あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

国際ウオーキングトレイル実踏 三島から修善寺へ(静岡)③

2011-03-24 21:01:52 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2011年3月18日(金)

 ==発端丈山から修善寺へ==

 最終日も好天だが冷え込んだ。朝食前に散歩に出たら、氷が張り畑は霜で白かった。7時40分、
沼津市口野の民宿、あだちをスタートした。


 海岸沿いの県道17号を南に向かう。次の集落、内浦重寺(しげでら)に入ると淡島が近づき、北
側の山に隠れていた富士山も、姿を現した。


 漁港のそばから、マリンパークになっている淡島へのロープウェイがあったが、現在は廃止され、
島へは船で渡るようだ。

 内浦湾に回り込み、最初の集落内浦小海からは、これから上る発端丈山(ほったんじょうざん)が
見え、登山口のある内浦三津(みと)集落へと家並みが続く。

 内浦三津は、内浦湾の中心地。郵便局や消防署、駐在所がある。この周辺でただ一つのコンビ
ニ、セブンイレブンで昼食を調達した。


 湾の対岸に並ぶ、ヨットハーバーのヨットや、淡島の向こうに見える富士山、駿河湾の北はるか
に南アルプスなどを眺めながら進む。


 伊豆三津シーパラダイス横を通過し、県道のトンネル横の旧道を経て、内浦長浜集落へ。

 通過した各集落には、津波の際の避難先への表示が多く、東日本大地震クラスの東海地震が
発生したら、このあたりはどうなるのだろうかと、実感させられる。


 3本のシダレザクラのある住本寺に寄った後、そばにある「発端丈山ハイキングコース長浜口」
の標識にしたがい、内浦長浜集落からの登山口に向かう。

 標識のそばにあった細道を上がったが、行き止まりとなった。でも、戻る途中からの富士山の
眺めは、ほかでは見られないものだった。


 ミカン畑の間を上がって行くと、左にとりつく簡易舗装の細道に標識がある。ミカン畑が終わっ
て山道となり、ヒノキの樹林下をひとしきり上って、コンクリート造り展望台に出た。

 淡島や駿河湾の向こうに、富士山の雄大な裾野が広がる。その左手には残雪豊富な南アル
プス連峰が望まれ、眼下の三津のヨットハーバーも見下ろせる。


 稜線に向かって、再び樹林下をジグザグに上がる。傾斜が強まり石段やロープが付けられ、
ジグザグの間隔が縮まる。稜線に出て、三津中央口からの登山路に合した。


 東側眼下に大仁の町並みを見下ろし、間もなく開かれた発端丈山(410m)山頂に着いた。


 大イチョウが1本立ち、東にロープウェイのある葛城山(452.3m)が、北に富士山から駿河湾、
南アルプスなどが一望である。


 南方には天城の山並みが長く延びている。今回のコースの最高峰なので記念撮影をして、ゆっ
くりと休憩した。


 南東に向かって下り、展望のない標高329mの四等三角点を通過し、葛城山への分岐点に出
た。多くのハイカーは、東側の葛城山に向かうようだが、我々は南に向かい、益山寺に下った。

 益山寺は、標高300mにある高野山の末寺。空海の創建で本尊・観世音菩薩は、空海の自作
と伝えられているという。

 境内や参道には、100体を沪す観音石仏があり、県内でも珍しい石仏群集地のようだ。


 観音堂前には、根回り5.46m、樹齢850年で県下最大といわれる大カエデと、目通り5.3m、
樹齢350年を越すという大イチョウが立っている。


 少し早めだがここで昼食をして、簡易舗装の参道を南に下る。沿道には道しるべにもなっている
観音石仏が一丁ごとにあり、四国遍路道を思い出す。


 谷間の山田から後山へと、小集落を進み、巨大な採石場の横を回って、大仁(おおひと)の家並
みの望める山田川沿いに出た。


 右岸に沿って右に回り込む。NPO法人メダカのがっこうの「ありがとう田んぼ」の水田を過ぎて、
堀切集落で山田川を渡る。

 南側の斐林寺(斐は人偏付)で小休止後、左手から背後の林間を上がる簡易舗装の車道へ。

 地図からは消された旧道で、落ち葉や倒木、落石があちこちにあり、現在は廃道になっている。
太い倒木が道をふさいでいるところもあり、またいで通過し、修善寺ニュータウン西端の車道に出
た。


 修善寺YHの標識があり、やまさんやDさんは、何回か研修の講師や受講で訪れているという。

 急坂を少し下り、南側の丘陵に広がる修善寺梅林の遊歩道に入る。梅林の面積は約100haで、
樹齢100年を超える老木など、約20種、3,000の紅梅、白梅があるという。


 一部咲き残った梅林を少しずつ下り、ヒノキ林を抜けて、修善寺温泉の家並みに入り、その名の
起こりである修善寺に行く。

 立派な本堂の横に、河津桜だろうか、ピンクの色濃い桜が見頃。枝振りの良い松も2本並ぶ。
どっしりした鐘楼も見栄えがある。

 寺の南側、桂川を渡るところには、足湯の建物が見られた。


 右岸で一番南側の通りを下流に向かう。大きな温泉旅館や土産物店の横を東へ、ハリスト正教会
を過ぎ、修善寺道路に出る。

 川を渡って左岸沿いの県道18号を東へ、狩野川との合流点で修善寺橋を渡る。今回のゴール、
伊豆箱根鉄道駿豆線の終点、修善寺駅に15時前に着いた。

 東日本大地震の影響で、電車の本数は少ない。数分後に発車の電車に急ぎ乗り、帰路についた。

 【コースタイム】内浦口野・民宿あだち7・40ー内浦重寺・淡島渡船場8・00~03ー伊豆三津シーパ
  ラダイス8・37ー(戻り)ー内浦三津・セブンイレブン8・45~48ー住本寺9・20ー展望台10・05~
  12ー発端丈山10・30~11・00ー葛城山への分岐11・15ー益山寺(昼食)11・23~45ー後山の三差
  路12・17ー斐林寺12・44~50ー修善寺ニュータウン西端13・21ー修善寺梅林遊歩道入口13・32ー
  修善寺13・57~14・10ー修善寺駅14・55

  (天気 快晴後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 韮山、修善寺、歩行地 沼津市、伊豆市、
   伊豆の国市、歩数 29,000歩、累積標高差 約1,550m)


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国際ウオーキングトレイル実踏 三島から修善寺へ(静岡)②

2011-03-23 15:28:35 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2011年3月17日(木)
 ==沼津アルプスを北から南へ==

