あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

田代湿原、花咲湿原及び周辺の花と樹林

2007-07-31 18:12:15 | ハイキング
 本日は、昨日紹介した、田代湿原、花咲(はなさく)湿原と
その周辺に咲いていた花、それに樹林の写真をご覧いただ
くことにします。

 武尊牧場キャンプ場の先から木道の道に入り、田代湿原
までの間や、花咲湿原から東俣駐車場までの戻り道などは
ブナの原生林が続いていました。


 田代湿原の一角にあったヒメカイウ(姫海芋)の自生地の様子。

 ミズバショウより、かなり小ぶりの花です。

 花咲湿原の木道横にたくさん咲いていた小さい花が、この
キンコウカ(金光花)でした。


 同じ花咲湿原のコバギボウシ(小葉擬宝珠)です。


 ジキタリスに似たこんな花も咲いていましたが、名前が分か
りません。知っている方は教えてください。


 武尊牧場キャンプ場近くまで戻ると、きれいな幹を見せる
カラマツ林がありました。


 近くにたくさん咲いていたのが、ヨツバヒヨドリ(四葉鵯)です。


 武尊牧場キャンプ場の下にヤナギラン(柳蘭)の群生地があり、
花が咲き始めたところ。あと数日すると、見ごろになるのでは
ないかと思われました。


 白樺リフトの東側に下って行くと、シシウド(猪独活)があち
こちに咲いていました。


 その近く、斜面から水が流れ落ちているあたりには、ツリフネソウ
(釣船草)がたくさん花を見せています。

 花の盛りは過ぎてしまっているようです。

 下の駐車場付近には、自生ではなくて種をまいて咲かせた
クレオメが花盛りでした。


 隣には、やはり自生ではない白いアジサイのような花、アナベル
が咲き揃っていました(写真省略)。
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群馬県の田代湿原と花咲湿原へ

2007-07-30 22:34:55 | ハイキング
 きのう7月29日(日)、群馬県片品村の田代湿原と花咲
(はなさく)湿原を、軽ハイキングのグループ16人で歩いた。

 田代湿原と花咲湿原は、武尊山(ほたかやま・主峰沖武尊
2158m)の東北3kmほど、最近、日光国立公園から独立
して尾瀬国立公園になることが決まった尾瀬の中心、尾瀬ヶ
原の南南西10kmほどにあり、規模こそ小さいが、尾瀬ヶ原
と同様な高層湿原である。



 車3台に分乗して関越自動車道経由、武尊牧場第一駐車場
に着く。白樺リフトに乗って15分、さらにラベンダーリフトで7分
半ほどで、武尊牧場キャンプ場に上がった。

 これは下の白樺リフト。

 標高は1450mほど。しかしここまで上がると、昨日までの
2日間、33℃を越えたわが家周辺の猛暑がうそのように涼
しい。

 周辺は、広い芝生のピクニック広場になっていて、何人もの
グループや家族が来ていた。広場の下はレンゲツツジの群生
地で、上部にキャンプ棟が並んでいる。11時20分に出発した。

