あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

3度目の四国遍路(後編)・愛媛その3

2011-03-31 20:23:23 | 3度目の四国遍路
 第3日 2011年2月26日(土)
 =44番大宝寺から45番岩屋寺へ=

 5時20分起床、朝食は5時50分から、メニューも豊富だった。6時15分、山形市の男性と
一緒に、おかみさんの車で送ってもらい、落合トンネル東側を6時20分にスタートした。

 山形市の男性はペースが速く、どんどん遠ざかって行く。田渡川沿いの県道42号を東へ、
棚田のある大込(おおごみ)集落を過ぎ、少しずつ上がって行く。三島神社境内には残雪が
あった。


 今朝は気温が下がり、田や畑は霜で真っ白だ。


 上畝々(かみうねうね)で左へ上がる遍路道へ。集落を過ぎて林道が終わるあたりに、雪に
よる杉の倒木が数本散らかっていた。その先に「鴇田峠遍路道」の標識が立つ。



 杉木立の下の山道を上がる。右下に砂利採取場が見えると、間もなく下坂場(しもさかば)峠
(570m)。周辺は、崩壊した道路の工事中だった。

 下る車道の右手谷間にも、残雪が多い。標高520mの大師堂と表示された交差点を左折し、
森田集落を抜ける。道路際にいた男性に聞くと、この冬の積雪は60㎝くらいあったという。

 由良野集落から、右へ入る遍路道へ。すぐ先で道路工事中だったので、少し先を迂回する。
車道を離れた集落の外れに、簡素な休憩所があった。


 残雪の多いヒノキ林を上がり、高原状の一角を抜ける。さらにヒノキ林へ。


 弘法大師ゆかりのだんじり岩を過ぎ、間もなく標高790mの鴇田(ひわた)峠に着いた。

 昭和30年(1955)頃まで、茶屋があったという。この周辺も残雪が多い。


 滑らぬよう注意しながら、雪に覆われた林間を下る。車道に出たところに、東屋とトイレが
あった。


 再び林間を下って林を出ると、久万高原(くまこうげん)町の盆地が見下ろせる。


 久万郵便局のところで国道33号に出る。右折してJAのスーパーに寄り、昼食を購入した。

 それまでは、あまり感じなかったのだが、弁当などで1.5㎏ぐらい増えて、ザックが重く感じる。

 久万川を渡ったところに、最初の山門があり、そのあたりから南に、残雪豊富な山並みが望
まれる。


 1㎞足らずで44番大宝寺(だいほうじ)へ。寺への上りも、背の荷物がこたえる。山門には、
大わらじが奉納されていた。境内にも、かなりの雪が残っていた。

 境内には団体遍路が何組かいたので、昼食は別の場所ですることにした。寺の背後の、杉
林を抜ける遍路道に入る。

 この遍路道は初回に通っているのだが、予想外に上りが続き、けっこうきつい。県道12号の
峠御堂トンネルの東に出て、県道を下った河合休憩所で昼食にした。


 そばの住吉神社にも、雪が残る。県道を少しで、川の南側の遍路道へ。標高560m地点で
県道に出て、すぐ先から八丁坂への小さな流れ沿いの遍路道に向かう。

 このあたり、日陰にかなり雪が残り、凍っているところもあり、滑らぬよう杖を使って慎重に
進む。高見に出ると雪は消えた。

 八丁坂への登り口付近も、日陰のためかなりの残雪だ。ベンチで小休止して、八丁坂に向
かう。


 標高730mの八丁坂に上がって再び休む。樹間から、右手前方に残雪の山並みが望見で
きる。


 稜線を少し進むと、左斜面が切り開かれた一角からは、別の残雪の山並みが現れた。石鎚山
だろうか…。


 広葉樹林帯の、アップダウンの少ない気持ちよい遍路道が続く。落ち葉がいっぱいで、踏み
しめながら進むとカサコソと音がする。

 下りの傾斜が増し、杉の老木が増えてきた。垂直の岩の切れ目になっている逼割(せりわり)
行場を過ぎて、45番岩屋寺の山門をくぐる。

 参拝して納経後、大師堂のところで、今日同宿という奈良市の男性遍路と再会する。これから
逼割行場に上るとのことだった。

 たくさん続く「南無大師不動明王」ののぼりの間を抜けて、長い境内を直瀬川沿いに下った。
その先は、右岸に沿った遍路道に入る。

 この道も、あちこちに雪が残っていた。トチの樹林を過ぎ、雪解け水の清流を眺めながら進む。


 16時53分に、3度目の宿、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)に着いた。

 部屋は211号室。暖房が入っていて暖かい。階段横に、ひな段が飾られていた。すぐに洗濯
機に洗濯物を入れて入浴する。夕食は18時から。ヘルシーなメニューだが、盛りだくさんで美味
しかった。

【コースタイム】落合トンネル東6・20ー室屋台バス停(大込)7・00ー三嶋神社7・11~15ー上畝々
 7・36ー下坂場峠8・09~15ー大師堂8・30ー鴇田峠9・35~45ー松山生協10・32~43ー44番
 大宝寺11・05~33ー河合休憩所(昼食)12・23~52ーH560m点13・20ー八丁坂下13・57~
 14・05ー八丁坂上14・28~38ー44番岩屋寺15・35~16・05ー古岩屋荘16・53

 (天気 快晴後晴、距離 26㎞、歩行地 内子町、久万高原町、歩数 49,800、遍路地図
  55ー1、56ー1図)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その2

2011-03-30 14:22:22 | 3度目の四国遍路
 最近の市内ウオーキングでは、スーパーを回るのが日課のようになっています。
東北関東大震災後、品薄になっている牛乳、納豆、ヨーグルト、アクエリアスなどが
入手できないか、いくつものスーパーを回って、確かめているからです。

