KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★“癒しのスパ”で極楽気分

2006年05月06日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【江ノ島ビール】

おととしの終わりだったと思う。

ファインの顧問面談の時に加藤雄詞さんが、
「江ノ島の弁天さまのところに行くといいよ!
商売繁盛の神様だからね。」と言って下さったので、
さっそく去年の2月の寒い頃、
母とNAOKOと3人でお参りに行くことにした。

早春の寒風吹く中、ぐるっと江ノ島を歩きながら
お茶やさんの甘味を食べたり、いい香りに誘われて
ちょこちょことつまみ食いをしながら
洞窟まで足を延ばして、思いがけずハイキング。
帰りに名物“しらすごはん”をいただいて
すっかり観光気分を味わった。

***************************

そしてGWスタート初日、再び江ノ島を訪れた。

去年1年、無事に終えられたことへの感謝と、
また新たな気持ちをお知らせするために。

今回のメンバーは私と母、そして真ん中の妹MIDORIと3人。

江ノ島の地を踏んだとたん、小雨がパラつき始め、
神殿で、ご祈祷が終わって表に出るとかなりの降りになっている。

「どうする?もっと散策する?」と迷ったが
傘なしでは歩けないほどの雨だし、
このまま引き返しましょう、ということになった。

お土産物屋が軒を連ねる参道は、
昭和の雰囲気が漂い、どことなく懐かしい。

昼食を食べたお店の壁に貼ってあった
安藤広重の浮世絵にも登場する「相州江の島の図」
【制作年 天保年間後期(1842年頃)】を見ると
すでに門前町のような数店が描かれていて、
古くからの信仰と賑わいを感じることができる。

***************************

来てそんなに時間も経ってないけどもう、帰ろうか。
雨だしね。という私たち姉妹の気配をよそに、
母は「温泉ないかしら?テレビで見たのよ!
いい温泉があるのよ!どこかしら?」と急に粘り始めた。
温泉旅館を1軒見つけると「受付に聞きに行ってくるわ!」
と果敢に飛び込んでいった。ほどなくして戻ってくると、
「予約制らしいのよ。しかもランチと入浴がセットになっている
んだって。今回は無理ね。」と残念そうにしている。

それでも諦めきれない様子。

「どこかにあると思うのよ!テレビで見たから。」と
まだ熱く語っている。
そんなに言うなら付き合いましょ、という気持ちで
後からついていくことにした。


数軒先にある島の入り口にほど近い場所に
「江ノ島温泉 エノスパ」と書いてある
真新しい建物を見つけると、ここかもしれないわ!
と急ぎ足で向かった。


***************************

母が珍しく、あんなにも江ノ島温泉にこだわって
いた理由がわかった。

本当にここはおススメ!
海を眺めながら、優雅な気分で芯から癒される。

http://www.enospa.jp/


水着をレンタルして、プールエリアでは潮風に吹かれて
遠く伊豆半島を眺めながら、ほっこりした気分に浸る。
波の音を聞きながら、洞窟プールは神秘的で心が落ち着く。

どのプールも水深が約110cm~120cmほどあって、
通常よりもずっと深い作りになっている。

普通のスパプールだと、子どもサイズを考慮してもっと浅いため
大人にとっては、上半身が表にでてしまい夏以外はとっても寒い。
仕方なく中途半端な姿勢で身をかがめなくてはいけないが、
ココは立ったままで肩まで暖かい。

そう、江ノ島アイランドスパは小学生以下のお子さまは
入場できないのだ。(要望が多く、平日は入場できるようになったらしい。)

つまり、オトナ仕様のスパリゾート。
子育て中は、そんな施設に巡り合うと、
社会から“つまはじき”にされているようで
ちょっぴりやるせなかったが、一段落した今となっては
だからこそ、特権階級のようでなおさら嬉しい。


そして、入場料が普通の日帰り温泉施設より
1000円ほど高めだからだろうか、客層がいつもと違うのだ。

特別セレブ、というわけではない。
でも大衆的な雰囲気がまったく感じられないのが不思議だ。

女性2~3人のグループ。若いカップル。
夫婦ふたり。私たちのような女性の親子。

にぎやかな若いファミリーも、
我が道を突っ走る、俗にいう“オバタリアン”と
呼ばれるような庶民派層も見当たらない。
(もちろん、微笑ましくて愛すべきグループなんだけれど…)

お店のコンセプトどおりに、
みごとなまでに絞り込まれた客層である。
そして、一足入り込むと店のコンセプトどおりに
優雅な私に変身してしまうのだ。

この“1000円の差”が客を選ぶことに驚いた。

イメージを提供して、押し付けがましくなく
夢見心地にさせる“エノスパ”は、
次は女友達とゼッタイ行きたいな

***************************


きっとお天気がよければ、富士山を眺めることができるのだろう。
雨もちょうどあがって、薄曇りの空の下だったが、
十分に肩の力が抜けていくのを感じることができた。


夜の7時からはプールサイドでウォーターパールショー。
音楽と水、光のショーが幻想的で本当に美しい。

そして、水着なしの温泉がまたイイ。
泉質 は「ナトリウムー塩化物強塩温泉」で 海の塩たっぷり。

海は“浄化”の作用があるというが、
その成分をたっぷり含んだ温泉なら、さらに心もカラダも、
そして“魂”までキレイになりそう!

忙しかった4月の疲れをすっきりと洗い流して、パワー満タン。

雄詞さんのおかげで、江ノ島に行くチャンスをいただけたことに感謝!
母の粘りでステキなスパを見つけられたことにも感謝!

最後は4階のグリルで「江ノ島ビール」と
江ノ島近辺で水揚げされた地魚を使った料理で極楽気分。

5月もまた、がんばろう~



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★プライスレスな毎日

2006年04月20日 | KAORUの好きなものギャラリー
               <夕陽の原宿駅>

おとといの朝のこと。

息子のお弁当を作りながら、時間に追われていた。

おかずをあれこれ詰めたり、おにぎりを握ったりしながら
次の動作を常にイメージして、間に合うことに必死である。

ちょっとでも出発時間に遅れようものなら、
もういいよ!お金ちょうだい!お昼に購買でパン買うから!と
あっさり出かけてしまうのだ。

今日も遅れまいと必死になっていたら、
「映画の『アレキサンダー』を見たいんだよね。
製作費いくらか知ってる?」と
ウキウキした口調で、話かけてきた。

「えっ?いくらかって?…」

それどころじゃないよ。
間に合うかどうかで頭がいっぱいである。

炊きたてのご飯に「しそワカメごはん」の素を
ふりかけて、しばらく無言で混ぜていた。
うっかりかけすぎると塩辛くなってしまうから、
神経を集中させないといけないし、
均等に混ぜないとムラになってもいけない。

「だから!ねぇ、いくらだと思う?」

「え?…わかんないよ。見当つかないわ。」

よくCMで『“総製作費” ○○億!』と誇らしげに宣伝しているが、
いったい何億なのか、ちっとも思い浮かばない。
“億”がつくのはたしかである。

「う~ん・・・っと。じゃあ1000億!」

あつあつのごはんを握りながら、とりあえず言ってみた。

「いっせんおくぅ~???
そんなにかかるわけないだろー!
映画製作にそんなにかけてたら回収できないだろ~!」と
マジな顔で叫んだあと、
「同じ適当に言うんでも、もっと低く言ってよ!
次が言いづらいじゃないか!」と訴えている。

…だからさ、私はそういうのがニガテなんだよ。
妥当な値段とかって、興味がないとまったくわからないんだよね。

だいだい、それどころじゃないんだよね…。

などと内心は思っていたが、彼の言い分、
“次が言いづらい”という気持ちもわかるので、
朝からたわいもない会話で笑っていた。

***************************

わがイトコのMIKAちゃんと先日会った時、
お姉ちゃんのMAYUMIちゃんが“裸族(らぞく)”だと
教えてくれたほかに、こんなことをボソッとつぶやいていた。

「うちのお姉ちゃん、相変わらず市場めぐりが好きやねん。
私らが小さい頃から変わらへんやろ?
子どもたちにも時間があると“な、市場いかへん?”と
誘うんやけど、最近は誰もついて行かへんねん。
一人で出かけては、帰ってから買(こ)うてきたものを広げて
“これ、ええやろ?いくらと思う?”って必ず聞くんや。」

…その質問が一番困るのだという。

安く言い過ぎるとがっくりする。
ばっちり、ジャストで言い当てるのもまた
笑顔がふっと消えてしまうそうなのだ。

あたらずとも遠からずのストライクゾーンを
推測して、気持ち高めの答えにすると、
待ってました!とばかりに「じゃーん!正解はなんと!」と
晴れて“超お得プライス発表”となる。

もうその質問はいいよ…。と周囲は思うのだが
本人はいたって純粋に楽しんでいるようだ。

そういえば、それは日常よくある会話のひとつ。

でも、実は意外にプレッシャーを与えていたり、
気を使わせることもある、ということは
案外知られていない事実だ。

家族の中で、そしてきょうだい間や親子同志、
気心知れた間柄ならコミュニケーションの一種だ
と思えば、まあ、それもまた楽しいものだが、
人さまにはその質問はちょっと控えめにしよう。
などと思ったりする。

とりわけ難しいのは、満面の笑みで
「さあ、いくらでしょう?」と言われても、
安く言ってほしいのか、高く言ってほしいのか
一瞬のうちにその心を読み取らなくていけない。

