あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

パソコン不具合でしばらく休みます

2017-11-26 17:54:36 | Weblog
11月24日から、パソコンが立ち上がらなくなりました。
原因は、ウィンドウズのシステムファイルが壊れてしまったようです。
どうするか考慮中ですので、しばらくはアップできないと思われます。
また、コメントやパソコンへのメールをいただいても、
返信できませんので、ご了承下さい。
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上田市立美術館・上田城跡公園と別所温泉を訪ねる①(長野)

2017-11-22 18:05:10 | 国内旅行
 前回の投稿とは順序が逆になりましたが、11月8日から9日にかけて1泊で出かけた
信州・上田市内と近郊の別所温泉への小さな旅のレポートです。

========================================

 2017年11月8日(水)  == 上田市立美術館と上田城跡公園へ ==

 JR大宮駅9時58分発の北陸新幹線下り特急はくたか557号に乗り、10時53分
に上田駅に下車した。


 今回は連れ合いの希望で来たのだが、歩く距離と移動時間を短縮するために駅北口で貸
し自転車を借りて目的地に向かうことにした。

 北口の広場には、大きな水車が回っていた。


 最初は、一番の目的地である上田市立美術館に向かう。駅北側から西に下り、JR北陸
新幹線と、旧信越線を第3セクター化した、しなの鉄道の高架下を南西に抜け、「サント
ミューゼ」と呼ぶ上田市交流文化芸術センターと上田市立美術館のある大きな建物に行く。

 サントミューゼの構内にはたくさんのドウダンツツジが植えられていて、真っ赤に紅葉
していた。


 建物の主要部は円形になっていて、長い円形の廊下を進んで上田市立美術館に入る。
      

 ここで開催されている「平山郁夫展 悠久の旅とシルクロードの遺宝」の観覧が今回の
主目的である。
        

     
 本展のリーフレット↑の裏面に記された、この展覧会のねらい


 会場は撮影禁止なので、リーフレットの写真から展示物の幾つかを。第1室は平山画伯
の作品で、「シルクロード」、「平山郁夫と仏教東伝」、「洛中洛外」、「ニッポンの風
景」の4コーナーに分けて、40点の作品が展示されていた。

     
      「朧月夜ブルーモスク」2007年

           
            「白壁二条城」2004年

 リーフレットを飾る「シルクロードを行くキャラバン」の2枚を始め、後にタリバーン
により破壊された石窟などシルクロードを描いた作品、古都京都の寺院、奥入瀬や宮島な
ど、中には見たことのある作品もあったが、観客も少なかったのでゆっくりと観賞するこ
とができた。

 第2室は「シルクロード美術」で、「ギリシア・ローマ文化の吸収」、「ガンダーラの
仏伝浮彫」、「仏・菩薩の姿」、「神々と供養者」、「西域の仏教文化」、「シルクロー
ドの工芸」、「コインに見るシルクロードの歴史」のコーナーに、大小合わせて100点
の歴史的にも貴重な仏像や工芸品、コインなどが展示されていた。

 これらは、幾たびにも及ぶ平山画伯のシルクロードへの旅で収集されたもののよう。

     
     「弥勒菩薩交脚座像」2~3世紀:ガンダーラ  

                   
                   「仏陀立像」7世紀・パキスタン

     
           「円形切子碗」5~7世紀・イラン

 ミュージアムショップでは、会場で見た平山郁夫画伯の複写作品を多数販売していた。


 正午頃に入館してゆっくりと観覧し、13時半頃に平山郁夫展を出た。

 別室で開催中の「信州の木彫 農民美術新作展」も駆け足で一巡する。
       

 こちらも見たら14時を過ぎた。昼食場所を探して北側の「アリオ上田」と呼ぶ大型店
舗に入り、食堂街の中の「鎌倉パスタ」で遅い昼食をした。


    

 この後は、線路を挟んで北側の上田城跡公園に行くことにした。鉄道のガードをくぐっ
て台地に向かって上がり、東側の二の丸橋から上田城跡公園に入った。


 上田城は、天正11(1583)年に真田昌幸により築かれた平城で、上田盆地のほぼ
中央に位置している。塀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城だった
が、2度の徳川の大群を撃退し天下にその名をとどろかせたことで知られ、昨年のNHK
大河ドラマ「真田丸」の舞台にもなっている。

 二の丸跡周辺のイチョウやモミジなどは、よい彩りとなっていた。


 行く手の東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)の右に立つ北櫓


 正面の東虎口櫓門の左手には、南櫓が相対している。


 右手前、堀に沿った桜などがよい彩り。







 櫓門の右手前、北櫓の石垣には、↓真田石と呼ぶ大石がある。

 2代城主真田信之が松代(まつしろ)移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが、
不動だったとの伝説を持つ直径3mの大石で、この真田石を含め城内の石材の大部分は、
市街地北方にそびえる太郎山産の緑色凝灰岩を使用しているという。

 櫓門を入ると正面は、真田神社である。


        北櫓近くのモミジもよい彩り。
       



 まずは真田神社に参拝する。

 
 神社の左側に回ると、壁面に「真田幸村公」と彫られた古木材がある。「信玄公兜松」
と呼ばれるもので、傍らにその由来が示されていたが細かいので省く。
         


 そばに「真田井戸」と呼ぶ古井戸がある。本丸唯一の井戸で、直径2m、深さ16.5m
あり、この井戸には抜け穴があって、城北の太郎山麓のとりでや上田藩主居館に通じてい
たという伝説があるようだ。


 北側の本丸跡に回ると、そちこちのモミジがちょうど見頃で、彩りを競っていた。


      
                 
         

