あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

JR東日本「駅からハイキング」で城下町弘前を歩く(青森)①

2012-06-30 22:21:41 | JR東日本駅からハイキング
 2012年6月25日(月)

 私の、JR東日本「駅からハイキング」2日目は、青森県第3の都市の玄関、弘前
(ひろさき)駅からだが、受付は10時から11時の間になる。

 宿泊した東横インは駅前すぐのところにあり、朝食後10時までには時間があるので、
その前にコース外の旧弘前偕行社(かいこうしや)まで往復することにする。9時ちょ
うどに弘前駅前をスタートした。

 駅前広場から西に向かうバス通りを進み、交差する並木通りの先で南を平行する通り
へ。県道109号に入ると、分離帯のラベンダーが見ごろになっていた。


 旧弘前偕行社の東側に、「太宰治まなびの家」があった。大正10(1921)年に
建てられた旧藤田家住宅で、「中廊下型住宅」と呼ばれるものとか。


 のち太宰治となった津島修治が、旧制官立弘前高校に通学した昭和2年(1927)
から5年まで止宿した家だという。開館は10時からなので、中には入れなかった。


 道路を隔てて西側の、弘前厚生学院構内に旧弘前偕行社がある。明治末期、日清戦争
後に増設された陸軍第八師団の親睦厚生施設として建設されたもの。


 イタリアのルネッサンス様式を基調とした建物で、東北地方に現存する陸軍関係施設
の代表的遺構として、国の重要文化財に選定され、現在は弘前厚生学院の記念館になっ
ている。


 帰路は、平行する道などを戻り、9時55分に弘前駅前に着いた。10時を待ち、駅
構内の弘前市観光案内所に入る。「駅からハイキング」の受付をして、10時5分にス
タートした。

 駅前広場から、西に延びる自転車と歩行者だけの遊歩道に入る。すぐに公園があり、
緑陰に噴水やベンチが設けられていた。



 幅広い遊歩道の両側には商店が並び、ところどころに大きなモニュメントも並んでい
る。遊歩道は700mほどで終わった。


 品川町から住吉町へと進み、背後に大イチョウの立つ松尾神社の横を通過する。


 弘前中央病院の南側で左折し、稲荷神社境内に沿って進む。鳥居には、太いしめ縄が
下がっていた。


 その通りが終わったところに小屋があり、御膳水(ごぜんすい)と呼ぶ湧水が出てい
る。


 貞享3年(1686)、津軽藩四代藩主の命により紙すき用の水源として設けられた
「紙漉座(かみすきざ)」のひとつ。

 明治14年(1881)、明治天皇巡幸の折、この水をお茶や食事の用水として使用
したので、以来「御膳水」と命名されたという。水はよどんでいて、現在の湧水量は少
なそうだった。

 そばの三差路を右折してすぐ先にも、「富田の清水」と呼ぶ湧水の小屋が設けられて
いる。やはり紙漉座のひとつ、昭和の初めまで紙すきに利用され、その後は生活用水と
して使用されたとのこと。


 こちらは環境庁の「名水百選」に認定されていて、車で来た人が何本ものペットボ
トルにくんでいた。私もコップで飲んでみたら、まろやかな味わいだった。


 弘南鉄道大鰐線の踏切を越えて、突き当たりの高台にある最勝院に上がる。桜や松、
モミジなどの古木に囲まれた広い境内には、幾つもの堂塔が並び立つが、いちばん目に
つくのが高さ31.2mの五重塔である。


 津軽統一の際、敵味方の区別無く戦死者を供養するため、三代藩主信義から四代藩主
信政にかけて建造されたもの。完成は寛文7年(1667)東北一の美塔とたたえられ、
国指定重要文化財になっている。


 ほかに、如意輪観音を祭る六角堂↑、密厳舎、聖徳太子堂、「平和の鐘」を吊す鐘楼、
最近再建らしい水屋などがあり、本堂は修理中。聖徳太子堂のそばには、大きな庚申塔
が並んでいた。


