2015年6月21日(日) 午後
続カタツムリ歩行の例会が、ゴールの和楽備(わらび)神社で13時過ぎに散会になり、
ポチポチ雨も落ちてきましたが、近くの北町三丁目にある三学院(さんがくいん)を回っ
てから帰ることにしました。
神社の南西端から、北西に延びる住宅街の道路を300m足らずで、三学院の仁王門前
に出ます。
仁王門を入ると、広い芝生地の正面に立つ大本堂に圧倒されます。
三学院は、真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺とか。創立年代は不明の
ようですが、本尊の木像十一面観音菩薩立像は平安時代後期のということや、ほかの資料
などから、中世以前の創建と考えられているようです。
天正19年(1591)には、徳川家康から寺領20石の朱印状を賜り、以後歴代の将
軍からも同様の朱印状が与えられているとのこと。また、足立坂東三十三観音霊場20番、
北足立八十八霊場30番霊場、関東百八地蔵霊場5番札所のようです。
仁王門を入って右手には、これも大きな新しい阿弥陀堂が目に付きます。
門内左手の、回廊に沿って幾つものアジサイが花を見せていました。そのひとつ。
その先には、鐘楼と三重塔が立っています。いずれも近年の建立のよう。
本堂前に立つ弘法大師の修行大師像。これも、ほかのお寺さんで見たものよりかなり大
きな像でした。
本堂左手の庭園には、あちこちの水がめにハスが咲いていました。
本堂と阿弥陀堂の間を裏手に回ると、正面に弁天堂が。
堂内の極楽弁天は江戸時代の作といわれ、結縁、商売繁盛、学業などに霊験あらたかと
のこと。
近くに咲くアガパンサス
阿弥陀堂横の仏舎利殿金亀舎利塔は修理中でした。
この仏舎利殿には、西遊記で親しまれている玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほし)
の霊骨が納められているようです。
阿弥陀堂の前に戻ると、ユリが何株か咲いていました。
仁王門を入って右手の手水舎には、黄金のカメが。
三学院の山号、金亀山(きんきさん)にちなむもののよう。
境内を一巡して仁王門を出て、長い参道を南進しました。中ほどに大きな地蔵堂があり、
中には子育地蔵、六地蔵石仏、それに目疾地蔵が祭られています。
正面の子育地蔵は、元禄7年(1694)に造立されたもの。高さ約2.4mあり、蕨
市内最大の地蔵尊で、火伏(火災防止)・開運・子育地蔵として、信仰を集めているよう。
左手前は目疾(めやみ)地蔵、その横に六地蔵石仏が並んでいます。
六地蔵は、江戸初期の寛文~元禄年間(1661~1704)にかけて造立され、蕨市
内の六地蔵中、最古で最大のものとのこと。
目疾地蔵は、万治元年(1658)の造立、高さ約1.9mあり、目に味噌を塗ると目
の病気がなおる、あるいは目の病気にならないといわれているとか。
地蔵堂のそばに立つ常夜灯は、元禄14年(1701)の造立。
傍らには、お釈迦様のお足跡を石面に表した、健脚祈願のための新しい仏足石が。
参道の出入口、惣門の近くには、梵字馬頭観音塔が立っていました。
江戸後期の寛政12年(1800)に造立されたようで、梵字で表現した馬頭観音塔は
初めて見たような気がします。
ふり返り見る惣門。
三学院を出て、国道17号・中山道を市役所入口交差点の方に進むと、古い薬局が。
看板は右書きなので、少なくとも70年以上の歴史はありそう。
近くに立つ中山道の標識と広報板。
次の信号を右折して富士見公園通りに入ると、これも古い甘納豆の店が。
富士見公園通りを西南に向かい、隣の戸田市に入ると北大通りに変わりました。
JR埼京線の戸田駅に14時20分に着き、下り電車で帰途につきました。
埼玉県 ブログランキングへ