 ヤナギランの咲く車道を少し上がり、車道が終わって木道の
山道に入った。
  
 白樺林を抜けるとブナが増える。ところどころに、ナナカマドが
あり、一部の葉はもう色づき始めていた。

 うっそうとしたブナ林の林床には、小さなコバナノイチヤクソウ
が咲いている。


 緩やかな上りだが、やはり歩いていると汗ばんでくる。あち
こちでウグイスがケキョケキョケキョ…と、息の長いさえずりを
聞かせてくれ、上りの疲れを和らげてくれる。

 ブナ林の先にはダケカンバが増え、やがて武尊山への分岐
に着き、休憩する。このあたりは再びブナが多くなった。


 分岐を右に進み、ブナ林の下を進む。

 緩やかな上り下りを繰り返して、セミネ沢の源流近くを渡る。
樹林下にはクマザサが多くなり、相変わらずウグイスのさえ
ずりが続く。

 さらに緩やかな下りのあと緩やかに上り、クマザサが増えて
きた。木道も何か所かあるが、ぬかるみになっているところも
あり、そんなところは脇によけて進む。

 ブナ林の中の緩い下りが続き、時々疑木の階段もある。雲
が次第に増え、やがてポツポツしてきた。降られぬうちに昼食
を終えたいと急ぐが、とうとう本降りとなった。

 雨具を出し、昼食地の田代湿原に入った。北側の遊歩道を
回り、ベンチのある場所に着いた。もう14時、太い木の下に
雨を避けて、昼食場所とした。


 田代湿原の標高は1570mほど。木道の敷かれた遊歩道は、
高原の周囲をを500mほどで一周していて、湿原内に入ること
はできない。

 湿原には期待した花は見られず、雨も止まないので、遊歩道
の一周は止め、入口に戻って花咲湿原に向かうことにする。


 出発する頃には雨も小降りになってきた。湿原入口付近の
木道に並ぶきょうのメンバー。


 遊歩道入口付近の一角に、ヒメカイウの自生地がある。漢字
では姫海芋、ミズバショウに似た小さな花で、「仏炎苞が小さく
て筒部がない」のがミズバショウと違う特長とか。はじめて見た。


 500mほどの下りで、花咲湿原。真ん中を抜ける遊歩道が
あり、実の付いたコバイケイソウが多いが、こちらにはほかに、
たくさん咲くキンコウカや、ギボシ、ワタスゲなども花を開いて
いた。


 帰路は、当初駐車する予定だったが車道の途中に土砂崩壊
か所があり、通行禁止になっている東俣駐車場経由で戻ること
にした。

 少しだけ上がってから、セミネ沢に向かってどんどん下る。
途中まで下ると、左手に流れの瀬音が聞こえだし、その小さい
流れを渡って右岸沿いに下り、セミネ沢を徒渉する。

 少し先で林道を横断してブナ林を上がり、直角に左にカーブ
すると南側の展望が開け、東屋(あずまや)があった。

 開けた一帯には広大な笹原が広がっている。


 左手下に見えた東俣駐車場に向かう下りは、途中から傾斜
が緩み、カラマツなどの落ち葉が積もっていて歩きやすい。

 草倉沢の飛び石を渡り、右岸に沿って進んで東俣駐車場に
着いた。50台ほど駐車出来るが、通行禁止で来られなくなっ
ているので、トイレのある管理棟も閉鎖されていた。

 武尊牧場キャンプ場に向かって最後の上りとなる。かなり時
間が経過して、疲労もつのってきた。

 疑木の段が続き、シラカバ林からカラマツ林と代わる林間を
上がり、往路の木道入口に戻った。

 キャンプ場への道すがらには、写真のヤマオダマキのほか、
コバギボウシ、ヤマホタルブクロ、トリカブトなどがあちこちに
咲いていた。


 キャンプ場は、白樺林の下に何棟ものログハウスや炊事
小屋などがあったが、人っ子一人いない。夏休みに入った
日曜日というのにこんなでは、ちょっとさびしい感じ。


 下る予定だったラベンダーリフトは16時30分で運転を終
えていたので、駐車場までさらに歩いて下らねばならない。

 咲き出したヤナギランの群生地上部を西に回り、西側の
リフトそばから南に向かう車道を下る。 


 ラベンダーリフトと白樺リフトの中間付近にあるロッジ牧場
横を過ぎ、白樺リフト下を東に回る。

 たくさん咲くツリフネソウや大きなシシウドなどの横を下り、
最後にヘヤピン状に3,4回下って予定よりかなり遅れた18
時40分に武尊牧場第1駐車場に戻った。

 係員はすでに帰った後で、駐車場下の閉鎖されたゲートの
鎖を外して出て、18時55分に帰路についた。

 ニッコウキスゲが見頃と思われる尾瀬ヶ原には、多くのハイ
カーが訪れたことだろうが、このコースで出会ったのは、3人
づれの1パーティのみだった。

 (天気 晴後曇り一時雨、距離 14km、標高差累積
 約1350m、地図(1/2.5万) 鎌田、(山と高原地図)「谷川
 岳 苗場山・武尊山」、歩数 27500)

--------------------------------------------------
 首都圏では夕方激しい雷雨があり、帰路の埼玉県内
でもかなりの雨で、所沢でも66mmの降雨量だったと報じ
られたが、現地ではほんの少しの雨にあっただけで、山行
を終えられたのは、まことに幸運であった。

