あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…
2013年6月1日(土)(続き)
モン・サン・ミッシェルの岩壁上に建てられた修道院の外観を眺め、その下を回って
サン・ピエール教会の入口を出た。
教会の下に続く島内の家並み。
参道の土産店でビスケットなど名物の買い物をしたり、土産店をのぞいたりして門を
出て、シャトルバス乗り場に向かう。
モン・サン・ミッシェルの名物、大型オムレツの店の看板。
もう一度度振り返り見るモン・サン・ミッシェル。
展望テラスから眺める観光客の姿も望まれる。
シャトルバス乗り場の手前に、近隣の都市行きのバス乗り場がある。
海の景観を復元するための工事現場。
鉄道線路の路盤造りが進められている。
シャトルバス↑に乗り、昼食をしたレストランのそばの駐車場に戻る。レストランの近く
には、幾つかの土産店やスーパーがある。
駐車場を14時55分に出発して、バスは一路パリに向かう。パリまでは約370㎞で
ある。
広大な草地の向こうに、いま上がってきたモン・サン・ミッシェルが望まれ、次第に遠
く離れて行く。草地ではたくさんの羊や牛が草を食んでいる。
国道N175号から高速自動車国道A84号(欧州道路E401号)に入ると、それら
もいつしか視界から消える。
緩やかな丘陵を東北に向かい、さらにパリへのA13号(欧州道路E44号)に回る。
沿道にほとんど見えなかった民家の姿も、次第に増えてくる。2時間近く走行して、
17時55分にパーキングエリアのような場所でトイレ休憩した。
19時近く、パリ市街が近づき高速自動車国道は滞してきた。
ヴェルサイユ地区に入って19時10分頃バスを下りて、A13号線の沿道にあるレス
トランで夕食をする。
20時半にレストランを出た。
A13号線は市街地に入ると、何か所かで地下道になっている。パリの中心部となり、
正面に凱旋門が見えてきた。21時近いがまだ明るい。
パリ市街の南東部、ヴァンセンヌの森に近い連泊する最後のホテル、ベスト ウェスタ
ン ル サン モーリス(Best Western Hotel Saint Maurice)に、21時27分頃到
着した。
(歩数 8,800)
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2013年6月1日(土)
前日同様5時半に起床、6時半からホテルのレストランで朝食をして、6時半にトゥー
ル中央駅横のアリアンスホテルを出発する。昨日は曇りがちだったが、今朝は好天である。
今日は、モン・サン・ミッシェル(Mont St. Michel)を経てパリまで約655㎞の長旅
なので、ドライバーも昨日までのAさんに加え、ANさんとの2人体制になる。午前中に
向かうフランス北西部のモン・サン・ミッシェルまでは、トゥールから北西に約285㎞
である。
欧州道路E502号(高速自動車国道A28号)を北進する。今日も沿道にはエニシダ
のような黄色い花が見られる。1時間半ほど進んでトイレ休憩した。
さらに欧州道路E50号(高速自動車国道A11)からA84号、県道D155号など
を通過する。沿道には、ホルスタイン牛の牧場が目に付いた。
モン・サン・ミッシェルに近くなると、この地方に多いというヤドリギがあちこちで見
られる。
丘陵地帯を抜けて麦畑などの平原となり、遠方にモン・サン・ミッシェルが見えてきた。
近くまで進んでトライばーさんは、牧草地のところでバスを止めて短時間の写真撮影時間
を設けてくれた。
世界遺産の中でも日本女性には一番の人気観光地というだけに、その姿に感動して皆が
シャッターを押す。
その場所から10分ほどで、11時18分にモン・サン・ミッシェルの駐車場に着く。
少し早いが観光の前に、そばの「La Bergerie」というレストランでオムレツ料理の昼食を
する。
オムレツは、古くからここを訪れる巡礼者のために考え出された栄養料理で、モン・
サン・ミッシェルの人気料理だという。
食事を終え、近くのバス乗り場まで移動して、シャトルバスでモン・サン・ミッシェル
に向かう。
このシャトルバスは、前と後に運転台があるという珍しい作り。バスの乗車距離は2㎞
ほどである。
世界遺産・モン・サン・ミッシェルは、ノルマンディーとブルターニュ地方の境にある
遠浅の海に浮かぶ小島。周辺は潮の干満の差が大きく、海岸線が時速10㎞で18㎞も後
退することもあり、満潮時には「海に浮かぶ小島」になったという。