 2日目は、沼津市街地に近い狩野川べりから、「沼津アルプス」と呼ぶ標高200~300m
級の山並みのハイキングコースを縦走して、沼津市内、江浦湾沿いの口野(くちの)までの
行程である。

 この日のトップは私が務める。7時ちょうどに、かどや旅館を出た。狩野川の黒瀬橋を渡り、
東に少しの、カニ料理店甲羅の先から、「香貫山登山口」の表示に従い、石段の急坂へ。

 10分足らずで、香陵台と呼ぶ広場に上がった。北側眼下に沼津市街、南西に大瀬崎から
続く伊豆半島の稜線が望まれる。


 広場には、沼津に住んだ若山牧水の歌碑や、日清、日露から第二次世界大戦までの戦没
者などの慰霊を祭る「沼津市慰霊平和塔」と呼ぶ五重塔が立っていた。


 南に進んで、香住展望台へ。沼津市街の向こう、愛鷹山塊の上に富士山の上部が姿を現
した。



 大きく弧を描く駿河湾や、遠く雪を残す南アルプスも望まれる。眼下間近には、沼津御用邸
記念公園や、狩野川河口も見下ろせる。


 その先、球形ドーム塔の立つ香貫(かぬき)山(193m)山頂は、展望が得られないので先
に向かう。振り返ると、香貫山頂や香住展望台が望まれる。


 車道を横断後、約400段あるという丸太の段を下って車道に出た。

 緩やかに下り、車道が左カーブする八重坂峠から、右手の登山路に入る。

 2か所、ロープのつけられた急登があり、次の横山(183m)へ。山頂は広葉樹林に囲まれ
ていて、展望は利かない。

 その先の稜線も、深く茂った常緑広葉樹林に覆われ展望はない。下を車道がトンネルで抜け
る横山峠も、車の音は聞こえるが車道は確認できなかった。


 さらに稜線を進み、くさりの付いた丸太の段を急登すると、徳倉山(256m)。

 山頂は割合広い芝生地になっていて、二等三角点が設けられている。富士山を背に記念撮影
をした。




 常緑広葉樹に挟まれた稜線を下って行くと、反対から登山者が上がってきた。三島市にお住
まいのYさんで60代後半。勤労者山岳会に所属し、今日の山行が997回目とか。1000回目
は、山岳会の山行で達成したいという。

 ロープのある急坂を下り、展望が開けたかやとの一角に出た。千金岩と呼ぶ岩があり、行く手
の鷲頭(わしず)山や西側の海岸線が望まれる。


さらにロープの付いた急坂を下ると、志下坂峠(しげさかとうげ)である。

 大トカゲ場と表示されたところを通過して、志下山(214m)へ。「さざなみ展望台」の立て札が
あり、駿河湾や大瀬崎の大展望が広がる。ここで昼食にした。


 少し先に「奥駿河パノラマ台」と呼ぶ展望地もあり、眼下の家並みや、斜面のミカン畑などが見
晴らせる。


 正面に見える鷲頭山に向かって少し下ると馬込峠。次の稜線に向かって上がり、ぼたもち岩と
呼ぶ大岩のある志下峠に着いた。


 急坂を少し上がったところに、垂直にそそり立つ巨大な岩があり、その下に石仏が祭られ、「中
将岩」と記されていた。

 本三位中将・平重衝が、治承4年(1180)この洞窟に隠れ住んでいたとのこと。その後、追っ手
に発見され、大岩の上まで逃げたが、これまでと、切腹自害したのだという。

 ここで、下ってきた男性と出会う。熱海Kホテルのフロントにお勤めの I さん。休日を利用しての
トレーニング山行らしい。

 その先もロープのある急坂を上がり、小鷲津山(330m)へ。大きな弧を描く駿河湾の展望が得
られ、「本三位中将平重衝終焉切腹之場」の標識があった。


 すぐ先、沼津アルプスの最高峰・鷲頭山(392m)には、10分ほどで上がった。割合広い山頂に、
山桜が数本枝を広げ、一番大きな木の下に小さいほこらがあった。


 雲がやや増えて、遠望が利きにくくなってきた。東側、狩野川沿いの家並みが見下ろせる。

 ロープの張られた急坂を下り、多比(たび)峠を通過し、青木の多い一角を過ぎると、ウバメガシ
の群落の中を抜ける尾根道となる。

 木の根や石ころが多く、転ばぬように注意しながら進む。

 少しずつ上がって旧名を大峠と呼ばれた多比口峠へ。ここにザックを置き、沼津アルプス最後の
大平山(おおひらやま)まで往復することにする。

 狭い尾根の急坂は少しで、傾斜が緩み、十分足らずで大平山(356m)に着いた。山頂は広く、
ベンチ二つと、目安箱と呼ぶノートの置かれたボックスがある。

 広葉樹が伸びていて、展望はほとんど得られない。

 多比口峠に戻る途中から、雲の増えた富士山が望まれた。峠から縦走路を離れて南に下る下山
路へ。

 下って行くと、やわらかな彩りの山桜の芽吹きが見られ、春の間近なことが感じられる。


 ドラム缶に標識が記されたところが、沼津アルプス北行登り口。ここからは簡易舗装の車道と
なる。さらに下って右からの車道と合し、多比の家並みに入る。

 伊豆箱根バスの多比停留所のある国道414号を東へ。歩道のない多比第2トンネル(216m)
を抜け、狩野川放水路のところでて国道に分かれ、江浦湾沿いに次の口野(くちの)集落に向かう。


 今日の宿、民宿あだちは、三の浦郵便局のすぐ先、16時20分に着いた。

 最高点でも標高392mの沼津アルプスだが、七つの山と七つの峠越えは、いずれも急坂のアッ
プダウンが続く。でも、富士山や駿河湾、狩野川沿いなどの素晴らしい展望に恵まれ、その名に
ふさわしい、よいコースだった。

 【コースタイム】かどや旅館7・00ー沼津アルプス登山口7・23ー香陵台7・32~40ー芝住展望台
  8・03~22ー八重坂峠8・57ー横山9・18~33ー横山峠9・50ー徳倉山10・17~45ー志下坂峠
  11・25ー志下山(昼食)11・36~12・15ー中将岩12・40~13・00ー小鷲頭山13・13~18ー鷲頭山
  13・28~14・00ー多比峠14・10ー多比口峠14・35~40ー大平山14・48~15・03ー多比口峠(戻り)
  15・10ー登山口(ドラム缶)15・25ー多比バス停そばセブンイレブン15・45~16・00ー民宿あだち
  16・20

