↑オアフ島のカイルアビーチ
ドキドキしながらローカルなバスに乗ってひとり旅
砂浜にゴロンと横になり、ヤシの木陰で空を眺めて、波の音聞いて。
一人で過ごす最高にスペシャルな静かな時間。
その月に必要なメッセージをお届けします。
2015年5月をより快適に過ごすための
ヒントにして下さいね♪
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今月のキーワードは「超越」
何かに直面した時、
あるいは
受け入れがたい事実を目の前にした時、
もしくは
この先の未来の展望が臨めなくなった時、
いくつかの道が考えられる。
あきらめるか。排除するか。断ち切ろうとするか。
はたまた、方向転換をして別の選択肢を前向きに模索するか。
その選択は最終的に、自分自身の考えや思いに
ゆだねられている。
本来、その領域に誰も入り込むことはできないのだ。
たとえ、自分の思惑や願いと異なり
現実的にあれこれとさまざまな力が働き、周囲の状況や環境、
時代の流れがどう取り巻いたとしても。
その後の動きは、自分で選んでいくことになる。
よく耳にする会話の中で、
私は周囲に裏切られる、誰もわかってくれない、
と嘆く人が多いのだが、
裏切られた、と思う場合
悲しみと憤りが入り混じるけれど
それは、自分の期待した反応と違うリアクションが
返ってきただけなのかもしれない。
誰もわかってくれない、と思うと
孤独な気持ちになってしまいがちだが
それは、本人でしか体験していない複雑に絡み合った
ヒストリーや細かい状況を、他者が本当に理解するのは
現実的に限界がある。
真の理解を周囲に求めるのには、ムリがあるもの。
自分以外の存在に、何かを求め続けて
傷つき、疲弊し、恐れをいだき
自らの世界を小さくしていくのは、
周囲の責任ではなく、それですらも本人の選択によるもの。
ともすると、勝手に被害者と加害者の構図を作り上げてしまう。
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それよりも。
目の前に繰り広げられている、障害と思われるコト
すべてを「超越」しよう。
辞書には、
『ある限界や枠をはるかにこえていること。
また、その物事からかけ離れた境地にあって、問題にしないこと。』
さらに、
『人間一般の経験や認識の範囲(次元)外にこえ出ていること。』
とある。
一般常識、普通ならこうするはず。の知識やルールにとらわれていると
結果、その範疇の中で考え行動し、他者や周囲の壁にぶち当たる。
そこから永遠に抜け出すことはムズカシイ。
自分の身をその中に置いている以上、当然の成り行きともいえる。
本来の自由な魂の存在で
イキイキと生きていきたいと願うのならば
越えていくしかない。
ケンカ売られたら、買う。
されたら、やり返す。
そのような考え方がベースにあれば、
必然的にその枠内にいるということ。
となると、さまざまな出来事が形を変えて繰り返し
起こっていくような状況に陥りがち。
そんな世界を本当にウンザリとして、そこから抜けたいと思うならば
やはり、超越していくしかない。
ジャンプする!と決めることができたなら
いつの間にか、気がついたら一足飛びに
これまでとは違うステージにワープしている、なんてコトもありえるのかも。
ワープとは、
『宇宙空間のひずみを利用して瞬時に目的地に達すること。』
宇宙空間のひずみを利用して…なんて、
昔は映画の世界の話だったけど、今ドキは現実にだって起こりうる。
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もちろん、自分の感情を無視して
なんでもかんでも飛び越える、というわけではない。
自分の本当の思いや閉じ込められた気持ちを
しっかりと向き合う、というのも忘れずに。
本来の自分がどこに向かおうとしているのか、が見えていないと
たんに逃避や置き換えになってしまって
飛び越えたはずのその先が、あれ?ここだった?と
どんどんズレていってしまう。
今現在の悲しみや孤独、不安や怒りの出どころを
目をつぶることなく、恐れることなく見つめていき、
その上で、もはや不要となった感情を手放し
これまでの限界と思い込んでいたものや、
自ら創り上げてしまっていた枠を
自らで越えていく。
その作業は、誰かと一緒に。みんな一緒に。一人ではムリ。
というわけにはいかない。
それを孤独、とは呼ばない。
未来へと続く時空を越える力は、自分の内側にある。