あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

この1年の御礼

2008-12-31 21:49:51 | Weblog
 2008年が間もなく終わろうとしています。

 この1年間、たくさんの皆さんが当ブログにを訪問下さり、本当に
ありがとうございました

 お陰様で1年間を通し、ウオーキングを中心にした話題をお届け
することができました。これも、多くの皆さんがご覧いただいている
ということが、当ブロガーの大きな支えになっていたからです。

 2009年も、よりよいブログ造りを目指して行きたいと考えており
ます。今後ともご覧下さり、そして時にはコメントもいただきますと、
一層の励みになりますので、よろしくお願いいたします

 今年後半は世界的な経済不況が一層つのり、厳しい年末となり
ましたが、新年には少しでも好転するよう祈るとともに、当ブログで
も明るい話題が数多く提供できるようにしたいと思います。

 皆さんにとって新年が幸多き年となりますよう、お祈りします。

 写真は、大晦日の日没直後の所沢市内、小手指(こてさし)陸橋
から。中心の山は、秩父市のシンボル・武甲山。下は西武鉄道池
袋線の小手指電車基地です。 


 例年の大晦日、西武鉄道は終夜運転をしていたのですが、今年
は終電の延長と元日の初電を早めるのみということになり、ここに
も厳しい世相が感じられます。

 では、よい新年をお迎えください
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西武鉄道から「2009新春大福わらいきっぷ」発売

2008-12-30 23:11:42 | Weblog
 西武鉄道から、今日12月30日(火)、「2009新春大福(おおふく)
わらいきっぷ」というユニークな切符が発売されました。

 所沢駅の定期券発売所に掲示されたチラシです。


 私もさっそく、西所沢駅で購入しました。これが三つ折りになった
切符の表面。大人用1枚800円です。


 三つ折りを広げた内部は、このようになっていて、最下部の両方向
矢印のついた部分がきっぷです。


 きっぷは2日分あり、ある駅から異なる別の駅への往復切符。
通用期間は2009年1月1日(木・祝)~12日(月・祝)の間です。

 例えば私の場合だと、元日に西所沢駅から池袋駅までの往復と、
11日(日)に西所沢駅~国分寺駅間を往復するのに使うというよう
な利用方法です(これは、実際予定していることでもあります)。

 その場合、下のシールの西所沢のところをはがして、上のきっぷ
部分の両矢印の中間(発駅の位置)に貼り、左側(着駅①)の部分
に池袋のシールを貼ります。右側(着駅②)には国分寺のシールを
貼ります。

 そして、下にある「使用日シール」の①(青)を、上のきっぷの1/1
の位置に貼り、②(赤)を1/11のところに貼るのです。

 この例の場合、西所沢~池袋間往復は660円、西所沢~国分
寺間往復は460円、あわせて1,120円ですから、320円のお得
ということになります。

 上のシールの左下の部分は、福わらいシールで、下の顔に貼れ
ば福笑いになり、きっぷの名称「大福わらいきっぷ」とは、「往復」
と「大福」がかかっていることは、もうお分かりのことでしょう…。


 さらに、このきっぷを見せれば、下記の施設で割引やサービスも
受けられます。


 西武鉄道沿線の方、またその周辺の方など、沿線の初もうでや
七福神巡り、これら施設の利用などに使われたらいかがでしょう。

 発売期間は12月30日(火)から1月11日(日)までですが、
約8,800枚の限定発売ですので、売り切れる恐れもあります。
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2度目の高野山町石道を上がる(和歌山)〈続き〉

