あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路のお礼参りに高野山へ(第2日)(和歌山)

2012-04-25 22:24:19 | 3度目の四国遍路
 2012年4月21日(土) 晴

 == 大門から奥の院参道まで ==
 
 高野山の宿坊、西禅院にて6時起床、雨の予報が外れて、青空が広がっていた。6時半
から本堂でのお勤めに、ほかの6人ほどの宿泊者と参加する。今日は弘法大師の入定日
(命日)だからか勤行(ごんぎよう)は長めで、45分くらい続いた。そのあとご住職か
ら昨年続いた自然災害のことを中心にお話があった。

 部屋に戻って7時半頃朝食をいただき、8時過ぎに部屋を出る。庭園の拝観をお願いし
たところ、案内してもらえるという。

 玄関に近い主な部屋や本堂などを案内していただき、当院が親鸞聖人が修行された古跡
坊であることや、松下幸之助ゆかりの寺でもあることを知る。幸之助氏が長期滞在したと
いう部屋にも入らせてもらった。


 その部屋や隣接の部屋からは、国の登録記念物になっている、昭和の作庭家、重森三玲
(しげもりみれい)が造った庭園が眺められ、それらについても説明していただいた。

 ゆっくり拝観して、8時40分過ぎに宿坊西禅院を後にする。


 まずは西に向かい、高野山専修学院前からトンネルを南に抜け、堂々と構える大門(だ
いもん)へ。

 高さ25.1mの大門は高野山の総門。現在の建物は宝永2年(1705)の再建だと
いう。両脇に大きな金剛力士像が立っていた。

 バス通りを東に向かい、西禅院の南側に広がる壇上伽藍(だんじようがらん)に行く。
弘法大師が高野山で最初に造営した聖地。天保14年(1843)に焼失後、礎石だけだ
ったところに再建中の中門(ちゆうもん)の横から入る。

 広い伽藍内には、15以上の堂塔が立ち並んでいるが、最初にその中心にある金堂を拝
観する。

 金堂は高野山一山の総本堂で、現在のお堂は昭和7年(1932)の再建。高村光雲作
の本尊・薬師如来に拝礼し、堂内を一巡した。

 金堂の右手背後に朱塗り色鮮やかな根本大塔(こんぽんだいとう)が立ち、ここも拝観
できるので入る。

 高さは48.5m、内部には胎蔵界大日如来を本尊として、金剛界四仏が安置され、周
囲16本の柱には、堂本印象画伯が描いた十六菩薩を配す。現在の建物は、昭和12年
(1937)の再建という。


 その後、御影堂(みえどう)、三鈷(さんこ)の松、西塔、山王院、鐘楼、御社(みや
しろ)、愛染堂、大会堂(だいえどう)、国宝の不動堂、西行桜、三昧堂(さんまいどう)、
東塔などを巡る。蓮池の横から壇上伽藍を出た。


 次に、道路を隔てて南東にある高野山霊宝館に行く。


 高野山に残る国宝や重文、県文化財などを保管し公開しており、入館して弘法大師座像
や多くの仏像、書画などを拝観する。


 ちなみに、コンクリート造りのように見える本館は、日本最古の木造博物館建築で、国
の登録有形文化財になっている。

 霊宝館を出て大師教会の前を回り、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺へ。道路際の
ソメイヨシノがようやく五分咲きくらい。


 金剛峯寺は、文禄2年(1593)、豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立。現在の建物
は文久3年(1863)に再建されたもの。檜皮葺(ひわだぶき)屋根の山門から入り、
高野山高校生が清掃奉仕をしていた広い堂内に入り拝観する。




 玄関を入ったところに、大きな高野杉(こうやすぎ)の輪片が置かれている。


 秀吉に追放された秀次が自刃を命じられた柳の間、500余坪あり石庭としてはわが国
最大の庭である蟠龍庭(ばんりゆうてい)、ふすま絵の素晴らしい別殿内部、天皇や上皇
の応接間で会ったという上壇の間などを拝観し、大広間でお茶と菓子をいただく。






 台所にも回り、3個で一度に2石、2千人分のご飯が作れるという二石釜(にこくがま)
などを見る。


 納経所に戻り、四国遍路の納経帳に御朱印をいただき、金剛峯寺を後にした。

 高野山の町並みの中心である千手院前交差点際にある、観光協会中央案内所のコインロ
ッカーに荷物を預け、奥の院に向かう。


 土産店や宿坊などが続く通りにあった食堂で遅い昼食をする。今日は気温が上がり暖か
く、付近のソメイヨシノも、2、3日後には見ごろになりそう。


 初回のお礼参りの際に宿泊した恵光院のそばにある、朱塗りの苅萱堂(かるかやどう)
に参拝後、堂内を一巡して周囲に掲げられた絵と説明文を見る。


 絵は、親子の名乗りをあげられないまま修行に明け暮れたという刈萱童心と石童丸との、
悲しい物語が描かれていた。



 そばの宿坊、赤松院の門前に咲き出したシダレザクラや、隣の大きな宿坊、清浄心院の
新緑を眺めながら進み、奥の院の入り口である一の橋を渡る。



 大きな杉木立の下に古い五輪塔の並ぶ墓地が続く。まず仙台伊達家、加賀前田家墓所が
目につき、近くに司馬遼太郎文学碑↓があった。



 さらに曾我兄弟供養塔、薩摩島津家墓所↑、山口毛利家墓所↓、武田信玄勝頼墓所前な
どを通過、弘法大師御こしかけ石というのもある。



 大きな五輪塔の伊達政宗墓所↑や、石田三成墓所などの前を通過、奥の院のほぼ中間に
なる中の橋際には、市川団十郎墓所、汗かき地蔵と姿見の井戸があった。


 昨日参拝したところまで進み、新しい阪神淡路大震災物故者慰霊碑のある英霊殿近くの
新しい参道から、中の橋案内所まで戻る。14時半になったので、そろそろ高野山を去る
ことにする。

 昨日も乗った奥の院バス停から、千手院前バス停までバスに乗る。コインロッカーの荷
物を出して次のバスで高野山駅まで行き、ケーブルで極楽橋駅へ下る。

 急ぎ特急券を求め、15時30分発南海高野線特急に乗った。


 新今宮駅からJR大阪環状線に乗り換え、大阪駅から東海道本線上り新快速で京都駅へ。
北口の地下街で夕食を済ませ、山陰本線で一つ目の丹波口駅で下車し、今日の宿である東
横イン京都五条大宮に19時過ぎに入った。



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四国遍路のお礼参りに高野山へ(第1日)(和歌山)

2012-04-23 16:31:43 | 3度目の四国遍路
 2012年4月20日(金) 曇

 東日本大震災直後の昨年(2012年)3月13日(日)に3度目の四国遍路を結願し、
翌14日には別格霊場二十番大瀧寺にも参り、別格霊場の結願も済ませることができたが、
高野山(こうやさん)へのお礼参りをせずに帰宅したので、改めて高野山詣でをすることに
した。

