてくる有名な短歌に登場する。


「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし 我ならなくに 」

(みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに
みだれそめにし われならなくに)
(河原左大臣(かわらのさだいじん)

時代は今から約1200年前の西暦800年代の
古今集に「もぢずり」として詠まれているのだそうだ。

〔どんな花か知りたい場合はコチラで♪〕
http://www.hana300.com/nejiba.html 

**************************

1000年以上も人々に愛され、
高貴な出身にもかかわらず、
自慢したり
自己顕示欲も自己主張も強いわけでもなく、

なのに、
北海道から九州まで日本全国を制覇している。
誰の庇護を受けるわけでもなく、
誰かをあてにするわけでもなく、
たくましく自生し、果てはヒマラヤにまで
生息するのだという。

その姿は、
小さくてもしっかりとらせんを描いて
天を目指す。

キュートなピンクで、思わず周囲を笑顔にする。

だから思わず、
抜いてしまおう、という気持ちを
一瞬にして消失させてしまう魅力の持ち主なのだ。

**************************

すごい、やっぱりお花って

私もそんな風になりたいな。

強く、たくましく生きていかなきゃね

そして、自分が歩いてきた道のりを
後悔しないで誇りを持っていこう。

この先の未来は、いつだってわからないけど、
不安だって、山ほど抱えちゃうけど、
今、枯れちゃうわけにいかないもんね。

私もネジバナさんみたいに
誰のせいにもしないよ。

いつだって、自分で選んで
最後は自分で決めて、
そして進んできたんだもん。

だから、
晴れの日だって、雨の日だって、
嵐の吹き荒れる時にも、凪の穏やかな日和の時にも、
自分らしく生きていくしかないよね

たった一度の、大切な大切な人生だからね























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★天井からのメッセージ

2009年07月24日 | KAORUの好きなものギャラリー
先週の話。

息子がお風呂場から私を呼ぶ声がしたので
返事をしながら近づくと、
「ねぇ、オレって運がいいだろ?」と同意を求められた。

運が悪いような出来事も思い浮かばないし、
確かにいつも楽しそうだから、
ひとまず「うん、ま、そうね。」と相槌を打っておいた。

すると、
「あのさ、お母さんがず~っと前に
天井に貼ってくれた“ツキが良くなる10か条”だっけ?
オレ、あれを実は毎日毎日寝る前に、
子どもの頃から読んで寝てるんだよね。
寝る前ってね、頭が真っ白になってなんにもなくなるでしょ?
だから、すーって言葉が入ってくるんだよね。
それでね、いろんな時にその言葉を思い出すんだ。

そうしたら、本当に運がよくなるんだよ。」と湯船に
とっぷり入りながら大声で話す。

「え…???私?
私がなんか天井に張ったの?いつ?」

「もうかなり前だよ。
突然、すごくいい話を聞いて来たから!と言って
紙に書き始めて、そして天井に貼ったんだよ。
その時の事、すごくよく覚えてるよ。」と言うのだが、
身に覚えがなくて、
思わずベッドへと走って上を見上げた。

*****************************

すると天井には、
すっかりと茶色に変色した画用紙がしっかりと
貼り付けてある。

しかも、まぎれもなく私の字だ。

いつこんなことをしたんだろう?
記憶の糸をしばしの間たぐってみた。

おぼろげな記憶がだんだんと明確になってきた。

あ!そうそう!
確か、おもちゃコレクターの北原照久さんの講演会を
たまたま聴く機会があり、話の内容にいたく感動し、
即座に本を購入したのだった。

久々に本を開いてみると、サインが書いてあり
「2003年5月21日」の日付になっている。

今から6年ほど前といえば、
彼が中学生になったばかりの頃であろうか。
私は、まだスピリチュアルの仕事をする前、
ごく普通に家業を手伝っていた頃の話である。

仕事は、一生懸命やっているつもりだけど、
でも私、もっとほかに何かできるんじゃないかな?
このまま、なんとなく人生が終わっていくのかな?
と、幸せではあるけれど漠然とした不安と
なにかもどかしさを感じていた時期だったように思う。