     
 その一角で、第二回上田菊花展を開催していたので一巡して見た。


       
          「管物七本盆養」という花のよう
         

          
            これは「管物ダルマ」らしい
     

         




 そばのモミジも、キクに負けじと色を競っている。










 北に見える山も、太陽が照りだしてよい彩りを見せていた。


 本丸を囲む堀の周辺




 本丸跡を一巡後、東虎口櫓門を出て東側の二の丸跡に回る。珍しいシダレクワがたくさ
ん並ぶ一角があった。


 近くには「小県(ちいさがた)蠶業学校初代校長 三吉米熊胸像」が。

 三吉米熊は万延元(1860)年の生まれ。駒場農学校(現東大農学部)卒業後、長野
県職員になり、蠶業事情視察で2年間渡欧し、帰国後、明治25(1892)年に日本初
の蠶業教育の学校である小県蠶業学校(現上田東校)の初代校長に就任するなど、昭和2
(1927)年逝去するまでの36年間、蠶業教育に情熱を傾け、当時の日本経済を支え
た蚕糸業に寄与した功績は計り知れないという。

 二の丸跡の桜やイチョウ、ケヤキ、モミジなども、ちょうどよい彩りを見せていた。


 公園内にも傾いた太陽が差し込み、青空が広がってきた。


 池の向こうの建物は上田市立博物館。




 「平和の鐘」







 

 夕日が差し込んで、先ほどより彩りがよくなった北櫓や市立博物館、平和の鐘などを振
り返り、16時を過ぎたので上田城跡公園を後にした。
 

     

 上田市役所の北側などを東進し、上田駅から北に延びる通りを南下して駅近くまで戻っ
たら、信州の代表的菓子として知られる「みすゞ飴(あめ)」の発売元があった。

 みすゞ飴本舗の飯島商店で、建物は国の重要文化財に登録されている。

 大正13(1924)年、飯島商店社屋として建築されたとか。木造建築ながら外観は
石造りの用に見えるのは「石目造り」という工法によるもので、外壁のモルタルに小さな
砂利を貼り付けて、石の表面のような造形に仕上げているのだという。


       

 店内に入り、みすゞ飴を購入する。             

 帰宅後にこの写真を見たら日付が昨日のままになっていたが、店では気付かなかった。

 店内も趣ある造りで、置かれていた調度品なども歴史を感じられる物が幾つもあるので、
撮らせてもらった。



        これは古いオルガンのよう。
       

 宿泊するビジネスホテルはすぐ近い。冬型が強まり北風が冷たくなった16時40分頃
に入った。





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湖北駅から手賀沼北岸沿いを我孫子駅まで歩く(千葉)

2017-11-20 18:19:47 | カントリーウオーク
 2017年11月12日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第248回例会は快晴に恵まれた。
風も無く穏やかで、絶好のウオーキング日和である。

 今回は千葉県我孫子市(あびこし)郊外で、10時05分にJR成田線の湖北(こほく)
駅南口をスタートした。


 == 手賀沼に下り遊歩道を西進する ==

 線路の南側、整然と区画された湖北台八丁目の住宅地を西進して、八幡神社に入る。


     
 大きなケヤキやイチョウなどに古くからの歴史が感じられ、本殿には精巧な木組みと緻
密な木彫が施されていた。
     

     

         
 湖北台西小の北側を西進して湖北台九丁目に入り、正泉寺(しょうせんじ)に行く。

 堂々とした本堂を中心に、左手に鐘楼門や大師堂、地蔵堂が、鐘楼門の前には壱萬体子
育地蔵菩薩像が立っている。


     
 ご住職の奥様が出て来られ、寺のリーフレットをいただく。それによれば、もとは法性
寺(ほうしょうじ)と称し、弘長3(1263)年の創建。正泉寺の名は、足利義満が寺
の因縁する奇蹟に驚き命名したとのこと。

 正門は境内北側で、入ってすぐ左(東側)には法性尼(ほうしょうに)の墓がある。

 法性尼は寛元4(1246)年の誕生、父は鎌倉幕府第5代執権の北条時頼で、桐姫と
呼ぶ鎌倉一の姫君といわれたが、武士同士の争いを嘆き、出家して東海道から東北への行
脚中に健康を損ね、17歳で我孫子のこの地で亡くなり、里人の同情と敬慕の念は今も衰
えないという。

