あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

東伏見稲荷神社から田無神社へ〈後半〉(東京・西東京市)

2025-01-28 12:26:23 | 江戸・東京を歩く
 2025年1月15日(水) 〈後半:田無神社と総持寺〉

 東伏見稲荷神社に参拝後、青梅街道を西北進して田無神社の南側正面に着いた。
  
  
      一の鳥居を入り、階段を上がってケヤキなどの並ぶ参道を進む。
      


 

 二の鳥居の手前には、田無神社のパワースポット、五つの龍神のひとつ「白龍」が。




     
     参道を挟んて手水舎があり、手水鉢はきれいな花手水に覆われている。







 すぐ横には、良縁結びに御利益の「道祖神」と、良縁を念じて結んだカラフルな紐も。


 二の鳥居をくぐり正面の拝殿前へ進み、何人かの参拝者の後に並び参拝した。



 拝殿と本殿とが一体になった社殿は東京都指定文化財(歴史的建造物)で、拝殿を見上
げると精巧な龍の木彫がたくさん目に入る。




  
  拝殿の左手前にはご神木の大イチョウが立ち、その下にこのような大きなものが。

 「一楽萬開」と記されているが、当社では11月23日の新嘗祭~2月3日(今年は2
日)の節分祭まで、この文字を書いた五角形の木札「一楽萬開札」を授与しているという。

  
  そばから見上げた大イチョウ
  

     ご神木の北側には、「小彦名神社」が祭られている。
     

 境内西側、舞殿横にはカフェの出店も。  



 「小彦名神社」の奥には、厄除け祈願のたくさんの絵馬が奉納されていた。


 さらに奥の龍神には、若い女性の参拝者が多い。

 
 その後に並んで少し待ち、石積みの上に祭られた「黒龍」に参拝する。


 近くには、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祭神という「津嶋神社」も。



 境内西側の出店や「おみくじ処」



     そばの龍神池の龍神。
     

 境内中央部の南東側、東参道の鳥居際には「撫龍」が祭られ、「龍と玉を撫でて 昇運を
お授かり下さい」と記されていた。
     

 傍らには「田無神社と五木寛之」についてのパネルが。


 拝殿の右手には「大鵬土俵」と呼ばれる土俵がある。

 昭和の大横綱、大鵬関が引退後の1993年に五穀豊穣を祈念して寄付したものとか。

     
   その背後、社殿寄りには、金色の鳥居の奥に大黒様と恵比寿様を祭る社殿があった。
          


 さらに右手には「稲荷神社」↑や安産祈願のためのお社↓も。


 大鵬土俵寄りに戻ると、「大鵬」と刻まれた大鵬自身が揮毫(きごう)した碑が立つ。
     
 
     
 そばのよしず掛けの小屋に祭られていたのが、パワースポットひとつ「青龍」像と、戦
の神として崇められた「楠木正成公像」。
          

     小屋に接して立つ「日露戦役祈念碑」は明治40(1907)年の建立。
     
 碑文は、日露戦争の際、元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務めた大山巌(おおやま
いわお)の揮毫によるもの。

 田無村では、日露戦争に71人が出征して3人が戦死し、68人が凱旋帰国したという。

 
 大鵬土俵の南側の「特別授与場」とその前面には、たくさんの御札や御守、破魔矢など
が並んでいる。




 私は「長寿健康御守」(700円)をいただいた。

  境内中ほどから西側に出る冠木門の向こうに、火の見櫓(やぐら)が残っていた。
  

  境内をほぼ一巡したので退社することにして、表参道に向かう。
  
  

 右手、国の登録有形文化財になっている「参集殿」の入口には精巧な木彫「九頭龍」が
あり、奉納者はレスリングのオリンピックメダリストの三宅義行、宏美父子だった。
     



  後になったが、近くにあった境内図
  

 一の鳥居を出ようとしたら、手前左手に並ぶ人がいるので回ると「赤龍」が。

 入ったときには気付かずに通過したのだった。

 12時30分過ぎに田無神社を後にした。

 ちなみに、田無神社の詳細についてはこちらのサイトを。

 そばにあった、周辺の商店街マップ



 道路を挟んで西側は、長い塀で囲まれた真言宗智山派の「田無山 総持寺」。南側の塀沿
いに延びる細道「やすらぎのこみち」を西進する。



 道路には、西東京市の木や、市の花のデザインマンホールが続く。






 南側中央部の山門前に出た。 


 総持寺の創建年代は不詳のようだが、元和年間(1615~24)に法印権大僧都俊栄
和尚が、谷戸に法界山西光寺として創建し、慶安年間(1643~51)に現在地へ移転
したと伝えられているよう。

 江戸時代は尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていて、明治8(1875)年、
西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併して創建し、田無山総持寺と改称したという。

 山門の左手前には、昭和20(1945)年4月12日に当地が空襲に襲われた際の
「戦災者慰霊塔」があり、その上に平和観音が祭られている。
     


 大きなちょうちんの下がる山門を入ると、左手には「無我」と刻まれた大きな石碑が。


 まずは正面の大本堂に参拝した。



 本堂の左手には妙見堂があり、開扉されていたので中を拝観させてもらう。
     



     

 本堂の右手前方には、近年改築したらしい鐘楼が。


 境内を一巡したので山門を出ることにした。山門の境内側には、広目天と多聞天がにら
みを利かせている。
     

          

 近くのサザンカに花が残る。


 12時50分過ぎに総持寺を後にして、青梅街道を田無駅に向かう。



 少し進んだ北側のビルに「シンエイ動画」の看板があり、1階入口横にドラえもんなど
のパネルや人形が並んでいる。






     


 ここで、これらの動画を製作しているようだ。

  ウィンドウの前にあったチラシの表と裏
  

      

  ちなみに西武鉄道では、この映画の公開に因んだスタンプラリーを2月7日(金)から
開催するよう。詳細はこちらのサイトをご参照下さい。

 次の交差点を左折して南へ、6階建てのビル地階にあったスーパー西友系の「LIVIN」
に入り、少しの買い物を。



 南西側が西武新宿線の田無駅、駅ビル「Emio」の2階に見えた「洋麺屋 五右衛門」で
少し待って入店する。


 「月見とろろと納豆のねばねば」(1,150円)という洋麺を注文して、昼食に。

 私好みの味で、おいしかった。


 田無駅に14時11分に着いた。



 14時19分発の西武新宿線下り本川越行き電車に乗里、15時06分に帰宅した。
                                      〈了〉

 



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東伏見稲荷神社から田無神社へ〈前半〉(東京・西東京市)

2025-01-26 11:41:11 | 江戸・東京を歩く
 2025年1月15日(水) 〈前半:東伏見稲荷神社〉

 昨年末から年初めのほぼ1か月間、市外に出かけることがなかったが、今日は久しぶり
に初参りとして、西武沿線にある近郊の神社へ行くことにした。

 自宅を9時36分に出て、最寄り駅から7駅目になる西武新宿線の西武柳沢(せいぶや
ぎさわ)駅で10時23分に下車した。


 最初の目的地は東伏見稲荷神社。西武新宿駅や高田馬場駅から下り電車で来るなら、次
の東伏見駅で下車する人がほとんどかと思われるが、上り電車なら西武柳沢駅の方が近い。

