あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

一斉に花開く春の花(埼玉・所沢)

2014-03-28 15:00:41 | 所沢だより
 2014年3月28日(金)

 日曜日の三浦半島でのウオーキングで、左足を痛めてから3日間、外出せずに家でじっ
として過ごし、回復を図りました。

 昨日は、市内の病院に行く予定があり、いつもはウオーキングコースの途中にあるので
すが、大事をとって電車で行きました。でも往復の歩きでは1万歩をオーバーしており、
歩く速度はゆっくりながら、何とか外出することが出来ました。

 日曜日からこの4日間の暖かさで、外はすっかり春めいてきていて、春の花がそちこち
で開花していました。

 今日は好天となり、近くの家電量販店までの往復でしたが、古くからお住まいの住宅地
などで、沢山の花を見かけましたので、その幾つかをご覧いただくことにします。

 毎年、春の到来を感じさせてくれるのがコブシです。




 地上に咲き出した花の一つ、黒くはないけどクロッカス。


 スイセンは、あちこちで見られます。


 咲き残る紅梅も、まだ鮮やかな彩り。




 これからあちこちで見られそうなボケ。


 国道463号バイパス、大六天交差点近くの、歩道の街路樹として植えられたコブシも
一斉にに咲き出していました。
    

    

 近くの畑のユキヤナギ




 交差点近くの畑では、ナノハナが。




 北側の住宅地では、ハクモクレンが咲き出しました。




 その裏手に回ると、畑の中に幾つかの桜が花を競っています。


    

 こちらは一層色鮮やか。






    

 畑の隅では、大きなアセビが花いっぱいに。




 ちょっと離れた梅林の片隅の、淡い小さな花びらのサクラが咲きだしています。


 民家の裏手の畑では、フキノトウが大きくなって花を競っていました。




 表に回るとこちらにもコブシが。




 集会所近くのプラムの畑でも、花が開花し始めています。


 住宅の庭に咲くトサミズキ。


 もう少し歩き回れば、さらにほかの花も見られることでしょう。



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アートウオークセラピーで三浦半島三崎町六合周辺へ(神奈川)

2014-03-24 11:52:58 | カントリーウオーク
 2014年3月23日(日)

 山浦敬子さんが、毎年春秋で計4回実施している「アートウオークセラピー」、今年の
初回に参加した。

 集合は京浜急行の終点三崎口駅。間もなく到着という電車から、快晴の西北方に富士山
が望まれた。


 参加者は8人。通り矢行バスに乗り、油壺入口バス停で下車して10時15分にスター
トした。

 今日歩くエリアは、三浦半島南部の三崎町六合(みさきまちむつあい)周辺。敬子さん
からもらった地図は、地形図を4倍に拡大コピーしてある。

 すぐ先でバスの走る県道26号に分かれ、南東側の原町の住宅地へ。


 家並みは100mほどで減り、谷間から東側台地に上がりかけたところに、三浦半島三
十三観音三番札所で如意輪観世音菩薩を祭る、円通山蓬乗軒の観音堂がある。

 原町にあるので「原の観音さま」と呼ばれ、安産の神さまとして尊ばれているという。

    
 階段を上がると七つのお地蔵さんが並ぶ地蔵堂があり、正面の観音堂は独特の造りで無
住である。


 墓地には、細かな枝をたくさん伸ばしたイチョウが立ち、境内からは南西に、暖かな三
浦半島らしい10数本のフェニックスの並ぶ一角が見晴らせる。


 南側の台地に上がると三浦大根やキャベツ畑が広がり、近くの畑では若いご夫婦が大根
の収穫中。
    
 奥さんが引き抜いた大根を、ご主人が軽トラックにきれいに並べて積み上げていた。
    

 台地上の農道を台地の隅まで南進する。南東には大きな風力発電用風車が望まれる。



 常緑広葉樹林に覆われた一角は原稲荷神社↑。原地区の氏神様として古くから住民に信
仰されていたようで、奉納されたお狐様には、元治元年(1864)の年号が読み取れる
という。
    
 社殿は小さめだが、4年ごとの大祭には神輿と山車が地区内を練り歩き賑わうようだ。
境内の一角には珍しい「疱瘡(ほうそう)神」も祭られていた。
    

    
 キャベツを収穫中の畑の横を進み、台地上を走る車道に出ると三浦市営火葬場があった。


 200m足らずで車道に分かれ、東側の畑作地帯の農道へ。


 台地上に広々とした畑の展望が広がり気持ちよい。北に富士山、南には太平洋が、西に
霞む箱根から伊豆半島、東に東京湾を隔てた房総の稜線などが遠望でき、行く手にはこの
辺りのピーク、岩堂山の緩やかな高まりが↓望まれる。



 その岩堂山方面に向かい、農道が大きくカーブする手前でスケッチタイムに。各々が思
い思いの方向を眺めて1枚ずつ描いた。


    