 正門を出て折り返し、湖北台十丁目との境の道を南下し、5階建て集合住宅の並ぶ湖北
台七丁目の西側から田園地帯に出ると、広々とした展望に変わる。



 粒のふくらむひこばえの稲が育った田んぼが多く、右手台地上には中央学院高の建物が
望まれる。田んぼの向こうには、かやぶき屋根にトタンを被せた民家も現れた。

 手賀沼北岸を走る車道に出ると、水神宮と天照皇大神宮を祭る小さい社が祭られていた
ので小休止を。
     


 そばの流れに釣り人が数人、竿を垂れていた。その向こう手賀沼北岸との間は、帯状に
田園地帯が東西に続いている。



 民家の点在する旧道を南西へ、柿がたわわに実る先でススキの穂が風に揺れる手賀沼遊
歩道に回り、手賀沼を眺めながら桜並木の続く遊歩道を西進する。







 少し進むと、えさでももらえると思ったのか数羽の白鳥とカイツブリが湖岸に近づいて
きた。



 小さい池が続き、その中にもカイツブリが泳ぐ。



 遊歩道を1㎞余り進み、峠下広場と呼ぶ休憩地に12時ちょうどに着き、昼食とした。


 湖を回る遊覧船もあるようで、昼食中に近くを通過するのが見えた。


 == 鳥の博物館から我孫子駅へ ==

      
 昼食後ミーティングをして、12時45分に出発した。近くの何本かのラクウショウが
たくさん実を付けている。
         





 多くの釣り人が糸を垂れる釣り堀横を過ぎ、次の休憩地、滝下広場を抜ける。


     
 その先の遊歩道にはジュウガツザクラが何本か続き、小さな花を開き始めていた。湖岸
の木の杭にはカワウが並び、羽を休めている。



 広場に色づくケヤキが1本立ち、北側台地下の高野山(こうのやま)集落には大きなか
わら屋根の民家が目に付く。



 プラネタリウムらしい独特の塔がある、手賀沼の水環境の保全啓発施設「水の館」が近
づく。その手前で遊歩道を離れ、車道の北側にある↓我孫子市鳥の博物館に行く。



 館前のピラカンサを背に記念撮影後に入館し、ゆっくりと1時間ほど館内を観覧した。

 日本では初、世界でも珍しい鳥専門の博物館で、手賀沼の鳥の四季の生態ジオラマ、始
祖鳥の化石レプリカ、世界の鳥のはく製見本、企画展「鳥・酉・鶏・とり」など、初めて
知る鳥も数多く、どのコーナーも興味深い展示だった。(入館料300円、70歳以上無
料)








 トキのはくせいは、大正15(1926)年12月に現在の長野県佐久市根岸で、水田
に舞い降りて2羽のうち1羽を捕獲したもので、N家が戦中戦後を守り抜き、当館に寄託
されたという。
        

 車の多い車道を西進して市役所そばの交差点を渡り、台地下を走る旧道に回る。200
mほど先の旧村川別荘が公開されていたので、斜面林中腹の別荘に上がった。

 西洋古代史学者で東京帝大教授だった村川堅固(けんご)氏が、大正6(1917)年
に設けた別荘で、我孫子宿本陣離れ家を移築した母屋(おもや)↑と、堅固自身が設計した
新館↓があり、市民ボランティアガイドに案内してもらった。


 新館内部の一室


 当時は眼下の手賀沼が一望だったというが、現在は敷地の広葉樹が成長し、手賀沼の手
前一帯は建物が増えてその面影は写真で偲ぶしかない。でも、新館周辺のモミジがよい彩
りを見せていた。
     


 斜面林の下をさらに700m前後先には、作家の志賀直哉邸跡がある。台地中腹の敷地
内に母屋の実物大見取り図がコンクリート上に復元されて、東側には趣ある書斎の建物が
残っていた。


 道路を挟んだ斜向かいに白樺文学館があるが、16時が近いので入館は省略する。近く
にあった大正煎餅の木川商店に寄り、当店手造りのせんべいを購入した。


 近くの標識に従い、樹林下の細い急坂を上がり、講道館の開設者で教育者として知られ
る嘉納治五郎の別邸跡に行くが、以前は入れた門は閉じていた。



 道を挟んだ東側は天神山緑地で、「嘉納治五郎が眺めた手賀沼の眺望」写真があり、沼
の向こうには富士山が見えたというが、現在の展望はかなり変わっていた。


 北側の緑一丁目の住宅地を西に抜けて公園坂通りを進み、ゴールのJR常磐線・成田線
の我孫子駅には16時11分に着いた。


 一日中快晴で、立冬を過ぎたとは思えぬ穏やかな小春日和。少人数ということもあり、
これまでの例会にないのんびりゆったりとしたウオーキングを楽しんだ。

(参加 6人、天気 快晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 取手、歩行地 我孫子市、
 歩数 18,500)




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北信濃・飯山と野沢温泉周辺を歩く(長野)(第2日)

2017-11-16 16:41:15 | カントリーウオーク
 2017年10月30日(月)

 == 千曲川右岸の里道と飯山の人形館や寺を巡る ==

 台風22号は関東東方海上を速度を上げて通過して、朝には北海道以東方に進んだが、
日本海に近い北信濃は朝になっても雨が残り、その上に風が強まり今日も雨具が外せそう
にない。

     
 宿泊した、野沢温泉村の民宿まさぞうで7時半から朝食をして、8時50分に宿を出た。


 近くの新田(しんでん)バス停から9時07分発飯山駅行きのバスに乗り、昨日歩き始
めた内野バス停より6つ飯山駅寄りの湯ノ入荘前バス停で、9時20分に下車した。

 近くの老人ホーム、湯ノ入荘に向かう車道の南側を西へ、北に山波が連なる山腹の地図
に無い草道を西進する。


     
 沿道には大きな柿の木があちこちに見られ、いずれもたわわの実を付けている。山腹の
広葉樹も色づき、行く手の神戸(ごうど)集落の向こうに、雨に煙る山並みが望まれる。


 南側一帯にはまだ緑の野沢菜のナノハナ畑が広がる。春には近くの樽川右岸まで、一面
黄色い花で彩られるという。



 神戸集落が近づき、その西側山すそにイチョウの大木が目に入る。地形図上にも「神戸
いちょう」と記されていた。
     
 たくさんの葉はまだ黄葉せず、豊富な緑の葉に覆われていた。手前に見える鳥居と比べ
てその樹高と葉の広がりは、ほかでは見たことのない大樹であることが遠くからも分かる。

        
 そばに行くと鳥居には「銀杏三寶大荒神」の掲額があり、木の右下に小さい社殿が祭ら
れていた。



 「神戸のイチョウ」と呼ぶこの木は、中世から小菅庄内の良蔵坊門前の木と伝えられた
雄木で、胸高幹囲14.7m、樹高36m、長野県内では最大で全国でも上位に入るよう
で、長野県天然記念物に指定されている。