 昨日は6つの、今日(3月30日)は7つのスーパーを回ってみました。牛乳はほぼ
以前のように出回るようになりましたが、納豆は限られた数しかなく、ヨーグルトは
どこにもありませんでした。

 昨日最後に回ったスーパーに、2リットル入りのアクエリアスがあったので、一つだ
け購入してきました。

 でも、わずかな食べ物しかなく、暖房もあるかなしで避難生活を送っておられる、被
災者の方々に比べれば、まだ恵まれているといわなければなりません。

 被災者の方々が、もとの生活に戻れる日が1日も早く来られるよう、お祈り申し上げ
ます。

====================================

 第2日 2011年2月25日(金)
 =内子駅から小田川、吉野川沿いに=

 5時40分起床、6時20分から朝食をして、7時25分頃ときわ旅館を出る。

 高校生の通学列車になっている伊予大洲駅7時50分発松山行きに乗り、内子(うちこ)
駅に8時6分に着く。

 ここから、昨年3月に区切りとした四国遍路後半の再開である。今日は、霊場への参拝
はないので白衣は着けず、菅笠もザックにくくりつけて出発する。


 下芳我邸↑など、古い建物の残る通りを抜け、国道56号に出た。コンビニ・サンクスで
弁当を仕入れ、小田川沿いへ。近くの道の駅内子フレッシュパークに寄ったら、ここにも
弁当はあった。


 小田川右岸沿いに走る、国道379号を上流に向かう。道路沿いのナノハナが咲き出し
ていた。




 長岡山トンネルを出たところにある、お遍路無料宿で休憩する。


 国道には、左側に幅広い歩道があり、車も少ないので安心して進める。上和田の柿選果
場前を通過した。内子町は柿の産地である。

 大瀬で国道は左岸に回るが、ここから右岸の旧道に入る。大瀬郵便局に寄り、チョッキ、
ロープなどをゆうパックで自宅に返送し、わずかながら軽量化を図った。


 いつも気にしながら通るのだが、今回もここ出身の作家・大江健三郎さんの生家は分か
らなかった。


 曽我十郎首塚登山口を過ぎると、番外霊場である千人宿大師堂↑と楽水(らくすい)大師堂
が続く。


 楽水大師堂のそばに、「筏(いかだ)の里川登」の説明板があり、その手前から国道を拡幅
していて、こちら側は旧道となっていた。


 新しい国道に出たところにあった、バス停でもある梅津休憩所で昼食とする。



 白い幹の、内子特産の柿畑が増える。道路上に、魔除けだろうか、わら細工などが下がっ
ていた。


 間もなく突合(つきあわせ)の分岐点へ。

 前回は右折して小田川沿いの小田に向かったが、今回は左折して吉野川沿いの国道379
号に入る。


 川沿いに、新しいヘンロ小屋38号内子があった。ほかに、国道沿いの内子町営バスの各
停留所は、ログハウスか東屋なので、どこも良い休憩所として使わせてもらえる。


 ゆうパックで一部返送したものの、午後になるとザックの荷が重く感じ、腰への負担もあり
ペースが上がらず、ゆっくりと進む。


 上田渡(かみたど)の薬師堂↑横に、ログハウスの休憩舎とトイレがあったので、最後の休憩
をした。

 午前中は雲が多かったが、正午前後から太陽が出て気温が上がったので、薄手のシャツ
だけになり、菅笠も被ることにした。


 「落合トンネルを出たあたりで電話をすれば迎えに行く」と宿から言われていたが、15時前
なのでそのまま川沿いを離れて砥部町(とべちよう)に入る。今日の宿、たちばな旅館には、
15時25分に着いた。

 建物は新しく、風呂も明るく使いよい。広い部屋に2人分の布団が敷いてあり、到着後間も
なく入浴できた。風呂場に、はかりがあったので、ザックとずだ袋の重量を量る。あわせて約
8㎏だった。

 腰痛がやはりきつく、明日の行程をどうしようか一考したが、予定通り国民宿舎古岩屋荘に
予約の電話を入れる。

 夕食は、17時20分過ぎから。同宿は、昭和19年生まれという山形市の男性のみ。4回目
の遍路で、通し打ちとのことだった。

 【コースタイム】内子駅8・10ーサンクス8・30~37ー道の駅内子8・43~48^中土橋BS9・16
  ーお遍路無料宿9・55~10・03ー大瀬郵便局10・53~11・03ー川口橋BS11・20~25ー千人
  宿大師堂12・00ー楽水大師12・11~15ー梅津休憩所(昼食)12・34~13・04ーへんろ小屋38
  号内子13・25~28ー新田八幡神社14・15ー落合トンネル入口15・00ーたちばな旅館15・25

 (天気 曇後晴、距離 23㎞、歩行地 内子町、砥部町、歩数 40,800、遍路地図 54ー2、
  54ー3、55ー1図)
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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その1

