あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

秩父札所午歳総開帳ハイキング④準拠、 大野原駅~浦山口駅

2014-04-26 21:13:29 | ウオーキング
 2014年4月25日(金)

 4月23日(水)に実施の、4回目の「秩父札所午歳総開帳ハイキング」に参加出来な
かったので、2日後の今日出かけた。

 秩父鉄道の大野原駅に10時12分に着き、すぐにスタートした。同じ電車で来た札所
巡りらしい人は3、4人だろうか…。今日のコースは昨年3月30日に歩いているので、
ほぼその道筋をたどることにする。

 西側の車道を少し戻り、Y字路を折り返すように東北に進む。最初の19番龍石寺(り
ゅうせきじ)への道標の、反対側にあった宗福寺に寄る。


        
 「かえる寺」と呼ばれており、境内にはカエルの石像が何体も置かれている。境内のシ
ダレザクラは若葉に変わり、北側眼下の八重桜が見頃に。


 本堂の左手からは、新緑あふれる美の山(みのやま)の穏やかな山稜が望まれる。

 南に少しで19番札所龍石寺へ。寺は大きな1枚の岩盤上に建てられていて、本堂は昭
和47年(1972)に解体復元を終えたという。


 本堂の左手には、三途の川の脱衣婆を祭る三途婆堂がある。

 少し戻って車道を左折して、旧荒川にかかる秩父橋の右岸に出る。旧秩父橋は、昭和6
年(1931)に竣工の三連アーチ橋。県内では初期の大型コンクリートアーチ橋として、
県指定文化財である。

 現在は上流に国道299号の新秩父橋があり、この橋は人と自転車だけの専用橋になっ
ている。

 橋を渡ってその下をくぐり、ふり返って橋を下から眺めて国道に上がる。すぐ先で国道
の左手に残る巡礼道を上がり、西進して折り返す。

 南下すると光正寺があり、少し離れた二つの民家の間の細道の奥に、鎌倉時代にこの地
を支配した丹党の中村氏と長田氏一族が、延慶3年(1310)に先祖供養に立てたとい
う青石塔婆(あおいしとうば)が残る。
        

 すぐ南側、荒川の左岸段丘上の20番岩之上堂(いわのうえどう)に下る。境内には樹
木が豊富。その中で、ツツジやハナモモ、アメリカハナミズキ、ボケ、ショカッサイ、八
重桜などが色とりどりに咲き競い、モミジの若葉も紅葉のような彩り。

 花に囲まれた観音堂は、江戸初期の延宝元年(1673)の再建といわれ、秩父札所で
も指折りの建築という。

 左岸段丘上の中寺尾集落を南西に進む。新緑の木々の途切れたところから、南に二子山
や武甲山などの山並みが望まれた。


 路傍にはあちこちに、巡礼者のための古い道しるべ石が残されている。
    

 車の交通量の多い県道72号に出てすぐ、21番札所の観音寺(かんのんじ)がある。
本堂は、大正12年(1923)の小学校火災による類焼後の再建とか。


 昔この地は八幡宮の社地だったようで、境内には小さな社殿が祭られていた。

        
 県道の南側には、秩父の地芝居役者の座頭(ざがしら)で、明治42年(1909)に
62歳で没した中村十九(とも)十郎の墓がある。

 北側、緩やかな稜線のやわらかな新緑を眺めながら県道を南進する。養蚕に使ったのだ
ろうか、小さい屋根を付けた変わった建物が望まれる。


 「秩父農産物直売所」があったので立ち寄り、地元産の五穀米とまんじゅうを求めた。



 上寺尾集落の中ほど、大きなお地蔵さんの立つ通りを左折して、22番札所童子堂(ど
うじどう)へ。かやぶき屋根の山門の手前にある、満開の八重桜が迎えてくれる。


 山門の両側に立つ仁王像は、「童子仁王」と呼ばれ、愛嬌のある顔立ちで立っていた。
        


 寺の名は永福寺で、観音堂が童子堂と呼ばれているようだ。正午になったので、観音堂
に参拝して御朱印をいただいた後、本堂横にあったベンチとテーブルを借りて昼食にした。

