最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

秋晴れの一日(1)

2019-11-09 15:11:22 | Weblog


昨日は、朝目覚めると、素晴らしい秋晴れ
夫を誘って、ドライブに出かけました。
行き先は埼玉県「飯能」

20分で山行気分が味わえると書いてあった「天覧山」と、
昨年できた北欧気分を味わえるという「メッツァヴィレッジ」(メッツァとは、フィンランド語で“森”という意味)
少し道に迷ったけれど、飯能市民会館の前の無料駐車場に車を止めて、
能仁寺の裏の登山道を登り始めると、
すぐに、森の中、山登りの気分。

天覧山とは、明治天皇が近衛兵の対抗演習をご覧になるために
この山に登って、「良い景色だ」と仰せられたことによるとか。
それ以前は、愛宕山とか羅漢山とか呼ばれていました。

途中分かれ道があって、
私たちは、十六羅漢像、鎖場(?)がある方の道を行きました。

道ばたの山際には、
桂昌院が息子、5代将軍綱吉の病気平癒の
感謝の気持ちで贈ったという羅漢像があります。

「桂昌院は綱吉のために、本当にあちこちに寄進していたのだぁ!」

と、思いながら私は見ていたのですが、

元地学教諭の夫は、足下の岩石を、いろいろな角度から見て、
「これはチャートだなぁ!こんなところにあるんだ」
と言いながら、見ていました。


この山の山頂に路頭しているのは
「チャートの岩盤」であることが書かれていました。
夫は、「やっぱりそうだ!」と、ドヤ顔!!
飯能の町を背に鎖場(笑)を登るともう、
海抜197mの頂上に出ます。
頂上からは秩父、奥多摩の山々、
飯能の町が見えていい気持ち
残念ながら富士山は見えず。

頂上に、山の説明があり、
頂上からは、さらに多峯主山へとハイキングコースは続いているけど、
我々は、麓に下って、
紅葉が色づき始めた、曹洞宗 能仁寺を散歩しました。

文亀元年(1501年)に創建されたお寺で、
戊辰戦争の時には、上野を追われた彰義隊と
振武隊(彰義隊脱退者で結成された)が合流して、
ここで政府軍と戦った(飯能戦争)そうだ。
わずか数時間で官軍勝利。
寺のほとんどが消失したと境内の由緒書にありました。

こんなところでも戦いがあったのですね。

さて、長くなるので、「メッツァヴィレッジ」については次回!
コメント
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