    
 谷間に向かって下って行くと、キブシが咲き出している。谷底辺りに「農道はこの先道
無し」などと書かれていたが、道は続いているのでそのまま進んで東側台地に上がる。

 岩堂山の北面近くの低地は造成中で、どうやらゴミ処理場にでもなるらしい。ところが
私は、その造成中の土の斜面を上がる最後のところで、左足ふくらはぎの筋肉を痛めてし
まい、歩くのが痛い。

 すぐ上を走る環境センターそばの車道に出て、岩堂山に緩やかに上がる道も、足取りが
遅れがち。でも何とか皆さんの後について行き、82.2mの二等三角点のそばに11時
50分に着き、昼食タイムとなった。
        


 三浦半島南部のピークだけあり、一層気持ちよい展望が広がり、海も三方に望まれる。
素晴らしい展望を楽しみながら昼食をする。






    
 記念撮影をして先に帰る伊藤さんに分かれ、12時15分に出発となったが、この後は
とてもついて行けそうにないので、私もここで皆さんと別れてバス停を探すことにした。

    
 車道の近くにもキブシがたくさん花開き、東方に房総の山並みが意外に近く望まれる。




 車道を南側の三差路に上がると岩堂山の説明板があり、最高点は89.9mあるらしい。
今日もそうだが、「晴れた日には房総半島、伊豆連峰、伊豆大島が望まれ、夏は三浦スイ
カ、冬は三浦大根の緑と空の青さが満喫できる市内で最も展望を楽しめる場所」と記され
ていた。


 車道を南西の宮川町の方向に向かって下る。先ほどスケッチした辺りを眺め、南方には
農道を進む皆さんが見える。でも左足が痛いので足取りは遅々として進まない。


 ゆっくりと歩を進めるうちに2台の風車が近づき、畑の隅にはソラマメが花を見せる。
この周辺でも三浦大根を収穫する畑もあった。
        

 「三浦都市計画松輪毘沙門風致地区」の標柱が立ち、間もなく宮川町の住宅地へ。眼下
の畑でナノハナが花盛り。住宅の傍らにも春の花が彩りを添える。


    

 バス道路が90度左カーブしたところにあった宮川町バス停に13時2分に着く。昨年
のこの歩きでも通過したところで、「関東ふれあいの道」の説明板もある。
    
 バスを待つていたら、皆さんも上がって来て西側の住宅地に向かう。

 遅れてきた13時9分発三浦海岸駅行きバスに乗る。バスは今来た道を戻り、さらに東
海岸沿いを大きく回り、13時44分に三浦海岸駅に着く。足を引きずりながら駅の階段
を上がり、13時50分発青砥行き快特電車に乗る。

 横浜駅で下車し、東急、東京メトロ副都心線、西武池袋線直通電車に乗る。お陰で横浜
駅以降は途中で階段の乗り降り無しで自宅の最寄り駅、西所沢駅まで帰れた。

 普段はほとんど乗らない駅のエスカレータだが、足の痛い今日は階段の上り下りが辛い
ので利用して本当に助かった。

 それにしても、横に階段があってもエスカレータがあれば利用する人が圧倒的に多いの
はどうしたことだろうか。元気な人は階段を利用して足腰の維持増強と省エネを図り、エ
スカレータは足の痛い人や体力の弱っている人などが利用した方がよいと思うのだが…。

(天気 快晴、参加 8人、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地 三浦
 市、歩数 7,200)



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秩父札所午歳総開帳記念ハイキング② 横瀬駅~西武秩父駅(埼玉)

2014-03-20 22:29:53 | ウオーキング
 2014年3月19日(水)

 西武鉄道と秩父鉄道合同の、第2回秩父札所午歳総開帳(うまどしそうかいちょう)記
念ハイキングに出かけた。スタートは西武秩父線の横瀬(よこぜ)駅。

 穏やかな日和となり、参加者は前週水曜の第1回よりかなり多い感じで受付も賑わう。

        
 横瀬町のイメージキャラクター「ブコーさん」が迎えてくれる。受付を済ませ、9時
47分にスタートした。

    
 駅から東へ緩やかに下って行くと、北斜面にはまだ2月中旬の大雪が残る。南東に三菱
マテリアルの工場と二子山が見え、南には日本二百名山のひとつ、武甲山(ぶこうざん)
(1,304m)の北面がきれいに望まれる。


    
 T字路の「巡礼古道道しるべ石」の先に、九番札所明智寺(あけちじ)があった。

 スタート直後なのでハイキング参加者で賑わい、観音堂には参拝者の列が伸びる。「文
塚」と記されたお堂に吊り人形が下がり、路傍には天明5年(1785)奉納のお地蔵さ
んが立っていた。
        