 食事を終え、12時25分に童子堂を出る。少し戻りショートカットする巡礼道へ。
墓地の横を抜けて高みにあるお地蔵さんの下を進み、県道72号に出た。

 すぐ近くの標識に従い、県道の南西に入る巡礼道へ。そばの民家のシバザクラと八重桜
が見頃。


 民家が途絶え、「如意輪観音」と刻まれた天保14年(1843)造立の石像の横から
広葉樹林の山道となり、緩やかに上がる。


 秩父公園橋からミューズパークに通じる車道を2回横切り、小鹿坂峠の直下にある23
番音楽寺(おんがくじ)に上がった。

 境内のハナモモやシャクナゲが見頃。本堂から少し上にある観音堂への道には、シダレ
ザクラが咲き残る。



 観音堂は秩父の市外を見下ろす景勝地にあり、江戸中期の建立とか。そばの鐘楼に下が
る梵鐘(ぼんしょう)は、明和5年(1768)の銘があるようだ。
    
 明治17年(1884)、田代栄助を総理とする秩父事件の群衆も、この鐘を鳴らして
秩父町に崩れこんだという。鐘楼の横には、秩父困民党無名戦士の墓もあった。


 観音堂から新緑あふれる木々の間を5分ほどで、小鹿坂峠(おがさかとうげ)に上がる。
峠には、1234年に秩父札所を開設した妙見大菩薩、蔵王権現、花山法皇、白河法皇な
ど十三権者の石像が並んでいる。


 すぐ下の大きなウワミズザクラが、たくさんの花を見せていた。



 南西側に広がる秩父ミューズパークの駐車場に回り、梅園駐車場の中から林間を下る巡
礼道に入る。ヤマツツジの咲く道を下って、アーチダムの堰堤(えんてい)下を回る。


 小さいアップダウンがあり、ヒノキの林間を抜けると一軒家とブドウ畑のところに出た。
その家の納屋の下を通過し、さらに下って二十二夜塔の横で車道に出た。

 少し下りY字路を右へ、弁財天塔の横から再び林間の巡礼道へ。ところどころで展望が
開け、南に武甲山や秩父の市街地が望まれる。


    
 谷間まで下り小さい流れを横切ったところに、ニリンソウとトキワイカリソウのような
白い花が咲いていた。
       

 江戸時代の巡礼が念仏を唱えながら上がったという念仏坂を上がり、別所の住宅地に出た。

 集落の南側まで進んで坂道を右に回り込み、24番法泉寺(ほうせんじ)に東側から入
る。方形造りの本堂は江戸中期の建築で、本尊聖観世音は室町時代の作だという。


 午歳総開帳記念ハイキングの第4回コースはここまでで、ゴールの影森駅に向かうこと
になっていた。でもまだ14時半なので、昨年3月と同様、次の25番久昌寺(きゅうし
ょうじ)まで回ることにする。

    
 「一休み一休さん」の石像の横から急階段を下ると、県道72号に面して「お休み処幸
庵」があり、テントも張って巡礼者向けの土産物を並べていた。

 県道を少し進んで右手の旧道に入り、大久保集落を通過する。集落を抜けて谷間を進み、
車道の下をトンネルで抜けると、江戸時代の酒蔵資料を展示している、地酒「秩父錦」の
酒蔵資料館があった。


 ここは寄らずに通過して車道を緩やかに下り、「秩父十三仏霊場」の一つという宝林院
に入る。

 永享年間(1429~40)の開山とのこと。境内東側のツツジや新しい普賢堂のそば
の八重桜が花盛り。石段下には、薄緑色の花を見せる若桜もあった。

 ミューズパーク入口交差点で県道72号に入り、折区(おりく)公会堂前まで進む。陽
が西に回り、武甲山の北面にも太陽が差し込んできた。


 公会堂の横から右に入り、久那の集落を進む。久那小の先に25番久昌寺の山門があり、
車道の少し先に方形屋根の新しい観音堂が立っていた。


 観音堂に参拝し、池の向こうに影を映す本堂に回り、納経所で今日最後の御朱印をいた
だく。本堂の横には弁財天堂もある。


 久昌寺は、山門にも掲額があったが通称「御手判寺」という。播州書写山の性空上人が
秩父巡拝の折、閻魔大王から贈られた石の手判をこの寺に納めたことにちなむのだという。