 背後に丸木のベンチがあり、雨も小降りになったので小休止した。


 野沢菜を収穫している畑の横や、たわわに実を付けた柿の木などを通過して神戸集落へ。



 かやぶきにトタンを被せた民家が何棟か残り、ところどころに紅葉、紅葉に色づき始め
た木々がある。



 集落の西端近くで南に向かい、隣の富田集落の中心部を南に抜ける。田んぼと樹林の間
の細道を進むと小屋の下に湧水があり、そばに古い「湯殿山」碑が立っていた。




       
 田んぼと樹林の間の道の中ほどで飯山市から木島平村(きじまだいらむら)に入り、最
初の集落和栗へ。この集落にも何棟か、かやぶきに赤いトタンを被せた民家が目に付いた。



 集落を南に抜けて、田園地帯をさらに進む。右手前方に幾つか建物の並ぶ下髙井(しも
たかい)農林高校が近づき、11時15分に校内に入った。




 ここは、Yさんがかつて2度勤務され、最後は校長を勤められたとのこと。休憩を兼ね
て教室に入り、教え子で現在は生徒指導をされているというN先生から、制作された特製
の和紙や、木や竹、わらなどで作った作品などの説明をしていただく。


     
 さらに校地内も案内され、最近作ったという水車や、チェンソーによる木彫のミミズク、
当地の緯度・経度標石、小学唱歌「故郷」「もみじ」などで知られ近くの中野市出身で野
沢温泉村で没した文学博士・高野辰之作詞の校歌の碑なども説明していただいた。
         






 南側に大きな屋根の寺を眺め、近くの農林高校バス停に行き、12時05分発飯山駅行
きバスに乗る。

この頃には天気は回復して、青空が広がってきた。バスは西進して樽川と千曲川の中央橋
を渡って飯山市街地に入り、すぐの福寿町バス停で下りた。

 「銀座の柳二世」の標識の下がる街路樹沿いに進んでJR飯山線の線路を越えると、す
ぐ先が次の目的地の「高橋まゆみ人形館」↓である。


 まずは展示棟とは別棟の食事処「味蔵 月あかり」に入り、Yさんが予約していた飯山
の郷土料理をおいしくいただく。
     
 料理の膳にはお品書きがあり、各料理の説明が記されていた。


 食事を済ませて13時15分に展示棟へ。ガイドの鈴木さんから説明を受けながら三つ
のギャラリーと映像コーナーを回り、懐かしい野良着姿や普段着姿の、生活感たっぷりの
爺さん婆さんや子どもなどの人形を14時まで観覧した。

    
 館内は撮影禁止なので、もらったリーフレットからそれらの何点かを紹介する。
       

           

                 

 ちなみに、人形作家の高橋まゆみさんは飯山市在住、通信教育で人形創りの基礎を学び、
試行錯誤を重ねて現在の創作人形にたどりついたとか。ユザワヤ創作大賞などを受賞され、
2003年から全国巡回展を展開し、この人形館は2010年に開館したという。



 人形館を後にして、西側を南北に走る愛宕町雁木(がんぎ)通りに入り、歩道を新しい
雁木に覆われた通りを南下する。この通りには幾つもの仏壇店が連なっていた。


 坂上交差点で右折して山際に上がり、北側に連なる寺院を巡る寺巡り遊歩道を折り返す
ことにした。
     


 最初の称念寺は、たくさんのモミジが境内を埋め尽くし、何れもよい彩りになっていた。


 東に接する妙尊寺の本堂屋根は独特の造りで、開山は親鸞の弟子の宗諦とのこと。
     
 本堂前には、第17世住職で明治45(1912)年1月に発祥の飯山一本杖スキーの
元祖だという、スキー姿の市川達譲の立像がある。
       


 次の光蓮寺は、どっしりしたコンクリート造りの本堂を見上げながら通過し、東側の寺
巡りお休み処「奥信濃」に入る。



 正面に飾られた本尊の不動明王は、戸隠の無動寺からのもので、室町時代の作とか。ほ
かに仏壇や木工品などが展示され、寺巡り七福神関連の商品を販売していた。

 トイレには、平成4(1992)年に完成したという金箔1万枚を貼った純金極楽トイ
レがある。


 東側下部を少し迂回して上がると常福寺。どっしりした山門を入った右手に、まだ緑の
葉を付けた大イチョウが立ち、境内はおびただしい数のギンナンで埋め尽くされていた。


 隣接する西念寺には、背の高いシダレザクラが目に付くが、寄らずに通過する。


 さらに進むと、杉木立の多い境内は神明宮とも呼ぶ伊勢神社で、本殿と秋葉殿、天満宮
の三つの社殿が石積みの段上に続いていた。

 明治廃藩まで、歴代飯山城主からの社領寄進があったという。

 次の本光寺の本堂は、かやぶき屋根をトタンで覆っていた。背後の墓所には、江戸時代
に領内の水路、水田の開発に多大な功績を残した野田喜左衛門の墓があるとか。


 少し離れた妙尊寺は、簡素な本堂で境内も質素なたたずまい。遊歩道際のモミジが色づ
いていた。


 さらに離れて最後の大聖寺に回る。石段の上に大きな本堂が構え立ち、境内の何本かの
広葉樹が黄葉の彩りを見せている。



 石段下の地蔵堂には、弘化4(1847)年の地震で亡くなった霊の供養のために作ら
れたという、黄金石地蔵と呼ぶ地蔵尊が祭られていた。


 寺巡りを終え、大聖寺の下を東進してJR飯山線の踏み切りを渡り、15時03に無人
の北飯山駅にゴールした。


 雨が上がった正午過ぎから何か所かでにじが見られたが、駅近くでも最後のにじを見た。



 15時42分発の長野行きに乗り、長野駅には16時34分に着いた。私とNさんご夫
妻は先発の16時45分発北陸新幹線上りで大宮に向かい。ほかの皆さんは17時09分
発で帰途についた。

