今年の大型連休、関東は5日頃まで好天に恵まれそうです。
今日の外出先は、都内・目黒区と品川区にまたがる林試(りんし)の森で行わ
れたコンサートと、渋谷区の代官山にある奈良県代官山iスタジオです。この2つ
を結んで、JR山手線目黒駅から渋谷駅へと歩きました。
12時過ぎ目黒駅に下車、西口から林試の森に向かいます。権之助坂を下る
目黒通りの南側の急坂を下り、目黒雅叙園の先で目黒川を渡りました。流れに
沿った桜はすっかり新緑の装いです。
広い通りの角に、「レトロの店」と書いた飲食店があり、通に面した壁面は
レトロな看板で埋め尽くされていました。
目黒不動入口交差点で山手通を越え、目黒不動尊入口を過ぎるとすぐ近くに、
都立林試の森公園があります。
林試の森公園は、明治33年(1900)に国の施設・目黒試験苗補として
スタートし、その後林業試験場だったところを整備して、平成元年(1989)に
生まれた公園です。
一周2.3kmあるという園内は、林業試験場時代の名残の豊富な樹木に覆わ
れ、幹回りが3mを越える樹木も多く見られます。
公園の一角にある出会いの広場で、13時から15時まで「林試の森のコンサ
ート」が開かれました。この催しのことは、三味線奏者・月岡祐紀子さんのWeb
で知り、やって来たのです。
月岡さんは、1976年目黒区生まれ、幼い頃から民謡を学び、ごぜ三味線の
貴重な継承者にもなり、大学卒業の年に、三味線の奉納演奏をしながら歩いて
の四国遍路をしました。翌年も2度目の遍路をしてその体験をもとに「遍路組曲」
を作曲し、文春新書で「平成娘巡礼記」を著しています。
私は、一昨年3月、四国遍路の途次、愛媛県内海村(現、愛南町)で「トレッキ
ング・ザ空海」という催しに参加し、峠の上の野外コンサートで月岡さんの遍路
組曲を聴き、遍路中で一番の思い出になりました。
以後、月岡ファンになり、昨年夏の大阪と国分寺での演奏会に続き今回、3度
目のコンサートに出かけたのです。
品川区八潮のメンバーによる八潮太鼓のあと、月岡さんをリーダーとする
女楽遊楽所という若い女性7名の和楽器グループが、中国現代曲「斎馬」、中国
民謡「太湖舟」、弘田龍太郎の童謡メドレー、涙そうそうの演奏を行いました。
月岡さんは来月、高野山上の宿坊での演奏会に行く際、弘法大師が通った町
石道(ちょういしみち)を歩いて上ることを、ご本人のWebと「冬青(そよご)風」
のブログ(本ブログのブックマーク)で知ったので、私が昨年3月に同じ道のりを
歩いた際のレポートを、少しでも参考になればと、演奏会後にお渡ししました。
演奏会は続いていましたがコンサート会場を離れて林試の森を一周、公園を出
て近くの目黒不動にお参りしました。目黒不動は天台宗滝泉寺の通称で、1月2日
の七福神めぐりのウオークで初めて来たのですが、それから4か月余りでの再訪
なので、本殿の参拝だけにしました。
裏手に出て、小公園との間の細道を東に進むと滝泉寺の墓地で、その一角に
青木昆陽の墓がありました。
昆陽は江戸中期の儒者で、幕臣大岡忠相の知遇を得て書物奉行となりました。
また、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために「甘藷先生」と呼ばれ、この
墓碑も「甘藷先生墓」となっています。
山手通を越えて目黒川沿いに出て、新目黒橋から川沿いの遊歩道に入りました。
目黒美術館の辺り、1か月前はソメイヨシノが花盛りだったのでしょうが、今は
葉桜のトンネルです。木の下のツツジも咲き始めています。
遊歩道を進んで駒沢通りに入り、次の目的地は代官山交番の近くにある「奈良
県代官山iスタジオ」です。
ここは、奈良県の歴史、文化、観光、産業などを紹介する施設です。イベント
スペースで開催中の、アマチュアカメラマン楠田光信氏の「奈良を想う」~大和路
の伊勢本街道~写真展を観覧しました。
大和路の伊勢本街道の素朴な田園風景や、人々の素顔の生活、伝統行事など
を紹介しており、5月8日(月)まで開催中です(無料)。
館内には、奈良県各地の観光パンフレットコーナーもありますので、ご入用の方
は一度訪ねてみてください。東急東横線代官山駅から西に50mです。
若い女性でにぎわう代官山界隈から、緑が豊富な猿楽町の住宅街を北に抜け、
渋谷駅に16時ちょうどに着きました。 (歩行距離 7km)