 (天気 晴、参加 3人、距離 12.5㎞、地図(1/2.5万) 沼津、三島、韮山、歩行地 沼津市、
  歩数 18,900、累積標高差 約2,300m)


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国際ウオーキングトレイル実踏 三島から修善寺へ(静岡)①

2011-03-21 20:08:21 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 日本海から太平洋へと、徒歩でつないで約50日、1,000㎞の歩く旅のコース造りを続けて
いる、「やまさん」こと、山浦正昭さんの日本横断国際ウオーキングトレイル、春の実踏に参加
した。

 今春はセクション17として、伊豆半島の付け根である静岡県三島市をスタートし、伊豆の国
市修善寺(しゅぜんじ)までを3日間で歩く予定である。

 2011年3月16日(水)
 ==清流沿いを三島から沼津へ==

 前日、東北関東大地震による交通機関の影響を考え、やまさんに電話したところ、「あらゆる
手段を尽くして現地に向かう方法を考えて…」とのこと。

 迂回ルートを考慮して早めに起床し、西武新宿線、JR中央線経由で東京駅に行く。お陰で、
9時56分の東海道新幹線ひかり号に乗ることが出来た。

 出発地であるJR三島駅の集合予定は13時だが、11時前に着いたので、駅前にある市の
庭園・楽寿園に入って一巡する。

 今回の参加者は、やまさんのほか、今日だけの大阪のHさん、フル参加は横浜のDさんと私、
13時過ぎに三島駅南口を出た。

 今日は、駅前の観光案内所でもらった、三島市と清水町、沼津市を結ぶ、「港・湧水せせらぎ
ウオークマップ」に記されている、流れ沿いのコースが主体である。

 楽寿園の東側から南に回り、まずは源兵衛川沿いに設けられた遊歩道へ。

 源兵衛川は、富士山の伏流水が湧き出る楽寿園の小浜池が水源。水量はさほどではないが、
清流に沿って飛び石や木の板、石造りなどの遊歩道が続いている。


 流れの傍らには樹木が多く、初夏にはホタルも飛び交うという。沿道のコブシが咲き出していた。


 中ほどにあった三石神社は、昔、三石という巨石があり、その上に社殿を建てて、稲荷神社を
祭ったものとか。境内に、三島八景のひとつという、時の鐘があった。


 「水の苑緑地」と呼ぶ一角には高木が多く、湧水も数カ所あり、石灯籠が置かれていて、日本
庭園のような趣がある。


 源兵衛川を離れて工場地帯の間を西に抜け、極楽湯と呼ぶ日帰り天然温泉の南側に回る。

 家庭菜園の横から境川左岸に出ると、頭を雲に隠した富士山が姿を見せた。流れの多い清流
を、右岸に回りたいのだが橋がない。

 上流にせきがあったが、両岸に金網が設置され、通行できない。でも、その金網を伝わり、せき
を渡って対岸に回ることが出来た。

 国道1号線に出て西に少しで、豊富な湧水で知られる柿田川源流付近の柿田川公園へ。地元
産品などの売店近くにある、桜が見頃になっていた。


 柿田川は、清水町の中心部を流れる延長1.2㎞の狩野川の支流。富士山周辺に降った雨や
雪解け水が地下水となって湧出したもので、1日約100立方m(20mプール2,000杯分)の水
が湧き出ているという。

 確かに、このような豊富な湧水を見たのは初めてだった。


 公園を離れて、川の左岸沿いの住宅地を南に進み、狩野川の徳倉(とくら)橋を渡る。下校中
の小学生の列と一緒になり、「何をしているの」、「ザックに何が入っているの」など質問を受ける。



 狩野川左岸沿いに進み、左に大きく流れがカーブする本城山↑の南麓にある、龍泉寺で小休止
した。


 狩野川は流路を西に向け、再び富士山が姿を現した。


 流れのそばの柳が、淡い彩りの新芽を開き始めている。


 大きなアーチを描く香貫大橋が近づくカーブ点に、沼津工高漕艇部の艇庫があり、幾つものカ
ヌーが並んでいた。


 さらに左岸を進み、明日渡る黒瀬橋を過ぎると、沼津の市街地が近づいてきた。


 三園橋を渡って、市の中心街近くまで進み、帰宅するHさんと別れる。

 日吉神社に近い山王町の住宅街に入り、17時ちょうどに、かどや旅館に着いた。

 【コースタイム】三島駅13:02ー三石神社13:18ー柿田川公園入口14:15ー龍泉寺15:02~17ー
  香貫大橋15:57ー三園橋近くのファミリーマート16:25~33ーかどや旅館17:00

 (天気 晴、参加 4人、距離12㎞、地図(1/2.5万) 三島、沼津、歩行地 静岡県三島市、
  清水町、沼津市、歩数 19,800)

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国際ウオーキングトレイル実踏③(元箱根~山中城跡~三島駅)(続き)

2010-11-19 21:08:19 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年11月11日(木) (続き)


 珍しい「雲助徳利の墓」↑の先で、国道をまたぐ歩道橋を渡り、駒形神社の横から
国史跡で日本百名城の一つ、山中城跡に回る。

 小田原に本城のあった北条氏が、永禄年間(1558~70)に築城したと伝えられる
山城。西方防備の拠点としていたが、天正18年(1590)3月に、全国統一を目指す
豊臣秀吉により、1日で落城したという。

 復元整備された城跡の、北の丸跡や西の丸などを回り、そばの宗閑寺に入る。境内
には、北条軍、豊臣軍の武将たちの石碑や、城主松田右兵衛太夫の墓などがあった。
本堂の屋根下で昼食とする。

 国道の西側に残る旧街道の、杉並木に入ったところで、三重県四日市市から来て、
東海道を歩き継いでいるというHさんが上がってきた。

 山中集落から1㎞ほど下った国道際に、芭蕉句碑が立つ。国道の左手に回って下っ
て行くと、三島市郊外の集落が見下ろせ、天城連山や駿河湾の展望が広がる、絶好
のビューサイトがあった。




 笹原新田の家並みを抜け、「こわめし坂」と呼ぶ急坂を下り、次の三谷新田へ。民家
の背後にベンチがあったので休憩する。

 パッチワークの畑の上に、富士山が望めるようだが、雲が増えてきて裾野しか見え
ない。そばの小さい小屋は、「軒下の美術館」と記され、ここからの富士山の写真など
が展示されていた。


 軒下の美術館とは、訪れるハイカーや観光客に民家などの軒先を休憩場所として
提供し、写真を展示して交流を深め、この地区の特色を紹介しているところ。その先、
明治天皇御腰掛石のある松雲寺、Sさん宅のガレージ、坂公民館↓などにも、軒下
の美術館があった。