2008-12-29 21:23:01 | ウオーキング
 2008年12月2日(日)続き

 神田地蔵堂での昼食を済ませ、町石道の後半に向かう。写真は、
地蔵堂からの神田の田んぼの眺め。


 気にしていたのだが二里石は見つからず、100町石を通過する。
樹林下の気持ちよい土の道が続き、快適に歩を進める。

 再びゴルフ場沿いを少し通過し、90町石を確認した。


 笠木峠周辺は、右側が開けた明るい一角になっていた。72町石の
そばに三里石が立っていた。


 64町石の先では左手が開け、東方の山並みが望まれる。


 左下に車道が近づき、車の騒音が気になり、60町石のある矢立
峠に下った。標高は481m、国道480号際で、名産の柿を売って
いる。


 国道の傍らにある矢立茶屋に入り、抹茶とおやきのセットを注文
して休憩した。

 この抹茶セットは525円。おいしくいただいた。


 茶屋の先から再び林の中に入ると、弘法大師の袈裟掛け石があり、
その先には押し上げ石もある。

 空海が押し上げて、ご母堂の危機を救ったのだという。

 標高600m前後まで上がり、色づいた葉も現れる。


 30町石付近までは上り道が続いた。

 
 緩やかな下りとなり、高野山上まで続いていそうな車で渋滞して
いる国道を横断する。


 展望台と記された東屋があったが、木が伸びて展望はほとんど得
られない。先に休んでいた大阪・摂津市のご夫妻から、グレープフ
ルーツのお接待をいただく。お2人は毎年春秋の2回、日帰りで町
石道を上がるとのことだった。

 町石道は、しばらく国道に並行して進む。鏡岩を過ぎると、小さい
流れ沿いとなり、数個の木の橋を渡った。

 やがて緩やかな上り道となり、10町石を通過し残り1km余りと
なった。


 最後はやや傾斜が強まり、ひと汗かいて15時56分に、朱塗りの
色鮮やかな大門前に上がった。

 大門は高野山一山の総門で高さ25.8m、現在の門は宝永2年
(1705)の再建という。

 3連休の中日とあり、大門前の車道も車で渋滞中。標高848mの
大門付近の気温は、14℃を示していた。

 高野町の町並みに入り、トンネルをくぐって壇上伽藍の北側に回り、
根本大塔の北にある宿坊・西禅院に16時10に着いた。


 西隣の宿坊・宝城院のもみじが色鮮やかになっていた。


[コースタイム]九度山駅8:19ー真田庵8:25~31ー慈尊院
8:50~9:02ー丹生官省符神社9:04~12-展望台9:43
~50ー雨引山分岐10:15ー一里石10:35ー六本杉峠10:52
~11:05ー二ツ鳥居11:26~30ー地蔵堂(昼食)11:45~
12:17ー笠木峠12:59ー三里石13:25-矢立13:43~
14:00ー30町石14:25ー展望台14:45~57-鏡石15:15
ー20町石15:29-大門15:56ー宿坊・西禅院16:10

(天気 晴、距離 23㎞、地図(1/2.5万) 橋本、高野山、歩行地
 和歌山県九度山町、高野町、歩数 37,600)
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2度目の高野山町石道を上がる(和歌山)

2008-12-28 23:27:39 | ウオーキング
 今年も押し詰まりましたが、ようやく11月初めに歩いた高野山町石
道(ちょういしみち)の、レポートの報告となりました。

=============================

 2度目の四国遍路を、2007年3月7日(水)に結願(けちがん)した
のだが、高野山へのお礼参りはせずに帰り、そのままになっていた。

 早くお礼参りをと思いながらなかなか果たせず、1年半余りが経過
した。10月下旬、熊野古道中辺路を歩くことにしたので、この機会を
逃してはと思い、帰りに高野山詣でを計画し、前回同様、町石道(ちょ
ういしみち)を上がることにした。  

 2008年11月2日(日)


 
 橋本市の竹屋旅館にて6時20分に起床する。素泊まりなので、前日
駅構内の柿の葉寿司店で購入しておいた柿の葉寿司と牛乳で朝食を
済ませ、旅館を出た。

 橋本駅構内の店でまた昼食用に柿の葉寿司を、朝食分より数を増や
して求め、8時6分発南海電鉄高野線に乗った。

 8時17分に九度山駅で下車する。町石道を上がるらしい人が何組か
同じ電車から降りたが、皆さっさと先行した。

 県道4号を西に進み、まず真田庵に寄って参拝する。

 真田庵は「禅名称院」といい、豊臣方の知将・真田幸村ゆかりの寺。
境内には父・昌幸の墓や宝物館があり、毎年5月5日には真田祭りが
行われ、真田十勇士などの武者行列が町を練り歩くという。

