関東地方、今日は季節外れの台風20号の接近で、
冷たい雨となりました。この雨の中、カントリウオーク
の仲間は、福島県会津地方の廃線跡歩きに出かけて
います。
私は、用事が2,3あり不参加となりましたが、会津
でも雨の中を、歩いたのでしょうか。
そのレポートを報告することが出来ないので、同じ
ように一昨年の今ごろ歩いた、茨城県常陸太田市内
から日立市への廃線歩きを含めたカントリウオークに
ついて、紹介します。
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=常陸太田市内と、日立電鉄廃線跡を歩く=
2005年11月29日(土)
常陸太田市内の旧跡を巡る
JR大宮駅集合の14人は、8時41分発宇都宮線に
乗り、水戸線経由で水戸駅に11時29分に着く。
一方、常磐線組の7人は、上野駅9時10分発に上野
と柏から乗り、宇都宮駅11時13分着、全員が合流し、
JR水郡線常陸太田駅に12時47分に着いた。
予報では雨も心配されたが、雲は高目でどうやら持ち
そう。駅から北北西へ、西バイパスと呼ぶ車道を500m
ほど進み、県道61号から、山吹運動公園に隣接する
「そば越路」に入る。
県推奨銘柄の秋そばを、手刈り天日干しして石臼(い
しうす)で引き、1日12食限定という「常陸あきそば」、
今日の担当、Mさんが依頼して特に21食分用意して
もらった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/50/4316a046f6f0bdbea52d16b0d8646f09.jpg)
まずアルカリイオン水で香りをかいでから、つゆで味
あう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/54/e73046995ea4c0b4d9af49c53ffd033a.jpg)
歩く前なので、もう少し食べたかったが、限定品だけ
あり、十割そばの味には、みな満足した。
食べた終えた人から出発となり、早めの私は先発し
た。ひこばえの伸びた田んぼの間を進み、宮作集落
の手前を南東に向かう。
天神林町近くの林に「山寺水道」の碑があり、集落
には説明板が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/05/57ba341b1b38efa32c9c42c9b9208ced.jpg)
それによれば山寺水道は、寛文8年(1668)、水戸
藩主、徳川光圀(みつくに)の命で構築した用水、暗
渠(あんきょ)により水を集め岩樋をもって送り、延長
は2000mに及ぶ、当時としては類例のない工法で、
現在も近隣の農家を潤しているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/07/c3643331b5c4296c740a63d41fbd70e3.jpg)
ツリガネニンジンの咲く静かな集落、畑の間を抜け
ようとしたらキジが飛びだした。
県道61号に出てすぐ先の、坂東三十三番観音霊場、
佐竹寺に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/bb/7b5b6326c56e1b6a53a6c23f5b0f8e2f.jpg)
佐竹寺は、寛和元年(985)、花山天皇の勅願により
開山と伝えられる古寺。天文15年(1546)佐竹義昭
によりこの地に再建され、安全、厄除けの仏様として
巡拝者が絶えないとという。
りっぱな仁王門をくぐった正面に、かやぶき寄せ棟
造り、国宝の本堂がどっしりと構えている。
本堂前に童顔のお地蔵さんがたくさん並び、境内の
大イチョウにはギンナンがいっぱい色づいていた。
北側の民家の前に、古代米の黒米、赤米の無人ス
タンドがあり、1袋100円で売っている。健康食品なの
で、黒米を一つ買い求めた。
佐竹寺で9人に増えた一団が、もとの道を天神林町
の途中まで戻り、二つの三差路を西から北に進んで
白馬寺に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/78/37b39b142743c66b624817e0d9bb91f7.jpg)
かやぶきにトタンを被せた本堂。周囲に大きな木立
はなく開放的。サザンカが花を開き、ホトトギスもたく
さん咲いていた。庫裡(くり)の犬数匹が、にぎやかに
吠えたてる。
車の少ない2車線の車道を北へ、標識で右手の林
に上がって西山荘(せいざんそう)を目指す。広葉樹林
と赤松の混交林を行くが、なかなか出ない。
三差路を左に進むと、市営斎場横の車道に出た。
地図を確認、先ほどの三差路を右に行けばよいと
分かり、戻ってさらに三差路の先に進む。
再度三差路を左折したろうか、ふみ跡が細くなり
これも違うかと思ったら、下に遊歩道が見えた。
顔も埋まるほど伸びた熊笹の間をかき分けて遊歩
道に下った。ひと安心した同行のメンバー。
ここはもう西山荘。水戸藩主を退いた徳川光圀公
が元禄4年(1691)から亡くなるまでの10年間、
隠居生活を送った、かやぶき屋根の西山御殿と邸内
を回る。
谷間にある邸内は、松、モミジ、梅、ツツジなどの
豊かな木々と三つの池をめぐらしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/0d/338a3fac2bea563e472221c43eb0abd7.jpg)
現在の建物は文政2年(1819)の再建というが、草
の伸びたかやぶき屋根や土壁が周囲の木々に溶け
こみ、落ち着いたたたずまいを見せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/dd/68cb6d1bd673d2bc38b62e3e622fe0a7.jpg)
かやぶきの守護宅資料室で、ここで編纂(へんさん)
した「大日本史」原稿など黄門様ゆかりの資料を見て、
これもかやぶきの通用門を出た。
小さい流れ沿いに梅園の続く公園の東屋(あずまや)
で休憩、Sさんがいつものようにコーヒーを湧かして
くれた。
公園の出口では、水戸市から歩いてきた「水戸黄門
様漫遊ウオーク」の一行、数10人がゴールし、盛大な
歓迎を受けていた。
国道293号に向かう三差路に、寒桜が小さい花を
開いていた。次の三差路を右折、南に上がり、色づく
桜と芝生に覆われた西山公園に入る。
義公廟の前から急階段を下り、公園下を北に進ん
で、16時51分、今日の宿、まんだらじ旅館に着いた。
まんだらじ館の夕食メニュー。
(天気 曇り、歩行 21人、距離 8㎞、地図(1/2.5万)
常陸大田、歩行地 常陸太田市)