冬の間中止していた企画をそろそろ再開したいと考えています。名付けて「関東
山の辺の道」、関東平野の周辺部をグルッと回るウオーキングです。距離の見当
はつけていませんが、1000㎞前後にはなるものと思われます。冬と夏を除き、
月1~2日ずつ歩きつなぎ、数年かけて達成できればと思ってはじめた、私の
オリジナルウオークです。
奈良県の「山の辺の道」には及ばないにしても、関東平野の山すそには、古い歴史
を残す町並みが多く、豊かな田園、そしてそれらを囲む緑の山並みが広がっています。
これら歴史と自然、そして地元の方とのふれあいを求めて歩こうというものです。
歩く方向は、自宅からは遠方の茨城県からとし、栃木、群馬、埼玉、東京、神奈川
と反時計回りに進むことにしました。海岸部は別にして、おおむね標高50m~70m
くらいの、関東山地の山すそにもあたる、車の少なそうな道を結んで歩く計画です。
今日は第1日目を紹介します。
04年9月3日(金) 晴
JR常磐線大甕(おおみか)駅に10時23分に降りた。出発点は駅から東北にある
水木浜海岸である。ここは、前年3月下旬に行われた72年に1度の祭典、「磯出
(いそで)大祭礼」で、茨城県水府村(現在は常陸太田市)の2つの金砂神社からの
大行列が、3日かけて到着し、折り返す会場になったところ。私も祭礼期間中、ウオ
ーキング仲間のMさんと、水府村や常陸太田市内で、この祭礼の行列を観覧した。
水木浜の砂浜には、テトラポット幾重にも並んでいた。

海岸沿いに南に進み、田楽鼻(でんがくはな)と呼ぶ岬の公園に回る。磯出大祭礼
の行列は、途中何か所も田楽舞いの奉納をするのだが、ここもその場所。昭和6年
(1931)の第16回と昨年の第17回記念のモニュメントが残されていた。
駅に戻り跨線橋を越え、国道6号沿いにある大甕神社に詣でる。スダジイなどの
古木の豊かな森に囲まれた神社は、元禄2年(1689)に水戸光圀公により、この地
に遷宮されたという。社殿はそう大きくはないが、精巧な彫刻が施されていた。

旧岩城相馬街道を西に進んで国道に合し、石名坂で再び分かれる。石名坂榎木元
バス停そばに、「金砂神社磯出大祭礼記念植樹」の榎が植えられていた。72年後、
この木を地上1.2mで切り、切り株に祭礼のみこしを乗せ、祈願の神事が行われる。

町並みが終わる頃、下り坂となり、日立工場の揚水場横を通過し、県道156号に
合する。大和田町1丁目の通には、大きな長屋門の家などが残り、旧岩城相馬街道
の街道筋だったことがうかがえる。
東北自動車道を越えた本内集落の前後には、特産の香水などを並べた梨の直売
店が数店出ていた。
左からの国道293号に合し、日立市から常陸太田市へ。国道は歩道があるが、
高速で通過するトラックなどが多く、わずらわしい。平宿の民家には、ヒマワリ、
ケイトウ、マツバボタンなど夏の花が鮮やかな彩り。2㎞余りで国道の車から解放
された。
茂宮川の周辺では、早くも稲の収穫を始めた田んぼもあり、2つの田ではさ掛けを
していた。古い赤レンガの煙突の立つ家が見えたので、通りがかりの人に聞いたら、
造り酒屋だったが現在は廃業しているという。そのそばで里川を渡る。

国道343号を横断して常陸太田市役所前に出る。次の東バイパス交差点を横断、
根谷坂にかかる。交差点角には、重厚な瓦屋根の旧家があった。
常陸太田の中心街は、この急坂を上がった丘陵上にある。大きな木札の看板が
上がった薬局や、郷土資料館、白壁土蔵の郷土資料館別館など、古い家並みが
残っていた。

十王坂を西に下り、源氏川を渡って太田二高の北の坂を回り込んで久昌寺へ。
水戸光圀公建立の寺だが、現本堂はコンクリート造りである。
寺の先から、桜やアジサイの間を西山公園に上がると、義公廟がある。徳川光圀公
の生母の菩提を弔う法華経を納めた宝塔や、明版一切経が納められているという。

裏手の「歴史の散歩道」に入る。展望台があったので上がってみたら、北から東側
にかけての展望がよい。

桃源集落に入り、光圀公が元禄13年(1700)、73歳で没するまで過ごしたと
いう西山荘(せいざんそう)に行ったが、閉門時刻の16時30分を過ぎていた。
薄暗くなった林間を上がって西側の車道に出て、白馬寺に行く。光圀公から朱印
20石を賜り、元禄9年(1696)にこの地に移されたという。夕方やって来た怪しい
人と見られたか、庫裡前の犬2匹がしきりにほえる。

林を抜けて天神林町に入る。日が傾き、ツクツクボーシや秋の虫がにぎやか。
集落内の里道に「山寺の水道」の標識があった。光圀公が命じて造らせた2㎞ほど
の水路だが、300年前にトンネル式の水路とした工法は、ほかに類例がないという。
県道61号に出ると、佐竹寺の仁王門が見えてきた。佐竹寺は、寛和元年(985)
花山天皇の勅願で創建したという古寺。坂東33観音第22番札所である。
天文15年(1546)再建の本堂は、かやぶき寄棟造り。桃山時代の遺構を残す
重厚あふれる造りに圧倒される。
車の多い県道を避け、猪ノ手集落を下って田園地帯に出る。黄金田の間を進み、
JR水郡線河合駅に18時29分に着いた。
(距離 25㎞、地図(1/2.5万) 日立南部、常陸太田、歩行地 日立市、常陸太田市)