KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

“わがままおやつ姫”モード

2007年04月25日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【カウアイ島の青いイチジク】


なぜだか甘いものになると人格が変わってしまう。

ここ最近、そんなことを自他ともに認めるようになってしまった。

**************************

子どもの頃、母が着付け教室の先生をしていた。
毎週木曜日夜の9時頃、3姉妹連れ立って駅の改札に迎えに行くと
かならずおみやげを3つ用意してくれていた。

時には偉人シリーズの本。
時にはクマのぬいぐるみ。

そして、圧倒的に多かったのがお菓子だった。
同じお菓子ならぜんぜん問題ないのだが、
一番大変だったのが当時新発売で大人気だった
「ベロティチョコレート」だった。
絵柄がすべて違うのである。そしてそれがパッケージから
丸見えだから、とにかく好きな絵が描いてあるチョコが
ぜったい欲しくて、必死にジャンケンをする。

3人年子とはいえ、「わがまま姫」と呼ばれていた私は
妹たちの中でいばりくさっていた。
たとえ負けても、力づくで欲しいものを手に入れる。
妹2人は抵抗していたのだろうが、そんなことは
ちっともお構いなくムリやり交換をして、
かならずお気に入りをほおばっていた。

グリコのおまけとか、袋の中に入っていたシールとか
フタをあけてみないとわからないものはどうでもよかった。

それは見た目は同じなのだから、別に最後に手渡されても
まぁひとまず大丈夫。運を天にまかせる気持ちだ。
そして、どうしても欲しいおまけやシールは
中味を見てからとりかえてもらえばいいからあせる必要がない。

都こんぶ3つ、とかみんなにボンタンアメ1箱づつ・・・
なんて時にも順番なんかこだわる必要もない。

でも、違う種類が目に見えてわかる時には
むくむくともう一人の私が入り込む。

**************************

社会人となって、仕事をするようになった新人の頃、
差し入れのケーキなどがあると
決定権はもちろん最後の方となった。
年功序列なのは当然わかっているから、どうぞどうぞ!
私は最後でいいですから!と口では遠慮しているのだが
お目当てのケーキが選ばれていくときの悲しさ・・・。
心の中で、どうかショートケーキ
残りますように。と一生懸命に願うのだが、祈りむなしく
先輩のお皿にもらわれていったときの淋しさ・・・。


そんな無意識な思いに気が付いたある日、
3番目の妹NAOKOに思い切って打ち明けてみた。

「なんだ!そうだったの!じゃあこれから、
ファインのおやつの時間はKAORUさんが
一番先に取っていいわよ!」と言ってくれた。
私は遠慮がちに「みんなと同じなら、
最後でいいの。やっぱり社長が一番先にしてね。
でも1つ1つ違うときだけ…一番最初にしてくれる…?」

その日を境にファインでは洋菓子、和菓子を問わず
“アソートのスィーツはKAORUが一番先”という
新ルールができあがった。

**************************


そして去年、11月の話。

仲良しのメンバーとイタリアンを食べていた。
デザートタイムになった時、突然
「はい」といいながら
プリンやティラミス、ジェラートなどイタリアンスィーツを
次々にあ~ん、と口に運んでくれた。
そして、もう一人はオレンジやストロベリーなど
フルーツをあ~んとしてくれるのである。

いい大人なのにちょっぴりハズかしい…、と
思いながら結構嬉しいと思ったりして。
そして「この人(KAORUちゃんは)、姫だからね~」
という一言にまわりはシラっとするどころか、
そうそう、そうなのよね。みたいな雰囲気が
フツーにその場が流れていく不思議さに内心驚いていた。


続く去年の12月。
2泊3日の研修会に参加した時、時間がなかったから
お昼は買出しにいくことになった。
仕事があった私は、食べたいものをお願いした。
「えーっと…、野菜サンドがいいな。
それからね…」とここまでは迷いがちに。

その先、急に口調が変わった(らしい…)。

「木村やのむしケーキにして。それからキットカット。
あとは、カフェオレね!」と早口で
きっぱりとまくし立てた(らしい…)。

「うわ~!甘いものになったら突然
姫モードになっちゃったよ、KAORUちゃん…」
とたじろいでいるセリフでハっと我に返った。

あ、たしかに今、迷いなく言い切ってたかも。

あらあら…。子どもの頃からのクセが
知らず知らずに出ているのかもしれない。

敏感なスピリチュアルな仲間はそれを感じとるのか、
それとも、過去世で私がホントにわがままほうだいな時代に
ご一緒していたメンバーなのかわからないけれど、
確実にある一部の人たちは私の一瞬の変化モードを察知する。

そして、そのうちの一人が
「KAORUちゃんってさ、なんかメロンパンナちゃんみたい。
ちっちゃくてカワイイんだけど、顔にななめの線がはいってたりして
おしゃれなんだけど、意思がハッキリしてるの。
そして、パンチ強い!みたいなそんなキャラだよね
と私のそんなできごともひっくるめて表現してくれた。

その話をいろいろなところですると、
けっこう大ウケでなのある。

**************************


そして、今月から本格的にスタートした
横浜の新しいオフィス、たくさんの会社が机を並べる
「プレア インターナショナルフロア」では
もうさっそく“アソートのスィーツはKAORUが一番先”という
ルールを採用して下さっている。

昨日、残り少ないおまんじゅうは
最優先にKAORUの机の上に置いてくれた

今日のファインでは社長よりも先に黒豆せんべいを持ってきてくれた…。

「あ、でもみんなと同じ時は最初じゃなくていいの…」
お菓子ルールをまだよく理解できていない人には
遠慮がちに、心持ち小さな声で説明する。

1ヶ月ほど前のファインでの仕事中、
無くしてしまったとあきらめていたアメジストの指輪を
手にして持って来てくれた。

「これKAORUさんの?」

「わ~、そう!もう見つからないと思ってた。
どこにあったの、この指輪

と大喜びで聞いたら、表情も変えずに静かな声で
「お菓子箱よ」という返事が戻ってきてビックリした。

指輪が落ちたのも気がつかずに夢中でおせんべいを
選んでいたのかもしれないな。
そんな自分の姿を想像するだけで
やっぱりちょっと情けない。

**************************

そんな生活を送っていたせいなのだろうか、
春の健康診断でコレステロールが
正常値から高値になってしまって超ショック…。
どうやら善玉コレステロールが悪玉コレステロールに
負けちゃっているらしい。

中性脂肪も体重も体脂肪率もそれほど問題ないが
血液ドロドロ???メタボリック???

わ~ん、ヤバイ

先輩ヒーラーたちから、
とうとうお菓子禁止令が出されてしまった

いつまでも“わがままおやつ姫”モードを
引きずっているわけにはいかない。
カラダは着実に老化し肉体はおとろえはじめているのだ。

しっかり現実に向き合って、ちゃんと運動しよう
食生活も見直してみよう

いつも元気に動いてくれるこの体があってこそ、
今日も幸せな一日を終えることができるのだ。

今これから、コロの散歩。
カラダを意識して歩いてみなきゃね













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★なごりの桜

2007年04月12日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【ソメイヨシノ】


    

         花吹雪
     
      東の風に舞い上がる

        白い花びら

        天をめざして



********************


日本列島は本当に長いですね。
北の空には、今朝“なごり雪”が降ったのだとか。

先週末、父の13回忌で長良川のほとりに行ったとき、
法要の最中に川べりに咲く桜の花びらが
まるで粉雪のように、ふわっといっせいに
舞い踊っていてそれはそれはステキだったんですよ。

うちの前の八重桜ももうまもなく終わり。
朝、花びらをほうきで集めながらふと、
こんな作業って日本にいる幸せのひとつなんだろうな~って
思うと、急にありがたく思えちゃったり。
いつの日かの遠い未来、桜の花びらを集めていたこと、
思い出したりするのだろうか・・・。

今、東京に住んでいる私が、
東の風に心地よさを感じて、春を待つ北の遠い空を思い、
南の暑い日差しに心躍らせる。

でも、どこにいてもどんな時でも思いはひとつ。

空高く、天をめざしてただひたすらに生きていこう

そして時には桜の花びらのように、
かろやかに風に乗ってみよう♪

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★アメリカンブレックファースト

2007年02月20日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【カウアイ島の朝食】

旅での楽しみのひとつは、ビュッフェスタイルの朝食。

その場で焼いてくれるパンケーキやワッフルがあれば
飛び上がりたいほど嬉しくなってしまう。

あつあつに溶けていくバターと
たっぷりのメープルシロップ。

そして、具をチョイスできるオムレツ。

チーズとトマトとオニオン、ハムなどを選んで
手際よく、でもじっくりと焼いてくれる。

どちらも焼き上がる時間を待つのも楽しみのひとつ。

フルーツやヨーグルトと、
ミルクと砂糖をいれた温かいコーヒーがあれば、
あ~、今回もいい旅だった♪という幸せな思いに
どっぷりと浸りながら贅沢な気分に包まれる。

ランチもディナーもビュッフェは日常生活でもあるけれど、
朝の光の中で、ゆったりと食べるブレックファーストこそ
旅の醍醐味なのである。

アメリカの食事は一般的にジャンクフードのイメージで
すこぶる評判が悪いが、朝食はアメリカンスタイルにかぎる。

**************************

数年前にイタリアを旅したときに、
ホテルの朝食はすべて「コールドブレックファースト」だった。
その名の通り「冷えた朝ごはん」なのである。

パンも、ハムも、チーズもサラダもしっかり冷えていて
コーヒー以外はどれひとつとして温かい食べ物がないのだ。
フィレンツェもソレントもローマも。

ソレントにただひとつ置いてあったトースターを
見つけたときは、すかさずパンを並べ温かくなるのを見守った。

またネーミングからしても、そのものズバリすぎる。
冷え冷えとしたイメージが湧いてきて、どのホテルでも
またここでもコールド?・・・と思うとだんだん寒くなってくる。