安く買えたのが嬉しい場合、実際より高価に見られたら
「わ~、お買い得!」と喜ぶことができるが、
ちょっとフンパツして買ったモノを、
あまりに安く言ってしまっても、
「どう見てもそんな値段にはとても見えない」と
ケチをつけてしまったようで妙に気まずい。

似たようなシチュエーションには
「私、何才にみえる?」という質問を投げかけること、がある。

あれも結構プレッシャーだ。
実際よりも若く言ってほしいに決まっているが、
かなり高めにはずしたときのバツの悪さを
フォローするのがとってもツラい・・・。

本人がいない席で人に聞かれたら、
感じたそのままを素直に言えるが、
本人に直接聞かれた日には、軽い緊張感が走る。


***************************

ピンクのじゅうたんを敷いたように
八重桜の花びらが舞い落ちる舗道を
掃除しながら、NAOKOに朝の会話を伝えると、

「う~ん、それは質問する人を間違っているわ!
私も何年か前に“ディナーショーの値段っていくらだと思う?”
っていう話のときに、お姉ちゃんが「7,000円!」って
答えてビックリしたわ!だって今どき食事だけでも
それぐらいするじゃないの!
モノの値段や相場がわかってないのよね~。」と
思いっきりウケていた。

そんな昔の話、私はとっくに忘れていたよ…。
ほら、まったくハズしても、
こうやってお笑いまじりに、まるで常識知らずのように
いつまでも記憶に残るのである。

よくぞそんなに詳しく覚えているものだわ!
などと、ちょっぴり負け惜しみを心の中で言いつつ、
朝の話の続きを思い出した。

***************************

「1000億円!」のあと、すっかりテンションを下げて
「200億円だよ。それってすごい製作費なんだよ…。」
とトンチンカンな私の答えのせいでインパクトが
薄れてしまったことにがっくりしながら正解を言っていた。

こういう場合はどうしたらいいかホントに困る。
単なるクイズなのにはずしたことを、
ゴメンゴメンと誤るのもなんだしな。

ひとまず「えへへ」と笑い飛ばしておこう。


そんな、なにげないささやかな会話をかわす
毎日こそが“プライスレス”なのだと思う。








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★TOKYO ライフ ~夜桜~

2006年04月04日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【浜離宮の夜桜】


4月1日先週の土曜日の朝、突然、姪っ子のSAORI が
「夜桜を見に行きたい!」と言い出したのだという。

母が、せっかくの孫の願いだから、と思ったのだろう。
ちょうどタイミングよく、ラジオから聞こえてきた
「浜離宮は今日から開園時間を延長します。
夜桜は午後9時まで見られます」というアナウンスを
耳にして、得意のネットで調べたらしい。

「今日の夜は浜離宮に行きましょう!」とお誘いを受けた。
私は仕事後、英会話のレッスンを済ませ、息子は
春期講習を終えて、4人で電車に乗って目的地へと向かった。

4月に入ったというのに、風が強くてとても寒い。
ダウンにマフラーと手袋をしっかり着こんで真冬のいでたち。
途中のコンビニでホカロンを買い込んだ。

浜離宮は新橋から海側に向かって徒歩15分ぐらいのところに
ある大きな庭園。海水を導き潮の満ち干によって
池の趣を変える「潮入の池」と二つの「鴨場」をもつ
江戸時代の代表的な大名庭園なのだという。


東京に住んでかれこれ40年。

浜離宮の前は何度も通ったし、噂には聞いていたが
これほどステキな公園だとは知らなかった。
汐留の高層ビルと東京タワーをバックに
東京湾とのコントラストが想像以上に素晴らしい。

都会の中に緑が息づいている。
しかも、野生のまま放置された姿ではなく
手入れが行き届き、“文化”を残すための
愛情のような心遣いを感じ取れる。

ラジオの効果なのか大勢の花見客が訪れていたが、
なぜかゴザを敷いて宴を繰り広げているグループがない。

夜桜は綺麗なのだが、酒臭さとドンチャン騒ぎの宴会が桜を囲み
しっとりとする気分は、なかなか味わうことができないが
浜離宮は、飲食禁止というわけでもないのに、
心行くまで桜を鑑賞できる。

しかも、来園者も多いといえば多いが、
都内にしてはごった返すほどでもない。
むせかえるような本数がないせいだろうか?
でも、1本1本丁寧にライトアップされていて、
周囲の漆黒の闇に幻想的に浮かび上がる。

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大阪で娘時代を過ごした母が、結婚し私を産んでまもなく、
東京に住まいを移した時、その緑の多さに驚いたという。

大阪城の近くに住み、OL時代は御堂筋にある銀行に勤めた
都会育ちの彼女は、東京には公園が多くてまずびっくりしたそうだ。

そう思って改めて見回すと、都内には
大きな庭園があちこちに点在する。

少し思い浮かべるだけでも、清澄庭園、小石川後楽園、
芝離宮、有栖川公園など、大名や宮家の庭園が数多く
残っている。しかも、日本独自のスタイルの庭園を
きちんと残している。

その他にも代々木公園や、目黒の植物園、林試の森など
広大な敷地面積の公園がいくつも存在する。

そしてJR原宿駅に降り立つと、隣の明治神宮の森から
土と植物の合わさった、高原のような香りがすることがある。
ここが都会であるのを忘れ、一瞬リゾート地に来てしまったか
のような不思議な感覚に陥ってしまうほどだ。

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都市化が進んで久しいのに、なぜここまで、
残っているのだろうか?

大阪と比べてその違いを私なりに考えてみた。

大阪は昔から商人の町。
商いを成功することに、きっと尽力したのだろうと思う。

そして、東京の歴史をひも解いてみると、
実は江戸時代、園芸が非常に盛んな地域だったのだ。

今でいうガーデニングブームで、人々は品種改良に
力を注ぎ、多くの花の種類がこの時代に確立したのだという。

もちろん、人々に愛されてやまない
「ソメイヨシノ」も江戸時代末期に江戸染井村(現在の豊島区)
で「吉野桜」という名で売り出されて、後に「ソメイヨシノ」に改名。
全国に広まった、という経歴なのだ。

日本の園芸は江戸時代に独自の展開をとげて、
当時の世界トップレベルにまで発展したのだそうだ。
それも、他の国々では見向きもされなかった野草が
次々に園芸品化されていったというから、驚きである。
(一説では、定職につけない旗本の次男や三男が
暇な時間を使って小遣い稼ぎに品種改良に精を出した、
という話もあるらしい。)

そして、参勤交代などて大名たちが持ち帰った苗も
独自に故郷で育成され、現代にまで受け継がれている。
園芸一大ブームは全国に巻き起こっていたようだ。


TOKYOに緑が多いのは、砂漠のような都会にならないためではなく、
実は江戸時代の園芸文化の名残なのではないか、と思う。

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桜の名所ほどの、ゴージャスさはないけれど本当におススメ!

ライトアップは今月16日までなのだと、園内アナウンスが
流れていた。まだ蕾の桜もあったし、チャンスがあれば
もう一度来ようね!と4人で感激しながら意見が一致した。

そして、出入り口付近の樹齢300年の松は圧巻。
正面から眺めると、どこが根本かわからないほど、
太い枝が迫りくる。

「まるで龍みたいな松だ!」と圧倒された息子が一言。
300年の重厚さと、たくさんの支柱に支えられながらも
力強く伸び続ける大迫力の松は一見の価値あり。

「もう年だから…」と弱気になっている人や、
最近、なんだかパワー切れ、という人は
“老松”の底力と気迫を見るといい。

まだまだ大丈夫!と勇気をくれることだろう。

***************************

桜の花と、江戸の文化と潮の香りを満喫して
帰りはカレッタ汐留のイタリアンレストランでおなか一杯。
46階の夜景を見て、大満足。

短い時間だったが、まるでワンデイトリップをしたような
ホコホコした暖かい気持ちで帰路についた。
コメント (2)
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★銀座での一日

2006年03月25日 | KAORUの好きなものギャラリー
             【銀座コアの作品】

昨日は、銀座で一日を過ごした。
こんな一日もあるんだな、と思うくらいにピタピタっと
銀座界隈でスケジュールがハマッた。

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銀座コアでの作品展イベント「春・ときめきの花」
BYマミフラワーデザインスクールの搬入は、朝の9時から。
通常のデパートでの生け込みは、お店が閉店後の夜が多いのだが、
ちょうどラッシュにかかるぐらいの時間帯は珍しい。

電車での移動で、器や作品が人にぶつかって壊れないように、
そして花が痛まないように、いかにコンパクトに、
そして会場で組み立てやすく、梱包するかが勝負だ。

ある程度の大きさでなければ、作品にインパクトがないため、
荷物も当然、嵩(かさ)が張る。
軽くて大きい作品を心がけているが、
なんだかんだと重くなり、翌日は腕が筋肉痛。

車での搬入もコストがかかるし、
時間が読めないから、電車で運び込む。

花の仕事は体力勝負だ。

私よりもずっと先輩の、還暦を過ぎた先生たちも
さらにもっと年齢を重ねた先生たちも
ほとんど自分の手で会場に運び込む。
とにかく、皆さん力持ちである。


***************************

今回の作品には、どんな色の花を生けようか、と
お花屋さんの前であれこれと迷う時の作業は本当に楽しい。

同じ品種でもその時々で、茎の表情や花びらの透明感が
微妙に、そして繊細に違うのだ。
“一期一会”のように、二度と同じ枝ぶりや
色合いに出会うことができない。

器を選び、デザインを決め、そして最後の直前に
花を選ぶ時間は、至高の贅沢な時間なのだと思う。

時には、思うような色が見つからなかったり、
失敗、と内心思って反省したり、
他の人の作品をみて、ステキな花の組み合わせを学んだり…。

そんなことを繰り返し続けて19年。

満足のいく作品に仕上がったときも、
穴に入りたいような作品になってしまったときも、
搬入が終わると、空を見上げてバンザイをして、
会期が終了して搬出を終えると、安堵の気持ちとともに
はればれとした気持ちが私を包む。