しかし、ここを目指した巡礼者が海を泳いで命を落としたので、19世紀に堤防で陸続
きにしたとのこと。ところが、近年は堤防が砂州化して景観が損なわれ、生態系も破壊さ
れたので、堤防を壊して鉄道橋を架ける工事が行われている。
バスを下りて眼前にそびえるモン・サン・ミッシェルを目指す。途中曇っていた天気が
すっかり回復し、素晴らしい展望である。でも、手前に海がないのが残念なことだ。
モン・サン・ミッシェルの歴史は、708年にノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使
ミカエルから「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」とのお告げを受けてつくられた修道院。
その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年か
けて増改築された。14世紀には英国との百年戦争で城塞となり、15世紀後半に現在の
形になったという。
最初の門を↑入って跳ね橋のある「王の門」↓のアーチをくぐる。
グランド・リュ(Grande Rue)と呼ぶ狭い参道を進む。
両側には土産店、レストラン、カフェ、ホテルなどがびっしりと並び観光客でごった返
している。
折り返して上に見えるサン・ピエール教会に向かって石段を上がり建物に入る。中ほど
の通路には島古来の岩がそのまま露出したところもある。
さらに階段を上がり、外を展望できる西のテラスに出た。
海抜80mあり、南側眼下にシャトルバスで来た道路や工事中の鉄道線路などの展望が
広がり、西方には、はるか遠くまで緑の草原や森林などが続いている。
反対側のテラスに回ると、眼下の砂州や近くの島などが一望で、目を上に転じれば、サ
ン・ピエール修道院の尖塔で、最上部にはミカエルの像が望まれる。
中央にそびえるモン・サン・ミッシェル修道院に入った。
建物は、10~11世紀のロマネスク様式と12~13世紀のゴシック様式が混在して
いるという。
真ん中に緑の芝生などのある回廊に回る。
別の棟に回るための分岐点となるところで、列柱廊と呼ばれている柱は13世紀初頭の
建設とか。
次の棟にあった食堂の部屋↑は、両側にテーブルが分かれていて、修道僧たちは沈黙し
て食事をとっていたとのこと。
さらに幾つもの部屋を巡り、迎賓の間、太い柱の並ぶ礼拝堂、納骨堂などを抜ける。途
中に、大きな車輪があった。
修道院が牢獄として使われた1820年に、囚人用の食物を上階に運ぶために作られた
車輪のレプリカだという。
ほかのフロアの部屋も巡り、ミュージアムショップ↑を抜けて建物の北側に出た。
(続く)
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2013年6月23日(日)
山浦敬子さんが2004年から毎年4回続けている、「アートウオークセラピー」の、
今年3回目に参加した。
集合は京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅に10時。駅前からバスに乗り、三浦半島
の南西端、城ヶ島を望む通り矢バス停(終点)まで行き、10時25分に出発する。
バス停の通りを海岸際に向かうと、斜めに露出した露岩が望まれる。少しの住宅の間
を東に回り、宮川湾の西端に出た。
東に延びる宮川湾は干潮で、露出した岩礁がずっと続いている。その岩礁を東に進む
ことにした。水際に海藻が流れ着き、それを採ったり海中のものを捕る人がいる。
沖合に観光船のような船が来て、スピーカーで説明している。
帰りに観光案内所でもらったリーフレットによれば、宮川湾の海中散歩のための水中
観光船で、この辺りは海中展望の場所らしい。
ごつごつした岩礁を進むと、壊れた橋があり、骨組みとわずかの板だけ残っている。
落ちないようにバランスをとり、慎重に渡った。
水中眼鏡を付けて海に入るのはアワビ捕りの人だろうか。さらに進むと岩壁に、海水
の侵食によるらしい大きな洞穴が二つあった。
宮川湾の東側台地に数基のアンテナ塔が現れた。漁船との通信を行う三浦漁業無線局
の八浦原受信所のものらしい。北側には2基の風力発電用風車が回っている。
岩礁の下に草地が現れ、そこでバーベキューを始めた若者のグループもある。湾の東
端にある小さい漁港のところで宮川湾を離れた。
そばに「関東ふれあいの道」の「三浦・岩礁のみち」の新しい標柱が立ち、県道215
