2001年2月4日(日) 曇り
揚州、鎮江観光、蘇州泊
=痩西湖、大明寺、金山、北固山=
起床から出発まではきのうと同じ。今日の気温予想は3度~9度。
まず揚州市内観光に。出発前の揚州賓館の前庭。
揚州市は2,470年の歴史があり、唐代に発展、杜甫が「きれいな
町」とうたったとのこと。
人口60万人。一時は100万人いたが天南鉄道が揚州を外れたの
で衰退し、鉄道も空港もない。物資輸送は運河中心。姉妹都市は厚
木市と唐津市。大きな工業はなく、うるし、レーヨン、ギンナンなどが
産業。双子のアヒル卵でも有名という。
市街地で目に付くのがプラタナスの並木。日本のように真っ直ぐに
伸ばさず、3m前後の高さで枝を横に広げている。夏の日陰づくりの
ためかと思われる。この後回った各都市の市街地にも、たくさん見ら
れた。
まず痩西湖(そうせいこ)公園へ。ここが公園の入口。
長さ3㎞の細長い痩西湖は、秦代の皇帝の離宮(ホテル)。湖は途
中2か所で直角に曲がっている。
揚州はその名のとおりヤナギによい気候。ヤナギや枯れた落葉樹、
反りの多い青瓦の建物などが静かな湖面に映る。
その湖面を前後に龍を付けた赤や黄色の船体のきらびやかな観光
船が行く…。
いまは寒々とはしているが、中国ならではの風景である。
湖の中ほどに、1915年徐氏が作った庭、徐園がある。園内には、
1900年代の作、治水用の3トンの水が入る大きなかめ、800年前
の小金山の鍾乳石、1200年前の唐代に雷で割れたという太いイチ
ョウなどがあった。
上が3トン入るかめ、下が雷で割れたイチョウ。
その先、湖畔には秦の玄宗皇帝が釣りをしたという建物・釣魚台が
立つ。1757年に出来た、そり屋根の東屋が五つ建つ石橋は蓮華橋
と呼び、「三国一の橋」と言われるとか、見どころが多かった。
橋の横から車道に出てバスに乗る。そばの市場に市民がたくさん
集まり、生きたニワトリなど生活用品を求めていた。10分ほどで大明
寺(だいみょうじ)に着く。
大明寺は秦の時代に開かれ、鑑真和尚が10歳から56歳まで住職
だった寺。山門にはきらびやかな四天王が立つ。
大きな本堂(上)に金色の本尊、釈迦像を中心に薬師如来と阿弥陀
仏。周囲に十六羅漢が並ぶ。本尊の背は、孫悟空の伝説を彫り込ん
だ複雑な像になっている。
正月の参拝に来た人達は、30㎝くらいもある太い線香を手に捧げ、
体を90度に曲げて何度も拝礼する。座って拝礼するために変形の座
布団が並んでおり、この後回ったほかの寺にもあった。
本堂裏手は、日本から奉納された鑑真和尚の記念堂。規模は小さ
いが奈良の唐招提寺を模した造りである。
その先に、ビルマのラングーンから贈られた高さ70mの九重塔が
立つ(手前左は公衆電話)。
別の堂には、同じビルマからの大理石の寝釈迦像があった。
次は市内のうるし細工工場。うるし細工は漢の時代から揚州の伝
統。精巧できらびやかな家具、壺、食器などがたくさん並んでいた。
上は、うるし細工工場内の売店である。
昼食地に向かう途中の揚州市街。
〈続く〉
揚州、鎮江観光、蘇州泊
=痩西湖、大明寺、金山、北固山=
起床から出発まではきのうと同じ。今日の気温予想は3度~9度。
まず揚州市内観光に。出発前の揚州賓館の前庭。
揚州市は2,470年の歴史があり、唐代に発展、杜甫が「きれいな
町」とうたったとのこと。
人口60万人。一時は100万人いたが天南鉄道が揚州を外れたの
で衰退し、鉄道も空港もない。物資輸送は運河中心。姉妹都市は厚
木市と唐津市。大きな工業はなく、うるし、レーヨン、ギンナンなどが
産業。双子のアヒル卵でも有名という。
市街地で目に付くのがプラタナスの並木。日本のように真っ直ぐに
伸ばさず、3m前後の高さで枝を横に広げている。夏の日陰づくりの
ためかと思われる。この後回った各都市の市街地にも、たくさん見ら
れた。
まず痩西湖(そうせいこ)公園へ。ここが公園の入口。
長さ3㎞の細長い痩西湖は、秦代の皇帝の離宮(ホテル)。湖は途
中2か所で直角に曲がっている。
揚州はその名のとおりヤナギによい気候。ヤナギや枯れた落葉樹、
反りの多い青瓦の建物などが静かな湖面に映る。
その湖面を前後に龍を付けた赤や黄色の船体のきらびやかな観光
船が行く…。
いまは寒々とはしているが、中国ならではの風景である。
湖の中ほどに、1915年徐氏が作った庭、徐園がある。園内には、
1900年代の作、治水用の3トンの水が入る大きなかめ、800年前
の小金山の鍾乳石、1200年前の唐代に雷で割れたという太いイチ
ョウなどがあった。
上が3トン入るかめ、下が雷で割れたイチョウ。
その先、湖畔には秦の玄宗皇帝が釣りをしたという建物・釣魚台が
立つ。1757年に出来た、そり屋根の東屋が五つ建つ石橋は蓮華橋
と呼び、「三国一の橋」と言われるとか、見どころが多かった。
橋の横から車道に出てバスに乗る。そばの市場に市民がたくさん
集まり、生きたニワトリなど生活用品を求めていた。10分ほどで大明
寺(だいみょうじ)に着く。
大明寺は秦の時代に開かれ、鑑真和尚が10歳から56歳まで住職
だった寺。山門にはきらびやかな四天王が立つ。
大きな本堂(上)に金色の本尊、釈迦像を中心に薬師如来と阿弥陀
仏。周囲に十六羅漢が並ぶ。本尊の背は、孫悟空の伝説を彫り込ん
だ複雑な像になっている。
正月の参拝に来た人達は、30㎝くらいもある太い線香を手に捧げ、
体を90度に曲げて何度も拝礼する。座って拝礼するために変形の座
布団が並んでおり、この後回ったほかの寺にもあった。
本堂裏手は、日本から奉納された鑑真和尚の記念堂。規模は小さ
いが奈良の唐招提寺を模した造りである。
その先に、ビルマのラングーンから贈られた高さ70mの九重塔が
立つ(手前左は公衆電話)。
別の堂には、同じビルマからの大理石の寝釈迦像があった。
次は市内のうるし細工工場。うるし細工は漢の時代から揚州の伝
統。精巧できらびやかな家具、壺、食器などがたくさん並んでいた。
上は、うるし細工工場内の売店である。
昼食地に向かう途中の揚州市街。
〈続く〉