 近くの民家の庭先に咲く花を眺めて南に向かう。


 三菱マテリアルの工場の先で西武秩父線のガードをくぐり、線路沿いを進む。マテリア
ルの工場からの道と合したところに、延命地蔵を祭る小さな地蔵堂があった。
        


 すぐ先で、折り返すように梅の古木の咲く土道に下り、車道を横断する。車道にいた西
武鉄道の係員に聞いたら、すでに515人の参加者が通過したとのことだった。

    
 スイセンの咲く斜面を生川(うぶかわ)に向かって下って二番集落に入り、南側高台に
向かって緩やかに上がって、八番札所西善寺(さいぜんじ)に着いた。



 「東国花の寺百ヶ寺」の看板の下がる山門を入ると、本堂の手前に、樹齢約600年と
いうコミネモミジの古木が大きく枝を広げ、そばには青銅の「なで仏」もある。
        

 北に下り、城谷沢を渡ったところに「史跡城谷澤の井」の井戸が残っていたが、説明板
などは無い。
    

 その先には、武甲山御嶽神社里宮の小さい社殿が祭られ、神楽殿の前には残雪が残る。
    

 往路とのY字路際に立つ標柱と標石に従い東北に進み、西武秩父線と国道299号下を
抜ける。


 横瀬川を渡って四番集落に上がると、養蚕農家だったらしい民家が目に入る。


 近くの畑では、2月の大雪で崩壊したビニールハウスを片付け始めていた。


 イチゴ狩りツアー客の来ていた小松沢レジャー農園前を過ぎ、民家の庭先に咲くクロッ
カスを眺め、小さい流れを越えて六番札所卜雲寺(ぼくうんじ)へ。
    

 寺への上り道の曲り角に、お願い地蔵のお堂がある。


 卜雲寺の本尊は山岳宗教の流れをくむ蔵王権現で、古くは武甲山頂にあったが長享年間
(1487~9)に、ここに移されたとか。


 境内は南が開けた山腹にあり、正面に本尊ゆかりの武甲山が望まれる。


 西に7~8分で、五番集落にある次の七番札所の法長寺(ほうちょうじ)に着く。

 山門を入ると、今日の札所中では最大の大屋根の本堂が目に付く。本堂前には、狭いな
がら趣ある植え込みがあり、納経所のそばには豊川稲荷を祭る小さいお堂があった。


 さらに北に向かい、近くで横瀬川に合流する古山沢を渡る。


 その先から上り坂となり、右手に寺坂棚田が現れた。荒れた休耕田を少しずつ復元し、
埼玉県では数少ない棚田の景観が蘇っている。


 棚田が終わり、小さい峠から下り道となり、西に日本百名山、両神山(りょうがみさん)
(1723)の独特の山容が望まれる。



 横瀬町町民グランド横を通過して、田んぼの間を貫く車道を進んで十三番集落に入り、
五番札所の納経所になっている長興寺(ちょうこうじ)に行く。


 山門を入ると六地蔵が並び、そばのミツマタが花を見せ始めている。正午を過ぎたので、
ここで昼食をするウオーカーも多い。
    

 五番札所の語歌堂(ごかどう)は、西側、麦畑の先にあり、境内は開け放たれているが
りっぱな山門がある。


 別当寺である長興寺の檀徒、本間孫八が、慈覚大師の作といわれる准定(じゆんてい)
観音を安置するために、長い年月を費やしてこの観音堂を造ったという。
        

 お堂の周囲に巡らした濡れ縁を借りて、昼食をした。


 西進して県道11号に出て、横瀬川の語歌橋を渡る。梅林の横から十六番集落の中を平
行する旧道を進み、十番札所の大慈(だいじじ)寺(じ)へ。

        
 寺は石段を上がるのだが、石段下で大きな石仏が迎えてくれた。山門を入ると境内は狭
いが、きれいな花鉢が幾つか下がり、彩りを添えている。
    



 高台の境内からは、東方に二子山が望まれた。


 少し先の旧道沿いの本橋家に、町指定有形民俗文化財「本橋家気楽流柔術資料」の標柱
が立ち、庭にあった標石には、この家には、明治から昭和初期にかけて全盛だった気楽流
柔術の巻物や武具、入門者名簿などがあることが記されていた。

 入門者は、地元から県内はもとより、関東一円や新潟、新潟などに及んていたという。

 隣の家には、手造りのユニークな人形が所狭しと並んんでいた。


 県道に合して羊山公園の北側台地下まで進む。車の多い国道299号に入り、横瀬町か
ら秩父市へ。市町境がピークで、少し下って北側斜面に上がると、今日最後の十一番札所、
常楽寺(じょうらくじ)である。

 現在は観音堂だけだが、江戸時代には仁王門や庫裡(くり)を備えたりっぱな寺だった
が、明治11年(1878)の大火で類焼したとか。

 境内は狭いが、南に秩父市の中心街方面が一望できる。


 住宅地の間を西北西に延びる車道を進んで、国道140号に出る。移転中で塀に囲まれ
た秩父市役所の南側を回り、ゴールの西武秩父線の終点、秩父駅に13時50分に着いた。


(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 横瀬町、秩父市、
 累積標高差 上り約210m、下り約230m、歩数 16,900)




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大落古利根川沿いをカントリーウオーク(埼玉)