 丹生橋を渡り、入郷の家並みの間の細い旧道を進む。九度山は、柿
の産地。民家の傍らにつるし柿が並んでいた。


 町石道が歩始まるのが慈尊院。高野山が、年貢の徴収や外部と
の交渉の場として山ろくに置いた寺務所で、後に弘法大師が母公
の没後、伽藍を立て、弥勒菩薩を安置したため、以後、女人禁制の
高野に対し、女人高野とも呼ばれるようになり、女性の参拝客が多
いようだ。 

 多宝塔の横から、上の丹生官省符神社に向かって急階段を上がる。

  
 中ほどに、高野山町石道の始まりである180町石が立っている。
町石は、鎌倉時代に立てたもので、この先1町(約109m)ごとに続
き、高野山の中心、壇上伽藍の根本大塔に向かって、ひとつずつ数
が減って行く。


 慈尊院から119段の石段を上がると丹生官省符神社。空海が慈尊
院を創建のとき、その鎮守社として祭ったもの。社殿は室町末期の建
立で、国の重要文化財に指定されている。

 ご朱印をお願いしたら、地元特産の富有柿のお接待をいただいた。

 179町石の横から高野山へ向かう町石道に入る。緩やかに上って
池の横で車道を横断、柿畑の間を右カーブして行くと、高度が上がり
九度山や橋本市街の展望が広がる。

 間もなく展望台があり、北方や東方の川や橋本の町並みが一望で
きる。しかしやや霞んでいて、遠くの山並みは見えにくい。


 展望台周辺の斜面は柿畑が広がり、町石も畑の隅に立っていた。


 柿の収穫はほとんど終わったようだが、ここには収穫した柿が少し
だけ置いてあった。


 穏やかな日和で11月とは思えぬ暖かさ。さらに進むと、川沿いに
広がる西側の町並みも見下ろせるようになった。

 雨引山(477.3m)への分岐を過ぎ、杉やヒノキの樹林下となり
展望は利かなくなったが、傾斜は緩んだ。


 144町石と並んで一里石が立っている。一里石は、慈尊院からの距
離(36町)を示している。

 ちょっとだけ切り開かれた六本杉峠を過ぎ、樹林下の歩きやすい土
の道が続く。


 上古沢駅への下り道となる古峠は、気づかずに通過し、二つ鳥居に
出た。弘法大師が建立したと伝わる鳥居は、二つとも高さ約6mの花
崗岩製。記録によれば、南西に下った丹生都比売神社の鳥居とされ
るという。

 
 鳥居の手前にある展望台の東屋からは、その神社のある天野の里
の静かなたたずまいが見下ろせる。

 前回は、ここでMさんと昼食をしたのだが、少し早いので先に進む
ことにした。

 鳥居の先から下って行くと紀伊高原ゴルフ場沿いとなり、応其(おう
ご)池の横を通過して神田地蔵堂に出た。

 地蔵堂は、横笛が出家後、滝口入道にひと目会いたい女心から、
時々歩を運んで待ったと伝えられているところとか。堂内には、弘法
大師、子安地蔵、それに応其上人が祭られているという。

 戸数わずかな神田集落が展望できる気持ちよい芝生で、先行の3、
4グループが昼食中だったので、私もその隅にシートを広げ、暖かい
日差しを浴びながら柿の葉寿司を食べた。        (続く)
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寒風の江戸へ

2008-12-26 23:20:06 | Weblog
 この冬1番の寒波で日本海側は大雪のよう。お住まいの皆さんに
は、事故の無いようお祈りしております。

 首都圏も1日中強風と気温が上がらず、厳しい寒さで、外出もため
らわれたのですが、用事があって江戸に出かけました。

 帰ってきて夜は、NHK総合TVで「篤姫」総集編①が夜放映されま
した。その影響というわけでもありませんが、わが家では東京都内
に出かけることを「江戸に行く」と言っています。