号に上がった宮川町バス停横には、このコースの説明板が立っていた。
宮川町内を西に延びる道路に入り、すぐの児童館の横から南西への農道へ。周辺はス
イカ畑が多く、大きな実を付けた畑もある。
広々とした台地を南西から折り返して北東に進み、宮川町西部の住宅地に戻って円覚
寺に入る。境内は狭く、南から西側は墓地になっていた。
家並みを抜けて、東に緩やかな丘陵を眺められる台地北端を少し下がって神明社へ。
クスノキの古木数本のほか、カシを主にイチョウやモミジなど豊富な鎮守の森が残っ
ている。ウグイスの鳴き後を聞きながら昼食をした。
拝殿前で記念撮影をして鳥居の横から林間を下り、岬陽町(こうようちよう)の東北
端に出た。神社の北面台地下に、宮川水利組合の取水場があり、農業用水に使うのか4
本のパイプから取水できるようになっている。
西に回って急階段を上がり、北西側の住宅地に出た。お孫さんと話をしていた私と同
学年の男性がおられた。座骨神経痛で現在は少ししか歩けぬが、若い頃は信州の車山や
霧ヶ峰などをハイキングしたこと、M社に長年勤務して自動車の納車で全国を回ってい
たことなどを話してくれた。
岬陽小の東を通過して東側の谷間の住宅地に下り、小さい流れを渡って南面の台地に
上がる。マンションの横から南西に下って先ほどの流れの下流を渡り、急峻な台地下の
細い通りを進む。
少しばかりの空き地に太陽光パネルがたくさん並び、S社の三崎第一発電所と記され
ていた。展示場を兼ねた発電施設らしい。近くの民家には、木彫の奇怪な立像が立って
いた。
城ヶ島大橋に通じる高架橋下を通過して台地下の諏訪町を抜け、北条交差点で県道
215号に合する。川のように北条潟が延び、両岸にたくさんの漁船が見える。
県道の商店街を少し進み、日の出交差点から県道の北を走る三崎二丁目の旧道へ。
神奈川の名産100選に選定の染物店があり、魚にちなむ大漁旗などの染め物が展示さ
れていた。
あい対する地魚とマグロ料理の店の前に待つ人が並び、店のショウウィンドウには、
松坂大輔選手などで全国優勝したときの、横浜高校の記念絵皿が飾ってあった。
その先にも幾つかマグロ料理の店があった。近くの「みうら映画舎」の店内には、三
浦で撮影した作品の出演者のサインやロケに使用したセットなどが多数展示されていた。
この通りには古い蔵造りの建物が幾つか残り、昭和期の姿を残す木造の住宅もある。
三崎二丁目に入り海南寺への通りへ。
変則十字路際には蔵造りの古い酒屋↑が、寺への通りにも蔵造りの建物や、昭和レト
ロ酒場と呼ぶ食堂など、古い建物が目に付く。
通りの突き当たりに、こんもりとした広葉樹を背にした海南神社がある。
貞観6年(864)、九州博多から当地に着き、付近の海賊を平定したり里人を教化
したりした藤原鎌足の後裔(こうえい)、藤原資盈(すけみつ)を祭り、天元5(982)
年にここに社殿を造営し、三浦一族の総鎮守としてあがめられたという。
三浦七福神の弁財天を祭り、7月13、14日には盛大な夏まつりが開催されるよう
で、町内のあちこちにポスターが貼られていた。
朱塗りの拝殿には10数本の鈴が下がり、神楽殿の屋根下には神話の絵が何枚も奉納
されていた。
境内には源頼朝手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチョウが2本、枝を細かに
広げて立ち、長い気根が幾つも下がる。
参道を途中まで戻り西へ、県道26号を横断して石段を上がり、台地上の最福寺へ。
本堂の右手、庫裡(くり)前の松の植栽は見栄えがある。
境内東側から北への道路に抜けると、東側台地下の住宅地を隔てて海南神社の大きな
森や、城ヶ島大橋が一望できる。
白石町に下って見桃寺に行く。建物は近代的な四角いコンクリート造りで趣に欠ける
が、建久時代(1190~)に将軍、源頼朝が風光の優れた三浦に設けた三つの御所の
一つで「桃の御所」と呼ばれ、将軍はしばし来遊したという。
境内には北原白秋の歌碑↑がある。白秋は大正2(1913)年10月、この寺の一
室を借りて妻と二人のわび住まいを始め、歌碑に歌われた上田秋成の雨月物語を読みふ
けったという。
西側の相模湾岸に出て、白石町に向かう側道際から湾岸の台地に上がる。
一帯は歌舞島公園で遊歩道が南西に延び、南側の三崎港を見下ろすところに、「よい
子が住んでるよい町は…」ではじまる童謡、「歌の町」の楽譜付きの歌碑がある。
作曲した小村三千三(こむらみちぞう)はこの地の出身という。