にほんブログ村
続カタツムリ歩行の例会が、ゴールの和楽備(わらび)神社で13時過ぎに散会になり、
ポチポチ雨も落ちてきましたが、近くの北町三丁目にある三学院(さんがくいん)を回っ
てから帰ることにしました。
神社の南西端から、北西に延びる住宅街の道路を300m足らずで、三学院の仁王門前
に出ます。
仁王門を入ると、広い芝生地の正面に立つ大本堂に圧倒されます。
三学院は、真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺とか。創立年代は不明の
ようですが、本尊の木像十一面観音菩薩立像は平安時代後期のということや、ほかの資料
などから、中世以前の創建と考えられているようです。
天正19年(1591)には、徳川家康から寺領20石の朱印状を賜り、以後歴代の将
軍からも同様の朱印状が与えられているとのこと。また、足立坂東三十三観音霊場20番、
北足立八十八霊場30番霊場、関東百八地蔵霊場5番札所のようです。
仁王門を入って右手には、これも大きな新しい阿弥陀堂が目に付きます。
門内左手の、回廊に沿って幾つものアジサイが花を見せていました。そのひとつ。
その先には、鐘楼と三重塔が立っています。いずれも近年の建立のよう。
本堂前に立つ弘法大師の修行大師像。これも、ほかのお寺さんで見たものよりかなり大
きな像でした。
本堂左手の庭園には、あちこちの水がめにハスが咲いていました。
本堂と阿弥陀堂の間を裏手に回ると、正面に弁天堂が。
堂内の極楽弁天は江戸時代の作といわれ、結縁、商売繁盛、学業などに霊験あらたかと
のこと。
近くに咲くアガパンサス
阿弥陀堂横の仏舎利殿金亀舎利塔は修理中でした。
この仏舎利殿には、西遊記で親しまれている玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほし)
の霊骨が納められているようです。
阿弥陀堂の前に戻ると、ユリが何株か咲いていました。
仁王門を入って右手の手水舎には、黄金のカメが。
三学院の山号、金亀山(きんきさん)にちなむもののよう。
境内を一巡して仁王門を出て、長い参道を南進しました。中ほどに大きな地蔵堂があり、
中には子育地蔵、六地蔵石仏、それに目疾地蔵が祭られています。
正面の子育地蔵は、元禄7年(1694)に造立されたもの。高さ約2.4mあり、蕨
市内最大の地蔵尊で、火伏(火災防止)・開運・子育地蔵として、信仰を集めているよう。
左手前は目疾(めやみ)地蔵、その横に六地蔵石仏が並んでいます。
六地蔵は、江戸初期の寛文~元禄年間(1661~1704)にかけて造立され、蕨市
内の六地蔵中、最古で最大のものとのこと。
目疾地蔵は、万治元年(1658)の造立、高さ約1.9mあり、目に味噌を塗ると目
の病気がなおる、あるいは目の病気にならないといわれているとか。
地蔵堂のそばに立つ常夜灯は、元禄14年(1701)の造立。
傍らには、お釈迦様のお足跡を石面に表した、健脚祈願のための新しい仏足石が。
参道の出入口、惣門の近くには、梵字馬頭観音塔が立っていました。
江戸後期の寛政12年(1800)に造立されたようで、梵字で表現した馬頭観音塔は
初めて見たような気がします。
ふり返り見る惣門。
三学院を出て、国道17号・中山道を市役所入口交差点の方に進むと、古い薬局が。
看板は右書きなので、少なくとも70年以上の歴史はありそう。
近くに立つ中山道の標識と広報板。
次の信号を右折して富士見公園通りに入ると、これも古い甘納豆の店が。
富士見公園通りを西南に向かい、隣の戸田市に入ると北大通りに変わりました。
JR埼京線の戸田駅に14時20分に着き、下り電車で帰途につきました。
埼玉県 ブログランキングへ
にほんブログ村