 

  
  

 

 








  



 
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四国遍路道の川(3)

2007-07-27 23:10:43 | 四国遍路あれこれ
 所沢市内は、日中の気温が33℃以上に上がり、本格
的な暑さとなりました。この暑さでは、気分は梅雨明け状態です。

==========================

 四国遍路の後半第1日の2007年2月18日(日)、内子駅
を出発、国の伝統的建物群保存地区の町並みに寄りました。

 町外れの道の駅内子フレッシュパークの手前で橋を渡り、
しばらくは小田川沿いの国道379号を進みます。


 国道は、川沿いを上流に向かいます。桝木(かれぎ)の橋を
渡って右岸の旧道に回りました。

 この近くの三島神社で休憩しました。この日は45番岩屋寺
に参拝し、近くの国民宿舎泊まりでした。

 少し飛んで4日目の2月21日(水)は、松山市内の霊場を
47番八坂寺から52番太山寺まで回りました。

 51番石手寺の手前を流れる石手川です。


 この後も飛んで、9日目の2月26日(月)は、88ヶ所霊場へ
の参拝はなく、西条市から四国中央市(旧伊予三島市)まで、
ひたすら東へ向かって歩きました。

 新居浜市内で、足谷川の国領橋を渡りました。橋からの
南側の眺めです。


 翌2月27日(火)、山上の霊場65番三角寺にお参り後、県
境の境目トンネルを抜け、徳島県三好市(旧池田町)に入り
ました。

 この日の宿、白地温泉小西旅館の部屋から見る、吉野川の
流れ。下流に池田ダムがあるので、水は淀んでいました。

 
 11日目の2月28日(水)は、吉野川沿いに10kmほど下っ
た箸蔵の山上にある別格霊場箸蔵寺へ往復しました。

 白地の町並みを抜け、吉野川左岸沿いの県道を少しで、
徳島自動車道の高いアーチ橋下を抜けました。

 橋の下あたりからの下流。まもなく池田ダムの堰堤です。


 吉野川をせき止めた池田ダム。下流から見たものですが、
左手の対岸、台地上に旧池田町の町並みが広がっています。
 

 別格15番箸蔵寺への参拝を済ませ、もとの道を戻って来ま
した。帰路見た、池田ダムと徳島自動車道の間にある吊り橋。


 13日目の3月2日(金)朝、68番神恵院と69番観音寺の
ある観音寺市の若松屋別館を出発し、財田川沿沿いに70番
本山寺に向かいます。

 観音寺市街に近い財田川左岸からの眺め。


 第16日目の3月5日(月)、山上にある81番白峰寺と82
番根来寺を経て、83番一宮寺に向かいます。

 高松自動車道の近くから、香東川右岸河川敷につくられた
自転車と歩行者の専用道を進みます。

 写真では流れは見えませんが、左側の右岸寄りに少しだけ
流れていました。


 川の写真はあまり撮ってなかったので、これでおしまい。
「四国遍路あれこれ」の、次のシリーズは何にしようかな


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四国遍路道の川(2)

2007-07-26 23:16:23 | 四国遍路あれこれ
 今年はじめて所沢航空記念公園とその周辺で、ミンミンゼミや
ニイニイゼミらしい鳴き声を聞きました。気温も30度を超えて
蒸し暑くなりました。でも関東の梅雨明けはまだのようです。