いつだったか、TVを見ていたら、視聴者からのハガキに
「若いうちはテストが終わった~!という開放感があったり、
学年が上がると新たな気分を味わったりと生活に
メリハリがあるのに年を取ると、だんだん区切りが少なく
なってきますね。出演者の皆さんはどうですか?」という
投稿を読み上げていたことがあったが、
大きな作品展を、少なくとも毎年1回以上経験している
私にとっては、まさに生みの苦しみと同時に充実感と開放感を
味わい続けている。

学生の頃よく見た夢は、テストを白紙で出すか、
テニスの試合で負けそうになっている場面だった。
花を始めてからは、それに取って代わる夢を見るようになった。

作品展会場で何の準備もせずに、花も持たずに自分の展示台に
呆然と立ち尽くし、「どうしよう、何も考えてこなかった!」と
あせりまくっているところで目が覚めるのだ。

「あ~、よかった。夢だった…。」と心を落ち着けようと
しながら、無意識のうちにホントにプレッシャーなんだわ、と
分析したりする。

相変わらずその夢は見るが、最近は意識的に楽しもう、と
心がけている。せっかくの究極の贅沢な時間も、
うっかりすると、ただの義務感に流されてしまうこともある。

体力がある限り、と思うといつまでできるんだろう?
でも、先輩方のバイタリティを拝見していると、
弱気なことは言っていられない。
筋肉痛だって立派な勲章なのだ、という発想に切り替えて
先を考えるのはやめにしよう。

***************************

もし、来世あるいはそのずっと先の未来、
たとえどんな国に生まれたとしても、花はあるだろう。

その時、またそっと手に取り、愛おしく、
優しい気持ちになるのだろうか?

そして何かを思い出すのだろうか?

“違う私”になっても魂の遺伝子は、
花への思いをすっかり消し去ることはできないだろう。
野に咲く花を手折って、水にさした時、
もしかしたら開放感やらプレッシャーやらが交錯した
不思議な気分になるのかもしれない。
それとも、暖かい気分だけがフツフツと沸いてくるのだろうか?

***************************

搬入を11時の開店5分前にギリギリ済ませて、
銀座コアを急いで出た。
皇居近くの東京商工会議所で行われている、
春の健康診断を受診するために。

前日は作品展の準備をしながらも、バリウムを使った胃の検査
のために夜9時から水を飲むのも禁じられていた。
腹部の超音波検査や血液検査まで、一通りのコースを終えた。

なんといっても“肉体”がちゃんと動いてくれてこその人生。
きちんとメンテナンスをするのも、ある意味、カラダに対しての
「礼節を尽くす」ようなことかもしれない。

フラフラになりながら、会場を出ると、
携帯に留守電が入っていた。
これからすぐにセッションを受けたいというメッセージである。

「ごめんなさい、実はたった今、バリウムを飲んで、
下剤をもらったばかりなので、どうなるのかちょっと不安です。
日を改めるか、少し後だったら大丈夫かも」とお伝えすると、
電話の主は「東銀座にいるのですが、そうですか・・・」と
おっしゃるので、思わず「私も銀座です!」と叫んでしまった。

ランチを終えて、春の陽気の中
お散歩がてら銀座の街を歩いていると、マミから電話が鳴った。
「KAORUさんの作品、倒れそうになってるって
銀座コアから連絡がありました!今どこですか?」と担当者はあせっている。

「今、まだ銀座!ちょうど、コア方面に歩いてるとこ!」と
伝えるとホッとして、じゃああとはよろしく!ということになった。

無事に手直しを終えて、そのまま時間通りに東銀座へ。

もしセッションの依頼がなかったら、また銀座に戻ってこなければ
ならないところだった。

偶然とはいえ思いがけず、無駄なくコトが運ぶこともあるものだ。

中味の濃い一日を無事に終えて帰宅すると、グッドタイミングで
下剤が効いてきた。不安を抱えながらドキドキだったが、
なんでも、最近は「漢方」で穏やかな効き目らしくて、助かった。
やはり、生身のカラダなのである。

「花」も「スピリチュアル」も「肉体」もすべてよし!
だった一日に大きく感謝しよう

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★晴れの日の“後ろ姿”

2006年03月18日 | KAORUの好きなものギャラリー
        【結花里さんからのプレゼント・お祝いケーキ】

3月17日(金)、昨日は息子の中学の卒業式。

小学校の入学式も、卒業式も、
そして、中学の入学式もみごとに雨だった。

朝目覚めた瞬間、無意識のうちに窓を見た。
「晴れてるよ~!」とひとりベッドの上で
大きく伸びをしながらつぶやいた。
その前の晩も、春の嵐のようにすごい風と雨だったから、
いつもの太陽よりも、ずっとずっとなんだか嬉しい。


あっという間の3年間だったし、卒業式だからといって、
特別なにかを期待するわけでもなく、体育館の隅にひっそりと
腰をかけ、遠くから子どもたちの後ろ姿を見守っていた。


***************************

…小学校の5年生の時に「学級崩壊」をしてから、
しばらくの間、そんな荒れ果てたクラスに心を痛め
学校に行けなくなってしまった日々が続いた。
卒業するまでの2年間、先生だけでは手に負えず
給食も掃除も交代で親たちが見守ってお手伝いをした。
そうしないと蜘蛛の子を散らしたみたいに
いなくなってしまうのだ。
もちろん授業中も教室から出て、自由奔放に走り回る。

信じられない経験をしたあと、さらに事態が悪化するのか
それとも好転するのかわからないまま、大半の子が同じ中学へと
進学した。さまざまな学校の子どもたちと合流するため、
吉と出るか、凶と出るか戦々恐々。
祈るような気持ちだったのが、3年前の春のことだった。

***************************

先生たちの間では、「すごい子どもたちが入学してくる」と
かなりの前評判だったらしい。
「さあ、どうする!」ということにもなったようだ。

そして、先生たちが口を揃えて言った第一声、
「前のことは、知らない。これから新しい生活が始まるんだ!」
と言ってくれたんだよ、と入学式の直後、息子が報告してくれた。

たぶん子どもたち全員が、
「これできっと変われる」と確信したに違いない。
もう、反抗し破壊し続ける生活に傷つき、疲れていたんだと思う。


数々の行いを、一切触れずに今と未来だけを
見つめる姿勢に徹することを学校の方針として貫き通した。
そして、今日きちんとできたことだけをとにかくほめる。
現在できないことを叱る。

以前もこうだったから、今もこうなんだという指導を
しなかった成果だったんだと思う。

子どもたちはあっという間に瞳の輝きを取り戻した。


中学生らしい中学生、という表現にふさわしいクラスにかわり、
学年が上がるにつれて、男女問わず仲良く結束力を強めていった。

体育祭や合唱コンクールでは放課後はもちろん、
朝練のために家を早く出て毎日練習。
優勝できたクラスは歓喜で嬉し涙を流し、
惜しくも負けてしまったクラスは悔し涙で肩を寄せ合う。
そしてその日の夜は、勝っても負けても
マックかファミレスで打ち上げパーティ。

自分の学生時代と重ね合わせて、彼らもまた同じように
若さを謳歌していることが、微笑ましくもあり、懐かしくもあった。


そして、迎えた昨日の卒業式。

卒業証書の名前を呼ばれると元気に返事をし、
ゆったりとお辞儀をし、壇上を降りる前には、
一度立ち止まって客席を見渡してから階段を下りる。

「全員起立!」にはザッ!と短い音と共にビシっと立ち上がる。

最後のお別れの歌では、本当に伸びやかな歌声で歌いあげた。


***************************

3年という月日の間に、いつの間に
みんな、こんなに大きくなったんだろう。

目を見張るほどの成長ぶりに胸が熱くなった。

謝恩会で、担任の先生がこう話してくれた。
「長いこと教師をやっているので、わかるんですよ。
あ、この子は愛されて育っているな、って。
そういう子どもはね、“愛”という文字を背負っているんですよね。

そして今朝、生徒たちにこう言いました。

一生懸命、愛を注いで育ててくれた親に、
(親の席は後ろだから)卒業式最中の
自分の表情を見せることはできない。
でも、感謝の気持ちを精一杯“背中”で伝えろよ!と。」

そうか、だからあんなに気合いが入っていたんだ。
その“気”がひしひしを伝わってきたから
“後ろ姿”でもあんなに泣けたんだ。


式が終わると、隣接する公園へ移動し
後輩たちに制服や、ネクタイなどをあげていた。

そして暖かい春の日差しのもと、
それぞれの親子で記念写真を取り合った。

そんなことは初めてよ!とお兄ちゃんやお姉ちゃんを持つ
お母さんたちが口々に言って驚いていた。
中学生が親となんか恥ずかしくて、一緒に並べないよ、
というのは自然な感情だろう。

でも、小学校の卒業式と中学の入学式がまさに
そんな状態で、一枚も親子で撮った写真がない。

通常の反抗期が数年早くなっただけだったのだろうか?