2014-03-18 17:41:40 | カントリーウオーク
 2014年3月16日(日)

 カントリーウオークグループの第211回例会は、快晴で暖かな日和に恵まれた。集合
は東武野田線の藤の牛島駅。4組に分かれて10時15分にスタートした。

 == 大落古利根川左岸を行く ==

 線路沿いを西進すると、きれいな絵がたくさん描かれた高い塀がある。マンホールのふ
たは、フジのデザイン。


 三本木集落で大落(おおおとし)古利根川の左岸堤防に出る。渇水期なので流れは少な
めで、堤防下に土の部分がかなり現れていた。


 大落古利根川は、久喜市と杉戸町の境の葛西橋から松伏町下赤岩付近まで延長26.7㎞。
古くは利根川の本流だったが、江戸時代初期に利根川が現在の流路に着け替えられ、大落
古利根川として残されたという。


 堤防沿いは牛島古川公園になっていて、公園から下流へ大落古利根川緑道が伸びている。


 緑道沿いには古木のソメイヨシノが続き、半月ほどすれば花見が楽しめそう。
     

 ゆりの木橋でソメイヨシノの並木は終ったが、さらに緑道は次の藤塚橋まで続く。橋の
近くには再びソメイヨシノの並木が現れる。


 藤塚橋でいったん流れに分かれ、東側の根郷下集落の藤塚香取神社へ。境内の、ケヤキ
とイチョウの高木が目に付く。
     

 南に少しで東国寺があるが、法事中で、境内は参列者の車で埋まっていた。


 対岸にケヤキなどの高木の並ぶ古くからの住宅地を望み、さらに土の堤防を南下する。


 左岸沿いに長く伸びた「かすかべ霊園」の横を過ぎると、堤防際の白梅が満開だった。
     

 次の銚子口集落には、静かなたたずまいの西蔵寺がある。


 山門を入ると、左には傾いた石仏が、右には溶岩塊のような上に何体かの石仏が祭られ
ている。境内南側の、10本前後の白梅が見頃だった。
        



 再び大落古利根川左岸堤防沿いへ。流れから上がった亀が1匹、甲羅を干していた。
    


 国道4号バイパスの古利根川橋の手前を北に入り、薬師沼親水公園に行く。


 公園の北側は池になっていて、釣り人が何人も釣り糸を垂れていた。園内にはソメイヨ
シノも多い。

 予定の昼食地はさらに2㎞近く先だが、正午になったのでここで昼食とする。相対する
二つのフジ棚下のベンチに分かれて腰を下ろした。


 

 == 川沿いを大吉調整池へ ==

 12時51分に薬師沼親水公園を後にする。国道4号バイパスを県道10号との赤沼交
差点で越える。

 県道と川の間を少し進んで、次の香取集落の赤沼香取神社へ。

 7月と10月の日曜日には、享保3年(1718)から始まった赤沼の獅子舞が奉納さ
れるという。

 すぐ先、県道80号の南側に大屋根の寺が見えたので立ち寄る。弘安5年(1282)
に開基という常楽寺で、鎌倉時代の建築作風を残す山門は今は珍しいかやぶき。



 本堂は大きく、広い境内には、徳川家光の側室が眼病治癒祈願した結果、完治したとい
う薬師堂↓があり、源義家が東北遠征の折、駒を休めた駒止の松の跡には、新しい松が植
えられている。複雑な枝張りの大ケヤキも目に付いた。


    
 東に抜けて、墓地の横に複雑に曲がった松の横を出て、赤沼集落の南端付近を東南へ。
県道10号に近い畑にナノハナが咲く。
    

 県道を越えて松伏町に入ると、屋敷林の背後の紅梅白梅がよい彩り


 その東南、田んぼだった広いエリアに「まつぶし緑の丘公園」が出来ていた。面積は
26.5haり、広場ゾーン、水辺ゾーン、里山ゾーンの三つからなり、高く盛り土した里
山ゾーンはまだ造成中で入れない。


 広場ゾーンには、暖かな好天に誘われた家族連れなど、たくさんの町民で賑わう。ここ
で30分の休憩時間をとり、園内を自由散策とする。

 水辺ゾーンの遊歩道を少し回る。池と湿地が中心で枯れアシが多く、池のほとりのヤナ
ギが芽吹き始めていた。


 管理センター棟の一角には、商品はわずかながら農産物特産品の直売所もある。記念撮
影をして、公園を出た。
    

 県道の南側、宿通集落にも大屋根が見えたので寄る。光厳寺で、東側参道は松並木にな
っていた。



 大落古利根川左岸に戻り、さらに下流に向かう。流れにはカルガモが泳ぎ、堤防際の畑
には紅梅白梅が咲き競う。



 流れの大きく右カーブする地点にある堂面橋(どうめんばし)を渡って越谷市に入り、
さらに右岸堤防を進む。堤防には可憐なホトケノザが花盛り。

 大吉(おおよし)集落の徳蔵寺に回って、本堂前で小休止した。


 大吉集落の南端まで進む。大落古利根川と西側の新方川(しんかたがわ)が近づいたと
ころに、大吉調整池がある。ここも水位はかなり下がっていた。



 池の向こうに見える三角の高いネットは、キャンベルタウン野鳥の森。越谷市とオース
トラリアのキャンベルタウン市の姉妹都市提携10周年を記念して、同市から贈られたオ
ーストラリアの野鳥10数種が飼育されている。