そばに、海上の安全を祈願する漁業関係者が建立した魚籃観音が祭られている。南に
下る途中に、ネムの花が咲いていた。
公園下には、白秋文学コース「歌舞島」と、三浦一族の歴史コース「歌舞島」の説明
板が立っていた。
三崎五丁目に入り、海寄りの車道の途中から北側を並行する細道に回り、住宅やマグ
ロ料理店などの間を進み、三崎港バス停のある広場に出る。そばに鮮魚店があり、マグ
ロの頭やイカや魚の天日干しが並んでいる。
そばの、三崎港を望む広場の中心にある、ゴールの三崎港バス停に14時50分に着
いた。気温が上がり蒸し暑い。
15時9分発のバスで三崎口駅に向かう。三崎口発15時37分の特急電車で帰路に
ついた。
今日歩いたのは、2万5千分の1地形図を5倍に拡大した東西2㎞余り、南北1㎞余
りという狭いエリアだが、波打ち際の岩礁、台地上の畑作地帯、住宅地、レトロな建物
が残り新鮮なマグロ料理店の多い商店街、その間に祭られた古い寺社などで、海面から
標高30m前後までのアップダウンも結構あり、地形図とあらかじめ入手した観光地図
をもとにその場でコース取りをする、「やまさん」こと山浦正昭さんでなければ考えら
れそうにない、大変変化に富んだコースだった。
(参加 5人、天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地 三浦
市、歩数 14,800)
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2013年5月31日(金)(続きその2)
ロワール川を渡ってトゥールの町並みに入る。
トゥールは、文豪バルザックが生誕した町とか。トゥレーヌ地方の中心都市で、ガロ・
ローマ時代から商業と政治の中心地として栄え、15世紀にはフランスの首都になったこ
ともあるという。
今日の宿は、トゥール中央(Tours Centre)駅のすぐそばにあるビジネスホテル風の
アリアンス ホテル トゥール センター(Alliance Hotel Tours Centre)。ホテルの横か
ら、駅に停車している列車が間近に見える。18時ちょうどにホテルに入った。
夕食は、近くにあるHIPPOPOTAMUSというレストランでチキン料理を味わう。19時
半過ぎに食事を終え、まだ明るいので周辺を散策することにする。
レストラン前の通りを西に行くと市庁舎があると添乗員のSさんから聞いたので、そち
らに向かう。その辺りは市の中心街になるようだ。
ウールトゥール大通と呼ぶこの通りは車道の間に歩道があり、歩道は豊富な街路樹と花
に彩られていて気持ちよく歩ける。
ちなみにフランスの車道は、ヨーロッパの多くの国と同様、右側通行である。
フランス国旗を挟んで2つの旗の揚がる建物があった。これが市庁舎らしい。
1階上部には、ひさしを男性が担いでいるような彫刻がある。
まだ玄関が空いていたので入ってみたら、玄関ホールに絵画が展示されていた。
市庁舎の横を南北に貫くナショナル通りには、線路が敷設されているが架線が無い。ど
んな乗り物が通るのか興味をそそられたが、一向に来る気配がしない。
交差点の反対側では停留場らしい設備を工事中。帰宅後ガイドブックで確認したら、今
年、2013年にトラム(路面電車)が完成予定のようで、未成線だった。
交差点の西はベランジェ大通り、こちらも車道の間に広葉樹に覆われた広い歩道が設け
られている。次の交差点まで行って戻ることにした。
明るいが、20時を過ぎているので閉店後の商店が多い。それら店舗のショウウィンド
ウをのぞきながら駅の方向に向かう。
日本のメニューとは違う寿司店もあった。フランスでは寿司は評判の食べ物らしい。
市庁舎を正面から眺め、反対側の車道に沿って戻る。庁舎上部の時計塔周辺にも彫刻が
ほどこされている。
チョコレート店、ファッションの店、別の寿司店などが目に入った。
ウールトゥール大通りを戻り、トゥール中央駅前に着いた。
この駅はロワール地方の交通の要衝のようで、行き止まり式のホームが何本もあり、高
速列車TGVの車両↑も複数停車している。
駅構内への出入りは自由なので、ホームをあちこち回って幾つもの車両を眺めた。
駅の近くの大きなホテル。その辺りから、サン・ガシアン(Saint Gatien)大聖堂が望
まれた。1235年から3世紀をかけて再建されたものという。そばに行く時間は無い。
20時40分にホテルに戻ったが、外はまだ明るい。(歩数 10,900)