***************************

最後に晴れた卒業式がこんなにも、ありがたく思えるのは
今までの雨ばかりの入学式と卒業式があったからこそ。

校長先生が、「お父さん、お母さん、本当にお疲れ様でした。
本日、子どもたちが義務教育を終えたということは、みなさんは
“国民としての義務”を立派に果たされた、ということなのです。」
とねぎらいの言葉を述べて下さった。


そうだよな~。そう考えると感激もひとしおである。

これからも、ずっと親子であることに変わりはない。
でも、ひとつの節目を昨日迎えることができた。
背負っている荷を少し軽くして、今までと違うスタンスで
彼と向き合おう。

今回は、私が人生の先輩であることを再確認し、
どんな“後ろ姿”を見せていけるのか、
また新たなスタートラインに立った気分。

来月からいよいよ、高校生。
希望通りの学校に決まり、卒業の淋しさ半分、
ワクワク気分もまた半分のようである。

どんどんと大きくなる息子を、一人の人間として
敬意を表し、見守り応援していこう











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★二月堂のお水取り

2006年03月14日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【東大寺・二月堂】

「二月堂のお水取りも終わり、春が近づいてまいりました」

関西の人はなんとも風流な言い回しで、
春の訪れをそう表現するらしい。


***************************

この冬、ゆったりとしたミュージックとともに
しきりに流れていたJR東海のCM、
「1300年後も同じ春がくるのでしょうなぁ」という映像を
見るたびに、息子が見てみたいよ~!と叫んでいた。

「受験だから、今年は無理ね!」などと私はそっけなく言っていたが、
実は私も、あのCMをみるたびうっとりとしていた。


3月に入って母が「やっぱり今年行きましょう!」と
突然に宣言し始めた。

「えっ?間に合うの?無理じゃない?
お水取りっていつまでやってるの?」
などと一瞬うろたえたが、日程だけは奇跡的に私も息子も
空いていていることを伝えてると、あとは日々の忙しさの
中ですっかりと忘れていた。

すると「宿はNAOKOが押さえてくれたわ!」とか、
「岐阜のお墓参りに行ってから、奈良に入り、翌朝は三重の
工場に寄って、ついでに新製品の打ち合わせをしてから帰るからね!」
「あの子は卒業式間際で、残り少ない時間をみんなと
過ごしたいから休みたくない、っていうから先に帰すわよ!」

などなど、私がふんふん、わかった。と仕事をしながら話半分で
聞いていると、着々と予定が出来上がっていた。

そして、しっかりと2日間の列車移動の
スケジュールがプリントアウトされて、
綿密に予定が練りこまれていた。


***************************

なんでも、母が銀行の秘書をしていた若かりし娘時代、
上司である支店長は、毎年この「お水取り」の
特別席に招待されるのが年中行事だったのだそうだ。

私もいつか行ってみたい、と思いつつ
とうとう40年以上の歳月が流れてしまったのだという。

今年こそ!でもやっぱり無理だろうな…。と
思っていた矢先、今や“金融界のドン”となったその上司の方が
亡くなったことを、新聞の一面で知った。
3月に入ってすぐのことだった。

彼女はしばらく泣きはらしてたが、数日後、
猛然とスケジュールを調整し始めた、といういきさつがある。


***************************

土曜日のポカポカ陽気の暖かさが出発日の日曜朝まで
引き続いていて、予定していた重いコートはやめて、
スプリングコートに変更した。

東京でこの日差しなら関西地方はもっと暖かいだろう、と
思ったのは大きな間違いだった。

名古屋で降りたとたん、強烈に寒い。
大垣行きの列車を待っていると、小雨が振りだした。
そして、その寒くて小雨が降りしきる天気は、
奈良まで続き、これから夜まで順番待ちで並ぶことを
思うと、少しだけ気が重い。

「日ごろの行いのせい」とほんの少し前なら言ったところだが、
最近ではもっぱら「雨は浄化の役目がある」とか、「歓迎の意味」とか
すっかり雨のポジションが上がり、“ありがたい”ものになっている。


夜7時半からのスタートなのに、4時半には並んでおかないと、
入場制限で見られなくなるから、早めに行って下さい!という
ホテルの人になんども念を押されてしまった。
持ってきた下着を着込み、ホカロンをベタベタと貼り付け、
寒空の中、意を決するように東大寺に向かった。




つづく

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★無邪気なネゴシエーター(交渉人)

2006年03月10日 | KAORUの好きなものギャラリー
            【白梅】

姪っ子のSAORIは、真ん中の妹MIDORIの娘で、
この春から晴れて短大生。

彼女の逸話は数知れず、気がつくと清水一家全員が
振り回されている。

いつも半ばパニックを起こし、冷や汗をかきながら
「わ~ん、どうしよう!着る服がないっ。
ねぇ、お願い!この服貸して!!!」とか、
「やばい!遅刻する~。バイト先まで送って~!」
だとか半分泣き落としで迫り、
「本当ににごめんねぇぇ~、助かったよぉ!」
などと言われると、ああよかった、よかった!!と
ホッと胸をなでおろし、彼女の力になれたことに一瞬、喜びを感じる。

だがその直後、ハッと我に返り、
完全に彼女のペースにまんまとハマり、
完璧に振り回されていたことに気がつく。
ちゃんと前もって準備すれば、こんなことに
ならなかったんじゃないか?と思ったりするのだが、
不思議なことに腹が立たない。


妹夫婦が設定しているSAORIからの着信音は
スターウォーズの「ダースベーダー」のメロディ。

低い静かな音で「ダン、ダン、ダン、ダンダダンダンダダ~ン」
と迫りくる。「きっと、バイトが終わったから迎えに来て!という
電話よ。」と断定すると携帯電話の向こうで、
「ママっ?いまどこっ?」とハイテンションで聞いてくる。

かかってきた携帯のメロディーと、彼女の元気な声のトーンが
まったく違うところがSAORIたる所以(ゆえん)である。


私の息子も含め、子どもたちで集まると、
あまりにおしゃべりも行動も面白いため、
大人たちの注目を一身に浴びてしまうのは、小さい頃から。

***************************

そんな彼女が春から某有名テーマパークで
アルバイトをすることになった。

MIDORIが、学校と家との距離がちょうどいいんじゃない?
と一言いうと、次の瞬間にはネットでバイト情報をチェック。
春の採用にぴったり間に合う!と喜び、すぐに職場チェックを
兼ねて遊びに行ったのだそうだ。

そして面接を受けて、採用通知をもらったら
今度は電話でさっそく交渉にでた。
「あの、もしよかったら園内のお店、「○○○」で
働かせてくれませんか?制服もカワイイし、
お店の雰囲気をとっても素敵なので、ぜひお願いします♪」と
言ったところ、快く引き受けてくれて、配属となったのだとか。

本人は大満足で張り切って出勤したところ、バイト先の先輩たちは
「うちの店を選んでくれてありがとう~!」と
大歓迎を受けたそうだ。

なんの希望も出さなかった人は、不本意なセクションに
配属されることもきっとあるだろう。
「あ~、なんで私はこんな部署なの?ついてないわ・・・」と
思う人も当然いるだろう。

「希望を言っていいなんて知らなかったわ!」と不服に思っても、
言ってはいけないという規則や決まりも確かに、ない。

そして、MIDORIの証言を聞くと彼女は
これをやってみたい!とか希望や願い事は徹底的に“交渉”する。
希望がすぐに叶うときもあるだろうが、意にそぐわない返事のときには
「ねぇ、じゃ、こんな方法はどうだろう?」と妥協策を提案。
それでもだめな場合には、次の妥協案で迫り来る。

決してヘコたれずに、落ち込まずに、ひがまずに
ひたすら願いが叶うために「じゃあさ、」を繰り返す。
すると、交渉される側もあまりの粘り強さにだんだんと、
「まあこれぐらいならいいかな…」と
接点を見つけて折り合いをつけたくなる。

すごいことにSAORIは家庭内に限らず、どんな場面であろうと
願った希望はほぼ叶うそうなのだ。

そのベースになっている考え方は、「ダメでもともと!」という
“ダメモト”精神なのだそうだ。だからこわいものなしだ。

そして、どうしても思う通りにならない時には、
あきらめることもあるし、次に巡ってくるチャンスを狙う時もある。


あきれるほどのたくましさ、というか、
見上げるほどのたくましさ、というか、
羨ましいほどのたくましさ、である。

******************************

多くの人々は、すぐにあきらめてしまい、
やっぱりムリよ、とタカをくくり、
どうせ私なんか、と開き直ったりする。


そして・・・
時に、傷つくことを恐れて自分の思いを表現できなかったり。

時に、これはわがままなのだ、と思い込んで
伝えることさえせずにガマンしようとしたり。


そのどれもが、結局はさらに自分自身を苦しめる。


結果、希望通りにならなくてもいいじゃない!
ひとまず自分の思いを伝えてみよう。

主張を通そうとする粘り強さを近頃すっかり忘れて、
妙に、物分かりのよい私になり過ぎていないだろうか?

