今年もついに残りわずかとなりました。2月にブログを始めて
10か月余り、皆様にはご覧いただきありがとうございました。
新年も、一層読みやすい、分かりやすい、興味あるブログとなり
ますよう努力するつもりですので、引き続きご覧下さるようお願い
申し上げます。皆様よい年をお迎え下さい。
今年の最後は、初めて歩いた四国遍路の最終章・高野山町石
道の締めくくりと致します。
===========================
2005年3月29日(火) 晴
=高野山奥の院に参拝し不動坂を下る=
高野山の宿坊・恵光院で6時起床、ガスがかかっていたが次第
に消え、青空が広がる。隣の宿坊の屋根がうっすらと白い。昨夜
は一時、雪になったらしい。
7時前、呼びに来てくれた修行僧に従い、本堂へお勤めに行く。
参加者はほかに若い外人数人だった。四国霊場と違い、お坊さん
の読経を聞いているだけで、参加者への読経は勧められなかった。
終わって、門外にある護摩祈祷所の堂内に案内され、護摩焚き
の業にも参加する。細い薪が積み上げられ、祈りながら点火する。
ときどき油のようなものが掛けられ、さらに薪を投げ入れて補充し、
炎は1m以上も燃え上がった。
護摩を終えて部屋に戻ったら、朝食の箱膳が準備されていた。
朝食後、支度を整え、玄関近くの受付所で支払いを済ませ、8時
50分に恵光院を出る。
好天になったので、もう一度大門に戻ってから壇上伽藍や金剛
峯寺、奥の院へ向かうことにした。今朝の大門は霧も晴れ、朱塗り
の重厚な門の全容を見せている。
商店や宿坊などの並ぶ通りを800m足らずで、真言密教の根本
道場として創設され、高野山全体の中心をなす壇上伽藍に入る。
まず総本堂である金堂に参拝。お堂を写真に撮ろうと構えていた
ら、下から私の名を呼ぶ声がする。
15日から最後の区切り打ちを終え、無事結願されたカントリー
ウオークの仲間、さいたま市のNさん。同じころ高野山へ来られる
予定と聞いていたが、まさかお会いできるとは、嬉しい限り。これ
もお大師様のお引き合わせか。
一緒に、弘法大師が真言密教の根本道場として最初に着手され
たという、朱塗り鮮やかな根本大塔や、愛染堂、大会堂、東塔など
を回り、東側の金剛峯寺に行く。
金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山で、全国に約3600ヶ寺を
有するという。お参りをして納経所に上がり、納経印をいただく。
Nさんはすでに奥の院もお参りされたとのこと、すぐ先、観光協会
案内所の三差路で分かれた。
三差路付近は土産物店などの商店が多いが、その先は趣ある
檜皮葺の宿坊が軒を連ねている。
Nさんが、「自分のデジカメで私と2人の写真を撮っていなかった
ので、一の橋で撮りましょう」と追いかけてきた。ちょうど橋の近く
で、昨日Nさんと電車が一緒だったという同じ埼玉県内の女性が
来たので、シャッターを押してもらう。
一の橋から弘法大師御廟までの約2㎞が奥の院。参道の両側
は、特別母樹林と呼ばれる樹齢数百年の保存樹をはじめとする
老杉が並び、その下に数10万基といわれるりっぱな墓碑が続い
ている。
武田、上杉、伊達、島津、石田、前田、豊臣ほか、何々藩何々
家墓所などと記された諸大名の墓所は、石鳥居の奥に2mを超え
る大きな五輪塔が苔むして並んでいる。
ほかに陸海軍の戦没者、近年の大企業の社主や一族、外国人
の墓地なども見られ、日本歴史の縮図を見ているようでもある。
御廟橋の奥は聖域で、脱帽し写真撮影は禁止されている。たく
さんの灯籠が点るおごそかな灯籠堂に参拝し、四国八十八ヶ所
無事結願の御礼を申し上げる。左手から奥に回り、弘法大師御
廟にも参拝、お礼参りを終えた。
奥の院からもとの道を戻り、松栄堂という土産店で自宅への
土産に名物「槙の雫」を買い、観光案内所前の食堂で昼食をする。