 南口に出て線路沿いの道を東へ、東伏見通りを踏切際で横断する。


 さらに少しで「都立東伏見公園」で、西北端の入口から園内へ。


 都立東伏見公園は、東京都が整備を進めている都市計画公園で、特別緑地保全地区に指
定されている東伏見稲荷神社の北側に位置し、公園の南側には石神井川が東西に横断する
など緑と水に恵まれた立地条件にあるよう。

 現在は、のびのびと体を動かせる多目的広場や展望の良い休憩施設が利用でき、今後の
整備により広場や親水施設を活かしたレクリエーションが楽しめ、災害時には様々な活動
の拠点としての役割を果たす公園となっていて、面積は約5万2千㎡あるという。

 広い芝生地の中に、ソメイヨシノやケヤキなどの木々が点在しているが、人影は少ない。

 

 歩道橋が西武新宿線を越えている中央部まで進み、南へ緩やかな斜面を下って行く。






 南側眼下には、これから訪れる東伏見稲荷神社境内背後の松などが望まれる。




 中央部を南側へ下り、公園の下をトンネルで抜ける都道233号・伏見通りを見下ろし、
右手(西側)の神社沿いの園路を下って東伏見稲荷神社の大鳥居前へ。

 色鮮やかな鳥居を入り、短い階段を上がって楼門をくぐると正面が拝殿。





 左手前には昇殿参拝の受付所が、右手には由緒などのパネルが立つ。




 拝殿に参拝して、この1年の健康や諸般の安穏などを祈願した。


 拝殿の左手には、奥多摩 青梅市にある酒蔵の銘酒が奉納されていた。


 以前来たときには、拝殿に参拝したのみだったが、拝殿左手の渡り廊下下をくぐって巡
る「お塚参拝道」があることが分かったので、回ることにした。


  
 拝殿に続く本殿の左手(西側)から北へ、さらに東北側へと赤鳥居の続く巡拝路があり、
順路などは記されていないので、適宜一巡する。
     

          



     

          

     

          

     



     

          







     


 こんなにたくさんのお社があるとは、知らなかった。 



 ほぼ回り終えて拝殿前に戻り、右手の社殿の周辺へも。




     




 拝殿前の絵馬掛けなどを見て拝殿をふり返り、楼門を抜けて11過ぎに大鳥居を出た。




 西側、東伏見通りの信号のある交差点際からは、青梅街道沿いにある東京ガスのガスタ
ンクが望まれる。


   交差点から西に延びる細い通りの両側は住宅地なので、車の交通量は少ない。
  

 その通りが突き当たり、左折して西武柳沢駅から延びる通りに出て、都道4号・青梅街
道と交わる「西武柳沢駅南」交差点へ。


 交差点の南東側すぐのところに、東京ガスのガスタンクがある。


 反対側、田無(たなし)駅方向に向かって青梅街道を西北へ進む。


 少し先、通りの北側に「柳沢禅寺」があるが、門は閉じ建物も普通の寺院建築ではない
ので通過する。



 前方に、西武新宿線が青梅街道の上を通過する跨道橋が近づき、細道とのY字路際に小
さな観音像やお地蔵さんなどが祭られていた。


     



     


 跨道橋下を抜けた富士街道↓とのY字路際には、弘法大師を祭る小さなお堂も。


     

 次の「田無町一丁目」交差点で青梅街道は斜め左折して、西に延びる上下1車線ずつの
狭い車道になる。



 少し進んだ右手、北側に次の目的地の「田無神社」があった。 〈続く〉




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日本地図センターから目黒天空庭園へ(東京・清瀬)

2025-01-03 12:46:24 | 江戸・東京を歩く

 2025年の新春を迎えました。昨年も1年間、たくさんの方にご覧いただき、ありが
とうございました。 

 新しい年が、皆様にとって災いや憂いのない、よき年となりますようお祈り致します。

 加齢に伴いすべての行動が鈍り、投稿間隔が空き、日にちのずれも大きくなりましたが、
本年もできるだけ投稿したいと考えます。 引き続きご覧下されば幸いです。

 本年最初の投稿も、遅れた昨年12月下旬のレポートです。

========================================

 2024年12月24日(火)

 「(財)日本地図センター」から毎週末に届くウィークリーメールで、今日と明日、地図
カレンダーの配布をするというので、2年ぶりに行くことにした。

 9時35分に自宅を出た。西武池袋線から東京メトロ副都心線、東急東横線直電車で渋
谷駅へ。東急田園都市線に乗り換え、ひと駅の池尻大橋駅で10時45分に下車した。
     

 地下を東急田園都市線が走る国道246号線・駒沢通りを東北へ。沿道のイチョウは黄
葉が残る。
     

 少し先、大橋ジャンクションのロータリーを回って都道317号・山手通りに向かって
緩やかに下る。


  山手通りに出た反対側に「日本地図センター」のビルがある。
   


 1階入口を入った右手のテーブルに無料配布のカレンダーが置かれていて、ひとり3本
までもらえるというので、日本地図と世界地図のカレンダーあわせて3本をもらった。
     

          

 左手は地図センターの売店になっていて、国土地理院発行の地形図や地図、地図関連の
図書などを販売しており、一巡したが特に欲しいものが無いので購入はせずに出た。

  
  ロータリーを上がって駒沢通りに戻り、そばの「上目黒氷川神社」を参拝することに。

 正面は急な石段だが、その先の交番の手前から上がる「目黒富士登山道」から短いジグ
ザグの急坂を上がった。
     

          



 上がった境内は平坦になっていて、左手(西側)に神楽殿がある。


 境内北側中央に上目黒氷川神社があり、両脇に2つの摂社も。


 石段を上がったところにある手水舎は、花手水(はなちょうず)になっていた。

 

     まずは、中央の上目黒氷川神社に参拝する。
      
 
 右手は目黒冨士浅間神社で、左側には葉の落ちたケヤキの高木が立つ。


 傍らにあった「目黒富士」のパネル


 左手、2ッの石鳥居の奥に祭られているのは稲荷神社。


  3つの社殿に参拝したので、正面の急な石段を下り上目黒氷川神社を後にした。
  

 この後は、日本地図センターに来たときにはいつも回っている、駒沢通りの南側に接す
る「目黒天空庭園」に向かう。

 池尻大橋駅寄りに少し戻り、専用エレベーターで上がって駒沢通りをまたぐ陸橋を渡る。



 見下ろす駒沢通り、上は首都高3号線



 陸橋を渡り終え、右手から反時計回りに少し上がると「目黒天空庭園」の管理棟がある。


 もらった折込リーフレットによる「目黒天空庭園」の施設案内


 図の左下部の管理棟前から、円形の外周を反時計回りに緩やかに上がり、上部中央の
東口広場まで進み、上側に隣接する「クロスエアタワー」9階に入るというのがルート。

 管理棟の休憩エリアに掲示の「大橋ジャンクション」周辺の写真



 管理棟前の植え込みや花壇の花など。


 目につく木々を眺めながら、散策路を少しずつ進む。



 実の残るガマズミの木が何本か。


  9階が目黒天空庭園の出口に直結するクロスエアタワー
  


     タイワンツバキ(台湾椿)も何本かあり、花が咲き残っていた。
     

     ゴテンバザクラ(御殿場桜)の実
     



     