*****************************

そして、世の経済状態も下り坂に入っていったさなか、
どうやって人生を成功させていくかという講演会に
北原氏が講師としてやってきたのだった。


今どきは「○○の10の法則」とか「幸せになる7つの○○」
みたいな本がたくさんあるが、当時はまだ目新しく
でも、高校の部室に貼ってあった“いい言葉用語”みたいなのを
思い出して、なんだが懐かしくもあった。

天井に貼ってある
“運のよくなる10の心がけ”は
すごくシンプルでわかりやすい。


ツキの10箇条

1.プラス発想をする
2.勉強好きになる
3.素直であること
4.感動する
5.感激する
6.感謝する
7.ツイている人と付き合う
8.親孝行する
9.人はほめる
10.ツイていると思い込む


*****************************

難しい内容はひとつもなく、
日ごろよく言われていることである。

でも、このベースのベースは簡単な様でいて、
意外と実践するのは容易ではない。

ある時ベッドに寝っころがりながら
彼女と電話で話をしていたら天井のメッセージが
目に入ったから、教えてあげたら
「本当に最近ツイてきたの!」と報告があったそうだ。

今どきの若いコたちは案外素直なのである。

*****************************


留守がちで、出張でいない時も多いし、
決っして理想的な母親業はできていないけれど、
至らない私になり代わって、思春期と青春期の
多感な彼に向かって、毎晩眠る前にメッセージを
送ってくれていたのかと思うと、本当にありがたい。

言葉は「言魂(ことたま)」といわれているが、
やっぱり、きれいで力強くて、元気になって
そして、幸せに成功するようなキーワードを使い続けたい。

もしかしたら寝ている間も、
言葉に込められているパワーを
降り注いでくれたのかもしれない。

すっかり忘れていたけれど
結果的に、我ながらナイスアイデア!だったと
自分で自分にも「グッジョブ!」と言いたくなる。
そして何よりも、周囲の理解と協力なくしては
今日の私はないのだ。

そのことに、まずは一番の感謝を捧げよう♪

そして、やっぱり私も何を隠そう
いつもホントにツイている
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★KAORU Specialのアロマオイル

2009年06月24日 | KAORUの好きなものギャラリー
最近、特にしみじみ、つくづく思う。

本当に、たくさんの人たちから愛が身にしみるって。

今更ながら、ホントにありがたくて、
ホントに嬉しいことである。

その時は、すごく嬉しいのだけど
日々の生活の中で少しづつ徐々に薄らいでいく。

それは、決してないがしろにしているワケでもないのだけれど
“忘却”という脳の機能のせいだったりもする。

*****************************


だけど、時々ふと甦る。

または、気力や体力がヘバッた時にふと思い出す。

そして、送り手の気持ちがすごくありがたくて
心があったかくなって元気がでてくるのだ。


そうだった、あの時こんな言葉をかけてもらったな。

とか。


ご丁寧にお礼のお手紙もらったよな。

とか。


おみやげで、プレゼントもらったよな。

とか。


どんな想いだったんだろう。
どんな気持ちを詰めて渡してくれたんだろう。

って思うとモノでも言葉でも、
目に見えない“想い”でさえも
今更ながら、じわ~っと効いてくる時がある。

それは、むしろ時間がたったときほど
効き目が深くまで浸透することもあったりして。


*****************************

傷が癒えるとき、
「日にち薬」という言葉を使って
時間が未来に進み忘れることで
心が回復することをさしたりするが、

同じように
時間を過去に戻したり、
誰かからもらった優しい愛情を
フツフツと思い出すことで、
再び気力が充実し始めるときも確実にあるから
そんな時は何薬と呼んだらいいのだろう。