SAORIのような元気で明るく、そして
邪気の無い“交渉人”になることを私も見習ってみよう。













     

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★手放しの愛を注ぐ相手

2006年02月18日 | KAORUの好きなものギャラリー
             【表参道の風景・オリエンタルバザーとDior】

新しく先月から来てくれている会社の女性、
REIKOさんとお昼のお弁当を食べながら、習い事の話になった。

彼女はこのところ、なにも習っていないという。


**********************


私は英会話を始めて足掛け6年。
今年でなんと7年目になる。

毎週1回。しかもたった30分間のプライベートレッスンである。

始めたきっかけは、表参道教室の目の前に
スターバックスとYahooがコラボしたコーヒー&ネットの
お店ができたことだった。

外国人の見学者や体験入学者が突然増え始め、
日本語がまったく話せない人たちが入って来たため
もういつまでも誰かに頼っているわけにはいかない!と
決心したのだった。

NHKの英語番組はかなりいいよ!という友人からの勧めで
キリのいい4月から書店で毎月テキストを買い、
辞書を片手に中学2年レベルから取り組んでみたところ、
リスニングの力がグンっとアップした。

翌年、1年のクールが終了した3月、
このまま聞いてばかりいても、相手がいないと
いつまでもしゃべることはできないわ、と思っていた矢先、
近所にある英会話教室から、春の入学無料キャンペーンの
折込チラシが目に止まった。
当時小学生だった息子にもどうかしら?と思い
2人で見学に行った際、いいタイミングだわ、と
一緒に私も入学してしまったのだ。

7年目という年月に見合うほどしゃべれるか、と言うと
決して満足のいく上達ぶりとはいえない。

以前は少しの移動時間に本を読んだり、家ではCDを聞いたり
MDウォークマンで聞きながら散歩したりとレッスン以外でも
努力をしていたが、最近ではせいぜい教室の直前に慌てて
宿題をするぐらいでちょっとサボり気味。

それでもまぁなんとか、英語がわかる国の海外旅行では
言葉がわからず路頭に迷うようなことはないし、
日本でも、ガイドブック片手に困り果てている外国人に
声をかけて道案内ぐらいはひとまずできるようになった。

先は長いが、じっくりと取り組んでいきたい課題のひとつと
思っている。なにより、文化の違う色々な国の人と直接
お話できるのが、本当に楽しい。
相手のジョークで笑えるようになった自分を
時折自分でよしよし、と思ったりする。

***************************

REIKOさんには、そんな経緯や息子との旅行での
エピソードを話していると、言いづらそうに口を開いた。

「…あの…KAORUさんはたしか、息子さんが2人
いらっしゃるんですよね?さっきからお話聞いていると、
長男の方とばかり出かけて、次男の方はいつも
どうしていらっしゃるんですか?お留守番なんですか?」
と尋ねてきた。

私は少しトーンを下げながら、

「だって次男は人間じゃないの・・・。」と言うと、

「えっっ???」と言葉に詰まった。

「犬なの・・・。」

と言ったら、さらに驚きながらも
彼女は急にホッとした表情をみせた。

「よく長男の方は、ただいま~!と会社にお見えになるのに、
次男はちっとも姿を見せないから仲が悪いのかしら?と
思っていたんです。そして、今の話を聞いて次男がかわいそう!
と思って聞かずにはいられなくなっちゃったんです。
は~、聞いてよかった!」と胸をなでおろしている。

あとから思い返してみると、彼女がそう思うのはムリもない。
お昼時、お弁当が少し残ると「お宅の次男に持って行く?」と
NAOKOも言うし、私も時折「うちの次男がね、」
なんて会話をする。

「コロ」というちょっぴり垢抜けない名前は息子が命名した。
6年前の夏、結花里さんファミリーとその友人たちと
長野の佐久にあるマミロッジで過ごしていた時、
夜更けの森の奥から忽然と姿を現した。

当時、子犬で顔には傷があり首輪はしていなかった。
息子の証言によると、バッタや虫を捕まえて食べていたという。
帰る日までの数日間、片時もロッジを離れず、
昼間は一緒に滞在していた子どもたちと森の中を走り回っていた。

「ねぇ、連れて帰ろうよ!うちで飼いたいよぉ!」と
しつこく迫る息子に、「でも、こんな自然の中で過ごしているのに、
突然、都会ではかわいそうよ。もしかした飼い主がいるのかもよ。」と
なだめながら言い聞かせていた。
帰る日まで様子を見てましょうね。と言うと、毎朝早く起きては、
子犬の姿を探していた。呼ぶとすぐに飛んでくる姿に大喜びで、
「ほらね!今日もいてくれたよ!ありがとうね!」と私に言いながら、
子犬を抱きしめ、そして子犬に向かってお礼を言っていた。

とうとう帰る日。運命の日がやってきた。
私たち一行は荷物を車に詰め込み、いよいよ乗り込むだけとなった。

出発間際まで迷っていたが、子犬はドア付近でじっと私たちを
見上げていた。「やっぱり、連れて帰ります!」と周囲に伝えると
「了解!」と順路を変えて我が家まで送ってくれることを
快く引き受けてくれた。
ロッジ付近には熊やイノシシ、鹿などがでるし、あのまま
置き去りにしても、迷ったまま飼い主の元には戻れなかっただろう。

途中、携帯メールから「今日、家族を連れて帰ります。
白い子犬、名前は“コロ”です。」とNAOKOに送ると
首輪とリード、ドックフード一式を用意して待ってくれていた。

あれから、今年の夏で丸7年。

毎日毎日、見せる愛らしい表情に息子と2人で
「白い妖精だよね!」とか、「ホントにカワイイよね!
これって決して親バカじゃないよね?」と言い合って溺愛している。


***************************

たぶん、それは我が家だけではないだろう。

先日も親戚が久々に集まった時、
まず自慢しあったのは“犬の携帯画像”
遠慮することなく、うちのコが一番!と言い張っていた。

そして、その現象は、携帯アドレスからも推測できる。

たとえば、私のアドレスは「korotatsu …@」 で、犬が先、
子どもが後になっている。友人は「cocokana…@」でやはり
ココちゃんというトイプードルが先、娘のKANAちゃんが後だ。

こんな感じで 、ペットと子どもの名前アドレスは非常に多いが、
ダンナの名前をアドレスに入れている人は
ほとんどいないのはちょっぴり淋しい。

もちろん、照れもあるだろう。

***************************

ペットへの愛情ように、見返りなんて期待していない、
その場に居てくれるだけで幸せと思う“手放しの愛”のような
気持ちになるだけで心が満たされる。

たとえばペットに、世話したんだから、
自分の世話もしてほしいと願うだろうか?
私の気持ちをぜんぜん理解してくれない、と
本気で悩むだろうか?

こちらがたくさんの愛情を注げば、
何も出来なくても、何も言わなくても、
彼らは精一杯の愛を無言で送ってくれているのがわかる。

たとえそれが拾ってきた犬でも愛を注ぐ相手がいたら
自分の心が豊かになっていくはずだ。

人間同志も同様に思えたら、本当にステキな関係
が築いていけるのに、と心からそう思う。

















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★TOKYOライフ

2006年02月15日 | KAORUの好きなものギャラリー
             【表参道ヒルズのウィンドウ】

“住めば都”と人は言う。

私にとっての都もその格言どおり、もちろん東京である。

大阪で生まれたそうだが、記憶はない。
物心ついた時から、ずっと東京だったから、
特別にどうも思ったこともなかった。
まわりが皆東京人だったからだ。

大学生になり、日本全国から集まる学生たちと触れ合う
チャンスができると、すこし出身地を意識するようになった。
世間が東京の人は冷たい、とか情けが薄いというから、
実際にそんな風に感じたこともなかったが、
そんな所なのかな?、もし事実ならちょっとイヤだな・・・
と思ったりしたこともあった。

大学では地方から集まる学生たちが「県人会」なるものを
作って定期的に開催していたのに、なぜが「東京都民会」
だけが存在しなくて、いつも淋しく思っていた。

掲示板のあちこちにポスターが貼ってある。

「長野県人会 ○月○日、北越谷の呑兵衛にPM7:00集合!」
などと書いてあると、いつか「東京都民 集合!」の
号令がかかるんじゃないか、とほのかに期待もしていたが、
とうとう幻に終わってしまった。

時折、送られてくる卒業生の会報誌を読んでいると、
いまだに、地元で定期的に会が開かれている、と
報告する県がいくつもあるほどだ。

なぜ、東京の人は群れたがらないのか、理由を考えてみた。

やはりみんながそれぞれ地方出身者だから?
三代続く江戸っ子は探すのさえも難しいだろう。

たとえば我が家も、両親が大阪出身で生粋の東京人ではない。
だからといって、“よそ者”扱いされたこともなければ、
東京を他の土地のように思ったこともない。

そんな人ばかりが集まった土地柄のせいで、誰が他人で
誰が身内なのか、そんな境界線がまったく存在しないのだと思う。
つまり概念として、外と内の感覚がとても薄いのではないだろうか。

住んでいる場所を理由に、集まってもみんな生粋人じゃないし、
誰が本当の身内で誰が他人かわからない状況下で、
集合しても意味がないから?なのだろうか?
“東京”という理由では集まる必要性がない、と
いうことなのかもしれない。



**********************



そういえば、日本人が海外で生活した時には
どの国でもほとんど群れない、という話を聞いたことがある。

たとえば、中華街やコリアタウンのような構成の町は
ロサンゼルスの「リトルTOKYO」ぐらいだろうか。

オーストラリア在住の友人も言っていた。
仲の良い数人では集まるけれど、日本人だけが大勢で集まって
イベントや集会などを開くことはないし、みんなで一緒に
ビジネスをやろう、なんていう発想もないという。