 前2回のときのお礼参りは、南海高野線の九度山(くどやま)駅から真田幸村ゆかりの慈
尊院を経て、高野山町石道(ちよういしみち)を歩いて上がったのだが、今回は連れ合いが
同行したので、交通機関を利用して高野山に向かう。

 == 高野山奥の院に参拝 ==
 
 7時過ぎに自宅を出て、東京駅9時3分発の新幹線ひかり465号で新大阪まで行く。大
阪環状線の新今宮(しんいまみや)から、13時2分発南海高野線の快速急行に乗る。


 橋本から先は「こうや花街道」と呼ぶようになったようで、各駅の駅名標は新しくなって
いた。


 橋本市に接する九度山町(くどやまちよう)は柿の特産地。高度の上がった下古沢(しも
こさわ)駅付近から見下ろす集落にも、急斜面に柿畑が望まれる。



 終点の極楽橋駅から30度を超すという急勾配を上がる200人乗りの大型ケーブルカー
に乗り、5分で高野山駅へ。


 駅の気温は13℃で、この時期としては低い。


 さらにバスを利用して15時10分頃、終点の奥の院前バス停に着いた。

 予報では雨だったが、幸い雨は止んでいた。バス停近くの中の橋会館のコインロッカーに
荷物を預け、奥の院参道の東側に平行する参道を高野山奥の院に向かう。



 こちらの参道には新しい墓地が並び、近畿周辺の企業の墓地などが多い。英霊殿の近くか
ら、中の橋からの中心の参道に入った。


 背の高い老杉の間にこけむしたりっぱな五輪塔が並ぶ。加賀前田家や安芸浅野家供養塔、
法然上人墓所などの先に、徳川家康の二男、秀康の石廟がある。


 徳川秀康石廟↓



 肥前島原松平家墓所前を過ぎると、秀吉とその母、弟秀長など豊臣家一族の墓所が、さら
に先には織田信長の墓所があった。






 水向地蔵の並ぶ御廟橋の先は、弘法大師御廟のある奥の院。


 ここからは写真撮影禁止で、脱帽してお参りをする。弘法大師御廟前で般若心経を唱え、
無事四国遍路が結願できたことに感謝し参拝する。

 中の橋案内所のところまで戻り、奥の院バス停からバスで千手院橋バス停まで乗る。壇上
伽藍(だんじょうがらん)の御影堂(みえどう)北側にある西禅院宿坊に16時42分に着
いた。この宿坊は、前回に続き2度目の宿泊になる。


 予約した部屋は2階、宿泊者が少ないからか、ふすま仕切りの2部屋を用意してあった。
4年前泊まったときにはなかった、液晶テレビもある。夕食は18時から、二つの膳に盛ら
れた精進料理を美味しく頂いた。


 この日は、部屋にも石油ストーブが必要なくらいに冷え込んだ。でも、宿坊の若いお坊さ
んが、就床前に小さめの湯たんぽを届けてくれた。

 おかげで、暖かく眠りにつくことができた。



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3度目の四国遍路(後編)・(香川その7・完)

2011-05-14 21:19:30 | 3度目の四国遍路
 間(あいだ)に、最近のウオーキングの模様を入れたため遅れましたが、今回の四国遍路
最終日のレポートをご覧いただくことにします。

======================================

 第19日 2011年3月14日(月)
 =別格20番大瀧寺=

 5時40分起床、昨夜作ってもらったおにぎり弁当(二つだが大きい)を食べ、不要な荷物は
預けて6時40分に樺川荘本館を出た。


 ウグイスやキジの鳴く里を眺めながら、上俵北川沿いの県道106号を進む。さぬき温泉の
建物↓を過ぎると、人家が途切れる。


 三つの橋を渡り返し、さらに左岸沿いを少しずつ上がる。


 町道野田大相線を左に分け、緩いヘヤピンカーブの続くところには、カーブごとに住宅が並
び、合わせて10戸ほどあった。

 高度が上がると展望が開けた場所があり、通過してきた民家や谷間が見晴らせる。


 旅館を出てからずっと歩き続けたので、道路の右手斜面にコンクリート片が10個余り積ま
れたところで小休止した。さらに上がったT字路に、↓「六角堂」と呼ぶ若者の集いの家があり、
その三差路を左に折れる。



 稜線沿いとなり、西側の斜面に点在する集落を見下ろし、緩やかに上り下りしながら進み、林
道が上がってきたところに合流した。


 少し遠方の山並みも望まれるようになり、雪の残る山も見える。


 その先の日陰には、道路上に雪が残っていた。


 徳島県美馬市との県境、標高920mのピークから少し下って、別格霊場20番の大瀧寺に着い
た。霊場の標高としては、八十八か所の最高地、66番雲辺寺と同じ910mにある。

 本堂↑はさほど大きくはなく、大師堂と納経所は、改築して間もない民家風の建物。納経所で、
ご住職から「おーいお茶」のボトルと、まんじゅう二つをお接待いただいた。


 納経所の上に、別格霊場二十寺の証明書が掲げてあった。聞くと、いただくには2千円だという。
そばにあった東北関東大地震の義援金箱に、ささやかながら募金する。


 境内からは、南下に吉野川中流域が見下ろせ、南西には残雪の山並みも見える。


 すぐに下山にかかったが、林道への分岐で、帰路は右に少し上がるのを忘れていた。そのまま
林道を30分ほど下ってから、往路の六角堂に着かず、おかしいと気づく。

 路傍の電柱番号を見たら、林道を下った集落を示す名前と知り、がく然とする。急ぎ分岐まで
戻ったが、約1時間のロスタイムとなる。

 分岐点で右側(上の写真では左側)を見ずに、自然の流れの方向に向かってしまったのが誤りの
原因。別格を含めすべて結願した後の気の緩みだろうか…。こんな誤りは、3度の遍路でも初めて
のこと。良い戒めになった。


 往路の県道に入ると、下りが続くので楽だが、1時間のロスで急ぎ、気疲れした。往路で休んだ
ところで正午を過ぎたので、ご住職にいただいたまんじゅうを、口に入れて昼食代わりとする。


 宿に14時までに戻れば、レストランが開いていると聞いていたが、間に合いそうにないので、昼
食はあきらめて下る。

 樺川荘本館には、14時20分に戻った。ちょうどオーナーが塩江町まで行くところで、自家用車に
便乗させてもらえるという。車で5分ほどの「道の駅しおのえ」まで、送っていただいた。

 お陰で、今日中に帰宅できる予定の、高松駅行きバスに乗れそう。道の駅で土産を買い、近くの
塩江郵便局で、衣類やずだ袋などをゆうパックにして発送する。


 15時30分発高松駅行き琴電バスは、途中で3、4人しか乗車せず、経営は厳しそう。16時32
分に高松駅に着いた。

 みどりの窓口でジパング倶楽部の割引切符を購入し、16時40分発の快速マリンライナーに間
に合う。お陰で、岡山駅でも時間の余裕がとれ、18時20分発の新幹線ひかりに乗る。