季節が真夏で本当によかった。
体の芯まで冷えた訳ではないし、まあ、よしとしよう。

**************************

そんな私が、日々を過ごす中で知らず知らずのうちに
欠かさず作っているのが、旬の野菜料理である。

ちょうど今頃の、春には「ふきのとう味噌」
生の“ふきのとう”をこまかくきざんで、
お味噌にみりん、お酒、砂糖を加えさっと火を通して、
“ふきのとう”をあえるだけなのだが、
ほろ苦い香りが春らしくて、自慢の一品である。

ご飯にのせたり、お茶づけにしたり。
日本酒の肴にもぴったりなのだそうだが、残念ながら
飲めないので、もっぱらおかずとして楽しんでいる。


そして、ゴールデンウィークあたりになると
「そらまめ」が八百屋さんに並びはじめる。
もうすぐ夏だな~、と思いながら塩茹でをして
ビールと一緒に味わう初夏の味である。

できれば、まだ太陽が少し残る時間帯がいい。
旅の朝食に匹敵するぐらいの“非日常気分”になる。


秋になると、「菊の花びらのおひたし」
華やかな彩りと繊細な食感が、豊かな気持ちを広げてくれる。
少しずつ冷えて込んでいく空気とともに、
実りの秋を満喫できる料理の一つである。

**************************

ある日、母に「自分の分だけなのにまめに手を抜かずに
きちっと作るわね~」と言われてはたと気がついた。

そういえば息子はまったく手をつけないが、
いつの頃からか自分のためだけに、自分で作っていた。

日本ならではの季節感を楽しむと、
毎日の生活にほんの少しの豊かさと潤いが
生まれるような気がする。

期間限定の旬の食材は、まるで朝の光の中の
アメリカンブレックファーストのように
“非日常気分”にひたれる
幸せアイテムのひとつなのである








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★Hawaii カウアイ島の輝き

2007年02月10日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【空からみたカウアイ島】

1月の半ばのお昼すぎ、
すごく新鮮で安くておいしい回転寿司屋さんで
1時間待ちをしていた時のこと。
トイレから出たら着信履歴に気がついた。

「カウアイ島のイベントに参加しない?
1月27・28日だからもう何日もないけれど、
今ならまだ格安航空券も間に合うかも!」
というお誘いの電話だった。

2日間とも予定がバッチリと入っていたが
みなさんの了解を頂き、他の日にずらしてもらい
無事にハワイへと旅立つことができたのだった。

************************

海外でのイベントは今回で3回目。

あらためて思うのは、悩みや思いに本当に国境も
人種も関係ないのだ、ということを実感する。

「夫はすごく大切だけれど、でも今気になる人がいるの。
いけないことよね。どうしたらいいかしら?」とか
「今の仕事を続けて行っていいのかしら?私の使命とか課題は?」
「将来、ステキな人は現れる?」などなど、
日本でも、ごくごく普通の質問が次々と寄せられる。

導き出される返答に納得したり、うなずいたり、
時に涙する様子はアメリカ人だから、とか
肌の色がこうだから、ということはいっさい関係がなく、
私たち人間が共通のテーマや課題に取り組んでいることを
目の当たりにしていく貴重な機会なのだ。


************************

そんな、2日間の中でのできごと。

トイレに入って、化粧直しをしていたら
赤ちゃんのオムツを換えているお母さんがいた。
私と目が合うと、にっこりと笑って
「今から私もトイレに入りたいから、この子を見ていてくれる?」
というと、あっという間にそのまま個室に入ってしまった。

突然託された、まだようやく首が座ったばかりの
小さな小さな赤ちゃん。

戸惑いながらもなんだか嬉しくて、
そして懐かしくて、小さい手を握りながらあやしていた。

ほどなくして、お母さんが戻ってくると
「あら?あなたもBABYがいるの?」と聞かれ、
「う~ん、もうBABYじゃないけどいるわ。
もうすぐ16才だもの。私よりずっと背が高いのよ」と
出来る限りの英語で会話した。
(「ときどきカップルとかきょうだいに間違われるの」
という英語は、うまく通じなかった・・・。
もっと勉強して、もっともっとしゃべれるようになりたい

************************

たくさんの国の人が住んでいるとはいえ、
いきなり英語も満足に話せないアジア人に
赤ちゃんを託してしまうなんて、本当に驚いた。

毎日のように悲しいニュースばかりを
流され続ける昨今の日本人は、「平和」な国のはずなのに
もう誰を信じてよいのか、すっかりわからなくなってしまった。
子育てをしていた15年ほど前を振り返ってみると
やはり今ほど神経質になっていなかったが、
それでも見ず知らずの人に子どもを預けて
トイレに入る勇気はなかったような気がする。

ハワイの中でも、まだまだローカルで
穏やかな雰囲気のカウアイ島ならではなんだと
思うとうらやましく思えたし、一体いつから日本は
そんな風になってしまったのか、ちょっぴり淋しくもあった。


************************

今回のできごとを、今週の英会話の授業で
イギリス人の先生に話してみた。

「やっぱりカウアイ島はのんびりしているね」という
答えをなんとなく想像していたのだ。
すると、予想に反して
「それってすごくナチュラルなことだよ。
だって、トイレの中でしょ?女性だけでしょ?
トイレに入るお母さんをみんな助けるのが普通だよ!」と
ニコニコ顔で言われると、
え?ハワイでもイギリスでも普通のことなんだ・・・と
すごくショックだった。欧米よりも治安は良いと思われていた
日本が、実はどこよりも知らず知らずのうちに不安の社会に
すっかり、どっぷりと染まっていたのだ。

このまま、日本の将来はどうなるんだろう?
子どもたちが安全に安心に暮らしていける社会を築くことが
できるのだろうか?と、誰もが自分自身の人生を考えつつも、
自分たちの国の先行きも同様に案じてしまうことだろう。

何かの歯車が違ってきてしまった
今日この頃の日本。

海外に出てみることで本当に今、私がヒーラーとして
できることを精一杯やってみたいという気持ちになる。

カウアイ島ののんびりと、ゆったりとした輝きで、
私のまだまだ眠っていた底力のような、
自覚していないパワーを揺り起こしてくれたようである。






















コメント (1)
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★クリスマスの夜に

2006年12月25日 | KAORUの好きなものギャラリー
                   【ルナリア】

サンタさんがいるって信じていたのは
何才までだったのか、思い出すことさえ忘れていた。

去年までのここ10年ほどはささやかながらも
クリスマスイブには、シャンメリーやローストチキン、
クリスマスケーキなどを用意してきたのだが、
高校生となった息子は、先月からいよいよ
アルバイトをはじめたため、そんな必要もなくなってしまった。

「一年で一番忙しい日なんだ、洗い場かな~」と
つぶやきながら、バイトに出かけていった。

****************************

息子や姪っ子など、子どもと共に過ごす生活に
すっかり慣れていると、大人だけで過ごす
クリスマスイブは、なんとも白々として照れくさい。


母や妹たちと話す内容は結局不在の子どもらのことなのだ。

「サンタさんが実は母だったことを何才のときに打ち明けた?」
という話題で盛り上がった。

わが息子の場合。
小学校4年生ごろだったと思う。

クリスマス直後のある日の夜、私はベッドに呼ばれた。
「友達がね、サンタさんは本当はお父さんやお母さんなんだ、って
言うんだよ。ねぇ、ホントなの?本当のことを教えてよ」
と神妙な顔をして聞いてきた。

ついにきたか・・・。

いつかは来ると思っていたけれど。

一瞬のうちに本当のことを伝えよう、と判断をした。

「そうなの。今までお母さんがサンタさんのかわりに
プレゼントしていたのよ。」と短い言葉で伝えると
ポロポロと泣き出した。

「そうなんだ。ぼく知らなかったよ。
お母さん、ありがとう」とあふれる涙をぬぐっていた。

「…だからね、来年からはサンタさんのプレゼントは
もうこないよ。でもお母さんからのクリスマスプレゼント
は今まで通りあるからね!」と言うと
「うん。」と納得していた
・・・かに見えたが、翌年は何事もなかったように
「今年はサンタさんにお願いしたいものはね、」などと
言っていたのにはビックリした。