 りっぱな山門を出て、北側の八坂神社に回り参拝する。約300年前に祈願所として
創設され、文武両道の神として崇敬されているという。


 境内には桜の古木が何本か見られる。


 神社の北から、新寺町寺院街に向かって伸びる通りを少し進み、県立弘前高入口の先
にある袋宮寺へ。

 そう広くはないが緑の多い境内、本堂は延宝5年(1677)ころの建立と伝えられ、
本尊にあわせて天井が高く、県重宝になっている。

 本尊十一面観音は、四代藩主信政が父の菩提をともらうために弘前城内の老木を使用
して造らせたものとか。像高は5.95m、県下最大級の木造物で、「背高観音様」と
して知られ、本堂同様に県重宝である。

 正面の扉が閉じていたので、開けるまでこのような大きなご本尊があるとは気づかな
かった。堂内に、「駅からハイキング」のチェック用スタンプがあり押印する。


 道路を隔てて北にあるのが稲荷神社↑。寛永5年(1628)の建立といわれ、当時
からのものと推定されるイチイの古木↓や、市内最大級というケヤキなどが保存樹林と
して管理されている。


 袋宮寺の南西に回って報恩寺に入る。明暦元年(1655)11月、江戸で亡くなっ
た三代藩主信義の菩提を弔らうため四代信政が翌二年に創建したという。現在の本堂は
宝永元年(1704四)の再建で、県重宝となっている。


 本堂前には、本尊釈迦如来の脇侍である獅子に乗った小さい文殊菩薩が祭られていた。

 稲荷神社に戻り、西側を回って弘前大学医学部の前に出て、水の涸れた寺沢川沿いを
西に向かう。


 下寺沢橋で川に分かれ、次の信号を西へ、すぐに右折して寺町の東側の通りを北進する。

 中ほどまで進むと天満宮の大きなのぼりが立ち、さらに直進して天満宮境内に入った。
境内は桜が多く、良い緑陰となっている。


 西側には、大正期の「全国大桜番付」にも記載され、県天然記念物で推定樹齢500
年以上という 、「天満宮のシダレザクラ」がある。


 シダレザクラの西は断崖となっていて、残雪の岩木山が頭を雲に隠して望まれる。


 参道の中ほどから土手のトンネルを東に抜けて、覚仙町の家並みを進む。突き当たり
を左折して、「趣のある建物」に指定された大阪屋前や消防署前を通過する。



 道路を挟んで弘前市役所と相対する今日のゴール、近代的建物の弘前市立観光館に
12時35分に着いた。  (続く)


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JR東日本「駅からハイキング」で城下町「一関」を歩く(岩手)

2012-06-29 13:21:05 | JR東日本駅からハイキング

 JR東日本「大人の休日倶楽部パス」を利用して、6月24日(日)から4日間、岩手
県と青森県の四つの町並みを歩く「駅からハイキング」に参加した。

 JR東日本の「駅からハイキング」は、事前申し込みが必要だが、今回参加したのはい
ずれも「期間設定コース」。開催期間中の受付時間内に直接受付場所に行けば、参加でき
るようになっている。

========================================

 2012年6月24日(日)

 JR大宮駅8時22分発の東北新幹線はやて103号に乗り、10時21分に一ノ関駅
に着いた。


 駅構内には、災難よけの守り神「かまど神」↑や、夏祭りに舞われる「大龍神」が飾っ
てある。


 駅前の一関観光協会で「駅からハイキング」の受付を済ませ、10時36分に出発した。
 ちなみに、地名は「一関市」だがJRの駅名は「一ノ関駅」である。


 駅前ロータリーに、一ノ関藩の賢人だったという大槻三代の「三賢人像」が立ち、近く
には終戦直後に襲った二つの台風の洪水水位が記されていた。


 洪水水位の説明文によると、昭和22(1947)年9月のカスリン台風では一関の中
心部は一階が水没し、翌年9月のアイオン台風では市内の磐井川が決壊し、死者行方不明
573名にのぼる未曾有の大被害だったという。

 西に向かう駅前通の歩道には、一関出身の著名人の、業績を記したレリーフが幾つか並
んでいる。


 四つ目の信号で右折して中街通りに入ると、日本キリスト教団一関教会の教会堂が目に
つく。教会堂は昭和4(1929)年の建築、国の登録有形文化財である。


 隣は、かやぶき屋根の旧沼田家武家住宅で、一関市有形文化財になっていて一般公開さ
れている。


 建物は、江戸時代後期の一関藩家老職沼田家の住宅で、創建は18世紀初めから中頃と
推定され、約300年の歴史があるという。

 案内人の男性が居られたので室内に上がり、藩政時代の暮らしぶりや家の造り、家具や
記録資料などを見せていただき説明を聞く。


 簡素ながら緑多い庭園の、新緑とツツジが気持ちよい。


 同じ通りを進み、どっしりした石積みや白壁土蔵、レンガ造りなどの建物の並ぶ世嬉の
一(せきのいち)酒造へ。


 入口に、「酒林(さかばやし)」と呼ぶ杉玉の下がる土蔵造りの建物は、大正7(1918)
年に酒の仕込み蔵として建築されたもの。国の登録文化財で、現在は「酒の民俗文化博物
館」(有料)になっている。