 このひかり号は岡山発の最終便なので、途中駅からの乗客は少なく、がらがらの自由席2号車。
22時40分に東京駅に着き、日付が変わる頃に帰宅した。

 【コースタイム】樺川荘本館6・40ー橋(15・8㎞点)7・15ーヘヤピンカーブ下(18・8㎞点)8・05ー
  六角堂近く9・02~08ー六角堂9・25ー別格20番大瀧寺10・03~25ー誤った六甲天満原林道
  から折返し11・07ー林道への三差路11・14ー六角堂の先(往路休憩点)12・14~25ー町道野田
  大相線分岐13・15ー橋(15・8㎞点)13・48ー樺川荘本館14・20
 
 (天気 晴、距離 22㎞、歩行地 高松市、徳島県美馬市、歩数 43,500、遍路地図 106ー2)

        【完】


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3度目の四国遍路(後編)・香川その6

2011-05-02 21:42:10 | 3度目の四国遍路
 第18日 2011年3月13日(日)
 =88番大窪寺に結願=

 5時50分に起床、6時15分に朝食をする。宿のご主人に見送られ、7時ちょうどに民宿
ながお路を後にした。

 県道3号を南に向かう。風もなく穏やかな日和だが、霜が降りていて草は白い。宿から1.5
㎞ほどの宗林寺の入口に、「弁慶の馬の墓」の石標が立ち、句碑も並んでいる。



 行く手に、山並みが屏風のように並び立つ。今日上がる女体山はどの辺りなのだろうか。
民家の庭先に、マンサクが咲いていた。


 塚原交差点から、県道の東に平行する旧道へ。さぬき市内には、歴史的な遺跡などに説明
板があり、ウオーキングコースも設定されていて、コース標識もある。


 無人の寺か、一心庵にもその説明板の一つがあった。付近でウグイスが、気持ちよさそうに
鳴く。

 再び県道に合するところに、高さ4m余りの「高地蔵」があり、そばに、馬車などに使われて
いて死んだ馬を供養した、馬の墓もあった。



 再度旧道に入り、路傍に無造作に古い石仏の並ぶ一角を通過する。間もなく県道に戻り、
前山ダムに向かって高度を上げる。


 前山小の先で左折して、「前山お遍路交流サロン」に、先発の川越市のOさんに続いて入
った。


 お茶とお菓子のお接待をいただき、歩き遍路が申請すればもらえる「四国遍路大使任命
書」の、第1598号をいただいた。さらに、四国遍路に関するさまざまな資料が並ぶ、館内
を観覧した。


 ゆっくり過ごした交流サロンを出て、道路を隔ててすぐ前にある、「道の駅ながお」で、小
さめの(それしか無かった)弁当を購入する。


 水の少ない前山ダムの上流から、来栖(くるす)橋を渡って谷間の道に入る。気温が上が
って暖かくなったので、前回昼食をした譲波公民館で、厚手のシャツを脱いだ。


 一枚岩の続く流れのほとりを通過して、山道となる。しばらくあえぎながらも、ゆっくりと上り、
峠から少し下って「太郎兵衛」の説明板の付近で車道に出た。


 車道を少し進むと女体山への標識があり、石段の上りとなる。さらに木の段などの急斜面
を、息が弾まぬペースで上り、一度車道を横断する。

 途中で、香川県内を逆打ちしているという男性に、生黒飴を4ついただいたので、なめなが
ら山頂を目指した。


 その先も木の段が多く、崩壊か所には、急階段が設けられている。最後は木の根や急な
石段があり、手足をフルに使って、標高740mの女体山山頂に着いた。

 小さいほこらが置かれ、西側の展望が得られるが、霞んでいて遠望は利かない。山頂の
標柱の立つところには、東屋(あずまや)がある。


 下りも、急な木の段などがあり、ストックをフルに使って下る。


 途中、展望の開けたところで周囲を眺め、88番大窪寺に入った。

 昨年2月19日(金)に1番霊山寺(りょうぜんじ)を出発して、1年1か月近くで無事結願(け
ちがん)することができた。3度目なので特段の感慨はない。腰痛に悩まされながらも歩き終
えられ、やれやれという感じだ。


 先着の川越市のOさん、昨日、一昨日会ったヒゲの別のOさん、それに、途中で会ったもう
一人の男性と、お互いの結願を祝いあう。

 3人は、13時半発のさぬき市のコミュニティバスで、志度駅に下るとのこと。私は、ベンチ
で昼食をすることにして分かれる。

 13時に大窪寺を出て、旧道を竹屋敷に下る。徳島県美馬市との県境に近い旧道に入って、
車の少ない山間を西に向かう。


 静かな谷間を抜けて、力石バス停そばで右からの車道と合した。近くに、その名の起こり、
弁慶が持ち上げたという力石が、記念碑の横に並んでいた。


 汗ばむ体に、気持ちよいそよ風を感じながら進み、長谷で国道193号へ。こちらは、歩道
が無いが高速で通過する車が結構あり、右の側道も狭いので注意して進む。気温は15度を
示し暖かい。

 昼食が少な目だったので、宿にあと1㎞ほどのところの、うどん阿讃亭に入り、軽くそばを食
べる。


 16時45分に、樺川荘本館に着いた。予想外の10階建ての大きな建物。四国遍路宿では
初めての、私の名を記した歓迎札も下がっていた。大浴場は、温泉でツルツルして気持ちよい。

 洗濯機を借りて、食事中に洗濯をする。明日は早出したいので、朝食はおにぎりにしてもらう
ことにして、支払いも済ませた。

 【コースタイム】民宿ながお路7・00ー一心庵7・40ー前山お遍路交流サロン8・21~55ー道の
  駅ながお8・56~9・02ー譲波公民館9・35~45ー車道へ(太郎兵衛館)10・35ー胎蔵峰11・30
  ~36ー88番大窪寺(結願)12・16~13・00ー竹屋敷BS13・41ー力石BS14・15ー近くで休憩
  14・19~25ー末広商店14・50ー三水分岐15・45ーうどん阿讃亭16・11~25ー樺川荘本館
  16・42

 (天気 晴、距離 26㎞、歩行地 さぬき市、三木町、高松市、歩数 42,700、遍路地図
  84ー1、106ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・香川その5

2011-05-01 18:20:15 | 3度目の四国遍路
 第17日 2011年3月12日(土)
 =84番屋島寺~87番長尾寺=

 6時起床、6時30分から朝食をして、7時25分に東横イン中新町を出発した。

 高松市街を東に進み、国道11号に入る。以前より車が少ないと思ったが、今日は土曜日だと
分かり納得する。


 国道で渡る三つ目の川、春日川の橋からは、屋島が一望できる。


 琴電の潟元(かたもと)駅のそばから、目の前に見える屋島に向かう。上り道にかかると、市民
ウオーカーが次々に上り下りしてきて、挨拶を交わす。高度が上がり、樹間から高松市街の展望
が広がる。