*****************************

そう思うと、私は生まれてから今日この瞬間まで
どれだけ多くの人々の愛情に育まれてきたことか。

今さらながら
思い返してみたりする。


この仕事で、全国の大勢の皆さまと出会い
お話をさせていただくようになってから、
たった一度、しかも15分や30分の時もあるが、
限られた時間しか言葉を交わしていないのに
どれだけ多くの皆さまからお礼のメールやお手紙やFAXを
いただいたことか。

ブログ、読んでますよ~!
KAORUさんがまるでおしゃべりしているようなカンジなんですよ。
とか、
しばらくお会いしていないけれど、
しょっちゅう会っているような気分。
などなど、
たくさんの感想をいただくことか。

自分自身がそんなことをどなたかにしているかというと
ぜんぜん小マメなタイプでもないから
みなさまに対して本当に頭が下がる思いで
いっぱいなのである。

*****************************

以前、私のお花の先生である
マミ川崎先生が生徒さんから
自分が育てた庭の花だけを集めた花束に
ステキなメッセージを添えて贈られた時に
「すごく嬉しいわ!でも私は花を贈られる人よりも
贈る人になりたいわ!」と
おっしゃっていたのがすごく印象的だった。

私も、そうなりたい。

20代そこそこのまだ若かった私も胸に刻んだものである。

それからずいぶんと時が経ち、
いつもその言葉が心のどこかにあって
そんな自分になれるように心がけているものの、
まだまだそんな私にはなりきれていないような気がする。

それでも、どなたからか
何かを贈られる時、
またはそのことを何かの瞬間思い出した時、
贈り手の気持ちに励まされ、勇気づけられ
明日への希望と夢を情熱がまたにわかに目覚め始める。


そして、私も贈る人になりたいな、って改めて思う。

*****************************

画像にある「KAORU Special」の
オリジナルアロマオイルは
私のイメージで特別にブレンドして頂いたもの。

自分の中では、ちょっことしたコトだったのに
お礼にプレゼントして下さったのだ。

いろんなオイルを調合するときに
きっと私の顔を思い浮かべてくださったんだろうな、
って思うと、なんだかすごくウレシイ。

香りといっしょに、チカラも沸きあがる。

*****************************


ヒト。コト。モノ。ココロ。


これらはすべて、
明日へとつながる大切なキーワードなのだと思う。












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★銀座の風鈴屋さん

2009年05月31日 | KAORUの好きなものギャラリー
日曜日の銀座の歩行者天国を久々に歩いた、
…というより横切ったという方が近い。

20年来ずっと続けているお花の教室の
作品展を見終えて、
デパートから出たらチリンチリンと音がした。

ふと振り向くと台車に乗ったカラフルな風鈴が揺れていた。

売ってるの?それとも移動中?

台車を押してる人は子ども?青年?大人?

足早に通りすぎてしまい、後ろ姿を追うと
ハッピの背中には「風鈴」の文字が。


一瞬の、東京ど真ん中の、幻のような出来事。

***********************

大阪で生まれたのだが
1才の時、東京に引っ越してきたらしい。

気がついたら東京に住んでいた、と
よく人には説明している。


子どもの頃、
まだ近所の公園には紙芝居やさんが来ていた。

テレビがない時代の娯楽なのに
今の時代、まだ来てるんだ…と子ども心に思いながら
レトロな雰囲気を楽しんでいた。

それから夏は、リヤカーに乗った大きな風鈴やさん。

お米から、ポン!という音とともにできあがる
通称バクダンせんべいやさん。

冬はおでんに焼き芋やさん。
チャルメラの音とともにやってくるラーメンやさん。

夕暮れ時、哀愁を帯びたラッパの音色を
街中に響かせるお豆腐屋さん。
自転車の荷台には、水が張ってあって
真っ白い豆腐が静かに泳いでいた。


そう考えると、日々の生活の中に、
四季折々の季節に合わせて屋台が息づいていた。


***********************


築地で大学芋屋さんの屋台を見たことがある。

熱した油で、しっかりとサツマイモを揚げた後、
飴に絡めた本格大学芋。

後にも先にも一回きりである。


N.Y.のマンハッタンの街角では
プレッツェルというベーグルのような、
固いパンのような食感のものが売られていた。
白い紙に、温かいプレッツェルを包んでくれて
四角い粒の塩と、マスタードをつけて食べる
素朴な、ニューヨーカーのおやつ。