 隣の建物にある売店でチケットを買って入館する。入って左手にある「文学の蔵」は無
料。日本一小さな文学館と記され、一関ゆかりの文人、井上ひさし、星亮一、中津文彦、
遠藤公男などの紹介と作品などが並んでいる。


 民俗文化博物館には、精米から麹づくり、仕込み、火入れなど酒造りの行程の紹介やそ
の用具、杜氏(とうじ)の生活を紹介する杜氏部屋の様子などが展示されていた。




 博物館に相対する白壁の建物↓は、もと製品倉庫で昭和24(1949)年から27年
まで映画館だったとか。当時中学生だった井上ひさしさんが、きっぷもぎりのアルバイト
をしていたという。


 ほかに、もとは精米所だったという砂岩のレンガを積んだ建物、酒蔵を改築してレスト
ランになっている建物など並んでいる。


 また中庭には、「酒造りの水」と呼ぶ湧水、直径2.4mの仕込桶(しこみおけ)、ミ
ニ水田、島崎藤村の歌碑などがあり、見どころが多かった。


 北側の通りに出て左折すると磐井川の磐井橋のたもとに出る。橋の手前に、松尾芭蕉が
奥の細道紀行で二夜を過ごした「二夜庵跡」の石碑と、同行した曽良の旅日記抄碑が並び、
奥の細道の旅程図もあった。芭蕉は、この付近の金森家に二泊したという。



 橋から磐井川の流れを見て引き返し、信号の先の三差路を入ったところには、ジャズ喫
茶「ベイシー」がある。


 質の良いサウンドを求めて全国のジャズファンが足を運ぶジャズ喫茶とのこと。カウン
トベーシーやHIFIスピーカーJBLの社長も訪れた名店で、渡辺定夫など多くの大物アー
ティストがライブを行い、マスターが保有するレコードは全部で25トンあるという。

 世嬉の一酒造の角まで戻って東に向かうと、150mほどで白壁の土塀に囲まれた浦し
ま公園がある。一関藩主田村家の迎賓館跡を利用した公園とのこと。


 「にしき庵」と呼ぶ茶室、石灯篭を配した池などのある純和風庭園は緑がいっぱいでツ
ツジも咲く。一巡した後、東屋で昼食をした。



 大町角バス停のところに出て、広い通りを駅方向の南に向かう。蔵造りの商店なども見
える通りは。電線を地中化してすっきりしていて歩きやすい。


 「新鮮館おおまち」というのが目についたので入る。中では、地元の新鮮野菜や気仙沼
の魚介類などを販売していた。


 歩道には、江戸時代に時刻を知らせるために用いた太鼓を主題にしたという、シンボル
タワー「時の太鼓」↓や、「大町の由来」を記した説明板がある。


 午前中訪ねた旧沼田家住宅が「駅からハイキング」のチェックポイントになっていたが、
スタンプを押し忘れたのでもう一度行き、押してくる。

 予定の新幹線にはまだ早いので南に回り、丘陵にある釣山(つりやま)公園に向かった。

 釣山公園は古代から軍事上の要塞で、坂上田村麻呂の陣地や安部貞任の弟、磐井五郎家
任のとりで、源頼義、義家親子の陣地などだったとか。現在は桜の名所として知られ、市
民の憩いの森として賑わっているようだ。