2011-03-29 14:17:41 | 3度目の四国遍路
 第1日 2011年2月24日(木)
 =別格7番出石寺へ=

 5時40分に起床、6時朝食、不要な荷物は部屋に置いて、7時に、ときわ旅館を出る。


 大洲城や、眼下に停泊する屋形船を眺めながら肱川橋を渡る。大洲市役所前を通過し、
久米川沿いへ。途中、コンビニ・サークルKで弁当を仕入れる。


 平野の関谷橋を渡り、JR予讃線の西に出た。沼田川沿いを1.5㎞ほど進み、車道を
離れて遍路道に入る。

 おなじみの、へんろみち保存協力会のへんろ標識のほか、ときわ旅館の藤江さんが立
てたという独自の標識があり、林道横断か所なども迷わずに進める。


 今日の大洲の予想最高気温は18℃。朝から暖かいので、コンビニでジャンパーを脱ぎ、
車道の先で厚手のシャツも脱いだ。

 「キリシタン大名一条兼定仮寓の地」の説明板があり、そばに、「梶ヶ谷のヤマモモ」と
呼ぶ、ヤマモモの古木が枝を広げていた。


 樹林の切れ目から、南側の山並みが望まれる。



 炭焼きがまの横を過ぎ、幅広い林道に出ると、「ケーブル埋設」の標識が続く。舗装道路
を横断後、スプリンクラーのある椎茸栽培地の先から砂利道の林道に入った。

 右手に上がる遍路道の標識を見逃し、10分余り先で標識が無くなったのに気づき戻る。
はっきりした標識なのにどうして見逃したのか、戻ってみて不思議な気がした。

 遍路道が下りとなって車道に出て、いったん緩やかに下って標高490m点の車道交差
点から、稜線を上がる遍路道へ。幅広くて歩きやすい上り道が続く。


 今年初めての、ウグイスの鳴き声を聞きながら進む。ところどころに、石仏を刻んだ古い
丁石がある。


 たくさんのお地蔵さんが並ぶ一角を過ぎると、間もなく弘法大師像のところに上がった。


 石段のすぐ上が、別格霊場7番、出石寺(しゅっせきじ)の山門である。途中でも雨が
ぱらぱらしたが、ここでもぱらつく。でも、本堂に参拝中に止んで、晴れてきた。

 最奥に本堂があり↑、手前に大師堂、その前には御手びきの鹿と呼ぶ鹿の像や、牛の
像、多宝塔などが並んでいる。


 そのあたりからは、雲の切れ間から下の集落などが望まれる。


 境内の日陰には、雪が残っていた。


 石段下の納経所で御朱印をいただく。そばに護摩堂があり、山門横には、売店とうどん
店がある。

 納経所の方に断り、山門のそばのベンチで昼食をしたが、標高812mの山上なので、休
んでいると寒い。

 帰路は、標高560m地点まで往路を戻り、そのまま車道を下る。車はほとんど通らない
ので、どんどん下る。こちらでは、シジュウカラの初鳴きを聞いた。


 車道のカーブ点に、新しい休憩所が出来ていた。遍路に行くたびに休憩所は増えていて、
歩き遍路にとっては大変ありがたい。



 棚田を見下ろしながら下る。車道のヘヤピンカーブ点には、ショートカットする遍路道が
3か所続くが、真ん中の部分は崩壊で通行禁止になっていた。

 最初の集落まで下ると、大洲の町並みが見下ろせる。


 阿蔵(あぞう)集落から真っ直ぐに下る遍路道にも、藤江さんの遍路標識が多く、間違い
なく下れた。


 JRのガードをくぐって肱川の堤防に上がると、大洲城が近づく。


 アーケードのある本町一丁目商店街を抜けて肱川橋を渡り、大洲の市街地へ。ときわ
旅館には、15時55分に戻った。

 すぐに入浴でき、洗濯はお接待でしていただく。風呂から出たら腰を伸ばすと痛いので、
近くの薬局へ行き、湿布薬を買っきて貼る。

 夕食は18時過ぎから。今日は34㎞ほど歩いたという、奈良市の男性と一緒にいただく。
お勤め中の方で、数日の区切り打ちを続け、今回は51番石手寺までの予定とか。

 夕食後、宿の藤江さんも交えて情報交換をする。腰痛がややきつく、明日がどうなるか
気がかりだ。

 【コースタイム】ときわ旅館7・01ー西大洲・サークルK7・30~37ー関谷橋7・57ー桑坂
 川沿い遍路道へ8・22ー二つ目の遍路標識8・37~44ーH390m点9・30ーH560m点
 10・20~25ーH550m点10・42ー別格7番出石寺(昼食)11・32~12・20ーH490m点
 13・02ー出石寺9㎞標13・37ー出石寺11㎞標14・11~20ーJR予讃線際15・18~23ー
 ときわ旅館15・55

 (天気 晴一時曇、距離 25㎞、歩行地 大洲市、八幡浜市、歩数 46,300、遍路
  地図※ 94ー3図)

 ※ 「遍路地図」とは、へんろみち保存協力会発行の「四国遍路ひとり歩き同行二人」
   【地図編】第9版の地図をいう。


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3度目の四国遍路(後編)・自宅から大洲へ

2011-03-28 21:12:10 | 3度目の四国遍路
 3度目の四国遍路の後半は、2010年秋に予定していたが、所要が出来て延期し、前半から
ほぼ1年後の、2011年2月下旬から3月中旬に実施することにした。

 後半も別格霊場を回ることにしたが、この後の予定から、終わりを3月14日までとしたので、
前回回った別格霊場の一部は割愛することにして、予定を組んだ。
 
 2011年2月23日(水) 快晴後曇
 =愛媛県大洲市へ向かう=

 6時起床、7時7分に自宅を出た。東京駅9時3分発東海道新幹線ひかり号で岡山駅へ。新
富士周辺からは、富士山がよく見えた。


 岡山駅からの特急を松山駅で乗り継ぎ、17時4分に伊予大洲(いよおおず)駅に着く。

 今日と明日連泊のときわ旅館に、17時25分頃入る。昨年最後の宿泊時と同じ部屋で、暖房
が入っていて暖かい。

 新幹線、特急ともに暖かすぎて、居眠りしている時間が多かった。出発前の昨日、軽いギックリ
腰を感じたが、今日は電車に座りきりなので、あまりよろしくない。悪化せねばよいがと心配だ。

