【恵比寿ガーデンプレイス バカラのシャンデリア ~歓びのかたち~】
北の国に住む仲良しは、
駅と駅の間隔がまちまちなのを
「TOKYOらしい」と言う。
2分だったり、3分だったり、4分かかったり・・・。
町が最初にできてから、後から駅を作ったことが
よくわかるんだとか。
確かに新興住宅街など、先に電鉄会社が駅を作って
後から町を作っていくところなどは、
等間隔で駅と駅が結ばれている。
曲がった坂道を見ても、
それはやはり「TOKYO」の景色なのだそうだ。
**************************
大阪生まれとはいえ、1才の時に引っ越したという
私は気がついたら「TOKYO」にいた。
だから、なんの疑問も持たず住み続けて40数年。
まわりから“乾いた砂漠”と表現されていても
それが当たり前の風景でいると、
悲しいことでも、とりたてて嬉しいことでもなんでもない。
子どもの頃から、すぐそこにある日常で
それが現実だから他と比較する必要もなく
すくすくと育っていったように思う。
でも、大人になってたくさんの人たちと交流をして、
さまざまな場所に足を運び文化や習慣の違いを
見聞きするようになると、今まで空気のように
感じていた場所を突然意識するようになる。
まるでなんとも思っていなかった幼なじみを
急に異性として意識し始めるように。
**************************
昨日はある会合に出席するために
赤坂まで銀座線に乗った。
その帰り道。
改札近くの棚に置いてあった
地下鉄のフリーペーパーが目に入った。
表紙はシックなピンクのクリスマスリースで
思わず手にとってみたくなったのだ。
乗り換えの電車に腰を下ろしながら
「地下鉄開通80周年特集」の記事を
なんとなくぼ~っと読んでいると、
記憶の奥底にしまい込んですっかりと忘れていた
電車での思い出や会話が次々と甦る。
**************************
大学生の頃、バスケ部のキムラくんと電車の方向が同じで
よく行き帰りが一緒になった。
ある日のこと、
「銀座線ってさ、駅に着く前に一瞬車内が真っ暗になるだろ?
オレ、あれにドキッっとしちゃうんだよな~」と呟いた。
そう。
アルミの新型車両になってからはそんなことがなくなったが
以前の“真オレンジ”の電車の時には、
なぜだか理由は知らないが各駅ごとのホームに入る直前、
“チン!”というレトロな音が短く鳴り響いた後、
車内が真っ暗になって視界が瞬間、遮断されるのだ。
初めての頃は「わ、何が起きたのかしら?」と不安になるが
誰も慌てないところを見ると、そんなものなのだろうと
次第に慣れてきてはくるものの、やっぱり毎回ちょっとコワイ。
でも、身長2メートル近くあったキムラくんは
それを毎回ドキっとしていたなんて。
私のような恐怖心ではなくて、彼は
なんだかちょっとトキめいていたのである。
**************************
そして、“赤い”電車の丸の内線は
ずっと地下を走り続けているが、四谷あたりで
ほんの一瞬地上に出る地点がある。
急にあたりが光に包まれて明るくなった、と思うと
次の瞬間、再び闇に包まれて地下に潜伏していく。
ラジオだったか雑誌だったか忘れたが、
あそこは本当にドキッとする場所だ、と言っていて
それから丸の内線に乗るたびにそのフレーズを思い出す。
「東京メトロ」で感じていた地下鉄ならではの
刺激的な「瞬間の“光”と“闇”」
その「メトロ情報誌」によると、
あの赤い旧車両はアルゼンチンのブエノスアイレスに運ばれ
現在も活躍中なのだそうだ。
しかも「乗務員室」などの表記もそのままで。
地球の裏側でいまだ現役で活躍し、
愛されているのがなんだか嬉しい。
**************************
“空色”の京浜東北線の車窓からは
まだ「ゆりかもめ」の線路を作る工事をしていた
風景をいつも眺めていた。
汐留のあたりの貨物線路をこわして更地になったな、と
思っていたらある時、人が大勢来るようになって
なにやら掘り起こしていた。
しばらく一体なんだろう?と思っていたら
「どうやら遺跡が出てきたらしいよ。
そうなると工事は中断しないといけないそうで、
路線計画が大幅に遅れている。」という
車内の人たちの会話が聞こえてきた。
それからというもの、新橋駅を通るたび
窓の下の風景に目を凝らしてみるのが日課となった。
土にまみれて陶器のかけらやら、