(天気 雨後晴、距離 4.2+2.3=7㎞、地図(1/2.5万) 往郷(おうごう)、
 飯山、歩行地 飯山市、木島平村、歩数 14,200)




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北信濃・飯山と野沢温泉周辺を歩く(長野)(第1日)

2017-11-15 15:50:34 | カントリーウオーク
 2017年10月29日(日)

 埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの「特別例会」と称する1泊のウ
オーキングは、台風22号接近による風雨が懸念されたが、予定通りに実施した。

 == 小菅神社・北竜湖から野沢温泉へ ==


 10時33分着の北陸新幹線下り、はくたか555号で飯山駅に下車した。長野から先
着のYさんの出迎えを受け、用意してもらった弁当を受け取る。本降りなので雨の完全装
備をして、10時50分発の路線バス野沢線に乗る。

 飯山の市街地を北へ、雨で濁る千曲川の中央橋を渡る。右岸の集落沿いを北上して11
時20分に内野バス停で下車した。
 
 近くにあった小屋でYさんから今日のコースの説明を受け、11時32分に出発した。

 車のほとんど通らぬ車道を南へ、緩やかな上りが続き、道路沿いのハゼなどは紅葉の彩
り。沿道のあちこちにある柿の木は、どれも鈴なりの豊作である。
    


 次第にガスが濃くなり視界は100m以下か、行く手もはっきりしない。標高444m
の十字路際に、周辺から集めたらしい庚申塔などが10基近く並んでいた。


 十字路を左折して東に少し、小菅(こすげ)集落の西端に元隆寺の西大門である仁王門
があった。

 元隆寺は、中世に戸隠、飯縄と並ぶ三大霊場として栄えたとか。仁王門の両側に金剛力
士像が立っている。建物は元禄10(1697)年頃の再建と考えられているようだ。
     

 ちなみに、この辺り一帯は国の「重要文化的景観」地区に選定されていて、仁王門の横
にその標識が立っていた。

 小菅の文化的景観は、修験道の中心地だった小菅山及びその参道沿いに展開した計画的
な地割りを示す景観地で、カワまたはタネと称する池など特徴的な水利を伴う生活・生業
によって形成された景観のようだ。


 小菅集落の中心部に向かうと、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が幾つも見られる。
火の見やぐらの横を左へ、スギの並び立つ石段を上がり、小菅神社里宮本殿に参拝する。
     

 小菅神社は、古来から戸隠山、飯縄山とともに奥信濃三山と称され、小菅山山頂近くの
奥社とともに小菅山元隆寺と号しているとか。

 桓武天皇の御代に坂上田村麻呂が東征の折、戦勝祈願するなど朝廷との関係が厚く、平
城・嵯峨天皇の勅願所となったという。近年は商売繁盛、開運、交通安全、工事安全、学
業成就、厄除けなどの神徳で、多くの信仰と参拝を集めているようだ。

 里宮本殿は、万治3(1660)年に飯山城主、松平忠倶により改築され、大正12
(1923)年に大改築して現在の建物になり、付近には神饌殿、神楽殿、神馬殿なども
ある。



 里宮本殿の下にある、講堂の屋根下を借りて昼食をすることとした。12時時25分頃
腰を下ろし、Yさんに用意してもらった北信濃伝統の味という、ぜにがめ堂の「笹ずし」
をいただいた。
     

 講堂の再建年は不明だが、元禄10(1697)年に飯山城主の松平忠喬が修復した記
録が残るとか。堂内に、享保17(1733)年の造立という↓金色の阿弥陀如来像を中
心に、やはり金色の観世音菩薩と勢至菩薩が並んでいた。
     


 講堂前の広場には六地蔵や古い石仏が並び、葉の落ちた↑イトザクラの古木が雨に濡れて
いる。道路の南側には、かやぶき屋根の民家も1棟だけ残っていた。


 昼食を終え、集落の中心を貫く道をさらに上がると三の鳥居が立っていた。その先から
は、奥社に向かって急坂の両側に県天然記念物の杉並木が延びている。
   

 鳥居の左手前に、講堂前広場のと並びこの近辺では横綱級という、樹齢200年以上と
思われるイトザクラの古木が立ち、春には薄い桜色の見事な花をつけるようだが、いまは
葉がすっかり落ちていた。
       

 講堂付近まで戻り、北に延びる北竜湖への道に向けて13時21分に出発する。わずか
な家並みを抜けると山道となり、あちこちの広葉樹が色づき始めていた。
     

   

 少しずつ高度を上げながら北西に向かい、ピークからはU字状に折れて北東に向きを変
え、北竜湖の南西端近くまで下った。
              
 湖畔に「いいやま北竜温泉 文化北竜館」と呼ぶ大きな日帰り温泉施設があり、駐車場
際のモミジなどが鮮やかな彩りを見せる。
     

        


 三方を山に囲まれた北竜湖の周辺はまだ緑が濃く、雨が止んでしっとりした彩り。北竜
湖は、南側が乙女池と呼ぶ自然の池だったが、江戸時代に西側に堤防を築いて水面を広げ
て北竜湖としたとか。「長野の自然百選」に選定されているようだ。



 日帰り温泉の下側にはかやぶき屋根の大きな曲り屋があり、その間の駐車場から、はる
か下に田んぼや千曲川右岸に近い柏尾集落だろうか、集落の家並みや丘陵などが雲の下に
広がるのが望まれた。






 湖を背にして記念撮影をして、日本画のような風景を眺めながらしばし休憩する。






 曲り屋の表には、「北竜湖資料館」の看板がかかっていた。東京の文化学園服飾博物館
が収集した、日本全国の民芸品や玩具の一部を展示し、2階はロシアと周辺諸国の民芸品
を展示しているという。建物は、江戸時代後期建造の飯山の旧家を移築したようだ。