真実は知りたかったものの、プレゼントがひとつ減るのは
どうも不利だ、ということに気がついたらしい。

それでも中学校に上がってからは、
そのことは話題にもならず、クリスマスプレゼントは
どうしても欲しいものがあるから今すぐ買って!と
11月頃にはまるで前借りのように早めにねだられていた。
そうすると、クリスマス当日にはプレゼントがどうの、という
こともすっかりとなくなったのだった。

****************************

でも妹MIDORIは、クリスマスのプレゼントには
まだ情熱とこだわりをもっていることがわかった。

今年短大生になったSAORIは中2まで本気で信じていたのだという。

でも、その中2のクリスマスイブの夜、
夜中まで起きる気力がなくて、12時過ぎに部屋に入ったら
「ママなの?サンタさんじゃなかったのね!
今まで私のことだましてたのね!」と詰め寄られ、
今でも心の傷になっているのだという。

喜ぶ顔が見たい一心で、あんなに一生懸命工夫してきたのに、
なんでドロボウみたいに責められなきゃならないの。
あ~、今思い出しても泣けてくるわ・・・。と呟いていた。
昔の笑い話、と思って聞いていたら、ホントにポロポロって
涙がこぼれていた。やだ、本当にショックだったの?
と聞いたら、うん、そりゃもう・・・。というのだ。


そして、現在中2の姪っ子AIRIは疑いながらも
まだ信じているらしい。
そして、ママではないことを証明したいために、
イブの日には部屋にカギをかけるのだという。
サンタさんは夜中の2時から5時くらいにくるらしいよ!
今日はゼッタイ起きているから!などと息まいているそうだ。

宅配やさんじゃないんだから、時間指定ではこないでしょ~、と
本人には言いながら、大人たちだけになると、
どうしよ・・・。そんなに起きていられないわ。
そんなことをしたら二度ともう来ないよってことにしようかしら?
などと策を練っていた。

今日はどんな朝を迎えたのだろう。


****************************

そんな話をしながら、
サンタさんはいるって私は信じています、という
私の先輩の話を思い出していた。


う~ん、私はなぁ・・・。
だって実際にはプレゼント持ってこないしな~。

などと、すっかり古びた大人の概念をまとってしまって
いることに気がついた。

・・・だったのに、今朝方こんな夢を見た。
というか、ヒーラーになってからというもの、
ここ数ヶ月はいろいろなメッセージが夢というには
あまりにはっきりとした言葉で届くようになった。
いつもメモも枕元に置いて、わ~っと言葉が届くと
ひとまず寝ぼけながらも書き留めておく。

朝目が覚めて読み返すと、とうてい自分では
思いつかないようなメッセージが書かれてあって
驚くのだ。そんな不思議な体質になってしまったようだ。

そして、今朝の4時ごろには
「あなたの希望をひとつだけ言ってください」という
言葉が届いた。いつもは一方的なのに、
今日は初めて問いかけてきた。

一瞬、あれこれと迷いながらもひとつだけ口に出してみた。

すると、しばらくしてから
「あなたの願い事は承認されました。
多くに人にとっても必要なことなので。
叶います。」という返事が返ってきた。

朝目覚めた瞬間、あれはどなただったんだろう?
いつもメッセージを下さる方とは違うみたいだし・・・。
と考えながら、もしかしたらサンタさん???なの?
と思ったのだった。

****************************

今日の新聞には、クリスマスの日らしい
いつもの話題の記事がでていた。

あの有名な100年以上前の実話。

「サンタはいるんですか?」と新聞社に手紙を
送ったアメリカの女の子に記者が社説で
「大切なものは目に見えないものが多いが、
あなたの心に確かに存在するのですよ」と
回答したという。

その記事を改めて読むと、そうだよな。と
その深い意味に考えされられる。

愛も絆も信頼も、目で確認することができないし、
私が行っている「過去世リーディング」だって、
映像フィルムのような形でお見せできないけれど、
でも確かに存在した、とご本人が納得するのは
きっと魂がそう思っているからなのだろう。

****************************

今年のクリスマスはまるで私自身が
子どもの頃のピュアな気持ちに戻ったような気分だ。

きっとサンタはいる、って思わずにはいられない
夢のメッセージに感謝しよう



















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★“光”から“光”へ

2006年09月30日 | KAORUの好きなものギャラリー
【夕暮れの東京ビッグサイトと三日月】

先日、1回だけ補習でレッスンを受けた英会話の先生が
学生時代、映画の勉強をしていたと自分のプロフィールを
教えてくれた。来日したいきさつは英語の教師としてだけでなく
日本の1960年~1970年代の映画が大好きだから、だという。

なぜその頃の映画に魅力を感じるか、というと
「グレーだから」なのだそうだ。

欧米の映画はヒーローと悪役がはっきりと分かれていて、
かならず“いいモノ”が勝つようなストーリーになっているが、
日本のその時代はその境界線があいまいで、ヒーローなのか
悪役なのかわからない。“いいモノ”が結局負けてしまったりする。
そこが面白いのだとか。

たとえば、「子連れ狼」「座頭一」。
確かに子どもの頃、見ていてもちょっと怖かった。
“いいモノ”なんだろうけど、もしかしたら時々“わるモノ”?
胸のすくような、すがすがしいヒーローではなく、
顔つきも風体もすごみがあって、
“ちょいワルおやじ”よりももっと筋金入りである。

ここで年代がわかってしまうが、幼い頃に見た
白黒のテレビでやっていた「大魔神」もかなり恐ろしくて、
悪人達にしびれを切らすと、砂?のような建物から出てきて
(幼稚園の頃の再放送なのでかなり記憶があいまいだけれど)
突然、怒った形相に変わり“わるモノ”を次々となぎ倒す。

「あ~、よかった!」という安堵の気持ちと、
一瞬見せる阿修羅のような顔つきは、子ども心に
怖くて複雑な気持ちを抱いていた。

そういえば、あの頃のアニメもみんな同じような設定が多い。
ブラックジャックも、名医なのに時々、悪役の顔をのぞかせる。
デビルマンも、仮面ライダーも“悪”から“ヒーロー”になっている。

つまり“善”と“悪”が表裏一体で、憂いと悲しみを含んでいるのが
1960年~1970年代の特徴なのではないだろうか。
ちょっぴりマヌケで人間くさいヒーローや、
“イケメンのうっとりするようなヒーロー”ではなく
暗い過去を引きずった“ちょっと不幸な影のあるヒーロー”
が見るものの同情をさそう。
あこがれというよりも哀愁とドロドロなのである。

そしてアニメにもあるように、“闇”から“光”へと向かうのは、
時代背景で考えると戦争が終わり高度経済成長期へと
日本がまい進していった姿を重ね合わせてしまう。

でも“光”になりきれずに、時々“闇”が顔をのぞかせてしまうのは
まるで、もがきながらも平和を目指そうとしていた、
当時の、日本の姿そのものであったような気がする。

それが、国民の代表的な感情で
みんなの共感をよんでいたからヒットしたのである。
****************************

では、今の日本が目指している方向や
共感をよんでいるヒーローはどんなものなのだろうか?と
ふと考えてみた。

ヒーローではないけれど、“国民的な人気者”と言えば
やっぱりSMAPだろう。

なぜ彼らが長年、人気を維持しているのか
私なりに、そして周りの人の意見も聞きながら
改めて考えてみた。

まず、多くの人が口を揃えて言うのが
「すごく仲良しだから。」

プライベートでも、時折遊びに行ったりするという話を
聞くと、なんだかほっとする。
仕事の時だけ、と割り切って仲の良いふりをしている
よりも、ずっと安心感をもって見守ることができるのだ。

そして、ある人の意見では、
「でも、ベタベタしすぎてないのがいい。
適度な距離感がすごく羨ましくて、あこがれる。」という。

お互いをすごく尊重して、これはかなわないな、という
領域をそれぞれ持っていて、それを素直にすごい!と
認めあっているところも、見ていて微笑ましい。

きっとこの人たち、裏表ないんだろうな、と思わせる
スタンスがなんだか心地いい。


****************************

昔のヒーローや人気者の「光」と「影」の“表裏一体”は、
ちょっぴり怖くていつ豹変するのかわからない、という
不安感がいつもつきまとう。


でも今、時代は「一匹狼」ではなくて、
みんなでそれぞれに得意なジャンルを持ち寄って
一人ではだせないパワーを最大限に
発揮するのが主流なのである。

だって、その証拠に最近の仮面ライダーだって
一人じゃないのだ。
何人もいて、それぞれに個性的だ。
それって、単にたくさんキャラクターが売れるから、という
だけの理由ではなくて、時代の流れを無意識のうちに
つかんでいるからだろう。

テレビやドラマの傾向から、私たちがなにを望んでいるのか、
どんな方向に進もうとしているのか、を読み取ることが出来る。

“闇”から“光”へと進んでいった日本は、
“光”から“さらに輝く光”へと現在進行形で向かっているようだ。








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★エキサイティング!SMAPのコンサート!