木片やらが出てきているのが遠目にも見て取れる。
もしかしたら歴史を塗り替えちゃうような
大発見があったりして・・・。
なんて思うだけでワクワクしていた。
雨の日はブルーのシートがかかっていて
今日はお休みなのかぁ・・・と思ってみたり、
真夏の暑い日には、大変だな~と思ったり、
今まで発掘されていた場所が埋められて
新たなところに移ったんだね、とひそかにいつも
その日々の移り変わりを見るのが楽しみだった。
ある時は若い学生たちが教授らしき人を取り囲んでいる。
遺跡発掘の実践授業なのだろうか。
またある時は年配ばかりのグループ。
定年退職後のボランティアの集まりなのかもしれない。
老若男女さまざまな人々が地中深くに眠る
思い出深い品々を丁寧に掘り起こし
再び太陽の光にかざし、風を吹き込こんでいる。
無機質な、寂れた線路の下には
昔の人の生活が息づいていたのだと想像するだけで
心が躍っていた学生時代。
今は日テレのビルや電通の本社が入るカレッタ汐留など、
高層ビルが天を目指すように立ち並び
茶褐色の線路も、のどかに遺跡を掘っていたことも
まるで夢の中のような出来事である。
**************************
先日、ドイツの医療器具を使ってストレス度を
測定してもらうチャンスがあった。
すると、測ってくれた人がビックリするぐらい
ストレスを感じていない、すごくいい数値がでてきた。
ずっと都会に住んでいる人は、人ごみとか
満員電車とかでもっと高い数値が出てくるのに
何にも思っていないんですか?と何度も驚くのである。
子どもの頃からそんなもんだ、と思って
慣れっこになっているせいかもしれない。
邪魔だ、と思いながら歩くと人の多さが辛く感じるが、
最初からいかに人にぶつからずに
間を縫ってスムーズに通り抜けるかゲーム感覚で
歩き続けると意外を誰にも腹も立たずに、結構おもしろい。
そんなしたたかさとたくましさを育んでくれたのが
「TOKYO」なのである。
“江戸の情緒と古さ”
“未来への希望と新しさ”
その両方を受け入れて進化し続ける街。
どちらも排除せず、あるがままを受け入れ
来るもの拒まず、去るもの追わずのスタンスを崩さない。
私もそんなスタイルを追い続ける人生を
カッコよくスマートに、でもがっちりと
走り抜けていきたい、とひそかに思っている。
北の国に住む仲良しは、
駅と駅の間隔がまちまちなのを
「TOKYOらしい」と言う。
2分だったり、3分だったり、4分かかったり・・・。
町が最初にできてから、後から駅を作ったことが
よくわかるんだとか。
確かに新興住宅街など、先に電鉄会社が駅を作って
後から町を作っていくところなどは、
等間隔で駅と駅が結ばれている。
曲がった坂道を見ても、
それはやはり「TOKYO」の景色なのだそうだ。
**************************
大阪生まれとはいえ、1才の時に引っ越したという
私は気がついたら「TOKYO」にいた。
だから、なんの疑問も持たず住み続けて40数年。
まわりから“乾いた砂漠”と表現されていても
それが当たり前の風景でいると、
悲しいことでも、とりたてて嬉しいことでもなんでもない。
子どもの頃から、すぐそこにある日常で
それが現実だから他と比較する必要もなく
すくすくと育っていったように思う。
でも、大人になってたくさんの人たちと交流をして、
さまざまな場所に足を運び文化や習慣の違いを
見聞きするようになると、今まで空気のように
感じていた場所を突然意識するようになる。
まるでなんとも思っていなかった幼なじみを
急に異性として意識し始めるように。
**************************
昨日はある会合に出席するために
赤坂まで銀座線に乗った。
その帰り道。
改札近くの棚に置いてあった
地下鉄のフリーペーパーが目に入った。
表紙はシックなピンクのクリスマスリースで
思わず手にとってみたくなったのだ。
乗り換えの電車に腰を下ろしながら
「地下鉄開通80周年特集」の記事を
なんとなくぼ~っと読んでいると、
記憶の奥底にしまい込んですっかりと忘れていた
電車での思い出や会話が次々と甦る。
**************************
大学生の頃、バスケ部のキムラくんと電車の方向が同じで
よく行き帰りが一緒になった。
ある日のこと、
「銀座線ってさ、駅に着く前に一瞬車内が真っ暗になるだろ?