 三島市眺望地点と記された、坂公民館裏からも富士山は裾野のみ。愛鷹連山↓
だけが全貌を見せている。

 
 このあたりは大根の産地らしく、公民館には、富士山と大根を干す絵も掲げられて
いた。

 題目坂を経て、臼転(うすころげ)坂の石畳道を下る。塚原新田の宗福寺屋根下に
も、軒下の美術館がある。集落の先、旧街道が国道に合したところには、「箱根路」
と刻まれた大石があった。


 近くの初音ヶ原からは、旧街道の面影を残す松並木が続き、江戸から28里の錦田
一里塚↓は、旧態がよく残り国史跡となっている。


 松並木の西側に石畳の遊歩道が整備され、国道は上下車線に分かれて松並木の
間を抜けている。

 松並木が終わり、五本松交差点から分かれて、右手の旧道へ。東海道線の踏切を
渡り、愛宕橋と新町橋を渡ると、三島市の市街地となり、三島大社に入る。


 弁天池の先で二つの門をくぐり、立派な社殿の本殿に手を合わせ、3日間の行程を
無事歩き終えたことに感謝する。

 境内は、七五三参りに備えて紅白のテントが張られ、露店の準備も進んでいる。
本殿の近くには、国天然記念物で樹齢1,200年という、日本一のキンモクセイが枝を
大きく広げていた。


 弁天池のそばまで戻って西に抜け、桜川沿いに進む。カルガモの泳ぐ清流沿いの
歩道には、三島水辺文学碑が続き、三島由紀夫や太宰治、司馬遼太郎、井上靖など
の文が記されていた。


 日本の歴史公園百選に選定されている楽寿園の横を進んで、15時20分に、今回
のゴール、JR三島駅に着いた。

 初日は風が強かったが、3日間とも好天に恵まれた。富士山の展望と国際観光地、
箱根の紅葉、石畳と杉並木の旧東海道の面影を存分に味わい、いつもほど疲れを感
じることのない、よい歩き旅だった。

 【コースタイム】民宿箱根ゲストハウス8・03ー元箱根セブンイレブン8・24~30ー駒形
 神社9・14ー箱根峠9・43ー接待茶屋跡10・15ー雲助徳利の墓11・05ー宗閑寺(昼
 食)11・25~12・00ー笹原新田入り12・40ー松雲寺13・10~13ー市山新田入り(軒
 下美術館)13・25~33ー宗福寺13・56~14・00ー錦田一里塚14・18ー三島大社
 14・50~15・00ーJR三島駅15・20
 
 (天気 快晴後晴、距離 18㎞、地図 箱根、三島、歩行地 箱根町、静岡県函南
 (かんなみ)町、三島市、歩数 32,300、累積標高差 1,230㍍)
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国際ウオーキングトレイル実踏③(元箱根~山中城跡~三島駅)

2010-11-18 23:17:49 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年11月11日(木)
 
 今朝も快晴に恵まれた。昨夕到着した大阪のHさんが加わり、今日は5人に。記念
撮影をして、8時3分に民宿 元箱根ゲストハウスをスタートした。


 昨日の箱根旧街道の延長となる、石畳道を下る。両側には杉の古木が並び、街道
の面影を色濃く残している。


 途中、箱根の美しさを世界に紹介したというドイツの博物学者ケンペルと、英国の
貿易商バーニーの碑があった。

 芦ノ湖畔に下り、元箱根港バス停そばのセブンイレブンで昼食を仕入れる。湖畔か
らは、箱根神社の上に富士山が姿を見せてくれた。


 駒ヶ岳(1,356m)も一望でき、ロープウェイの山頂駅も望まれる。


 国道138号の東を平行する、石畳と杉並木の旧街道を進む。


 日本橋から24里となる葭原久保(よしはらくぼ)一里塚を通過し、恩賜箱根公園
に下った。

 駐車場の隅に、唱歌「箱根八里」の歌碑があるが、自然劣化で歌詞は読めない。
箱根関所資料館の横を通り、復元された箱根関所を、おとがめもなく通り抜ける。
早くも訪れた小学生の団体などで賑わっていた。


 国道に出て箱根町の中心街を進む。気温は9℃を示す。1910年からの歴史が見
られるという箱根駅伝ミュージアム前を通過、国道の直線部分が終わり、右手の旧
道へ。道路には、三島宿までの距離を示す箱根旧街道の標石が埋め込まれていた。


 箱根七福神の毘沙門天を祭る駒形神社の横から、車道を離れて再び箱根旧街道
に入った。


 箱根峠に向かう約400mには、向坂、赤石坂、釜石坂、風越坂の4つの坂が続く。

 「芦川の石仏群」と呼ばれる石仏や石塔が幾つも残り、中には箱根でもっとも古い
という、万治元年(1658)の庚申塔や、江戸後期の巡礼供養塔などがある。


 中ほどで国道を横断、さらに上がって箱根峠IC近くで国道へ。神奈川と静岡の県
境、標高840mの箱根峠を過ぎると、あとは三島宿に向かっての下りとなる。

 峠のすぐ先、箱根エコパーキングのそばに、「峠の地蔵」とも呼ぶ、新しい「新箱根
八里記念碑」が並び、向井千秋、黒柳徹子、橋田壽賀子、杉本苑子など、著名人の
言葉が刻まれていた。


 西側の、芦の湖カントリー方面への車道に入る。400mほど先の茨ヶ平(ばらがだ
いら)に、旧街道の案内板があり、江戸二十五里、京都百里を示す古い石標も立って
いた。


 そこから旧街道に入ると東屋があり、そばの笹やぶの一角に、井上靖の記した「北
斗闌干(らんかん)」と刻んだ石が立つ。季節外れかと思われるリンドウも咲いていた。


 しの竹がびっしりと茂り、トンネルのように覆われた間を下る。


 右から近づいた国道の急カーブ点に、接待茶屋の案内板があり、昭和45年
(1970)まで茶屋があったことが記されていた。

 国道の横を少し回ると、やや幅広い落ち葉道となり、道西坂絵地図がある。近くに
は徳川有恒公遺跡碑と、かぶとを伏せたような「かぶと石」↓があり、石畳道に変わ
り「明治天皇御小休趾」碑が続く。


 さらに下ると、旅の行き倒れを供養した念仏石というのがある。

 東海道四百年祭の広葉樹植林地あたりからは、前方の展望が開け、霞む天城連
山などが望まれる。

 来年は、あの近くを歩くことになるのだろうか…。   

 国道を横断した先からは、復元した石畳道となり、古い石畳より平らな石が多く、
歩きやすい。三島から上がってきたという世田谷のYさんと行き交う。Yさんは、江戸
五街道をすべて歩き、伊勢街道や大山(おおやま)街道も歩いたとのこと。 (続く)




