【体育館の紅白模様】
おととい、ひとつの節目を迎えた。
息子の高校の卒業式。
ついこの間、中学の卒業式の話を
ブログに書いたような気がするが、
時間はとめどなく進み続けている。
************************
高校卒業という響きは、
「子育て」という全責任からも一区切りが
ついたというニュアンスを含んでいるように思う。
もちろん、成人になるまでは「親の責任」
という事実は存在し続けるし、
それこそ、「たとえ子どもが還暦を迎えようが
子どもはずっと子どもなの!」と心配したり干渉し続ける
米寿を過ぎた母親の話を耳にしたこともあるぐらい、
終わることのない関係なのかもしれない。
************************
けれど、あえてここでいう「子育て卒業」というのは
年齢的な子ども時代の一区切り。
小学校入学を機に、一人で育てることを決め
私自身も新しいスタートをきった。
大丈夫かな?ちゃんと私母親業をできてるのかな?
と戸惑いながらも
時には父親のように、友人のように、
そして、私が彼の子どものように
さまざまな役で向き合ってきたのだと思う。
女手ひとつで約12年。
「お疲れさま!」とひとりでひっそりと
キッチンで缶ビールを開けて乾杯した。自分自身に。
でも、この12年はけっして
「女手ひとつで」なんて湿っぽいカンジじゃなかったし、
「ひとりきりで」子育てなんかせず、
家族の愛と協力、周囲の応援をいっぱいに受けて
私も同時に育ててもらったのである。
************************
半年前ぐらいだっただろうか、
夏の終わりか秋頃だったと思う。
ある日の夜息子から、今から友だちを連れて行く!と
珍しく連絡が入った。
いつもはなんの報告もなく、いきなり「こんばんは~!」と
大勢の高校生が押しかけるので、
「今日はどうしたの?」と思いつつ電話を切った。
ほどなくして、数人がなだれ込むように
家の中へと入り込んできた。
いつもの出入りしている男の子たちに
連れられて青白い顔の女の子が
リビングに力なく座っている。
「あら?彼女?」と聞いたら
「違うよ!友達だよ!
具合が悪いから連れて来たんだ。
もう歩けないからオンブしてきたんだ。」という。
いつものメンバーも
心配そうに見守っている。
「母さん、こいつ3日間何にも食べてないんだ。
だからお粥かなんか作ってやってくんない?」
と頼まれると、もちろん頭で理解する前に
体が動き始めていて、気がつくとコトコトと
ご飯を火にかけていた。
こっそりと、お粥の上でグルグルと
人差し指をまわして元気になるように
パワーを入れたりして。
ちょっと席を立った間に、こそっと息子が
話し始めた。
「家が大変みたいなんだ。
お父さんはいなくて、
お母さんは気持ちが弱い人だから、
男の人に頼らないとダメみたいなんだ。
それでいろいろあるらしい」
短い説明だけで、それ以上のことは
いっさい聞いていない。
やわらかく出来上がったお粥を
持っていくと、力なく口へと運んで
ほんの少しだけ、ようやく食べることができた。
少女と2人きりになった時、
「親の人生は、親の人生。
自分の人生は自分の人生なんだからね。
振り回されることなく、
自分の幸せを考えて生きていくのよ!」と
言うと、こっくりとうなずき、
まだ幼い面影の目からポロポロっと涙がこぼれた。
そうそう。ガマンしないで泣いたらいいよ。と
言って私はキッチンに戻って後片付けを始めると
ほどなくして、ご馳走さまでした。おじゃましました。と
小さな声で帰っていったのだった。
************************
それから1度か2度、遊びに来ていたが
特にあの日の夜の出来事の話をするわけでもなく、
静かにみんなの輪の中に入っていたのを覚えている。
その後姿を見ることもなく迎えた卒業式。
式次第は、昔から変わらない順番で
おごそかな雰囲気ですすんでいく。
卒業証書の名前を呼ばれると
「・・・」と
聞き取れない声で立ち上がる子、
「はい!」と
大きすぎず、小さすぎずの声で起立をする子。
「はいっっっ!!!」
元気いっぱい、体育館に響きわたるような声で
勢いよく背筋をのばして直立する子。
さまざまである。
そして迎えた、卒業生代表の挨拶。
200人以上いる卒業生の中で、
たった一人しか選ばれない
特別なセレモニーに名前を呼ばれたのは、
パワー入りのお粥を食べた例の少女だった。
学校での思い出を語りながら、
ときどき声を詰まらせると会場の多くの人たちも
一緒になって涙を流している。
そして最後に感謝の言葉で締めくくった。
「ここまで育ててくれた
お母さんとお父さん。
本当にありがとう!」
************************
あの日の夜、ひざを抱えて泣いていた
はかなげな少女は、
この半年間で少し大人になり、
確かにたくましくなっていた。
式の後、教室に入ると後ろに立っていた私と
一瞬目が合うと黙って会釈をした。
私も、小さく短く手を振った。
************************
いざ、旅立ちの時。
校長先生が
「人はさよならの数だけ“愛”を知る」と
卒業生にむけてお祝いの言葉を送っていた。
たくさんの思い出をしっかりと胸に刻んで
すべての子どもたちが幸せになりますように。
それぞれの子どもたちが、
夢と希望と愛に満ちた未来を歩んでいけますように。
************************
4月からは、息子もいよいよ大学生。
きっと楽しいキャンパスライフが
待っているにちがいない。
そうそう、私も年齢不詳の様相だが
ついに大学生の母となる。
私もまた、新しいステージの人生が始まるのだ。
さらに充実した仕事の内容にしていきたいし、
そしてプライベートももっとたくさん楽しんじゃお~
これからすべてに対して
本気でパワーアップしていきたいと
なんだかワクワクしている最中なのである。
おととい、ひとつの節目を迎えた。
息子の高校の卒業式。
ついこの間、中学の卒業式の話を
ブログに書いたような気がするが、
時間はとめどなく進み続けている。
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高校卒業という響きは、
「子育て」という全責任からも一区切りが
ついたというニュアンスを含んでいるように思う。
もちろん、成人になるまでは「親の責任」
という事実は存在し続けるし、
それこそ、「たとえ子どもが還暦を迎えようが
子どもはずっと子どもなの!」と心配したり干渉し続ける
米寿を過ぎた母親の話を耳にしたこともあるぐらい、
終わることのない関係なのかもしれない。
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けれど、あえてここでいう「子育て卒業」というのは
年齢的な子ども時代の一区切り。
小学校入学を機に、一人で育てることを決め
私自身も新しいスタートをきった。
大丈夫かな?ちゃんと私母親業をできてるのかな?