 境内のシダレザクラはかなり散っていたが、池畔のモクレンがよい彩りを見せていた。
        

 県道72号に出て、久那小のそばの交差点で右折して南に向かう。


 「弁天茶屋」の横を過ぎると展望が開け、左に武甲山が右手谷間には浦山ダムが望まれ
る。





 荒川に架かる久那橋と浦山川の橋を渡り、秩父鉄道の浦山口駅に16時8分に着いた。

 座布団の並ぶホームのベンチで待ち、16時30分発の上り電車に乗る。

(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 皆野、秩父、歩行地 秩父市、
 累積標高差 上り約500m、下り約470m、歩数 26,200)





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東久留米・子神社から清瀬駅へ(東京)

2014-04-21 17:24:15 | ウオーキング
 2014年4月20日(日)午後

 午前中歩いた「続カタツムリ歩行」が、東久留米市小山の子神社(ねのじんじゃ)にゴ
ールし、ミーティング後の12時50分頃、散会となりました。

 参加者はそれぞれ帰路につきましたが、私は南側の大圓寺に寄ってから清瀬駅に向かう
ことにしました。

 子神社からは3分ほどで、大圓寺(だいえんじ)に着きます。東久留米七福神の恵比寿、
福禄寿、寿老神の3つの神が祭られている寺で、私は七福神巡りのほかにも来たことがあ
りました。

 南側道路際にある山門を入り、さらに仁王門をくぐります。本堂前からふり返る仁王門。


 大圓寺は天台宗の寺院で、創建年代は不詳のようですが、天長年間(824~834)
に慈覚大師円仁が創建したと伝えられているとのことです。

 木々の多い境内の中央に、本堂がどっしりと構えています。


 本堂の前には、メグスリノキの若木が芽吹きを始めていました。

 ちなみにメグスリノキは、4日前に巡った秩父三十四観音霊場の第13番札所、慈眼寺
(じげんじ)の本堂前にも大きな木がありました(当ブログ、前々回参照)。

 境内にある護摩堂。ほかに地蔵堂や観音堂、大圓寺会館などもあります。


 仁王門と本堂との間には、背の高い大王松が立っています。


 東側には、大きな釜が保存されていましたが、大きさや由緒などは記されていません。


 緑豊富な境内では、いろいろな花が咲き出していました。仁王門と山門との間のツツジ。
        

 近くには、咲き残るシダレザクラも。


 山門の内側では、八重桜が咲き出していました。


 桜の向こうはりっぱな鐘楼堂。


 山門からふり返る仁王門。


 山門を出たところに、庚申塔と馬頭観音塔が並んでいます。右の庚申塔は延享3年
(1746)の造立、左の馬頭観音籐は天保9年(1838)の造立で、もとは近くの秩
父道(所沢街道)にあったもののよう。いずれも東久留米市の指定文化財です。
        

 門の反対側には庚申塔と石橋供養塔も並んでいて、こちらも市指定文化財です。

 山門を出て、南側を西から東に流れる黒目川に出て、川沿いの自転車道を次の中橋まで
西進しました。


 中橋で川を離れて北に向かいます。すぐ先の十字路際には、石橋供養塔と3つの力石が
並んでいました。
        
 いま渡ってきた中橋や、下流の曲橋と上流の落葉橋の三つの石橋を造ったときの供養塔
で、明治23年(1890)に造立されたものとか。

 前に並ぶ力石は、かつての小山村の若者たちの力比べに使われたもので、一番大きな右
端の石は45貫(約169㎏)と刻まれています。

 その先は緩やかな上り坂になり、坂の上部近くに小さな社殿の御岳神社が祭られていま
した。

 
 社殿は石段の上ですが、石段下に並ぶ石塔の一つに、珍しいこのような形をしたものが。
礎石には御嶽山登頂記念と刻まれているようですが、登のあとの文字ははっきりしません。
        