 スロープの一番右手(南側)にある東屋(あずまや)




 「あそびの広場」


 

 「あそびの広場」を抜けると、クロスエアタワーに近づく。


 ふり返る「あそびの広場」周辺


 
 最上部の「東口広場」周辺には、色づいたモミジが数本残っていた。







 その一角にある探訪デッキから、以前は富士山の上部が見えたのだが、いまはその手前
に薄いブルーのビル(中央より少し右)が建ったので、見えなくなったよう。



 南側のビル群



 西側に見下ろせるエリアは「おおはし里の杜」と呼ばれ、入ることはできない。


  



     

 周辺のモミジや、たくさん実の付いたクロガネモチなどを眺め、12時10分に「目黒
天空庭園」を出ることにした。








     

 「クロスエアタワー」9階の入口を入り、エレベーターで1階に下りてビル東側に出た。


  北側に回れば駒沢通りで、先ほど参拝した「上目黒氷川神社」が正面に。
  

 池尻大橋駅に向かって駒沢通りを進み、次の横断歩道で往路の北側歩道に戻る。


 駒沢通り際から始まる遊歩道「目黒川緑道」のスタート付近には、かつて下を流れてい
た流れに架かっていた「大橋」の標石が残っていた。
     

     
 池尻大橋駅に12時29分に戻り、東急田園都市線で渋谷駅へ。渋谷駅で東京メトロ副
都心線、東武東上線直通電車に乗り、小竹向原駅で13時03分発の西武池袋線直通電車
に乗り換える。


 所沢駅で途中下車して、東口直結「エミオ」3階の食堂街に入り、「椿すすめ」へ。


 「納豆玉子ぶっかけうどん」(960円)を注文して、いつものように遅い昼食とした。

 
 さらにひと駅下り電車に乗り、帰宅したのは15時15分だった。



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今年の紅葉の見納めに六義園へ(東京・文京)

2024-12-27 17:34:19 | 江戸・東京を歩く
 2024年12月16日(月)

 2,3日前のTVニュースによれば、都立庭園のひとつで国特別名勝の「六義園(りく
ぎえん)」の紅葉が、まだ幾分か残っているようなので、好天の今日、久しぶりに訪れる
ことにした。

 JR池袋駅から山手線外回り電車に乗り、3つめの駒込駅で11時20分頃に下車する。


 巣鴨駅寄りの南口を出て左へ、線路上を越える橋を渡り駅前を走る都道455号線・本
郷通りを南西へ向かう。


 すぐ先の交差点の南側一帯が六義園で染井門があるが閉じていて、入口はその先にある
のでさらに本郷通りを進む。

 次の大きな通り、不忍通りとの交差点の手前の細い通りを右折して、煉瓦塀沿いに少し
で、唯一の出入口になっている正門前へ。

     すぐ手前にあった公園の外周を囲む煉瓦塀の説明パネル
     

 正門前の掲示


 正門を入り左手の受付でシニアチケット(150円)(一般は300円)を求め、そば
のテーブルにあった「特別名勝 六義園」の折込の3つ折リーフレットなどを入手する。
         

 六義園は江戸の二大庭園”のひとつといわれ、徳川綱吉の側近であった柳澤吉保が、将
軍の命を受けて池を掘って山を築き、元禄8(1895)年から7年の歳月をかけて造り
上げた「回遊式築山泉水庭園」。

 紀州和歌の浦の景勝や、和歌に詠まれた名勝、中国古典の景観が八十八境として映し出
されていて、昭和13(1938)年に一般公開され、昭和28(1953)年に国の特
別名勝に指定されたという。

 リーフレット内面記載の地図に従い、中心にある池(大泉水)を囲む周遊路を時計回り
に回ることにした。


     受付近くにある六義園の標石と和傘、記念撮影用だろうか・・
     


 まずはその近くから、周辺のモミジなどの彩りを眺める。 


 左手(西側)に進み、庭園の中心部に入るための門「内庭大門」(ないていだいもん)
を入る。


 正面に大きなシダレザクラがあるが、葉はすべて落ちている。
 


 左手には懸崖菊(けんがいぎく)の展示が。
 


 さらに竹製の門をくぐると、「六義館跡(むくさのたちあと)」という標柱周辺の木々
が、きれいな紅葉を残していた。




 


 園庭や池、モミジなど眺めながら南側の園路を西方へと進む。








 園内南側中央部にある「心泉亭」と呼ぶ建物のよう。
 
 
     
     さらに西方へと、移り変わる風景を眺めながら向かう。
        







     


 池の西南端には「滝見茶屋」があり、そばのモミジも彩りが残る。
     



     そばの橋を渡って西側の園路を北へと進んだ。
     

     

   すっかり葉の落ちた木々
   


 西側から眺める大泉水 


   
 

    西側一帯は樹林になっていて、ところどころにモミジなどの彩りも残る。
    

   
    その先には大イチョウが見えたので、小さいピークを上がって根元からも。
    

 
 さらにモミジなど眺めながら緩やかな上り下りの園路を進む。




 大泉水の北西側にある吹上茶屋へ。


 ここでは、抹茶をたしなむいおともでき、池をみながらいただく人も。

 
 吹上茶屋の横から、川のような細い流れが北側の谷間に伸びているので、そちらの園路
へと進む。
     

 流れと行ってもほとんど動きはなく、松やモミジなどたくさんの落ち葉がきれいな模様
を見せていた。


 その流れが右へカーブするところに、小さなかやぶき屋根の「つつじ茶屋」が。

 明治年間にツツジの古木材を用いて建てられたとか。


 つつじ茶屋から向こうに見えるのは山陰橋



 吹上茶屋の近くまで戻り、橋を渡って大泉水の中で一番大きな島に入り、南側の大泉水
周辺を眺める。





 島の中央部北側は、六義園の最高点で標高35mの藤代峠(ふじしろとうげ)。咲き残
るツツジの横を上がってピークへ。
  


 藤代峠から、園内を東側から周遊してきた西南方まで一望した。




 藤代峠から下り、南東側の渡月橋を渡り園内東側を出口方面へ。



 池に泳ぐカモや周辺の風景、園路沿いに咲き残るモミジやカエデの彩りなどを眺めな
がら進む。




     