 江戸のどこへ行ったか。まずは池袋の東急ハンズです。

 当ブログをご覧いただいているウオーカーの中に、ウオーキングシ
ューズとしてワールドマーチを愛用されている方が、結構おられるの
ではないでしょうか。

 その皆さんは、どんな靴クリームをご使用でしょうか。私は、日本
ウオーキング協会のウオーキングセンターで勧められて、2002年
からドイツ製の輸入品「コロニル・ウオーターストップチューブ」75ml
を使っていたのですが、最近使い切ってしまいました。

 ウオーキングセンターでは最近、この製品を置かなくなったので、
どこかで売っていないか探したのですが、見つかりません。そこで、
輸入元のエス・アイザックス協会にメールで問い合わせた結果、東
急ハンズ各店にあると分かり、買いに行ったのでした。

 6年前と外箱は少し変わりましたが、同じ製品がありました。

 この75mlもので値段は1470円、靴・傘補修用品売り場(池袋店
だと4階の右奥)にあります。

 年内にワールドマーチの靴磨きをして、新年を迎えたいと思います。

 さて次は、家の近くの郵便局でもらってあった招待券を使おうと、大
手町の「逓信総合博物館 ていぱーく」に行きました。

 ここでは、来年2月1日まで『原田泰治「ふるさと心の風景」展』を
開催中です。


 原田泰治画伯は長野県諏訪市出身、1982年から2年半、朝日
新聞日曜版で「原田泰治の世界」を連載して私も知るようになりま
した。

 原田さんの絵は、空・山・風・道などにつつまれたふるさとの暮らし
の風景を描いたものばかり。全都道府県回って画いているとのこと
で、いずれも懐かしくほのぼのとした日本の風景、それも生活感あ
ふれる作品です。

 何日か前に、NHK総合TV「生活ホットモーニング」の「この人に
ときめき」にも登場されたので、ご覧になった方もおありでしょう。


 ていぱーくでは、原田泰治氏が画いた全国各地のふるさとの風景
40点が展示されています。そのほとんどは、ふるさと切手「ふるさと
心の風景」シリーズとして5月、9月、11月に発売された原画でした。

 ちなみにこのシリーズは、来年も2月から3回、計6集まで発行され
る予定とのことです。

 この展示は1階の特別展示場ですが、2階3階の常設展示場も観
覧できるようになっています。常設展示場は郵便、電信電話、放送
などの歴史を中心とした展示で、私のもとの仕事にも関連している
ものもあるので、久しぶりに一巡してきました。


 次に回ったのは日本橋の三越本店。7階の催物会場で28日(日)
まで開催中の「第49回2008年報道写真展」です。

 東京写真記者協会加盟の通信社、新聞社(スポーツ紙を含む)の
腕利きカメラマンが撮った、今年のニュース写真の傑作の数々を観
覧しました。

 中で多かったのは、北京オリンピックの写真。やはりスポーツの
決定的瞬間の写真は、感動も大きいからでしょうか。

 さらに東京駅周辺を2,3か所回ろうかとも思ったのですが、何しろ
風が冷たいのと、17時からNHK BShで放映される「街道てくてく
旅」の四元奈生美さんが歩いた、四国遍路総集編の最終日の番組
を見たかったこともあり帰途につき、17時少し前に帰宅しました。

 この総集編の後半分3回分は、一昨日から同じ時刻に放映され、
昨日は、私の初回の遍路の際にお声がけいただき、大変良い思い
出の機会を作って下された大和郡山市のYさんも登場するなど、興
味深く観覧した3日間でした。

 
 

 



 


 


 

 
 



 



 

 
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熊野古道中辺路の道標②(和歌山)

2008-12-25 21:56:58 | 熊野古道を歩く
 首都圏は今日は暖かでしたが、明日は真冬並みの寒波になりそう
で、生活感とともに厳しい年末が思いやられます。

 少し間が開きましたが、熊野古道中辺路の道標の続きです。私は、
多くの人が歩く滝尻→本宮とは逆に、本宮→滝尻→田辺へと歩きま
したので、その方向に進みます。

============================ 

 熊野古道中辺路の道標(続き)