 すぐに入浴し、18時過ぎから夕食。今夜の宿泊者は私だけ。いつも夕食をいただく部屋には、
今年もひな飾りが並んでいる。


 宿のご主人、藤江さんに、明日行く別格霊場7番出石寺(しゆつせきじ)へのルートなどを聞く。
藤江さんは、最近愛媛マラソンに初挑戦され完走したとのこと。4時間台で完走の賞状があった。

 部屋に、遍路関連の冊子がいくつか置いてある。


 その中に、NPO四国遍路おへんろ倶楽部発行の、県別の遍路コースや霊場を紹介した冊子が
あったので、この先歩く伊予(愛媛県)と讃岐(香川県)の2冊をいただいた。
 

 今日は歩いていないので、美味しい夕食だったが少し残した。


 明日から、いよいよ四国遍路の後半が始まる。前回の区切りとなった、43番明石寺と44番大宝
寺との中間、JR予讃線内子駅からの再開を前に、まずは別格霊場7番の出石寺に向かう。

                                       (歩数 6,100)

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柏市から野田市郊外をカントリーウオーク(千葉)

2011-03-27 13:17:31 | カントリーウオーク
 2011年3月26日(金)

 未曾有の大災害をもたらした3月11日(金)の東北関東大地震、その2日後に開催予定だった
カントリーウオークグループの第181会例会は、約2週間遅らせて開催された。

 集合地は、つくばエクスプレスの柏たなか駅。参加者数は例会の最小記録となる10人、少人数
なのでいつものような組み分けはせず、全員一緒に10時11分に駅をスタートする。

 ==利根運河を渡って運動公園へ==
 
 駅2階のコンコースからデッキに出ると、猛烈な向かい風の洗礼。帽子を押さえて閑散とした西
側広場に下り、大ケヤキなどの屋敷林が目に付く小青田集落を抜ける。

 常磐自動車道の下をくぐって船戸集落に入り、医王寺へ。

 道路際に新しい平和大観音が立ち、境内のあちこちに咲く、黄色いスイセンが見頃に。ソメイヨ
シノはまだつぼみだった。


 寺の周辺の民家にも、大きなケヤキなどの屋敷林が見える。


 車道を横切った先に、日本リーテックの研修センターがあり、鉄道線路が敷かれ、信号機が並ん
でいる。何の研修施設なんだろうか?


 船戸山高野には、「運河霊場十五番」とか、「三十六番」などと記された小さいお堂が幾つかある。
この近隣を回る札所らしい。十五番のそばでは、ピンクのアセビが満開だった。


 ブラスバンドで知られる柏高の横から利根運河に出て、そばの橋を渡る。吹きさらしで猛烈な風、
体ごと飛ばされれそうだ。



 休耕田と草地の多い田園地帯を横切る。小さい流れを越えて、千葉商科大グランドの東側を回る。
台地下の木陰に入ると、風が避けられたので小休止した。


 上三ヶ尾(かみさんがお)集落の、散在する住宅と畑や小さい林の間を進む。大きなコブシが何か
所かで、花を開き始めていた。



 サンシュユやハナモモ、梅などの咲く一角を過ぎ、西三ヶ尾にある昼食地の運動公園に12時5分
に着いた。冷たい風を避け、芝生地にある生け垣を背にして昼食とする。

 
 ==里山公園から目吹の里道を==

 
 ミーティングをして記念撮影後、13時3分に出発した。公園の北から西へ、流れの北岸沿いに続く
三ツ堀の戸建て住宅地の、東端の道路を北に抜ける。

 リョーショクの工場横を通過し、野田市の三ツ堀里山自然公園に入った。公園は、流れに沿った湿
地や、北側の里山一帯をかかえて、北西に伸びている。面積は187.9ha、長さ約830m、幅約45
~220mという。

 竹林を抜けて、「ススキの池」と呼ぶ流れに沿った小さい池のほとりに。猛烈な北西風がほこりを巻
き上げ、我々の通過を妨げる。


 流れ沿いには木の板の遊歩道もあり、土ほこりを避けながら前進する。風がなければ、素敵なカント
リーウオークエリアなのだが…、今日の冷たい強風は本当に残念だ。


 芽吹き前の広葉樹林に上がると、風は弱まりホッとする。芝生広場に東屋(あずまや)があったので、
休憩した。

 野田市パブリックゴルフ場の南面から東へ回る。ゴルフ場の中を抜ける生活道路を進み、本郷集落
へ。このあたりにも、大きなケヤキや常緑広葉樹の屋敷林がたくさん残っている。


 香取神社近くの、古い石仏の傍らに、フキノトウがたくさん花を開いていた。


 東側に、寺院の屋根が見えたので立ち寄る。遍照院で、本堂前のヒカンザクラが見頃。右手には、幹
の太い大ケヤキが枝を広げ、観音堂そばの河津桜も開花している。


 東北関東大地震で倒れたのか、新しい石灯籠が倒れていて、石の多宝塔のようなものも、上部が回転
したように見える。

 新町集落を抜けて県道7号を横切り、紫カントリーすみれゴルフ場の東側から、芽吹一区に入った。
交通量の多い県道7号を少し進んで、南に平行する旧道へ。畑作地帯に入ると、強風による猛烈な土
ほこりで一瞬たじろぐ。