と戸惑いながらも
時には父親のように、友人のように、
そして、私が彼の子どものように
さまざまな役で向き合ってきたのだと思う。
女手ひとつで約12年。
「お疲れさま!」とひとりでひっそりと
キッチンで缶ビールを開けて乾杯した。自分自身に。
でも、この12年はけっして
「女手ひとつで」なんて湿っぽいカンジじゃなかったし、
「ひとりきりで」子育てなんかせず、
家族の愛と協力、周囲の応援をいっぱいに受けて
私も同時に育ててもらったのである。
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半年前ぐらいだっただろうか、
夏の終わりか秋頃だったと思う。
ある日の夜息子から、今から友だちを連れて行く!と
珍しく連絡が入った。
いつもはなんの報告もなく、いきなり「こんばんは~!」と
大勢の高校生が押しかけるので、
「今日はどうしたの?」と思いつつ電話を切った。
ほどなくして、数人がなだれ込むように
家の中へと入り込んできた。
いつもの出入りしている男の子たちに
連れられて青白い顔の女の子が
リビングに力なく座っている。
「あら?彼女?」と聞いたら
「違うよ!友達だよ!
具合が悪いから連れて来たんだ。
もう歩けないからオンブしてきたんだ。」という。
いつものメンバーも
心配そうに見守っている。
「母さん、こいつ3日間何にも食べてないんだ。
だからお粥かなんか作ってやってくんない?」
と頼まれると、もちろん頭で理解する前に
体が動き始めていて、気がつくとコトコトと
ご飯を火にかけていた。
こっそりと、お粥の上でグルグルと
人差し指をまわして元気になるように
パワーを入れたりして。
ちょっと席を立った間に、こそっと息子が
話し始めた。
「家が大変みたいなんだ。
お父さんはいなくて、
お母さんは気持ちが弱い人だから、
男の人に頼らないとダメみたいなんだ。
それでいろいろあるらしい」
短い説明だけで、それ以上のことは
いっさい聞いていない。
やわらかく出来上がったお粥を
持っていくと、力なく口へと運んで
ほんの少しだけ、ようやく食べることができた。
少女と2人きりになった時、
「親の人生は、親の人生。
自分の人生は自分の人生なんだからね。
振り回されることなく、
自分の幸せを考えて生きていくのよ!」と
言うと、こっくりとうなずき、
まだ幼い面影の目からポロポロっと涙がこぼれた。
そうそう。ガマンしないで泣いたらいいよ。と
言って私はキッチンに戻って後片付けを始めると
ほどなくして、ご馳走さまでした。おじゃましました。と
小さな声で帰っていったのだった。
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それから1度か2度、遊びに来ていたが
特にあの日の夜の出来事の話をするわけでもなく、
静かにみんなの輪の中に入っていたのを覚えている。
その後姿を見ることもなく迎えた卒業式。
式次第は、昔から変わらない順番で
おごそかな雰囲気ですすんでいく。
卒業証書の名前を呼ばれると
「・・・」と
聞き取れない声で立ち上がる子、
「はい!」と
大きすぎず、小さすぎずの声で起立をする子。
「はいっっっ!!!」
元気いっぱい、体育館に響きわたるような声で
勢いよく背筋をのばして直立する子。
さまざまである。
そして迎えた、卒業生代表の挨拶。
200人以上いる卒業生の中で、
たった一人しか選ばれない
特別なセレモニーに名前を呼ばれたのは、
パワー入りのお粥を食べた例の少女だった。
学校での思い出を語りながら、
ときどき声を詰まらせると会場の多くの人たちも
一緒になって涙を流している。
そして最後に感謝の言葉で締めくくった。
「ここまで育ててくれた
お母さんとお父さん。
本当にありがとう!」
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あの日の夜、ひざを抱えて泣いていた
はかなげな少女は、
この半年間で少し大人になり、
確かにたくましくなっていた。
式の後、教室に入ると後ろに立っていた私と
一瞬目が合うと黙って会釈をした。
私も、小さく短く手を振った。
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いざ、旅立ちの時。
校長先生が
「人はさよならの数だけ“愛”を知る」と
卒業生にむけてお祝いの言葉を送っていた。
たくさんの思い出をしっかりと胸に刻んで
すべての子どもたちが幸せになりますように。
それぞれの子どもたちが、
夢と希望と愛に満ちた未来を歩んでいけますように。
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4月からは、息子もいよいよ大学生。
きっと楽しいキャンパスライフが
待っているにちがいない。
そうそう、私も年齢不詳の様相だが
ついに大学生の母となる。
私もまた、新しいステージの人生が始まるのだ。
さらに充実した仕事の内容にしていきたいし、
そしてプライベートももっとたくさん楽しんじゃお~
これからすべてに対して
本気でパワーアップしていきたいと
なんだかワクワクしている最中なのである。