 熊野本宮大社の地元、本宮の町並みの外れにある大日越道の登
り口にあるもの。

 この先は結構急な坂道を上がり、峠越えで湯の峰温泉に下ります。

 大日越にも、500mごとと思われる1~3の標識が立っていました。


 翌日、熊野本宮大社から中辺路のメインルートである滝尻を目指
します。次の集落・伏拝(ふしおがみ)に向かう杉林の下に立ってい
たもの。ほかでは、この標識は気づきませんでした。


 伏拝集落にあったカラー版道標。このタイプはこの周辺だけだった
ようです。


 林道から杉林を下った、猪鼻王子跡にあるもの。


 発心門王子の西、船玉神社前から湯の峰温泉に向けて、約5.5㎞
の熊野古道赤木越がありますが、その入口、川を渡る橋のそばの
標識。

 この左手で川を渡ると赤木越道、川沿いを右に進めば三越峠へ向
かいます。

 三越峠で車道に出るところに立つ、関所の門をかたどったもの。

 左の屋根は休憩所の東屋。

 近露(ちかつゆ)の家並みの終わりにある近露王子を過ぎ、川を渡
って牛馬童子像のある箸折峠へ向かう登り口です。


 箸折峠付近にある標識。世界遺産の人気にひかれて地図もガイド
ブックも持たない人が来ても、迷わないようにという親切心からなの
でしょうか…。

 こんな標識まで立てなくてはならないというのも考えもの。ほかにも
何か所かありました。

 大坂本王子の先、十丈王子への杉林の中。


 これもそばにあったもの。刻みを入れたのはこの付近だけだった
ように思います。


 このタイプの標識は、ここだけでした。


 中辺路随一の展望台、高原霧の里のすぐ西、高原熊野神社の近
くに立っていたもの。


 中辺路のメインルート、本宮~滝尻も終わりに近づき、あと500m
で滝尻というところに立つ1番の標識です。

 熊野本宮大社に近い祓所王子近くの最終番号は75でした。

 滝尻王寺にある起点標識。ここから500mごとの数字のカウントが
始まっていたのです。


 さらに滝尻から田辺駅まで歩いたのですが、歩く人が少ないため
か、その道すじには熊野古道の標識はほとんどありませんでした。
                             



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厳しい年のクリスマス

2008-12-24 22:16:20 | Weblog
 今日はクリスマスイブ。昨日今日、駅の構内などではケーキの
販売で大わらわでしたが、この厳しい世の中では、「クリスマス
なんか関係ない」という人が多いのではないでしょうか。

 こどもが小さかったころは別として、最近はわが家もクリスマス
が来ても、何することもありません。

 クリスマスに関連するものといえば、玄関先で咲き続けている
クリスマスカクタスくらいのものです。

 別名シャコバサボテンともいうようですが、12月に入ってかなり
前から咲き続けています。


 クリスマスの到来にあわせて、また寒波が来るようですが、この冬
は経済不況と逢わせて、一層寒さがこたえそう…。

 でも、近所のMさんの庭先では、もうロウバイが咲き出しました。

 以前は、ロウバイといえば新年になってしばらくして開花していた
ように思うのですが、昨年も年末に咲きだし、このところ開花が早く
なっているのも、地球温暖化の影響でしょうか。


 地球温暖化で環境変化が進むと、食料や水不足などが一層深刻
化すると思われ、この先が気になるところです

 今年も残り少なくなりましたが、来年は何とかもっとよい年になる
よう期待し、そのために自分でできることは協力したいと思います。

 今日は、いつものウオーキング関連の投稿になりませんでしたが、
実はまだ、年賀状書き(印刷)が済んでいなかったり、締め切りが
迫った原稿造りも進んでいないことなどがあったためなのです。

 それから最近、パソコンの前に座りきりで入力を続けると、目が疲
れるので、少しセーブしようと考えたこともあります。

 そのようなことで、12月に入って投稿ペースが落ちていますが、
過去のレポートを含めて題材はいろいろあるので、投稿間隔は長目
になるかもしれませんが、引き続きご覧下さいますようよろしくお願
いいたします
コメント (2)
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ぐるり一周葛飾探見歩行⑤(東京)