これはまた、どんな心理や国民性が働くのだろう?
島国に住む日本人は保守的とも言われるが、
それは必ずしも団結しながら守るのとは異なるようだ。

この課題はまたぜひリサーチしてみたい。

**********************

東京に住んでかれこれ40年…。

気がついたらずいぶん長くお世話になっているものだ。


このところ、いろいろなスポットが出現し、
話題性には事欠かない。
丸の内、汐留、六本木…。

汐留にはかろうじて、作品展があったりして数回足を運んだが、
丸の内と六本木ヒルズはまだ行ったことがない。

なぜなら用事がないからだ。

あえて、わざわざ行っても、特別興味のあるお店もないし。
だって、すっかりチェーン展開をしているから、
どこでも同じもの見れるし。なんて思うから。
チャンスがあればもちろん行ってみたい、程度である。

「KAORUさんほどの人がなんで?」と言われるが、
その意味は「じゃあいっつも何処に行ってるの?
あんなによく買い物してるじゃないの?」という疑問符でもある。

用事ついでに通りすがりのお店に入るぐらいで、
特にココが御用達!などというこだわりもない。

以前、「やっぱり電化製品を買うときは三越でしょ!」と
言っていた関西出身の人がいたが、それには驚いたし、
先日は保護者会に遅れてきたお母さんが、
「私、急にトマトが食べたくなっちゃってね、
トマトといえば“三越”じゃない?だから買いに行ったら
すっかり遅くなっちゃたわ」と言い訳していた。

・・・・・。

それはその通りだわ!と相槌を打つことも出来ず、
なんとコメントしてよいのかわからず、両方とも、
へぇ~、そうなんだ…。でひとまずやり過ごすことにした。


**********************

今一番HOTな話題の、先週オープンしたばかりの
表参道ヒルズには火曜日のレッスンの帰り道に
フラッと寄ってみた。

昼頃、教室に向かう途中、先週の人出とぜんぜん
違うことに気がつき、圧倒された。
平日の昼間から、道に人があふれて休日並みである。

ブラインド物には特別に思い入れのない私は、
結局、最上階から回廊のようにグルグルと回りながら
1階まで降りて、何も買わずに外に出た。

表参道に面したウィンドウには某飲料メーカーの
ディスプレイが。道行く人は、真っ赤なボトルの文字を
読み上げている。

「炭酸ボンベ???…」
その後のセリフはない。

**********************

そんな“サプライズ”が日常生活にあふれている東京は
クレイジーな面を持っているのかもしれないが、
思っている以上に、心優しい人が多い。
…という話は全国を転々と転勤した友人から聞いた。

よそ者ばかりだから、よけいに普通よりも心を遣う。
車も電車も人も多いからこそ、我先に、をすると
収集がつかなくなる。だからことさら、優しさを
意識しないと成り立たなくなるのが
本能的に皆わかっている。


交通量が多いわりに、事故の件数が比例していないことも
証明しているだろう。車を運転している人が、道路の
マナーもやっぱりいいよ!と教えてくれた。

譲り合う光景も以前よりもずっと見かけるようなった。

サプライズと優しさの街、TOKYOライフを若い頃よりも
ずっと楽しんでいる今日この頃。

次のHOTスポットの楽しみは、大田区品川区版の
ローカルな小冊子、「おとなりさん」に掲載していた未確認情報。
大田魚市場の場外に予定されているらしい、
サンフランシスコの「フィッシャーマンズ ワーフ」を
真似た新鮮な魚介類が食べられる場外市場。

ホントにホントに楽しみ~!
もう、遠くに行かなくてもいいんだわ。と思うと
ウキウキと心が弾む。

やっぱり、私はブランド物より“市場好き”



















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★風を待つ花

2006年02月13日 | KAORUの好きなものギャラリー
               【沈丁花の蕾】

パンフレットに「3月生まれ」と書いているのは、
実は深い意味がある。

昨日、友人の紹介です!とセッションにお越しになった方が、
「わぁ~、3月生まれなんですね!私もなんですよ!」と
目を通すなり真っ先にコメントしてくれた。

「ホントですか!!!嬉しいです。
その言葉を待ってました~!って感じです。」と
私もはしゃいで答えた。

3月生まれは結束力が強い。
まるで、同志に出会えたような、そんな不思議な感覚。
これは3月生まれの人しかわからないだろう。


4月生まれと11ヶ月も離れていることに
コンプレックスを抱き、みんなより1歩も2歩も
遅れをとっている自分を情けなく思うものだ。
あと1ヶ月遅く生まれていればな~と、
叶わぬ事実に夢を膨らませてみたりする。

その彼女も「3月生まれだから、走るのも遅いし、
背も低いのだと思っていました。」と、私とまさに同じ!
低学年の頃まで、勉強が出来ないのも3月生まれのせいにして
よく塾の先生から怒られていた。

「そんな言い訳は通用しないのよ!」と。
でも事実だもん、と心の中では反抗していた。

生まれ月のコンプレックスはやがて年を取ると
クラスメイトの羨望の眼差しへと変わる。
「いいな~、いつまでも若くて!」と何年経っても
なぜか同級生の間だけは若者なのだ。

パンフレットは、同じ体験を持つ同志を見つけるためである。

**********************

いっせいに花が咲き始める春は、大好きな季節だ。
誕生日が近づくせいもあるのだろうか。


今年は、寒さの厳しい冬となり、世相もなんだか厳しくて
あちこちで目に、そして耳に入って来るのは、嘆きつつも
「そんな世の中だからこそ、明るくいきましょう」という
合言葉のようになってしまったフレーズ。

最近は午後3時になると、区の放送が大音量で流れてくる。

「子どもたちがまもなく下校時刻です。
大人のみなさんは見守りをお願いします」

そして、町内の掲示板には蜂のイラストとともに、
「『8・3(はちさん)運動』を進めましょう!
朝の8時は登校時間、午後3時は下校時間です。
なるべく外に出て下さい。草木に水をあげるとか、掃除するとか・・・」
などと行動の具体例まで示してあるから驚きだ。

これからどんな世になってしまうのだろう・・・。
みんなが不安に思いながら日々暮らしている。


**********************

それでも私たちはきっと皆、負けずにたくましく生きていくだろう。


先日の新聞のコラムに梅の古い呼び名がでていた。
「風待草(かぜまちぐさ)」というステキな別名があるのだという。

“春風を待って咲く”からだという。
そして2月11日の建国記念日もその昔は「梅花節」とよび、
梅が咲いているあたりに漂うほのかな明かるさを「梅明かり」と
いう粋で風流な名前がついているそうだ。

先人たちもまた、きっと日々の暮らしや世相を案じながらも
過ぎ行く時を惜しみ、来る季節に心ときめかせていたのだろう。

前世が見えるようになって、人間は争い多き時代を
繰り返していることに改めて気づかされる。

それでもなお、私たちは花の蕾がふくらむことに心躍らせ、
やがていい香りに包まれる季節を待つことのできる
忍耐強さを秘めている。

寒さが厳しいほど、春の暖かさが心に沁みる。
私もまた先人たちと同様、春風がやがて
皆に吹くことを心待ちにしている。


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★カタイ“カラダ”

2006年02月07日 | KAORUの好きなものギャラリー
               <セピア色の窓辺>

自分のカラダが“硬い”と思ったのは、
小学校1年生ぐらいの時だっただろうか。

姉妹3人で近所のバレエ教室に通っていた。
「アン・ドゥ・トロワ」の掛け声と共に
イメージはステキなバレリーナだったが、
開脚して上半身を床にペタっとつけることができない。
カラダを反らせて頭に足の裏をつけるという曲芸のような
技もとてもとても及ばず、まるで今思うとまな板のように
不恰好な形で一生懸命、皆に近づこうとしていた。
生まれてからわずか6年近くで努力とは別の、生まれながらの
体質があるのだということを知ったような気がする。

その後、自分には素質がないことを悟り、
2回ほど発表会に出た後、やめてしまった。


中学・高校時代にはテニス部でひたすら汗を流した。
辛い筋トレや朝連(早朝練習)の毎日。
体育会系のノリでど根性を鍛えられたと思う。
「青春時代」はテニスに明け暮れていたのだが、
そういえばそんな言葉もすっかり聞かなくなり、
もしかしたら今や”死語”となってしまったのだろうか?

でも6年間、部活で日々のトレーニングを積み重ねても
やっぱり私のカラダは硬かった。

「本当にそれしか曲がらないのか?マジメにやってるのか!」と
言われるほどだったが、自分的には、以前より3センチは
曲がるようになった!とひそかに喜んだり、床に一瞬指先が
触れるだけでなんだか、とってもカラダが柔らかくなったのだと
心の中でウキウキとしていた。

**********************

今日久々に、本当に何十年かぶりに自分のカラダが
硬いことを思い出した。
年を重ね、そんな事実はすっかり忘れていた。

…お花のレッスンのために表参道の教室のスタッフルームで
お弁当を食べていた。
女ざかり真っ最中、40歳を過ぎた女3人で、
落ちにくくなった贅肉について話に花を咲かせていた。

「なんかヘンなところに肉がつくのよね、
例えばさ、腰の両脇とか。体重減っても落ちないのよね」

「ホント?私は腕の付け根、背中側よ。
ジョギングもヨガも長続きしないわ。」

私も「スポーツとはすっかり縁遠くなって、
今はコロとのお散歩が精一杯の運動だわ。」と続けた。

するとMASAKOさんは「私はカラダがすっかり硬くなって本当に
情けないわ。前は前屈しても床の上にぴったりと手のひらが
ついたのに今ではぴったりとはいかないわ!」と嘆いている。


「えっ?でもまだつくの?スゴイね!!!
私なんか昔からカラダ硬いから。」と指先を床に向かって
九の字に曲げてみた。

「うっそ!それしか曲がらないの?」とEMIKOさんと二人で
声を合わせて叫んでいる。
「あら、思いっきり本気だけど?」とそのままの姿勢で見上げた。
指先は床上約20センチでストップしている。

やっぱり、年のせいで多少硬くなったとはいえ、まあ、こんなものだ。

そして、40過ぎの女3人でどれくらい曲がるか確認しあった。

**********************


レッスンを終えて再び3人が集まった時、
EMIKOさんが「さっき無理しちゃったかも!腰が痛いの…。
今度は逆運動で背筋を伸ばさなきゃダメだわ!」と
うろたえている。うそ!じゃあ私も。と両手を天井に向け、
カラダを思いっきり後ろに傾けた。

すると二人が同時に
「KAORUさん!!!ぜんぜんカラダを反らしてないよ!
それはただの背伸びでしょう?」と目を丸くしながら爆笑している。
「違う、違う!ちゃんと背中の筋伸びてるから大丈夫!」と
反撃したが、「もう、本当におもしろいわ、KAORUさんたら!」と
言われ、別に“ウケ狙い”じゃないのに…、と
何年かぶりに現実に直面した気分になった。

「カラダが柔らかい」というだけで、
または「走るのが速い」というだけで、子どもの頃から
羨望の眼差しで見つめられるのは何故だろう?

