2022年7月26日(金)
一昨日だったか、NHK総合TV、夕方の首都圏ニュースでこの催しのことを知り、今
日の市内ウオーキングで観覧に出かけることにした。
西武新宿線の航空公園駅の連絡通路を西口から東口に回り、所沢市役所や警察署前を過
ぎる。警察署の先の交差点で北東側の歩道に移り、ケヤキ並木の続く歩道をさらに進む。
会場の所沢市生涯学習推進センターには11時06分頃着いた。
企画展「戦争の時代を生きた市民 1931-1945」の会場は3階の企画展示室と常設展示
室。まずは第1会場の企画展示室へ。
以下は、もらったリーフレットに記されていた、この企画展の開催主旨
『現代を生きる私たちにとって、「戦争」は非日常的ですが、今からほんの数十年前の所
沢に住んでいた人たちは、戦争のさなかに日常を暮らしていました。
写真や様々な資料をとおして、かつてここに住んでいた人たちが、どのように戦争の時
代を生きたのかを探ります。』
企画展示室では、「戦争の時代の所沢」、「兵士として戦地へ行った市民」、「画家・
新井勝利が見た戦争」の3つのテーマに分けての展示が。
会場を反時計方向に一巡することにした。「撮影禁止」の表示された写真以外は撮影可
能だったので、目についた展示のいくつかを。
額に入っているものは、ガラスが反射して見にくいので、位置を変えたりして撮ったが、
一部反射光が入ってしまうものがあり、ご了承下さい。
このような「陸軍用地」標石は、所沢駅西口からプロペ通り、ファルマン通りを経て、
西武新宿線のガード下を過ぎて西新井町交差点に向かう途中の右手(東側)、消防団の建
物付近に残っていたのを見たことがある。近く通ったときに再確認してみたい。
故 小山吉蔵(こやまきちぞう)さんの関係資料のいろいろ
次は、故 三上喜一(みかみきいち)さん関係のコーナー。
市内ゆかりの日本画家・故 新井勝利(あらいかつとし)さん関連の資料。
同氏が従軍先の海軍の航空機などの模様を描いた貴重な日本画も何点か。
これらが企画展示室に展示されていたもの。
次に、廊下の奥の第2会場である常設展示室へ。こちらでは「銃後の暮らし」に関係す
るものが展示されていた。
愛国夫人双六(すごろく)は、1934(昭和9)年に社団法人愛国婦人会の発行。双
六で学びながら、少女達が「愛国夫人」としてのあるべき姿を学べるようになっている。
上の双六の中央部をアップ
大日本国防婦人会会歌のレコード(昭和15年11月発売?)。陸軍戸山学校軍楽隊作
曲、歌は藤山一郎と渡辺はま子、コロムビアレコード発売のもの。B面には、二葉あき子
と菊池章子が歌う「起てよよ女性」が収録されているという。
帰宅後調べたら、You Tube にもアップされていた。こちらで聞くことができる。
砂糖の割当量は1人あたり0.5斤(きん)、家族数の多い家では割り当て量を前期と
後期に分割して購入するようになっていたようだ。(1斤は600グラム)
国民服(合着)
衣料切符(甲)
投砂弾
高さ約25㎝の素焼きの陶器に砂ヶ詰まっていて、これを炎に向かって投げ込むことで
陶器が割れ、中から飛び出した砂で消火する仕組み。上部に「信240」の刻印、紙ラベ
ルに「シガラキ」とあることから、滋賀県・信楽焼の製品らしい。
最後に、来場者アンケート「わたしの戦争体験」を張り出すパネルがあるが、まだ記入
したものは貼ってなかった。
入口際にそのアンケートの記入用紙があったので、私も記入して11時45分頃退出し、
生涯学習センターを後にした。
ちなみに私の戦争体験というと、終戦時は国民学校(現在の小学校)低学年だったのと、
埼玉県中央部の寒村(現在の小川町)に住んでいたのであまり覚えていることはない。
終戦前日の深夜(8月15日早暁)、北東約12㎞ほどの熊谷市街が米軍の空襲を受け
て、その燃える火で東の空が赤かったこと、終戦当日正午からの天皇陛下の放送は、隣の
家のラジオで聞いたが、雑音で何を言っているのか分からなかったことぐらい。
戦時中唯一の国葬だった、山本五十六連合艦隊司令長官の国葬当日には、国民学校の校
庭で参列したことも、かすかに思い出した。
それにしても、ロシア軍がウクライナに戦争を仕掛けてからもう半年、いつになったら
終結するのだろうか。ウクライナに、そして世界中に、平和で安穏の日が1日も早く到来
することを切に祈るばかり。