2008-12-23 22:51:19 | 江戸・東京を歩く
 2008年12月23日(火・祝)

 天皇誕生日の今日、やまさんが葛飾区内を10回に分けて順次回
る、「ぐるり一周葛飾探見歩行」の第5回目に参加した。



 集合は、JR常磐線亀有駅。亀有といえば、「週刊少年ジャンプ」
で1976年に連載を開始して以来、全国の人々に愛され続けている、
「こちら葛飾区亀有公園駅前派出所」の舞台である。

 主人公の両津勘吉像が駅周辺に3つあるという。まず北口にある
右手を挙げた両津勘吉像を見てから、南口に回る。 

 南口の本物の交番横にある「両津勘吉 祭り姿像」の前で並んだ
ら、交番から警官が出てきてシャッターを押してくれた。

 集まったのは老若男女?とりまぜた多彩なメンバー11人。

 駅から南に少し、亀有郵便局近くの5差路にも、「少年両さん像」
があった。


 旧水戸街道の上宿から一里塚跡を経て、曳舟川親水公園に出たとこ
ろに、本格的な手打ちそばの店「やざわ」がある。

 この店には8月27日に、やまさん、Hさんと入って昼食をした。

 曳舟川は、江戸幕府が明暦3年(1657)の大火の後、本所・深川
方面の新市街地へ飲料水を供給する目的で開削された水路で、水
源は、瓦曽根溜井(現在の埼玉県越谷市)だった。

 上水の廃止後、篠原村(現四ツ木)から亀有村までの28町(約3
㎞)の水路を利用して「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上
から長い綱で肩にかけて曳くことが始まり、「曳舟川」と呼ばれるよ
うになったという。

 帝釈天参りや水戸街道に出る旅人が利用した曳舟は、江戸東郊
の風物として人気を呼び、多くの紀行文や初代広重の「名所江戸
百景」などに画かれている。 

 曳舟川親水公園は、もとの曳舟川沿いの歩道で、何か所かに東
屋(あずまや)やトイレなどを設けて公園にしてもので、亀有4丁目
から南に3㎞くらい続いている。

 一部には流れも復活し、ビオトープも設けられていた。

 親水公園沿いにあった店。ワンちゃんも入って一緒にお茶を飲め
る?という愛犬家にはうってつけの店らしい。


 親水公園が6差路となるあたりで西に向かい、そばの上千葉砂原
公園に入った。


 園内北東の隅に、D51502が保存されていたが、一部塗装が
はげ落ちていて、保存状態が良好とはいえないのが残念だ。

 このSLは、昭和16年(1941)に国鉄鷹取工場で製造され、奈良、
広島、新鶴見、新津、直江津などの各機関区管内を走り、酒田機関
区で昭和47年(1972)1月に廃車となり、2か月後にこの公園に
保存することになったとのこと。

 走行距離数は、地球を47周に近い約187万7千㎞に及んでいる
という。

 公園の一角に「ふれあい動物広場」もあり、子どもたちがポニーに
乗ったり、モルモットなどの小動物をだっこしたりできるようになって
いた。


 公園の北側には、東京二十三区内では珍しい都立農産高があり、
敷地の隅でアシタバが大きく育っていた。

 上千葉砂原公園の西に伸びる、西亀有せせらぎ公園に入ると、
南米の楽器を演奏している人がいた。

 和楽器の笙(しょう)のようなのはサンポーニャといい、芦の筒を
使っているとのこと。演奏しているのは、竹で自作したケーナだと
いう。

 「せせらぎ仙人」と自称するこの方は、区内に住むサラリーマンで、
土日にここで演奏を楽しんでおられるとのことだった。

 さらに西に続くせせらぎ公園は、イチョウ並木が続いていた。

 かつて、この地は水田を中心とした農耕地で、そのかんがい用水
路や排水路だったところがこの西亀有せせらぎ公園になっている。
 
 東西に延びる亀有せせらぎ公園の西端まで行き、少し先を回って、
北に伸びるもう一つの亀有せせらぎ公園に入った。

 「カンタンの里」と記された一角があり、ほんのわずかなあし原に
「鳴く虫の女王」と呼ばれるカンタンが生息して、晩夏から秋にかけて
きれいな音色を聞かせてくれるという。