***********************


そして、おもしろかったのは
タイで見かけた
ステッカー専門の屋台。

リヤカーいっぱいにシールが
色鮮やかにデコレーションしてある。



実はここ数年、海外旅行に行ったとき
地名の書いてあるステッカーを買って、
スーツケースにベタベタと貼るのが
ひそかな楽しみ。

そういえば、小学生の頃
シールを集めては
自分のタンスに貼るのが楽しみだった。

同時に時間が経ってから
なんでこんなシールがカワイイと思ったのだろう…。
ココに貼らなければ良かった、と
後悔したりしていた。


すっかり大人になって久しい今は、
仲良しの分と2枚買って、
それぞれのケースの好きな場所に貼る。
子どもの頃の“シール交換”みたいな気分で
すごく嬉しいし、
スーツケースにならゼッタイ後悔しない。

思い切りよく、堂々と貼れるのが
なによりも醍醐味なのである。



もちろん「JAPAN」バージョンもあるが、
現在「TOKYO」を探している。
時々お土産やさんをチェックするのだが
まだ見つかっていない。


そんな、たわいもない趣味(?)から
どこの国にいっても必ず
チェックするのだが意外と少ないのだ。

アメリカは、ステッカー文化が根づいていて、
ハワイでも、西海岸でも東海岸でも
ほとんどお土産やさんや雑貨屋さんで
見かけるのだが、特にアジア圏内では
地名ステッカーは見つけることができない。

去年行ったタイでも諦めていたところ、
ごっそりとステッカーを屋台に貼り付けた姿を
見つけたときは一瞬、夢かと思った。

文字やら絵など、タイらしい雰囲気が満載なのである。

思わず、店に駆け寄ったのだが
一緒に行ったメンバーから声がかかった。

「早くしないと、はぐれちゃうよ!急いで!」

せっかく見つけたのに、残念。
後ろ髪をひかれる思いでみんなのあとを追いかけた。

帰り道、今度はわざわざもう一度
その場所に戻ってもらったのだが
もう屋台の姿はどこにもなかった。

やっぱりあれは幻だったのかな…?

だいたい、
ステッカー専門の屋台なんてあるのかな?

そんなことを思っていたが、
いつだったか東京ビッグサイトのギフトショーに
行ったとき、各国のステッカーを集めたお店が出展していたので
思わずふらっと立ち寄ってみた。

あれこれとお店の人と話をしていたら、
タイは屋台でステッカーを売っていますよ、と
言うので、やっぱりそうですよね!私見ました!と
感激して叫んだことがある。

夢や幻じゃなかったんだ。

なんだか嬉しかった。


***********************

ひとつのところにとどまることなく
たえず動き続けるアクティブさ。

一瞬の出会いと、次の瞬間には
跡形もなくなるはかなげな存在は
蜃気楼にも似ている。

そして
小さなスペースから飛び出す多種多様な
職種の奇想天外さ。

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさ。

ノスタルジーでレトロなのに、
今も世界の各地で生活にしっかりと根づいている
屋台に、どうしようもなく心ひかれてしまうのである。
















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★桜空を見上げて

2009年04月09日 | KAORUの好きなものギャラリー
うららかな春の日。

水色の空を見上げて、
人々が思わず立ち止まる桜並木。

ほころんだ笑顔や、見とれている姿、
デジカメや携帯を手にして、
一瞬の息吹きを映像に残そうと
夢中になっている人々の姿を見るのも、
なんだかほのぼのしていて、
微笑ましくて、幸せな気分になる。