人間として肉体の生命力が強いことを
動物的な直感で知っているだろうか?

近ごろ世間では、肉体に問題がある場合
スピリチュアル的な視点で考えることも多くなった。

たとえば、消化器系統の具合が悪いときには
「色々なことを消化できていない」とか
目なら「しっかりと物事をみる必要あり」とか
喉なら「言いたいことを我慢しているから」などなど
“心身一如”という言葉があるように、心と身体のつながりを
きちんととらえて、ただ単純にモグラたたきのように、
悪いところをひとまず治療するのではなく、原因となる
気持ちの持ち方や生き方からの視点でも体調を見つめている。

だとするなら、私のコンプレックスとなっていた
徒競走でいつもビリ、とか硬すぎるカラダにも
何かメッセージが隠れているのだろうか?

たとえば、「スピードが足りない」とか
「柔軟性を持って」とか???
でもこれって、遺伝子?だとしたら魂とか心とかは
関係ないんじゃない?と一縷(いちる)の望みを託してみる。

ちょうど、私の横を通りかかった息子に
「GOODタイミング!床に手がつく?」と聞いてみた。
すると「余裕だよ!柔らかさMAXだからね!」と
涼しい顔でぺったりと手のひらをくっつけた。

あ・・・。しばらく言葉が出なかった。
かれこれ15年近くのお付き合いだが、
まったく知らなかった。

誇らしげに体力測定の結果表を見せてくれたが、
「柔軟性は体操の選手級だよ!」などど軽いタッチで
講評が添えられている。

やっぱり親やご先祖さまのせいにせず、
せめてしっかりストレッチなどをしなきゃね。

この肉体があってこそ、「清水薫」はレベルアップできるんだし。

さあ、あったかいお風呂につかって
今日一日の疲れもしっかり洗い流して
心も一緒にポカポカにしよう












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★ロイヤルカスタマー

2006年01月30日 | KAORUの好きなものギャラリー
          【壁一面のブルーボトル】

ロイヤルカスタマーは顧客の中でも
特に上得意客をさしてそう呼んでいるらしい。
顧客中の顧客であり、特別大切にされる。
色々なサービスや情報をいち早く教えてくれたり、
プレゼントの内容が少し普通の客よりも違っている場合もある。

**********************

我が母は通販の達人である。

先日のある日も宅配業者から電話があった。
「これから、○○通販会社にご依頼いただいた商品を
お届けに伺います。」という。

出張中で不在だったため、代金を立て替えて商品を
引き取った。こんどは何を頼んだのだろう?と
NAOKOと二人で箱を覗き込んだ。

この間、カタログを見ながら
「そうそう、こういうのが欲しかったのよね!」と
言っていた“卓上電気ひとり鍋”である。

やっぱり買ったんだ。さすが、そんな手間はいとわない。
忙しい合間を縫ってとにかく、小まめに注文をする。


**********************


時々、送り主がわからない商品が届く。
どなたからかしら?聞いたことないわ?と
いぶかしげな表情で包みを開けると
「あらやだ、私が注文した商品だったわ!」なんてこともある。
ヘビーユーザーなため、どの品物を頼んだか
わからなくなってしまうようである。

もしかして、あの有名な実演販売のおじさんが
紹介していた商品?TVショッピングなの?と
聞くとまるっきり普通に「そうよ。」と答えたりもする。

そんな通販慣れした彼女の守備範囲は実に広い。

TVショッピング、カタログ、新聞広告などから
色々なモノを見つけ、購入するものは
サプリメント、食料品、洋服や靴、家具類まで
あらゆるジャンルだ。


以前、イタリア旅行に行ったとき、
私が自分のために買ったグッチのサイフを見て
「いくらだったの?」と聞くので答えると、
「えっ~?私が持ってる通販の
“お金が貯まる黄色いサイフ”のほうが
よっぽど高いじゃないの!!!」と驚かれてしまった。

母はたまに、気が向くと風水のような縁起モノを
買い求めているようだ。
黄色い色の絵や黄色の造花のアレンジメントだったり
いかにも「運気アップ!」「ご利益いっぱい!」の
幸運グッズである。

そして時折、彼女のもとに販促のDMが舞い込んで来る。

「このチャンスを特別なあなた様だけに!!!」とか
「見逃さないで!大金を手にするチャンス!」などなど、
驚くような言葉が並んだ封筒には、華やかというより
毒々しい色が添えられている。

中にはなにやら、ゴツゴツとした手の感触に
思わず封を切ると入っていたのは小さな
プラスチック製の「金の延べ棒」。

「本物を手に入れて下さい!」という意味のようである。

そして面白かったのは、送られてきた半分だけのコイン。
もちろんプラスチックである。

「数日後、残りの半分が届きます。1万円以上をお買い上げの
方はふたつを合わせてお送りください。もれなく景品がもらえます。
景品の中味は、次回の時に発表します!お楽しみに!」
のような、”おまけの予告の予告”みたいな戦略である。

プラスチックの“金の延べ棒”も、半分ずつの“コイン”も
まるでおもちゃ銀行のような、子どもの“付録”のような
シロモノで思わず笑ってしまいそうだが、いたって大マジメ。
きっと、金型代だってそれなりの投資をしているだろう。

本人はどう思っているのかたずねたところ、
「そんな、たいしたものをもらえるわけないわ!と
思いつつ、一応取っておいてしまうのよ。
でも肝心な2通目が来たときには、その半分のコインは
どっかいっちゃってるのよね…。」と
“残念”とも“アホらしい”ともつかないため息をついていた。

その心境はまるで、韓流ドラマにハマっている主婦に
似ているのではないだろうか。

「結末わかっているのに、つい見ちゃうのよ。
イライラしながら、ドキドキするの。
もぅ~、KAORUちゃんも一度見たらゼッタイわかるわよ!
この気持ち!」などと、よく勧められたものだ。
結局、一度も見るチャンスがなくその本当の心境はわからないが、
なんかこう、根っこにワクワクするような気持ちがベースに
なっているような気がする。

**********************

…一人暮らしにうってつけの「電気ひとり鍋」は
なんと同じものが2コも入っていた。

一人だから必要なのになんでまた同じモノ???と
頭に疑問符が浮かぶが、なんでも説明書には
『食卓の上に「焼く」ためのお鍋と「蒸す」ための機能を
使って、おひとりでも十分に2つの鍋を活用できます。』
などと、ちょっぴり強引な内容(?)で
消費者を妙に納得させてしまう。

「きっと、特別な名簿に載っちゃてるんじゃないかと
思うのよ。もうカタログもDMも送ってこないでほしいのよね。
買っちゃうから」と通販のロイヤルカスタマーは
ひとりつぶやいている。















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★120パーティで

2006年01月26日 | KAORUの好きなものギャラリー
              【南青山の大きな樹】


120PARTYの前日、雪が降った。

プライベートで月に1回続けているお花のレッスンを
やむなく中止にしたが、注文したお花をキャンセルすることは
できず、引き取ることになってしまった。

とっさに名案が思いついた。

そうだ、120PARTYにプレゼントしよう!

花は横浜の通称“プレアビル”に届けてもらった。
雪の降り続く中、器や吸水性スポンジを途中で購入しながら、
プレアビルに向かい、そしてテーブル花用のアレンジメントを
つくることにした。

パーティの最終の打ち合わせをしている横で、
スペースをお借りして、ひたすら春の花を生けた。

打ち合わせの合間や、通りすがりに
「カワイイ~!」とか「ステキ!」と言っていただいたり、
「疲れたでしょ?コーヒー飲んでね!」と差し入れてくださる
元気グループのみなさんの優しさが本当に嬉しい。

***************************

「わ~、この小さくなった吸水性スポンジは捨てるの?
ぎゅーってつぶしちゃっていいの?気持ちイイ~!」

「あっ!そんなこと言ってると、またKAORUちゃんの
ブログに書かれちゃうわぁ」
(ごめんなさい、やっぱり私の周りに知らず知らずの間に
プレッシャーをかけてる???)

