早いもので、今日で今年も半分が過ぎてしまいました。年々1年の経過が
早まっているように感じられます。
明日から7月です。そこで今日は、1年前の7月3日に仲間と歩いた埼玉県
越生町(おごせまち)のカントリーウオークの模様を紹介します。
2005年7月3日(日) カントリーウオーク越生
東武東上線・JR八高線越生(おごせ)駅を10時01分に出発した。
県道30号を越えてすぐ先が、越生七福神・恵比寿天の法恩寺。南側に趣
ある築山があり、小さい池にスイレンが咲いていた。
北に抜け、町道を西から北へ、役場や町立図書館の横を進む。
図書館の裏手に、鎌倉初期この地を治めた越生氏の一族、岡崎氏の館跡
という岡崎薬師のお堂がある。

県道61号を歩道橋で越え、そばの越辺川(おっぺがわ)を歩行者専用橋
で渡り成瀬集落へ。30cm前後に伸びた水田のあぜに、タチアオイが彩りを
添える。
橋から1.5kmほどのY字路を左折、すぐ左手に「史跡田代三喜生誕地」
の標石と「医聖 田代三喜」という顕彰碑があった。

三喜は、寛正6年(1465)生まれ、23歳で明に渡って医学を学び、帰国後、
古河公方(こがくぼう)・足利成氏の主治医となり、その後、武蔵で多くの
庶民の病苦を救って医聖と仰がれたという。
この辺りから先が越生梅林と呼ばれる梅の里、花どきには梅見客で混雑
するが、今は忘れられたように静か。実の残る梅畑も多い。

民家の横にハンゲショウが群生し、近くの湿地に点々とノカンゾウが鮮やか
な彩りを見せている。

三差路の右手に見えた、昼食予定地の最勝寺に入る。
越生七福神・福禄寿の最勝寺は、建久3年(1193)、源頼朝が家来の児玉
雲太夫に命じて創建して祈願所とし、天文年間(1532~)には鎮護国家の
道場として栄えたという。

境内にも梅が多く、青い大きな実を残す木も多い。Iさんは、ご住職に話して、
賽銭(さいせん)を納めることで実を3kgほど採らしてもらった。
ツツジ、モミジなど境内は緑が豊富。「医聖田代三喜翁」顕彰石もあり、周辺
に腰を下ろして昼食にする。

門前に「大豆工房みや」という豆腐の製造直売店がある。出来たてを買って
きた人から、ゴマ豆腐やユズ豆腐、濃い豆乳などのおすそわけをいただいた。
昼食を終え、記念撮影をする。「野を歩き 野に親しみ 野に学ぶ」というの
が、私たちカントリーオークグループの永遠のテーマである。

午後は距離が長いので、いつもより早めの12時25分に出発。越辺川に
合流直前の和田川を越え、越辺川左岸沿いを南西へ。この辺りも梅畑が多
い。気づいたら、梅の町越生のマンホールも梅だった。

次の三差路を右折して、山すそを次第に高度を上げる。越辺川を隔てた南
側、日陰集落の家並みなどの展望が良くなってきた。
集落の尽きたところで道も途切れた。すぐ手前の梅畑を麦原川左岸の車道
に下る。
この道はアジサイ街道と呼ばれ、3㎞ほど先のあじさい山公園に向かう道
沿いは、見ごろなアジサイが並んでいた。
高圧送電線下で川に分かれ、左に入る。キイチゴが赤い実をつけている。
山間の小集落、小寺も、ピンクのアジサイが目についた。

集落の先から上り道。戸神の南端をS字状に回ると舗装が終わり、砂利道
は峠を越えて龍ヶ谷に下る。

龍ヶ谷大橋を渡り、300m足らずで川を離れ南側の林道へ。山腹をトラバ
ースする道沿いに、自生のミツバがたくさん伸びていた。
ユズの多い梅久保でT字路を右に入った林道猿岩線は、ヒノキや杉木立下
のゆるい上りが続き、気温は低めながら汗が増える。
まだかと気にしながら進むと、ようやく黒山三滝への道標があった。樹林下
の山道を滑らぬよう注意して車道に下り、右折してすぐ、茶店の横を上がると
黒山三滝の雄滝、雌滝が流れ落ちていた。