==========================

 四国遍路前半第7日の2006年11月17日(金)は、22番
平等寺そばの民宿を出て、海沿いの牟岐経由で昼過ぎ、23
番薬王寺に着きました。

 薬王寺の最高部にある変わった塔、瑜木塔(ゆぎとう)から
見下ろす北河内川の河口付近の流れ。


 翌日、高知県に入り、室戸岬を経て太平洋岸に沿って
西に進み12日目の11月22日(水)、28番大日寺の参拝
を済ませ、29番国分寺に向かいます。

 香南市(旧野市町)と香美市(旧土佐山田町)との市境の
戸板島橋からの物部川の流れです。


 2日後の11月24日(金)、高知市内の桂浜近くの民宿を
出発し、33番雪蹊寺(せっけいじ)にお参りして高知市街
を抜け、春野町に入りました。
 
 34番種間寺への途中、新川川の橋からの上流側です。


 種間寺の参拝を終え、春野町と土佐市の境を流れる仁淀川
の仁淀川大橋際を渡ります。
 
 全長700mくらいある長い橋です。

 この橋を渡り、土佐市街を抜けると35番清滝寺への上り
となります。

 3日後の11月27日(月)は、37番岩本寺宿坊を出発、峠
越えをして黒潮町(旧佐賀町)に入りました。

 土佐くろしお鉄道伊予喜駅近くを流れる伊予木川。

 地名は伊予喜で川の名は伊予木川です。

 次の土佐佐賀駅の先、河口間近なのと前日の豪雨で水かさ
の増した伊与喜川の流れ。


 次の日、11月28日は、民宿日の出で素晴らしい日の出
を見て出発し、四万十市(旧中村市)に入りました。

 清流で知られる四万十川の、河口から4kmほど上流の
四万十大橋から見下ろす満々たる流れ。
 

 足摺岬の38番金剛福寺を過ぎ、海沿いの月山神社を経て、
22日目の12月2日(土)は、宿毛市南端の旅館を出発し、
宿毛湾沿いに進みました。

 宿毛湾に流れ込む松田川の河口に近い、松田川大橋の手
前、左岸から。対岸は宿毛の市街地です。


 松田川大橋からの、左岸上流の流れ。


 翌12月3日(日)は、寒い1日でした。午前、高知・愛媛
県境の松尾峠を越えて愛媛県愛南町に入りました。

 午後、40番観自在寺が近くなった旧城辺町の町並みを
出たあたりの僧都川。


 25日目の12月5日(火)朝、宇和島市(旧津島町)三好
旅館を出発、岩松川左岸沿いに旧道を少し進みます。

 対岸の国道56号に出る橋の上からの岩松川上流。


 12月6日(水)、42番佛木寺近くの民宿とうべやを出て、
歯長峠を越えて43番明石寺に参拝、鳥坂峠を越えて大洲市
に入りました。

 夕暮れ間近、大洲市街に近づき、肱川を渡ります。橋から
眺める大洲城です。

 前半最後の宿は、大洲市街地のときわ旅館。翌日午前、
JR内子駅まで歩き、前半の区切りとしました。(続く)
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四国遍路道の川(1)

2007-07-25 22:50:41 | 四国遍路あれこれ
 「四国遍路道あれこれ」シリーズで、「四国遍路道からの海」
と「四国遍路道からの山」を紹介してきました。

 海と山に続くものといえば「川」になるかと思いますので、
今日からは「四国遍路道の川」を始めます。

=========================



 1番霊山寺を出発して西に向かい、2日目の2006年11月
12日〈日〉に10番切幡寺まで回り、南に向きを変えて進むと
吉野川に出ます。

 川は広大な中洲を挟んで2つの流れになっています。流れの
少ない最初の流れの、橋の手前から見た下流です。


 広い中州は畑になっていて、大根、サトイモ、キャベツなどが
栽培されていました。広々とした畑作地帯なので木陰が無く、気
温が上がると暑く、風があると菅笠があおられるところです。