 通過したあちこちの集落でも見られたが、このあたりでも、屋根瓦、特に上部が地震でやられていて、
シートで覆っている家が何戸も散見される。


 畑にはほうれん草やかき菜などがよく育っているが、原発汚染で出荷停止の福島や茨城の野菜のこと
を思うと、胸が締め付けられる。


 避難している方や、復興に尽力している大勢の方々のことを考えると、このように歩いているのも、申
し訳ない気がする。


 トサミズキの咲く畑の横を通過、県道7号の北にあった香取神社に参拝し、県道3号にある下村バス
停に15時58分に着いた。

 16時8分発野田市行きバスに乗り、愛宕駅で下車、東武野田線で帰途についた。

 (天気 晴、参加 10、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 守谷、(流山)、歩行地 柏市、野田市)


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国際ウオーキングトレイル実踏 三島から修善寺へ(静岡)③

2011-03-24 21:01:52 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2011年3月18日(金)

 ==発端丈山から修善寺へ==

 最終日も好天だが冷え込んだ。朝食前に散歩に出たら、氷が張り畑は霜で白かった。7時40分、
沼津市口野の民宿、あだちをスタートした。


 海岸沿いの県道17号を南に向かう。次の集落、内浦重寺(しげでら)に入ると淡島が近づき、北
側の山に隠れていた富士山も、姿を現した。


 漁港のそばから、マリンパークになっている淡島へのロープウェイがあったが、現在は廃止され、
島へは船で渡るようだ。

 内浦湾に回り込み、最初の集落内浦小海からは、これから上る発端丈山(ほったんじょうざん)が
見え、登山口のある内浦三津(みと)集落へと家並みが続く。

 内浦三津は、内浦湾の中心地。郵便局や消防署、駐在所がある。この周辺でただ一つのコンビ
ニ、セブンイレブンで昼食を調達した。


 湾の対岸に並ぶ、ヨットハーバーのヨットや、淡島の向こうに見える富士山、駿河湾の北はるか
に南アルプスなどを眺めながら進む。


 伊豆三津シーパラダイス横を通過し、県道のトンネル横の旧道を経て、内浦長浜集落へ。

 通過した各集落には、津波の際の避難先への表示が多く、東日本大地震クラスの東海地震が
発生したら、このあたりはどうなるのだろうかと、実感させられる。


 3本のシダレザクラのある住本寺に寄った後、そばにある「発端丈山ハイキングコース長浜口」
の標識にしたがい、内浦長浜集落からの登山口に向かう。

 標識のそばにあった細道を上がったが、行き止まりとなった。でも、戻る途中からの富士山の
眺めは、ほかでは見られないものだった。


 ミカン畑の間を上がって行くと、左にとりつく簡易舗装の細道に標識がある。ミカン畑が終わっ
て山道となり、ヒノキの樹林下をひとしきり上って、コンクリート造り展望台に出た。

 淡島や駿河湾の向こうに、富士山の雄大な裾野が広がる。その左手には残雪豊富な南アル
プス連峰が望まれ、眼下の三津のヨットハーバーも見下ろせる。


 稜線に向かって、再び樹林下をジグザグに上がる。傾斜が強まり石段やロープが付けられ、
ジグザグの間隔が縮まる。稜線に出て、三津中央口からの登山路に合した。


 東側眼下に大仁の町並みを見下ろし、間もなく開かれた発端丈山(410m)山頂に着いた。


 大イチョウが1本立ち、東にロープウェイのある葛城山(452.3m)が、北に富士山から駿河湾、
南アルプスなどが一望である。


 南方には天城の山並みが長く延びている。今回のコースの最高峰なので記念撮影をして、ゆっ
くりと休憩した。


 南東に向かって下り、展望のない標高329mの四等三角点を通過し、葛城山への分岐点に出
た。多くのハイカーは、東側の葛城山に向かうようだが、我々は南に向かい、益山寺に下った。

 益山寺は、標高300mにある高野山の末寺。空海の創建で本尊・観世音菩薩は、空海の自作
と伝えられているという。

 境内や参道には、100体を沪す観音石仏があり、県内でも珍しい石仏群集地のようだ。


 観音堂前には、根回り5.46m、樹齢850年で県下最大といわれる大カエデと、目通り5.3m、
樹齢350年を越すという大イチョウが立っている。


 少し早めだがここで昼食をして、簡易舗装の参道を南に下る。沿道には道しるべにもなっている
観音石仏が一丁ごとにあり、四国遍路道を思い出す。


 谷間の山田から後山へと、小集落を進み、巨大な採石場の横を回って、大仁(おおひと)の家並
みの望める山田川沿いに出た。


 右岸に沿って右に回り込む。NPO法人メダカのがっこうの「ありがとう田んぼ」の水田を過ぎて、
堀切集落で山田川を渡る。

 南側の斐林寺(斐は人偏付)で小休止後、左手から背後の林間を上がる簡易舗装の車道へ。

 地図からは消された旧道で、落ち葉や倒木、落石があちこちにあり、現在は廃道になっている。
太い倒木が道をふさいでいるところもあり、またいで通過し、修善寺ニュータウン西端の車道に出
た。


 修善寺YHの標識があり、やまさんやDさんは、何回か研修の講師や受講で訪れているという。

 急坂を少し下り、南側の丘陵に広がる修善寺梅林の遊歩道に入る。梅林の面積は約100haで、
樹齢100年を超える老木など、約20種、3,000の紅梅、白梅があるという。


