青山で働いていた頃の部下が、生まれ育った故郷に帰って、
今は中学校の教師をしている。
全く違う分野でありながら、「その頃の“経験”はプラスに
なっている」と、彼は語っていた。
私たちは、人々の心をつかんで、分かりやすく理解して頂く・・・
という手法を、かなり(時間をかけて)考えることが多い。
だから、生徒に飽きさせない授業をやれるのは、この経験が
いかされているということらしい。
彼は「仕事を教えてもらって、お世話になった」と思っていて、
最後の最後まで、私に とてもよくしてくれた。
8年ぶりぐらいに、彼と会って、ものすごく短時間の内に
深い話をした。
時間が「あっ」という間に 過ぎていった。
平日の日中に、彼は時間を作り、私を「鯉料理フルコース」で、
親切に、もてなしてくれた。
鯉の洗い、鯉こく、酢の物、甘露煮、・・・その上に、
野菜サラダや野菜煮の器も並び、もうお腹がパンクしそうだった。
料理屋のおかみさんは、笑顔で「今朝、私が煮たんですよ」と
鯉や野菜料理の他 「イナゴの佃煮」なども出してくれた。
二人とも、心もお腹も一杯で・・・すごく時間をかけたが、
全ての器をカラにすることはできなかった。
彼の故郷では、江戸時代から「鯉」を水田に放養していたようで、
害虫や水草を捕食する役割を果たしていたという。
魚がとれない山奥の土地では、「水田養鯉」は画期的な手法だった。
一冬を過ごした鯉は、また水田に稚魚と一緒に放たれて、その後、
二年鯉だけが出荷され、人々の口に入ったのだろう。
この場所では、そういう「命」に対する畏敬の気持ちもあって、
(クジラのように) 料理屋さんの神棚には 鯉の魂を祀っていた。
野生の肉と同じように、処理の仕方や育て方で、味のほどんとは
大きく変わってしまうけれど・・・
頂いた「鯉のフルコース」は、とても配慮されていて、臭みも
癖もなく、とても食べやすいと感じた。
とくに、「甘露煮」は、コラーゲンたっぷりの部分が、あまりにも
とろりと口に入って、またたくさんの人が嫌う内臓部分も、イカを
食べているような弾力と美味しさがあった。
もちろん、卵部分は言うことがない。

好きな人は、「鯉料理」だけを食べに来る・・・ということだったが、
聞いて、経験したら、納得できる言葉でもあった。
しかし、これも野趣あふれる料理と一緒で、料理人の技術が、大きく
影響するように感じた。
私の食べた鯉料理は、「さすが~!」という感じだった。
後輩との再会は、食事や邂逅の時間を、より豊かにしてくれた。
あの頃は、日々、その日暮らしだった彼が、高級車で迎えに来てくれた時は、
同じ人だとは思えなかったけれど・・・
彼の選択は、ある意味で「良かったね」と心から言えるものであったし、
問題の多い教育現場で格闘している話題には、いつしか 熱が入った。
私も、かつては 教育実習をした教員免許を取得した人だし、何よりも、
彼が思っているように、現在の教育現場の問題は非常に細かく把握している。
一人でも、二人でも、格闘して、未来の日本を担う思春期の子供たちを
見守り、サポートして、応援してほしいーと強く感じた。
「頑張れよ~~!」
男同志のような別れ方をしたが、もっとゆっくりと話がしたかったなぁ。
「また、来て下さいよ~~!」
新幹線の駅改札で、そう叫ばれたことも、強く心に響いたよ。
「ありがとうネ!」