帰路は、バスとケーブルで南海電鉄極楽橋駅へ下るのが早いが、
竜馬さんに勧められ、自分でも考えていた不動坂を下ることに
した。
観光案内所横の三差路を北に入り、高野町役場を正面に見る
三差路を左折する。本堂や多宝塔のある波切不動堂の先を入っ
て、徳川家霊台を拝観する。
寛永20年(1643)、3代将軍家光が建立したもの。家康と秀忠
の2つの霊屋がそれぞれ屋根付きのすかし塀を巡らして並んで
いる。白木造りに金銀泊や精巧な飾金具を施し、色あせてはいる
が、日光東照宮を思わせる豪華な造り。江戸時代の代表的な霊
廟建築として、国の重文に指定されている。
その先は緩やかな上りとなり、上りきったところが女人堂。高野
山は、明治5年(1872)まで女人禁制。女性はこの女人堂までしか
入れず、このお堂で真言を唱えたという。昔は高野山7つの登山口
に女人堂が設けられていたが、現在はこのお堂だけが残っている。
女人堂のそばに、高野槙群落の保護林の表示がある。そういえ
ば、山上の商店街の中に、高野槙の苗木を売る店が2つあった。
女人堂から100mほどの三差路から先は、ケーブルの高野山駅
に向かうバス専用道路となる。歩いて下るには、三差路の右を下る
1車線がやっとの不動坂道に入る。
広葉樹の中に高野槙などの針葉樹の混じる林間、簡易舗装の道
を1㎞足らずで滝不動のお堂がある。
その先は、「高野山参詣道整備工事」の表示があり、歩行者も通
行禁止になっていた。
せっかく下って来たのだから、通してもらえるだろうと勝手に解釈
してそのまま進んだ。しばらく行ったら、両側に砂を、真ん中の2m
幅くらいに細かいチップを敷く工事中。チップに固形材を散布して、
その上を半円形にビニールシートで覆って温風を送り、乾燥して
いる。
工事中の方に了解を取り、砂のところを通過させてもらったが、
かなりの距離を工事中だった。工期は4月末までのようで、終れば
歩きやすい参詣道になりそうだ。
女人堂から2㎞あまりでケーブルの軌道が見えて来た。軌道の
下をくぐり、不動谷川にかかる朱塗りの極楽橋を渡り、14時15分、
南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅に着いた。ケーブルの極楽橋駅
とは屋根続きで連絡しているが、谷間にあり周囲に人家はない。
14時41分発難波行きに乗る。当初は、橋本でJR和歌山線に、
吉野口と橿原神宮前で近鉄線に乗り換え、大和郡山に向かう予定
だったが、車内放送で橋本にて40分待ちと聞き、気が変わり、
難波に向かうことにした。
ところが、極楽橋駅でもらってきたパンフレットを見ていたら、途中
の河内長野で近鉄線に乗り換え、古市、橿原神宮経由で行ける
ことが分かり、また経路変更する。大和郡山駅には17時半過ぎに
着く。
携帯電話で連絡してあった郡山市在住の山下さんと18時近く落ち
合う。山下さんは、昨年春、秋の四国遍路中お世話になった方。
近くにある食堂に入り、高野山詣での報告や、山下さんが進めて
おられる、朝日新聞大阪本社での四国遍路シンポジュームのこと
などを話し込んだ。20時近く失礼する。
今日の宿は、近鉄でひとつ南の、筒井駅近くに昨年オープンした
ビジネスホテル・サンホテル大和郡山。20時過ぎに着いた。
〈コースタイム〉恵光院8:50ー大門9:15~23ー金剛峯寺9:50~
10:03ー一の橋10:20ー奥の院・弘法大師御廟10:55~11:15ー一の
橋11:42ー観光教会前の食堂(昼食)12:40~13:02ー徳川家霊台
13:13~22ー女人堂13:28~33ー滝不動13:44ー極楽橋駅14:15
(距離 12㎞、地図(1/2.5万) 高野山、歩行地 和歌山県高野町)
〈後記〉宿泊したサンホテル大和郡山は、その後、姉歯元1級建築
士が設計した耐震偽装の建物と分かり営業停止したが、補強工事