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国際ウオーキングトレイル実踏②(仙石原~宮城野~元箱根)

2010-11-17 18:02:24 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年11月10日(水)
 
 2日目の今日も快晴、冷え込んだが風は治まった。7時半からの朝食を済ませ、
8時ちょうどに仙石原YHを出発する。

 国道138号に出て右折し、早川左岸沿いへ。ヴェネチアングラスの美術館という、
「箱根ガラスの森」のモミジが色鮮やか。


 周辺の別荘地も、よい彩りを見せる。

 俵石の「ネフティイン仙石原入口」の標識の横から旧道に入る。少し上がると標高
700m前後の等高線沿いとなり、車のほとんど通らぬ山腹の別荘地を抜ける静か
な道が続く。

 春山荘の別荘地を過ぎると、林道足柄幹線となるが、道は舗装されていて歩きや
すい。地形図上に碓氷峠と記されているが、峠らしいところは無く、平坦な道である。

 発電用送水管のすぐ手前の梅林に、碓氷梅園の石碑が立ち、そばに宮城野城跡
の説明板があった。少し先から見える、早川対岸の斜面の紅葉も見頃である。


 火打沢の木暮橋を渡り、東急箱根明神平別荘地の南側を回る。箱根の森小を過ぎ
ると、宮城野集落。早川の対岸に、小湧谷や丸山(960m)かと思われる山塊が近
づいてきた。


 周辺のモミジが、鮮烈な彩りを競っている。


 箱根老人ホームの先のカーブ点に、「早川渓谷自然探勝歩道」の案内図があり、川
の左岸近くへ下る道がついている。ここで出会った東京電力の検針員の女性と、話を
交わした後、探勝歩道に入った。

 林間の木の段をひとしきり下って行くと、早川の瀬音が聞こえるようになり、流れが
左カーブする地点に出た。

 滝があり、そのすぐ下は東京電力塔之沢発電所の取水口になっている。
 
 別の発電用送水管の下を通過し、500m㍍ほど進んで橋を渡ると、宮ノ下の旅館、
対星館の幾つかの建物の間を抜けるようになっている。


 すぐ先の斜面を少し上がったところには、大和屋ホテルの専用ロープウェイの駅が
あり、さらにジグザクの急坂を進むと、対星館別館に下りる専用ケーブルカーの横に
出て、国道138号まで上がったら、その乗り場があった。


 国道を西へ、宮ノ下簡易郵便局前を過ぎ、訪れた有名人の写真を展示している嶋
写真館の先から、「湯坂道」と呼ぶ浅間山から鷹巣山へのハイキングコースに入る。


 すぐ先の熊野神社に参拝して、小休止した。神社の石段の反対側には、「チェンバ
レンの王堂文庫跡」の説明板があり、その先を回って、箱根登山鉄道の踏切を渡る
と、浅間山への登山路が始まる。

 しばらくは、展望の利かない広葉樹林下の直登が続く。30分ほど上ると、富士見
台と呼ばれるところにブロック積みの東屋があり、富士山の上部や箱根の山塊が望
まれる。


 ブナなどの林をさらに進み、標高750m付近からは傾斜が緩んだ。

 小涌谷の千条(ちすじ)の滝からの道と合し、歩きやすくなった道を5分ほどで、南
面が開けた浅間山のピークの三差路に出た。


 標高は約800m。ベンチといすがあり、たくさんのススキの穂が微風に揺れ、南面
に、二子山(1,091m)に立つ数個のアンテナ塔が望まれる。


 ここで昼食をすることにして、その前に記念撮影をする。上り道では2人と行き交っ
たが、ここでは2組のグループが、あい前後して来た。

 その先は、緩やかな傾斜の歩きやすい道を下り、林道を横切る。少し上がると小田
原の町並みや海が見えてきた。間もなく、次のピークの鷹巣山(834m)である。
ベンチと「大日如来」の標石があるが、山頂の表示はない。

 ススキの間を緩やかに下り、左から来た湯坂道(鎌倉古道)と合してすぐに、国道
138号のカーブ点に出た。ビレジ箱根の先のカーブの手前から、芦之湯集落への旧
道に入る。

 国道の北側にある別荘地に上がると、「朝日ヶ丘旧石器遺跡」の石標が立っていた。
そばの「朝日弁天山遺跡」の説明板によれば、この丘陵の関東ローム層から、1万2、
3年前の黒曜石の石器が多数発見されたという。説明板の下には、その黒曜石が数
個、ガラス箱に納めて飾られていた。

 近くには、「あす宣言」のタイトルで、中曽根康弘、松坂康選書という誌の石碑や、
安永の頃(1772)の話を伝える「恩人碑」が立っていた。

 芦之湯集落の中ほどの三差路際に東屋があり、横にも中曽根康弘元首相の歌碑
がある。


 フラワーセンターのところで、国道138号に入る。


 上二子山の北西麓あたりが国道1号の最高地点で、874mの標識があった。

 すぐ先に、3基の五輪塔が並んでいる。俗称「曾我兄弟・虎御前の墓」と呼ばれ、
右の塔は、永仁3年(1295)に地蔵講中により建立されたという銘文があり、日本
最古の五輪塔だという。


 このあたりは、石仏や石塔群が多く、それらは国の指定史跡。国道に沿って左側
(東側)に続く遊歩道は、少し進むと国道の下をトンネルで抜けて右側に回る。

 出たところには、小さい石仏が幾つも刻まれた、「二十五菩薩」と呼ばれる磨崖仏
(まがいぶつ)と、多田満仲(ただみつなか)の墓と呼ばれる宝篋印塔(ほうきよう
いんとう)があった。

 ちなみに、多田満忠(913~97)は、清和源氏発展の礎を作ったことで知られる
武将とのこと。

 精進池のほとりに出て、いったん次のトンネルをくぐり、東側の六道地蔵と呼ぶ石
仏を見る。お堂があり、その正面に大きなお地蔵さんの磨崖仏が鎮座していた。

 池のほとりに戻り、さらに南に少しで、御殿風の建物があった。「元箱根石仏・石
塔群保存整備記念館」で、館内には、この周辺で発見された石仏や説明パネル、
案内図などが展示されていた。

 館の北面は大きなガラス張りになっていて、精進池が見晴らせる。


 記念館の駐車場の先で国道を横切り、東南に続くお玉ヶ池遊歩道へ。石段を少し
上がってからしばらくは下りとなり、樹間にお玉ヶ池が見えてきた。周囲を山に囲
まれ、静かなたたずまいを見せる。