 出口が近づいた辺りに休憩所兼売店の建物があった。





 近くの「出汐湊(でしおのみなと)」と呼ぶ辺りから、西方に広がる大泉水と周辺を一
望する。






     
     出口に向かう園路沿いには、石灯籠や実の残るムラサキシキブが。



 その先の竹林に立つ和傘には、わら造りの龍が絡まっていた。



 もう一度、入口の内庭大門辺のモミジを眺める。
  

     

 13時10分に六義園を後にした。



 門前のビルは、児童図書の出版などをしているフレーベル館。門前にはクリスマスを待
つ人形などが。


 本郷通りをJR駒込駅に向かい、駅近くにあった「なか卯」に入る。


 「チーズトッピング牛とじ丼と京風つけもの、味噌汁」を注文して昼食とする。



 13時46分にJR山手線駒込駅に戻り、池袋方面行き内回り電車に乗る。

 
 


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東村山 北山公園の花菖蒲を見て近くの寺院へ(東京・東村山)

2024-06-12 21:24:45 | 江戸・東京を歩く

 今月前半は出かける日が多くて 投稿できるまでに1週間前後かかり、季節感が少しずれ
てしまいますが、順次投稿しますのでご了承下さい。

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 2024年6月6日(水)

 毎年この時期に訪れている、わが所沢市の南側、都県境を越えてすぐの東村山市にある
北山公園の花菖蒲がかなり見ごろになったようなので、観覧に行くことに。

 西武鉄道 西所沢駅から、西武狭山線10時07分発西武球場前行下り電車に乗る。


 西武球場前駅に10時13分に着き、西武山口線(レオライナー)10時16分発上り
電車に乗り換える。

 2駅目の終点、多摩湖駅には10時23分に着いた。


 反対ホームからは、西武多摩湖線の国分寺行き電車が接続している。

 

 駅を出て多摩湖線の線路沿いを少し進み、住宅地を東進して多摩湖を水源とする北川の
左岸沿いへ。
  

     民家の前のタチアオイがかなり花を開いていた。
     

  北川は両岸をコンクリート護岸で固められていて、見栄えはいまひとつ。
  

 川沿いを500mほどで、住宅地の間に緑陰の残る「下宅部(しもやけべ)遺跡はっけ
んの森」がある。


 日本有数の低質地の遺跡公園で、2006年には「日本の歴史公園100選」にも選定
されたという。

 遺跡の説明パネル



 川の左岸に近い、南側の園路を進む。


 南東端近くには、ガクアジサイが咲いていた。


 さらに北側左岸沿いに300mほどには、「八国山(はちこくやま)たいけんの里」が。


 この辺りから北山公園の北側一帯の斜面は東村山市の八国山緑地で、敷地の南西側にあ
る建物では、八国山緑地周辺の動植物、環境、遺跡や暮らしなどを題材とした展示があり、
さまざまな体験学習が出来る。



 ここも何度か観覧しているが、ザッと一巡して観覧する(入館無料)。



 奥の部屋には、下宅部遺跡の出土品が保存、展示されていた。


 東側からの入口を入った左手には、棟門(むなもん)が保存されている。


 その説明パネル 


     建物前に咲き出したトラノオ
     

 敷地の北西側には、市内にあったらしい土蔵が移築されている。


      
 建物の前には2本のケヤキが立ち、中央部の木の前にはこのようなパネルが。


 八国山たいけんの里の観覧を終え、隣接する北山小沿いを南へ、道路際にはたくさんの
アナベルが咲き競う。




 北山小の南西端で北川を渡り、右岸に沿って細い市道を東へ。

     
   川沿いには、周辺の住民の方々が育てているらしい花などが見られる。


 市道が右カーブする辺りまで進むと、北山公園の西側一帯が見えてきた。


 さらに少し、関場橋を渡り11時30分過ぎに北山公園の西側エリアに入った。
 
 

 西側の池周辺の花菖蒲は、まだ少ししか咲いていない。




 そばの田んぼは、早苗がかなり分けつして育っていた。


 北山公園の北側沿いを走る西武 西武園線の、北側斜面一帯が八国山緑地である。








 少しずつ東に回ると、南東側の入口に近い大きな東屋が近づき、観覧者も多い。

 
 菖蒲田の中央部にある東屋


 

 菖蒲田の北側、アジサイの咲くエリアの近くには、国内の三代巨桜のひとつ「三春桜」
で知られるベニシダレザクラが大きく枝を広げている。



 そばのアナベルもまだ咲き出して間もないようで、見ごろはもう少し先になりそう。



 さらに東屋周辺から東側一帯の菖蒲田を巡る。


     











 
 南側には山形県長井市の交流田もあるが、ここも見ごろはもう少し先になりそう。 

 長井小町

     



     









     



 

 三春桜の右手(東側)には、今年初めての番傘を並べたパネルが設けられていた。









 公園の東端近くには3本のハナキササゲの木があり、珍しい花が咲いていた。

 北米産でノウゼンカズラ科の植物のようで、明治・大正年間に黄金樹の名で大量に輸入
されたが現存する木は極めて少なく、小石川植物園に数本確認されているという。


 東側の池周辺も巡る。池ではハスが咲き出していた。






 南側の大きい東屋には、観覧者がかなり増えている。


     近くの菖蒲田には、花の名も立札も。
     

               
       北山乙女は、ここ北山公園だけしか見られない品種のよう。
     

 東屋に寄り、そろそろ退出することに。


 東屋の南側から出口にかけては、この期間中の出店が並んでいる。



 本部テントの左側で花の管理費協力金100円を納めて、菖蒲の絵はがき2枚入りをも
らい、北川の善光橋を渡って12時25分頃に公園を出た。


     北川を渡った先には、タチアオイがたくさん咲いている。
     

 その先、三差路の左手にある焼団子の出店で草餅のあんこ団子を求めた(1本120円)。


 三差路の右手から南へ進み、いつものように正福寺(しょうふくじ)へ。金剛山正福寺
は、臨済宗の寺院で鎌倉の建長寺の末寺のよう。

 山門は元禄14(1701)年の建立で、東村山市の有形文化財に指定されている。

 山門を入りった突き当たりには、仏殿にあたる千体地蔵堂

 建立は応永14(1407)年、典型的な禅宗様建築で東京都で唯一の国宝建造物とか。
堂内には本尊の地蔵菩薩立像のほか、20㎝ほどの千体小地蔵尊が安置されているという。