 台地上の小山三丁目と四丁目の間を北進して、午前中通過した野火止用水と水道道路の
西方を横断します。

 野火止用水の先は、埼玉県新座市の新堀三丁目になり、道路に3,4個のマンホールが
並んでいました。マンホールのふたをよく見たら、この下に非常災害用の耐震性貯水槽が
設けられているようです。
    

 新堀三丁目の北端付近に、公園のような緑豊富な一角があり、「こばとの森幼稚園」の
看板が出ていました。こんなに緑いっぱいの園内で、幼稚園児は伸び伸びと遊べそう…。


 その先は、東京都清瀬市松山一丁目。西武池袋線の清瀬駅はすぐ先で、13時38分に
着きました。


 我が家の最寄り駅までは下り電車で3駅。14時過ぎには帰宅できました。

 (距離 2㎞(東久留米駅からの続カタツムリ歩行を加えて7㎞)、地図(1/2.5万)
  志木、歩行地 東久留米市、新座市、清瀬市、東久留米駅からの歩数 12,500)




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続カタツムリ歩行で東久留米を歩く(東京)

2014-04-20 20:54:03 | カタツムリ歩行
 2014年4月20日(日)

 先月は、カントリーウオークグループの例会に参加したため休んだ、「続カタツムリ歩
行」の第13回例会に参加した。

 集合は西武池袋線の東久留米駅。10時10分にスタートする。多くの皆さんはゴール
側の西口に向かったが、私は地図で見つけた浄牧院に行ってみたいので、ひとり東口の都
道125号・浄牧院通りを東北に向かう。


 この通りは、東北に真っ直ぐ1㎞ほど、黒目川の先まで伸びているが、そのちょうど中
ほどに広い境内の浄牧院(じょうぼくいん)がある。

 ちなみに、この浄牧院通りは1997年の都市計画道路により、浄牧院の敷地を分断し
てできあがったとのこと。確かに地図を見るとそうと分かり、現在残る境内は道路の北側
にある。

 新しい総門を入ると、これも新しくどっしりした仁王門がある。


 その正面に、2004年に再建された大きな本堂が立っていた。


 浄牧院は、文安元年(1444)にこの地を治めていた滝山城主大石駿河守安祝により
創建され、江戸時代の2度の火災と関東大震災により荒廃し、昭和になって大改修を行い
復興したという。