 一部咲き残った梅林を少しずつ下り、ヒノキ林を抜けて、修善寺温泉の家並みに入り、その名の
起こりである修善寺に行く。

 立派な本堂の横に、河津桜だろうか、ピンクの色濃い桜が見頃。枝振りの良い松も2本並ぶ。
どっしりした鐘楼も見栄えがある。

 寺の南側、桂川を渡るところには、足湯の建物が見られた。


 右岸で一番南側の通りを下流に向かう。大きな温泉旅館や土産物店の横を東へ、ハリスト正教会
を過ぎ、修善寺道路に出る。

 川を渡って左岸沿いの県道18号を東へ、狩野川との合流点で修善寺橋を渡る。今回のゴール、
伊豆箱根鉄道駿豆線の終点、修善寺駅に15時前に着いた。

 東日本大地震の影響で、電車の本数は少ない。数分後に発車の電車に急ぎ乗り、帰路についた。

 【コースタイム】内浦口野・民宿あだち7・40ー内浦重寺・淡島渡船場8・00~03ー伊豆三津シーパ
  ラダイス8・37ー(戻り)ー内浦三津・セブンイレブン8・45~48ー住本寺9・20ー展望台10・05~
  12ー発端丈山10・30~11・00ー葛城山への分岐11・15ー益山寺(昼食)11・23~45ー後山の三差
  路12・17ー斐林寺12・44~50ー修善寺ニュータウン西端13・21ー修善寺梅林遊歩道入口13・32ー
  修善寺13・57~14・10ー修善寺駅14・55

  (天気 快晴後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 韮山、修善寺、歩行地 沼津市、伊豆市、
   伊豆の国市、歩数 29,000歩、累積標高差 約1,550m)


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国際ウオーキングトレイル実踏 三島から修善寺へ(静岡)②

2011-03-23 15:28:35 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2011年3月17日(木)
 ==沼津アルプスを北から南へ==

 2日目は、沼津市街地に近い狩野川べりから、「沼津アルプス」と呼ぶ標高200~300m
級の山並みのハイキングコースを縦走して、沼津市内、江浦湾沿いの口野(くちの)までの
行程である。

 この日のトップは私が務める。7時ちょうどに、かどや旅館を出た。狩野川の黒瀬橋を渡り、
東に少しの、カニ料理店甲羅の先から、「香貫山登山口」の表示に従い、石段の急坂へ。

 10分足らずで、香陵台と呼ぶ広場に上がった。北側眼下に沼津市街、南西に大瀬崎から
続く伊豆半島の稜線が望まれる。


 広場には、沼津に住んだ若山牧水の歌碑や、日清、日露から第二次世界大戦までの戦没
者などの慰霊を祭る「沼津市慰霊平和塔」と呼ぶ五重塔が立っていた。


 南に進んで、香住展望台へ。沼津市街の向こう、愛鷹山塊の上に富士山の上部が姿を現
した。



 大きく弧を描く駿河湾や、遠く雪を残す南アルプスも望まれる。眼下間近には、沼津御用邸
記念公園や、狩野川河口も見下ろせる。


 その先、球形ドーム塔の立つ香貫(かぬき)山(193m)山頂は、展望が得られないので先
に向かう。振り返ると、香貫山頂や香住展望台が望まれる。


 車道を横断後、約400段あるという丸太の段を下って車道に出た。

 緩やかに下り、車道が左カーブする八重坂峠から、右手の登山路に入る。

 2か所、ロープのつけられた急登があり、次の横山(183m)へ。山頂は広葉樹林に囲まれ
ていて、展望は利かない。

 その先の稜線も、深く茂った常緑広葉樹林に覆われ展望はない。下を車道がトンネルで抜け
る横山峠も、車の音は聞こえるが車道は確認できなかった。


 さらに稜線を進み、くさりの付いた丸太の段を急登すると、徳倉山(256m)。

 山頂は割合広い芝生地になっていて、二等三角点が設けられている。富士山を背に記念撮影
をした。




 常緑広葉樹に挟まれた稜線を下って行くと、反対から登山者が上がってきた。三島市にお住
まいのYさんで60代後半。勤労者山岳会に所属し、今日の山行が997回目とか。1000回目
は、山岳会の山行で達成したいという。

 ロープのある急坂を下り、展望が開けたかやとの一角に出た。千金岩と呼ぶ岩があり、行く手
の鷲頭(わしず)山や西側の海岸線が望まれる。


さらにロープの付いた急坂を下ると、志下坂峠(しげさかとうげ)である。

 大トカゲ場と表示されたところを通過して、志下山(214m)へ。「さざなみ展望台」の立て札が
あり、駿河湾や大瀬崎の大展望が広がる。ここで昼食にした。


 少し先に「奥駿河パノラマ台」と呼ぶ展望地もあり、眼下の家並みや、斜面のミカン畑などが見
晴らせる。


 正面に見える鷲頭山に向かって少し下ると馬込峠。次の稜線に向かって上がり、ぼたもち岩と
呼ぶ大岩のある志下峠に着いた。


 急坂を少し上がったところに、垂直にそそり立つ巨大な岩があり、その下に石仏が祭られ、「中
将岩」と記されていた。

 本三位中将・平重衝が、治承4年(1180)この洞窟に隠れ住んでいたとのこと。その後、追っ手
に発見され、大岩の上まで逃げたが、これまでと、切腹自害したのだという。