 千体地蔵堂の右手から背後の本堂に向かう参道には、創建730年記念に建立の十三仏
石像が並び、反対側にはアジサイが。
     


 本堂↑に参拝し、千体地蔵堂の南東側に祭られた八坂神社↓にも拝礼して正福寺を出た。


 東側の十字路を南下して東村山駅方面に延びる都道128号へ。そばの細い市道を少し
東進すると大善院の前に出る。

 
 大善院は「野口の不動尊」と呼ばれ、地元の方々に親しまれているようで、山門のない
入口横のガクアジサイが花いっぱい。
     
 
 野口不動尊 大善院の創立時期は不明のようだが、八王子市高月町にある圓通寺の塔頭
(たっちゅう)で、明治32(1899)年に当地に移され開山としたという。

 本堂に向かう正面両側には、積み上げられた溶岩の上に石像やツツジなどが。

 
 境内左手にも大量の溶岩が積み重ねられ、山頂の不動明王を中心に三十六童子像が立ち
並んでいる。




 本堂前の水がめにハスも咲き出した。



 ガクアジサイは何種か見られた。


 道路側のモミジにも花がたくさん咲く。


       
     ぼんぼりの下がる参道を進んで都道128号に出る。


 東進して東村山駅の西口広場へ。西武新宿線の東村山駅周辺は高架化工事が進行中。

 
 広場の一角に、東村山市指定有形民俗文化財の「東村山停車場の碑」があるが、文字は
判読しがたい。
     

  
 13時30分頃、広場の東側に立つ高層ビル・サンパルネの2階にある中華食堂日高屋
に入り、冷麺(630円)を注文して昼食を済ます。


 
 
 2階デッキからの、工事中の東村山駅西口周辺


 同じビル1階のスーパー西友で買物をして、東村山駅発14時16分の本川越行き下り
電車に乗る。 

 (天気 曇後晴、距離 5㎞、地図 「水とみどりの東村山 わくわくMAP」、歩行地
 東村山市)
 
 



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「石神井公園ふるさと文化館」から「牧野記念庭園」へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-31 20:39:36 | 江戸・東京を歩く
 2024年5月16日(木) 〈後半:三宝寺池から牧野記念庭園へ〉

 石神井公園ふるさと文化館での観覧と昼食を終えて、すぐ西側の井草通りを横断して三
宝寺池の東側へ。



 池の近くにはスイカズラが咲き、池の東岸のカキツバタも咲き残る。
     

 池の東岸近くでは、スイレンがたくさん咲き出していた。


 池と北側の水辺観察園の間の、新緑豊富な緑陰の遊歩道を西進する。



 中の島の北岸の眺め




 カワウとカルガモだろうか。


 中の島の北西岸の木の上には、サギの巣があるよう。 




 西北端近くまで進むと、対岸に厳島神社が望まれる。



 三宝寺池の西北端付近から階段を上がり、「石神井松の風文化公園」の南西門へ。


 
 門を入り左手の園路を少し進むと気象庁のアメダス練馬観測所があり、気温など5種類
の観測をしているという。


 最近の都内の夏の気温は、ここ練馬の観測値がいつも高温であることが知られている。


 公園の東側には、午前中観覧した「石神井公園ふるさと文化館」の分館があり、西北側
の広い芝生のエリアは野球などに使われる多目的広場。





 ふるさと文化館の分館の入口前を通過し、テニスコートの西側を北進して北側出口から
公園を出た。



 北側の石神井郵便局横に回り、局前を走る都道8号・富士街道を西へ。
   

 次のT字路を北に入って石神井台三丁目の住宅地を北北西へと進む。



 途中に残る畑には、ジャガイモの花が咲いていた。


   さらに進むと緑に囲まれた「東大泉つばき緑地」が。
   

 3回ほど左右折をして西へ、東京学芸大の大泉寮や附属大泉小などの前を過ぎる。



 西武池袋線 大泉学園駅前から南へ伸びるバス通りを横断し、すぐ先の練馬区立「牧野記
念庭園」前へ。
  

 昨年の今頃は、ここに住んでおられた牧野富太郎博士がモデルのNHK総合TVの朝の
ドラマ「らんまん」を放映中で、来園者も多かっはず。


 その後も来館者は増えているようで、今日も10数人は来ている感じ。14時10分過
ぎに入園した(入場無料)。

 私の来園は3~4回目だろうか、以前は有料だったような気もするが・・

 門を入り、右手の管理棟でリーフレットなどをもらう。


 リーフレットによる、牧野記念庭園の説明と牧野富太郎博士の略歴




   


 最初は左手の園内南側へ回ると、「御案内」パネルや記念撮影用らしい牧野博士の等身大
パネルが。


     


   その先に、スエコザサに囲まれた博士の妻、壽衛(すえ)夫人の胸像がある。
     

 園路を西側から中央部へ、突き当りの記念館に向かい両側の豊富な草木を見ながら進む。

 ヒメナべワリ


   

       

     ニシキマンサク
     


 ベニガク(アジサイ科)


 「ねりまの銘木」に選定されている、ヘラノキ(高さ13m、幹の太さ1.9m)
   

     ヤブレガサ
     

   これも「ねりまの名木」のセンダイヤザクラ(高さ8m、幹の太さ1.4m)
   


 北側の記念館際まで進み、中を観覧することに。最初は手前の常設展示室へ。


以前は記念館内は撮影禁止だったような気がするが、今日は企画展示の一部を除き撮影可
能なので、適宜紹介する。


   







     

      ホテイラン
     

          チャルメルソウ
          

     


 文化勲章(左)と勲二等旭日重光章(右) 、牧野富太郎博士が1957(昭和32)年
1月18日に亡くなられてから授与されたという。
     

          

 私は、当時の石神井公園駅近くでの勤務先で、牧野博士死亡のことを知った記憶がある。







     

          





     

 常設展示室の観覧後、左手の企画展示室へ。両室の間の壁面に飾られた植物の飾り





   
   ヤマブキ(バラ科)

    
    キキョウ(キキョウ科)

     
    バイカイカリソウ(メギ科)

     
     スエコザサ(イネ科)

 企画展示の観覧を終えて記念館を出て、東北側の「鞘堂」と呼ぶ覆い屋の中に保存され
ている「書屋展示室」に回り、牧野博士の書斎と書庫の一部の様子を見る。

 博士は晩年、庭で植物の観察を行い、この書斎で著書の執筆や植物の描画などに勤しん
だという。

 書屋展示室の入口近く、壁面に掲示の「壽衛の想い描いた植物園」の絵
   

     







     
     書屋展示室前を回って右手(北側)の出口から出た。西側の小さな庭に咲く花など。
     
     
   これで園内の観覧を終え、東側園路沿いの植物も見ながら南へと出口に向かう。

     

 出口際の大きなセンダンは、細かな花がたくさん咲いていた。


 15時05分に牧野記念庭園を後にする。

   バス通りに出て左折して北へ、駅前のマンションらしい高層ビル方面に向かって進む。
   


 南口のロータリー際を進み、西武池袋線の大泉学園駅に15時30分に着いた。




 15時33分発 所沢行下り電車に乗り、帰路でスーパーに寄ったりして16時25分に
帰宅した。

(天気 曇後晴、距離 6㎞、地図 「練馬区ガイドマップ」(ねりま観光センター発行)、
 歩行地 練馬区、歩数 12,400)



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「石神井公園ふるさと文化館」から「牧野記念庭園」へ〈前半〉(東京・練馬)

2024-05-27 13:07:29 | 江戸・東京を歩く

  2024年5月16日(木) 〈前半:石神井公園ふるさと文化館へ〉

 