 池の東側で車道に出て、急カーブを少し下ると、箱根旧街道の石畳道が横切って
いる。

 箱根旧街道は、江戸幕府が、今日通った浅間山~鷹巣山~芦之湯から元箱に至る
湯坂道を廃し、元和4年(1618)に作った箱根八里越えの街道。参勤交代の制度が
できて交通が盛んになり、詩歌や物語にも多く歌われ、現在は国史跡になっている。

 われわれもこの旧街道に入り、当時を思わせる石畳を踏んで元箱根に向かう。石は
不揃いでちょっと歩きにくいが、当時としては最新の舗装術だったのだろう。


 800mほど進んでお玉観音堂のそばに出て、別荘地を下り、16時前に、元箱根
の畑宿入口交差点に近い今日の宿、民宿元箱根ゲストハウスに入った。

 【コースタイム】仙石原YH8・00ー春山荘東端8・40ー碓氷梅園9・00~05ー箱根の
 森小9・47ー早川渓谷自然探索歩道降り口9・55~10・05ー対星館への橋10・32ー
 熊野神社11・05~15ー富士見台11・47~55ー浅間山(昼食)12・25~43ー鷹巣山
 13・12~15ー国道へ13・30ーあす宣言碑13・45ー芦之湯BS14・00~10ー箱根石仏
 ・石塔群保存整備記念館14・49~15・00ーお玉ヶ池15・23ー民宿元箱根ゲストハウ
 ス15・55

 (天気 快晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 関本、箱根、歩行地 箱根町、
 歩数 34,800、累積標高差 1,960㍍)
 
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国際ウオーキングトレイル実踏①(乙女峠~金時山~仙石原)

2010-11-15 22:55:35 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年11月9日(火)

 日本海から太平洋を結ぶ、外国の方にも歩いてもらえる国際的なトレイルをつくろ
うと、「やまさん」こと山浦正昭さんが10年がかりで計画している、「国際ウオーキン
グトレイル」、その8年目の後半になる16回目の実踏に参加した。

 12時に、JR御殿場線の御殿場駅に集合する。冬型の気圧配置となり、快晴だが
風が強い。駅のコンコースからは、これから歩く乙女峠から金時山への稜線がよく見
える。


 今日の参加者は、やまさんのほかに、さいたま市の I さん、横浜のDさん、それに
私の4人。

 予定では、御殿場駅からスタートすることにしていたが、日没が早いので、前泊して
いたやまさんが、午前中に乙女峠付近まで歩いており、その先からスタートすることに
した。

 13時10分発の箱根桃源台行き高速バスで、乙女峠バス停まで上がる。お陰で、
約6㎞、標高差350mを省くことができた。


 バス停のそばには、ふじみ茶屋があり、観光バスやマイカーで来た人が休んでいた。
標高は約800m、気温は11℃を示す。すぐ上の、乙女トンネルへの右カーブ点から、
左への「金時山登山口」の標識に従い林道に入る。

 5分ほどで、下から来た登山道に合し、乙女峠への山道へ。V字状の谷間やヒノキ
林の下、木の段の上り道などをジグザグに上って、標高1,005mの乙女峠に出た。


 周辺の広葉樹が色づき、展望台からは、富士山の大展望が得られる。

 記念撮影用のカメラを置く、木造の写真撮影台が珍しい。


 反対の南側は、仙石原(せんごくばら)や神山、大涌谷(おおわくだに)の白煙など
が一望できる。峠には、茶店だったらしい建物もあるが、閉鎖されていた。

 展望を楽しんでから、金時山への稜線に向かう。いったん下ったあと、長尾山へ向か
って展望のない上り道へ。平日にもかかわらず、反対側から下りてくるグループと次々
に行き交い、中には山ガールの姿も見られる。


 長尾山頂は広葉樹に囲まれていて、南面のわずかな展望以外は得られなかった。
やや急な下りを過ぎると、歩きやすい柔らかな土道となり、次のピークに上がる。


 南には、ゴルフ場の向こうに芦ノ湖が見えてきた。


 仙石原のススキの原の上に、大涌谷や神山の展望が、眼下には、今日の宿のある
仙石原の家並みが見下ろせる↓。


 そして、金時山から伸びる明神ヶ岳方面への登山路も望まれた。



 山頂の二つの小屋が近づき、そのピークに向かって上がり、箱根外輪山の最高峰、
標高1212.5mの金時山頂に着いた。私が最初に足柄峠から上ったのは、昭和31
年(1956)4月15日だから、もう54年も前になる。


 山頂は360度の展望で、富士山は裾野まで望まれる。神山や大涌谷とそれを囲む
箱根外輪山も一望できるが、風が強く吹き荒れていて寒い。


 山頂には、金時娘で知られる小見山妙子さんの「金時娘の茶屋」と、金太郎茶屋の
二つがある。

 金太郎茶屋には、登頂記録を記した木札が並び、最高は3,600回。松澤神奈川県
知事や、箱根町長と南足柄市長の、名誉登山者の札も中央に掲げられていた。

 南側の仙石原に向かう下山路へ。

 しばらくは急傾斜で石ころの多い道が続き、ストックを使い、ひざに負担のかからぬ
よう慎重に下る。斜面の紅葉が良い彩りを見せる。



 傾斜が緩み、右斜面の展望を楽しみながら進み、中ほどの矢倉沢峠に下った。うぐ
いす小屋の建物があるが今日は閉店している。ベンチもあるが、周囲は笹やぶに囲
まれていて展望はない。

 さらにジグザグ道を30分ほど下って、仙石原の家並みの上部に出た。紅葉が見頃
で、傾いてきた夕日に映える。


 金時山登山口バス停で国道138号に入った。周辺の色づくモミジを眺めながら進み、
仙石原交差点を右折し、中心街の中ほどにあった仙石原温泉旅館直営案内所に寄る。
しかし、土産品の販売コーナーが主で、たいした情報は得られなかった。

 今日の宿は夕食無しなので、元湯場の交差点際にあったローソンで弁当などを仕入
れる。


 ローソンのそばで、いま下りてきた金時山の残照を眺め、近くの箱根仙石原ユース
ホステルに16時40分に着いた。

【コースタイム】乙女峠バス停12・35ー乙女峠13・11~20ー長尾山13・40~49ー金時
 山14・28~43ー矢倉沢峠15・25~28ー金時登山口BS15・57ー箱根登山ハイヤー
 バス仙石原案内所16・15~20ー仙石原YH16・40