 東久留米七福神の大黒天が祭られていて、私も何年か前の七福神巡りで訪れていたはず
だが、寺の様子はすっかり忘れていた。


 本堂の左手前には観音堂があり、その近くに目通り幹回り3.5m、高さ18m、樹齢
400年と推定され、市の文化財に指定されているカヤの大木が立っている。
    

 本堂のそばの、モミジの新緑が気持ちよい。


 寺の先の交差点を左折して北に進んで、中層の集合住宅の並ぶ久留米第2住宅に入る。
住宅群の南側にあった公園には、SLを形どった遊具があった。



 住宅の北に抜けると、東西に流れる黒目川に出た。両岸には遊歩道が着いているので、
左岸の遊歩道を上流に向かう。


 河川敷には、茎をしゃぶると酸っぱい味のする、スカンポが伸びていた。


 流れが左にカーブする辺りからは、北側の金山町1丁目に保護林として残された雑木
林が望まれる。


        
 その近くにあった厳島神社の小さな森に入ってみた。背の低い鳥居の奥に、池に囲ま
れた弁財天を祭る小さい社殿があるが、池に水は全くなく、シャガが咲き出していた。
        

 次の門前大橋で流れに分かれ、北の台地に上がる道路に向かい、Y字路の手前にあっ
た氷川神社に入る。社殿の前にはシダレザクラが咲き残っていた。


        
 社殿左手には、数本の八重桜が花盛り。西側斜面では、ツツジが咲き出していた。
    

 Y字路には、庚申塔のお堂があった。庚申信仰が盛んだった、江戸時代の享保19年
(1734)に造立されたものらしい。
        
 
 Y字路を右に入り、次の十字路を右折した先にあった金山緑地保全地域の林に入る。
    
 先ほど、厳島神社の手前から見えた林である。

 林の中の遊歩道を抜けて、北側の金山町1丁目と2丁目の間を北進する。住宅が途切
れて畑が広がり、その中に早くも穂の出始めた麦畑があった。
    

 その先のT字路で、水道道路と呼ぶ比較的交通量の多い道路に接した。道路に沿って、
「伊豆殿堀」とも呼ばれる野火止用水の細い流れが走り、用水沿いには遊歩道が設けら
れていたので、遊歩道を西に向かう。
    

 2か月前の2月例会では、この下流になる新座市の平林寺に沿った辺りの野火止用水
緑道を歩いた。あの日はあの大雪の翌日で、長靴を履いて雪の積もった緑道を進んだの
だったが、今日はこのようにすっかり春の装いに変わっている。
     
 この辺りも新座市の西南端の、市域が尖端のように突き出たエリアで、新堀2丁目に
なる。

 流れに沿った工場らしい建物の裏手に、古い水車が残っていた。この流れを利用して
いたものだろうか…。説明板などは無い。
        


 さらに流れに沿って、400mほど遊歩道を行く。 


 南側の、東久留米市氷川台2丁目の住宅地に入って西武池袋線の踏切を渡り、すぐ先
のT字路を左折して進むと、西武線の線路に沿ってここにも平地林が残っていた。


 金山緑地保全地域の林で、この中にも遊歩道が設けられていたので、少しの距離だけ
通過した。
    

 その先、小山1丁目の住宅地の中に、豊富な草花で玄関周りを賑わせている民家があ
った。
    

 近くのゴール、子神社(ねのじんじゃ)には、12時ちょうどに到着した。


 子神社は、小山村の鎮守として文禄元年(1592)に領主、矢部籐九郎により創建
され、拝殿は文政元年(1818)の建立で、明治4年(1871)と明治42年
(1906)など数回に分けて移築されたという。

 境内には、市の保存樹木になっているシラカシの古木が立っている。


 社殿の周辺で昼食を済ませ、記念撮影後にミーテイングをする。


 12時50分頃散会となり、私は西武池袋線の次の駅、清瀬駅に向かった。その途中
で立ち寄った社寺の様子などは、明日のレポートとする。

 (天気 曇、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 東京都東久留米市、
  埼玉県新座市)





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秩父札所午歳総開帳記念ハイキング③ 秩父駅~西武秩父駅(埼玉)

2014-04-17 16:34:13 | ウオーキング
 2014年4月16日(水)

 第3回の秩父札所午歳(うまどし)総開帳記念ハイキングに参加した。

 西武秩父駅に9時42分に着き、歩いて御花畑駅を経由して出発地の秩父鉄道の秩父駅
に行く。受付を済ませて10時5分にスタートした。
    

 お花畑駅寄りの踏切を渡って線路の東へ。国道140号に出て北に向かう。道の駅ちち
ぶ↓や秩父警察署などの横を通過し、まずは秩父札所18番の神門寺(ごうどじ)へ。



 スタート直後なので境内はハイキング参加者で賑わい、納経所にも長い列が出来ている。
    

 正面の本堂のほか、不動堂や蓮華堂などがあり、新しい「ニコニコ地蔵尊」が入口近く
で迎えてくれた。
    

 近くの交差点から西進して、秩父鉄道の西側に回る。折り返すように南南西に向かい、
国道299号の先からはけやき公園内を進んだ。



 見ごろになっていたシダレザクラの若木のそばを通過して、17番札所の定林寺(じょ
うりんじ)に入る。

 本堂は四間四面の均整のとれたお堂。拝殿の格天井には、色あせてはいるが花などが描
かれていた。
    

 本尊の十一面観音は、文禄2年(1593)の開眼という。簡素な鐘楼に下がる梵鐘
(ぼんしよう)には、秩父・坂東・西国の霊場百か所の本尊と御詠歌が刻まれ、県有形文
化財に指定されている。