2006年09月13日 | KAORUの好きなものギャラリー
  【「POP UP!SMAP」 携帯ストラップ】 


ご近所に住む小学校時代からの友人、RIEちゃんとは
自転車や犬の散歩でよくすれ違う。
一児のママとして地域に密着した活動をアクティブに展開中で、
ファインの赤ちゃんグッズの開発には、モニターさんや
ママさん仲間の声をたくさん集めてくれる心強い幼馴染み。
もうかれこれ30年来の友人である。

先週の金曜日の夕方、携帯にメールが届いた。

SMAPのコンサートのチケット1枚あるけど行く?という
短いお誘いである。日曜日だから直前で申し訳ない、と添えてある。

とっさにスケジュール表をチェックした。

9月の休日はばっちり予定が入っているのに、
10日だけぽっかり何も書いていない。
まるでコンサートのために空いていたかのようである。

*****************************

SMAPのコンサートは何回目だろうか?

去年は忙しくて行くことができなかったけど、
行き始めてからかれこれ6年ぐらい。

毎回必ずぺンライトを買って、
「キャー」という声援を送って、
思いっきり手を振って、
満面の笑顔になる。

アリーナのとびきりいい席が当たったときもあれば、
スタンド席の後ろの方で豆つぶのようにしか見えないときもあるが、
エキサイティング度はいつも同じ。


「5人のうち、誰が好き?」と必ず聞かれる質問がある。

ファンと公言していない人でも、みんなそれぞれに即答できる。
それがSMAPの国民的な人気の高さを示しているのだと思う。

そしてもはや彼らは単なる人気者の枠を超えて
“メッセンジャー”のスタンスを確立している。

「♪大国の英雄(ヒーロー)や 戦火の少女
それぞれ重さの同じ
尊ぶべき 生命だから

精悍な顔つきで 構えた銃は
他でもなく 僕らの心に
突きつけられてる ♪」  (「Triangle」より)

という歌詞は胸にぐっと響く深いフレーズだ。

*****************************

ちなみに私は、どう答えているかというと「5人とも!」
ひとりかけてもつまんない。と思うのだ。

でも、コンサートで双眼鏡をのぞきながら
知らず知らず追ってしまうのは“慎吾ちゃん”だった。

そうそう。型破りな豪快さと、太陽とかひまわりのような
屈託のない明るさとパワフルさがすごくイイ

国立競技場初日、土曜日のコンサートが終わると、
夜の番組「スマステーション」の収録へ行ったのだそうだ。

日曜日のコンサートが始まる直前に
「ラジオに慎吾ちゃん出てたよ、お母さん」と息子が教えてくれた。

超過密スケジュールなのに、大きな声で両手を広げて
「みんな愛してるよ~!」と何度も叫ぶ力強さは
どこから湧き上がるのだろう?
スターとはいえ、同じ人間なんだよな。
しかもずっとずっと若い。

私も、少しぐらいのことで弱音なんか吐いていられない。

ちょっと恥ずかしいけど、両手を広げて空を見上げて
マネして言ってみようかな?
「みんな、愛してるよ~!」って。
そうしたら、もっと型破りで、
スケールが大きい私に近づけるかもしれないな。

いつもいつも、パワーを充電できるSMAPのコンサート。
来年もまた行きたい。
RIEちゃん、誘ってくれてありがとうね


去年、手続きしそびれて切れてしまったファンクラブ。
やっぱりもう一回入会しようか現在、迷い中。

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★言葉のギャップ

2006年08月28日 | KAORUの好きなものギャラリー
              【立川の花火大会にて】

「お母さん!今日のチーズチキンカツ、
コンビニみたいにおいしいよ~!」と息子が叫んだ。

鳥のもも肉に切り込みを入れて、とろけるチーズをはさんで
パン粉をまぶして揚げただけのシンプルなカツなのだが、
たしかにサクっと、カリっと上手にできあがったと思う。

でも・・・「それってほめ言葉なの?」と思わず聞き返した。
「超ほめ言葉だよ!」と元気に返事が返ってくる。

そうなんだ・・・。
彼にしてみれば最高の賛辞を送ってくれたのだ。
なんだか複雑な心境である。

コンビニ生活にどっぷりと浸っている子どもたちは、
コンビニおにぎりの味を基準としている。

「うちのおにぎりはビチャっとしているからイヤなんだよね~。
コンビニのおにぎりはもっとお米がしっかりとしているんだよ。
あんな風に作ってよ」などとリクエストされてしまう。
それは、どうやら我が家だけではないらしい。
「うちもコンビニの方がおいしいって言われちゃうわよ。」と
いろいろなところで耳にする。
「おふくろの味」という言葉はすっかり影をひそめ、
そのうち「なつかしのコンビニの味」シリーズなるものも
登場するのかもしれない。

時代の流れとはこういうことを言うのだと、肌身で実感してしまう。

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そうそう、こんなこともあった。
私が撮る花の写真を友人が見て、
「うわ~、薫ちゃんの写す花ってなんだか
“色気”があるよね~」と感想を述べてくれた。
「ホント?嬉しいわ!」と私は素直に喜んだ。

そんな会話を60才過ぎた方に話したら、
「普通“色気”っていう言葉はそんな時に使ったりしないわよ。」
と彼女はすごく驚いていた。
その二文字から、ドロドロしたエロティックな
イメージが浮かんでしまったのだろうか?

うちの母も、肌を露出するのはやめなさい!とか
穴のあいたジーンズやGジャンは貧乏くさいからやめなさい。
恥ずかしくて人に紹介できないじゃないの。とよく言っている。

でも、私たち世代は「穴のあいた服=貧乏」という概念を
理解することできても、腑に落ちて納得するのは難しい。
むしろ、ここまでナチュラルに穴があいてるってコトは
高そうな服だな、ヴィンテージ?などと
直感的に思ったりしてしまう。

その溝を埋めるのはかなり困難だ。

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先日の英会話のレッスンで、ニュージーランド人の先生との
会話の中で、「日本で生活するのは大変でしょう?
英語通じないことも多いから。先生、日本語はわかるの?」と聞いたら、
「みんな結構、英語はわかってくれるから問題ないよ。
それに、日本語もだいだい聞き取れるから大丈夫。」
といったあと、「でもね・・・。」と続いた。
「若い人の日本語は理解できるんだけど、
年配の日本語がぜんぜん聞き取れないんだ。
使っているボキャブラリーと、
イントネーションが違うんだよ。」と言うのだ。

たしかに、日本人でも方言は聞き取りにくかったりするが、
同じ地域に住んでいるのに、年齢差による言葉のギャップが
外国人にとっては大きな壁になっていることは知らなかった。

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つまり、年齢層によって用いる言葉がかなり異なっていて、
そこに含まれる意味合いや伝えたい気持ちも
まったく違う、ということなのだ。

“ジェネレーションギャップ”という言葉どおり、
親子間の感情の行き違いなど、
あって当然だと思ったほうがいいし、
すべての人間関係においても同様だ。
年齢による違いだけでなく、同世代でも
育った環境や考え方によっても
概念やイメージは人それぞれなのだ。
だからこそ、丁寧に言葉を使っていく必要があるのだと思う。

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ただひとつ、使う言葉や言語が違っていても共通することがある。

それは、表情や音の響きである。

語尾がやわらかく、笑顔だったら深い意味を考える前に
ひとまず嬉しくなってしまう。
きっと誉めてくれているんだろうな、とか喜んでくれているみたい。と
直感的に感じとることができる。

昨今、すっかりと生活の一部となった携帯メールでさえも、
絵文字を活用して、笑顔マーク、
言葉の最後に上向きの矢印
ついているだけで、思いが伝わるものだ。

話すのがニガテ、とかメールではうまく伝える自信がない、
という人も、プラスαを少し加えることで、
どんなギャップもコミュニケーションの溝も
縮まり始めてくれるだろう。

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★“薫”と“香”のステキな違い

2006年08月21日 | KAORUの好きなものギャラリー
          【シンプルでスタイリッシュな包み紙のチョコ】

アメリカからのおみやげに、チョコレートをもらった。
「有名なお店なんだって。すごくおいしいよ!」と笑顔とともに
手渡された茶色い紙袋をそっとひらくと、チョコの香りのほかに
ふわ・・・っと甘い薫りがした。

