第3日 2011年2月26日(土)
=44番大宝寺から45番岩屋寺へ=
5時20分起床、朝食は5時50分から、メニューも豊富だった。6時15分、山形市の男性と
一緒に、おかみさんの車で送ってもらい、落合トンネル東側を6時20分にスタートした。
山形市の男性はペースが速く、どんどん遠ざかって行く。田渡川沿いの県道42号を東へ、
棚田のある大込(おおごみ)集落を過ぎ、少しずつ上がって行く。三島神社境内には残雪が
あった。
今朝は気温が下がり、田や畑は霜で真っ白だ。
上畝々(かみうねうね)で左へ上がる遍路道へ。集落を過ぎて林道が終わるあたりに、雪に
よる杉の倒木が数本散らかっていた。その先に「鴇田峠遍路道」の標識が立つ。
杉木立の下の山道を上がる。右下に砂利採取場が見えると、間もなく下坂場(しもさかば)峠
(570m)。周辺は、崩壊した道路の工事中だった。
下る車道の右手谷間にも、残雪が多い。標高520mの大師堂と表示された交差点を左折し、
森田集落を抜ける。道路際にいた男性に聞くと、この冬の積雪は60㎝くらいあったという。
由良野集落から、右へ入る遍路道へ。すぐ先で道路工事中だったので、少し先を迂回する。
車道を離れた集落の外れに、簡素な休憩所があった。
残雪の多いヒノキ林を上がり、高原状の一角を抜ける。さらにヒノキ林へ。
弘法大師ゆかりのだんじり岩を過ぎ、間もなく標高790mの鴇田(ひわた)峠に着いた。
昭和30年(1955)頃まで、茶屋があったという。この周辺も残雪が多い。
滑らぬよう注意しながら、雪に覆われた林間を下る。車道に出たところに、東屋とトイレが
あった。
再び林間を下って林を出ると、久万高原(くまこうげん)町の盆地が見下ろせる。
久万郵便局のところで国道33号に出る。右折してJAのスーパーに寄り、昼食を購入した。
それまでは、あまり感じなかったのだが、弁当などで1.5㎏ぐらい増えて、ザックが重く感じる。
久万川を渡ったところに、最初の山門があり、そのあたりから南に、残雪豊富な山並みが望
まれる。
1㎞足らずで44番大宝寺(だいほうじ)へ。寺への上りも、背の荷物がこたえる。山門には、
大わらじが奉納されていた。境内にも、かなりの雪が残っていた。
境内には団体遍路が何組かいたので、昼食は別の場所ですることにした。寺の背後の、杉
林を抜ける遍路道に入る。
この遍路道は初回に通っているのだが、予想外に上りが続き、けっこうきつい。県道12号の
峠御堂トンネルの東に出て、県道を下った河合休憩所で昼食にした。
そばの住吉神社にも、雪が残る。県道を少しで、川の南側の遍路道へ。標高560m地点で
県道に出て、すぐ先から八丁坂への小さな流れ沿いの遍路道に向かう。
このあたり、日陰にかなり雪が残り、凍っているところもあり、滑らぬよう杖を使って慎重に
進む。高見に出ると雪は消えた。
八丁坂への登り口付近も、日陰のためかなりの残雪だ。ベンチで小休止して、八丁坂に向
かう。
標高730mの八丁坂に上がって再び休む。樹間から、右手前方に残雪の山並みが望見で
きる。
稜線を少し進むと、左斜面が切り開かれた一角からは、別の残雪の山並みが現れた。石鎚山
だろうか…。
広葉樹林帯の、アップダウンの少ない気持ちよい遍路道が続く。落ち葉がいっぱいで、踏み
しめながら進むとカサコソと音がする。
下りの傾斜が増し、杉の老木が増えてきた。垂直の岩の切れ目になっている逼割(せりわり)
行場を過ぎて、45番岩屋寺の山門をくぐる。
参拝して納経後、大師堂のところで、今日同宿という奈良市の男性遍路と再会する。これから
逼割行場に上るとのことだった。
たくさん続く「南無大師不動明王」ののぼりの間を抜けて、長い境内を直瀬川沿いに下った。
その先は、右岸に沿った遍路道に入る。
この道も、あちこちに雪が残っていた。トチの樹林を過ぎ、雪解け水の清流を眺めながら進む。
16時53分に、3度目の宿、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)に着いた。
部屋は211号室。暖房が入っていて暖かい。階段横に、ひな段が飾られていた。すぐに洗濯
機に洗濯物を入れて入浴する。夕食は18時から。ヘルシーなメニューだが、盛りだくさんで美味
しかった。
【コースタイム】落合トンネル東6・20ー室屋台バス停(大込)7・00ー三嶋神社7・11~15ー上畝々
7・36ー下坂場峠8・09~15ー大師堂8・30ー鴇田峠9・35~45ー松山生協10・32~43ー44番
大宝寺11・05~33ー河合休憩所(昼食)12・23~52ーH560m点13・20ー八丁坂下13・57~
14・05ー八丁坂上14・28~38ー44番岩屋寺15・35~16・05ー古岩屋荘16・53
(天気 快晴後晴、距離 26㎞、歩行地 内子町、久万高原町、歩数 49,800、遍路地図
55ー1、56ー1図)
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=44番大宝寺から45番岩屋寺へ=