 加持水(かじすい)や不喰梨(くわずのなし)↑など、弘法大師ゆかりの旧跡を通過し、標高284m
の屋島山上にある84番屋島寺(やしまじ)に上がった。

 二つの山門をくぐり、正面の本堂と右手の大師堂に参拝する。


 山門には戻らず東側に出て、展望台から、この先向かう八栗山や、源平合戦の地、壇ノ浦を見
下ろす。


 下る遍路道は急降下なので、ストックを用いて注意して下る。10時27分頃、息子から携帯電話
にメールがあり、大地震で都内にて足止めになった3人とも、帰宅できたと分かり、ひと安心した。

 源平合戦時の平家の武将、佐藤継信(つぐのぶ)の墓↓の辺りで、2人の男性遍路と会い、今夜
は同宿と分かる。




 安徳天皇社や菊王丸の墓など、やはり源平合戦ゆかりの地が続く。香東川を渡り、そばのスー
パーマルナカで、昼食を仕入れた。

 近くの番外霊場州崎寺(すざきじ)は、大同年間(806~)に弘法大師により創建されたとのこと。
境内の壁面に、壇ノ浦の合戦などの説明板があった。



 牟礼北小の裏手や、長屋門のあるうどん店の前を通過し、85番八栗寺(やくりじ)までひと上り
する。境内の直前に、新しい「お迎え大師」の石像が出来ていた。


 そのあたりからは、眼下の大展望が得られる。


 境内の一角に歓喜天が祭られ、神仏混合の遺構か石鳥居もある。今日は幸いに、右腰と左もも
のつけ根の痛みはない。


 参拝、納経後、境内奥の方のベンチで昼食。同宿となる2人は先発した。


 下り道となる県道145号は、21%という車道としてはかなりの急勾配。ストックは使わなかった
が、必要なくらいだった。


 下り終えた二つ池親水公園から先は、遍路地図にない志度湾寄りのルートに遍路標識があり、
地図のルートより一つ先の、琴電塩屋駅の横に出た。

 志度湾沿いの旧道を進み、ナノハナ畑の横を過ぎ、志度の町並みに入る。


 平賀源内旧邸、86番奥の院の地蔵寺、前回にはなかった平賀源内記念館前などを通り、86番
志度寺(しどじ)に着いた。

 大わらじが奉納された山門を入ると、左手に五重塔が立ち、広い境内には植栽が多い。

 納経を終え、15時17分に寺を出た。あと7㎞余りあり、私の足では次の長尾寺に17時までには
無理かと思い、足の疲れもあり、緩やかなペースで進む。



 だが番外霊場玉泉寺で時刻を見たら、間に合いそうなのでピッチを上げ、16時55五分に87番
長尾寺に着いた。

 急ぎ納経所にて御朱印をいただき、その後にお参りをした。広い境内の隅に、枝を大きく広げた
大クスが立っている。


 今日の宿、民宿ながお路(じ)は、門前を出て、すぐ右手にある。17時12分に到着した。

 2階の一番奥の部屋に入り、洗濯はせずに入浴する。今日は暖かで、屋島寺への上りで厚手の
シャツは脱いだが、そのままで宿まで来られた。

 夕食は、道を隔てた南側の別棟で。同宿の歩き遍路は3人で、県内川越市の男性と、ご夫婦で
歩いているお二人だった。

 夕食後、おかみさんに別格20番大瀧寺への最適ルートを教えてもらい、予定を変えて明日は88
番大窪寺経由として、明後日に別格20番に向かうこととする。

 部屋に戻り自宅に電話し、大震災の被害が皆無だったと聞き、安心し、予定通り14日まで遍路
を続けることで了解を得た。

 【コースタイム】東横イン高松中新町7・25ー春日川の橋8・23ー遍照院上9・00~05ー84番屋島寺
  9・35~10・00ー安徳天皇社10・44ーマルナカ11・02~11ー須崎寺11・14~18ー85番八栗寺(昼食)
  12・08~13・12ー二ッ池親水公園13・41ー琴電塩屋駅14・07ー86番志度寺14・53~15・17ー幸田
  BS15・48ー玉泉寺16・15ー87番長尾寺16・55~17・11ー民宿ながお路17・12

 (天気 晴、距離 29㎞、歩行地 高松市、さぬき市、歩数 46,200、遍路地図 80ー1、82ー1,
  82ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・香川その4

2011-04-29 13:04:52 | 3度目の四国遍路
 第16日 2011年3月11日(金)
 =80番国分寺~83番一宮寺=

 5時50分起床、6時20分に朝食をする。受付で時刻表を借りて高松行きの時刻を確認、
時間が少ないので急ぎ、6時46分頃に東横イン中新町を出た。

 今日は連泊なので不要な荷物は宿に置き、ザックは軽い。出る直前まで雨だったたよう
だが、濡れずに駅まで行けた。栗林公園北口駅6時57分発に乗り、高松駅ですぐに乗り
換え、昨日のゴール、讃岐府中駅に着いた。

 県道33号に出て、1㎞余り先のファミリーマートで弁当を求める。国道11号を横断して
旧道に回り、80番国分寺に入る。

 松の多い広い境内、正面の本堂に参拝し、手前右手の大師堂へ。堂内に納経所があり、
遍路用品も販売している。
 
 寺の東側に回ると、これから上がる稜線が望まれる。



 寺の背後にある、奈良時代の讃岐国分寺の伽藍(がらん)の配置模型のある、広場の横
を抜けて、背後の峠に向かう。だが今朝は、なぜか左もものつけ根が痛み、特に上り段が
きつくて、ペースが上がらない。


 1時間前後かけて、ようやく稜線近くの展望台に上がり、南側に広がる国分寺町周辺を見
下ろす。


 すぐ後に着いた奥さんが、ヤマガラにヒマワリの種で餌(え)づけをして見せてくれた。

 奥さんは、国分寺の歴史に興味を持ち、研究会に参加して国分寺周辺の社寺などを訪ね、
ここにもたびたび来られるという。

 すぐに稜線を走る県道180号に出て、西に向かう。県道といってもほとんど車は通らない。
南側は、自衛隊善通寺駐屯地の演習場。鉄条網が張られていて、時々射撃訓練の音が聞
こえる。

 2㎞足らずで北側の遍路道に入り、自衛隊古田兵舎の裏手から白峰寺へ向かう。風が強
まり、木のこずえがゴウゴウと音を立てる。


 摩尼輪塔(まにりんとう)と下乗石(げじようせき)と呼ぶ江戸時代の石が並び、その説明板
があるところを過ぎ、さらに遍路道を緩やかに下って、81番白峰寺(しろみねじ)に着いた。


 標高280mの山上にあり、スピーカーからご詠歌が流れる。階段の上り下りが、やはり左
ももに響いて痛い。すっかり曇って風が冷たくなり、手がかじかむ。


 自衛隊舎のところまでは往路を戻り、さらに東に向かう。林間の遍路道には赤布を掛けた
丁石(ちょういし)地蔵がたくさん残り、アップダウンの少ない快適な落ち葉道が続く。