オレ、あれにドキッっとしちゃうんだよな~」と呟いた。
そう。
アルミの新型車両になってからはそんなことがなくなったが
以前の“真オレンジ”の電車の時には、
なぜだか理由は知らないが各駅ごとのホームに入る直前、
“チン!”というレトロな音が短く鳴り響いた後、
車内が真っ暗になって視界が瞬間、遮断されるのだ。
初めての頃は「わ、何が起きたのかしら?」と不安になるが
誰も慌てないところを見ると、そんなものなのだろうと
次第に慣れてきてはくるものの、やっぱり毎回ちょっとコワイ。
でも、身長2メートル近くあったキムラくんは
それを毎回ドキっとしていたなんて。
私のような恐怖心ではなくて、彼は
なんだかちょっとトキめいていたのである。
**************************
そして、“赤い”電車の丸の内線は
ずっと地下を走り続けているが、四谷あたりで
ほんの一瞬地上に出る地点がある。
急にあたりが光に包まれて明るくなった、と思うと
次の瞬間、再び闇に包まれて地下に潜伏していく。
ラジオだったか雑誌だったか忘れたが、
あそこは本当にドキッとする場所だ、と言っていて
それから丸の内線に乗るたびにそのフレーズを思い出す。
「東京メトロ」で感じていた地下鉄ならではの
刺激的な「瞬間の“光”と“闇”」
その「メトロ情報誌」によると、
あの赤い旧車両はアルゼンチンのブエノスアイレスに運ばれ
現在も活躍中なのだそうだ。
しかも「乗務員室」などの表記もそのままで。
地球の裏側でいまだ現役で活躍し、
愛されているのがなんだか嬉しい。
**************************
“空色”の京浜東北線の車窓からは
まだ「ゆりかもめ」の線路を作る工事をしていた
風景をいつも眺めていた。
汐留のあたりの貨物線路をこわして更地になったな、と
思っていたらある時、人が大勢来るようになって
なにやら掘り起こしていた。
しばらく一体なんだろう?と思っていたら
「どうやら遺跡が出てきたらしいよ。
そうなると工事は中断しないといけないそうで、
路線計画が大幅に遅れている。」という
車内の人たちの会話が聞こえてきた。
それからというもの、新橋駅を通るたび
窓の下の風景に目を凝らしてみるのが日課となった。
土にまみれて陶器のかけらやら、
木片やらが出てきているのが遠目にも見て取れる。
もしかしたら歴史を塗り替えちゃうような
大発見があったりして・・・。
なんて思うだけでワクワクしていた。
雨の日はブルーのシートがかかっていて
今日はお休みなのかぁ・・・と思ってみたり、
真夏の暑い日には、大変だな~と思ったり、
今まで発掘されていた場所が埋められて
新たなところに移ったんだね、とひそかにいつも
その日々の移り変わりを見るのが楽しみだった。
ある時は若い学生たちが教授らしき人を取り囲んでいる。
遺跡発掘の実践授業なのだろうか。
またある時は年配ばかりのグループ。
定年退職後のボランティアの集まりなのかもしれない。
老若男女さまざまな人々が地中深くに眠る
思い出深い品々を丁寧に掘り起こし
再び太陽の光にかざし、風を吹き込こんでいる。
無機質な、寂れた線路の下には
昔の人の生活が息づいていたのだと想像するだけで
心が躍っていた学生時代。
今は日テレのビルや電通の本社が入るカレッタ汐留など、
高層ビルが天を目指すように立ち並び
茶褐色の線路も、のどかに遺跡を掘っていたことも
まるで夢の中のような出来事である。
**************************
先日、ドイツの医療器具を使ってストレス度を
測定してもらうチャンスがあった。
すると、測ってくれた人がビックリするぐらい
ストレスを感じていない、すごくいい数値がでてきた。
ずっと都会に住んでいる人は、人ごみとか
満員電車とかでもっと高い数値が出てくるのに
何にも思っていないんですか?と何度も驚くのである。
子どもの頃からそんなもんだ、と思って
慣れっこになっているせいかもしれない。
邪魔だ、と思いながら歩くと人の多さが辛く感じるが、
最初からいかに人にぶつからずに
間を縫ってスムーズに通り抜けるかゲーム感覚で
歩き続けると意外を誰にも腹も立たずに、結構おもしろい。
そんなしたたかさとたくましさを育んでくれたのが
「TOKYO」なのである。
“江戸の情緒と古さ”
“未来への希望と新しさ”
その両方を受け入れて進化し続ける街。
どちらも排除せず、あるがままを受け入れ
来るもの拒まず、去るもの追わずのスタンスを崩さない。
私もそんなスタイルを追い続ける人生を
カッコよくスマートに、でもがっちりと
走り抜けていきたい、とひそかに思っている。