 緑あふれる公園内を一巡し、高台の展望台から眼下の磐井川や、一関市街地などを展望
する。


 最高点付近には、坂上田村麻呂を祭神とする田村神社があり、中腹には田村藩主の井戸
が復元されている。


 傍らの清庵野草園には、ノカンゾウ、ワレモコウ、オケラ、ヌマトラノオなど、約百種
の野草が栽培されていた。

 公園入口に戻って駅の方に向かう。公園近くの民家にも、いろいろな草花が並び、通り
行く人々の目を楽しませてくれる。

 駅前通りと中街通りとの角にある「やぐらの広場」に、江戸時代に時刻を知らせた「時
の太鼓」の太鼓やぐらが復元されていた。


 駅前通りを進み「芭蕉の辻」石碑前を通過し、一ノ関駅前には13時40分に戻る。観
光案内所でゴールの受付をしてもらい、初日の「駅からハイキング」を終わる。

(天気 曇後晴、距離 5㎞、歩行地 一関市、地図 「一ノ関駅前散策MAP」、
 歩数 10,600)



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盛岡市内をめぐる

2012-06-27 17:07:11 | Weblog
6月27日、今日も昨日に続き快晴である。盛岡駅で、早めにJR東日本の
駅からハイキングの受付をしてもらい、9時32分にスタートした。
北上川の橋ひとつ分川沿いの遊歩道を進み、石川啄木新婚の家へ。
月曜日に歩いた弘前市内の中学生が来ていた。
中央通りを東に進み、盛岡地裁にある石割桜を見る。
近くの龍谷寺でモリオかシダレザクラを見て、
報恩寺では、羅漢堂に祭られた五百羅漢を拝観した。
三ツ石神社には、鬼が手形を押したという三つの巨石がある。
鮭の遡上するという中津川沿いに南下し、国重要文化財の岩手県公会堂を見て、
近くのプラザおでってでチェックのスタンプを押す。
わんこそばの東家本店で、昼食にそばを食べる。
中津川に近い啄木・賢治館を観覧し、さらに下流の啄木・牧水歌碑に回る。
川沿いを少し戻って、対岸の盛岡城跡公園に北に抜ける。
公園そばのもりおか歴史館を観覧し、繁華街の中央通りを進み、
15時20分に盛岡駅にゴールした。
最寄りの上り新幹線はやてに空席は無く、予定した16時41分発
はやて32号で帰途につく。
はやて車内から、最終日の報告です。
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みなとまち八戸を歩く( 青森)

2012-06-26 19:46:03 | Weblog
6月26日、八戸駅7時55分発八戸線で、4駅先の陸奥湊駅まで行く。
JR東日本の駅からハイキングの受付をして、8時18分に出発した。
館鼻漁港を回り、近くの館鼻公園に上がり、展望塔から八戸の街並みを一望する。
二つの神社と一つの寺に寄った後、赤煉瓦の八戸酒造前を通過して、
新井田川の橋を渡る。
国登録有形文化財の旧旭商会と新むつ旅館の二つの建物を見て、
陸奥湊駅に11時10分に戻った。
予定より早かったので、八戸駅に向かう途中で本八戸駅で下車して、
近くの八戸城跡の公園を訪ねる。
八戸駅に12時38分に着き、急ぎ昼食をして、東北新幹線はやてに乗る。
盛岡駅に13時35分に着き、盛岡城跡に行く。
八戸市内は爽やかだったが、盛岡は暑い。夕方のニュースでは
最高気温は27.8度だったという。
盛岡駅前のビジネスホテルには、15時25分に入った。
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弘前市内を歩き八戸へ

2012-06-25 19:41:34 | Weblog
6月25日(月)、弘前駅前のビジネスホテルを出て、
駅からハイキング受付前に、太宰治まなびの家と
旧弘前偕行社まで往復する。
10時に、JR東日本の「駅からハイキング」の受付をしてコースへ。
駅前を伸びる遊歩道から松尾神社、御膳水、富田の泉を経て、
国宝の景勝院五重塔を見る。
八坂神社からチェックポイントの袋宮寺へ。
本堂には、6m近い十一面観音が祭られていた。
近くの報恩寺に参拝し、天満宮へ。しだれ桜の古木の近くから、
岩木山が望まれた。
ゴールは、弘前公園や市役所そばの市立観光館。
12時35分に着いた。
館内の食堂で昼食をした後、弘前公園に入り、
弘前城跡を北に抜ける。
さらに北側の、仲町伝統的建造物群保存地区を回り、
弘前駅に14時50分に戻った。
15時14分発特急つがる3号で新青森へ。新幹線はやてに乗り継ぎ、
16時36分に八戸駅に着き、駅前のビジネスホテルに入る。
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城下町「一関」を歩き弘前へ