 さらに少し下ると「北竜湖の館」と呼ぶ建物があり、ボートや釣り具を借りたり、食事
などができる施設ようだ。ここで再び雨となったので雨具を付け、北竜湖岸から離れた。

 山すそのカーブ道を少しずつ下って行くと北竜湖スキー場があり、リフトは外されてい
たが2本の急斜面のゲレンデが望まれた。


 近くには、枯れて赤い実の付くアスパラガスの畑が広がる。


 さらに緩やかに下り、野沢温泉に通じるバス道路の北竜湖入口バス停際に出た。東側眼
下に前坂集落や刈り入れ前で色づく棚田が広がり、その向こうに野沢温泉に通じる家並み
や、温泉を挟む山並みなどが一望である。





 バス道路から下の旧道へ少しの急坂を下り、前坂集落に向かって上がって行く。この辺
りは豪雪地帯なので消火栓の高さは3m前後はありそうで、無雪時と積雪時用の二つのホ
ース接続口がある。
     

 近くの流れは降り続く雨で水量が多く、激しい音を立てて流れ下っていた。


     
 次の中尾集落でバス道路に合し、中尾観光案内所の横に「野沢菜発祥の地」と記された
大きな漬物樽が目に付く。そばに、野沢菜や柿などの並ぶ「湯のさと市」と呼ぶ農産物直
売所もあった。



 両側に民宿など建物が増え、路傍には古い石碑や道祖神などがあちこちに立ち、特産の
野沢菜の畑も増えてきた。
     

        



       
 坂道は次第に斜度が増し、大きな道祖神のあるY字路でバス道から右に入り、15時
34分に宿泊する「民宿まさぞう」に着いた。

 濡れた雨具を脱いで土間の建物に並べて、部屋に入る。多くの皆さんはさっそく入浴し
て、幹事部屋でアルコールを口にする。

 私は17時近く、Yさんと温泉街の北西部にある村営の温泉「塩釜温泉公園ふるさとの
湯」に向かったが、スリッパで行ったので止まぬ雨で靴下が濡れた。でも久しぶりの温泉
で暖まり、帰りは女性4人とも合流して宿に戻った。

     
 夕食はいろりのある大部屋で18時半から。宿のご主人Iさんは、Yさんが下高井農林
高時代の教え子とのことでご挨拶いただく。Nさんの音頭で乾杯して楽しみの宴が始まる。


     
 大きなナメコやクリタケ、エノキなど何種類ものキノコや豆腐、ネギなどをたっぷり鍋
に入れ、馬刺しやイワナの刺身、野沢菜漬けなどをいただきながら20時頃まで歓談した。

(参加 15人、天気 雨、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 往郷(おうごう)、野沢温
 泉、歩行地 飯山市、野沢温泉村、歩数 15,200、累積標高差 上り約360m、
 下り約180m)




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第40回記念 日本スリーデーマーチ 第3日(埼玉・東松山)

2017-11-12 22:25:08 | ウオーキング
 2017年11月5日(日)  == 都幾川・千年谷ルート ==


 最終日、気温は低めながら初日同様の快晴に恵まれました。今日は10㎞コースに参加
の予定ですが、前日と同じ東松山駅着7時45分の電車で行き、中央会場の松山一小を8
時12分にスタートしました。


 昨日のゴール間近に南側を通過した、ボッシュの広い工場の北側を西進して、おため池
の横を抜け、関越自動車道と国道254号の上を超えて、唐子(からこ)中央公園へ。

 例年同様に唐子地区商工祭を開催中で賑わっていて、開催回数も日本スリーデーマーチ
と同じ第40回です。


 入口に近いテントで、殻付き落花生のつかみ取りをしていたので私もその列に並び、つ
かみとったのを袋に入れてもらいました。

 別の店では、大きなスコップ一杯ですくった量の殻付き落花生を500円で販売してい
たので、これも購入して、しばらくはピーナッツを味わえそう。


 公園の西側にある湯茶接待のテントでお茶と梅干しをいただき、その先に回ると、この
地を舞台にした児童文学全6巻からなる、打木村治作の大河小説「天の園」をNHK朝ド
ラマ化を目指す署名活動の間を通過して公園を抜けました。


 ここで20㎞、30㎞コースと分かれます。公園の南側の林には淡い色のサザンカが。
     

 段丘を下って行くと、民家の前で取り立ての柿やユズなどを販売していました。


     
     
          そばの畑のキクの彩り。
          

 公園でコースの半分となり、折り返して東に向かう畑の中に1本の大きなユズの木が。
       

 近くの民家は、かやぶき屋根の形を残すここ比企(ひき)地方の昔からのスタイルで。


 その先1㎞ほどは、南側に田んぼの広がるエリアを進みます。


 10㎞コースのスタート時間前に出発したので、まだこのコースのウオーカーはわずか。


 西方をふり返ると、少し霞んではいますが今日も外秩父の笠山や堂平山が望まれます。


 関越自動車道の手前の民家で甘柿を販売していたので、購入(1袋100円で5個入)
しました。



 関越自動車道をくぐって東側に回れば、北に東松山市立南中の校舎が目に入ります。
 

 この中学校は、一昨年のノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章(かじたたかあき)さ
んの母校です。


 校舎の北側が、10㎞コースのチェックポイント。


     
        校舎の入口横に、梶田隆章さんの受賞記念碑が。
       

 校内には、附川1号墳と呼ぶ直径13m、高さ2.1mの円墳が残されています。
    
 