 入口に着いたのが16時頃で、ちょうど閉門時刻となり入園は出来なかった。

 県道19号の定使野橋(じょうつかいのはし)を渡り、ゴールの弥栄団地バス停に16
時10分に着いた。間もなくのバスで東武スカイツリーラインの北越谷駅に向かう。

(参加 15人、天気 快晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 野田市、越谷、
 歩行地 春日部市、松伏町、越谷市、歩数 23,900)


【お詫び】最後の3枚の写真はくすんでいますが、このときはデジカメのレンズ前のレン
ズかバー部が全開しなくなり、画像の縁がけられたため見にくいですが、その場所を紹介
するため、あえて使用しました。




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秩父札所午歳総開帳記念ハイキング①和銅黒谷駅~秩父駅(埼玉)

2014-03-13 22:36:39 | ウオーキング
 2014年3月12日(水)

 今年は、秩父札所三十四ヶ所観音霊場の午歳(うまどし)総開帳の年で、3月から11
月まで、普段は見られないお厨子の扉が開かれ、観音様を拝見することが出来る。

 これを機に、西武鉄道と秩父鉄道合同の「秩父札所午歳総開帳記念ハイキング」が6回
にわたり各回とも春秋に2日ずつ開催されるので、その第1回に参加した。

 集合は秩父鉄道の和銅黒谷(わどうくろや)駅。平日ながら、同じ電車で下車したのは
100人以上はいたろうか。受付でコース地図をもらい、9時50分に出発する。
    

 東側の国道140号を横断して、平行する旧道に入ると内田家住宅がある。

 内田家は江戸時代初期から明治初年まで名主役を勤めた家柄。建物は秩父地方の大工の
優れた技術によるもので、17世紀初期の建築と思われるという。

 日影には、まだ2月の2度の大雪の残雪があちこちに見られる。


 門前に六地蔵の並ぶ法雲寺や、裏山にツツジが群生し秩父十三仏霊場の一つという瑞巌
寺前を通過し、栃谷の山裾にある一番札所の四萬部寺(しまぶじ)に着いた。

 入母屋(いりもや)造りの本堂は元禄10年(1697)の造営、秩父地方における社
寺建造物の規範となった建物のようで、県の文化財である。

 境内には、関東三大施餓鬼(せがき)の一つという施餓鬼堂や、その前に立つ元禄10
年に植えた古木の根から芽を吹いたという元禄八重紅梅、本堂前に並ぶ新しい十二支守本
尊、納経堂などが目に付いた。


 そばにある古い旅館、「旅籠一番」の前を下り、雪の残る横瀬川の支流を渡る。


 本来の巡礼道はその先を南東へ、中郷集落を抜ける谷間を進むのだが、残雪が多いので
迂回路となり、南西への県道11号を回ることになった。

    
 Y字路際にあった八坂神社の小さい社殿には、精巧な木彫が施されていた。高篠小や高
篠中の前を通過し、谷津集落の十字路を左折して東進する車道に入る。

 次の十字路を左折すると二番納経所の光明寺(こうみょうじ)だが、そのまま直進して
二番真福寺(しんぷくじ)に向かう。ところがこちらに来る人はほんのわずか。ハイキン
グ参加者のほとんどは、光明寺に入って折り返し、次の四番金勝寺に向かったようだ。


 小さい流れ沿いの車道は次第に高度を上げ、両岸の林や流れには残雪が増える。新しい
公衆トイレ前を過ぎて大棚集落の民家が減った辺りから、車道に分かれて真福寺への標識
に従い土道へ。

 すぐ先の民家のそばに、県天然記念物「岩棚のキンモクセイ」の古木がある。
    
 二番真福寺の開基大棚禅師が植えたものと伝えられるもの。樹高約10m、推定樹齢
500年以上などと記されていたが、枯れ枝になっていた。

 その先から巡礼道は杉林の下になり、残雪が続き傾斜も強まる。
    
 滑らぬよう注意しながら上がるが、久しぶりの山道なのと気温が上がっているので汗が
出る。

 やがてヘヤピンカーブの続く車道の中間に出た。そばの寿種茸園のそばに、洞の出来た
古木が立っていたが、何の木か分からない。


 ヘヤピンカーブが終わって辺りが開け、数本の紅梅が咲く二番真福寺下の広場に着いた。


 石段を上がった民家風の建物の上に、杉木立に囲まれた二番札所真福寺の観音堂がある。


 昔は、大きな観音堂のほか、本堂、仁王門、羅漢堂、稲荷社、諏訪社などがあったよう
だが火災で焼失し、現在の小さめの観音堂が再建されたらしい。

 本尊の聖観世音は室町時代の作といわれており、現在の寺は無住。お堂には精巧な木彫
が施され、開祖大棚禅師を描いた大きな額が奉納されていた。正午を過ぎたので、観音堂
横のベンチで昼食にする。