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2013年5月31日(金)(続き)
ブールジュから高速自動車国道A71号を少し進み、県道D922号、D765号など
を経由し近くの町を経由し、15時22分にシャンボール城の入口を入った。
ロワール地方は、中央を東西に流れる国内最長、全長1,200㎞のロワール川沿いに幾
つもの町が栄え、流域には「フランスの庭」と呼ばれる風光明媚(めいび)なエリアが広
がり、中世には王侯貴族が100を越える優雅な城を築いて栄華を極めたという。
シャンボール城は、フランソワ一世の命で狩猟のために造られたロワール地方最大の城。
フランス・ルネッサンス様式の最高傑作といわれ、城内中央に位置する二重らせん階段は、
レオナルド・ダ・ビンチが設計に参加したのではないかと推測されているとのこと。
城の幅156m、奥行き117mあり、完成したのはルイ14世の時代の1658年で、
完成までに139年かかったという。
総面積550㏊の敷地は東京の山手線内やパリ市内に匹敵し、建物の周囲はソローニュ
の森と呼ぶ平地林が広がる。バスは、入口から7分かかって駐車場に着いた。
行く手に見える大きな城に向かい、右手に回って入口を入り、400以上あるという部
屋の数々を巡る。
室内には豪華な絵画が飾られ、森に住む動物のはく製もある。
屋上に出ると、きれいに刈り込まれた前庭の向こうに、広大なソローニュの森の展望が
広がる。
複雑な建物の構造や飾られた精巧な石彫なども眺め、らせん階段も利用して上り下りし
て、1時間余りかけて城内を観覧した。
屋上を巡る観光客。
見える範囲の森は全て城のエリア。
各部屋には、狩猟などゆかりの彫刻や絵画が飾られていた。
これがらせん階段。
部屋の中には、当時のままの調度品も残されている。
城内にある教会。
16時45分にシャンボール城の駐車場を出発して、バスは4日目の宿のあるトゥール
(Tours)に向かう。県道D951号から高速自動車国道A10号線に入り、西南西に向か
って走る。
遠くまで見晴らせる広大な麦畑が続き、古い水道橋らしいのも見えた。(続く)
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2013年5月31日(金)
5時半にいつものようにモーニングコールで起床、6時半から朝食をして、7時半にリ
ヨン市内のイビススタイルホテルからバスに乗る。今日は、観光よりバス移動が多いとい
う。朝の天気は曇天である。
最初の予定地、フランスのほぼ中央部、ブールジュ(Bourges)までは北西に約380㎞
である。バスは緩やかな丘陵の広がる自動車専用国道N7路線を順調に進む。沿道には、
エニシダのような黄色い花があちこちで咲いていた。
途中降雨もあったが少しで止んだ。1時間余り走り、「La Boutique」と書かれたガソリ
ンスタンドと売店だけのところで、8時38分から20分ほどトイレ休憩する。
樹林と牧場が増え、羊や白色の牛などが放牧されているのがあちこちに見え、馬の牧場
もある。
9時45分から10時まで、周辺に家並みも無くトイレだけのパーキングエリアで2度
目のトイレ休憩。気温が下がっていて涼しい。
その先は森林が減って平原となり、一面の牧草地やナノハナのような黄色の畑が広がり、
やがて広大な麦畑も増えてきた。
ブールジュの町並みに入り、11時55分に世界遺産・ブールジュ大聖堂近くでバスを
下り、40分ほど観覧することになる。
ブールジュ大聖堂の正式の名はサン・テチエンヌ(Saint Etienne)大聖堂。1198年
に着工されたゴシック様式の建築で、半円形の壁面には聖母マリアの生涯、最後の審判、
聖エチエンヌの生涯などが描かれているという。
上部屋根周辺は修復工事中で、足場や覆いがかけられていた。
内部に入ると、37.15mあるという高い天井と大きなアーチに荘厳な雰囲気に包まれ
る。
壁面を飾るたくさんのステンドグラスは12~17世紀にかけて造られ、多くは13世
紀のものとか。
描かれているのは旧約聖書や新約聖書のシーン、黙示録、最後の審判などのようで、文
字の読めない当時の信者のために描いたのだという。
当時のままかと思われる色鮮やかな彩りに目を見張らされる。
そばの庭園も一巡して大聖堂を離れる。門外には日本と同じウツギの花が咲いていた。
バスで10分ほど乗り、町中のレストランに入って魚料理の昼食をする。
13時50分頃出発して、バスは古城の多いというフランス中西部のロワール地方に向か