 北端まで進み、左折した西側は藤塚西公園。正午近いので、ここ
で昼食とする。少年2人は上で、私は下の段で食べた。


 昼食後は、さらに西の西亀有二丁目へ。JR常磐線の線路の北に
ある都立葛飾ろう学校のそばから古隅田川緑道を進む。もとの川の
流れに沿ったカーブが続いていて、一部は流れが見えている。

 古隅田川は16世紀まで利根川の流末のひとつで、広大な河川敷
だったようだが、利根川が江戸に氾濫を及ぼすために、江戸時代初
期から改修され、江戸川を経て現在の流路に付け替えられた。

 のち、旧河道の古利根川が中川として新宿(にいじゅく)から南流
すると、それまで西流して隅田川へ注いでいた河道は干上がり、河
底部が大きく蛇行して残った。これが古隅田川だという。

 緑道を南に進み、堀切八丁目の香取神社に入った。
 

 別の流れの跡らしい緩やかなカーブの「青葉ふれあい通り」から、
堀切七丁目を都立葛飾盲学校のそばまで進み、小菅三丁目の住宅
地を北に抜け、小菅四丁目の連昌寺に行く。

 境内はかなり広くて木々も多く、山門や鐘楼もあり、かなりの歴史
を持つ寺院らしい。

 綾瀬一丁目と二丁目の間を北に進み、13時50分に亀有の西隣、
綾瀬駅に着き、散会となった。

 今回は、古くからの民家はほとんど見られず、第2次大戦後に増え
たと思われる住宅街だったが、親水公園や緑道が多く、休日という
こともあるのか交通量も少なく、散策によいエリアだった。

 (天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 草加、歩行地 葛飾区)

 
 
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カタツムリ歩行 新秋津(東京・東村山/埼玉・所沢)

2008-12-22 18:21:55 | カタツムリ歩行
 冬至とは思えぬ昨日の暖かさでしたが、明日からはまた真冬並み
の寒さになるとか。風邪を引かずに新春を迎えたいものです。

 その昨日歩いた、カタツムリ歩行の模様です。

============================

 2008年12月21日(日)



 JR武蔵野線の沿線を中心に、18年にわたって順次歩き続けて
いる「カタツムリ歩行」、今年最後の第180回例会に参加した。

 今回の集合地は、JR武蔵野線 新秋津駅。10時過ぎにスタート
する。

 まず、駅の近くにある秋津神社へ。「秋津のお不動」として古くか
ら知られ、創建は元禄12年(1699)以前といわれているという。


 境内には、すっかり葉を落とした大ケヤキが立っていた。


 西武池袋線の踏切を越えて北に向かう。柳瀬川の橋を渡ってすぐ
先の三差路に、お堂に入った上安松地蔵尊があった。

 堂内には、線香やロウソクが用意され、地元の人たちの信仰の厚い
ことがうかがえる。

 柳瀬川付近が都県境。秋津神社は東京都東村山市だが、こちらは
埼玉県所沢市になる。 

 さらに進み、住宅地の背後に見えた斜面林に上がる。

 クヌギが主体の雑木林だが、下草刈りがしてあってよく手入れされて
いた。

 林の北側に出て、上安松の住宅地を西武池袋線の線路際まで進む。
クリスマスの飾りがいっぱいの住宅があり、1階の屋根には、もうすぐ
プレゼントを持って訪ねてくれそうなサンタクロースが待っていた。


 線路に沿って南に下ると、住宅地の中にポツンと、昔ながらの雰囲気
を残す屋敷林と畑が見える。


 西武線のガードをくぐって線路沿いに進むと、こちらにも芝生地の
向こうに雑木林が残っていた。


 雑木林を北に抜け、林に沿って進む。思いがけず、落ち葉がいっぱ
いの気持ちよい散策路だった。


 茶畑の北側にも、クヌギやナラなどの雑木林が続いている。


 北秋津の住宅地に入る角の墓地に、小さいお堂があった。お堂の名
が額になっているのだが、なんと読むのだろうか。山へんにπのような
字だが、パソコンの漢字には入っていないので表示できない。