 寺は標高400mを超える高所にあり、南面に雪の残る山並みが望まれる。


 下りは、杉木立などに覆われて残雪の残るヘヤピンカーブの続く車道を戻る。
    

 大棚川沿いに出ると、対岸の岩から雪解けの水が凍ってツララとなっていた。
    

 二番納経所近くまで戻ると、民家の庭先にフクジュソウが咲く。


 二番納経所の光明寺は、南に武甲山と相対する開放的で明るい境内。山門は無いが、露
座の仁王像が立つている。

 真福寺への往復中に、ハイキング参加者はほとんど立ち去り、納経所も閑散としていた。

 寺は、桓武平氏の始祖となった高望王の弟の恒望王が、大同2年(807)に逝去した
邸宅跡に造った祈願所が始まりとか。のち武蔵七党の一つ、丹党の手で中興するなど、秩
父谷随一の格式を持った寺という。

 四番金昌寺に向かい、南に道をとる。大棚川を渡って間もなく、重要文化財に登録した
いような水野医院の風格ある日本家屋が目に入る。


 正面に武甲山が望まれるが、気温が上がった今日は霞んでいて、残雪の様子などは認識
しにくい。

 南東側の山を背にした四番札所金昌寺(きんしょうじ)についた。

 大きなわらじの奉納されたりっぱな山門を入ると、境内の斜面にはたくさんの石仏が並
んでいる。

 宝永年間(1704~11)以降、全国に分布する信者から菩提供養のために奉納され
たもので、1千体以上あるという。


 方形造りの観音堂には、赤子に乳を含ませる姿の慈母観音像↓が奉納され、そばの墓地
には、この地も選挙区とした元運輸大臣、荒船清十郎の墓と胸像が並んでいた。
        

 順序が逆になるが、三番常泉寺(じょうせんじ)を目指して西北に向かう。巡礼道の角
や通りには、石の道しるべや木の札などが置かれていた。
      

          

 深い渓谷となっている横瀬川を、車の通れぬふるさと歩道橋で渡る。
    
 渡った左岸橋際に、民話「お止めばし」の物語が掲示されていた。


 三番札所常泉寺は、西側背後に山を背にした矢追集落の高みにあった。


 観音堂には、繊細な木彫が施され、特に龍の刻まれた向背の海老虹梁のかごぼりと呼ぶ
きめ細かな彫刻で知られている。
    
 この観音堂は、明治3年(1870)に秩父神社の薬師堂を移築した江戸後期の建築物
で、本尊聖観世音菩薩は室町町時代のものとか。

 高みにある境内からは東側の展望が開け、山田集落やその向こうに広がる山並みが一望
できる。


 今日の巡礼はここで終わり、ゴールの秩父駅に向かう。南西へ斜面の土道を上がって行
くと、杉木立に覆われた辺り2か所には残雪があるが、そう長くは続かず、開放的な墓地
が並ぶ聖地公園に上がった。


 台地上の公園から延びる車道をを南西へ。横瀬町十五番集落から上がってくる三差路際
に、移築された旧秩父駅舎があった。

 大正3年(1914)に、秩父鉄道の前身、上武鉄道が大宮町(現秩父市)に延長され
たときに開設されたもの。昭和58年(1993)に、現在の秩父地域産業振興センター
内の駅舎建設に伴い、翌年移設したもので、駅舎の設計者は当地出身の坂本朋太郎博士と
いわれているという。

 日が傾き、武甲山の雪模様も少しずつ望まれるようになってきた。


 車道が秩父市外に向かって大きくヘヤピン状に下る辺りからは、秩父市の市街地やその
向こうの長尾根などが展望できる。


 市街地に下って国道140号を横断し、西に平行する路地を進む。上宮地町の十字路際、
関根家墓地に「でんでい場のツバキ」と呼ぶツバキの大木が立っていた。

 高さ6.6m、目通り1.3m、樹齢約250年という古木で、秩父市の天然記念物に指
定されている。

 その通りを西進して秩父鉄道下を抜け、ゴールの秩父鉄道秩父駅には15時18分に着
いた。

 下り電車まで時間があるので、駅舎の入っている秩父地場産業センタービルの1階にあ
る、秩父の土産品の並ぶ物産館を少しのぞく。

 まだ時間があるので、線路際を進んで隣の御花畑駅を抜け、西武秩父駅まで歩く。西武
秩父駅発16時8分の上り電車で帰途についた。

(天気 快晴後晴、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 皆野、歩行地 秩父市、累積
 標高差 上り約430m、下り約380m、歩数 29,100)
 



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山里探訪会講座で「秩父札所と巡礼道」を受講(埼玉・所沢)