 中ほどに2、3個「陸軍用地」の標石も残っていた。二十八丁石から二十六丁石にかけて下
りとなり、五丁石から上がって県道180号へ。

 2日後に春大祭という足尾大明神の前を通過し、オレンジパークの看板のある三差路から、
林間の遍路道を下って、82番根香寺(ねごろじ)の山門前に出る。


 寺の標高は365mあり、ここも風が冷たく粉雪がちらつく。本堂に参拝後、堂内を回って万体
観音像を拝観した。


 納経後、大師堂のそばのベンチで昼食をするが寒い。先に参拝と食事を終えた、ヒゲの歩き
遍路氏が先発された。


 東に下る別格19番香西寺(こうざいじ)は、前回お参りしたので省くことにして、オレンジパー
クの看板まで戻り、車道を東南に向けて下る。


 東側の展望が開け、高松市周辺の海や、市街地南部の家並み、屋島などが望まれる。途中
のヘヤピンカーブ点2か所を、ショートカットする遍路道で下った。

 高松西高近くまで下ると、紅白の梅が見頃。ほぼ下った鬼無(きなし)町には、特産の錦松の
畑があった。


 JR予讃線鬼無駅の東に出て、本津川の永代橋を渡る。近くに、個人のお宅の一部を開放し
た、「飯田お遍路休憩所」があったので、外のベンチで小休止させてもらう。


 香東川沿いに出た。初回に歩いた成合町経由の遍路道を行きたかったが、一宮寺の納経時
刻を考慮し、香東川左岸の河川敷を抜ける、自転車道と歩行者の専用道を行くことにする。

 車は通れないが、ここはれっきとした県道269号である。

 川を渡る4本の車道の下を通過して川を離れ、県道12号に入って、83番一宮寺(いちのみ
やじ)には、16時35分に着いた。

 参拝を終え、なんとか締め切り前に納経所で御朱印をいただくことができた。前回まで気づか
なかったが、境内に岸信介元首相揮毫(きごう)の般若心経の石碑があった。


 境内で小休止して、山門を17時に出る。

 北に向かう県道172号に入るが、夕方で交通量が多いのに、歩道がない。狭い側道を、車を
気にしながら先を急ぐ。


 高松自動車道下を過ぎ、御坊川を渡り、スーパーまるなかで夕食を仕入れる。すっかり暗くな
った18時45分に、連泊の東横イン中新町に入った。

 部屋のTVスイッチを入れたら、東北地方を中心に大地震が発生し、大きな被害が発生してい
るとの報道で驚く。

 首都圏もかなりの揺れで、電車も止まっているらしい。間もなく息子から心配のメールがある
が、「こちらは何の影響もない」と返す。

 妻は今日、都内に行くと聞いていたので、メールするも連絡は取れない。別居の2人の娘と、
息子にメールで安否問い合わせのやりとりを続けるが、娘からのメールはなかなかない。23時
前後か、息子以外の3人が、それぞれ都内で足止めになったことを知る。

 【コースタイム】東横イン高松中新町6・46ーJR栗林公園北口駅6・57=高松駅7・05~09=
  讃岐府中駅7・27ーファミリーマート7・44~47ー80番国分寺8・04~25ー墓地8・52ー展望
  台9・33~47ー81番白峰寺10・43~11・02ーH435m点(古田)11・25ーH440m点(三差路)
  12・20ー82番根香寺(昼食)12・43~13・30ーH195m点(3・6㎞点)14・35ー公民館前BS
  14・55ー飯田お遍路休憩所15・10~16ー香東川左岸へ15・43ー県道12号へ16・15ー83番
  一宮寺16・35~17・00ー高松自動車道下17・42ーマルナカ18・00~17ー東横イン中新町
  18・45

  (天気 曇後晴、距離 30㎞、歩行地 坂出市、高松市、歩数 55,100、遍路地図
   78ー1、80ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・香川その3

2011-04-27 21:23:10 | 3度目の四国遍路

 第15日 2011年3月10日(木)
 =74番甲山寺~79番高照院=

 5時50分に起床、6時半からの朝食の際、Kさんから、昨夜の夕食の席で話題にし
た、葉書大の用紙に書いた般若心経をいただき、良い記念の品となる。宿のおかみ
さんからも、朱織りの納め札を2枚もいただいた。おかみさんに見送られて、7時18
分に門先屋旅館を出る。

 麦畑の間の遍路道を東に向かい、2㎞あまりで74番甲山寺(こうやまじ)へ。

 境内はそう広くなく、南側の山門が新しくなっていた。納経を終えた頃、後発のK
さんも着く。

 川沿いから工場横などを通過して善通寺市街地に入り、75番善通寺の真ん中を
抜ける道路から、まずは東側の境内に入る。


 本堂に参拝後、堂内を一巡して五百羅漢などを拝観した。こちらの境内には、大き
く枝を広げる2本の大きなクスノキと、五重塔が目につく。


 遍路用品の販売所や大きな宿坊などのある、道路西側の境内に回り、大師堂に当
たる御影堂(みえどう)に参拝する。再び東側の境内に戻って、東側の赤門から出た。

 市街地を抜ける県道24号を東へ進み、善通寺駅の北側でJR土讃線の下を抜けて、
車の少ない遍路道を北に向かう。東側に、端正な山容の讃岐富士が望まれる。

 高松自動車道の下を抜けて、76番金倉寺(こんぞうじ)へ。境内に乃木大将妻返し
の松があり、その由緒を記した石標が立つている。


 近くの河津桜が咲き出していた。


 北に向かい、多度津町に入ってすぐの葛原正(かずはらしよう)八幡神社に、樹高27
mというクスノキの大樹があった。神社の前後は、緑鮮やかな麦畑が広がる畑作地帯。

 収穫した麦が、香川特産の讃岐うどんの原料になるのだろうか…。

 77番道寺(どうりゆうじ)の近くで男性から、自分で焼いたという、かわいらしいお
地蔵さんをいただく。寺のトイレに入ったら、同じ物が幾つか並んでいた。トイレには、
花も活けられ、額入りの飾り物などもあり、清潔感が感じられる。


 境内には、四国八十八か所や西国三十三観音などの、細身の石像が並び、多宝塔
もあった。



 寺の背後から県道21号を東に向かい、丸亀市街が近づく。元の職場で一緒だったF
さんが住んでおられるので、携帯電話にかけてみたが、「使われていない」とのトーキー
が入り、連絡できなかった。


 うちわを形どったヘンロ小屋18号丸亀城乾の前を過ぎ、県道33号を市の中心街へ。
市役所近くのさぬきうどん「つづみ」で昼食をする。初回の遍路の際、同行した四人で食
べたところである。


 市役所の近くからは、南側に立つ丸亀城が望まれる。


 少し先で、通りがかりの奥様から、百円のお接待をいただく。土器川の堤防からは、
讃岐富士がよく見える。


 午後はやや風が強くなったが、昨日ほどではない。宇多津町(うたづちよう)に入り間
もなく、県道から分かれる。古い家並みの残る通りに入ると、硬貨をたくさん組み合わせ
て作った人形を飾る店があった。