う。ブールジュからは約140㎞になる。
屋根に煙突の上がる古い建物の多いブールジュの町並みを出る。(続く)
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2013年6月18日(火)
かなり蒸し暑い日になりましたが、午後のウオーキングで、東村山市の北山公園まで歩
いてハナショウブを見に出かけました。
北山公園は、わが埼玉県所沢市と南に接する東京都東村山市の都県境になっている狭山
丘陵を背景にした自然公園で、新東京百景に選ばれています。
公園は豊かな水と緑に囲まれていて、初夏に220種類8千株、10万本の花菖蒲が咲
き乱れます。
公園の南西側には水田もあり、植えて間もない苗が元気に育っていました。
ここ北山公園では、「第25回東村山菖蒲まつり」を6月8日(土)から23日(日)
まで開催中ですが、今年は暖かいので開花も早まったようで、全体で見ると盛りは過ぎて
いました。
でもまだたくさんのハナショウブが咲いていて、週末までは楽しめそうです。
中ほどにはきれいな水の流れる池もあり、幾つかに分かれた菖蒲田全体に、流れが回っ
ています。
花は白色と紫色が多く、それらにも微妙に色の違った花が何種類かあるようです。
ハナショウブに囲まれた東屋。
東南には、もっと大きな東屋があり、16時を過ぎていましたが、まだ何人も花を楽し
んでいました。
小さい方の東家のそばには蓮池もあり、そのうちハスの花も見られることでしょう。
西から東へと、菖蒲田の中に設けられた遊歩道を一巡しました。
黄色いハナショウブは、2か所くらいしか咲いていません。もう咲き終わったのかもし
れません。
公園の西から東端まで行き、カルガモの泳ぐ池のそばを回って帰路につきました。
わが家からは片道1時間余り、往路と復路は違う道を進み、往復約9㎞のウオーキング
でした。
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第3日 2013年5月30日(木)(続き)
14時15分にニームの町の凱旋門横の駐車場を出発して、約230㎞北の都市リヨン
(Lyon)に向かう。
3車線から4車線もある「欧州道路」と呼ぶ高速自動車道路。順調に進む車窓の東側、
丘陵上に何か所か古城が望まれる。途中、15時30分から20分間、売店やトイレなど
のあるサービスエリアのような場所で休憩した。
さらにリヨンに向かって走る途中、一時雨になったが、そう長くは続かずに雨のエリア
を抜ける。ゆったりと流れるローヌ(Rhone)川を渡ってリヨンの市街地に入り、さらに
次のソーヌ川(Saone)も渡って右岸川沿いを進む。
流れには観光船らしいのも見られ、対岸には新市街の近代的な建物が続いている。
リヨンは、スイスやイタリア国境に近いローヌ・アルプ地方の中心都市で、フランスが
ローマ帝国に占領される以前から首都として発展した古い歴史を誇る町とのこと。織物産
業が発展して16世紀以降、目覚ましい発展を見せ、旧市街はローヌ・アルプ地方で唯一
の世界遺産に登録されているという。
旧市街に近づくと17時近いので夕方の渋滞状態となる。
鉄道橋↑の下を過ぎて旧市街に入り、渋滞の間を縫ってフルヴィェール(Fourviere)の
丘に向かって上がり、17時18分頃、フルヴィエール寺院の大聖堂近くに着いた。
18時10分までフリータイムとなり、まずは大聖堂に入って内部を拝観する。フルヴ
ィエール寺院は、1872年から24年かけて市民の寄進により造られたとのこと。
白を基調とした落ち着いた外観から堂内に入ると、精巧な装飾や彫刻に彩られていて、
たくさんのステンドグラスやきれいな彩色の宗教画とともに目を奪われる。
堂内を一巡してそれらを眺めた後、大聖堂の西北に回り、町を一望できる展望広場に行
く。
北側はるかまで、赤い屋根とクリーム色の壁面の落ち着いた建物の続く町並みが一望で
き、眼下にソーヌ川の流れも見下ろせる。
今回の旅では最高の展望地であった。
バスに戻ってフルヴィエールの丘を後にする。
ソーヌ川沿いに下って旧市街の町並みや大聖堂を振り返り、流れを通過する船などを眺
めながら進んで、18時半頃中心街の橋のたもとでバスから下りる。
旧市街の細い通りを進んで壁面に豚の描かれたレストラン↓に入り、夕食のポーク料理
を味わう。19時40分にレストランを出た。
3日目の宿、イビススタイル(ibis styles) ホテルチェーンのリヨン ヴィルバンヌ