 幅広い南側の流れには、冠水橋の川島橋がかかっています。

 1車線やっとの幅なので、車が来たときには、ところどころに
ある待避場所で避けた方が安全です。

 11月13日(月)は、最初の遍路転がしを上がり、標高700m
の12番焼山寺に参拝しました。

 いったん下ってから玉ヶ峠(450)を越え、東側の鮎喰川
(あくいがわ)の谷間に向かって5kmほど下って行きます。
途中の宮分集落あたりから見下ろす鮎喰川。


 翌11月14日(火)、川に面した本名の植村旅館を出て、
鮎喰川右岸の福原集落を抜け、標高120mの小さい峠を越
えました。

 鮎喰川に向かって下り、車の通れぬ冠水橋を渡って対岸の
県道20号に出ます。


 左岸沿いの県道20号をしばらく進んで徳島市に入り、冠水
橋の梁田橋を渡って右岸沿いの県道21号に回ります。

 梁田橋付近の流れに、たくさんのサギが立っていました。 


 県道21号に出て振り返る梁田橋。橋の向こうが上流です。


 5日目の11月15日(水)朝は、徳島市外にあるビジネスホテ
ルを出発して南に向かいます。

 徳島市と小松島市との市境の、勝浦川の勝浦川橋から見る
上流側。ここでも、サギがほかの鳥と一緒に流れに立っていま
した。


 小松島市内の18番恩山寺と19番立江寺に参拝して西に
向かい、勝浦町に入ります。

 ここは、町の名と同じ勝浦川の今山橋からの上流の眺め。
  

 このあと勝浦川左岸沿いに進み、番外霊場星の岩屋と
仏陀石に参拝し、上流の旅館かえでに泊まりました。

 11月16日(木)は、第2の遍路転がしと呼ばれるアップ
ダウンを20番鶴林寺(かくりんじ)から21番太龍寺(たい
りゅうじ)を目指します。

 20番鶴林寺の参拝を済ませて南東に下ると、那賀川
沿いの大井に出ました。

 水位橋を渡って南側の支流、若杉谷川沿いに向かいます。
水位橋からの那賀川上流の眺めです。

 左手奥、標高520mの山上に21番太龍寺があります。
                          (続く) 
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四国遍路道からの山(8)

2007-07-24 22:25:39 | 四国遍路あれこれ
 久しぶりに快晴の青空が広がり、真夏日になったのも久し
ぶりです。でも明日は曇り空で、関東の梅雨明けはまだの
ようです。

 故障していたエアコンを買い換え、その工事を今日、して
もらったので、暑くなってもひと安心です。

=========================


 四国遍路後半最終日の3月7日(水)は、86番志度寺に近
い、さぬき市志度の旅館を出発し、87番な長尾寺の参拝を
終えました。

 あとは88番大窪寺を目指すのですが、その前に前山ダム
際にある前山おへんろ交流サロンに向かいます。

 塚原交差点を過ぎ、鴨部川沿いの遍路道を進みました。
途中から見える南側の稜線。女体山はどれなのでしょうか。


 前山ダムから西北に見える山。女体山かと思われますが、聞
き漏らしました。


 おへんろ交流サロンで「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」を
いただき、県道から離れた遍路道から女体山を目指します。

 来栖神社近くから、行く手に見える稜線です。


 女体山への遍路道にもなっている「四国のみち」の一部に
崩壊か所があり工事中でした。

 了解を得てその場所を通らせてもらい、険しい岩場も越えて
標高774mの女体山に上がりました。

 振り返ると、きのう通過した屋島や五剣山、瀬戸内海などの
広大な展望が広がり、上りの苦労も吹き飛びました。


 少し下って大窪寺の奥の院・胎蔵峰にも参拝しました。近く
の展望台からは、大窪寺の背後にそびえる鋭鋒が間近に迫っ
ています。


 同じ展望台からの南西方向の展望です。


 すぐ近くの下り道からの南側の展望。


 15時半頃、無事88番大窪寺に2度目の結願(88か寺を
参拝し終える)をすることができました。

 この日は、近くの民宿八十窪泊まりでした。

 19日目の3月8日(木)朝、八十窪の部屋から、東に上が
る朝日が眺められました。

 手前の屋根には、昨夜降った雪がうっすらと積もっています。

 この日は、1番霊山寺を目指して香川・徳島県境の大坂峠を
越える予定です。

 黒川温泉を過ぎ、総奥の院與田寺への県道を分けた国道
377号の少し先、麦の延びた集落と東側の山腹です。


 西山で県道40号に入り、宮奥池の横を通過します。
池を隔てた東の山並み。


 高松自動車道の西、引田の町並み近くまで進みました。
大川東高近くから、高校とは反対の南側の山並みです。


 番外霊場東海寺にお参りして、JR高徳線讃岐相生駅近く
まで行くと、これから上がる大坂峠が近づいてきました。

 右側の送電塔が二つ見えるピークの左が、大坂峠です。


 標高380mの大坂峠を越えて徳島県内に下り、この日は
JR板野駅そばのばんどう旅館に泊まりました。

 最終日の3月9日(金)、3番金泉寺(こんせんじ)と、2番
極楽寺を経て、板東俘虜(ふりょ)収容所跡と道の駅第九
の里鳴門ドイツ館にも寄って、1番霊山寺(りょうぜんじ)へ
向かいます。