が終わり、今年(2006年)10月1日から営業を再開した。
10か月余り、皆様にはご覧いただきありがとうございました。
新年も、一層読みやすい、分かりやすい、興味あるブログとなり
ますよう努力するつもりですので、引き続きご覧下さるようお願い
申し上げます。皆様よい年をお迎え下さい。
今年の最後は、初めて歩いた四国遍路の最終章・高野山町石
道の締めくくりと致します。
===========================
2005年3月29日(火) 晴
=高野山奥の院に参拝し不動坂を下る=
高野山の宿坊・恵光院で6時起床、ガスがかかっていたが次第
に消え、青空が広がる。隣の宿坊の屋根がうっすらと白い。昨夜
は一時、雪になったらしい。
7時前、呼びに来てくれた修行僧に従い、本堂へお勤めに行く。
参加者はほかに若い外人数人だった。四国霊場と違い、お坊さん
の読経を聞いているだけで、参加者への読経は勧められなかった。
終わって、門外にある護摩祈祷所の堂内に案内され、護摩焚き
の業にも参加する。細い薪が積み上げられ、祈りながら点火する。
ときどき油のようなものが掛けられ、さらに薪を投げ入れて補充し、
炎は1m以上も燃え上がった。
護摩を終えて部屋に戻ったら、朝食の箱膳が準備されていた。
朝食後、支度を整え、玄関近くの受付所で支払いを済ませ、8時
50分に恵光院を出る。
好天になったので、もう一度大門に戻ってから壇上伽藍や金剛
峯寺、奥の院へ向かうことにした。今朝の大門は霧も晴れ、朱塗り
の重厚な門の全容を見せている。
商店や宿坊などの並ぶ通りを800m足らずで、真言密教の根本
道場として創設され、高野山全体の中心をなす壇上伽藍に入る。
まず総本堂である金堂に参拝。お堂を写真に撮ろうと構えていた
ら、下から私の名を呼ぶ声がする。
15日から最後の区切り打ちを終え、無事結願されたカントリー
ウオークの仲間、さいたま市のNさん。同じころ高野山へ来られる
予定と聞いていたが、まさかお会いできるとは、嬉しい限り。これ
もお大師様のお引き合わせか。
一緒に、弘法大師が真言密教の根本道場として最初に着手され
たという、朱塗り鮮やかな根本大塔や、愛染堂、大会堂、東塔など
を回り、東側の金剛峯寺に行く。
金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山で、全国に約3600ヶ寺を
有するという。お参りをして納経所に上がり、納経印をいただく。
Nさんはすでに奥の院もお参りされたとのこと、すぐ先、観光協会
案内所の三差路で分かれた。
三差路付近は土産物店などの商店が多いが、その先は趣ある
檜皮葺の宿坊が軒を連ねている。
Nさんが、「自分のデジカメで私と2人の写真を撮っていなかった
ので、一の橋で撮りましょう」と追いかけてきた。ちょうど橋の近く
で、昨日Nさんと電車が一緒だったという同じ埼玉県内の女性が
来たので、シャッターを押してもらう。
一の橋から弘法大師御廟までの約2㎞が奥の院。参道の両側
は、特別母樹林と呼ばれる樹齢数百年の保存樹をはじめとする
老杉が並び、その下に数10万基といわれるりっぱな墓碑が続い
ている。
武田、上杉、伊達、島津、石田、前田、豊臣ほか、何々藩何々
家墓所などと記された諸大名の墓所は、石鳥居の奥に2mを超え
る大きな五輪塔が苔むして並んでいる。
ほかに陸海軍の戦没者、近年の大企業の社主や一族、外国人
の墓地なども見られ、日本歴史の縮図を見ているようでもある。
御廟橋の奥は聖域で、脱帽し写真撮影は禁止されている。たく
さんの灯籠が点るおごそかな灯籠堂に参拝し、四国八十八ヶ所
無事結願の御礼を申し上げる。左手から奥に回り、弘法大師御
廟にも参拝、お礼参りを終えた。
奥の院からもとの道を戻り、松栄堂という土産店で自宅への
土産に名物「槙の雫」を買い、観光案内所前の食堂で昼食をする。
帰路は、バスとケーブルで南海電鉄極楽橋駅へ下るのが早いが、