終戦直後、日本観光地百選・瀑布の部第9位に選ばれた滝だが、長さや水
量は期待をやや裏切られる。しかし「江戸庶民も多数訪れている」と記されて
いた。
流れに沿ってます釣り場やこけむす岩などを見ながら1㎞ほど下り、ゴール
の黒岩バス停に14時58分に着く。
15時15分発のバスで越生駅に向かう。途中から、アジサイ見物帰りの乗客
が次々に乗り込み超満員、あきらめて歩いて駅に向かう人もいた。
(天気 曇り、距離 12㎞、地図 越生、正丸峠、歩行地 埼玉県越生町)
早まっているように感じられます。
明日から7月です。そこで今日は、1年前の7月3日に仲間と歩いた埼玉県
越生町(おごせまち)のカントリーウオークの模様を紹介します。
2005年7月3日(日) カントリーウオーク越生
東武東上線・JR八高線越生(おごせ)駅を10時01分に出発した。
県道30号を越えてすぐ先が、越生七福神・恵比寿天の法恩寺。南側に趣
ある築山があり、小さい池にスイレンが咲いていた。
北に抜け、町道を西から北へ、役場や町立図書館の横を進む。
図書館の裏手に、鎌倉初期この地を治めた越生氏の一族、岡崎氏の館跡
という岡崎薬師のお堂がある。

県道61号を歩道橋で越え、そばの越辺川(おっぺがわ)を歩行者専用橋
で渡り成瀬集落へ。30cm前後に伸びた水田のあぜに、タチアオイが彩りを
添える。
橋から1.5kmほどのY字路を左折、すぐ左手に「史跡田代三喜生誕地」
の標石と「医聖 田代三喜」という顕彰碑があった。

三喜は、寛正6年(1465)生まれ、23歳で明に渡って医学を学び、帰国後、
古河公方(こがくぼう)・足利成氏の主治医となり、その後、武蔵で多くの
庶民の病苦を救って医聖と仰がれたという。
この辺りから先が越生梅林と呼ばれる梅の里、花どきには梅見客で混雑
するが、今は忘れられたように静か。実の残る梅畑も多い。

民家の横にハンゲショウが群生し、近くの湿地に点々とノカンゾウが鮮やか
な彩りを見せている。

三差路の右手に見えた、昼食予定地の最勝寺に入る。
越生七福神・福禄寿の最勝寺は、建久3年(1193)、源頼朝が家来の児玉
雲太夫に命じて創建して祈願所とし、天文年間(1532~)には鎮護国家の
道場として栄えたという。

境内にも梅が多く、青い大きな実を残す木も多い。Iさんは、ご住職に話して、
賽銭(さいせん)を納めることで実を3kgほど採らしてもらった。
ツツジ、モミジなど境内は緑が豊富。「医聖田代三喜翁」顕彰石もあり、周辺
に腰を下ろして昼食にする。

門前に「大豆工房みや」という豆腐の製造直売店がある。出来たてを買って
きた人から、ゴマ豆腐やユズ豆腐、濃い豆乳などのおすそわけをいただいた。
昼食を終え、記念撮影をする。「野を歩き 野に親しみ 野に学ぶ」というの
が、私たちカントリーオークグループの永遠のテーマである。

午後は距離が長いので、いつもより早めの12時25分に出発。越辺川に
合流直前の和田川を越え、越辺川左岸沿いを南西へ。この辺りも梅畑が多
い。気づいたら、梅の町越生のマンホールも梅だった。

次の三差路を右折して、山すそを次第に高度を上げる。越辺川を隔てた南
側、日陰集落の家並みなどの展望が良くなってきた。
集落の尽きたところで道も途切れた。すぐ手前の梅畑を麦原川左岸の車道
に下る。
この道はアジサイ街道と呼ばれ、3㎞ほど先のあじさい山公園に向かう道
沿いは、見ごろなアジサイが並んでいた。
高圧送電線下で川に分かれ、左に入る。キイチゴが赤い実をつけている。
山間の小集落、小寺も、ピンクのアジサイが目についた。

集落の先から上り道。戸神の南端をS字状に回ると舗装が終わり、砂利道
は峠を越えて龍ヶ谷に下る。

龍ヶ谷大橋を渡り、300m足らずで川を離れ南側の林道へ。山腹をトラバ
ースする道沿いに、自生のミツバがたくさん伸びていた。
ユズの多い梅久保でT字路を右に入った林道猿岩線は、ヒノキや杉木立下
のゆるい上りが続き、気温は低めながら汗が増える。
まだかと気にしながら進むと、ようやく黒山三滝への道標があった。樹林下
の山道を滑らぬよう注意して車道に下り、右折してすぐ、茶店の横を上がると
黒山三滝の雄滝、雌滝が流れ落ちていた。

終戦直後、日本観光地百選・瀑布の部第9位に選ばれた滝だが、長さや水
量は期待をやや裏切られる。しかし「江戸庶民も多数訪れている」と記されて
いた。
流れに沿ってます釣り場やこけむす岩などを見ながら1㎞ほど下り、ゴール
の黒岩バス停に14時58分に着く。
15時15分発のバスで越生駅に向かう。途中から、アジサイ見物帰りの乗客
が次々に乗り込み超満員、あきらめて歩いて駅に向かう人もいた。
(天気 曇り、距離 12㎞、地図 越生、正丸峠、歩行地 埼玉県越生町)