 ここで、下ってきた男性と出会う。熱海Kホテルのフロントにお勤めの I さん。休日を利用しての
トレーニング山行らしい。

 その先もロープのある急坂を上がり、小鷲津山(330m)へ。大きな弧を描く駿河湾の展望が得
られ、「本三位中将平重衝終焉切腹之場」の標識があった。


 すぐ先、沼津アルプスの最高峰・鷲頭山(392m)には、10分ほどで上がった。割合広い山頂に、
山桜が数本枝を広げ、一番大きな木の下に小さいほこらがあった。


 雲がやや増えて、遠望が利きにくくなってきた。東側、狩野川沿いの家並みが見下ろせる。

 ロープの張られた急坂を下り、多比(たび)峠を通過し、青木の多い一角を過ぎると、ウバメガシ
の群落の中を抜ける尾根道となる。

 木の根や石ころが多く、転ばぬように注意しながら進む。

 少しずつ上がって旧名を大峠と呼ばれた多比口峠へ。ここにザックを置き、沼津アルプス最後の
大平山(おおひらやま)まで往復することにする。

 狭い尾根の急坂は少しで、傾斜が緩み、十分足らずで大平山(356m)に着いた。山頂は広く、
ベンチ二つと、目安箱と呼ぶノートの置かれたボックスがある。

 広葉樹が伸びていて、展望はほとんど得られない。

 多比口峠に戻る途中から、雲の増えた富士山が望まれた。峠から縦走路を離れて南に下る下山
路へ。

 下って行くと、やわらかな彩りの山桜の芽吹きが見られ、春の間近なことが感じられる。


 ドラム缶に標識が記されたところが、沼津アルプス北行登り口。ここからは簡易舗装の車道と
なる。さらに下って右からの車道と合し、多比の家並みに入る。

 伊豆箱根バスの多比停留所のある国道414号を東へ。歩道のない多比第2トンネル(216m)
を抜け、狩野川放水路のところでて国道に分かれ、江浦湾沿いに次の口野(くちの)集落に向かう。


 今日の宿、民宿あだちは、三の浦郵便局のすぐ先、16時20分に着いた。

 最高点でも標高392mの沼津アルプスだが、七つの山と七つの峠越えは、いずれも急坂のアッ
プダウンが続く。でも、富士山や駿河湾、狩野川沿いなどの素晴らしい展望に恵まれ、その名に
ふさわしい、よいコースだった。

 【コースタイム】かどや旅館7・00ー沼津アルプス登山口7・23ー香陵台7・32~40ー芝住展望台
  8・03~22ー八重坂峠8・57ー横山9・18~33ー横山峠9・50ー徳倉山10・17~45ー志下坂峠
  11・25ー志下山(昼食)11・36~12・15ー中将岩12・40~13・00ー小鷲頭山13・13~18ー鷲頭山
  13・28~14・00ー多比峠14・10ー多比口峠14・35~40ー大平山14・48~15・03ー多比口峠(戻り)
  15・10ー登山口(ドラム缶)15・25ー多比バス停そばセブンイレブン15・45~16・00ー民宿あだち
  16・20

 (天気 晴、参加 3人、距離 12.5㎞、地図(1/2.5万) 沼津、三島、韮山、歩行地 沼津市、
  歩数 18,900、累積標高差 約2,300m)


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国際ウオーキングトレイル実踏 三島から修善寺へ(静岡)①

2011-03-21 20:08:21 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 日本海から太平洋へと、徒歩でつないで約50日、1,000㎞の歩く旅のコース造りを続けて
いる、「やまさん」こと、山浦正昭さんの日本横断国際ウオーキングトレイル、春の実踏に参加
した。

 今春はセクション17として、伊豆半島の付け根である静岡県三島市をスタートし、伊豆の国
市修善寺(しゅぜんじ)までを3日間で歩く予定である。

 2011年3月16日(水)
 ==清流沿いを三島から沼津へ==

 前日、東北関東大地震による交通機関の影響を考え、やまさんに電話したところ、「あらゆる
手段を尽くして現地に向かう方法を考えて…」とのこと。

 迂回ルートを考慮して早めに起床し、西武新宿線、JR中央線経由で東京駅に行く。お陰で、
9時56分の東海道新幹線ひかり号に乗ることが出来た。

 出発地であるJR三島駅の集合予定は13時だが、11時前に着いたので、駅前にある市の
庭園・楽寿園に入って一巡する。

 今回の参加者は、やまさんのほか、今日だけの大阪のHさん、フル参加は横浜のDさんと私、
13時過ぎに三島駅南口を出た。

 今日は、駅前の観光案内所でもらった、三島市と清水町、沼津市を結ぶ、「港・湧水せせらぎ
ウオークマップ」に記されている、流れ沿いのコースが主体である。

 楽寿園の東側から南に回り、まずは源兵衛川沿いに設けられた遊歩道へ。

 源兵衛川は、富士山の伏流水が湧き出る楽寿園の小浜池が水源。水量はさほどではないが、
清流に沿って飛び石や木の板、石造りなどの遊歩道が続いている。


 流れの傍らには樹木が多く、初夏にはホタルも飛び交うという。沿道のコブシが咲き出していた。


 中ほどにあった三石神社は、昔、三石という巨石があり、その上に社殿を建てて、稲荷神社を
祭ったものとか。境内に、三島八景のひとつという、時の鐘があった。


 「水の苑緑地」と呼ぶ一角には高木が多く、湧水も数カ所あり、石灯籠が置かれていて、日本
庭園のような趣がある。


 源兵衛川を離れて工場地帯の間を西に抜け、極楽湯と呼ぶ日帰り天然温泉の南側に回る。

 家庭菜園の横から境川左岸に出ると、頭を雲に隠した富士山が姿を見せた。流れの多い清流
を、右岸に回りたいのだが橋がない。

 上流にせきがあったが、両岸に金網が設置され、通行できない。でも、その金網を伝わり、せき
を渡って対岸に回ることが出来た。

 国道1号線に出て西に少しで、豊富な湧水で知られる柿田川源流付近の柿田川公園へ。地元
産品などの売店近くにある、桜が見頃になっていた。


 柿田川は、清水町の中心部を流れる延長1.2㎞の狩野川の支流。富士山周辺に降った雨や
雪解け水が地下水となって湧出したもので、1日約100立方m(20mプール2,000杯分)の水
が湧き出ているという。

 確かに、このような豊富な湧水を見たのは初めてだった。


 公園を離れて、川の左岸沿いの住宅地を南に進み、狩野川の徳倉(とくら)橋を渡る。下校中
の小学生の列と一緒になり、「何をしているの」、「ザックに何が入っているの」など質問を受ける。