 法務局の通りに出て、秩父市民病院前を通過する。次の信号を右折して、秩父ミューズ
パークに伸びる秩父公園橋の見える県道208号↑に入り、次の交差点を左折して、近く
の16番西光寺(さいこうじ)へ。
    


 拝殿の上から胎児のような形の人形がたくさん下がる。境内には四国八十八か所の写し
本尊を祭った回廊堂があり、入って一巡して四国遍路の際のことを思い出す。

    
 境内の反対側には、古い大きな酒樽を活用したユニークな招福酒樽大黒堂がある。正午
近くになったので、境内のベンチで昼食を始めたハイカーも多い。門外のシダレザクラが
見頃になっていた。

 少し南進して左折し、「だいます」と呼ぶ古いたたずまいの旅館の前を通過する。


 近くの角を右折したところには庚申堂があり、奥には大きな本堂の爪龍寺が見えた。
    

 さらに進めば、14番札所の今宮坊(いまみやぼう)である。ここには、秩父札所信仰
に深い関係をもつ修験道場の今宮坊があったとか。


 方形造りの本堂に参拝後、本堂西側のベンチを借りて昼食をはじめたら、お茶のお接待
をいただく。


 本堂に並んで勢至堂があり、境内の太いケヤキから、淡い彩りの新芽がいっぱい伸びて
いた。
      

 西側の細い通りを折り返すように少し戻り、東進して国道299号を横断する。国道際
にある和風の建物↓には「本町知々夫(ちちぶ)ブランド館」の看板が掲げられ、壁面に
は江戸巡礼古道の案内板がある。


 秩父市の中心付近の町並みを進んで、御花畑駅と秩父駅との間で秩父鉄道の踏切を渡る。
緩やかな坂を上がって左折して、15番札所少林寺に東側から入る。

 以前はもう一つ秩父駅寄りの踏切を渡り、まっすぐに寺への石段を上がったのだが、壊
れたのかその石段は閉鎖されていた。

 15番札所は、もとは秩父神社の傍らにあった蔵福寺だったが、明治維新の際に廃寺と
なり、この少林寺が受け継いだという。

 狭い境内だが木々が豊富で、八重桜やミツバツツジが見ごろで、モミジの新緑もみずみ
ずしい。それらの枝に、句を墨書した短冊がたくさん下がっていた。
        

 南側の墓地には、明治17年(1884)の秩父事件で殉職した窪田、青木両警部補の
墓もある。
    

 線路の西側に戻り、御花畑駅付近を平行する通りを南下する。通りの角にはたばこ屋だ
った古い建物↓が、そばには国登録有形文化財の安田屋がある。


 少し先の片山医院も、明治か大正時代の洋館造りのまま残っていた。


 御花畑駅に近い、町並みの角にあった13番慈眼寺(じげんじ)に入る。聖観世音を祭
る本堂は、明治11年(1878)の秩父大火後に再建したもの。


 拝殿上部の精巧な彫刻に目をひかれる。


 本堂の前には、目の病気に効能のあるとされるメグスリノキがあり、境内のテントでは
樹皮のエキスで造ったお茶が、参拝者にふるまわれていた。


 慈眼寺の前の通りを東へ、武甲山↑を眺めながら秩父鉄道の踏切を渡る。移転中という
秩父市役所の横を通り、東側に横たわる丘陵、羊山公園の下に近づく。公園の広葉樹が淡
い芽吹きの彩りを見せる。


 羊山公園の山裾に沿って南に向かうと、ハナモモやユキヤナギが花盛り。半円形に大き
くカーブする西武秩父線のガードをくぐった先にも、ハナモモが何本も咲き競っていた。


 12番野坂寺(のさかじ)は、すぐ先の山麓にある。

 重層入母屋造りの堂々たる山門は寛保元年(1741)の建立、正面の本堂は昭和48
年(1973)の再建で、本尊聖観世音は藤原時代の造立という。


    
 本堂前に並ぶ六地蔵を初め、広い境内にはだるま像やおそうじ小僧など新しい石仏が多
く、山門に並ぶ保存庫には、十三仏像などの仏像が並んでいた。
    

     
 芽吹き始めたヤナギの横を進み、往路の西側で西武秩父線のガードをくぐる。南小の横
を通過して国道140号に回り、ゴールの西武秩父駅には14時6分に着いた。


 今回は、秩父市の中心街付近の札所をほぼ逆打ちで巡った。ゴールの西武秩父駅付近の
気温は、5月並みの23.5℃度だった。
 
(天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 皆野、秩父、歩行地 秩父市、歩数
 16,000)