 近くの上郷集落の鎮守、氷川神社前を通過すると、やはり比企地方に多かった養蚕農家
の代表的な造りの家が2棟並んでいました。




 そばの畑のキクなど


 国道254号に向かう道沿い、ある農業関係団体の畑で焼き芋のサービス中で、ウオー
カーが並んで焼けるのを待っています。


 国道254号・川越街道をこ道橋で越えました。


 間もなく東松山の市街地に入り、もとボッシュの工場だった広大な空き地の西側を通過
して、東松山駅を南から北へと抜けました。


 中央会場・松山一小には、早めの11時45分にゴール。


 完歩賞や、3日間完歩23回目の数字完歩賞(バッジ)をもらいました。
     

 ステージとステージ前では、歓迎のブラスバンドの演奏中。


 最終日の中央会場も、ウオーカーと地元東松山市民などで大賑わい。




 いつも芋煮や味噌汁などをサービスしていた朝日新聞のブースでは、今年は代わりに抽
選をしていたので入り、1分間の天声人語の書き写しにトライした後、抽選器を回したら
1等賞の赤い玉が出て、その記念品をもらいました。
       
 帰宅後開けてみたら、スリーデーマーチの40回記念メダル、私にとってもよい記念品
になります。

 会場を一巡後、隣接する市役所と道路を挟んで南側にある東松山総合会館1階で開催中
の、「第40回記念大会日本スリーデーマーチ写真展」を観覧することにしました。




 第20回記念大会の1997年には、長寿姉妹で知られた105歳のきんさん・ぎんさ
んが来られています。
     



     
 この大会の普及と発展に尽力され、育ての親ともいえる元大会委員長で元東松山市教育
長でもあった田口弘さんのメモリアル展示も。
     
 詩人でもあった田口さんは、毎年9月頃の朝日新聞埼玉版紙上に、日本スリーデーマー
チへの想いの詩と文章を投稿されていたことが思い出されます。上は田口さんの自筆原稿。

     
 大会の記録誌や、過去の大会の参加者への参加記念品やゼッケン、回数バッジなども展
示されていました。


     

          

 13時からの完歩パレードは見ずに、東松山駅13時03分発東武東上線上り電車で早め
の帰途につきました。

 (天気 快晴、距離 12㎞、地図 大会地図、歩行地 東松山市、歩数 21,400)


 なお、3日間の大会参加人数は、翌6日の朝日新聞朝刊・埼玉版によれば以下の通りで、
10万人を超えました。




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第40回記念 日本スリーデーマーチ 第2日(埼玉・東松山)

2017-11-06 20:51:45 | ウオーキング
 2017年11月4日(土)  == 和紙の里・武蔵嵐山コース ==

 2日目も好天となりました。今日は20㎞コースに参加することにして、東武東上線の
東松山駅に7時45分に着き、東松山市役所の隣にある中央会場の松山一小を8時18分
に出発しました。


 まずは北に向かい、昨日もゴール近くに通過した県立松山高の正門前を左折してしばら
くは西進することになります。

 松山高の西側に残る古い建物は松山高校記念館で、旧制松山中学校舎の本館の一部を残
したもの。

 大正12〈1923〉年の建築で、創立80周年記念事業の一環として整備され、「教
育資料館」として平成16〈2004〉年に開館したようです。

 森林公園駅方面に向かう道筋で、背中にたくさん人形を背負って歩く高齢の男性ウオー
カーが。
       
 「自作されたのですか?」と声をかけたら、「ボケ防止につくっている」といわれ、や
はり自作された幸せを呼ぶという、フクロウの小さいアクセサリー↓をいただきました。
           


 森林公園駅北口を通過して間もなく、今日も柿のたくさん実る住宅や畑が。




 その先で市野川(いちのかわ)の高橋を渡り、左岸沿いの土の道を西進します。





 
 川の北側沿いは田んぼが続き、稲架〈はさ〉掛けの残る水田も。



 1.5㎞前後左岸沿いを行くと、羽尾平集会所前広場で例年通り湯茶接待のテントがあ
り、甘酒やお茶、あめなどのサービスをいただきました。
     

 地元滑川町〈なめがわまち〉のチンドン屋さんが、懐メロの演奏で激励してくれます。


 近くには頭を垂れたピラカンサの実が。


 今日も、外秩父の傘山や堂平山などの山並みが望まれます。


 上市野川橋で市野川を離れ、武蔵嵐山(むさしらんざん)駅近くの家並みがふえ、その
一角にある鬼鎮(きじん)神社へ。ここは30㎞、40㎞コースとの分岐点です。


 拝殿の前には、鬼ゆかりの鉄棒(かなぼう)がたくさん奉納されています。
  

 神社横の車道にある嵐山町(らんざんまち)のマンホールふたのデザインは、町に生息
する国蝶のオオムラサキやホタルなど。
     


 東武東上線のガード下を抜けて南へ、弁天池のある公園前↑を通過して菅谷(すがや)小
と菅谷中の間を通過して国道254号バイパスに向かう歩道にも、国蝶オオムラサキをデ
ザインしたタイルが幾つも埋め込まれています。
     

 国道254号バイパスを歩道橋で超えれば、20㎞コースのチェックポイントでがある
国史跡の菅谷館跡(すがややかたあと)です。


     