2014-03-11 21:57:40 | 所沢だより
 2014年3月11日(火)

 東日本大震災から3年目の今日午後は、新所沢公民館で開催された山里探訪会講座「秩
父札所と巡礼道」を受講しました。講座のテキストです。
        

 講師は、山里探訪会代表の飯野頼治さん。昨日のブログでも紹介しましたが、今年は、
12年に1度の秩父札所の午歳総開帳にあたるので、これを記念しての講座です。

 配付された資料、午歳総開帳誘客促進連絡協議会のリーフレット
      

 その裏面の地図


 秩父観光協会のリーフレット


 珍しく今日は、デジタルカメラを持参するのを忘れたので、会場風景の写真はありませ
んが、会場の学習室は、1つの机に2人ずつの椅子がほぼ埋まる盛況でした。

 講師の飯野さんは、長らく秩父の高校で地理教師をされていて秩父の歴史や地理に詳し
く、現在は山岳地理研究家として活躍されています。

 今日の講座では、1.秩父札所成立と修験道、2.成立当時の秩父札所、3.日本百観音
と秩父札所、4.総出開帳、5.秩父札所の盛衰、6.巡礼道と巡礼者といったテーマで、
札所の成立から歴史、多くの霊場の中から秩父札所が日本百観音に位置づけられたこと、
江戸への出開帳の様子、年代による秩父札所の盛衰、江戸からの幾つかの巡礼道について
など、テキストと配布資料↓などで、興味深い話をたくさん紹介されました。
        

        

 私も12年ぶりのこの機会に、秩父札所巡りをしてみようと考えています。初回は明日
出かける予定です。





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秩父札所午歳総開帳はじまる(埼玉)

2014-03-09 20:35:02 | Weblog
 2014年3月9日(日)

 西国三十三番観音霊場、坂東三十三番観音霊場とあわせて日本百番観音霊場である「秩
父三十四ヶ所観音霊場」の、午歳(うまどし)総開帳が、3月1日(土)から11月18
日(火)までの期間ではじまりました。

 秩父札所の創建は約780年前の甲午(きのえうま)歳で、古くはこの干支(60年ご
と)の甲午歳に総開帳が行われていたようです。

 最近は12年に1度の午歳に総開帳が行われていますが、午歳に行われるのは、馬が観
音さまの眷属(けんぞく=つき従うもの、従者)だからといわれており、今年は甲午歳な
ので、60年に1度の特別なご開帳の年にあたります。

 総開帳では、普段閉じたままの札所の厨子の扉が開かれ、秘仏のご本尊様を拝見するこ
とができ、その上、お手綱と呼ぶ綱で観音様と手をつなぐことが出来ます。

 秩父札所三十四か所は、一番札所四萬部寺(しまぶじ)から三十四番水潜寺(すいせん
じ)まで、秩父鉄道の秩父駅や西武鉄道秩父線の終点、西武秩父駅を中心に、秩父鉄道の
終点三峰口から長瀞駅の間にあり、巡礼道の総延長は約100㎞です。

 歩いて回っても1週間前後で回ることができ、札所巡りのガイドブックも発行されてい
ますが、西武鉄道と秩父鉄道との合同で記念ハイキングが企画されていて、これに参加す
れば、最終回は一部バスにより6日間で全部の札所を回ることが出来ます。
      

 実はその第1回は、今日3月9日(日)に開催され、私も参加するつもりだったのです
が、数日前から軽い腰痛になったため、次の機会に行くことにしたものです。

 この合同ハイキングは、春は3月から5月まで各回を日曜と水曜の2回ずつ、秋は9月
から11月までの日曜と水曜に同様2回ずつ開催されるので、各回とも4回のうちの都合
のよい日に参加出来るようになっています。
  

 なお、第6回はバス利用のため、事前申し込み制(募集人員1,000名)です。詳細
は秩父鉄道の当ハイキング関連サイト及び秩父札所連合会公式サイトをご参照下さい。

 西武鉄道の駅には、以下のようなパンフレットも用意されていますので、沿線の方は入
手して参考にされて下さい。
            
 見開きでコースマップになっていて、1~10番、11~20番、21~25番、26
~29番、30~32番、33~34番の頁に分かれています。

 こちら↓は、秩父札所のことだけでなく、寄り道や割引きっぷ、秩父三社、食べ歩きな
どについても紹介されています。
        

 ちなみに私は、12年前の平成14年(2002)のご開帳の際にも、西武鉄道の記念
ハイキングに参加し、最後はバス利用せずに1泊して全札所を歩いて回りました。

        
 その時のご朱印帳↑と、もらった御朱印のうちの1番、17番、34番札所のところを
ご覧いただくことにしましょう。
    

    

    

 昨年3月30日には、「江戸巡礼古道をたどるみち」というコースを秩父鉄道の大野原
駅から浦山口駅まで歩きましたが、その時に立ち寄った19番龍石寺から25番久昌寺ま
での7か寺を紹介します。