などなど、楽しい掛け合いを聞きながら
少しでも早くに仕上げなきゃ、と内心あせりながらも
明日のパーティに華を添える楽しみにワクワクしていた。

***************************

そして、東京のお台場、ホテルメリディアンで開催された
120Partyに参加。

1次会、2次会合わせて10時間の超ロングパーティは
あっという間に時が流れた。

その中のイベントのひとつ、ハワイの“カフナ”(という一族の名前)
の「マイリーさん」が踊ってくれたフラダンスは
心にジン…、ときた。
カフナのみなさまは、本当はハワイの神々のためにしか
踊らないそうなのだが、加藤雄詞さんとそのグループのために
特別に、ということで優雅に踊ってくださったのだ。
間近でみたのは初めてだったからか、やはり
スペシャルな“舞”だったからだろうか、
懐かしいような、くすぐったいような不思議な気持ち。

ショーやテレビやどこかの娯楽場で見た、
今までのイメージとは大きく違っていた。
「フラダンス」は例えるなら日本の「奉納舞」のような
神聖なものなのだ、とステキな発見をした。

今年の6月に参加する予定のハワイツアーで
再び見ることができるだろうか?
楽しみがまたひとつふえた。

*************************

2次会では、ミニコンベンションでブース出展。

時間内に終わらず、また次のチャンスにお願いした方、
ごめんなさい。


社交的で人見知りはしないようでいて、
実は自分で認識しているよりもずっとシャイな私。

セッションにお越しいただくと、ぐっとフレンドリーな
気持ちになるから、人間関係をワイドにしていく上で、
本当によいチャンスをいただいていると、つくづく思う。

今年もまた、たくさんの皆さまとお話しできるんだろうな。

そう思うだけでも、なんだわワクワクする。

どんな方にお会いしても、私らしくいられる、
世界でただひとりの“ワタシ”でいよう。







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★愛しのメール

2006年01月12日 | KAORUの好きなものギャラリー
              【天使の森ミュージアムのカフェラテ】

ある銀行関連のリサーチ&コンサルティング会社発行の
経営情報紙にファインの社長でもある母が掲載された。
「“女性”が会社を元気にする」という特集で、
女性社長ばかりをクローズアップしてあり、
「月島倉庫」や正月飾りの「飾一」さんなど、
そうそうたる顔ぶれの中での登場である。

『これからの時代に必要なのは、“女性的感性”を
ビジネスに巧みに生かすこと』というサブタイトルで
女性経営者ならではの視点での会社経営の極意?を
見開き2ページという誌面で、商品と共に紹介して
いただいたのだ。

銀行系列の会報なので、もちろんお堅い内容ではあるが、
その中で爆笑するような記事があった。

『現代キーワード辞典』とあるそのコラムには、最近
よく使われる言葉の解説が4つあるのだが、
最後のひとつに『おかんアート』という言葉の意味が
解釈してある。

家庭の主婦による、クォリティは高いけれど、
テキストどおりではなく自分なりのセンスを
取り入れた“実用性の低い手芸作品”をさすのだという。
たとえば、人形や壁掛け、造花、置物などで
具体的な作品パターンは存在しない。
手編みのセーターのように、実際につかえる品は除外され、
「結構うまい、絶対いらない」がキーワードになっているのだとか。

でもその不毛とも思える作品へのネーミングは、実は
同時に母への愛を込めてそう呼ぶそうなのである。

そして、「また類似したものに…」と文章は続いていて、
『おかんメール』なるものもあるという。

不慣れなためにおかしな文字変換をしたままだったり、
短文すぎてまるで果たし状だったりする親からの
メールを笑うものなのだそうだ。


**********************

我が母からの携帯メールもまさにその通り!

60才を過ぎてから始めたパソコンは、何度となく
妹のNaokoに使い方を尋ね、毎回初めて聞いたような
リアクションをする。「それ前にも教えたよ!」と
言われてはムっとしてみたり、
「あ~!その添付ファイルつきの、送り主が誰かわからないのは
ウィルスメールだからクリックしちゃダメぇ!」と
Naokoがあわてて血相を変えて叫んでも、
「あら?大事な仕事の話かもしれないじゃないの?」と
シャラっと切り返される。
「…だから、知らない人からのはダメなんだってば…。」と
だんだんとため息まじりに小声になって、力が抜けてくる。

それでも、本人の使いこなしたい前向きな姿勢と
忍耐強く教えた甲斐あって、今では出張の際のホテルは
ネットで予約しているし、「駅から時刻表」などを使って
交通手段と出発、到着時刻をきっちり押さえるほどの腕前だ。


でも携帯メールだけは、いつになっても笑えるのだ。

“題名”のところにいきなり本文を打ち始めるので、
いつも文字数が足りずに、文章で途中で終わっている。
そして、続きが本文にあるのだろうと開いてみると
なにもない“カラメール”ならぬ“カラ本文”なのである。

だからいつも途中で切れた題名で、何が言いたいかを
推測する必要がある。
それが何年続いただろうか?家族中から、クレームがでても
「そうなのよね~。なぜか題名のところになっちゃうのよね」と
言いながら、ぜんぜん改善する気配が見られなかった。

だが、去年から少しづつ、題名の部分に手をつけず、
本文に入力するパターンも増えてきた。
(でも、コレっていつのメールからの返信なんだろう?
どこからひっぱりだしたらこんな古い内容のメールが見つかるの?
と思うような、ちぐはぐな題名のついたメールを送ってくることもある。)

そして去年の暮れ、また新パターンメールが私のもとに
送られてきた。

私と息子が忘年会で家を不在にしたため、犬の散歩を
済ませたよ、という主旨の内容である。

以下メールそのまま。

題名:「コロの散歩終わりました 出会い」
本文:「相手の方にお詫びも言えないままでした」

以上だが、私が推測するに、たぶんコロが
「出会い」がしらに他の散歩中のワンちゃんと
取っ組みあいのケンカとなり、とっさのことだったので
「相手に謝ることができなかった」という報告なのでは
ないだろうかと、中間に抜けた文章から読み取った。

メールを読んだ瞬間、きっと一大事が起きたに違いない、と
思ったが、あまりの母らしいメールに苦笑いともつかない、
まさに「愛を込めた笑い」をしながら息子と二人で顔を見合わせた。

メールのデメリットもクローズアップされる昨今だが、
結構、ホットなツールのひとつであると私は思っている。

でも、そういえば、息子にあてて送るメールは
返ってきたためしがない。(友達にはあんなにマメなのに…)

「便りがないのは、元気な証拠」と昔からよくある言葉だが、
「返信がないのは、用件はひとまずわかっている証拠」と
あきらめている。





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★W.C先進国 その2

2006年01月07日 | KAORUの好きなものギャラリー
          【山中湖畔の氷と落ち葉】

妹NAOKOの投稿には驚いた…。

着物を着てまで、バランスを崩して
危険な姿勢をとりながらでも、トイレのレバーには
ゼッタイに手に触れたくないものなんだ…。

社内の女性にも聞いてみたら、「私は足はムリよ!
レバーをティッシュで包んで押しているわ。」という。

世間の皆さんは公衆トイレのレバーは足で踏むか、
または素手では触らないのだ、という事実を初めて知った。


だからボタンやセンサーが普及しているのだと
妙に納得をした。

*************************

それにしても、日本人の清潔感の概念は
一体どこから来ているのだろう?
きっと魂の問題ではなく、遠い昔のご先祖からの、
またはおばあちゃんや母からの教育で引き継がれてきた
伝統なのだと思う。

歴史をひも解いてみると、ヨーロッパではあたりかまわず…
またはドレスを着たまま…、という習慣から
香水が発展したという話は有名だが、
日本では古くから公衆トイレの“厠(かわや)”が
存在して、一ヶ所にちゃんとまとめていたようだ。

数年前に、目黒雅叙園の「百段階段」を見学した時、
階段途中にあるトイレはすごかった。

6畳くらいの板の間に長方形の穴がポツン、と開いていた。
お付きの人が一緒に入れる広さ、そして十二単衣を広げられる
スペースが確保されていた。

「厠は一番大切な場所である」という考えから、
かの「横山大観」に絵を描いてもらいたいと依頼したそうだが、
その趣旨をよく理解してもらえず、断られてしまったのだとか。

断った側の気持ちもわかる気がするが、
依頼主の究極のこだわりと思い入れは、なんとも素晴らしい。

**********************

私たちは子どもの頃から、おばあちゃんや母親に
「玄関とおトイレだけはきれいにするのよ!」と
言われ続けてきた。
「トイレはきれいにしないとかわいい子が生まれない」とか
「きれいにすればお産が軽い」などなど、
女性のデリケートな気持ちを刺激する。

そして、その言葉は子どもを産んだあとだって、
もしたとえ産まなくても、日本人の心の奥に沁み込んでいる。


たとえどんなにゴージャスな有名なお店でも、
トイレに手を抜いていたら、ガックリするし、
なにげないお店なのに、トイレがすごくステキだと
それだけで、格がグンと上がってしまうこともある。

「ねぇねぇ、ここのトイレ行って見た?
すごく広くてきれいだよ~!」というと
「ホント?じゃあ、私も行かなきゃ!」などと
外国人にはたぶん理解不能な会話をよく口にする。

スリランカを中心にボランティア活動や支援活動をしている
「スプートニクインターナショナル JAPAN」では、
日本人が駐在できる「支援センター」を設立したそうだが、
住宅を買い取り改装した時、まず重点的に補修したのが
トイレだったのだとか。日本人はとても大切にこだわっている
ことを、日本に留学経験のあるスリランカ人が
よくわかっていた、という話を先日講演会で伺った。

キレイなトイレは“幸運”をつかむための
必須条件となっているのも事実だが、予想以上に
日本人の清潔好きな国民性ともつながっているのかもしれない。








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