(天気 快晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 御殿場、関本、歩行地 静岡県御殿
 場市、神奈川県南足柄市、箱根町、歩数 14,200、累積標高差 1,230m)
コメント (2)
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国際ウオーキングトレイル実踏(河口湖駅~御殿場駅)④

2010-04-28 15:12:34 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年4月16日(金)
 ==山中湖平野から御殿場駅へ==
 
 目が覚めてカーテンを開け、外を見ると真っ白で、まだ降っている。屋根下に並
ぶ太いまきにも、数センチの雪が積もっていた。

 朝食は、ペンション手作りのパンをいただく。外の巣箱には、何種類かの小鳥が
次々にやってきて、えさをついばんでいる。


 ストーブで干した雨具を再び着用し、ペンションのご夫妻とワンちゃんに見送られ、
真冬の景色に向かって8時5分に出発した。


 山中湖畔まで下り、湖畔の道路を東に向かい、赤芝集落で湖畔の自転車道に
下った。山中湖の北東端を、寒々とした風景を眺めながら半円形に右に回り込む。


 平野の中心地に入り、郵便局のそばのコンビニで、昼食を仕入れる。周辺には、
テニスコートなど運動施設のある民宿が多く、かやぶき屋根の民家も何棟か残っ
ていた。


 再び湖畔に出て南へ少し進むと、「山中湖交流プラザきらら」がある。富士山と
山中湖の自然にふれる交流拠点として、山中湖村で運営する施設である。

 演奏会などに使われる大きなシアター棟、湿性花苑、テニスコート、原っぱなど
がある。管理棟に入り、観光パンフレットをもらう。係の人も、4月半ばにこのよう
な雪は、記憶がないという。湖畔に咲く桜も、寒さに震えていた。

 南側の交差点際で国道413号を離れ、三国峠に向かう。細い車道を少しで右折
すると、広葉樹林下の山道となる。

 積雪は10㎝に近いが、道ははっきりしている。林間を標高差60mくらい上がり、
車道に出た。二つ目のヘヤピンカーブ点が、「パノラマ台」と呼ぶ、富士山と山中湖
の展望台である。

 山中湖の向こうに、富士山や南アルプスが広がる富士山の代表的なビューポイン
トのようだが、今日は冬の装いの湖畔しか見えない。

 車の少ない車道を、等高線に近いルートで緩やかに上がり、標高1170mほどの
三国峠に着いた。山梨県と神奈川県の県境である。

 予定では山道を南へ、静岡県との3県の境の三国山に上がることにしていたが、
積雪も多いので、今日は車道を下ることにする。

 雪はしんしんと降り続き、あたりは一面、冬景色が広がる。三国山の北東側斜面
を下って、標高900mの明神峠へ。国際ウオーキングトレイルでは最後の県となる、
静岡県に入った。

 車道はここから90度近く右へカーブして、南に向かっての急降下となる。花咲く
桜にも冷たい雪が積もっていた。


 車道としてはかなりの急傾斜が続き、先頭のピッチも早まる。斜度の最高は下り
18%を示す。下るにつれてガスが濃く、一時は視界50m以下となる。

 さらに下ると雪が減り、最初の集落、中日向に入る前で雪は消えた。集落では、
シダレザクラやナノハナ、ハナモモなどが花盛り。


 明神峠入口バス停の三差路まで下り、近くの上野神明社の屋根下で昼食とする。
今日も気温は5℃以下か、休んでいると寒い。


 境内には、ツクバネガシの大木がどっしりと枝を広げて立つ。食事を終えた頃に
は雨も上がった。

 須川バス停の三差路で、県道394号へ。坂を上がって、富士小山工業団地を
抜ける。スマートな校舎の北郷中前を過ぎ、ソメイヨシノ咲く流れを横切り、国道
246号を地下道で通過した。


 古沢東交差点で県道150号を横断、躑躅(つつじ)川の先を東に回って、青竜
寺に入る。無住のようだが大きな本堂で、鐘楼になっている中門と山門との間は、
一面こけに覆われていた。


 再び雨模様となり、ポンチョを着ける。田園地帯を進んで御殿場集落の東を抜け、
北原の宝持院へ。

 ここも大きな本堂で、鐘楼横のシダレザクラが見ごろった。

 寺の背後に抜け、狭いのに車の交通量の多い車道を南に進み、14時50分に
JR御殿場線の御殿場駅にゴールした。

 2日間雨と雪のため、一部ルートを変更したが、予定どおり歩き終えることが出
来た。

 15時8分発国府津(こうづ)行き上り電車に乗り、松田で小田急線に乗り換え
て、帰途についた。

【コースタイム】コテージペンションまりも8・05ー平野・セブンイレブン8・55~
 9・05ー山中湖プラザ9・25~30ーパノラマ台10・00~05ー三国峠10・20~25
 ー明神峠11・00~05ー上野神明社(昼食)11・55~12・10ー須川バス停12・34ー
 北郡中前12・58ー青竜寺13・32~45ー等持院14・20~25ーJR御殿場駅14・50

(天気 雪後曇一時雨、距離 23㎞、累積標高差 約1,400m、地図(1/2.5万)
 御正体山、駿河小山、御殿場、歩行地 山中湖村、神奈川県山北町、静岡県
 小山町、御殿場市、歩数 37,800)
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国際ウオーキングトレイル実踏(河口湖駅~御殿場駅)③

2010-04-27 18:04:45 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2010年4月15日(木)
 ==忍野から山中湖平野へ==
 
 夜半からかなりの雨音を感じていたが、起きたらやはり雨。でも、雨音と思っ
たのは、宿の池に落ちる小さい滝の音だった。

 今日は、鳥居地峠から稜線を高座山、杓子山、鹿留山、立の塚峠、二十曲峠、
石割山を経て、山中湖畔に下る予定だった。

 でも、一日中雨の予報で気温も10度以下、稜線では積雪も予想されるので、
午前中は山ろくの忍野村の集落などを回り、二十曲峠以降を予定どおり進むこ
とにする。

 雨の完全装備をして、7時50分に鱒の家を出る。そばの駐車場のトイレは、
かやぶき屋根の建物だった。


 近くのコンビニで、昼食などを仕入れる。

 まずは、朝食前に、やまさんが雨の中回って見つけたというお勧めの道、桂川
沿いを昨日来た下流の方に戻ることにした。

 忍野八海のすぐ西には、流れに沿ってスイセンが咲く。


 右岸を進むと、釣りをしている人がいる。東京・八王子からよく通っているという
方で、このあたりはルアーフィッシングという擬餌針(ぎじばり)による釣りのメッ
カともいうべき釣り場らしい。その先でも何人かの釣り人が、糸を流していた。