(Lyon Villeurbanne)に、20時過ぎに着いた。外はまだ明るい。
エレベータホールの2台のエレベータ周辺には、大きな動力機械の写真が描かれていて、
扉が開かないとどこがエレベータの位置か分からない。(歩数 13,800)
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第3日 2013年5月30日(木)
7時起床、快晴である。7時45分から朝食をして9時にアヴィニョンのキリアド コー
ティーン ガレ ホテルからバスに乗り、市内観光に向かう。
アヴィニョンは、フランス国王フィリップス4世の要望で1309年に、時の教皇クレ
メンスがローマから教皇庁を移し、その後70年間カトリックの中心地となった。旧市街
は全体が城壁に囲まれていて、7月には世界的な演劇祭が開催されるなど、芸術と文化に
関するイベントも盛んな町という。
最初に、市街地の北西のローヌ(Rhone)川に架かるるサン・ベネゼ(ST Benezet)橋
に向かう。ホテルからは10分余りで着いた。
古いシャンソンの「アヴィニョンの橋」で知られるサン・ベネゼ橋は、12世紀に羊飼
いのベネゼが、「ローヌ川に橋を架けよ」という神のお告げを聞き、変人呼ばわりをされ
ながらも協力者を得て、1188年に最初の木の橋が出来たとのこと。
その後13世紀に22のアーチのある石の橋になったが、17世紀の増水で流され、現
在は4つのアーチだけが残っている。橋の真ん中には小さい礼拝堂もある。
橋から石畳の道を歩いて数分で、世界遺産アヴィニョン歴史地区に入り、町の中心の市
庁舎に面してメリーゴーランドのある広場へ。
ここで10時15分までのフリータイムとなり、希望者は近くの法王庁(教皇宮殿)を
観覧することにする。
多くの人が法王庁に向かい、添乗員のSさんが団体入場料を買ってくれたので割安に入
れることになり、日本語のオーディオガイドを聞きながら順路に従い回って行く。
法王庁は1309年から約70年、7代の教皇が住んだ宮殿。世界最大級のゴシック建
築で、延べ面積約1万5000㎡、外壁の高さは50mあるという。自然の防護壁となる
岩山に食い込むように造られている。
9時半から約45分で回るには広すぎ、その上、幾つもの部屋が入り組んでいてアップ
ダウンもあり、ガイドを聞くのもそこそこに、次々と部屋を回ったり出口を探して戻った
りして、あわただしく観覧した。
入館した人たちはほぼ同じ頃、退館して集合する広場に向かったが、間違って南西方向
に進み、おかしいと気付いて戻ったりして時間が経過し、市庁舎↓前の広場に戻ったのは
10時30分になっていた。
橋に近いバスの待機場所に向かう。近くのノートルダム・デ・ドン大聖堂の黄金の聖母
像が望まれる。
市庁舎の隣には劇場がある。
土産物店などの並ぶ通りをバス乗り場に戻って10時40分に出発し、次の観光地ポン
・デュ・ガール(Pont du Gard)に向かう。アヴィニョンからは北西に約23㎞になる。
ローヌ川の橋を渡り郊外に出ると、1mもない背丈の低いブドウ畑が一面に広がる。
「コート・デュ・ローヌ(Cotes du Rhone)」と呼ばれるこの辺りは、ワイン王国フラン
スの主なブドウの産地のひとつ。強い日差しをふんだんに浴びたブドウから濃厚なワイン
が生まれるという。
11時8分に世界遺産ポン・デュ・ガールに着いた。受付を入って12時5分までフリ
ータイムとなり、川沿いを歩いて5分ほどのローマ帝国時代の水道橋に向かう。
ポンン・デュ・ガールの水道橋は、ユゼスの水源地からニーム(Nimes)の町まで約50
㎞をつないだ水路の一部で、高さ48m、全長275mのこの橋だけが完全な形で残って
いるという。
建造はローマ帝国時代の紀元38年から52年の間で、およそ1,000人の労働者、5
万トンの石が使われたとみられ、水源からニームまでの標高差は17mで勾配は17度、
1㎞の間にわずか34㎝という微妙な勾配がつけられているとか。
5世紀にわたり毎日2,000万リットルの生活用水を運び続けたが、パイプ内に詰まっ
た石灰が水質を汚染し、使用中止になったという。
ローヌ川の支流のひとつ、ガルドン川の左岸沿いに進むと巨大な水道橋が現れ、2,000
年前にこのような橋を造った高度な土木技術や測量技術などに感心させられる。
3段になっている橋の最下部を渡れるようになっていて、対岸に回って全体像を眺めた。
橋の中ほどからの下流の眺め。
こちらは上流。