竜馬さんに勧められ、自分でも考えていた不動坂を下ることに
した。
観光案内所横の三差路を北に入り、高野町役場を正面に見る
三差路を左折する。本堂や多宝塔のある波切不動堂の先を入っ
て、徳川家霊台を拝観する。
寛永20年(1643)、3代将軍家光が建立したもの。家康と秀忠
の2つの霊屋がそれぞれ屋根付きのすかし塀を巡らして並んで
いる。白木造りに金銀泊や精巧な飾金具を施し、色あせてはいる
が、日光東照宮を思わせる豪華な造り。江戸時代の代表的な霊
廟建築として、国の重文に指定されている。
その先は緩やかな上りとなり、上りきったところが女人堂。高野
山は、明治5年(1872)まで女人禁制。女性はこの女人堂までしか
入れず、このお堂で真言を唱えたという。昔は高野山7つの登山口
に女人堂が設けられていたが、現在はこのお堂だけが残っている。
女人堂のそばに、高野槙群落の保護林の表示がある。そういえ
ば、山上の商店街の中に、高野槙の苗木を売る店が2つあった。
女人堂から100mほどの三差路から先は、ケーブルの高野山駅
に向かうバス専用道路となる。歩いて下るには、三差路の右を下る
1車線がやっとの不動坂道に入る。
広葉樹の中に高野槙などの針葉樹の混じる林間、簡易舗装の道
を1㎞足らずで滝不動のお堂がある。
その先は、「高野山参詣道整備工事」の表示があり、歩行者も通
行禁止になっていた。
せっかく下って来たのだから、通してもらえるだろうと勝手に解釈
してそのまま進んだ。しばらく行ったら、両側に砂を、真ん中の2m
幅くらいに細かいチップを敷く工事中。チップに固形材を散布して、
その上を半円形にビニールシートで覆って温風を送り、乾燥して
いる。
工事中の方に了解を取り、砂のところを通過させてもらったが、
かなりの距離を工事中だった。工期は4月末までのようで、終れば
歩きやすい参詣道になりそうだ。
女人堂から2㎞あまりでケーブルの軌道が見えて来た。軌道の
下をくぐり、不動谷川にかかる朱塗りの極楽橋を渡り、14時15分、
南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅に着いた。ケーブルの極楽橋駅
とは屋根続きで連絡しているが、谷間にあり周囲に人家はない。
14時41分発難波行きに乗る。当初は、橋本でJR和歌山線に、
吉野口と橿原神宮前で近鉄線に乗り換え、大和郡山に向かう予定
だったが、車内放送で橋本にて40分待ちと聞き、気が変わり、
難波に向かうことにした。
ところが、極楽橋駅でもらってきたパンフレットを見ていたら、途中
の河内長野で近鉄線に乗り換え、古市、橿原神宮経由で行ける
ことが分かり、また経路変更する。大和郡山駅には17時半過ぎに
着く。
携帯電話で連絡してあった郡山市在住の山下さんと18時近く落ち
合う。山下さんは、昨年春、秋の四国遍路中お世話になった方。
近くにある食堂に入り、高野山詣での報告や、山下さんが進めて
おられる、朝日新聞大阪本社での四国遍路シンポジュームのこと
などを話し込んだ。20時近く失礼する。
今日の宿は、近鉄でひとつ南の、筒井駅近くに昨年オープンした
ビジネスホテル・サンホテル大和郡山。20時過ぎに着いた。
〈コースタイム〉恵光院8:50ー大門9:15~23ー金剛峯寺9:50~
10:03ー一の橋10:20ー奥の院・弘法大師御廟10:55~11:15ー一の
橋11:42ー観光教会前の食堂(昼食)12:40~13:02ー徳川家霊台
13:13~22ー女人堂13:28~33ー滝不動13:44ー極楽橋駅14:15
(距離 12㎞、地図(1/2.5万) 高野山、歩行地 和歌山県高野町)
〈後記〉宿泊したサンホテル大和郡山は、その後、姉歯元1級建築
士が設計した耐震偽装の建物と分かり営業停止したが、補強工事
が終わり、今年(2006年)10月1日から営業を再開した。