これは、アメリカのにおいだ。

サンフランシスコやラスベガス、N.Yでも、そしてハワイも
グアムもサイパンも、アメリカはどこでも
空港に降り立ったとたんにこの甘い薫りに包まれるのだ。

滞在中はそのうち、だんだんと鼻が慣れてしまうのだが
日本に戻ってトランクを開けたとたん、
この甘さが部屋中に漂いはじめる。

私はそんな瞬間がひそかに大好きである。

この甘くて心地よい薫りに気がついたのは、息子だった。
「お母さん!アメリカのにおいがするよ~!」と
喜んだりするのである。

シンプルな生成りの紙袋の中には、3枚のチョコレートのほかに
一緒にシカゴの薫りまで入っていたようでなんだか嬉しい。

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先日、花の講師仲間の先輩から“蓮の蕾”について
こんな話を教えてもらった。

近所の植物園には3000年前の種から発芽させて栽培した
蓮の池があるという。6月中旬から7月までの短い間、
幻想的に咲き誇るのだそうだ。

「蓮ってね、すごく良い香りがするのよ!知ってた?
膨らんでいる蕾をそっと手のひらでにぎると、
蕾のてっぺんから空気がふ~っと抜けるの。
その芳醇な甘い香りは本当に上品なのよ。
一度ぜひためしてみて!」という。

「3000年前のそのままの蓮でしょ。品種改良されてないからね、
人間に媚びてないわけよ。その力強くて、凛とした姿は
本当に近寄りがたいくらいに気高いわよ。」と講師仲間の
大先輩ならではの味のあるコメントである。

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そうそう、花にも意外に流行がある。

ここ最近はすごく大振りな昔ながらの原種に近いタイプが
人気だけれどバブル時代あたりから小型化するのが流行っていた。
ガーベラやヒマワリやバラもどんどん小さくなって、もともとの
大きな花を見なくなった時期があったが、このところまた復活。
ダリアや菊もポテっとした大きいサイズが人気である。

それは、経済的にもお得ってことだから?
景気とも微妙に関係しているのかもしれない。

そういった意味で先輩は、“原種のまま=人間に媚びてない”
という表現をするのだと思う。

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私の名前にもなっている“薫”と“香”の違いを英会話の先生に
説明することになって、ハタとそのニュアンスの
差に困ってしまったことがある。
今まで特に考えたことがなかったのだ。

日本人ばかりの中で暮らしていると、あえて説明する必要もないし、
聞かれることも考えることもなく、漠然ととらえていた。

ところが、最近のパソコンでは文字変換の時、
とても親切なことに意味まで表示してくれるのだ。
我がパソコンから思いもかけず答えをひょっこりと教えてもらった。

「香り」は“花が香る”“茶の香り”など一般的・具体的なことに使う。
「薫り」は“風薫る”とか“夏の薫り”など比喩的・抽象的な
表現のときに使用するのだそうだ。

つまり、アメリカの甘いにおいは「薫り」。
蓮の気高い甘さは「香り」を使うのが正しい、ということだろうか。

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そして私、「清水薫」は名前のゴロがよいのか、
実は同姓同名がすごく多いのだ。
今までで、そうだな・・・。10人ぐらいいただろうか。
男性も2、3人はいたかも。

学生の頃、私は初等教育の家庭科で、
中等教育の家庭科のクラスにも「清水薫」ちゃんがいた。
洋裁の授業で提出物のスカートを出したら、
「初等教育にも清水薫さんがいるのよね」とつぶやきながら、
先生が成績表に採点を始めたのだ。

「先生!私がその清水薫です!」と言ったら、
「あら、いけない!間違えるところだったわ!」と
慌てて書き直していた。

もちろん、似た名前の「清水香」さんも何度もお会いした。

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この世にもっとたくさんの同姓同名の方がいるのだと思うが
最近は、この「清水薫」にしかできないことをやっていこう、と
なんだか腹が据わった気がしている。

私にしかできないことはなんだろうか。
私だからこそ表現できることはなんだろう。
「清水薫」というフィルターを通してお伝えできることを、
もっともっと探してみたい。

「薫」は抽象的でいいのだ、と思うとなんだか気が楽になった。
ひとつの枠にとらわれずに、可能性を広げていけそうである。

夕涼みをしながらの散歩道、深呼吸をしながら空を見上げると
入道雲が夕陽に輝いていた。

毎日少しずつでも、あの太陽や雲みたいに
私も輝いていきたいな、と思う今日この頃である。


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★アシンメトリー

2006年07月24日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【ラハイナのヤシの木】

この週末はマミフラワーデザインスクールの
年に2回の研修会、夏のセミナーに参加した。

土曜日は最新デザインの発表があったり、
外来講師を招いて講演を聞いたり、ひたすら受身なのだが、
日曜日は、「探究科」というレッスンを午前・午後と受講する
イマジネーションと行動力、スピードが要求される1日なのだ。

参加者はマミのお教室を全国で主宰している、
いわば第一線でバリバリ活躍中のトップ集団の集まりで、
約200名ほどの規模である。しかも女性ばかり。

花や自然を通して、またはステキに生きる先輩方を通して
いつもたくさんの刺激を受けることができるので、
毎回楽しみにしている。

花のレッスンはただ単にきれいな形を作るというだけでなく、
世界史や文化、民族性、クリスマスやお正月のように
宗教のことや、人間としての本質などに触れるから奥が深い。
もちろん、カラーのこと、植物学や、ウィンドウディスプレイまで
暮らしのことから、工業デザインまでと幅も広いから、
どんなに勉強しても新鮮なのである。


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昨日の日曜日午後のレッスンテーマは

「アシンメトリー」

左右対称を「シンメトリー」と呼ぶが、
左右非対称は「アシンメトリー」。

その違いを“西洋”と“東洋”で比較していたのがとても
興味深かった。


「シンメトリー」は地中海沿岸性気候から生まれたもの。
穏やかであまり変化のない温暖な環境から、
厳格な規則性、明確さが感じられ、形として“完結”しているのが
大きな特徴なのだそうだ。

それに対する「アシンメトリー」はモンスーン気候に代表される
アジア地域の特色を併せ持っている。
台風やスコール、寒暖の差が激しいアジア地域では
自然の脅威と恵みを享受することで、
ある種の自由さが根底に息づいている。
そして自然の形状に基づく複雑さ。
それも「左右非対称」という表現方法に
つながっているようである。

「シンメトリー」が周囲の世界から独立しているのに対して、
はっきりとした輪郭を持たずに、周囲の世界との
関わりを感じられるのが「アシンメトリー」。

アジアが「植物的で自然」なのに対して、
ヨーロッパが「生き物としての規則性」。

たとえば、日本の生け花は自然を模写することから
生まれたので、左右非対称。
ヨーロッパで生まれたアレンジメントは
幾何学模様(ジオメトリック)のデザインが中心で、
丸や三角、四角など左右対称の形がベースになっている。
盆栽と、ヨーロッパの庭園の刈り込み式の植木(トピアリー)
もまた同じような様式である。

そんな定義をレッスンテーマのレクチャーから教わった。

言葉の概念を、地域や自然風土からひとつの視点として
考えていくのも、とても面白い。

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危なげだけど、発展性が感じられるのが
「アシンメトリー」の特徴のひとつ、なのだとしたら
今回、日本人として生まれた“清水薫”はもっと
アシンメトリー的な生き方に近づいていきたいな、
となんだかそんな気がした。

もっともっと自然でいいのだ。
まだまだ未完成だけれど、心の枠をはずして
周囲との関わりも大切にしながら、
恵みもしっかりと味わいたい。


私が目指しているのは、「しなやかな“柳”」
倒れそうだけど、ゼッタイ倒れない。
しなやかだけど、たくましい。
繊細だけど、大胆。

そんな生き方をしたいと思う。

環境が人間性にも影響を及ぼすとするならば、
私はアジアの「アシンメトリー」から何かを
得られそうである。










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★封筒の“本気”と“遊び心”

2006年07月16日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【マウイのビーチに吹く風】

ランチを終えて、身支度を整えてから
再び事務所に戻ったら、NAOKOが「待ってました~♪」という。

私の机の上には、現金書留の封筒が置いてある。

「誰宛て?あら?私宛てじゃないね。」と言いながら
よくよく眺めてみた。

受取人は「母」。
差出人は例の「○○文化センター」である。

・・・あれ?ホントにお金入ってたの?
封筒には「重要」「必ずご名義本人様がご開封下さい」と
赤いインクでドンっとスタンプが押してある。
しかも、かすれ具合が妙に生々しくて、手の跡を感じるが
実はよく見ると印刷なのである。

あ!!!もしかして通販のダイレクトメール・・・??