 道の駅近くの板東谷川から望む北面の山並み。

 このあと10分足らずで1番霊山寺に着き、2度目の四国遍路
一周の輪を結ぶことができました。 
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四国遍路道からの山(7)

2007-07-23 22:11:21 | 四国遍路あれこれ
 九州や中国、四国地方の梅雨明けが発表されましたが、関東
は7月上旬から日照のほとんど無い日が続き、真夏日もまだ
わずかです。

 そんな天候からか、いつもなら今ごろはもう聞こえなっている
と思われる、ウグイスやカッコウの鳴き声が、きのう今日、わが
家の周囲でまだ聞くことができます。

 「四国遍路道からの山 」シリーズも、終盤となりました。

==========================



 四国遍路後半14日目の3月3日(土)、善通寺宿坊を出て、
JR土讃線琴平駅から電車に乗り、隣の琴平で乗り継いで
塩入(しおいり)駅で下車しました。

 弘法大師が造ったという満濃池に向かいます。途中から
見える、まんのう町福良見の集落と北側の低山。


 弘法大師・空海が弘仁12年(821)年に3か月で築いたと
いう満濃池に映る、南面の山並みです。


 帰りは、金刀比羅宮を経て善通寺まで歩くことにしました。

 金刀比羅宮の門前で昼食をして金刀比羅宮に参拝、奥の院
まで上がりました。この日、奥の院から見る讃岐平野の山は、
ガスで霞んでいました。


 JR土讃線沿いの道を、琴平から善通寺へ向かって戻ります。
善通寺の町並みが近づいたあたりから、前日に訪ねた73番
出釈迦寺奥の院のある我拝師山(481.2m)の独特の山容
が近づいてきました。


 3月4日(日)は、75番善通寺宿坊を朝出発し、76番金倉寺
(こんぞうじ)から80番国分寺まで参拝することにしました。

 丸亀市の市街地を通過し土器川の橋にかかると、南側に讃岐
富士が望まれます。この日も山はちょっと霞んでいました。


 16日目の3月5日(月)は、JR国分駅から前日参拝した80番
国分寺を経て、背後の遍路道を標高380mほどの稜線まで
上がります。
 
 稜線に近い展望台から見下ろす、南側の高松市国分寺町の
町並みと付近の山。右手の池の手前に見える森が、80番国分
寺境内です。


 山上にある81番白峰寺と82番根香寺(ねごろじ)を経て、
東へ下って別格霊場19番香西寺へ向かいました。

 下り道の途中から見下ろす、高松市中山町の家並みと串ノ山
(214.2m)。山の右手は高松港です。


 17日目の3月6日(火)は、高松市内のビジネスホテルを出発し、
84番屋島寺を目指しました。

 市街地の東部、春日川の橋からは行く手の屋島の山容が一望
できます。


 屋島寺の参拝を終え、東に抜けると源平の合戦場、壇ノ浦を
隔てて、次の霊場85番八栗寺のある五剣山(八栗山)(366.
2m)が望まれます。


 その八栗寺は標高230mにあり、背後の五剣山の岸壁が
本堂背後に迫っていました。


 南東への車道を二つ池親水公園まで下ると、志度湾の向こう
にさぬき市(旧志度町)の中心街が、その向こうに見える山は、
翌日上がって結願寺の88番大窪寺に下る女体山(774m)の
ようです。

                           (続く)
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四国遍路道からの山(6)