 19番龍石寺


 20番岩ノ上堂


 21番観音寺


 22番栄福寺


 23番音楽寺


 24番法泉寺


 25番久昌寺


 この日は雨だったので、レンズが曇ったりして見にくい写真もありますが、幾分なりと
も秩父札所の雰囲気を感じてもらえたでしょうか…。



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所沢・椿峰緑道から北野天満宮へ(埼玉)

2014-03-07 17:27:39 | 所沢だより
 2014年3月7日(金)

 今日も気温は真冬並みで10℃まで上がりませんでしたが、昨日の冷たい風は治まったの
で、市内ウオーキングはいつものコースを離れて、市の南西郊外にある大規模住宅地、椿峰
(つばきみね)団地の間を東西に貫く椿峰緑道に回ってみました。

 椿峰緑道は、小手指南1丁目から4丁目にかけて4~6階建ての中小住宅が建ち並ぶ、椿
峰団地の間の稜線上を貫くように約1.4㎞にわたり設けられています。
     

 東側を南北に走る市道、さくら通りから緑道に入り、椿峰中央公園の近くまで進むと、マ
ンサクが咲いていました。
    

 アセビももう花盛り。
    

 緑道には、ところどころにベンチも置かれ、鉢植えの花もあります。
    

 団地の開発前のまま残る、雑木林も何か所かに小緑地として保存されています。
    

 椿峰の名の通り、以前はこの一帯の森にはツバキが多かったのではないかと思われますが、
現在は植え込みのツバキがあちこちにあり、多くの花の盛りは過ぎた感じです。
    

        

 緑道の西端まで進んで、南北に走る市道、北野天神通に回ります。路傍の空き地の白梅が
見ごろに。
    

 北進した、スーパー・ヤオコーの駐車場付近には、数本の紅梅が花盛りでした。
    

    

 北野天神前交差点に出て、うっそうとした森に囲まれた北野天神に入ります。
    

 拝殿の前の枝垂れ梅が開花していました。
    

         

 でも、拝殿の南東側にある神楽殿の前は、2月14~15日の大雪が残っています。


 近くに並ぶ力石(ちからいし)。
    
 徳川時代末期から明治時代初期まで、江戸を中心に関東各地で力を試したり記念として
奉納され、これを差し上げることにより神の感応を知る一種の石占いとしたとか。

 境内には、宗良親王遺跡という記念碑も。ここが、正平7年(1352)12月の小手
指ヶ原(こてさしがはら)合戦の御在所跡だったようです。
        

 拝殿の左手前には、天正18年(1590)に前田利家が献栽したという大納言梅が。
        
 菅原道真の子孫という前田利家は、小田原攻めの折、この神社に立ち寄ったのです
が、当時は戦乱で灰燼と化していたので、社殿を再興し1本の梅をここに植えて武運
長久を祈願したと記されています。
        
 

 西側の北野天神通に出る参道には、若木の紅梅が何本か開花していました。
        

 神社を出て、その北野天神通をさらに北進します。畑のオオイヌノフグリが花盛り。
    

 国道463号バイパスに入って東進すると、古くからの農家の庭先では、りっぱなシダ
レウメが見ごろ。
    

        

        
 このお宅には2本のシダレザクラがあり、ほかにもう1本紅梅の枝垂れ梅もありました
が、こちらはまだつぼみでした。




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所沢のひな飾り(埼玉)

2014-03-02 16:18:35 | 所沢だより
 2014年3月2日(日)

 今日の首都圏は真冬並みの寒さが戻り、最高気温も10度に届かないところが多いよう
ですが、明日3月3日はひな祭りの日です。

 所沢は「ひな人形や押絵羽子板」の町なので、所沢市中心市街地活性化拠点施設である
元町交差点近くの「野老澤町造商店(ところさわまちづくりしょうてん)」では、2月1
日(土)から3月5日(水)まで、「野老澤雛物語(ところさわひなものがたり)」と名
付けて、江戸時代から平成までのひな人形や御殿飾りなどの展示をしています。
      



 何度かこの前を通りながらいつも通過していたので、ひな祭りを明日に控えた今日、入
ってみました。中央に、江戸時代後期と明治期のひな飾りが並んでいました。


 江戸時代後期のもの


 明治期のひな人形。  
 

 こちらは昭和30年代のようです。


 大正時代の人形。


 こちらは江戸時代のもの




 吊しびなも


 犬張り子などの人形。




 江戸時代からの市松人形や江戸縮緬(ちりめん)などで、人形用に仕立てられた着物の
数々も並んでいます。




 このような折りかぶとも。
 

 額絵や針刺しなどを販売していました。


 つるし飾りは1,500円で。


 所沢人形協会加盟店からの出展。


 ちなみに、所沢人形協会には所沢市内8店のほかに、近接のふじみ野市や狭山市、新座
市、東京・東村山市、東大和市、武蔵村山市の人形店と羽子板製造店を合わせて16店が
加盟しているようです(平成23年9月現在の名簿による)。

 なお、野老澤町造商店のウェブサイトはこちら




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