そうなのだ。
以前、ブログで紹介したことがあるが
我が母は通販マニア。

そして、対する通販会社もバラエティー豊富、
ウイットの富んだアイデアを散りばめて、
あの手この手で封を切らせ、中味を手に取るまでの
涙ぐましい努力を展開する。

ここまで、やるんだ・・・。
常識の範囲を微妙に超えながらも
あくまでもベタな庶民派層のスタイルを崩さない。
そんな企業姿勢というかポリシーが一環している。

あまりのくだらなさに思わず笑いが込あげる。

封筒の裏には「※この封筒は現金書留ではありません」と
さりげなく、でもしっかりとPL法を謳ってある。

コレは明らかに現金書留封筒のパクリだけど、
誰もこれでだまされたりしない範囲だよな・・・。
ジョークやシャレでとどまるくらいのスタンスなのである。

あれこれと一瞬で思いをめぐらせたあとに、
思わず「脱帽!!!」と思わず叫んでしまった。

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たぶん今頃、通販会社は大マジメで企画会議を開き
次なるネタを仕込んでいることだろう。

ダイレクトメールのそんな手法は
もはや時代遅れなのかもしれないが、でも
アナログチックなところが妙に好感が持てる。

住所だってキチンと手書き。
現金書留の雰囲気を大切にして、
細部に渡って気を抜いていないのだ。

どうせやるなら徹底的に“遊び心”を大切にしたほうがいい。
しかも“本気”がベースなのである。

***************************

そう考えると、私たち日本人はついマジメに
一生懸命になりすぎる生き物のようだ。

マジメで勤勉で実直であることが、崇高な人で
そうでないと、堕落したようなレッテルを貼られてしまうような
そんな価値観を知らず知らずと植えつけられていて、
枠からはみ出すと自分自身でダメ出しをしてしまう。

多くの人が遊び心を楽しむことと、マジメさは別ものなのに、
時々その境目がわからなくなってしまうようだ。

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昨日の私より、明日の私のほうが
レベルアップをしていたい。
常に高い目標を目指していきたいと思う一方で、
もっと自由なココロの私でいられたら、
もっともっと翼を広げていけそうな気がする。

仕事もプライベートも一生懸命に向き合いつつも、
くだらない、何にもならないと思うようなコトを
思いっきり楽しめる私になったら
きっと人生も豊かに彩られることだろう。

***************************


NAOKOが必死になって「お姉ちゃんに見せるまで
封は切らないで待っててあげて~!」という願いもむなしく、
母は「もう待ちきれないわ!」ととうとうガマンしきれず
封をあけてしまったそうだ。

だから、中味の広告がどんなものだったのか
残念ながら見ていない。
ほんの数分間でも待てないほどのダイレクトメールなんて、
結構スゴイ!
通販会社が聞いたら「作戦成功!」と大喜びだろう。


たかが、現金書留の封筒のパクリ。

されど、思いもかけずまたひとつ収穫あり、と
なんだかニンマリしてしまった。

***************************

(母はもっか、“犬用電動すきバサミ”の到着を
心待ちにしている。「10日もかかるっていうのよね~。
早くしないとコロの脱毛期が終わっちゃうじゃない!」と
一人つぶやいている。)












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★ハワイの記憶

2006年07月03日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【ハレアカラの火口】

6月20日から28日までの7泊9日
マウイ島とオアフ島の旅は、私にとって一生、
忘れることの出来ない濃厚な時間だった。

いつの日か小説にして物語のように
振り返ってみることができそうな数日間を過ごした。

私の宝物として、またステキな引き出しがひとつ増えて
豊かでホコホコと暖かい思い出がいっぱいふくらんだ。


今もまだ少しぼ~っと余韻が残りながらも、
あいかわらずの日常生活は即座に始動開始である。

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人さまの過去世が見えるようになっただけでなく、
時折、自分自身の過去もまた、
見えたりする体質になって約2年・・・。

「過去世」はなぜ、今ココに私が存在しているのか、という
種明かしやヒントをギフトしてくれる。
そして、よし!明日も未来もしっかりと
歩いていかなきゃ!という気持ちになる。

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ハレアカラは月世界のように荒涼とした火口が広がる
すり鉢上の休火山。
いつか行ってみたい、とずっと心に留めていた
なぜだか無性に惹かれた場所である。


数ヶ月前、新聞で2面に渡って特集が組まれた記事を
見つけたとき、急に涙が出てきてしまった。


たぶん、私ここで“いけにえ”になったことがあるみたい・・・。

そんな気がふっとした。

突然、そんな話を聞く人はショッキングかもしれないが、
自分の中では、不思議と恐くも悲しくもなく
むしろ淡々と受け入れられる事実のような気がしたし、
それを知ることできっと何か新しい扉が
開くような気がしていた。

だから、行く前のブログにも書いていたように、
なぜかワクワクしていたんだと思う。
そう。だってずっとずっと昔のことなんだもの。
楽しまなきゃ!

「今度はどんな思い出ができるのだろう。
また新しい友達ができるかな。」

出発前にそうブログに書きしるしたのも、
きっと何かがわかるに違いない!ってどこかで
確信していたのだと思う。


***************************

ハレアカラの山頂はとても寒くて
すごく風が強く目が開けられないほどだった。

“快適”とか“万全”とはいえない、
どちらかというと“過酷”な状況の中で
今回のツアーのスペシャルである、
カフナ(祈祷師)の方々のお祈りが始まった。

魂の奥深くに届く声で、、朗々と謳い上げる
言葉のひとつひとつが、たとえ
意味はわからなくても、とても心に響いた。

観光で行くことはできても、普通の旅では
こういった儀式を体験することができない。
加藤雄詞さんのツアーだからこその魅力である。

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その後、帰路に着くまでその当時の家族や
周囲の人々がご一緒した旅のメンバーにいて、
関係が次々とわかったのは、すごく感慨深かった。

特に<元・家族>は、なぜか最初から行動を共に過ごしたり、
最後までなんとなく集まってしまったり、
気がつくと自然とそのメンバーだけが残ってしまったり・・・
なんていうことが多くて、すごくおもしろかった。

時に嬉しく、時に悲しく、時に淋しく、
そして、とても“愛おしい気持ち”など、
いろいろな感情が押し寄せてきては、
ふっと現実に重ね合わせて、今を生きるための
パワーに変換する作業が出来たように思う。

抽象的で、うまく言葉に表現できないのが
もどかしいが、シンプルに言うと
「リセットボタンを押して、新たなスタートラインに立つ」
ための旅だったようだ。

だから不要なものを脱ぎ捨てて、
すっきりとした気分なのである。

いつもの旅とは、奥深さがちょっと違う。

そんなカンジなのである。

***************************

「ただいま~!楽しかったよ
とひとこと言っただけなのに、

「なんか、お姉ちゃん
一皮むけたような、すっきり抜けたような声だね!」

と、さすが我が妹NAOKOは私の変化を
ばっちりキャッチしている。

***************************


ハワイでの遠い昔の記憶が、私に勇気とたくさんの愛を
プレゼントしてくれたことに、心から感謝しよう♪

これからは、「どの国が好き?」という質問には、
「マウイ島」と
きっと答えてしまうだろう

ちょっぴりセンチメンタルな思い出は
長い年月を超えて、まったりと柔らかなエネルギーで
私を優しく、大きく包み込んでくれる。

“清水薫”は、間違いなく、
また少しパワーアップしたと思う。











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★21世紀のポテトコロッケ

2006年06月10日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【アジサイ】

このところ、なんだかスケジュールがたてこんでいる。

先日、「水無月」を「睦月」と書いてしまい
すかさずご指摘下さったカードリーダーのMIHOさんは
ブログがしばらく書いてないな~と思ったら、
KAORUちゃん最近忙しいんだわ、と思うのだそうだ。

月末のマミの作品展あたりから、
メンタルヘルスケアジャパンと続き、そのまま
休みなく仕事をしているし、明日もまた仕事である。

公私ともに嵐のような出来事が襲いかかってくるが
それもまたひとつの通過点として捉えていこう。
結果や答えを早急に求めるから、時々、人は苦しくなる。

***************************

20世紀は「摂取の時代」だったのだそうだ。
貧しい時代から豊かな時代へと移行し、
サプリメントを採る。物を買う。肩書きや経歴欲しがる。

もうすっかり採りすぎて、栄養過多ですべてのことに
飽和状態となってしまった感がある。


・・・そして21世紀は「デトックスの時代」になっていくのだとか。

つまり、解毒。
カラダにたまった毒をだしていくばかりでなく、
世の中にすっかりとはびこった垢(あか)や毒を
内側から出していき浄化していく動きは、昨今の会社の
内部暴露から始まる崩壊とそれに伴う再生活動からも見てとれる。

社会の動きは、私たち個人レベルにも言えることである。

自分を守るために、がっちりと身にまとった
鎧のような“言い訳”やら“不安”
“相手を責める気持ち”、“威嚇”や
“エゴのようなプライド”を脱ぎ捨てて
いくことが「魂のデトックス」なのだと思う。


不必要なものを、取り除いてシンプルに生きる。
これこそが究極の人生だと思うが、
最初っから何もなくてシンプルなのと、
色々な体験を経て身に付けたデコレーションを
あえて取り除く作業をするのは似て非なるものである。