 少し高台にある78番郷照寺(ごうしようじ)に上がる。厄除大師堂のそばの地下に万
体観音堂があり、堂内には、小さい金色の観音像がびっしりと並んでいる。


 この納経所の若い女性は、にこやかに気持ちよく対応していただき、歩きの疲れも忘
れる。境内からは、間近に瀬戸大橋が望まれた。


 寺の先の通りも、古い家並みの続く通りを進む。多くの家に、きれいな生け花が飾ら
れ、通りの一隅に、ピンクの色濃いサクラが咲いていた。


 県道33号に分かれて本街道と呼ぶ通りに入り、瀬戸中央自動車道の下から坂出市
となる。中心街周辺にはアーケードがあるが、衣料、食品などの店のほかは、シャッタ
ーが降りていて淋しい。


 今夜はビジネスホテル泊なので、坂出の中心街にあった大型スーパーAEONで夕食
を求める。金山郵便局の先、ガスタンクのある四国ガスのショールームに、無料の足
湯があると記されていたが、先を急ぎ通過した。

 JR予讃線の南に回ると間もなく、番外霊場八十場(やそば)の水があり、石垣から
清らかな水が流れ落ちている。そばにある名物の、ところてんの店は休業日だった。


 間もなく79番高照院(こうしよういん)、一体となった境内の手前にある白峰宮にま
ず参拝する。ご神木の大きなクスノキがあり、ピンクのサクラがかなり見頃になって
いた。


 JR予讃線沿いに進み、加茂川駅の手前から線路の反対側の県道33に回り、次の
讃岐府中駅まで歩く。県道の途中で、奥さんから500円のお接待をいただいた。

 冷えてきた17時40分に讃岐府中駅に着き、上り電車で高松駅に向かう。高松駅で
徳島線に乗り換え、栗林公園北口駅で下車、18時40分頃、東横イン中新町に入った。

 【コースタイム】門先屋旅館7・18ー74番甲山寺7・49~8・05ー75番善通寺8・26~
  9・00ー76番金倉寺9・51~10・18ー善通寺市・多度津町境10・34ー77番道寺
  11・15~36ー西汐入川の橋12・14ー手打うどんつづみ(昼食)12・30~57ー丸亀市・
  宇多津町境13・35ー78番郷照寺13・50~14・15ー県道33号・本街道分岐14・47ー
  AEON坂出15・15~30ー八十場の水16・04ー白峰宮・79番高照院16・08~28ー
  JR加茂川駅前17・00ーJR讃岐府中駅17・40~59=JR高松駅18・18~22=JR栗林
  公園北口駅18・28ー東横イン中新町18・40頃

 (天気 晴、距離 30㎞、歩行地 善通寺市、多度津町、丸亀市、宇多津町、坂出市、
  歩数 50,500、遍路地図74ー2、76ー1、76ー2,78ー1)


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3度目の四国遍路(後編)・香川その2

2011-04-21 20:44:57 | 3度目の四国遍路
 第14日 2011年3月9日(水)
 =70番本山寺~73番出釈迦寺、別格18番海岸寺=

 5時20分に起床して6時から朝食、6時45分に若松屋別館を後にした。


 財田川の左岸沿いを進むが、追い風が強くて冷たく、菅笠を時々押さえる。流れには、カモメが
たくさん泳いでいた。

 交通量の多い橋を渡って、北側にある70番本山寺(もとやまじ)へ。

 本堂は、鎌倉末期の正応4年(1291)の再建で、国宝である。本堂左手には五重塔がある。


 車の多い国道11号に出て、間もなく右に平行する旧道へ。車が少なくて歩きよい。国道と合した
近くにあった権兵衛神社に、「乃木大将追慕碑」が立っていた。

 再び国道に出て、池のそばから左の県道221号に入り、スーパーマルヨシで昼食を求めた。県
道は幅4mくらいしかなく、車の交差が難しそうなところもあるが、あまり車は通らない。


 高瀬郵便局で資金補充し、高瀬川沿いを少し進んで川を渡る。右手に、独特の山容の山が望ま
れる。県道とは思えぬ狭い車道を進んで、高瀬町を抜ける。田園地帯となり県道を離れ、山すそ
に近づく。


 簡素な机と椅子の置かれた、「いやだに温泉足湯」の前を過ぎ、さらに上ると俳句茶屋があり、
71番弥谷寺(いやだにじ)の山門をくぐる。


 急な石段などをさらに上ると、南側の展望が開けてきた。最奥の標高220mにある本堂に参拝
する。そばの岩壁に、阿弥陀如来や観音菩薩などの磨崖仏が刻まれていた。


 近くのベンチ際にザックを置いて、多宝塔の下を通って中腹の大師堂まで下る。大師堂は靴を
脱いで上がって参拝し、堂内の納経所で御朱印をいただく。ベンチに戻り、昼食をした。


 食事中に、民宿岡田で同宿の明石市の人が上がってきたが、食事を終えても本堂から戻らない
ので、番外霊場海岸寺に向かう。

 東側の天霧城跡への道標に従い、林間の遍路道へ。傾斜は緩やかだが、石が多くて少し歩きに
くい。標高288mの天霧峠に出て、北の白方に向かって下がって行く。


 途中には、西国三十三観音の石仏が並ぶ。砂防ダムの下で車道に出て、さらに下る。前方に、
海岸寺周辺の街並みが見えてきた。


 弘法大師の開基という、番外霊場虚空蔵寺に寄り、白方の集落へ。



 讃岐富士を眺め、細い路地を上がって白方小の横を通過する。


 行く手のこんもりした台地上に、海岸寺奥の院の塔が見えてきた。JR予讃線海岸寺駅そばから、
線路沿いを進んで寺に入る。雲が増えて雨になりそうなので塔には上がらずに先に向かう。

 陽が陰って風が一層冷たくなってきた。海岸沿いの県道21号に出て少しで、別格霊場18番海岸
寺に入る。


 仁王門には、地元出身の力士、琴ヶ浜と大豪の2力士が、仁王像の代わりに立っている。奥之院
もそうだったが、ここも本堂のみで大師堂はない。

 折り返しルートに向かい、海からの流れが一杯の広田川を渡る。



 県道217号沿いにある、弘法大師のご母堂、玉依御前の屋敷跡で安産祈願の寺という、番外霊
場の佛母院(ぶつもいん)にも参拝した。


 寺のそばの路傍で、八重桜が咲き出していた。JR予讃線を越えて、県道205号を過ぎた先に、
新しいヘンロ小屋29号「多度津おかのやま」があったので小休止した。

 小屋はちょっとした高台にあり、これから向かう我拝師山などが望まれる。真っ直ぐに伸びる県道
217号をしばらく進み、閉店後のさぬきうどん店のトイレを借りる。


 高松自動車道の下を抜け、近づく我拝師山を眺めながら吉原町へ。72番曼荼羅寺(まんだらじ)
のそばの門先屋(もんさきや)旅館に16時15分に着いた。


 ザックを預けて緩やかに上がり、まずは73番出釈迦寺(しゆつしやかじ)に参拝。時間がないので、
我拝師山にある奥の院、捨身ヶ嶽禅定(しやしんがだけぜんじょう)への参拝は省く。