 連休初日の5月3日に行ったが混んでいたので止めた、「石神井公園(しゃくじいこう

えん)ふるさと文化館」で開催中の特別展「魔法の部屋」の観覧に出かけた。

 

 西武池袋線上り電車に乗り、石神井公園駅にて10時53分に下車する。

   前回とは違う西口改札を出て、前回の帰路になった商店街を逆行することに。

     

 

     

     マンションの前だったろうか、ウツギが花盛り。 

 

 石神井公園の東側を占める石神井池への下り道は、前回よりひとつ西側から行き、石神

井池の北岸へ。

 

 平日なので今日はボートに乗る人も見えず、池の水面は静まりかえっている。

 

   

 

     池の畔の空き地に咲くゼニアオイ

     

 

     少し西進して、池の中の島を2つのアーチ橋で渡り南岸へ。

     

     

 

 野外ステージ前のツツジは、まだ花を残していた。

 

 メタセコイアの新緑

   

     

 

 その先の広場から南へ斜面を上がり、「石神井公園ふるさと文化館」には11時25分

に入館する。

 

     

 2階への階段を上がった左手が特別展会場の企画展示室。観覧料は一般300円、65

~74歳は150円だが、それ以上の高齢者は無料だった。

 

   特別展のリーフレットと、裏面の説明部分

    

 

 

 最初のトリックアートは「揺れる町並」で、左右に動いてみると

 

     

 

 次は「2匹のリス」

 

 

 下は、館のスタッフが撮ってくれたもの

     

 

 「巨大ぼちゃ猫」、大きな猫のそばでスタッフに撮ってもらうと↓

     

 

 その先のトリックアートも、皆同様なトリックになっていた。

     

 

          

 上の説明をよく見なかったので、もっと右側や左側からの別の熊2匹は見落とした。

 

         

 

 「カッパドキアの夢景色」、カッパドキアには行ったことがあるが風船には乗らなかっ

たので、乗った気持ちになってに撮ってもらう。

     

          

  

 以下も同様で、それぞれの中に入ったような写真が撮れるが、眺めるだけにした。

         

 

     

               

 

     

          

 

     

          

 最初の1枚と「熊の檻」を除き、ほかはすべて自分が中に入って一体化したような写真

の撮れるトリックアートばかり。違うトリックアートをもっと期待していた私としては少

し残念だった。

 

 特別展を観覧後、同じ2階の常設展示室も再訪して、ザッと一巡する。何度か来ている

ので、目についた展示を幾つか。

 

 昭和年代の人なら、練馬といえば練馬大根を思い浮かべるだろうが、その練馬大根に関

わる展示が入ってすぐ右手に。

 

 

 

 私の最初の職場は石神井公園駅から近いところにあったが、関わりがあった当時の東映

東京撮影所の懐かしい写真。

 

 

 その頃、西武池袋線の中村橋駅から桜台駅付近までだったと思うが、線路の南側近くを

平行した道路沿いには千川上水が流れていた(現在は暗渠に)。

     

          

 

     

  夜勤作業の深夜の職場に、時々寄ってくれた屋台の中華ソバは30円だった。

 

 練馬の伯母の家に下宿し、石神井公園駅↑まで通勤した最初の頃、練馬~石神井公園駅間

の閑散時の石神井公園駅発の上り電車は、毎時0分、15分、30分、45分という15

刻み、4両編成だったように記憶している。

 

 

 ちなみに、現在の石神井公園駅発の閑散時の上り電車は、12時台、14時台ともに18本

で、8両あるいは10両編成である。

 

     

     50年ほど前のくらしの道具

 

 常設展示室の観覧後、1階に下りて情報コーナーなども一巡したら12時30分になっ

たので、休憩コーナーにある武蔵野うどんの店「えん座」に入り、昼食とする。

     

 

  注文したのは、この店で人気の「霙糧(みぞれかて)うどん」(900円)、盛りはも

う少し欲しかったが美味しかった。

 

 店中に飾られていた物など

     

          

 

    昼食を済ませて13時10分頃、石神井公園ふるさと文化館を退館した。

     

 

     館の北西側にある「やさしさについて」という石彫

     

 

 午後は、三宝寺池の北岸沿いを西進して北側の石神井松の風文化公園を抜け、隣の大泉

学園駅に近い「牧野記念庭園」を訪ねることにする。  〈続く〉

 

 

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連休初日 新緑の石神井公園と周辺の社寺へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-19 16:59:47 | 江戸・東京を歩く

 2024年5月3日(金・祝) 〈後半:三つの社寺と三宝寺池周辺〉

 

 少し周辺を回ってから再訪することにして「石神井公園ふるさと文化館」を出て、西側を

南北に走る都道444号・井草通を横断して住宅地の間の細道へ。

  

     民家のツツジが紅葉のような彩り。

     

 

 そのお宅の庭も花盛り。

 

 近くの民家では、サクランボが色づく。

 

 立派な長屋門の前で左折して南へ回り、少し戻って道場寺へ。

 

 

 門前のクロマツは高さ25m、幹の周囲2.5mあり、「ねりまの名木」に指定されて

されていた。

  

 

  

 境内南西側には総檜造りという三重塔が立つが、モミジなど樹木が多く全容は望めない。

  

 

 道場寺は、石神井城主の菩提を弔うために応安5(1372)年に創建されたとか。武

蔵野三十三観音霊場の第2番霊場となっている。

 

 正面の本堂は、奈良の唐招提寺を思わせる屋根。

 

 本堂前の豊後梅(ぶんごうめ)

 

  本堂南西側の供養塔

  

 

 境内にはモミジが多く、新緑がみずみずしい。

 

    本堂の東側に廊下で結ばれた庫裡があり、庫裡の南側には立派な鐘楼が。

      

 

 周辺のモミジの彩りもよい。 

 

     鐘楼前に咲くアヤメ

     

 

 モミジの花も

 

    門前のバス通りを西へ、境内西南端の路傍にはお地蔵さんが祭られている。

     

 

               

          少し先、通りの南側にある葬祭場際に咲く花

 

 

 その北側に、広い境内を豊富な樹林に覆われた三宝寺(さんぽうじ)がある。

 三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依を受け、豊

島氏滅亡後は徳川家康などの受けて発展したよう。

 

 境内にある長屋門は、勝海舟の邸宅にあったものだとか。武蔵野三十三観音霊場第3番

霊場である。

 

 山門は、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家光が狩猟の際、当山が

休憩所されたので「御成門」と称するようになったようで、練馬区の登録有形文化財。

 

 山門を入ると左手には大黒堂・子育千体地蔵堂があり、そばに立つ高さ17m、幹の周

囲2.5mのアカマツは「ねりまの名木」。

  

 

 参道を挟んで東側に立つサルスベリ(高さ10m、幹の周囲1.5m)も「ねりまの名

木」という。

     

 

 大黒堂・子育千体地蔵堂の内部を拝観すると

 

 お堂の前には「開運出世小槌」が置かれていた。

 

 

 正面の本堂に参拝、右手前には境内案内図が

 

 鐘楼の北側に咲くシャクナゲの大株

 