2007-07-22 22:30:49 | 四国遍路あれこれ


 2007年3月1日(木)朝、標高910mで四国八十八ヶ所中、
最高地にある霊場、66番雲辺寺(うんぺんじ)を目指します。

 民宿岡田のある佐野集落の背後から遍路道を上がって、標
高665mの稜線に出ました。

 雲辺寺の先にある2つのアンテナ塔が見えています。
 

 南側の樹間からは、ちょっと霞んだ山並みの素晴らしい展望
が望まれます。


 66番雲辺寺の境内からも、南面の展望が開けたところがあり
ました。 


 雲辺寺の参拝を終え、五百羅漢像の横を進んで、アンテナ塔の
そばから北に向かって下ります。

 今回は、別格16番萩原寺へ回るため、寺の近くから北西に延び
るロープウェイの山麓駅のそばへ、林間の遍路道を下りました。

 山麓駅付近の広場からは、これから行く観音寺市街と北方の
七宝山がちょっと霞んではいるが、望見出来ました。

 山の背後は瀬戸内海です。

 少し下がると、山頂から下りてきているロープウェイの長いケー
ブルが逆光に光っていました。


 別格霊場萩原寺の参拝を済ませ、67番大興寺へ向かいます。
寺に近い蓮池から眺める観音寺の家並みと七宝山です。


 この日は、観音寺市街に近い、68番神恵院(じんねいん)と69番
観音寺(かんおんじ)まで回り、近くの若松屋別館に2度目の宿を
とりました。

 13日目の3月2日(金)朝、財田川左岸沿いに70番本山寺(もと
やまじ)を目指して、宿を出ました。

 途中、川向こうの七宝山に、東側で燃やした煙が流れてきて、
独特の彩りを見せていました。


 本山寺に参拝後、国道11号と県道221号を北に向かい、
三豊市(旧三野町)に入りました。

 右手のピークが弥谷山(381.5m)、その中腹、標高220m
の地に、71番弥谷寺(いやだにじ)があり、山門から5百数十段
の石段を上がります。


 弥谷寺の最上部にある本堂からは、ちょっと霞んではいますが、
南西方向の展望が広がります。


 南東に下って高松自動車道下を抜けると、2つの池の間に出
ます。右側の池付近から見る左手の山は、73番出釈迦寺の
奥の院がある我拝師山(481.2m)です。

 奥の院・捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがたけぜんじょう)は、真ん中
の峠のすぐ左手に建てられています。

 出釈迦寺の背後の急坂を30分ほど上がって、奥の院捨身ヶ
嶽禅定の山門前に着きました。


 奥の院に参拝後、くさりに頼り、岩の間をよじ登って、背後
の行場へ上がりました。弘法大師が修行した絶壁です。

 周辺の展望が絶景ですが、これは北面の眺めです。

 中央の池は、先ほど通過してきた2つの池のひとつ、大池
です。

 このあと74番甲山寺までお参りし、弘法大師誕生の地である
75番善通寺宿坊に泊まりました。       (続く) 
 
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四国遍路道からの山(5)