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一昨日だったか、NHK総合TV、夕方の首都圏ニュースでこの催しのことを知り、今
日の市内ウオーキングで観覧に出かけることにした。
西武新宿線の航空公園駅の連絡通路を西口から東口に回り、所沢市役所や警察署前を過
ぎる。警察署の先の交差点で北東側の歩道に移り、ケヤキ並木の続く歩道をさらに進む。
会場の所沢市生涯学習推進センターには11時06分頃着いた。
企画展「戦争の時代を生きた市民 1931-1945」の会場は3階の企画展示室と常設展示
室。まずは第1会場の企画展示室へ。
以下は、もらったリーフレットに記されていた、この企画展の開催主旨
『現代を生きる私たちにとって、「戦争」は非日常的ですが、今からほんの数十年前の所
沢に住んでいた人たちは、戦争のさなかに日常を暮らしていました。
写真や様々な資料をとおして、かつてここに住んでいた人たちが、どのように戦争の時
代を生きたのかを探ります。』
企画展示室では、「戦争の時代の所沢」、「兵士として戦地へ行った市民」、「画家・
新井勝利が見た戦争」の3つのテーマに分けての展示が。
会場を反時計方向に一巡することにした。「撮影禁止」の表示された写真以外は撮影可
能だったので、目についた展示のいくつかを。
額に入っているものは、ガラスが反射して見にくいので、位置を変えたりして撮ったが、
一部反射光が入ってしまうものがあり、ご了承下さい。
このような「陸軍用地」標石は、所沢駅西口からプロペ通り、ファルマン通りを経て、
西武新宿線のガード下を過ぎて西新井町交差点に向かう途中の右手(東側)、消防団の建
物付近に残っていたのを見たことがある。近く通ったときに再確認してみたい。
故 小山吉蔵(こやまきちぞう)さんの関係資料のいろいろ
次は、故 三上喜一(みかみきいち)さん関係のコーナー。
市内ゆかりの日本画家・故 新井勝利(あらいかつとし)さん関連の資料。
同氏が従軍先の海軍の航空機などの模様を描いた貴重な日本画も何点か。
これらが企画展示室に展示されていたもの。
次に、廊下の奥の第2会場である常設展示室へ。こちらでは「銃後の暮らし」に関係す
るものが展示されていた。
愛国夫人双六(すごろく)は、1934(昭和9)年に社団法人愛国婦人会の発行。双
六で学びながら、少女達が「愛国夫人」としてのあるべき姿を学べるようになっている。
上の双六の中央部をアップ
大日本国防婦人会会歌のレコード(昭和15年11月発売?)。陸軍戸山学校軍楽隊作
曲、歌は藤山一郎と渡辺はま子、コロムビアレコード発売のもの。B面には、二葉あき子
と菊池章子が歌う「起てよよ女性」が収録されているという。
帰宅後調べたら、You Tube にもアップされていた。こちらで聞くことができる。
砂糖の割当量は1人あたり0.5斤(きん)、家族数の多い家では割り当て量を前期と
後期に分割して購入するようになっていたようだ。(1斤は600グラム)
国民服(合着)
衣料切符(甲)
投砂弾
高さ約25㎝の素焼きの陶器に砂ヶ詰まっていて、これを炎に向かって投げ込むことで
陶器が割れ、中から飛び出した砂で消火する仕組み。上部に「信240」の刻印、紙ラベ
ルに「シガラキ」とあることから、滋賀県・信楽焼の製品らしい。
最後に、来場者アンケート「わたしの戦争体験」を張り出すパネルがあるが、まだ記入
したものは貼ってなかった。
入口際にそのアンケートの記入用紙があったので、私も記入して11時45分頃退出し、
生涯学習センターを後にした。
ちなみに私の戦争体験というと、終戦時は国民学校(現在の小学校)低学年だったのと、
埼玉県中央部の寒村(現在の小川町)に住んでいたのであまり覚えていることはない。
終戦前日の深夜(8月15日早暁)、北東約12㎞ほどの熊谷市街が米軍の空襲を受け
て、その燃える火で東の空が赤かったこと、終戦当日正午からの天皇陛下の放送は、隣の
家のラジオで聞いたが、雑音で何を言っているのか分からなかったことぐらい。
戦時中唯一の国葬だった、山本五十六連合艦隊司令長官の国葬当日には、国民学校の校
庭で参列したことも、かすかに思い出した。
それにしても、ロシア軍がウクライナに戦争を仕掛けてからもう半年、いつになったら
終結するのだろうか。ウクライナに、そして世界中に、平和で安穏の日が1日も早く到来
することを切に祈るばかり。
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