 その横、南側の長屋門が、勝海舟邸から移築したもの。

 

 近くに立つイチョウ(高さ26m、幹の太さ3.6m)も「ねりまの名木」である。

   

 

  本堂前から西側へ階段を上がると新しい多宝塔が。

  

 

  さらに西側には、境内で最高の観音像が東向きに立つ。

  

 

 多宝塔と観音像の間、北側のコンクリート製のお堂に、武蔵野三十三観音霊場の御本尊、

如意輪観世音が祭られていた。

 

     

 多宝塔の北側の樹林の中は、時計回りに一周する「四国八十八か所お砂踏み霊場」にな

っている。

          

 今まで何度か来ても一部しか回らなかったが今日はほぼ一巡し、実際に3度回った四国

八十八か所の各霊場のことを思い返した。

 

 後半の辺り、最奥に祭られている大師堂

 

 境内を一巡したので山門を出て三宝寺を後にした。

 

     

     少し西進すると民家の大きなツツジが花盛り。

 

 その先で、氷川神社参道の途中からケヤキなどの立ち並ぶ参道に入って神社境内へ。

 氷川神社は、応永年間(1394~1428)にこの地を領していた豊島氏が、武蔵一

の宮の分霊を奉斎して石神井城内に創建したといわれているよう。

 

 文明9(1477)年の石神井城落城後は石神井領の総鎮守として、周辺5か村の人々

から崇敬されたとか。 

 

 正面に拝殿が祭られ、手前右手(東側)には神楽殿が。

 

 左手の2つの末社には、江戸時代からの北野、須賀、稲荷、御嶽、八幡、三嶋、榛名、

浅間、三峰、阿夫利の各社が祭られていた。

 

  参拝を終えて境内右手から北側の石神井城址の樹林へ。

  

 

 東側のフェンスに囲まれたエリアは、石神井城跡の中でも土塁や空堀の保存状態がよく、

立ち入り出来ない。

 

 その横を緩やかに下り、三宝寺池の東端付近に出た。

 

     北斜面下には「石神井城址」碑とパネルがある。

     

 

     三宝寺池の南面を西へ、池を眺めながら周遊路を進む。 

     

 古くからの自然のままの姿を残す中の島周辺は、西端近いとはいえ23区内とは思えぬ

貴重な景観を残している。

 

     小さな社殿は水神社

     

 

     三宝寺池の西南近くには厳島神社が祭られている。

     

 

 柵に囲まれた社殿前から右手に回ると東屋があり、緑豊富な池が一望できる。

 

     さらに西岸の園路を進と、カキツバタが咲いていた。

     

 

 三宝寺池の西北端まで進み、今度は北岸の遊歩道を戻るように東へ向かう。

  

 自然のままの中の島の北岸の様子

 

 何を調査しているのだろうか、ボートをひいて中の島の西側を歩いて来た人が。

 

 三宝寺池の東北側にある、水辺観察園沿いの園路へ。

 

 東に抜けて三宝寺池の東北側に回ると、橋の近くにツツジと群生するカキツバタが。

 

 ハスの多い辺りに、サギがジッと立っていた。

 

 14時過ぎに石神井公園ふるさと文化館に戻り、特別展会場に行って見たが相変わらず

入場制限していたので今日の観覧は諦め、改めて来館することにした。

 館内の食事処、うどん房の「エン座」も、もう品切れのようで閉店していた。

 

 館を出て、石神井池の北岸沿いを駅に向かうことに。

 

 沿道に並ぶ住宅は、見栄えのする家が多い。

 

 池では、相変わらず多くのボートやスワンボートが行き来する。

 

 東端まで進まず、少し手前から住宅地の緩い上り道から石神井公園駅前に戻り、駅前の

讃岐うどんのチェーン店で遅い昼食を済ます。

 

 15時10分に石神井公園駅に着き、15時14分発 西武球場前駅行 下り電車に乗る。

 

 今日のアメダス練馬の最高気温は25.5℃。なお、アメダス練馬の観測地点は、三宝

寺池の西北端から台地を上がった北側の「石神井松の風文化公園」内にある。

 

 (天気 快晴、距離 6㎞、地図 「練馬区観光ガイドブック」(部分)ねりま観光セ

  ンター発行、歩数 17,200) 

 

 

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連休初日 新緑の石神井公園と周辺の社寺へ〈前半〉(東京・練馬)

2024-05-18 09:46:47 | 江戸・東京を歩く

 2024年5月3日(金・祝) 〈前半:石神井池南岸〉

 

 連休後半初日は快晴に恵まれたので、練馬区の西部、石神井(しゃくじい)公園にある

「ふるさと文化館」で開催中の特別展の観覧に行くとともに、公園周辺を巡ることにした。

 

 西武池袋線上り電車に乗り、石神井公園駅に9時58分に下車した。

 

 中央口に近い石神井観光案内所で、練馬区内のパンフレットなどを幾つか入手する。

 

    駅前広場の一角には、「石神井火車站(かしゃたん)之碑」がある。

     

 大正4(1915)年の武蔵野鉄道石神井駅(現在の当駅)開業を記念して、大正9年

5月に地元有志により建立されたよう。練馬区登録有形文化財になっているが、年代を経

過し文字は読みにくい。

 

  石神井公園へのバス道路を少し南へ、東側に稲荷神社の森があるので立ち寄る。

     

 

 拝殿のそばに、「ねりまの名木」に指定された樹高18m、幹の周囲3.8mのシラカ

シが立っている。

   

 

 すぐ先の小さな植え込みに「檀一雄文学顕彰碑」があり、「何のその 百年後は 塵芥

(ちりあくた)」と刻まれていた。

     

 作家・檀一雄は、結婚後の昭和17(1942)年から当地に住み、途中の従軍期間な

どを挟み30年間を過ごし、戦後は「リツ子・その愛」「リツ子・その死」「真説石川五

右衛門」「火宅の人」などを執筆し、坂口安吾も一時、檀一雄邸に逗留したという。

 

 緩やかに坂を下ると、都立石神井公園の東端、石神井池のボート乗り場のそばへ

 

 東西に長い石神井池の南東側に回ると、大輪のシャリンバイがたくさんの花を。

 

 近くではツツジも花盛り

 

 池の南側の園路を西進することにして、まずはボート乗り場を眺める。

 

 池の東南側では、豊富な木々の新緑が気持ち良い。

  

 

 好天の連休初日なので、ボートやスワンボートに乗る家族連れなどが多い。

 

 新緑の木々の下、さらに園路を西進する。

 

 

 対岸には、瀟洒な洋館も望まれた。

 

 ちなみに、交通新聞社発行の月刊誌「散歩の達人」6月号(5月21日発売)は大特集「み

んなの練馬」で、その表紙にはこの辺りの写真が使われている。

 

 

 石神井公園駅周辺にある2つの高層ビル

 

 アジサイはまだつぼみ

 

 石神井池の中央部より西側には中の島があり、両岸から歩道橋が架かっている。

 