 境内からは、讃岐富士や多度津の町並み、瀬戸大橋などが望まれる。ゆっくり眺める暇もなく、下
り道を急ぐ。


 72番曼荼羅寺に入り、先に御朱印をいただいた後、参拝する。参拝を終えたら17時3分だった。


 大きなわらじが奉納された山門を出て、すぐ右手の門先屋旅館には、17時4分に入った。

 部屋は広い八畳間。暖房が入って暖かくなっていた。すぐに入浴する。先に入っていた若い男性は、
東京・門前仲町から来て、今日から3日間の区切り打ちとのこと。

 夕食の席には、民宿岡田で同宿の明石市のKさん(食卓の表示で名前が分かる)、東京の若い男
性、同じ東京からのご夫妻、遺跡などにも興味があり、ゆっくり回るという別のご夫妻の、計7人の歩
き遍路が集まり、なごやかに話しながら美味しくいただく。

 今日は一日中風が強く、菅笠が飛ばされそうで、何度もあおられ、寒い一日だった。

 【コースタイム】若松屋別館6・45ーJR予讃線下7・35ー70番本山寺7・50~8・17ー国道・県道合流
  点付近(権兵衛神社)9・05~08ースーパーマルヨシ9・28~40ー高瀬郵便局9・54~57ー高瀬町
  新名10・10~20ー71番弥谷寺11・30~12・37ー天霧峠12・55ー虚空蔵寺13・25~32ー海岸寺奥之
  院14・05~17ー別格18番海岸寺14・22~37ー佛母院14・46~15・00ーヘンロ小屋29多度津・おか
  のやま15・15~23ー吉原小16・03ー門先屋旅館16・18~19ー73番出釈迦寺16・27~41ー72番曼荼
  羅寺16・50~17・03ー門先屋旅館17・04

 (天気 晴後曇、距離 27㎞、歩行地 観音寺市、三豊市、多度津町、善通寺市、歩数 42,500、
  遍路地図 72ー2、74ー1、74ー2、102ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・徳島その2・香川その1

2011-04-19 22:03:30 | 3度目の四国遍路
 第13日 2011年3月8日(火)
 =66番雲辺寺~69番観音寺=

 5時45分起床、6時半前から男性4人と、昨夜は夕食無しだった東京の女性とで朝食
をして、おにぎりのお接待をいただく。

 兵庫県明石市の人は、葉書大の用紙に黒ペンで般若心経を書いて、納経されている
とのこと。拝見すると小さい文字だが達筆で、よくこのように書けるものと感心する。

 4人中一番若い男性と、車で回っているが雲辺寺へは歩いて上るという東京の女性が
先発した。

 残り3人も出ようと外に出たら、思いがけず雪になっていた。ポンチョとザックカバーを
して、一緒に7時12分に民宿岡田を出る。

 「また来なさいよー」と、親父さんの声。親父さんには、角を曲がって見えなくなるまで、
手を振って見送っていただいた。

 徳島自動車道の下を抜けて、山にかかる遍路道の斜面に入ると、雪がうっすらと積も
っている。


 各々マイペースで上がり、次第に離れ、私はいつの間にか先になった。

 稜線上の車道も一面の雪。車のわだちは滑りそうなので、新雪の上を歩く。先発の2人
の踏み跡が、はっきりと残っている。

 
 一時かなりガスが濃くなり、視界の利かないところもあった。


 休まずに上がり、岡田から2時間ちょうどで、66番雲辺寺(うんぺんじ)に着いた。標高
910m、四国八十八か所中、最高地の霊場である。

 境内も2㎝くらいの積雪、本堂はコンクリート造りに改築され、以前より趣(おもむき)に
乏しい。納経所の女性の話では、一昨日はぼた雪だったが、昨夜は粉雪になったという。
間もなく後続の2人も着いた。



 うっすらと雪を乗せた五百羅漢の横を通過して、徳島・香川県境の稜線に出る。二つの
アンテナ塔の間から、香川県側への下山路へ。

 北面なので雪が多い感じ。滑らぬようストックを十分に使い、前回回った別格16番への
道を左に分ける。この下り道には、ところどころに木のベンチが置かれている。


 やがて雪は消えて傾斜も緩んできた。林間の切れ目から、観音寺の町並みが望まれる。


 酸性雨のためだろうか、立ち枯れの松が並ぶ一角があった。


 日帰りハイキング姿の女性と行き交い、雲辺寺から4㎞余り下って県道240号に出た。

 民宿青空屋の横を通過し、少しずつ下る。県道沿いには丁石のお地蔵さんが数多く残
され、花を供えたりして、地元の方々の厚い信仰の様子が伺える。



 岩鍋池まで下ると、観音寺の町の背後の山並みが望まれる。右に迂回して下り、東側
山門から67番大興寺(だいこうじ)に入るところで、民宿岡田を先発の、Mさんと会う。

 山門を入った先に、樹高20m、樹齢1200年余りというカヤの大木と、香川の保存樹
になっているクスノキの古木が立っている。


 参拝後、納経所で、「因幡の白うさぎ」という和菓子のお接待をいただく。境内のベンチ
で岡田お接待のおにぎりと、スティックパンの昼食をした。


 寺を出て少し下ると、右手に明日向かう73番出釈迦寺の奥の院のある、我拝師山
(481.2m)の独特の山容が見え、正面には観音寺市街背後の山が望まれる。

 すっかり晴天となったが、北風がやや強まる。菅笠があおられるのでうつむき加減となり、
県道6号の周辺を見る余裕がない。潅漑用の仁池は、かなり波立っている。


 反対側の心光院には、道しるべの丁石仏が並んでいた。

 県道24号と合した池之尻交差点の先は、少しだけ県道の東に平行する旧道を進む。高
松自動車道の近くにあった、手打ちうどん大多喜に入り、わかめうどんを注文して食べる。


 簡易な笠屋根の「お遍路さんの休憩所」を過ぎ、国道11号との交差点際のスーパー・マ
ルヨシセンターに入って飲物を購入した。JR予讃線を越えて観音寺市街に入り、3度目の
若松屋別館へ。

 ザックを預けて財田川を渡り、同じ境内の68番神恵院(じんねいん)と69番観音寺(かん
おんじ)に参拝する。中ほどにご神木のクスノキの巨木がある。


  観音寺本堂と大師堂の間から、松の多い琴弾(ことびき)公園に上がり、海岸の砂に描
かれた、寛永通宝の巨大な銭形(ぜにがた)を見下ろす。

 東西122m、南北90mあり、寛永10年(1633)、丸亀藩主が巡視の際に、歓迎のため
に地元古老達が一夜で作り上げたとか。以来、砂上の芸術として長く継承されているという。