 流量豊富で、きれいな流れの両岸は、芽吹き始めた広葉樹林が多く、緩やか
なカーブを描く自然堤防のままの、昔ながらの穏やかな流れが続いている。


 昨日休憩したさかな公園の先まで1㎞前後進み、橋のところで北側の車道に
上がる。広い自然公園のようなところに入ると、大きな建物があった。

 岡田紅葉写真美術館と小池邦夫絵手紙美術館の看板があり、開館は10時と
なっている。時刻は9時5分頃なので入館できないと思っていたら、玄関を空け
て、「入館できます」と声をかけてくれた。

 定刻より1時間近くも前に、開館してくれたことに感謝して入館し、岡田紅葉の
富士山のモノクローム時代からの写真と、絵手紙の第一人者、小池邦夫の絵手
紙の数々を観覧した。

 桂川沿いをコンビニのそばまで戻り、さらに忍草集落を東に、流れに沿って進
む。小さい花びらの桜があちこちにあり、冷たい雨に下を向いて咲いている。




 川沿いを離れて山すそに回り、ソメイヨシノが見ごろの東園寺へ。

 山門の2階が鐘楼になっていて、本堂の前も、ソメイヨシノに彩られていた。


 山すその道を東に進むと、蛇頭疫神社の由来が示されていたが、神社には寄ら
ずに通過する。

 忍草集落を東に抜け、畑作地帯を通過して忍野中の横から南に回り、忍野村役
場を訪ねる。窓口での対応はとおり一ぺんで、とりたてて新しい情報は得られな
かった。

 内野集落の三差路の角にあった、承天寺の本堂の屋根下を借りて昼食をする。
気温は5℃前後か、歩いているとさほど感じないが、食事中は手がかじかんで
寒い。


 役場前の通りの一本北の旧道を東に進む。「純手打渡辺うどん」の看板の前に、
車が何台も止まっていて、味が評判の店らしいことが知れる。

 何軒かの家の軒先に、見たことのない布製の飾り物が下がっていた。何のため
のものだろうか。


 集落を抜けて、田園地帯を東北に進み、カーブの続く車道を緩やかに上がり、二
十曲(にじゆうまがり)峠に着いた。標高は1150mほどあり、雨は雪に変わった。

 峠には水神様や山の神が祭られ、しっかりした休憩舎やトイレなどがあり、富士
山や忍野高原、アルプスなどの展望のよいところのようだが、今日はガスに煙り、
全く展望は得られない。


 稜線を南東へ、石割山に向かう道には雪が積もり始めて白くなり、枯れ枝には
樹氷がついている。

 送電線に沿ってゆっくりと上がり、4つ目の塔のところを右折すると、すぐ上が山
梨百名山の一つ、石割山頂。山頂はもっと上かと思っていたのが、拍子抜けの感
じだった。

 標高1412.5mの三等三角点があり、富士山の展望台のはずだが、雪で展望
は閉ざされていた。


 ここからは方角を南西に変えて稜線を下って行く。滑らぬよう注意して進むと、次
のピーク平尾山(1318m)は近い。草原の山頂は広く、ベンチが二つあった。

 下りは丸太の階段が続き、うっとうしい。さらに稜線を下り、芙蓉台別荘地の上部
に出た。別荘地に沿って鉄条網が張られているが、手前の東側を少し下がる切れ
目があって別荘地に入れた。

 等高線に沿ってくねくねと続く、別荘地内の道路を少しずつ下り、山中湖畔に近
い不動坂集落にある、コテージペンションまりもに、15時40分に着いた。

 食堂の温かいストーブの回りに濡れた雨具や靴などを干して乾かし、冷えた体
を円筒形のひのき風呂に入って温める。

 【コースタイム】鱒の家7・50ー岡田紅葉写真美術館9・05~10・00ー忍草・東園
 寺10・30~内野・承天寺(昼食)11・35~12・00ー二十曲峠13・15~30ー石割山
 14・10~20ー平尾山14・45~50ー芙蓉台団地上(稜線)14・58ー不動坂・コテージ
 ペンションまりも15・40

 (天気 雨後雪、距離 18㎞、累積標高差 約1,130m、地図(1/2.5万) 
  富士吉田、御正体山、歩行地 忍野村、山中湖村、歩数 32,200)
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国際ウオーキングトレイル実踏(河口湖駅~御殿場駅)②

2010-04-24 18:40:53 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 ==忍野八海を巡る== 

 4月14日(水)、第1日目を歩き終えて、宿泊する鱒の家に荷物を置いたあと、
近くの忍野八海(おしのはっかい)を巡ることにした。

 その昔、忍野盆地には旧忍野湖があり、富士山の噴火期を経て、徐々に富士
裾野と御坂(みさか)山系との間が水蝕され、掘削排水により湖は涸れたが、富
士山の伏流水に水源を発する湧水池が幾つか残り、その代表的な湧水が忍野
八海だという。

 現在、この周辺には、下の地図のように7つの池があり、このほかに、集落の
出口にあって最も大きな出口池を入れて、忍野八海と呼んでいる。


 江戸時代、古跡霊場として富士道者はこの池で水垢離(みずごり)して、富士山
に登ったという。

 現在の忍野八海は、「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)
など」の観点から、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定され、昭和60年
(1985)には、当時の環境庁により全国名水百選に選定されている。
 

 忍野八海の中かでも、湧水量と景観が随一の湧池↑↓。  


 忍野八海のある忍草(しぼくさ)集落には、かやぶき屋根の民家が幾つも残り、
観光客向けの店になっているものも多く、日本の原風景ともいえるたたずまいを
見せている。



 湧水の豊かな流れを利用した水車もあり、現在も脱穀に利用されている。


 これは、水車小屋の内部。


 池のほとりの桜は、まだ咲きはじめ。次の週が見ごろだろうか。


 このあたりはトウモロコシの産地のようで、観光客向けの店の店頭にはどこも、
トウモロコシがたくさん下がっていた。


 かやぶきの家と池と富士山は、忍野の代表的な景観。だが夕方の富士は逆光で、
写真を撮るにはちょっと残念な眺めだった。



 17時近くなり観光客は少なかったが、その中で中国人らしい観光客の多いの
が目についた。


 こちらは、公開していない一般の民家。


 直径9メートル、小川に流出している銚子池。



 忍野八海から湧出した水は、村内の水田地帯への供給や、水力発電に利用され、
また、桂川最上流の水源地として、遠く相模湾へ通じ、京浜地方の給水源としても
重要な役割を果たしているという。
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