たくさん身につけたものを捨てていってこそ
本当の意味でのシンプルさがわかることもある。

・・・これはお花をいけていて学んだことである。

たくさんの枝葉を取り除くのは
とても勇気がいるものだ。

そのままのほうが自然な姿なのではないだろうか。
これを切ってしまうと、元には戻らない。
後悔したくないから、たぶんいらない枝だけど
もったいないし、そっとしておこう。と
あれこれ考えて、取らずにいると結局、
デザインがすっきりとしないのだ。
焦点がボケて、何をいいたいのか
わかなくなってきてしまう。

思い切って、バサバサと枝葉をさばくと
本来の枝の美しさや力強さが見えてくる。
でも、どの枝を残して、どの葉を選ぶかは本人しだい。
正解や答えはあるようで、ない。

そんな作業を終えてはじめて、
シンプルであることの大切さを実感できるのだ。

***************************

先日、知り合いの編集者に声をかけていただき、
出版記念パーティに出席した。

すごくステキなパーティだった。

本の題名は「おもいでごはん」(薫風社)

著名人と一般から公募した34名の方の
思い出にまつわる、心温まるエピソードと
その料理の写真、作り方レシピを紹介した、
エッセイとしても料理本としても楽しめる本だ。

作品展搬入の日、準備に追われながら重い荷物を抱えて
電車に飛び乗り、わずかな時間を惜しんで本を開いた。

泣くつもりなんかぜんぜんなかったのに、
心があたたかくなり、突然涙がこぼれてしまった。
次のエッセイも、その次も。

「やだ、まいったな・・・」と思いながらも
泣けてしまった。

たぶん、自分の人生の中で忘れかけていた
思い出のワンシーンとごはんがオーバーラップ
してしまったからではないだろうか。

私にとっての「おもいでごはん」はなんだろう、と
考えてみるが、まだひとつには絞りこめない。

***************************

パーティには、本に紹介された「料理」が並び、
エッセイを書いた方々が出席した。

服部真湖さんや、亀和田武さん、酒井ゆきえさんなど
テレビでおなじみの顔が、一緒に談笑している。
一人一人の挨拶の中で面白いコメントを話してくれたのが
ミュージシャンであり音楽プロデューサーの
サエキけんぞう氏。

彼の「おもいでごはん」は「俵型ポテトコロッケ」。

ワラジ型が主流だが、俵型のほうがぜったいおいしい!と力説する。

同じ味付けなのに、形だけで食感や味がぜんぜん違うという。
そして、じゃがいもは大小のかたまりができるように
荒くすりつぶすのがポイントなのだそうだ。

そして、彼は言っていた。
「最近の流行は、従来あったものにただ味をアレンジする
だけのような風潮になってしまった。
たとえば、たこ焼きの「バーベキュー味」とか。
ポテトチップスも味のバリエーションをどんどん
増やして目先を変えているようだが、
やっぱり、シンプルなスタイルにはかなわない。」と。

実際にサエキ氏のポテトコロッケを食べてみた。
なんと数々の料理の中で一番人気であっという間に
なくなってしまったのだが、幸運なことにゲットできた。

本当に、口いっぱいに広がるジャガイモ本来の味がした。
時々、ゴロっとするかたまりの食感がまたいい。

***************************

う~ん、こういうことか・・・。
21世紀は、新しいテイストをこれでもか!と
加えて衣(コロモ)を厚くするよりも
従来持っている素材のよさを見つめ直し、
その本質を輝かせていく時代になっていくのだろう。

すごく難しく考えていたが、案外やっぱりシンプルなのだ。

私もそんなスタンスで全てのことに向き合って
いきたいと思っている。













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★雪国“モヤシ”と下町“もんじゃ”

2006年05月19日 | KAORUの好きなものギャラリー
           【友達みたいにカーネーションを買う勇気が
            なかったから、摘んできた!と
            プレゼントしてくれた「母の日のツツジ」】

モヤシは息子が食べる数少ない野菜のひとつ。

炒めものや、ラーメン、ヤキソバや、
「もんじゃ焼き]にもゼッタイ欠かせない。
さっとゆでてドレッシングをかけてサラダにすると、
シャキシャキ感がおいしくて我が家の必需野菜である。

***************************

そうそう。
「もんじゃ焼き」を家庭の夕飯に
出すところはきっと少ないだろう。
我が家では、遊びに来た子どもたちにも大好評な
定番メニューのひとつである。

具は、キャベツとたっぷりのモヤシ。豚肉や挽肉、牛肉など
なんでもOK。そのほかコーンや揚げ玉など、あるものを
適当に入れる。味付けはウスターソースと醤油、粉末だしと
削り節1パック。 最近は市販のもんじゃ専用の粉が売っているが
小麦粉で十分おいしい。

***************************

作り方は江東区で育った高校時代の友人が教えてくれた。

話にはよく聞くが、昔は本当に駄菓子屋にあった
子どものおやつだったという。

駄菓子屋さんの奥に鉄板があって
おばちゃんに注文すると、お椀に小麦粉を水で溶く。
そしてソースをちょこっとたらして、鉄板の上に
文字を書いてくれるのだそうだ。

子どものためのシンプルで素朴なおやつが今や
別物のように一人歩きし、月島はもんじゃのメッカとなり
ひと皿ほんの少しで1000円弱という価格は
もはや駄菓子というスタートラインから
大きくかけ離れてしまったようである。

それでも東京下町の人たちは、それぞれの思いを抱きながら
その文化を築いてきたことに誇りを持っている。

***************************


3年ほど前だっただろうか。

江戸川区の「平井」という駅に用事があって知り合いと、
そして息子と3人で出かけたことがあった。
夕食を一緒に食べましょう、ということになり、
何がいいですか?と訪問先の人に聞かれた。

私の知り合いが「この辺りの「もんじゃ」はすごいですよ!」と
おススメしてくれたが、先方は「えっ?本当にいいんですか?
地元の人しか食べに来ないような昔からの店ですよ!
ほかからわざわざ食べに来る人なんていませんよ。
本当にいいんですね!」と何度も念を押された。

そんなに言われるとなんだか怖いもの見たさのような
気分でワクワクする。
2階建てての低くて古い家屋が立ち並ぶ、
昔ながらの住宅街にその店はひっそりと営業していた。

目印は店の前に立てかけてある“よしず”のみ。
看板やのれんなど店をアピールするものが一切ないのだ。
うっかりすると通り過ぎてしまうほど普通の民家なのである。

店の名前も地元の人でさえよくわからないのだという。

だからもちろん、私もまったく覚えていない。
訪問先の人と、知り合いの2人が店名の最後の一文字に
ついて長いことモメていたが、結局正しい名前は知らないようだ。

そして、なんだか店中がベタついているような、
油でセピア色に染まった店内。
一瞬自分が子どもの頃にタイムスリップしたような気分。
すごく懐かしい。昔こんなお店よくあったよな、という
机とイス。そして、店全体の醸し出すレトロな雰囲気。

店内にある、ビンのコーラや飲料水が入った冷蔵庫には、
ドア付近に栓抜きが一体化となって備えついている。
アンティークファンなら垂涎の一品だ。
まだ、超現役で活躍していて、しかも自分で取りにいき、
シュポッっと自分で栓を開けてから席に戻る。

…飲み物のオーダーは取りにきてくれないのだ。

しかも、ビールは本物の家庭用冷蔵庫に入っている。

そして、もんじゃの必須アイテム「ベビースターラーメン」は
あの有名なブランドではなく、すごくマイナーな
5センチ角ほどの小さな袋のタイプがおやつのビンに
ギュウギュウに詰まっていて、自分で好きなだけとっていい
スタイルなのだ。もちろんそのまま食べたってかまわない。

「1コ 10円」と紙に書いてテープでビンにとめてある。

最後に、飲み物のビンの数と封を開けた袋の数を
店のおばちゃんが数えにくる、完全自己申告制である。
もちろん、隠蔽工作も可能なのだが、そんなセコイことを
する気にならないほどの大らかさである。

そして一番驚いたのが、お客さんたちだ。

みんな、風呂あがりのパジャマ姿でサンダル履きなのだ。

小さい子どもがいるファミリーも髪の毛をよく乾かしていないし、
お隣んちにご飯を食べにきたような、リラックスムードが
店内を包み込んでいる。

ここはホントに東京?今は平成だったよな?
時が止まっている場所???そんな妙な気持ちになる。

店というより、みんなの“台所”なのだ。

だから看板なんて必要ないわけだ。
名前なんでどうでもいいのだ。

だって“台所”なんだから。

きっと、ネットで検索してもでてくるハズもないだろう。
広く世間に知らしめて営業する必要などない、
もんじゃ屋さんの原点に忠実なスタイルを
しっかりと貫いているのである。