2012-06-24 20:11:53 | Weblog
6月24日、大宮8時22分発の東北新幹線「はやて」で、
一関に10時21分に着く。
駅前の観光案内所でJR東日本の駅からハイキングの
受付を済ませ、市内のウォーキングに。
まず一関藩の家老、旧沼田家住宅に行き、中を案内してもらう。
次に、世嬉の一酒造に入り、
酒の文化博物館を観覧する。
近くの浦しま公園の東やで昼食をした。
一関の一番の繁華街、大町を抜け、少し戻って釣山公園に
上がり、一関の街並みを見下ろす。
駅に戻って、一関14時14分の新幹線やまびこ号下りに乗る。
盛岡、新青森と乗り継ぎ、17時16分に弘前駅に着き、
駅前のビジネスホテルに入った。
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明日から北東北のタウンウオーキングへ

2012-06-23 21:30:59 | Weblog
 明日、6月24日(日)から27日(水)まで、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」
を使って、青森県と岩手県で開催中のJR東日本の「駅からハイキング」に出かけます

 現地からは、モブログで簡単に報告し、詳しくは帰宅後の6月28日(木)以降、順次
アップする予定です。

 どこに行くかは、現地からのモブログでご覧下さい。では、行ってきまーす。
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スイスの鉄道① ベルンのトラムとトロリーバス

2012-06-22 22:12:14 | スイス旅行
 5月27日(日)から6月2日(土)まで巡ったスイス8日間の旅の中で、各地で幾つ
かの鉄道に乗ったり、目にしたりしました。それらの鉄道について紹介します。

 はじめは、初日に宿泊したスイスの首都、ベルンの中心部、世界遺産になっている旧市
街の、時計塔とベルン中央駅、それに連邦議会議事堂を結ぶあたりを走っていた「トラム」
(Tram)と呼ぶ市街電車とトロリーバスです。

 トラムは、2連から4連くらいの連接車がかなりひんぱんに通過しました。


 こちらはトロリーバス。


 これは何連なんでしょうか。


 南側の橋を渡って中心街に向かうトラム。 


 この日は祝日だったようで、ビルの窓には国旗が掲げられていました。




 トラムのトロリー(架線)が張られた通り。


 トラムのスピードはそう早くないので、直前直後を横断する人も見られます。


 時計塔の横を通過するトロリーバス。


 白いボディのトラムは、少なかったように思われます。


 Y字路を行き交うトラム。


 これも長い連接車。


 広場の向こうを通過するトラム


 朝のラッシュ近くになり、次々にトラムがやって来ました。








 電車のベルン中央駅近くにあるのトラムの中心的な駅


 トラムを降りた通勤客が、職場に向かうのでしょうか…。 


 首都とはいえ人口14万人というベルンで、何路線で何㎞くらいの路線があるのか分か
りませんが、中心街で見ていると、かなり途切れなくトラムやトロリーバスがやってきて、
市民の大切な足となっていることが感じられました。


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東村山市、北山公園の菖蒲まつりへ(東京)

2012-06-19 21:28:41 | Weblog
 台風4号が接近して、首都圏も風雨が強まっています。皆さんのところはいかがで
しょうか。十分にご注意下さい。今日は、台風前の昨日訪れた菖蒲園の様子です。

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 2012年6月18日(月)

 午後、東村山市の八国山緑地の南側、北山公園菖蒲園で開催されている「第24回
東村山菖蒲まつり」に出かけました。




 所沢市の自宅から歩いて1時間余り、北山公園は都県境を越えてすぐ南側にあります。




 この菖蒲園には、約170種類約10万本の菖蒲が栽培されているとのこと。多くの
花は見ごろになっていました。




 幾つもある菖蒲田の間に遊歩道があるので、西から東へ順次回って観察しました。




 菖蒲田の間にある田んぼで、植えて間もない稲の補植をしています。


 多彩な彩りの菖蒲の数々。








 ほぼ真ん中にある東屋の周辺。


 東南端には、もっと大きな東屋があり、臨時のテントも設けられていました。




 菖蒲田の北側、西武線の線路近くにはアジサイが10数株、こちらも見ごろに。




 菖蒲の一番多いあたり。






 南側の東屋近くに、ほかにはない黄色の菖蒲が咲いていました。






 大きな東屋の近くで、花を写生する人も見えます。




 30分余り見て回り、東南端から北山公園を抜けて帰路につきました。

 なお、開花状況などは、第24回東村山菖蒲まつりの公式ホームページをご参照下さい。

 台風4号の影響で20日以降、花がどうなっているかちょっと心配です。



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カタツムリ歩行 京王電鉄京王線 東府中駅(東京)