 菅谷館跡の一角にある県立嵐山史跡の博物館前広場では、休憩したり昼食をするウオー
カーが。11時前後だったので、私はもう少し歩いて昼食することにします。



 ここからは、ゴールに向かって東進することになります。隣接する国立女性教育会館の
構内は桜やケヤキなどの彩りが見頃になっていました。     
     



 女性教育会館の講堂入口側ガラス面に映る、ケヤキなどの彩り。


 緩やかに斜面を下ると、南側眼下にススキや束ねた稲わらなどの穏やかな展望が。




 近くの竹林を上がって再び台地上に出た集落にも、鈴なりの柿が。


 近くの皇帝ダリヤが、もう花を開いていました。


 「原爆の図」を展示する、丸木美術館の北側を通過します。


 近くの草むらで遊ぶヤギさん。


 唐子(からこ)中央公園に12時15分に入り、野球グランドのそばで昼食をして、
12時44分に公園を出ました。

 間もなくの、信号のある交差点際のマユミの彩り。


 10㎞コースと合して国道254号と関越自動車道の上を越えて、虎御石と呼ぶ大きな
石碑の立つ池の横を通過しました。池には弁天堂が祭られています。


 東松山の市街地に戻り、自動車部品メーカー・ボッシュの広大な駐車場や工場前を通過
して、東松山駅の西側にある箭弓(やきゅう)稲荷神境内を西から北に抜けました。


 中央会場には14時07分にゴールしました。ステージとその前では、県立松山女子高
書道部の書道パフォーマンスが進行中。




 ウオーキング靴のムーンスターのブースでは記念撮影ができるので、私も久しぶりに撮
ってもらいました。
       

 会場は、ゴールしたウオーカーなどで今日も大賑わい。


 会場内を一巡してから駅に向かおうとしたら隣の市役所前広場に、中山道ウオークの時
に1度だけお会いした竹樋パパさん・ママさんのお二人が見えたのでお声がけしました。
     
 いつもお揃いの菅笠とユニフォームであちこちを歩いておられ、活発にアップされてい
お二人のサイトでいつも拝見していたので、11年ぶりの再開ですが、すぐに分かりま
した。

 好天だった午前から、午後は次第に雲が増えて風が冷たくなりましたが雨にはならず、
東松山駅発14時57分の上り電車に乗りました。


(天気 晴、距離 21㎞、地図 大会地図、歩行地 東松山市、滑川町、嵐山町、歩数
 34,800)




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第40回記念 日本スリーデーマーチ 第1日(埼玉・東松山)

2017-11-05 21:48:38 | ウオーキング
 2週間アップできませんでしたが、10月29日(日)~30日(月)には長野県北信
濃への1泊のカントリーウオークに出かけました。そのレポートづくりが遅れているので、
先に11月3日~5日に参加した第40回記念 日本スリーデーマーチの模様を先にアップ
します。

========================================

 2017年11月3日(金・祝)  == 吉見百穴・森林公園ルート ==

 第40回の記念大会となった国内最大のウオーキング大会である、日本スリーデーマー
チの初日は快晴に恵まれました。 私がこの大会に参加するのは28回目です。

 加齢に伴い歩く速度が年々遅くなっているので、今回の初日は10㎞コースに参加する
ことにして、例年よりゆっくりの9時過ぎに会場に到着しました。


 大会の中央会場である松山第1小では、プロ野球・埼玉西武ライオンズの応援メンバー
が激励のダンスを披露中。東松山市観光大使などに見送られて9時48分にスタートです。


 市街地を北へ県道391号を進み、市の川小の近くで市野川の橋を渡りました。向こう
に見える校舎が市の川小です。
     

 その先には柿の木が多く、多くがたくさんの実をつけていました。



 下流の20㎞コースの吉見百穴近くで市野川に合流する、滑川(なめがわ)の橋を渡り、
西に向かいます。



 この先しばらくは、広々とした田園地帯を抜けて行きます。


 行く手に、外秩父の名峰、笠山や堂平山、そして秩父のシンボル武甲山の頭などが望ま
れました。

  武甲山               堂平山        笠 山     


 この地、比企(ひき)地方の古くからの代表的な造りの民家。2階はかつて養蚕に使わ
れていたと思われます。




 西側に西明寺沼のある西明寺で小休止しました。


 コースは1㎞余り、滑川の左岸沿いに。




 向こうの木々の下に、森林公園南口から折り返したウオーカーの姿が。


 折り返し点の国営森林公園南口の、駐車場周辺はケヤキなどの黄葉が見頃に。
     





 毎年おなじみ、バグパイプでの懐かしいメロディの演奏を今日も聞かせてもらうことが
できました。
        

 10㎞コースのチェックポイントになっている、国営森林公園南口に11時44分に入
ります。



 多くのウオーカーが昼食中、私もこの近くで弁当を広げました。



 毎年、南口を入ったところで開催していた菊花展は今年はないので、12時12分に南
口を出て、南口駐車場周辺の紅葉を見ながら森林公園駅へのコースに向かいます。
     

 森林公園駅に向かう自転車道と歩道の東側に沿った側道を進むと、田んぼの中に毎年掲
示されているスリーデーマーチ歓迎の幕が今年も。




 東武東上線の森林公園駅北口付近を13時ちょうどに通過して東へ、東松山市の中心街
近くに戻り、埼玉県立松山高の正門前を通過します。今年もたくさんの垂れ幕が下がって
いました。


 ボランティアの中学生から歓迎のハイタッチを受けて、13時40分に中央会場の松山
一小にゴール。


 中央会場は、ゴールしたウオーカーや市民などで大賑わい。




 ステージでは14時から、埼玉県コバトン健康マイレージPR大使という堀尾正明アナ
のトークショーが始まりました。
       

 それを見ながら会場を後にして駅に向かうと、近郊の市などから参加したよさこいソー
ラン踊りの競演中。








 東松山駅14時33分発の東上線上り電車で帰途につきました。暖かな今日は気温が上
がり、乗換えた川越市駅の15時近くの温度計は23℃でした。

 (天気 快晴、距離 13㎞、地図 大会地図、歩行地 東松山市、滑川町、歩数
  21,100)


 〈後記〉なお、第1日の参加者は以下の通り31,875人でした。





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