そしてお客さんも、お店のおばちゃんも
「うちの“もんじゃ”が本物!昔からの味なのよ。」と
胸を張って言っていた。



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“モヤシ”にはけっこうこだわりがある。

「グルメモヤシ」は細すぎて繊細なようだが、
逆にみずみずしさにかける。
「緑豆モヤシ」や「ブラックマッペ使用」などは
一番オーソドックス。昔からの正統派“モヤシ”である。
あの「ヒゲ」と呼ばれる部分はなるべく取り除いてから
使うようにしているが、結構めんどくさい。
でもあのシャキシャキ感を味わえると思うと、
時間があれば、ひと手間かけてとっている。


そして、ここ数年前からのお気に入りが
最近CM でしきりに宣伝している雪国“モヤシ”だ。
しっかり太い。しかも、なんと根が切ってある。
つまり「グルメ」タイプと「オーソドックス」タイプの
欠点をみごと克服しているのだ。

CMで「高いから絶対買うなよ~」と止められているが
あの手間を考えると、本当にありがたい。

ところが最近、“モヤシ”売り場に異変がおきた。

なんと、その雪国“モヤシ”がいつも売り切れなのである。
あれだけ、買うなと歌っているにもかかわらず、
人間はへそ曲がりだ。

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そんな話を息子にしたら、
「それってさ~、まるで自分が売れない時から一生懸命
応援していたインディーズのグループが、いきなり
メジャーデビューしちゃうとさ、なんだか急にさびしいよね。
そんな気分でしょ?」と分析してくれた。

そうね、あたらずとも遠からずかな。
まあ、言われて見ればそんなカンジかも。

“モヤシ”はいつの日かまた落ち着いて買える日がくるだろう。
そんな程度の思い入れかもしれない。
なにしろ、量産できるモノだから。


でも、世界にたったひとつしかない、あの大切な台所、
“もんじゃ屋さんの原点”がメジャーデビューなどしたら
お客である「もんじゃ家族」たちはきっと悲しむだろう。
















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★卵焼きの味

2006年05月10日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【ハナミズキの花びら】

こう見えて、卵料理には自信がある。

家族の間でもかなり評判がいい。

亡くなった父も、病床に伏して
ほとんど食事が食べられなくなった時も、
「KAORU の卵焼きはおいしいなぁ」と
ほめてくれた。

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卵料理に目覚めたのは、大学生の頃だった。

下宿住まいを始めた同年代の友人たちは、
親元から離れて、まるで自分の城を築いているようで
うらやましかった。

入学してまもなくたったある日のこと、
専攻の違う“よこベエ”というあだなの友人宅に
突然、おじゃますることになった。

たしかお昼時で、私はおにぎりかパンだけを持っていた。
“よこベエ”が「じゃあ、私オムレツ作ってあげるよ!」と
冷蔵庫から卵を2コととろけるチーズ、カニカマを取り出した。

さっと慣れた手つきで、卵と具をかき混ぜ
あっという間に白いお皿にのせて
ちゃぶ台のような木の机に置いてくれた。
砂糖がほんの少し入っていて、
ちょっぴりの甘さが新鮮だった。

当時、10代の“よこベエ”の作った
カニカマチーズオムレツのトロっとしたチーズと
ふわっとやわらかい卵の味が目からウロコのように
おいしくて、私もさっそく家で練習を開始した。

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高校の調理実習で習ったオムレツを焼くときの火加減を
思い出しながら、卵をかき混ぜる。

空気が入らないように、菜箸はボールの底につけて、
十字を切るようによくまぜる。味付けは塩コショウと牛乳。
そして、フライパンはしっかりと温めて、サラダ油を熱し、
バターを入れてすばやく卵液を注ぎこむ。
強火のまま底だけ火が通ったら、
フライパンの丸みを利用してひっくり返す。
中はトロトロの半熟がおいしいのだ。

そんな手順を思い出しながら、毎朝作ってみた。

そして、続けて四角い卵焼きの練習。

卵は火加減と手早さが勝負である。
もたもたしていると、あっという間に焦げてしまう。


失敗を繰り返しながら、作るたびに自分なりの
タイミングや調味料の配分を見つけながら、
納得のいく卵料理ができるようになっていった。

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ココだけの話だが、うちの母の卵焼きには必ず
白身だけのドロっとしたかたまりが入っていて、
しかも必ずちょっと焦げている。
たぶん、混ぜ方が足りないのと、火にかける時間が
長すぎるんだと思う。

(もちろん、母にそんなことを言ったことないので内緒ね!)

そんなせいか、卵焼きが好きではなかったのだが
自分なりの研究を重ねた。

「さやいんげんの卵とじ」は“だし”で
さやいんげんをさっと煮てから、卵でゆるやかにとじる。

角切りにしたトマトやみじん切りのタマネギや
チーズとかベーコンと一緒に焼く
「海外ブレックファースト風オムレツ」。
海外旅行先のホテルで、好きな具を指差しながら
「コレとコレとコレ!」と選ぶとその場でコックさんが
焼いてくれるスタイルが大好きである。

その他、甘辛い味付けの煮卵など、卵が1コあれば
洋風でも和風でもひとまず1品はできあがる。

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そんな、自他共に認める卵料理好きだが、
残念ながら、息子は卵がニガテである。

ひどいアレルギーではないが、牛乳か卵か
はっきりしないけれど腕や脇の下にアトピーがでて
かゆがるし、どちらも単体で食べたがらないので、
極力控えることにしていた。

保育園時代から数えて約12年間、
遠足や行事、野球練習たびにお弁当を作りながら
卵をおかずに入れるできたら、彩りがきれいだし、
栄養価もあるのにな~と思いつつ、あえて作らずにいた。

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ありがたい給食生活を卒業し、この4月から
本格的にお弁当作りを始めてからしばらくしたある日、
信じられないことを耳にした。


「渋谷(君)んちの卵焼きがうまいんだよね~!
毎日、3コもらってるんだ。
おにぎりと卵焼きさえあればいいぐらいだよ!」と
満面も笑顔で私に報告するのだ。

「えっ??? 嫌いじゃなかったの?
いつの間に食べれるようになったの?」

「ずっと前からだよ。よくみんなの卵焼きをもらってた。」
というのである。

「なんでそれを早く言わないの?お母さん、卵焼き上手なんだから!
じゃあこれからはうちも作るよ。」と言うと
「あっそ。でも渋谷んちみたいに作ってよ!」とそっけない。

「その卵焼きはどんな味なの?甘いの?四角いの?」と聞くと、
「甘くて四角いよ」とだけ言うが、それ以上の説明はない。

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なんだか、腕が鳴る。
ついに、長年の夢が実現しそうなのである。

さっそく近くのスーパーに、卵焼き用の
四角いフライパンを買いにいった。
なにしろ、先代のフライパンの寿命が来て以来、
すっかり使う用途がないため四角いタイプは買い替えずに
そのままになっていた。

そして、いよいよ長年こだわった卵焼きを作る時がやってきた。

自分なりの味付けは、卵1コに対して砂糖小さじ1.塩ひとつまみ。
久々だったが、まずまずのできばえである。
一口サイズにカットして、お弁当箱に詰めて、
よしよし!と満足感で満たされながら、そっとフタを閉めた。

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その日の夕方。

「ただいま~」の声が聞こえるやいなや、
「どうだった?」と感想を聞いてみた。

すると「う~ん、お母さんの卵焼きはたしかにおいしかったよ。
でも、渋谷んちほうがもっと甘くておいしいんだよ。
形も、お母さんのほうが形はきれいなんだけど、
なんか違うんだよね。」とサラっと言う。

しかも、ぜんぶ一口づつかじって、残してある。

本来の“おふくろの味”はもうすっかり
「渋谷家の味つけ」となってしまっていた。

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先日、渋谷さんちのお母さんにズバリ聞いてみた。
渋谷母は息子が毎回、誰かにあげていることを
知らなかったという。

「卵1コに対して、砂糖は何杯使うの?
ほかにはなにか入れてるの?どんな焼き加減?」と
矢継ぎ早に質問ぜめにした。

「うちの母の卵焼きがおいしくてね、それと同じ味なの。
砂糖は小さじ2杯。それにお醤油を少し。それだけよ。
焼き加減は…別に普通よ」とうまく説明できない様子。

さっそく、同じ分量で作って感想を聞くと、
「やっぱり違うよね~。やわらかさもそうじゃないんだよね。
お母さんのはふわふわすぎるよ。
今度食べずにもらってくるよ!」などと言う。


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あんなにこだわっていた卵料理の十八番(おはこ)だったのに、
うっかりしている間に、息子は別のテイストファンになっていた。

それならそれで、あんまり一生懸命にならずに
この際「渋谷家の卵」のお世話になってもらおう。

渋谷母には「いつもありがとう。なんだか申し訳ないわ。
今度うちの分の卵買って渡すね!
これからもよろしく~!」とお願いしておいた。

***************************

そう思ってはみたものの、やっぱり今日卵を見たら
買ってしまった。
しかもちょっと高めのヨード卵。

やっぱり、めげずに
もうちょっとチャレンジしてみよう。

なんでこんなにこだわっているのかわからない。
そんな自分が我ながらおかしい。
















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