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所沢市小手指町・砂川堀に咲くシダレザクラ(埼玉)

2014-04-15 15:54:34 | 所沢だより
 2014年4月15日(火)

 昨日、左足の痛みで通っていた整形外科医院に行って診断してもらったところ、全治し
たとのことで、通院は2週間で終わりました。

 快晴の今日は、新所沢や向陽町などを回って、小手指町(こてさしちょう)2丁目の砂
川堀いに並ぶシダレザクラ見に行ってみました。

 西武鉄道をまたぐ跨道橋の通りから、流れの北側を入ってみると、近くのシダレザクラ
の花どきは終わり、若葉が伸びています。
        

 でも、さらに進むと、まだ花を見せるシダレザクラが結構残っていました。


        

        

 流れに沿った民家の庭先では、ハナモモが見ごろ。


 同じお宅に咲き出したボタン。




 西武鉄道の小手指車両基地のそばまで行って折り返し、流れの南側沿いに戻ります。


 こちら側は太陽が当たるので、花の色も映えていました。


    

 見ごろの木も、何本も残っています。






 シダレザクラの下のツツジも、開花し始めていました。


 ある民家の玄関先では、色とりどりの花が迎えてくれました。
    

 沿道のシダレザクラも、あと何日かは楽しめそう。


        



 跨道橋から伸びる通りまで戻り、近くのスーパーで買い物をして帰路につきました。




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やわらかな新緑の所沢航空記念公園周辺(埼玉)

2014-04-12 16:43:40 | 所沢だより
 2014年4月12日(土)

 前々回にアップした所沢航空記念公園の桜から10日、ソメイヨシノはほとんど散り、
代わってやわらかな新緑の木々が増えてきました。

 航空記念公園に近い、防衛医科大学校付近の市道のケヤキ並木も、淡い若葉の彩りに。


    

 市役所の南側から、所沢航空記念公園に入りました。散ってしまったソメイヨシノの
木々の間に何本かある、ヤマザクラが見頃になっています。


        

    

 クヌギの花。


 モミジもやわらかな彩り。


 日本庭園、彩翔亭(さいしょうてい)に入ると、園内のあちこちにミツバツツジが花
盛りでした。
    

    

 彩翔亭の入口横では、シャクナゲも見頃に。




 園内の広葉樹も、やわらかな若芽の彩りに。


 池の周りにも、ミツバツツジがそちこちに咲いています。






 池の南側の築山に上がってみると、純白の花が枝いっぱいに…。
    

    

 近くにはミツマタが、たくさん花を見せていました。


 彩翔亭園内、南西側の林の広葉樹。


 その中に咲くのはヤマザクラ?。


 クヌギだったかな?。


 こちらはケヤキのよう。


 これらの彩りも数日過ぎると、また新しい装いに代わって行くことでしょう。




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所沢・緑町中央公園の春色(埼玉)

2014-04-08 16:20:12 | 所沢だより
 2014年4月8日(火)

 首都圏のソメイヨシノもかなり散ってきて、代わりにほかの春の花や新緑が彩りを増し
てきました。

 まだ、遠出するほど足が回復していないので、予定していた5日(土)のカントリーウ
オークや、7日(月)の日高市・高麗の里山散歩ウオーキングはお休みとしました。

 今日は午前中、近くの整形外科医院に超音波治療に出かけ、終わってから新所沢に回り、
この辺りでは一倍大きい緑町中央公園に入りました。

 何本かあるソメイヨシノはかなり散っていて見栄えがしなくなっているので、ほかの花
や新緑の彩りを探してみました。まずはヤマザクラから。
    

        