5時20分起床、朝食は5時50分から、メニューも豊富だった。6時15分、山形市の男性と
一緒に、おかみさんの車で送ってもらい、落合トンネル東側を6時20分にスタートした。
山形市の男性はペースが速く、どんどん遠ざかって行く。田渡川沿いの県道42号を東へ、
棚田のある大込(おおごみ)集落を過ぎ、少しずつ上がって行く。三島神社境内には残雪が
あった。
今朝は気温が下がり、田や畑は霜で真っ白だ。
上畝々(かみうねうね)で左へ上がる遍路道へ。集落を過ぎて林道が終わるあたりに、雪に
よる杉の倒木が数本散らかっていた。その先に「鴇田峠遍路道」の標識が立つ。
杉木立の下の山道を上がる。右下に砂利採取場が見えると、間もなく下坂場(しもさかば)峠
(570m)。周辺は、崩壊した道路の工事中だった。
下る車道の右手谷間にも、残雪が多い。標高520mの大師堂と表示された交差点を左折し、
森田集落を抜ける。道路際にいた男性に聞くと、この冬の積雪は60㎝くらいあったという。
由良野集落から、右へ入る遍路道へ。すぐ先で道路工事中だったので、少し先を迂回する。
車道を離れた集落の外れに、簡素な休憩所があった。
残雪の多いヒノキ林を上がり、高原状の一角を抜ける。さらにヒノキ林へ。
弘法大師ゆかりのだんじり岩を過ぎ、間もなく標高790mの鴇田(ひわた)峠に着いた。
昭和30年(1955)頃まで、茶屋があったという。この周辺も残雪が多い。
滑らぬよう注意しながら、雪に覆われた林間を下る。車道に出たところに、東屋とトイレが
あった。
再び林間を下って林を出ると、久万高原(くまこうげん)町の盆地が見下ろせる。
久万郵便局のところで国道33号に出る。右折してJAのスーパーに寄り、昼食を購入した。
それまでは、あまり感じなかったのだが、弁当などで1.5㎏ぐらい増えて、ザックが重く感じる。
久万川を渡ったところに、最初の山門があり、そのあたりから南に、残雪豊富な山並みが望
まれる。
1㎞足らずで44番大宝寺(だいほうじ)へ。寺への上りも、背の荷物がこたえる。山門には、
大わらじが奉納されていた。境内にも、かなりの雪が残っていた。
境内には団体遍路が何組かいたので、昼食は別の場所ですることにした。寺の背後の、杉
林を抜ける遍路道に入る。
この遍路道は初回に通っているのだが、予想外に上りが続き、けっこうきつい。県道12号の
峠御堂トンネルの東に出て、県道を下った河合休憩所で昼食にした。
そばの住吉神社にも、雪が残る。県道を少しで、川の南側の遍路道へ。標高560m地点で
県道に出て、すぐ先から八丁坂への小さな流れ沿いの遍路道に向かう。
このあたり、日陰にかなり雪が残り、凍っているところもあり、滑らぬよう杖を使って慎重に
進む。高見に出ると雪は消えた。
八丁坂への登り口付近も、日陰のためかなりの残雪だ。ベンチで小休止して、八丁坂に向
かう。
標高730mの八丁坂に上がって再び休む。樹間から、右手前方に残雪の山並みが望見で
きる。
稜線を少し進むと、左斜面が切り開かれた一角からは、別の残雪の山並みが現れた。石鎚山
だろうか…。
広葉樹林帯の、アップダウンの少ない気持ちよい遍路道が続く。落ち葉がいっぱいで、踏み
しめながら進むとカサコソと音がする。
下りの傾斜が増し、杉の老木が増えてきた。垂直の岩の切れ目になっている逼割(せりわり)
行場を過ぎて、45番岩屋寺の山門をくぐる。
参拝して納経後、大師堂のところで、今日同宿という奈良市の男性遍路と再会する。これから
逼割行場に上るとのことだった。
たくさん続く「南無大師不動明王」ののぼりの間を抜けて、長い境内を直瀬川沿いに下った。
その先は、右岸に沿った遍路道に入る。
この道も、あちこちに雪が残っていた。トチの樹林を過ぎ、雪解け水の清流を眺めながら進む。
16時53分に、3度目の宿、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)に着いた。
部屋は211号室。暖房が入っていて暖かい。階段横に、ひな段が飾られていた。すぐに洗濯
機に洗濯物を入れて入浴する。夕食は18時から。ヘルシーなメニューだが、盛りだくさんで美味
しかった。
【コースタイム】落合トンネル東6・20ー室屋台バス停(大込)7・00ー三嶋神社7・11~15ー上畝々
7・36ー下坂場峠8・09~15ー大師堂8・30ー鴇田峠9・35~45ー松山生協10・32~43ー44番
大宝寺11・05~33ー河合休憩所(昼食)12・23~52ーH560m点13・20ー八丁坂下13・57~
14・05ー八丁坂上14・28~38ー44番岩屋寺15・35~16・05ー古岩屋荘16・53
(天気 快晴後晴、距離 26㎞、歩行地 内子町、久万高原町、歩数 49,800、遍路地図
55ー1、56ー1図)
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