2012-06-18 21:29:15 | カタツムリ歩行
 2012年6月17日(日)

 JR武蔵野線周辺の駅から半日歩く、カタツムリ歩行の第215回例会に参加した。

 集合は京王電鉄京王線の東府中駅、10時10分に北口をスタートする。


 国道20号、甲州街道に出てイチョウ並木の通りを東へ、400mほどに常久(つねひ
さ)八幡神社があった。


 常久とは、このあたり地若松町一丁目の一部の地名で、もとは多摩川のほとりにあった
のが、万治年間(1658~61)に洪水にあい、移動してきたと伝えられているようだ。

 神社の本殿前にテントが張られ、地元の男性たちが酒を酌み交わしていた。聞くと、境
内の太鼓倉庫の改修工事が終わり、その祝典が済んだあとだったという。

 長い参道の南側は、よい緑陰の小公園になっている。


 南側の通りに出てさらに東に向かう。すぐ近くのお宅は、玄関までにりっぱな植栽が植
え込まれていた。



 甲州街道に戻って少し東進して、「日本橋まで28㎞」の標柱の立つ交差点を渡り、消
防署の背後にある上染屋(かみぞめや)八幡神社に入る。

 前方を大きな樹木に囲まれた社殿は、ほかでは見たことのない軒高(のきだか)の屋根
になっている。


 境内を背後に抜けて、ケヤキ並木の通りを横断して西側の若松町二丁目に入ると、玄関
前にかわいい兎の置物を並べたお宅があった。


 府中工高の東側に植木畑があり、何本ものザクロが花を見せている。


 若松小と府中工高の間を通過して新小金井街道を横断する。府中工高のグランド際には、
りっぱな街路樹↓が植えられていた。


 すぐ先は航空自衛隊府中基地。金網の向こうの草地に古いジェット戦闘機が2台展示さ
れているが、機種の説明板は飛行機のそばにあるので読めない。




 航空自衛隊基地と行っても、飛行場は無くヘリポートのみだという。

 なお、航空自衛隊府中基地の概要については、当基地のウェブサイトを参照下さい。

 基地の南側歩道には、松の古木の街路樹が続いている。


 基地の西側には、府中の森芸術劇場の大きなホールがある。

 
 この日は、東京都高校吹奏楽連盟の第50回定期演奏会が開催されていて、ホール前に
は高校生の姿がたくさん見える。


 芸術劇場の北側一帯は都立府中の森公園。昨日の雨に濡れてみずみずしい緑陰が広がる。


 府中の森芸術劇場や府中の森公園なども、もとは航空自衛隊府中基地だったようだが、
昭和57(1987)年に基地が縮小されて返還され、このような施設を造ったようだ。

 

 府中の森公園の、東端の遊歩道を北に進む。



 公園の北側、サッカー場付近では、ビオウヤナギやスミダノハナビが見ごろに。


 府中の森公園の東北端から東へ、航空自衛隊基地と平和の森公園の間を進み、新小金井
街道の近くまで行くと、畑の一角がハナショウブ畑になっていて、やや盛りを過ぎたが、
たくさんの花が見られる。




 畑の傍らには、マリーゴールドも咲いている。


 新小金井街道を横断して、明大グランドの手前から浅間山公園に入った。


 豊富な広葉樹林に覆われている公園内を東北端に進み、最高点にあるゴールの浅間神社
に12時04分に着いた。


 神社のそばに、標高79.7mの2等三角点があり、その近くで昼食をする。


 昼食後、記念撮影とミーティングをして、13時近くに散会となる。


 (天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 府中市、歩数
 7,300)


 この後私は、公園の北に抜けて多磨霊園そばに出て、新小金井街道を北に進んで東八道
路を横断する。西の久保通りを進んで、13時50分にJRと西武鉄道の国分寺駅に着き、
西武国分寺線で帰途についた。 (東府中駅から 通算距離 9㎞、歩数 13,300)



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