 中の島の西南側には野外ステージが。

 

 

 対岸のツツジ

 

 

   

          池の西南端近くには、このような石塔が

          

          近くの見晴台から眺めたら、台座に「聖衣」と刻まれていた。 

 

 

 

 その南西側は少し開けたエリアで、南側斜面には大株のツツジが何株か咲く。

 

 ケヤキなどの気持ち良い新緑

 

  

 

 ツツジの横を上がり、上の細い道路際にある「稲荷 諏訪 合神社」に参拝。

 

 少し先で南への遊歩道を入ると「練馬区立 池淵史跡公園」で、西側には今日の目的地の

「石神井公園ふるさと文化館」がある。

 

 

 公園内、最初は左(東)側に保存されている練馬区指定文化財「旧内田家住宅」へ。

 

 室内に上がって一巡できるが、玄関から入り土間から内部を観覧する。

 

      

 

 内田家住宅の東側から南側一帯の樹林下には、区内にあった庚申塔が移設保存されてい

る。それらの一部を。

 

     

     享保12(1727)年造立

 

          

          明和2(1765)年造立

 

 

 史跡公園の東側は、都立石神井公園「野草観察園」になっているので入り、園路を一順

することに。

 

     

     キエビネ

 

 

 アマドコロ

 

      

     ヒメサユリ

 

 ウマノアシガタ

 

 

 

     

     オドリコソウ

 

 チョウジソウ

 

 野草観察園の南西側には、キャベツの畑が広がっていた。

  

 池淵史跡公園に戻り、縄文時代の竪穴住居跡から園路を西へ。

 

 桐の木の上部で花が咲き出した。

 

 

 豊富な樹林下、ところどころに立つ庚申塔も見ながら進んで、内田家住宅の南西側ま

で戻った。

     

 

 西側の石神井公園ふるさと文化館へ、東側入口から入る。

 

 だが、2階の特別展「魔法の部屋 トリックアートの世界」は、観覧者が多くて入賞制限

していて、並んで待っている人が10数人いる。

  

 連休初日なので予想以上に来館者が多いようた。今日の観覧は諦めて別の日に再訪する

ことにして、北側正面の入口から退館した。                〈続く〉

 

 

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二つの親水公園を結んで西葛西駅へ(東京・江戸川)

2023-12-25 22:48:29 | 江戸・東京を歩く
 2023年12月8日(金) 〈後半:新左近川親水公園から新長島川親水公園へ〉

 午前中、東京メトロ東西線の葛西駅際にある地下鉄博物館の観覧を終え、正午過ぎに退
館した。今日は穏やかな快晴なので、この後は二つの親水公園を歩き継いで西隣の葛西駅
に向かうことにする。


 すぐ西側の都道318号・環七通から東京メトロ葛西駅をふり返り、南に向かう。


     街路樹のプラタナスは、まだ落葉していない。
     


 400m近く進んで都道450号・清砂大橋通を横断する。こちらは西側↑、こちら↓
が東側。



 さらに進むと、近くの住宅のモミジが鮮やか。


   駅前から900mほどの仲町会館入口交差点を右折して、左近川親水緑道へ。
     

     
          右岸沿いに「健康の道」と名付けた緑道が続いている。
          

     

 流れは静かだが、水は澄んでいた。



 少し歩いて木の橋を渡って左岸沿いの緑道へ。


     「うたう」という野嶋久美子氏作品
     





 アシの増えているところも。







 堀江並木通と呼ぶ車道を横断する。↓は北へ向かう道。


   その先は小公園になっていて、「わたしは未来」と題する森野政順氏作品が。
     

 流れはその公園下を暗渠になっていた。


 再び右岸(南側)に回り、さらに上流へ。



 対岸に江戸川区のコミュニティ会館が見える辺りは、アシがかなり伸びていた。


     


 その先は流域が広がり大きな池になり、周辺一帯は新佐近川親水公園である。


 沿道のソメイヨシノの中には、紅葉の残る木も。


 左手の少し高いところは「葛西ラグビースポーツパーク」になっていたので、西端の階
段を上がってのぞくと、人工芝のグランドになっていた。



 そこから見下ろす、左近川親水公園の東側↑と西側↓




     



 池が狭くなり右手へとカーブし、南北に走る中左近橋下へ。


    池際に咲くツワブキ
    

 中左近橋下から上流側を



 橋の先が左近川親水公園の中心部のよう。 左側の築山に上ってみた。


 新佐近川の北側に並ぶ中層マンション群。


 その右手〈東〉は江戸川区立新田小


 さらにふり返ると中左近橋周辺が。


 新左近川右岸の遊歩道をさらに進んでふり返る。


 再び新左近川の流れは広がるが、流れはほとんど感じられず静かな水面。


     
     時計塔のある辺りまで進むと、モミジが数本彩りを残していた。
     

     




 すぐ先、車道の新左近橋と、その上の歩道橋、葛西かもめ橋の手前の水面はカヌー場に
なっていて、練習中のカヌーも望まれる。


 ここで新佐近川親水公園に分かれ、葛西かもめ橋を渡って西葛西駅方面に向かうことに
した。 

 
 橋からの上流側 


 右手が歩いてきた右岸沿い。


 下流のカヌー場など。




 橋の上に並ぶカモメ



 橋の欄干には、昔の左近川沿いの風景や生活などが浮き彫りに。




 橋を渡り終え、北に延びる新長島川親水川公園沿いの遊歩道へ。


     


 大きなセンダンの木に実がいっぱい。


 緑道の足もとには、たくさんのツワブキが咲く。



 豊富な樹林帯が続き、モミジも残る。




     

     
     かなり落葉した大ケヤキ
     

 右手に江戸川区球場が近づく。



 球場のバックネットの背後で、東西に走る清砂大橋通に合する。歩道橋でその上を越え
て右手に回り、眼下の総合レクリエーション公園に下る。


 大きな「区画整理完成記念之碑」下から「子供の広場」の北東端で公園を北東に抜けて
左折し、西葛西駅方面に向かう。


 昼食場所を探しながら 駅近くまで進み、駅のすぐ近くにあった「ガスト」に14時10
分過ぎに入り、ネギトロ丼 味噌汁・漬物付き(税込950円)を注文する。

     
   まもなく、ロボットが運んできたので受け取り、遅い昼食を済ませた。


 葛西駅同様に高架になっている西葛西駅前へ。



 駅前広場の一角で山形県鶴岡市の直売テントが数張りあったので一巡し、そのひとつで
とちもちを求めた。


     

 ちなみに、今歩いてきた新長島川親水川公園の中ほど、東側にある「新田の森公園」に
は「鶴岡江戸屋敷」というのがあり、江戸川区と鶴岡市は学童疎開が縁で友好都市になっ
ているという。
 
 
 14時43分に東京メトロ東西線の西葛西駅に着き、14時51分発上り電車に乗る。


(天気 快晴、距離 5㎞、地図 江戸川区散策ガイド「えどぶら」の「葛西エリア」図)

 


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