今日の外出先は、都内・目黒区と品川区にまたがる林試(りんし)の森で行わ
れたコンサートと、渋谷区の代官山にある奈良県代官山iスタジオです。この2つ
を結んで、JR山手線目黒駅から渋谷駅へと歩きました。
12時過ぎ目黒駅に下車、西口から林試の森に向かいます。権之助坂を下る
目黒通りの南側の急坂を下り、目黒雅叙園の先で目黒川を渡りました。流れに
沿った桜はすっかり新緑の装いです。
広い通りの角に、「レトロの店」と書いた飲食店があり、通に面した壁面は
レトロな看板で埋め尽くされていました。
目黒不動入口交差点で山手通を越え、目黒不動尊入口を過ぎるとすぐ近くに、
都立林試の森公園があります。
林試の森公園は、明治33年(1900)に国の施設・目黒試験苗補として
スタートし、その後林業試験場だったところを整備して、平成元年(1989)に
生まれた公園です。
一周2.3kmあるという園内は、林業試験場時代の名残の豊富な樹木に覆わ
れ、幹回りが3mを越える樹木も多く見られます。
公園の一角にある出会いの広場で、13時から15時まで「林試の森のコンサ
ート」が開かれました。この催しのことは、三味線奏者・月岡祐紀子さんのWeb
で知り、やって来たのです。
月岡さんは、1976年目黒区生まれ、幼い頃から民謡を学び、ごぜ三味線の
貴重な継承者にもなり、大学卒業の年に、三味線の奉納演奏をしながら歩いて
の四国遍路をしました。翌年も2度目の遍路をしてその体験をもとに「遍路組曲」
を作曲し、文春新書で「平成娘巡礼記」を著しています。
私は、一昨年3月、四国遍路の途次、愛媛県内海村(現、愛南町)で「トレッキ
ング・ザ空海」という催しに参加し、峠の上の野外コンサートで月岡さんの遍路
組曲を聴き、遍路中で一番の思い出になりました。
以後、月岡ファンになり、昨年夏の大阪と国分寺での演奏会に続き今回、3度
目のコンサートに出かけたのです。
品川区八潮のメンバーによる八潮太鼓のあと、月岡さんをリーダーとする
女楽遊楽所という若い女性7名の和楽器グループが、中国現代曲「斎馬」、中国
民謡「太湖舟」、弘田龍太郎の童謡メドレー、涙そうそうの演奏を行いました。
月岡さんは来月、高野山上の宿坊での演奏会に行く際、弘法大師が通った町
石道(ちょういしみち)を歩いて上ることを、ご本人のWebと「冬青(そよご)風」
のブログ(本ブログのブックマーク)で知ったので、私が昨年3月に同じ道のりを
歩いた際のレポートを、少しでも参考になればと、演奏会後にお渡ししました。
演奏会は続いていましたがコンサート会場を離れて林試の森を一周、公園を出
て近くの目黒不動にお参りしました。目黒不動は天台宗滝泉寺の通称で、1月2日
の七福神めぐりのウオークで初めて来たのですが、それから4か月余りでの再訪
なので、本殿の参拝だけにしました。
裏手に出て、小公園との間の細道を東に進むと滝泉寺の墓地で、その一角に
青木昆陽の墓がありました。
昆陽は江戸中期の儒者で、幕臣大岡忠相の知遇を得て書物奉行となりました。
また、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために「甘藷先生」と呼ばれ、この
墓碑も「甘藷先生墓」となっています。
山手通を越えて目黒川沿いに出て、新目黒橋から川沿いの遊歩道に入りました。
目黒美術館の辺り、1か月前はソメイヨシノが花盛りだったのでしょうが、今は
葉桜のトンネルです。木の下のツツジも咲き始めています。
遊歩道を進んで駒沢通りに入り、次の目的地は代官山交番の近くにある「奈良
県代官山iスタジオ」です。
ここは、奈良県の歴史、文化、観光、産業などを紹介する施設です。イベント
スペースで開催中の、アマチュアカメラマン楠田光信氏の「奈良を想う」~大和路
の伊勢本街道~写真展を観覧しました。
大和路の伊勢本街道の素朴な田園風景や、人々の素顔の生活、伝統行事など
を紹介しており、5月8日(月)まで開催中です(無料)。
館内には、奈良県各地の観光パンフレットコーナーもありますので、ご入用の方
は一度訪ねてみてください。東急東横線代官山駅から西に50mです。
若い女性でにぎわう代官山界隈から、緑が豊富な猿楽町の住宅街を北に抜け、
渋谷駅に16時ちょうどに着きました。 (歩行距離 7km)