左岸下流には、何の建物か分からないが古い建造物が建っていた。
下流はるかには、古城らしいのも望まれる。
同じ道を戻った集合場所近くの草地に咲く花。
受付に近い店でアイスクリームを求めてのどを潤し、バスに乗る。
今日の昼食地で、水道橋の水が供給されたという南西にあるニーム(Nimes)の町へ、高
速自動車道路で向かう。
ニームの中心街に入り、昨夜の宿と同じキリアドホテルにあるレストランに12時43分
頃着いた。
今日の昼食はプロバンスの田舎料理、七面鳥の肉を使ったラタトゥイユの予定だったが、
行き違いか用意されてない。
少し待ち、ジャガイモを中心の料理が出されたが、それはそれでおいしかった。
水道橋が使われた頃からのものではないだろうが、かなり古そうな公共水道が、レスト
ランの近くにある。
バスの駐車場のそばには、いつ頃造られたものか分からないが凱旋門が残っていた。
(続く)
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毎年5月20日近くになると、わが家の周辺でカッコウが鳴き出したものでしたが、
ここ2年くらいは聞けなくなっていて、さびしい思いでした。ところが今日午後、ウ
オーキングから帰ってきたら、久しぶりにカッコウが近くで鳴いていました。
しばらくは、さわやかな鳴き声を聞かせて欲しいものです。
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2013年6月16日(日)
朝から小雨模様だったが、続カタツムリ歩行の第5回例会に出かけた。集合地は西武
池袋線の秋津駅。商店の多い南口を10時15分にスタートした。
東側の踏切を渡って野塩一丁目に入る。三差路際の花壇に、可愛い動物の人形が2つ
立っていた。
近くの清瀬白梅幼稚園の前には、トーテムポールが飾ってある。
北側の住宅地に入る。民家の庭先のタチアオイが、雨に濡れてみずみずしい。
畑の隅のビワが色づいていた。
家庭菜園の南側に、わずかな平地林が残っている。
民家の小さな庭先に咲くスモークツリー。
中層住宅の並ぶ野塩団地の西側で柳瀬川を渡る。この辺りで流れは急カーブしていた。
一昨日からの雨で、川の流量も増えている。
橋を渡って所沢市下安松に入る。左岸路傍に小さなほこらがあり、そばに金属の彫刻
が無造作に置いてあった。
近くの畑の隅には、可愛い動物を形取った植栽が並んでいる。
JR武蔵野線の高架下を斜めに横切り、北側の長源寺に向かう。民家の庭先のユリ。
寺のすぐ南側の民家には、ホタルブクロやオカトラノなどいろいろな花が見られた。
このベルガモットもそのひとつ。ヤグルマハッカ(矢車薄荷)とも呼ぶらしい。
ゴールの東隣にある長源寺に入る。本堂はコンクリート造りだが堂々たる堂宇だ。
境内は、古木老木を含め豊富な木々に囲まれているが、東側の日本庭園もみずみずしい。
四脚門の山門横には、クロマツの老木がある。
境内西側には、慈母観音が祭られていた。
正午のゴールには少し早いので、上安松神社前を通過してもう少し巡ることにして、上
安松の集落を西北に進む。こぶりのアジサイが雨でよい彩り。
農家らしい庭の隅に咲くアカンサスモリス。
台地上に広葉樹林が残っていた。樹林に遊歩道もあったので林の中を西北端まで進む。
台地の北側は野菜畑が広がる。そのひとつにズッキーニが花を見せ、大きな実を付けた
のもあった。
ヤマモモが色づいていた。
先ほどの林の東端付近に戻ると、三差路際に野菜類の自販機があり、南高梅、狭山茶の
新茶、くき茶、プラム、漬物など、いろいろな品物を100円から500円くらいで販売
していた。
正午近く、斜面上にあるゴールの安松神社に着いた。
参拝後、拝殿の屋根下を借りて昼食をする。
境内は、うっそうとした広葉樹林に囲まれていて、いまは貴重な鎮守の森として豊富な
緑を残している。
境内に咲く大きな広葉樹の花。
昼食後、いつものようにミーティングをして、13時近くに散会した。
私はこの後、西北に進んで松井小の北で県道6号に出て所沢市街に入り、西所沢駅前を
通過して14時22分に帰宅した。
(天気 雨後曇 距離 3㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 清瀬市、所沢市
歩数 5,700)(自宅まで通算 距離 8㎞、歩数 14,900)
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