桜って本当にすごい。

**************************


桜の蕾がふくらんでいくさま。

行きつ戻りつする寒さを
じっと耐えて、
温かな日差しを待って、
少しずつ開くていくさま。

そして、時がきたら一気に力強く咲き誇るさま。

桜吹雪となり風に身を任せて舞い上がるさま。

葉桜にひっそりと譲りゆくさま。

どれひとつとっても極上に美しい。


**************************


どこまでも透明なピンク。
堂々していて潔く、
そして時にひっそりとした存在。

そんな桜に心から憧れる。

桜のように生きてみたい。

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★お酉さま

2008年11月17日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【鷲(おおとり)神社の酉の市】

「酉の市」の季節がまたやってきた。

毎年11月の「酉の日」に近所の鷲神社で
開催される年中行事。

商いを営んでいる我が家は、
家族揃って毎年でかけたものだった。

前の年に買った大きな熊手を父が担ぎ、
感謝の気持ちとともに奉納する。

そして、長い列を並び順番がくると
鐘を鳴らし、お賽銭とともに1年のお礼と
来年のために手を合わせたあと、
境内を降りて、
華やかな色と形で作られた縁起のよい熊手を選ぶ。

父も母もにぎやかなオーソドックスなタイプよりも
オカメの顔がついただけの
超シンプルなタイプが好きだった。

職人さんとの掛け合いの末、
新しい熊手が決まると
江戸っ子の威勢のよい掛け声が響き渡る。

火打ち石のカンカン!という音と火花が飛び散り、
「商売繁盛!家内安全!いよ~っお!」と
豪快な三拍子で締めくくられる。

たくさんの景気のよい手拍子に包まれると
厄も邪も一気に吹き飛び、
来年も幸先よくスタートできそうな気分になるのだ。

************************

お参りのあと、子どもたちは
500円のお小遣いをもらい
それぞれに好きなものを買うのが
もっぱらの楽しみだった。
(当時は、そういえば500円札だった。)

寒空の中、幼い姉妹は
肩を寄せ合い、今年は何を買おうか慎重に選ぶ。

お互いが買った水あめやら、
おもちゃのおままごとセットやら、
ソースせんべいが気になってしようがない。

やっぱり私も同じのにすればよかったな・・・。

人のものをみると急に羨ましくなったり、
後悔したりするものだ。

そして、
来年は私もアレを買おう!と密かに
心に誓ったりしていた。


************************

ここ数年、息子が一緒に行ってくれなくなってからは
すっかりと足が遠のいていた。

でも、ふと気がついたのだ。

そうそう、私もフリーでお仕事してるということは
やっぱり熊手が欲しい!

それに、
これから新しくスタートする
札幌在住のNAOKIとそして私、KAORU♪との
ジュエリーユニット
“Luce e’ Luce”
〔ルーチェ・エ・ルーチェ〕のためにも
ぜったい必要である。

今日は、家族と一緒ではなかったけど
ひとりでたっぷりと商売繁盛と家内安全を願ってきた。

そして境内に置いてあった
小ぶりのお多福の熊手を購入すると
若い巫女さんが白い幣(ぬさ)を頭の上で振って
清めてくれた。

お酉さまは、仕事と家庭の
両方の“幸”を願う
まさしく我が家の、
そして私の原点だったことを
思い出した。

************************

幼い頃、何も考えずに
お祭り気分にひたっていた酉の市を
大人になって自分で仕事を始めた今、
本気で手を合わせて祈りを捧げる。

父と母も同じように
会社の繁栄を祈願し、
子どもたちがすくすくと育っていくことを
願っていたのであろう。

そんな気持ちがよくわかるような
立場になるなんて、思ってもみなかったが
私の人生は想定外だらけのことが本当に多い。

でも、もうやっぱり前進していくしかない。


酉の市を迎えると今年も終わりだな、と
思っていたが、年々温暖化で初冬の冷え込みが
和らぎ、年末気分がなくなってきたけれど
それでも暦は今年もあと1ヶ月ちょっと。

来る新しい年のための準備に
取り掛かかりつつ、
丁寧に毎日を過ごしていこう






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