 展望台の先で左手を上がり、初めての琴弾八幡宮にも参拝した。前2回とも入口に気づか
ず、先に進んで車道を下ってしまったのだった。境内からは、観音寺の町並みが一望できる。



 八幡橋を戻り、16時55分に若松屋別館に入る。部屋は3階最奥の307号室で、トイレと
洗面所付き。すぐに入浴して、出た後、洗濯機も借りる。

 夕食は18時過ぎから。冬山にも登られ多彩な活動をされている、おかみさん手作りの献立
を、美味しくいただく。宿泊者は、お遍路でない若い男性と私だけだった。

 【コースタイム】民宿岡田7・12ー稜線上の車道8・25ー66番雲辺寺9・12~35ー頂上線分岐
  9・49ー3・2㎞点10・40ー民宿青空屋11・21ー新池11・58ー67番大興寺(昼食)12・30~
  13・15ー豊田小横交差点13・53ー手打うどん大多喜14・15~37ーマルヨシセンター14・53~
  15・01ー若松屋別館15・42~46ー68番神恵院・69番観音寺15・55~16・23ー琴弾公園展望
  台16・24~39ー琴弾八幡宮16・40~46ー若松屋別館16・55

 (天気 雪後晴、距離 25㎞、歩行地 徳島県三好市、香川県観音寺市、歩数 43,400、
  遍路地図 72ー1、72ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・徳島その1

2011-04-18 21:13:43 | 3度目の四国遍路
 第12日 2011年3月7日(月)
 =別格15番箸蔵寺へ往復=

 5時45分起床、6時半からの朝食も瀬戸市のMさんと一緒にいただく。今日も連泊なの
で、不要な荷物は部屋に置いて、7時15分に出発した。

 昨夜の雨は上がり、周辺の山からガスが上がる。ザックカバーだけして出発、明日行く
雲辺寺への遍路道に分かれ、国道192号へ。


 昨夜から、右足のくるぶし付近に違和感があり、歩き出したら少し痛みがあり気になっ
たが、歩いているうちに薄らいだ。


 馬路からは左側の旧道を進む。境宮神社には、ご神木のイチョウと杉の大木が立つて
いた。


 天神バス停からは右側の旧道に入る。深川橋際の小さい社の境内に、「大藤」と呼ぶ
フジの古木が、大きな枯れ木に絡まっていた。


 雲辺寺へ上がる県道268号の、交差点の先は歩道が無く、高速で通過する自動車が
煩らわしい。


 狭い歩道しかない二つのトンネルを抜け、白地バス停のところから、左へ入る県道267
号へ。入口付近の温度は5度を示す。

 すぐ先の、民家の軒下にあったベンチを借りて小休止する。吉野川の左岸、池田湖沿
いに進む県道は、車が少なくて安心して歩ける。


 大きなアーチで吉野川を越える徳島自動車道の橋下を通過すると、しばらくは人家が
途切れる。



 吉野川をせき止めた池田湖の、ダムサイト横を通過し、四国中央橋からの車道と合す
ると、かなり交通量が増えてきた。


 箸蔵(はしくら)の町並みに入って左に上がり、JR土讃線と国道32号を横断し、箸蔵山
ロープウェイの登山口駅へ。

 上りのみの切符を買い、11時30分発のロープウェイに乗る。

 箸蔵の町並みを見下ろし、わずか3分で山頂駅に着いた。標高は500mになる。

 すぐに、別格霊場15番箸蔵寺境内に入る。


 広い境内を進み、最奥の223段の石段を上がると、山を背にして三つの社殿が連なる、
豪壮な本殿がある。

 四国霊場の中心はどこも本堂だが、ここでは本殿と呼ぶ。仏教と神道が一体となってい
た時代の様相を色濃く残す建物で、安政元年(1854)以降に着工され、明治初頭に完成
したといわれ、国重文に指定されている。


 本堂の左手、広い空き地の先にある大師堂は、宝行造り。途中にある独特の造りの鐘楼
堂や、本殿を小ぶりにしたような護摩殿も国重文に指定されている。

 納経所に戻り、正午過ぎに御朱印をいただく。納経所に断り、そばの屋根付きの長いベン
チで昼食とし、民宿岡田お接待のおにぎりと、スティックパンを食べた。


 下りは遍路道を下ることにした。石灯籠の並ぶ石段を下りて、どっしりした山門を通過し、
林間を下って国道32号に出る。


 あとは往路と同じ道を戻る。来るときに、白地バス停で帰路のバス時刻を見てきたので、
それに間に合わせようと歩を進める。


 紅梅が見頃のダムサイト付近で小休止し、徳島自動車道付近まで戻ったら雨になったの
で、ザックカバーをしてポンチョを被る。


 15時12分に白地バス停に着き、そばの倉庫風の建物で雨宿りして、三好市営のバスを
待つ。

 15時31分発のバスは5分ほど遅れて到着し、民宿に近い、佐野バス停終点には、15時
47分頃着いた。民宿岡田には、15時55分に戻る。

 玄関には、懐かしい黒電話が健在で、大震災などで停電になっても使える。すぐに入浴し、
汗はほとんどかかなかったので洗濯はしなかった。

 夕食は17時40分頃から。今日の宿泊者は、私のほかは高槻市の人など男性3人。いず
れも初めての遍路とのこと。

 食事後、岡田の親父さんから、明日の66番雲辺寺への行程をはじめ、その先70番付近
まで、地図を配ってコースの説明がある。

 この宿は、親父さんが仕事を辞めてから始めて、40年になるとか。初めは、歩き遍路より
も工事の人の宿泊が主だったようだ。

 親父さんが協力したアンケートなどをもとにまとめた、四国遍路をテーマにした分厚い博士
論文などを見せてもらう。また、岡田さんが昨年、大窪寺でもらった結願証も見せてもらった。

 ちなみに、この結願証は2,000円でいただけるとのこと。 

 この宿に何10回も宿泊された人の話や、霊場でスケッチをして回る人のことなども聞く。
今日の宿泊所のひとりは、霊場やその日印象に残ったところなどをスケッチして、ほぼ毎日、
奥さんに送っておられるという。

 今夜も、岡田の親父さんを囲み、19時過ぎまで、楽しくなごやかに話が弾んだ。この雰囲
気が、また来たくなる源なんだと思う。

 【コースタイム】民宿岡田7・15ー馬路小7・58ー天神BS8・21ー白地BS9・05ー徳島自動
  車道下9・27ー池田ダムサイト上10・04ー四国中央橋からの三差路10・43ーロープウェイ
  下11・15~30=(ロープウェイ)=別格15番箸蔵寺11・25~12・30ー国道32号戻り13・12ー
  四国中央橋からの三差路13・32ーダムサイト上14・05~15ー徳島自動車道下14・50~55
  ー白地BS15・12~36=(バス)=佐野BS15・47ー民宿岡田15・55

 (天気 曇一時晴後雨、距離 25㎞、歩行地 三好市、歩数 41,900、遍路地図 72ー1、
  100ー1)


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