 クヌギなど、落葉広葉樹の若芽が淡い彩り。




 公園の中ほどにある、背の高いヤマザクラを見上げると…


 この公園の北側から北西側は、公園の開園以前はこんなだったのではないかと思われる
武蔵野の雑木林の面影を残す林相です。


 その林にある、若いケヤキの新緑。


 林の下草に咲いていた花。


    

 西側、道路際にはベルト状に花壇が続いていて、シバザクラやチューリップが花を見せ
ていました。
    

        

 ほかにも、ハナニラなど何種類かの小さな花が開花しています。


 花の寿命の長いクリスマスローズも。


 パンジー花壇。


 スカビオサ(セイヨウマツムシソウ)でしょうか…。






 ハナカンザシ?


 もう一つのパンジー花壇。



 公園の西北端に出て林の辺りをふり返り、ケヤキ並木の続く駅前通りを南に向かいま
した。




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満開になった所沢航空記念公園のソメイヨシノ(埼玉)

2014-04-02 18:38:48 | 所沢だより
 2014年4月2日(水)

 所沢航空記念公園のソメイヨシノが見頃になったようなので、花見に出かけました。
いつもならウオーキングコースの半ばなので、当然歩いて行くのですが、まだ左足の筋
肉の痛みが残るので2駅ながら電車に乗り、正午頃に西武新宿線の航空公園駅で下車し
ました。

 東口に出ると、すぐ南側が公園の一部となっていて、西武線の線路に平行する市道を
またぐ歩道橋のところまで行くと、その先のテニスコート方面に行く園路沿いのソメイ
ヨシノが花をいっぱい見せています。


 歩道橋を渡り、市立図書館の南側一帯にもたくさんのソメイヨシノがあり、好天に誘
われて多くの市民が花見に訪れていました。






 そばの大きなヤナギも、芽吹きが始まっています。


 日本最初の飛行場の滑走路だったところにある、沈床茶園の南側からの同じ辺りを眺め。


 沈床茶園の東側、放送塔のあるロータリのそばには、航空自衛隊入間基地で使用され
ていたC-46型輸送機が保存展示されています。


 沈床茶園の南側、花の散ったロウバイ園の片隅には、カンヒザクラが咲いていました。
    

 公園の中心にあるロータリーの、南西側の芝生広場の向こうにも、満開のソメイヨシ
ノが眺められます。


 こちらはロータリー沿いの桜並木。


 C-46型輸送機はそのすぐそばです。


 この辺りは、ほぼ満開の花に埋もれていました。




 ロータリーの南東には、「花の丘」と呼ぶ花壇があり、パンジーなどが見頃です。




 花壇の東側にある2本のシダレザクラのうちの1本は、間もなく満開になりそう。
    

        

 近くの花は、ソメイヨシノのようでもあり、ヤマザクラかとも思われました。
    

 その先には、「むさしの川」と呼ぶ人工河川がありますが流れは無く、川沿いの
ヤナギも芽吹いていてよい彩りです。




 放送塔のあるロータリーの東側には、もう一つ、時計塔のあるロータリーがあり、そ
のロータリーから緩斜面を下ってきた辺り。


 ここもほぼ満開でした。




 近くのモミジの芽吹き。


 時計塔の南西側、芝生斜面の向こうにもソメイヨシノが。


 こちらは、時計塔の北東側に広がる大きな芝生広場に沿って咲く桜並木です。


 ここから公園内を折り返して航空発祥記念館前を通り、公園の西北にある所沢市役所
に入り、食堂のある8階に上がって、園内を一望しました。

 南西側の市街地に並ぶマンション群。


 眼下の図書館南東側一帯。

 はるか東方を眺め、デジカメをズームアップしてみると、霞んではいますが新宿副都
心の高層ビル群が望まれます。


 C-46型輸送機と放送塔付近の眺め。


 13時を過ぎたので、空いてきた市役所食堂で昼食を済ませ、帰路も電車を利用して
帰りました。





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