 狩野川左岸沿いに進み、左に大きく流れがカーブする本城山↑の南麓にある、龍泉寺で小休止
した。


 狩野川は流路を西に向け、再び富士山が姿を現した。


 流れのそばの柳が、淡い彩りの新芽を開き始めている。


 大きなアーチを描く香貫大橋が近づくカーブ点に、沼津工高漕艇部の艇庫があり、幾つものカ
ヌーが並んでいた。


 さらに左岸を進み、明日渡る黒瀬橋を過ぎると、沼津の市街地が近づいてきた。


 三園橋を渡って、市の中心街近くまで進み、帰宅するHさんと別れる。

 日吉神社に近い山王町の住宅街に入り、17時ちょうどに、かどや旅館に着いた。

 【コースタイム】三島駅13:02ー三石神社13:18ー柿田川公園入口14:15ー龍泉寺15:02~17ー
  香貫大橋15:57ー三園橋近くのファミリーマート16:25~33ーかどや旅館17:00

 (天気 晴、参加 4人、距離12㎞、地図(1/2.5万) 三島、沼津、歩行地 静岡県三島市、
  清水町、沼津市、歩数 19,800)

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カタツムリ歩行 西武国分寺線 恋ヶ窪駅(東京)

2011-03-20 21:51:57 | カタツムリ歩行
 2011年3月20日(日)

 JR武蔵野線沿線とその付近の駅周辺をじっくり、のんびりと歩く「カタツムリ歩行」、
その202回例会に参加した。

 今回の集合は、西武国分寺線の恋ヶ窪駅。東北関東大地震の影響か、参加者は
10人と少ない。10時10分にスタートした。

 まずは、駅の西側近くにある国分寺市役所へ。構内一番奥にある一番大きな建物
は取り壊しになるようで、「旧庁舎」となっていたが、その入口に、創建当時の武蔵国
分寺にあったと思われる七重塔の模型があった。


 北側の通りに出て西に少し進むと、武蔵野の面影を残す畑と屋敷林の景観が残っ
ていた。


 屋敷林の北側の通りに進み、さらに西に向かう。かなり広いエリアの樹木畑があり、
りっぱな植木の苗木がたくさん並んでいる。


 戸倉三丁目の満福寺の入口付近の、ヒカンザクラが見頃に。


 広い境内の満福寺と南側の墓地には、彼岸の墓参に訪れた人が、何組も見られた。


 境内には、国分寺市の名木となっている、幹周り3m余りのヒヨクヒバが立っている。


 本堂前の、白梅の古木も見頃になっていた。


 西側に隣接して、戸倉神社がある。享保14年(1629)、この地に戸倉新田が開発
されたときに、鎮守として五日市町戸倉の三島神社を勧請したのだという。


 境内にある2本のソメイヨシノのうち、古木の方がかなり開花していた。


 その先にも、かなり広い樹木畑があり、真ん中を北に抜ける農道が走っていたので、
通過させてもらう。


 こちらにも、武蔵野の面影を忍ばせる農家の屋敷林が望まれる。


 畑の間の道を、国分寺第五中の方に向かうと、道路の角に無人の農産物直売所が
あった。

 ホウレンソウやノラボウ菜、ブロッコリーなどが並んでおり、例会参加者の何人か
が買い求めた。

 第五中の北にあった並木図書館・公民館のそばに、砂川用水が流れているが、
水は枯れていた。 

 8代将軍徳川吉宗時代の享保14年(1729)に、新田農民の飲み水に利用する
ため、玉川上水から分水したものだという。

 北側を走る五日市街道に出れば、ゴールの愛宕神社は近い。11時48分に着いた。


 この境内にも、国分寺市の名木である幹周り4.32mという、ケヤキの古木がある。


 昼食後、社殿前でミーティング。今日の顔ぶれは、台風でも地震でも参加するという
メンバーばかりだった。


 (天気 晴、参加 10人、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市)


 ミーティング後の13時近くに散会となり、私は歩を北に向け、たかの台、小川西町、
東村山中央公園、東村山駅西、所沢駅などを経て、約12㎞を3時間かけて帰宅した。


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国際ウオーキングトレイル実踏(三島から修善寺へ)

2011-03-18 21:16:21 | Weblog
 四国遍路から帰宅して中1日おいて、3月16日(水)から今日3月18日(金)まで、
「やまさん」こと、山浦正昭さんが続けている、日本横断国際トレイルコース設定の実踏
に参加して、三島から修善寺(しゅぜんじ)までを歩いてきました。

 3月16日は三島駅を13時にスタートして、豊富な湧水で知られる柿田川湧水や狩野
川など水辺を主に歩き、沼津市内のかどや旅館に泊まりました。

 3月17日は、沼津から香貫山から大平山まで続く、アップダウンの多い沼津アルプス
を北から南に縦走して、沼津市口野の民宿あだち泊のコースでした。

 今日3月18日は、口野をスタートし、駿河湾沿いに三津まで行き、発端丈山(410m)
に上がり、伊豆市の益山寺を経て、修善寺温泉に下って、ゴールの伊豆箱根鉄道の修
善寺駅に、15時ころ、予定通りゴールしました。

 出発前日の15日夜には、三島市でも震度4の地震があり、交通機関への影響や、東
北関東大地震の影響も懸念されましたが、好天にも恵まれ、無事予定通りの行程を踏査
することが出来ました。

 詳細は別途、アップしますが、とりあえずこの3日間の行動についての報告です。

 写真は、今日午前中に上がった発端丈山登山路からの、内浦湾や淡島、富士山などの
展望。


 
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