2007-07-21 22:25:55 | 四国遍路あれこれ


 四国遍路後半9日目の2月26日(月)、西条から伊予三島に
向かいます。

 西条市の東端に近い、静かな祖父崎池に映る南側の山。


 同じ池から見える西南の山は、「鉄塔山」といってもいいほど、
鉄塔が乱立していました。


 新居浜市に入り、足谷川の国領橋からは南側の山並みが、
逆光に浮き出ています。


 新居浜市の東端に近い、国道11号からの南面の山並み。


 新居浜市を抜け、四国中央市(旧土居町)に入りました。

 「イザリ松」で知られる別格霊場12番延命寺が近づいたあた
りから望む重畳の山々。

 この日は、八十八ヶ所の霊場はなく、伊予三島駅前まで歩き、
駅前のビジネス旅館に泊まりました。

 2月27日(火)は、伊予三島市街を南東に抜け、標高500m
にある65番三角寺にお参りしました。

 東に下って別格霊場14番椿堂が近づきます。椿堂参拝の後、
県境に向かう国道192号と行く手の山。


 県境の境目トンネルを抜け、愛媛県から徳島県三好市(旧
池田町)に入りました。

 民宿岡田のある佐野集落のはずれ、徳島自動車道の背後は、
66番雲辺寺のある雲辺寺山の南面山ろくです。


 国道192号を東に緩やかに下って、吉野川沿いの白地(はくち)
に入りました。雨上がりで霞たなびく吉野川左岸の山。


 近くの白地温泉に止まり、11日目の2月28日(水)は、吉野川
左岸沿いに県道を箸蔵まで下りました。

 箸蔵小近くから望む箸蔵の町並みと東の山。吉野川は中央の
谷あいを間を縫って流れて行きます。


 箸蔵の町並みの北面、標高540mにある別格15番箸蔵寺を
目指して遍路道を上がります。山門のそばまで上がると、吉野川
下流と、流れを挟む山並みが一望できました。


 国重文の建築が並ぶ山の霊場・箸蔵寺の参拝を済ませ、吉野川
沿いを白地に戻って行きます。

 白地まで1.5kmほど、徳島自動車道と白地の家並みの背後
の山稜。
 

 徳島自動車道の高架橋下からは、さらに上流の山並みが見え
てきました。

 この日は、人気の民宿岡田泊まりでした。(続く)


 

 
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四国遍路道からの山(4)

2007-07-20 22:50:12 | 四国遍路あれこれ


 後半の四国遍路は、今年2月18日(日)から再開しました。

 2日目の2月19日(月)朝、宿泊した愛媛県内子町小田の
旅館を出て、45番岩屋寺を目指します。

 宿を出て30分余り、小田川沿いの谷間を縫う国道380号
から、行く手に見える山並み。


 新真弓トンネルを抜けて久万高原町に入り、農祖峠(のうその
とう)(651)を越え、八丁坂上の稜線に出ました。

 坂の下からの遍路道との合流点付近からは、南方の気持ち
よい展望が広がります。

 この先、稜線上の歩きやすい遍路道を進み、45番岩屋寺へ
下りました。

 岩屋寺に近い、国民宿舎に泊まり、2月20日(火)は、44番
大宝寺を経て、久万高原町と松山市との境にある、三坂峠
(710m)に向かいました。

 国道33号の西明神付近から、西に広がる山並みです。


 三坂峠を下って松山市内に入り、まず番外霊場札掛大師に
お参りしました。

 白梅の咲く札掛大師付近から見る、東側の山。

 この日は、46番浄瑠璃寺そばの民宿長珍屋泊まりでした。

 4日目の2月21日(水)、早朝の遍路道周辺には、霜が降り
ていました。47番八阪寺へ向かう道筋での里山の眺め。


 八阪寺と番外霊場札始大師堂にお参りし、水の涸れた重信川
を渡りました。橋から見える南面の山。


 この日は52番太山寺(たいざんじ)までお参りしました。
 
 5日目の2月22日(木)は、朝1番で53番円明寺(えんみょ
うじ)に参拝し、小説「花へんろ」で知られる作家・早坂暁さん
の出身地、北条の市街地を通過、番外霊場鎌大師に向かい
ます。

 鎌大師近くから見える行く手の浅海原(あさなみはら)方面
の小山。正面の低い峠を下ると浅海原の町並みです。


 この日は、今治市大西町泊まりでした。

 6日目の2月23日(金)午前、54番延命寺から56番泰山
寺までお参りし、57番永福寺に向かいます。

 蒼者川を越えたあたりから望む稜線です。


 翌2月24日(土)は、順路としては山上の霊場、60番横峰寺
ですが、宿からの時間を考慮して翌日に回し、61番香園寺に
向かいました。

 西条市東予総合支所(旧東予市役所)近くから見える、田園
と行く手の山並み。

 
 この日は64番前神寺まで回り、61番に近いビジネス旅館
小松泊まりでした。

 8日目の2月25日(日)は、標高745mの山上にある60番
横峰寺へ向かいます。


 東側から寺に通じる平野林道近くまで上がると、展望が開け
て来ました。


 60番横峰寺に参拝後、奥の院・星ヶ峰に上がりました。深い
谷を隔てて四国の最高峰、石鎚山(1970m)が望まれます。

 この日、山頂付近は雲に隠されていました。


 同じ場所で、2004年11月20日の初回の遍路の際に見た
石鎚山です。これは鳥居の前から撮りました。


 舗装された平野林道を東側の人造湖・黒瀬湖に向かって
下ります。

 林道が終わり、別の車道を黒瀬湖畔沿いの県道12号に
向かう途中からは、残雪の山並みが望まれました。

 温暖な四国でも、2月下旬の高山には雪が残っているのです。
                            (続く)
 
 

 


 

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