 別グループで歩いた人も気づいて、地元の人に3人ほど聞いたが、
分からなかったらしい。誰かこの読み方をご存じでしたら教えて…

 南に下って柳瀬川のとんぼ橋を渡る。自動車は通れぬ人と自転車
だけ通行可能の橋である。

 川が都県境なので再び東村山市に入り、秋津町四丁目になる。

 川の南側、地形図上は大きな空白地ですが、新しい住宅ができつ
つあった。近くの奥様の話では、「ここは西武鉄道のグランド跡で、
以前は社内運動会や野球大会などで賑わっていた」とのこと。

 南西側の研修センターのみ残っているが、もとの敷地の3/5くら
いは売却したらしく、最近、強豪ホッケーチームも手放すことが報道
されており、同社の経営環境の厳しさが実感できた。

 ゴールは間近だが、少し時間があるので西側の地蔵堂に回る。し
かし墓地の中にあり入口は鍵がかかっていて入れなかったので入れ
なかった。

 近くの住宅の庭には、春先に咲くミモザの花芽が、もうかなりふく
らんでいる。


 ゴールの氷川神社に11時55分に着いた。ほとんどのグループ
は先着して、すでに昼食中。

 この神社は、「弘仁9年(819)ころ、秋津村竜泉寺にあり村の鎮
守として崇敬された」と記されていたが、そんなに古い歴史があるの
だろうか?。

 現在の社殿は、昭和59年(1984)9月再建の鉄筋コンクリート造
りで、屋根は銅板葺きとのこと。

 昼食後に記念撮影。今年最後の例会とあり28名の参加者だった。


 その後、事務局のDさんから年間参加回数の多い順に完歩賞をいた
だき、その順に小物のプレゼントももらう。

 今日歩いた地域の感想や、年間の思い出などを出し合い、13時に
散会した。

 
 私は、東側にある新秋津駅や西武池袋線の秋津駅には向かわず
西に進路をとり、自宅までの4㎞余りを歩いて帰った。

 (天気 快晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万 所沢)、歩行地 東京都
 東村山市、埼玉県所沢市)
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熊野古道中辺路の道標①(和歌山)

2008-12-20 23:54:19 | 熊野古道を歩く
 10月下旬に歩いた熊野古道中辺路には、世界遺産に登録された
ためか、道標がかなり多く設置されていました。

 そんな道標のいろいろを紹介します。

 新宮から出発して熊野那智大社に向かう海岸沿い、高野坂上り口
の標識です。


 海岸を離れ、小狗子峠へ向かう集落にあったもの。


 峠を下り、国道に出たところが白菊の浜。


 那智駅のそば、補陀洛山寺を過ぎて市野々王子へ向かう川沿い
のカーブ点に立つ。


 熊野那智大社への最後の上り口、大門坂にかかるところ。


 熊野那智大社と隣接する青岸渡寺に参拝し、中辺路の険路、大
雲取越道に入ります。青岸渡寺の横にある階段の標識です。


 大雲取越道には、青岸渡寺を起点として500mごとにこの標識が
立っていて、ここは最初の標識。以下、2,3,4…と数字が増えて
行きます。


 大雲取越道には、この標識がポイントとなるところや、カーブ点など
に幾つも立っていました。


 石倉峠の先に立つ数字標識、このあたりでは石標に代わり木柱に
表示されていました。


 この標識も、分岐か所などに数多く設置されています。


 大雲取越の最高地点、越前峠にあった、ここ独自の標識。


 大雲取越を終え、小口集落の車道へ下ったところにあるもの。


 小口から翌日上がった小雲取越道への入口、小和瀬渡し場跡
付近の休憩所そば。


 小雲取道の石堂茶屋跡近くにあったもの。


 中辺路随一の展望地、百間ぐらの近く。


 この後も幾つもあったので、続けます。
コメント (2)
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